第6話 調べ学習は図書館へどうぞ
「天青町の災害の記録? しかも江戸時代の?」
図書館のカウンターでたずねると、カウンターに座っていた司書のおばさんはふむとうなってから、一枚の紙を出してツバサの前に置いた。
「郷土資料はオープンの本だなには置いてないの。他で手に入らない貴重なものもあるからね」
紙には『郷土資料閲覧申込書』と書いてあった。ツバサが代表で名前や住所を書いていると、おばさんはほがらかに笑いながら話しかけてきた。
「あなた、酒屋さんとこの子でしょう? 夏休みの自由研究かね。あと十日もすると夏休み終わりだけど間に合うかな?」
「はい! もうだいたいできてるんだけど、いちおう本も読んでおいた方がいいかなって思ったので!」
「あらぁ、資料なしでできちゃったの? 優秀ねえ」
ウソ八百をほめられて得意そうにしているウミを横目に、夏希はプールバックを胸に抱きしめた。
本当の自由研究はもうできているんだよね。
ウミの自由研究は、おいしい半熟卵の作り方だ。ゆでる時間やお湯の温度を変えて、どれが一番おいしいか調べた。結果はグラグラわいたお湯で七分半ゆでたのが一番ということになった。
夏希も手伝わされたのだ。
実験に使った四十個の卵を坂田家のちびっ子たちと一緒に食べさせられて、次の日みんなお腹をいたくしたんだもん。
夏希はもっと簡単で、色セロファン紙を使ってステンドガラス風の切り絵を作っただけだ。お母さんは、あら、きれいねと言ってくれたけど、お兄ちゃんには一言「手抜き!」って切って捨てられた。
たぶんクラスのみんなは、最初だけふぅんって見て、すぐに忘れちゃうだろうなってくらいの出来あがり。
ツバサの今年の自由研究はなんだか知らない。でも勉強大好きなツバサのことだから、きっと良くも悪くも先生たちをうならせる。
去年はハエトリグモの研究とか言って、小さなクモをいっぱい集めて学校に持って来たから大変だった。うっかりだれかがフタを開けちゃって、いっせいに逃げ出したから教室がパニックになったんだよね。
それでも研究自体はほめられていたから、優等生って得だなあ。
とはいえ。天青町の災害の歴史なんて地味でめんどくさそうなテーマを選ぶ子は絶対にいないよね。
夏休みなのに図書館には子どもたちの姿はない。それとも台風の次の日だからみんな家にいるのかな。
おかげで、ケンタさんがだれかに見つかる心配はなさそうでホッとする。
ツバサが申込書を書き終わると、おばさんは奥の小部屋を開けて案内してくれた。かべぎわのスチール製の棚には古そうな本がぎっしり並んでいる。
「災害の記録にしぼった本はないんだけどねえ。町史……ええっと、町の歴史をまとめた本が一番読みやすいと思うな。ただ書いてあるのはこの百年くらいのことがほとんどで……あとは青見神社さんからあずかってる昔の記録もあるけど読む? 古文書だから君たちには読めないよねえ」
「青見神社の古文書って、そんなものがあるんですか? ええっとぜひ見てみたいです」
ツバサがメガネを光らせながら頭を下げる。さすが優等生。
「でもなんで神社のものが図書館にあるんですか? あ、ぼく、青見神社のとなりに住んでいるので。すごく興味あるんですよね」
「あそこ普段は宮司さんがいないんでしょ? お倉に入れっぱなしだとこういうものはいたむんだよね。湿気でカビがはえたり。だから図書館があずかってるのよ。地域の大事な記録だから」
図書館がそんな役割をしていたなんてぜんぜん知らなかった。
ツバサも感心した風に何度もうなずいている。
「ただ、どんな大事な記録でも活用されないと宝の持ちぐされだからね。読みたい人にはドンドン読んでもらわないとね」
