第8話

 阿仁田赤ちゃん事件から早くも一か月が経過していた。

 妹尾さんと阿仁田くんは付き合っているわけではないが、お互いに頼り頼られな対等な関係を築いているように見える。

 その一方で俺は相変わらず弟扱いだけど……。

 「なあ新海。どうすればそんなにナチュラルにあれこれ世話を焼かれるんだ?」

 「俺が聞きたいよ。別にだらしなくしてるわけじゃないんだけど」

 「母性……いや、姉性をくすぐるのかもな。羨ましい」

 「それを言ったら阿仁田くんは俺に兄性をくすぐられないの?」

 「……言われてみればそういうのはないな。弟っていうか普通に友達だし」

 「そっか」

 なんだか俺も阿仁田くんと対等な関係になれている気がして、それはつまりヒーローに近付けている感じがして嬉しかった。

 「新海の方こそどうなんだ? 本屋敷先輩とは」

 「先輩? 最近は特に会ってないな」

 「お前のそういうところがショタというか何というか、ヒーローを目指すなら女心もわかってあげろよ」

 俺に恋愛相談をしておいてそんなことを言っちゃうか。

 「じゃあその女心を学ぶために資料室に行ってみるよ」

 「ああ、よろしく伝えておいてくれ」


 放課後、別に約束というわけではないが行かない理由もないので資料室に向かった。

 相変わらず人とすれ違わない廊下を進むと珍しく声が聞こえてくる。

 「決して本屋敷さんを信頼してないわけじゃない。ただ、このままだと危険だから」

 「ならせめて来年まで」

 本屋敷先輩と生徒会長が揉めているようだった。それを困惑した表情で見守るのは副会長。

 「姫川先輩、これは」

 「拓くんお久しぶりです。実は……」

 説明を受けるより先に二人の口論でおおよその話が見えてきた。

 「これ以上生徒だけに闇属性の本を管理させるわけにはいかないんだ」

 「そ、そしたらこの本はどうなってしまうんですか。たしかに危険な一面もありますけど、うかつに処分するのは……」

 「だからもっと安全な場所に移すんだ。そうすれば闇属性の力が周りに影響することもない」

 「そうやって闇から目を逸らすからどんどん闇が膨れ上がるんです。ちゃんと見てあげないと」

 髪の間から見える本屋敷先輩の目はまっすぐ生徒会長を捉えていた。しかし、

 「君だってあと二年もしないで卒業だろう? その後はどうするんだい?」

 「それは……」

 生徒会長からの指摘に反論できない。

 「あの、もしかして資料室がなくなっちゃうんですか?」

 白熱する二人に聞こえないように姫川先輩にそっと尋ねる。

 「その予定です。理由は……先程から生徒会長が話している通りです」

 やれやれという感じで姫川先輩は肩を落とす。

 「皇治の言うことはもっともなのですが、果たして本当にこれでいいのか私にはわからなくて」 

 「会長の意見も一理あると思いますけどこれは……」

 あまりにも急すぎる展開に俺自身も驚きと少しの怒りを覚える。

 「ああ、ごめんね。もしかして資料室に用事があったのかな?」

 「資料室というか本屋敷先輩に、用事ってことでもないんですけどね」

 「そうか。悪いけど今は取り込み中だから急ぎでなければ後にしてくれないかな?」

 邪険にするわけでもなく、とてもスマートに俺を遠ざけようとする。だからと言ってここで引き下がるわけにはいかない。

 「大きな声で話しているので盗み聞きみたいになっちゃったんですけど、資料室の管理人がいなくなるから困ってるんですよね?」

 「管理人だけの問題じゃないよ。今みたいに一人の生徒に任せていること自体も危ないんだ。だから……」

 「だったら俺も資料室の管理をします! 二人でちゃんと管理しながら、本屋敷先輩が卒業するまでに本を適切な形で処理します」

 ノープランにも関わらず勢いに任せて啖呵を切ってしまった。闇属性の本の処理方法なんて見当も付かない。

 「いや、だから生徒だけに任せるのは……」

 「それなら私が面倒を見ましょう。それならいいでしょ? 生徒会長」

 会長の言葉を遮ったのは副会長であり婚約者の姫川先輩だ。

 「どうしてそこで優衣が出てくるんだ!」

 「実は私ね、保母さんに憧れているの。でも、お姫様属性の私にその夢は叶えられない。だからせめて学生のうちに保母さんの真似事をさせてもらえないかしら?」

 「保母さんの真似事?」

 爽やかな笑顔の向こうにイラつきが見え隠れする。まさか姫川先輩にまで意見されると思っていなかったのかもしれない。

 「ヒーローになりたいという大きな夢を持つ拓くんを、私がしっかり育てます。それでダメなら二人も諦めが付くでしょう?」

 「は、はい!」

 生徒会側から出された助け船に本屋敷先輩は希望に満ちた声で答える。

 「……あまり時間はない。一学期中に対策を講じられなければ資料室は閉鎖。先生方に本の処分をお願いする」

 「わかりました」

 俺がそう答えると、生徒会長はハァっとため息をついて無言で行ってしまった。

 「姫川先輩ありがとうございます。チャンスをくれて」

 「いいんですよ。私も少しだけ夢を叶えられるのですから」

 「でも、俺を育てるって一体何をするんですか?」

