3 予感

「おいチビ。あんたチャリは?」

「え、ぼく今日電車で来たんで……」


 四十川あいかわは相手を基本蔑称で呼ぶ。さっきの芥川は年増とか厚化粧とかババアとか呼ぶし、そしてこの幼馴染の秋に対してはチビと呼ぶのだ。


「うわ~じゃあ歩いていくのかあ?」

 四十川は不満そうに腕を組み、その上に胸を乗せた。

「いやあ、ぼくはセンパイの自転車の後ろに乗せてくださいよ」

「あのなあ…… 普通男女が逆だろ? 第一あたしのチャリはロードバイク。後ろとかねーんだよ」

「え~。じゃあしょうがないや。歩いていきましょうよ」

「はぁ~? 激安の店まで1㌔くらいあるぞメンドクセ……、あっ」

 そう言うと四十川は嬉しそうに1つの自転車を指さした。いかにも女の子らしい、薄いブルーのママチャリだ。カゴがメッシュの木製で割とよく目立つ。

「あっそれたしか芥川部長の。……それがどうかしたんですか?」

 秋は少し怪訝な顔で言う。

「へへ~んちょちょいのポン!」

 四十川は言いながら、その自転車についているダイヤル製のロックをガチャガチャといじりはじめた。するとあら不思議、鍵が外れてしまったではないか。

「えっなんで!?」

「ふふ~ん。いいか、ああいうズボラそうなヤツは、こういうダイヤルのカギを初期設定の0000とか9999ののままにしてることが多いんだ。今見たら9999から少しズラしただけっぽい9987になってた。だから9999に戻せばカチャリと空くわけよ」

「はえ~すっごい犯罪っぽい……」

「つーわけで、あんたはコレに乗れ。あたし向こうに停めてるし今から持ってくるから」

「ええ!? ちょっと!」

「ダイジョーブ、使った後元に戻せばバレやしないって安心しろよ~」

「ええ~、もうしょうがないな~」 

 

 秋は苦笑いでそう言う。

 四十川はいつもこうだ。

 この前などは学食で飯を食った後、後払いなのを忘れてビタ一文払わずそのまま出て行ったし、部室で飲酒禁止なのを毎日破るし、ほかに部員がいるのに平気で部室内で着替えを始めたりする。

 ――勝手気まま、やりたい放題。

 秋はよく彼女にそう言うが、彼女はそれを笑い飛ばすばかりだ。


 若干犯罪っぽいとは思いながら、秋も楽な方を選び芥川の自転車へと跨った。

 車通りの少ない道。そこを四十川あいかわはロードバイクでビュンビュンと飛ばす。他人の自転車でそれを追う秋は彼女の後ろに必死につけるが、前を見るたびにこれまた大きな尻と背中からはみ出す胸が視界を覆う。いくら幼馴染で見慣れたものとはいえ、18歳の少年秋には少し刺激的な光景というものだ。