おばさんは大きな口でほがらかにしゃべりながら、いくつかの本を棚から出してくれた。
最初に渡された『天青町史』は昭和六十年発行と書いてある。これは古いとはいえちゃんと印刷された本だ。これならちょっと難しくてもなんとか読めそうな気がした。
その横に積まれた青見神社の記録は、筆で書いて糸でとじた本当に昔々の本だった。こっちは読める気が全くしない。
「こんな貴重な資料を見せてもらってありがとうございます」
ツバサはぬかりなく直立不動の姿勢からぺこりと頭を下げる。
「いいのよ、汚したり破いたりしなきゃ」
おばさんは、あははと笑った。それからしゃがみ込んでスチール棚の一番下から数冊のノートを取り出して置く。ノートも町史と同じくらい古びていた。
「でもさすがにその古文書は読めないでしょ? だからこちらをどうぞ」
「これはなんですか?」
「町史を作るときに青見神社の記録も参考にしたらしいんだけどね。役所にも図書館にも古い書物を読める人がいなかったの。それで高校の国語の先生に頼んでいまの言葉に直してもらったときのノートなんだって」
へえ、と感心した顔を見せてからツバサはもう一度ありがとうございますと頭を下げた。その間にウミはカウンターからメモ用の紙と鉛筆を借りてきていた。
おばさんが、ゆっくりどうぞと出て行くと、とたんにツバサの態度がえらそうにもどる。
「さて。じゃあウミは町史を読んで。見つけるのは江戸時代に青見神社の裏の崖がくずれるような大きな災害があったかどうかだ。満願寺の石碑にあった寬保二年の水害については特に注意して。もしなにか書いてあったら、ちゃんとメモしろよな」
それからツバサは夏希を見ると、当たり前のように言った。
「ナツは青見神社のほうな」
「え?……ええっ?! こんな昔の手書きの本なんて読めるわけないじゃない!」
思わず大声で抗議する。
まだ習ってない字があったとしても、町史の方は読めそうだ。でもなにしろ神社の日記はナントカ鑑定団がやって来そうな古い古い本だ。触るのもなんだかブキミ。
「だれもその古文書を読めだなんて言ってないだろ。司書のおばさんの話、聞いてなかったの? どっかの先生が書いたノートの方だよ」
わざわざ目の前でノートをふられ、夏希は力の入った肩を下げた。
ぱらりと真ん中のページを開けてみる。なんだか角張った文字がずらずらと並んでいて、目がくらくらした。
「でも……これだって手書きだし。読めるかな」
じわりと不安がこみ上げる。
「読めるだろ。ナツは根気強いから」
びっくりして目を上げると、ツバサはにこりともしないでうなずいた。
「寬保の『寬』の字だけ見つければいい。あるいは『水』とか『害』とか」
ツバサはメモの一枚に三つの文字を書いてくれた。まるでなにかの暗号みたい。
「それなら……できるかな」
ツバサがこんな風にあたしを認めるような言い方をするなんて、初めて聞いた。
びっくりして、ちょっとドキドキした。認めてくれたんだって思ったら、今度ははち切れそうなほどうれしい気持ちがわきおこった。
「ちょっとぉ。うちらに難しい本読ませて、ツバサはなにをするん」
一方でウミは不満そうだ。
「ぼくは地図を借りてくる。さっきみたいにただ歩き回っていても時間のムダだから。町内ってだいたいの地区を歩いたことはあるけど、正確な地形とかちゃんと把握してないなって思ったんだ」
言うなりツバサはさっさと小部屋を出て行った。
ドアのすき間から見ると、カウンターのおばさんにいい笑顔で話しかけていた。
「あいつ、おばちゃんキラーだよねえ」
ウミはぱらぱらと町史をめくってクスクス笑った。
「おばちゃんキラーっていうより、大人と子どもで態度ちがいすぎなんじゃない?」
