3 でっかいジャパン
四十川は不安に思っていることがあった。
それは、この世界において自分たち3人は「金も身分証もない」
ということ。
そもそも財布は3人とも元の世界においてきたし、
この世界において通貨に使われている絵柄も、元居た世界といろいろと違う。(四十川の知らない人物ばかりである)
いまはアマト研究所を寝床にし、天音や芥川の服を借りて着ているが、
サイズが合わないし何とも胸のところがパンパンで苦しい。
それに風呂だって大学のシャワーじゃ物足りない。銭湯に行きたいがそこまで金を天音にせびるのは忍びない。
だからこそいつまでも、アマト研究所に居候するわけにもいかない。
せめて風呂のあるアパートでも借りたいものだ。
……なんて思うが、そもそもこの世界では四十川達は「存在しない人間」なのだ。
戸籍だってないし、身分証明証もない。
そんなんじゃ働けないし、そもそも住む場所すら確保できない。
……どうすりゃいんだ……。
四十川は少し気落ちした。この世界はワクワクすることが多いが、
きちんと身を据える場所が泣ければ色々きつい。
一回の談話室の、窓の桟に胸を乗っけながら、夏風がそろそろ涼しくなってきた外を見ながら四十川は思う。
「――え、そんなこと気にしないでくださいよ。わたしは助教授として毎月お給料を頂いておりますが、生憎お金の使い道があまりないのです。そういった無駄にたまってくお金で、こうしてアマトの皆様を養うことができるのは光栄です!」
「そうだよー。お金を持っている人は、それを持たぬ者のために使うべきだよ。これ、イスラム教における喜捨っていうんだよ。金のある人間は、喜んでそれを持たない持たぬ人間に金を振りまくべきだ、みたいな」
ここ3日くらい普通にアマト研究所に居候している鮎原はそういう。
「このフーテン女は放っておいて……。しかし、どうしたもんかねえ……」
四十川は相変わらず、思い胸を窓の桟に乗っけている。おかげで服にホコリがつく。
「うわキッタネ! 埃がついたぞ!」
四十川はTシャツについた鉾値をバンバンと払い落とす。おかげで下着もつけていない胸はバインバイン揺れている。
「なんや! デカいチチ自慢しとんのか! 相変らず腹立つやっちゃ!」
「イチイチかみつくんじゃねーよ貧乳。つーかいたのかよ!」
「何が貧乳や! ウチは男子からの一番人気の“Dかっぷ”やぞ! これくらいの大きさが男子にはちょうどいいんや!」
「聞いてねーよ。……お」
四十川は窓の外を見た。ブロンド髪で薄着の留学生? がゆっくりと歩いている。
一瞬あのブロンド女のアガルトかと、四十川はびくっとした。
そういえば前に街に出た時も外国人、それも白人を多く目にした。
観光で日本にきているのだろうか? しかしこのあたりは壮厳な街だが、なんというか欧風というか、日本っぽい街並みではない。おおかた観光客は日本っぽい雰囲気のところに行くものだ。こんなところにも観光客は来るんだなと四十川は思った。
「――この街は、なんだかやけに白人、欧米人みたいのが多いな。観光が盛んなのか? ……例えばあのブロンド女のアガルト、名前はアンドレアって言ったか? 日本語ペラペラだったなあ外国人の割には」
その言葉に鮎原と天音はきょとんとした。
「観光客? 違うと思いますよ。彼らは豪州系の”日本人“で、大半が東部オーストラリア出身の方々だと思いますよ」
「オーストラリア? ……え? なんでオーストラリア出身で日本人なんだよ。帰化しまくるのが流行ってんのか?」
「ナニ言ってるんですか。数十年前まで北東オーストラリアは日本領だったんですよ。おおかたシドニーやメルボルンから、数十年前に日本に出てきたんでしょう」
「……」
「…………」
「……………えええ! どういうこったい!」
四十川は意味が分からない。
オーストラリアが日本領!? そんなの想像したこともない。
あんな南半球の大陸を日本が統治できるかよ!