 フフフと姫川先輩は笑みを浮かべたまま俺の手を取る。

 「本屋敷さん、ちょっと拓くんをお借りしますね」

 「え、は、はい」

 困惑の表情を浮かべて呆然と立ち尽くす先輩を見ながら、俺は姫川先輩に連行された。





 俺が連れて来られた生徒会室にはさっき別れたばかりの生徒会長もいた。

 「えっと、また会いましたね」

 「まさかこんなに早く再開するとはね。気まずさを通り越して笑えてくるよ」

 はっはっはと乾いた笑いを上げる。

 「では拓くん。お勉強の時間ですよ」

 「生徒会長は無視ですか」

 実は姫川先輩も生徒会長に対して鬱憤みたいなものが溜まっていたのかもしれない。

 「あんな分からず屋の王子様は放っておきましょうねー」

 うふふと笑みを浮かべているけど目は笑ってない。ここは大人しく従っておこう。あれ? でも幼稚園って勉強するっけ?

 「細かいことは気にしないのが良い子への、そしてヒーローへの第一歩だと先生は思います」

 「わ、わかりました」

 ヒーローは細やかな気遣いをできた方が良いと思うんだけど、そういうことにツッコミを入れるのはやめておこう。

 「まず一番大切なポイントを教えます。本屋敷さんは闇属性ではありません」

 「……え?」

 「本当はとても強い光属性なんです。学校にもそのように申請を受けています。ただ……」

 「ただ、何なんですか?」

 「彼女はあまりに強い光ゆえに闇を生み出してしまったそうです。自分の心の近くにある間近な闇を自分の属性だと信じているそうなんです」

 「じゃあ、先輩はただの勘違いで闇属性の本を管理してるっていうんですか?」

 「勘違いとは少し違います。闇属性だから本の闇を感じ取っているのではなく、光属性だから本の闇を感じ取り、それを制御できているんです」

 現象としては同じだけど、その根源となる属性が全くの反対だ。でも、光属性というなら問題はないんじゃ。

 「本屋敷さんが光属性だと知ってのは僕たちもつい最近のことなんだ。自分達がどんな属性のみんなと一緒に過ごせるか確認しておきたくてね」

 「お恥ずかしい話なのですが、昨年まではきちんと把握していなかったんです」

 さらりと生徒会長が話に入っているのは置いておくとして、

 「本屋敷先輩が光属性なのと資料室の閉鎖に何の関係があるんですか?」

 むしろ光属性の人が管理してるならより安全な気がするんだけど。

 「そこが問題なんだよ。今まで光属性の本屋敷さんだったから何も問題が起きてなかった」

 「闇属性の嗅覚……みたいなもので、図書室にある書籍の中から危険な本を抜いてくれているだけだと思っていたのですが、本人も気付かないところで学校を守ることに繋がっていたんです」

 まるで人知れず悪と戦うヒーローのように。

 「だったら本屋敷先輩にそう説明すればいいじゃないですか! 本当に光属性なんですよって」

 「いや、単純に光属性というわけでもないんだ」

 「あまりに自分が闇属性だと深く思い込んでいるので、それこそ後付けの属性のようにしっかり根付いているのも事実なんです」

 「その闇属性を否定されたら彼女はどうなる? だから属性ではなく、まずは資料室からと思ったんだが……」

 生徒会長なりに本屋敷先輩を想っての行動ではあったらしい。でも、自分の属性を発揮できる場所をいきなり奪われそうになったら拒否するに決まってる。

 「姫川先輩、生徒会長。もし闇属性の本をちゃんと管理できたらすごくヒーローっぽいと思いませんか?」

 「うふふ。その意気込みを応援するのが私の仕事よ」

 「ちゃんと管理って、具体的にはどうするつもりなんだい?」

 「えーっと、カッコつけたわりに実は他力本願なんですけど」

 



 「新海くん達はああ言ってくれたけど、生徒会長の言う通り、こんな場所はあったらダメなのかな」

 闇属性の本に囲まれため息をつく。その本の中に一冊、不気味な光を放つものがあることに気付いていない。

 「資料室がなくなったら、私の闇属性って意味がなくなっちゃうな」

 闇を嗅ぎ分けみんなから隔離して管理する。口には出さなかったが、拓に言われて以来その意識は強くなっていた。まるでヒーローみたいという自負。

 「私が光属性だったらこんな風に悩まなかったのかな」

 目から一筋の涙がこぼれると同時に、資料室の窓から紫色の光がこぼれる。だが、その光に気付く者は誰もいない。現場にいた本屋敷光を除いて。

 「ああ、悲しい。人間たちの欲望によって生み出された本達が泣いている」

 そっと手に取った本はしわくちゃになり、中の小さい文字はかすれて読めない。かろうじて識別できる表紙には「属性反転の書」と記されている。

 「ごめんね。力を使い果たしちゃったね。でも、おかげで本達の気持ちを感じ取れるようになったよ」

 本来持っている光属性があまりにも強く、それを反転させるのに本に宿っていた闇の力を全て使い果たしてしまった。

 強い光が生み出したわずかな闇ではない。大いなる光が反転して生まれた深い闇。

 それが今の本屋敷光が持つ属性となった。

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