4 一転別世
「――
男は大きな黒縁メガネを汗で曇らせながら、何か黒いものを手にしている。
「……あっそれあたしの財布! なんだハゲ、お前が盗んでたのか!」
言いながら四十川は彼の髪を掴む。
「えええそんなワケないでしょう! 持ってきてあげたのですよ四十川サンのために! 忘れてたでしょう部の机の上に…… と言うか髪をつかまないで下さい! 抜けてる! 抜けてます!」
「あー、あたし机の上に置いてたのか、こりゃありがとよ。……でもハゲ、あんた遅くね? もう買い物も終わって、とっくに帰ってるところだっつーの」
「ま、まあ気づくのが少し遅かったですからなあ……。というかハゲではないのですが……」
「それとさあ、あたしのスマホは? 多分それも机の上に忘れたと思うんだけど」
「え、そうでしたかナ……? すみません、気づきませんでした」
「なんだこの役たたず!」
四十川はこのハゲと呼ぶ男をボカリと殴った。
「いった! 額を殴らないでくださいハゲてしまうでしょう?!」
「やっぱハゲてんじゃねーか。まあいいや、部室帰るぞ」
この男の名前は麻生。見た目とは裏腹に若すぎる20代後半の四十川よりも、さらに上の30代の大学生だ。いつも四十川と秋と一緒に部室で勝手に特撮作品を見ている、いわゆるSF研究会の3バカの1人とされる。
ハゲと四十川は呼ぶが別にハゲておらず、ただ額が広いだけである。と本人は言う。
「ン? 今殴った拍子になんか落としたぞ。なんだこれ?」
四十川は麻生のポケットから落ちた、折りたたまれた2枚の紙を拾った。
「ああコレはですな、自分のデザインしたオリジナルのヒーローです」
「まーたこんなことやっとんのかアンタは。どれどれ」
四十川は紙を広げた。
1枚目、ポニーテールで胸のデカい女性。ボディスーツかはたまたその身体自体の変化か、首まで全身朱色の身体ラインがよく出たデザインだ。
そして2枚目は1枚目と似ているが、今度は顔までが仮面で覆われた、いかにも変身ヒーローたるデザインだ。
「……ふーん。ところでこのキリっとナナメの前髪にポニーテール、そそるカラダはもしかして?」
四十川は怪訝な目をし、それを麻生に返しながら言った。
「そう四十川サン! ずばりあなたをモチーフにデザインしました!」
「……で、コレをどうしたいんだ?」
「それはもう、文化祭か何かで着ていただき……」
四十川は再び麻生の額をポカリと殴った。
「いたた!」
「バーカ。誰がこんなもん造れるんだよ」
「それはまあ…… あれ? な、なんでしょうかなアレは?」
麻生は四十川たちの後方を指さした。
「なんだよ? ……!?」
四十川は見た。
暗がりの中、その闇に溶け込むほど深い緑色をした一方の怪物のようなものと、1人の人間が戦っているのを。
いや。それは戦いといえたのだろうか。
異形の怪物は、その人間の、いや本当にその人間によるものなのか――
……その人間が手をかざした瞬間、その場に倒れてしまった。
「な、なんだなんだ?」
「く、暗くてよく見えなかったです……」
「と、とりあえず見に行こう! この2枚返すぞ!」
そう言うと四十川と秋はその人間の方へと駆けていった。
一方麻生は四十川が投げ捨てた2枚のデザイン画をあたふたと拾っている。
「――む。見られてしまいましたか。……まあ、こんなところで戦えば当然かもしれない……」
その人間は暖かな、包み込むような声で四十川たちにそう言った。
だがどこか消え入りそうな、今にも力尽きそうな声でもある。
――そして四十川は、その顔、この雰囲気をどかで感じたような、そんな気がした。
そう、さっき思い出したあの光景だ。
まだ四十川が高校生で胸もここまでバカでかくなく、秋も小学校低学年で今よりも何とも可愛かったころ。
二人は何とも美しい青年? に何かをされ、そして意識を失った。
先ほど秋にただの夢だと人蹴りされたこの記憶だが、暗がりの中目の前にいる人物は、その時の美しい青年? を四十川に思い出させた。
だがとりあえず、四十川はその男? の問いに答える。
「み、見たけどなんだい今のは……? 撮影か?」
だがその人間は四十川の問いには答えず、まるで何かを見透かすような目で四十川と秋を見ている。
そしてそっと目を閉じた。すると、何かを決意したかのようにゆっくりと、その目を見開いた。