「うんまあ……ツバサって一足先に大人になっちゃたってカンジ?」
「大人かあ」
おしゃべりしながら読みにくいノートに目を走らせる。なにもしてないって思われたくないもん。
指で一行一行たどりながら、ツバサのことを考えた。
「ツバサはさ、うちのお父さんもお母さんも、お兄ちゃんまでしっかりしてる、よくできるってほめるんだけど」
「そりゃ、そうだ。実際あいつはしっかりしてるからねえ。まあ、ナツにとっては比べられちゃたまんないってとこだよね」
「うん、だから家の中でツバサのこと話すのイヤなんだけど」
でも、と思う。
保育園時代はそうじゃなかった。いまみたいに相手によって態度を変えるような子じゃなかった。もっと普通に泣いたり笑ったりしてたような気がするよ。
「ひまわり保育園でさ、柵によじ登って脱走しようとして落っこちたことあったよね。あちこちすりむいて大泣きしてた」
「あった、あった。あれはなんだったっけ? ああ、そうだ。保育園のとなりの家にキンモクセイが咲いててさ。すっごいにおいで。で、このにおいの元はなんだって探しててさ。ナツがあの木だって言って、うちが花なんて見えないからちがうって言ったら、ツバサが調べてくるって」
「そうだったかな」
「そうそう、結局ナツの言うとおりだったから、うち、くやしくてよく覚えてるよ」
そんな理由だったなんて、ぜんぜん覚えてなかった。
なんだか胸の奥がほんのりあったかい。
いつもいばってばかりだと思っていたのに、本当のツバサはそうじゃないのかもしれない。
「ツバサんちはお母さんいないからねえ」
ウミがぼそっとつぶやいた
「あれもこれも一人でやらなきゃいけないから、うちらが甘えっ子でバカに見えるのかも。うちだって手伝いはするけど、あくまでもお手伝いだもんね」
それを聞くと、また夏希の心はしずんだ。
そうだった。お隣だから、ツバサが毎日がんばってることなんてよく知ってる。だからお母さんもお兄ちゃんもほめるんだ。
良い子なのは、良い子じゃないとやっていけない理由があるからなんだ。
じゃあ、いばっているのも理由があるのかな。どんな理由だろう
「やっぱりボーッとしてる。水害のことは見つかったのか?」
うつむいた頭にコツンと軽くこぶしがふってきた。考えている間にツバサがもどってきていたのだ。
ウミはメモ用紙にせっせとなにか書き写している。さすが、ちゃっかりしてる。
夏希も改めて読みにくいページに取り組むことにした。指で一行一行たどりながら目をこらす
できることをコツコツとやろう。せっかく根気強いって言われたんだし。
しばらく静かに時間が過ぎた。
最初はとても読める気がしなかった古い手書きの文字も、慣れてくるとだんだん楽に読めるようになってくる。なんと言っても見つけるのは『寬』と『水』と『害』の三文字だけだ。
そのうち『水』の文字はいくつも見つけたけれど、ツバサに見せると、そのたびに首をふられた。
田んぼの水路のことについてだったり、雨乞いのお祈りことだったり。
青見神社の神様は水の神様。だからやたらと水に関係する話が出てくるのだ。
昔は本当に雨乞いのお祈りなんてしていたんだなあ。昔話みたいに。
いまはボロボロで小さな神社だけど、昔はもっとたくさんの人の中心だったんだっていうのがわかってきた。
ケンタさんが言っていたサダツグさんも町の人にいろいろ指示していたみたいだし。
おとなりの神社が、そんな存在だったことも知らなかったなあ。
ノートは全部で五冊もあった。読み飛ばしているつもりだけど、一ページ読むのにも時間がかかる。
だんだん目がショボショボして、読めていたはずの字も形がぼわんとくずれて見えだしたころ。
ようやく『寬』の字を見つけた!