平和な平成時代に育った四十川はそう思った。
「……なあ、嘘、じゃあないよな?」
四十川は怪訝な目で聞く。
「当たり前ですよ。あ、四十川さまは先の大戦のことよく知らないんでしたっけ」
「あ、ああ……」
「100年以上も前になります。大戦以前から日本はハワイ、東南アジアと進出し、地政学的な意味でもアメリカを抑えるため、資源獲得のためなどもあって、オーストラリア進出を狙っていました。……そして大戦。日本はまず英・蘭などと戦い、途中からアメリカ・ロシアなどとも戦いました。一方裏の欧州ではドイツが東ヨーロッパにて快進撃。……しかしそれらも長続きはせず、特に欧州やオーストラリアは上陸されたりそれを追っ払ったり、また再上陸したり……。ひどい大戦でした。世界は落としどころをなかなか見つけられなかったのです。……結果“大戦”は20年近くにわたり、世界人口の4分の一、10億人が亡くなったと言われます。その結果痛み分けのような形で、日・独・米が世界の大半を支配することとなり、北東オーストラリアは日本の管理下となったのです」
「まあ結果、数十年前から独立運動とかが盛んになって、たとえばインドはドイツ皇帝の下の同君連合として、北東部オーストラリアは日本の天皇陛下をいただく、同君連合として独立したよ。だからそういった経緯があって、日本もオーストラリア系の人が多いんだ。あの強かったアガルトも、オーストラリア系じゃないのかな?」
鮎原は得意そうに言う。
「お、おう……」
四十川は半分わかったような、わからないような気の抜けた返事をした。
とりあえずこの世界の日本はとんでもない国らしい。それはわかった気がした。
「――なるほど理解しましたぞ!」
四十川が胸を乗っけていた窓の桟の下、そこから声がした。
見ると麻生がにやけ面で脂ぎった額で笑みを浮かべている。
「うわハゲ! そんなところにいたのかよ!」
「ええ。心地よい朝なので散歩をしていたら、窓のそばに四十川サンが見えたので、急いでここに潜んだというわけですな! 下から見る、窓の桟から大きく張り出した四十川サンの胸は圧巻でしたぞ!」
「……朝から何しとんじゃボケ!」
四十川は麻生の額をごつんと殴った。拳に付いた彼の額の脂が光る!
「うわーアブラでキッタネ!」
「いたたた! もう! ワタクシが華麗に解説をしようとしていたのに……」
「いーよそんなもん」
「いえよくありません。いいですか、我々の世界の史実において、実際に北部オーストラリア占領は立案されたレベルです。……まあ実行されず、海軍によるオーストリア北岸爆撃程度にとどまりましたけど。当時の連合艦隊長官、山本五十六と海軍軍令部は、インド方面に進むか、オーストラリア方面に進むか、ハワイ占領後アメリカ本土方面に進むかで迷ったのです。すると空母艦載機による東京への空襲が起き、海軍軍令部はアメリカ太平洋艦隊とハワイを無力化する方針に舵をきった。……もしまかり間違っていたら、日本が史実でもオーストラリア進出を選んでいれば、北部オーストラリアなどは日本に占領されたかもしれません。……いやあ、歴史とは面白いですな!」
長々と語って麻生はご満悦だ。
「ま、この世界は我々の世界とは、特に19世紀くらいから大きく異なているようです! 我々の史実の話をしてもあまり意味はありませんかもしれませんなナハハ!」
額を光らせギャハハと笑っている麻生を全員はシラけた目で見る。
よく見ると、その手にはこの世界のビールの一升瓶が握られてた。
「げ! てんめー朝から何飲んでやがんだ!」
「え~。だってすることもないし、暇だったもんで……。しかしこの世界はすごいですな。ビールの一升瓶が一般化されているようで? 白人系の方も多いので、酒に強い人が多いからでしょうか?」
「ウッセーよ。これあたしが今日夜飲むの楽しみにしてたやつじゃねえか! 勝手に2階の冷蔵庫から出したなコラ!」
そういって麻生を殴ると、四十川はその一升瓶ビールを奪い、そのままその場でラッパ飲みした。
「ええ……。結局マコちゃんも飲んでるじゃん」