「……まあいいでしょう。それにこれは幸運かもしれない。あなたと、そこにいる男の子のあなた。あなた方2人には“アマト”の素質があります。……こんなところで素質のある方に2人も出会えるとは……」
「はえ? あまと?」
「……今からあなた方2人の“アマト”の力を引き出します。……辛い運命を背負うかもしれませんが……」
その人間がそう言ったところで、麻生が駆け寄ってきた。
「四十川サ~ン! な、何が起こったのですか~?」
「……あなたは? ……まあいいでしょう。それでは……」
そう言うとその人間は、手の甲に黒い石が埋め込まれたその左手を秋・四十川・麻生の3人に向けてかざした。
そしてまばゆい光が、3人を包む。
――それは一瞬だった。
そのはずだった。だが3人が目を開けたときには、もうその人間はそこにはなく、
ただ人気のない歩道が広がるだけだったのだから。
「……なんだったんだ? 今のは?」
四十川はその左手で、さっきまであの人間がいた虚空に手を伸ばした。
なんだか、その手の甲がむずかゆくなったような気がした。
「……白昼夢ですかね?」
秋もぼんやりした顔でそう言う。
「あのなあ、今は夜だしそれに3人そろって夢を見るなんて…… あ!」
四十川は歩道の隅を指さした。
見ると、先ほどの怪物と思われるものがそこに倒れている。
いや、その一部は、ボロボロと土くれのように崩れ始めていた。
「な、なんだこりゃ……」
さすがの四十川も気味悪そうな顔だ。
「つ、土でできた人形でしょうかな……?」
言いながら麻生はそれを触ろうとした。
「バカ、さっき動いてただろ確かに! つーか触んなよあぶねーぞ!」
「えええ! い、意外に慎重なんですね四十川サン……」
「……」
何も言わずにそれを見ていた秋は、そろりそろりと、その小さな足で怪物の胴体を小突いてみた。
やはり、そこからか物はボロボロと土くれのように崩れていく。
「あああ……」
「ど、どうしたチビ? ……あっまた崩れてる!」
「センパイが…… センパイが『何か起こってほしい』とかいうからこんなことに……」
「お、おいおい落ち着けよ。何であたしのせいみたいになってんだよ」
そんなことを言っていると四十川はまた左手の甲が痒くなるような、何か妙な違和感に襲われた。
そしておそるおそる四十川は自分の左の手の甲を見る。
するとなんとそこには、10円玉ほどの大きさの、黒くそして鈍く光る石のようなものが埋め込まれているではないか。
「……! な、なんだこれ!?」
四十川はそれを2人に見せる。
「? なんですかそれは? 自分は女性のファッションには疎いので……」
「バカこのハゲ! あたしの手に埋め込まれてるんだぞこれ!」
四十川はとりあえず麻生を殴っといた。その横で秋は動揺した様子で四十川の手を取り、その左手の甲に埋め込まれたような石を見つめた。
「……あ、そういえばさっきの人も、同じように左手の甲にこんな感じの石があったような……」
秋はそう言いながら好奇と困惑の入り混じったような目でその石を見つめている。
いや、それは石なのかどうかもわからない。秋は困惑の色を深くする。
「そ、そうでしたかな? 自分はよく見てなかったですが……。それで四十川サン、何なのですかこれは?」
殴られたことも気にぜず、麻生は四十川の左手の石をしげしげと見つめる。
「いやわからねーよ。……あ、でもさっきの人?が言ってたじゃん。あま……あまと? とか。コレがそうなんじゃねえの?」
「ええ、こ、これがそうなんですか……」
秋は言いながら四十川の黒い石を触ってみる。
「おいこらあんまり触るなよ。……あっそうだ、コレ、この石の力で変身とか出来たりして!?!?」
四十川は謎に興奮気味だ。
「へ!? そ、そういうことなんですか……? いやなんでそこで出てくる言葉が変身なんですか…… て、ていうか、一連の出来事が頭の中で整理できないんですけど……」
「自分もそうです秋さん……」
「まあまあ、あたしらみたいに特撮ヒーロー好きは、こういう時ワクワクしなくちゃいけない。アンタら、こうなったらモノは試しだ。ちょっとやってみるぞ」
四十川はそう言うと、その黒い石の埋め込まれた左手を大きく前に掲げた。