「ねえ、これは? 寬保って書いてある?」
ツバサに示すと、じっと見つめてから首をふられた。
「これは違うな。寛延だよ」
「かんえん?」
「江戸時代には寬の字がつく年号がたくさんあるんだよ。確か寛永ってのもある」
歴史なんてまだぜんぜん習っていないのに、なんでツバサはそんなことまで知ってるんだろう。
「あ、あった! ねえ、こっちの本には寛保ってあったよ」
「ウミ、町史にはなんて書いてあったんだ?」
ツバサが聞くと、ウミは自分のメモを読み上げた。
「うーんね、寬保二年、カッコ、一七四二年、カッコとじ。七月二十七日から大雨が続き、八月九日朝、天青川の青見堤が決壊しました。このため下原地区の農家二十数軒が押し流され、天青町全体の田畑の約八割が……ええっとナントカ的被害を受けましたって書いてあった」
「青見堤って? 青見神社の下の土手かなあ」
「下原地区は川の向こう側だから、青見堤は神社とは反対側の土手だろうね。どうして堤が切れたかってのは書いてなかったのか。崖くずれがあったとかは」
「うん、そのあとはみんなで復興に力をつくしましたってさ」
ツバサが地図のコピーを広げて、青見神社のすぐ下、天青川の対岸に赤丸をつけて『青見つつみ』と書き込んだ。
「青見山から流れてくる天青川は神社の下で大きくカーブしてるから、ここが切れると向こう側の田んぼに一気に水が流れていくだろうな」
おお、と女子二人が声を上げる。地図ってこんな風に使うんだ。
「問題は、そのときに崖くずれが起きたかどうかだよな」
「じゃあ、やっぱりくわしいことはこっちを読み解かなきゃダメなのかな」
「そうだね。そっちはもともと青見神社の記録なんだから、崖くずれなんて大事件ならぜったいに書いてあるはずなんだ」
ツバサが古文書とノートをにらむように見下ろした。
ナツが一番根気強い。そう言われたことを思い出した夏希は、大きく息を吸い込んだ。
「あの、あのね。これはあたしがなんとか読んでみる。わからない文字や言葉はさっきのおばさんにも聞いてみるから」
「ナツ、知らないおばさんに話しかけられんの?」
ウミが心配そうに聞いてくる。
そりゃあ、知らない人と話すのは苦手だけど、でも、やりたいって思ったんだ。
「うん、大丈夫」
二人はちょっとだけ夏希の顔を見つめてから、同時にため息をついた。
「まあ、ナツが言い切るのってめずらしいしねえ」
「ナツがやるっていうならやってもらおう。その間、ぼくらは、もう一度、地図を見ながら川ぞいを歩いてみる。だから鈴をウミに渡して」
「え、でも……」
夏希はぎゅっとケンタさんの入ったプールバックをだきしめた。
ケンタさんの声が聞こえるのは自分だけなのにって気持ちがわきおこる。
「言葉はわかんなくても合図はだせるだろ。鈴を鳴らすとか、ピカピカ光らせるとか」
そう言われてしまえばそうなんだけど、渡しても大丈夫かな。
心の中でケンタさんに問いかけてみたけど、何も返ってこない。図書館の中だからだろうか。
夏希はしばらく迷ってから、しぶしぶプールバックごとケンタさんをウミにあずけた。
「うっし、ちゃんと落としたりしないように気をつけるね。だからナツもがんばれ」
うん、とうなづく夏希を置いて、二人は図書館から出て行く。
信用されたんだから、あたしもウミのこと信じなきゃ。
そう思うとぷるっと体がふるえる。がんばらなきゃって自分に言い聞かせて、読みにくいノートに目をこらした。
「ねえ、ナツ、本当に読めるのかなあ」
今度は橋を渡って青見堤から神社をながめてみようと小走りに曲がりくねった道を行きながら、ウミがたずねた。
「読めなかったら後でぼくが読むよ。今のところ手がかりはあれだけなんだし」
ツバサはむっつりと答える。
「町史にはあれ以上寬保二年の災害について書いてなかったんだろ?」
「うん。あとはみんな明治になった後だよ」
「一七四二年なら、あいつの言ってた三百年くらい前って話にもぴったりなんだけどな」
「本当に崖くずれがあったとして、それからどうすんの? もうわかったようなもんなら、ナツが読めなくても別にいいじゃん。なんで置いてきたのさ」
「あいつ歩くのおせえし。それにあついだろ、今日。倒れそうだったし」
ウミは目をグルンとさせて立ち止まる。
「ツバサってやっぱりイジワルだよね」
「ついてこられなくてウジウジ悩むより、できそうな仕事を任されたって思うほうが気分いいだろ」
ふり返りもしないで言うツバサに、ウミは顔をしかめ、それから一気に走り出す。ツバサを追い越しながらさけんだ。
「バカ、ツバサ! そんならもしナツがちゃんと解読したら、最大限ほめたたえなさいよ!」
「土下座でもなんでもしてやるよっ」
ツバサも走り出す。
そろそろお日様が天の真ん中にさしかかろうとしていた。
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