「まあまあ。四十川さまはアマト。いつ何度き戦いが起こるかわかりません。今のうちに楽しんでおこうということですよ」
「いや違うと思うけど……。大体今アガルトが来きたらどうするの? ベロンベロンに酔ったらアマトに変身できないよ?」
「ウッセーな大丈夫だって! 来やしない来やしない! それにアガルトが来たとしても、ベロンベロンじゃなきゃ変身できるんだろ?」
「まあそうだけど……。いい? もう理解したと思うけど、アガルトはアマトの気配が分かるんだ。あのアンドレアとか言う名前のアガルトはこの場所、アマト研究所のことをすでに知っているんでしょ。いつかまた攻めてくるかもしれないよ?」
鮎原が言っている間に、四十川は一升瓶のビールをがぶ飲みした。
「ダイジョーブだって、そのときゃその時! テキトーにやるさあ!」
「も~マコちゃんはアマトとしての自覚が足りないんじゃないの?」
「せやせや。アマトは正義の味方! アガルトから人々を守るヒーローやヒーロー! もっとアマトらしく、ヒーローらしくせい!」
「ウルセーなあこの貧乳関西弁! アマトでもねえくせにギャーギャーいうんじゃねえ!」
一方その頃――
ここは壮厳な雰囲気漂う街のコーヒーショップのオープンテラス。
そこでコーヒーの香りを楽しんでいる、一人の男がいた。
年のころは二十歳程度といったところか、髪の毛はセンター分けの長髪。四十川達の世界だと世紀末~00年代初頭に流行った髪型だ。まあ、この世界では今流行りの髪型なのかもしれないが。
そこに一人の、肩までのブロンドヘアの女が現れた。
「あなた……アマトですね?」
「……!」
後ろから急にに話しかけられた男は少しビクッとしたが、
ゆっくり振り向くとうすら笑いを浮かべた。
「……面倒だなあ。アガルトってのはアマトを気配でわかることができる。おかげでアマトの僕たちはおちおち外出もできないよ。折角こうやって、右手に埋め込まれた紅い石を、手袋で隠しているというのにね」
確かに、夏もまだ終わっていないというのに男は右手に黒の皮手袋をはめている。
男の右手をちらと見ると、女は喋り始める。
「貴方は……確か朝霧とか言う名前でしたね? 以前闘いましたね。その節はどうも……」
男は後ろを向いたままコーヒーをごくりと飲み干し、それをゆっくり器に下ろすと、おもむろに振り返った。
「……僕の名前を知っているということは……。キミはあのとき、僕が倒し損ねたアガルトだな? なんだい? 今度こそ僕に倒されに来たのかい?」
「……逆でしょう。あなたは今から、私“たち”に倒されるのですよ。朝霧さん」
すると、ブロンド女の後ろから、若く背広を着た、サラリーマン風の男が現れた。
「そう、私たちに倒されるのだ。……人類の調和を乱すアマトめ……」
すると朝霧はやれやれという仕草をし、右手を掲げアマトに変身するそぶりを見せた。
「――やめなさい!」
だがブロンド女、アンドレアは強く静止した。
「……なんだ、戦うんじゃないのか?」
「……これだからアマトというものは。いいですか。こんな場所で戦えば一般の人々に被害が出る。そんなこともわからないのですか?」
それを聞いて朝霧はクックと笑い始めた。
「ハハハ! これだからアガルトというやつらは度し難い! いいかい? 我々の闘いで無知蒙昧な市民に被害が出ようと、それがなんだというのだ! それは正義の犠牲というやつだ! まったく、アガルトってのはつくづく愚かで邪魔な存在だよ!」
「……く! このアマトめ! 一体どっちが正義だ!」
「まあまあ赤城さん。ここは抑えて。……さて、戦うにふさわしい場所があるのですが、そこで戦うとしませんか? 広々として、ここなどよりよほど戦いやすいですよ」
朝霧は一瞬考えるようなしぐさをしたが、にこりと笑い
「いいだろう。僕だって無駄に市民に犠牲者が出て、この街の嫌われアマトにはなりたくないからね。よし、連れて行ってくれよ」
「……では、この車に」
アンドレアはすぐ横に停められた、1台のワンボックスカーのようなものを指さした。
「ほう、車で連れて行ってくれるのか。律儀だねえ」