「え、なにするんですかセンパイ?」
「そりゃ変身するにきまってるだろ。……ええと、変身するときにヘンシンって叫ぶのはあのヒーローの専売特許だから……」
そして四十川は右腕をクロスさせ、そしてキレッキレの動きをした後
「――
と叫んだ。
――その瞬間、
秋と麻生の2人は確かに見た。
四十川の左手の黒い石が朱く光り、そしてそこからオーラのような朱い光が彼女を包み、
彼女が姿を、変えるのを。
「……おおおおお!? なんじゃこりゃあ!!??」
――四十川を包む、首までの朱いボディ。
暗がりで2人にはよく見えないが、それまるでボディスーツのようでもある。
だが四十川自身は感じていた。それは“着た”とか、“装着した”ものではない、
自分の身体それ自体が“変化した”ものだという感覚を――
「……コレが…… あまと? ど、どうなっちゃったんだあたしのカラダ……」
四十川は自分の左手を、そして身体を見つめた。
間違いない。これは身に着けているのではなく、自分の身体自体が朱く変わってしまっている。
「せ、センパイこれはどういうことですか!? こんな真っ朱な体に……」
「こ、コレは……。朱いパワースーツ、か何かでしょうか……?」
麻生は四十川の身体を触ってみた。
人間の肌とは違う、しかし身に着けるスーツとも違う。
なんとも形容しがたい、未知の生物のような感触がそこにあった。
「!? な、なんでしょうかこれは……? あ、あの柔らかな四十川サンの体はどこに……」
麻生は調子に乗って四十川のその未知なる体を触りまくる。
「おいあんま触るなよハゲ。まあわかったろ。これはスーツなんかじゃないぞ。……あたしの身体自体が、こうなっちったみたいだな……」
「そ、そんなことって……!?」
言いながら秋は、四十川に唯一残っている人間の部分のその顔に、まっ朱な首から紋様のように、炎のように伸びている朱の筋を見た。
それは彼女の頬まで伸びている。秋にはまるでそれが、今にも彼女全てを飲み込んでしまおうとしているような、そんな模様にも見えた。
「せ、センパイそのほっぺ……」
「ン? なんかついてるか?」
「いや、なんかっていうか……」
「……おや、これは何でしょう、まるで紋様のような。朱色が頬まで伸びていますぞ四十川サン」
言いながら麻生は四十川の頬に手を伸ばす。
「いやなに触ろうとしてんだハゲ。でも顔や頬は自分で見れないからわかんねーや」
「わかんねーやって……。ど、どうするんですかこれ、こんな真っ朱な格好で……」
「え? ……まあ、部室にでも戻るか?」
「そんな姿で!? とりあえず元の人間の姿に戻りましょうよセンパイ!」
四十川のあまりの緊張感のなさに、秋が代わりに慌てる一方だ。
「……え、どうやって戻るんだよ。それよりさ、こんな姿ってことはきっと何かすごいパワーを秘めてるに違いないぞ……! ちょっと試してみないか?」
「みないかって他人事みたいに……あ!」
秋の言葉も聞かず、四十川は試しにそばにあった駐車禁止のポールをごつんと殴ってみた。
みごと、それはへの字に曲がってしまった。
「ファ~~すげええ!!! み、見たか今の!?」
「……す、凄いですな……」
麻生も開いた口が塞がらない。
「……あ、あーあこんなことして。警察に怒られちゃう……」
「なんだチビ! もっと喜べよこりゃ凄いことだぞ? それにこんなもの、カンタン元に戻してやる!」
そう言うと四十川は折れたポール両手で掴み、ぐぐぐっと強引に元に戻そうとした。
みごと、そのポールはいびつながら辛うじて真っすぐになった。
「み、見たか今の!」
四十川は嬉しそうに言うが。言われた秋は裏腹に困ったような、困惑したような顔をしている。
「……おいなんだチビよ、その顔は」
「……なんだじゃないでしょ!?」
そう言うと秋は四十川の、朱くなってしまったその肩をつかみ少し瞳を潤ませた。
「……な、何かを身に纏ったて言うならともかく、これじゃあセンパイは、に、人間じゃなくなったかもしれないんですよ!? それなのに……」
今にも泣きだすかというような秋の言葉を遮るように、四十川は秋の頭に手を当てる。
「……安心しろチビ。あたしはあたしだ。確かにここにいる。何も心配することはないさ」
「で、でも……」