「ン? 今ケツ見てただろ! ビールおごれよビールビール!」

 風でポニーテールをなびかせながら四十川はでかい声で叫ぶ。

「わーもうちゃんと前見てくださいよ!」

「あっサイフ忘れた! すまん金は出してくれあとで返すから」

「え!? もうほんとですか~?」


 そんなこんなでディスカウントストアに着いた2人は、やっすい酒やらツマミやらを適当に秋の金で買いあさった。

 店を出るころにはもうすでに冬の空は暮れていた。

 そしてこの時期には珍しい、鮮やかな夕焼けが街を染めているではないか。2人とも思わずそれに魅入る。


「おー夕焼けだ。きれいだねー。珍しいなあこの時期に?」

「それよりもセンパイ、こんなにたくさん買っちゃって。芥川部長の自転車のカゴに入りきらないですよ」

「え? あたしロードバイクだから荷物もてねーぞ? おいチビいつものリュックは? そこに入れろよ」

「いや、急に部室飛び出してきたんで今ぼくサイフしか持ってないです。あっスマホも忘れた」

「はーなんだよそれ。あっあたしもスマホ忘れた。……まあいいか、帰りぐらい自転車押してくかあ~」

 そうして2人は、酒とつまみの入った買い物袋片手に自転車を押しながら夕焼け道を歩き出す。


 四十川あいかわは段々と夕焼け色に濃くなる景色を見ながら、平和をかみしめている自分を感じた。

 こうして自分の人生は、多少の困難もありながら平和に過ぎていくのだろう。そう考えると悪くないような、何かこう物足りないような気もした。


 そして彼女は、こうして秋と2人で歩く光景になにか、昔の光景がフラッシュバックするのを感じた。そのせいか一瞬ふらつく四十川。秋も心配して声をかける。


「えっ? ……どうしましたセンパイ?」

「……え! い、いやなんでもない。ちょっとクラっとしただけだ」

「そうなんですか? でも急にふらつくなんて、センパイらしくないですね」

「だーい丈夫だって心配いらん! ……あっそういえばさあ、今記憶が一気に蘇ったんだけど……。こんな光景て、昔もなかったか? ほら夕焼けに包まれながら、あんたと2人自転車引いてさあ……」

「え? ……まあそういう事はよくあったんじゃないですか? だってよく一緒に帰ってたし」

「まあそうだけどさ、アレだよアレ、なんかこう……2人で歩いてたらさ、作り物みたいにキレイな顔した男だか女だかわからんヤツが現れてさ、そしたらそいつの手元がパァーって光って、あたしもあんたもなんか倒れちゃって、そんで記憶があいまいで……」

「……?? なんですか? いつの話ですかそれ?」

「えっ忘れたのかよ。あったじゃんかあたしが高校生で、あんたがまだ小学生で可愛かった頃だよ」

「……いや、全然記憶にないんですけど……。ていうかなんですかそれ、手元が光ったとか? 特撮の見過ぎですってセンパイ~。夢を記憶とでも勘違いしてるんでしょ?」

「ええ? そ、そうだったっけか? いやでも、あったような……」


 四十川あいかわは記憶を手繰る。確かに、まだ小さい秋と夕焼けを歩く中、美しい顔をした者が現れ、そしてその者が何かを言うとその手元が光り、2人は意識を失ってしまった……。ような記憶がある。

 だが確かにあまりにもぼんやりとしてあいまいな記憶だ。日頃見ている特撮ヒーロー作品と、いつか見た夢がごっちゃになっているのかもしれない。まあいいか、そう思い彼女はそのまま歩みを進めた。


 そして四十川はふと天を見上げれる。

 夕焼けの色も終わり、いつの間にか真に暗くなる少し前の、深い蒼色をした空が町を、そして四十川たちを蒼いに闇に染めた。

 彼女はそんな空を見て、なんだか何かが起こるような、いや起こってほしいという予感のような欲望のようなものを感じたのだった。

 ……まあ、こういうことはたまに思ってしまうのだが。


「なあチビ、見ろよ見ろよこの雄大な深ぁ~い蒼色の空! 何か起こりそうだよなあ起こるなあこれはもう!」

「は~。センパイたまにそういうこと言いますよね。でもここは現実でしょ? 特撮やアニメの世界じゃないんだからもう」

「なんだよ夢がねえなあ~。あ~何か起こらねえかな~、起こってくれよなあ~」

「もう、いったい何が起こってほしいんですか?」

「へへへ、わかんね。まあ何でもいいよ。ワクワクするような、楽しいことだったらさ。……あっさっきあたし、夢か白昼夢みたいの見たんだけどさ。『アルダマン』とか言うヒーローになって怪人と戦ったんだぜ!」

「ま~たそんな夢見て……。いつもセンパイは夢の中でヒーローになって胸と一緒に暴れてるんでしょう?」


「いやそうだけど~。今回はなんか迫真のリアルさだったな~。しかも立って見た夢? だぜ。ついになっちゃったかと思ったね。ヒーローに。

「はいはいまたそんなこと言って。今ぼくたちは平和に暮らしてるんだからこれでいいでしょ~」

「……ま、そうだなっ! ははっ」

 

 他愛のない会話を交わしながら、四十川あいかわは大学の部室へと自転車を引く。

 不思議なことなど、わくわくする様なことなど起こりはしない。それが彼女にとってのこの世界だ。


 ――だが。

 その時、四十川あいかわたちの歩む歩道の後方、葉を散らしたイチョウの街路樹の下。

 そこで一瞬だがうっすらと、淡い光が放たれた。

 もちろん、彼女たちは気づいていない。


 不思議なことは、もうそこで起こっているのかもしれない―――


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