「……アマトよ、貴様は助手席に乗れ。後部座席から我々に攻撃を仕掛けられても嫌だからな」
「はいはい解りましたよ……」
六人乗りの、右ハンドルの車の運転席には赤城と呼ばれたアガルトに変身する男、助手席にはアマトの朝霧、一つ後ろの後部座席に女アガルトのアンドレアを乗せた車は、北の方、四十川達がいる大学のほうへと静かに走っていく。
「これからどこに向かうというんだい?」
朝霧は腕を頭にのせて退屈そうにそう言った。
「斎京皇国大学です。正確にはその更に北。いちおう国衛軍が管理しているらしい、ただっぴろい湿地です。少しぬかるむ場所もありますが、戦いの邪魔になるものも少なく、そして誰も人がよりつかない。戦うには絶好の場所です」
「ふうん。あの辺はあまり行かないから知らないや。ま、勝手につれてってよ。僕はそれまで外の景色でも見ているよ」
何を思うか、少しはかなげな目で外を見る朝霧。すると何かに気づいたように運転席の赤城に話しかけた。
「この車、ずいぶん静かだね。ひょっとして……」
「そう。最新式の水素自動車だ。燃料補給もほとんどいらず、走行音もとても静か。素晴らしい車だ……」
「へえ、アガルトのくせにこんな高級なもの持てるんだ?」
「私は一応普段は働いているのでね……」
「そして朝霧さん」
後ろから唐突にアンドレアが話しかける。
「素晴らしいと思いませんか? 過去に人間は自然を壊すと言われていましたが、こうやって自然に優しい車を作った。人間とは、そう、素晴らしいのです。そんな素晴らしい人間を、貴方はどう思いますか?」
アンドレアはにらむような、はかなむような眼で朝霧を見つめる。
朝霧は頬杖を突きながら
「フン、なにが“人間は素晴らしい”だ……。確かにこれは素晴らしい技術だが、僕は人間が、無知蒙昧な市民が嫌いだ……。そう、アマトこそ、アマトこそ素晴らしい。優秀なアマトに、人間どもは管理、支配されるべきなんだ」
その言葉に、運転している赤城はいら立ちを隠せない。
「アンドレア様! こいつは……、少なくともこいつを見ていると、アマトこそ悪だとしか思えない……! 今にも殴ってやりたいですよ……」
「まあまあ赤城さん。心を落ち着けるのです。人間としての理性は、アガルトになった際も影響する場合が多い。そんなことだと、ただアマトを倒すだけの、理性のないアガルトになってしまいますよ」
「は、はい……」
それを見て朝霧は少し驚いた顔をした。
「へえ。アガルトってのは、人間のときもアガルトの時も、理性のぶっとんだ愚か者ばかりだと思ってたよ。そういえばキミたちは、アガルトになってた時も理性的だったね。こんな理性的なアガルトは初めて見たかな。ははっ」
「フフフ、アガルトを見直しましたか朝霧さん?」
「フ、どうだかね」
「しかし、人間状態ならともかく、アガルトになると理性を抑えるのは大変なことです。頭の中では“アマトを倒せ”とい使命、宿命のようなものが常に渦巻いています。それを抑えるのは大変だ。大半のアガルトが理性を失い、言葉すら失うものも多い。なのに我々は理性を保ち、冷静に戦っているのです。アガルトの中でも上位の存在というわけですよ」
「……それを僕に教えて、どうしたいのかな?」
「……いえ。無駄話でしたね。……さあ、そろそろつきますよ。」
四十川達のいる斎京大学を迂回し、砂利道ばかりの道を抜けると、ぽつんと立つ「国有地」の看板が物寂しい、夏風に草花が揺れる、ただっぴろい湿地へと3人は車を止めた。
車を降りる3人。菅れらの視線の先、揺れる草花と背の低い木々の向こうに、地平線が見えそうなほどだ。
「さあ……戦いを始めましょうか。人類のための……人類の調和のための闘いを!」
「フン、2対1。でもアガルトは何の特質、能力も持っていないし、不意打ちでなければ余裕だね。今すぐ倒してあげよう。“怪物”アガルトくんたち……」
その時、湿地に珍しく強い風が吹いた。
揺れる花菖蒲やカキツバタの葉。
それを合図に、ここにまたアマトとアガルトの闘いが始まった……
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