「あーあーウダウダ言うな。男ならどっしり構えてろ。ほら、どっしりしたあたしの胸で抱いてやるから」
四十川はそう言うと、秋の顔を自分の胸と腕で抱いた。
身長177㌢の四十川と、150少しの秋。彼はその胸にやさしく包まれ……
……はしなかった。
「……せ、センパイ痛いです……」
「……あえ? ……あ、おっぱい硬くなってるじゃん……」
四十川は自分の胸を触った。
それはもう“おっぱい”などというやさしいものではなく、朱く強靭な彼女の身体の一部となっている。しかも心なしか、元の胸より小さくなっている。
「ええ! 胸が硬いとはいただけませんな! ……あれ四十川サン、なんだか縮んでませんかこれ……」
日頃四十川の胸ばかり見ている麻生は怒り心頭の様子だ。
「え? ……あっホントだ。あんまりチチがデカすぎて縮んだのかな? 正直いつも邪魔だったんだよね。胸より下が見えないし」
「もう! そんなことより、この状況をどうにかしないと……」
秋はとにかく焦っている。
「だから何焦ってんだよチビ? まあ待てって。どうやったら元に戻れるかわかんないし、だったら逆に戻っちまう前に楽しんどかないとな?」
四十川はそう言うやいなや真上へジャンプした。
次の瞬間彼女は2階建ての建物をゆうに超え、満月に照らされる街を瞬間一望した。
そして両足ですたりと着地し、平然と立っていた。
「……ヴォーすげえ! 身体能力は化け物だなまさに!」
「す、すごい……。高く飛びすぎて、一瞬どこへ行ったのかと思いましたぞ!」
秋とは裏腹に、麻生は楽しそうに四十川を見つめている。それに気をよくしたのか四十川はさらにテンションを上げていく。
「はーっはっは! スゲーや、へへーん!」
四十川は楽しそうに、車通りのない2車線の車道の向こうまでたった2歩でぴょんぴょん跳び、そして空中で1回転して戻ってきた。
「フゥー気持ちいい!」
「ちょっとセンパイ! そんなことして他の人に見られたら……」
「さっきからうっさいぞ~チビ。暗いし大丈夫だってヘーキヘーキ。それよりほかには何か出来ないのかなあ……」
四十川がそんなことを言っている横で、麻生は大学の方から走ってくる女を見つける。
芥川が、いかにも不機嫌なステップで四十川たちの方へ向かっているのだ。
「――やっぱりこんなところに! 今日は部会があるの忘れたの? 早く戻ってきなさい!」
「あ、芥川さん少しお待ちを! 今立て込んでおりまして……」
そう言うと麻生は芥川の方へと走り、通せんぼするように立ち止まった。
「何が立て込むっていうの? ……あそこであの2人は何やってるのかしら?」
芥川は10㍍ほど向こうの、暗がりの中の四十川と秋に目をやる。
秋が手前にいるおかげで、四十川の妙な体はよく見えていないようだ。
「――よし、ほっ!」
四十川は朱い両手を×字にクロスさせ精神を集中してみせた。
だが何も起こらない。
「もう、なにやってるんですかセンパイ」
「いや、なんか起こるかなって」
「もう、これ以上変なこと起こさないでくださいね……」
「んだよーノリが悪いな~。あ、年増がいるぞあそこに」
四十川は向こうの芥川に気づき、うんざりした顔でそれを見た。
「あっほんとだ。何しに来たんでしょう? ていうかセンパイのこの姿を見られたら……」
「どーせ文句言いに来たんだろ。あーあー現実に戻された感じ。嫌だね~」
――その瞬間、
まさにその時、朱い光が秋と四十川を包んだ。
「うわ! 今度は何だ!?」
「も、もう嫌だ~」
芥川と麻生もそれを目にする。
「ちょっと何!? 麻生さん、あの光は何なの!?」
「わ、ワタシがわかるわけないでしょう! ああちょっと、2人とも! 今度は何が!?」
麻生は朱い光に包まれた2人の方へ走り寄った。
そして麻生の眼に、光の中で薄れるような、消えゆくような2人の姿が映った。
「――な、なんですか!? 2人ともちょ、ちょっと!」
思わず麻生はその光の中へ入ってしまう。
そして次の瞬間朱い光が消えると――
――3人の姿は影も形も無くなっていた。
「……え、な、なに!?」
忽然と姿を消した3人。
何が起こったかわからず、芥川はそこに呆然と立ち尽くしていた。
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