第31話 内なる悪魔


ホタカはドアの隙間から、見開いた目で僕を見詰める。

「君は……注意深いね……もう少し惚けている方が僕は好きなんだ……」ホタカ?が続ける。

「だけど、演技力は無かったね……そんなんじゃ、僕は騙せないよ」ホタカ?が人差し指を左右に振りながら言う。


「ホタカ……君は……ホタカ??なの?」僕は漸く尋ねる。


「弱虫ホタカの事なんか知らんね……」ホタカ?は答える。


「弱虫ホタカ?……」僕は鸚鵡返し。


「アイツは、本当に馬鹿正直で、あんな性格で、この世界を生きて行ける訳がねぇよな……僕のお陰で今まで生きて来れたんだ……アイツはいつも涼しい顔で、ノンビリ過ごしやがって……代わりに、汚たねぇ仕事は全部僕だ……どう思う?全くもって不公平じゃない?」ホタカ?の悪態。


『???何なんだ……目の前に居るホタカの中身が別人に入れ替わっているみたい、そんな話を映画とかで観た事は有るけど、二重人格とか言うヤツ……』そんな人間が目に前に居る……ホタカが演技をしていないならば……だけど……どう見ても演技どころじゃ無い。


 口は釣り上がり、目は大きく開かれ、四足のケモノが立ち上がったみたいに猫背で、周囲を警戒しながら喋る。


 こんなのが演技なら、アカデミー賞ものだ……僕はおっさん先生に昔教えられた、荒廃前の映画賞を思い出す。


 ジリジリとホタカが近寄って来る……全身が顕になる。


 手に、金属バットを持っている。

 至る所凹み、歪み、黒く変色している。


 それは元来の利用方法から大きく離れて、今までどれだけの物体?生物?を破壊したのか、僕は想像し寒気がする。


「折角、直ぐに死ねたのに……僕は手間が多いのは嫌いなんだ……」ホタカ?は更に近付いてくる。


 周囲を視認……逃走経路……もう隠している暇はない。


「逃げ道はここだけ……」ホタカ?は扉をコンコン叩く……僕の思考は行動からホタカ?にバレる。


 構わない……そんな駆け引きをするだけの時間は無い。

 僕は何でも良いからここから逃げないといけない。

 目の前のホタカ?を殺してでも……

 やっと人類を見つけたと思ったけど……

 貴重な『ヤツら』に成っていない人類……

 それでも……


「晩飯、美味しかったかい?」唐突にホタカ?が訊く。

「……??……」僕はこれからの対策を考えるのに一杯で、返事が出来ない、心の中で、『そんな事どうでも良いだろ!』と悪態をつく。


「美味しく無かったの?」再度、ホタカ?が訊いてくる。


「あぁ、美味しかった……」棒読みのセリフみたいな返事、我ながら大根役者だと思った……本当に今はそれどころじゃない……取り敢えず相手の機嫌を損ねぬ様に答えておく。


「……美味しかったか……そうか……父さん、トウマ君は感謝してくれてるよ……」ホタカ?は天井を見上げて呟く。

「……何、意味が分からない」僕は思いをそのまま口に出す……何故、ホタカ?のお父さんが感謝するんだ。


「生物は何かを殺して、そして食べ、それで蓄えたエネルギーを使い、また何かを殺す……これは循環……『ヤツら』には無い、人間、いや生物のみに与えられた聖なる行為」ホタカ?の演説、意味が分からない。

「僕は父さんを殺した、ホタカは自分が殺したと思っているが、実の所、僕が先に父さんを殺した……」ホタカ?の独白。

「……父さんが母さんを食べた時、僕は産まれた……貧弱で、ひ弱なホタカの代わりに、僕が母さんを殺した悪魔を成敗した、これは必然だよ、当然の報いだ」

「遺言は僕がPCで書いた、それでもホタカは信じると思った、馬鹿正直なホタカは、PCのフォントで書かれた遺言でも信じる、いや、生存者は自分しか居ないと思っている独りぼっちのホタカは、信じるしかないんだ」ホタカ?はニヤニヤしながら僕に話す。

「どうやってお父さんを殺したんだ」僕は話を引き伸ばす為、時間稼ぎの返答をする。

「ここは学校だよ……理科室には薬品が有り、園芸用に農薬が有り、保健室にも同様に薬が保管されている、どんな手段で殺したかは分かるよね……今の君に使った方法と同じだよ、君は運良く逃れたけど……」ホタカ?の眉間にシワが寄る……僕が罠に嵌まらなかった事が悔しいのだ。

「やっぱり毒薬」僕は辛うじて答える……本当に運が良かった……何としてもここから、ホタカ?から逃げないと。

「痛みは無いよ……知らないけど……この酷い世界から解放されると考えれば、多少の痛みが有っても良いだろ、これは福音と言って良い」とホタカは両手を広げて言う。

「君は、妙に注意深いから、先程からホタカと僕が入れ替わった時に違和感を感じていたみたいだね」

「ホタカはどんどん弱くなってるんだ、父さんが居なくなって独りぼっちで暮らして、先も見えない絶望……僕みたいにこの世界の厳しいルールに従って、自分を変える事が出来ない、甘ったれ野郎なんだ……君が現れて少し元気に成ったけど……お陰で僕が中々出れなかった」ホタカ?は鼻息荒く喋る。

「これからもっとホタカの生きる気力が無くなれば、ホタカは死に、僕は僕自身『ツルギ』として生きて行けるんだ」ホタカ?は大声で宣言する。

「君はツルギって名前なの?」尋ねる。

「そうだ、僕は剱……氷河で尖った険しい剱岳から名付けた、僕に似合ってるだろ」ツルギは金属バットをくるくる回す。

「ホタカがそんなに弱いとは思えないんだけど、一人で『ヤツら』を排除して焼却した、って言ってたし」僕は反論する。

「ドガンッ!!」ツルギが金属バットを床に叩きつける。

 僕は驚き思わず「ヒッ……」と小さく叫ぶ。

「アイツがお気楽に寝ている間、僕がどれだけの『ヤツら』を始末したのか!」


 ぶるぶる震えている……強烈に怒っている……僕は彼の怒りの琴線に触れたようだ。


 ……震えが収まらない……


 ……唇に犬歯が食い込んでいる……血が滲む……


 ……。。……


「まぁ、いいさ……」漸く、怒りが薄らいだのか、ツルギは一言。

 そして金属バットを両手で握り直す。

「そろそろ、さぁ、狩りの時間だ」血が垂れた唇で嗤う。


 長い間のツルギの独白に付き合ったお陰で、僕はある程度の冷静さを取り戻した、ツルギの武器は恐らく金属バットのみ、上下のスウェットに大きな得物はなさそう。

 防具も同様に着ていない様に見える。


 対して僕は全身プロテクターで、腰には鉈、右手には先程作った金属ボトルの鈍器。

 普通に考えれば、これで僕が総合的に有利だと思う……

 逆に数少ない僕の不利はリーチだ。

 得物も腕のリーチも共にツルギが上だ。


 そんな有利な状況でも、僕はこの理解不能なツルギが怖い。

 獣の様に背骨を曲げて、飛び掛かる体勢を維持しながら、ジリジリ僕の間合いに近付いてくる。


「父さんは美味しかったかい?……」ツルギはまた同じ意味不明の質問をす……る、いや……違う。


「ツルギ!何を言ってるんだ!」僕の震えは止まらない……言葉とは裏腹に僕は理解した……いや、理解したくない……えづきが止まらない……止まらないんだ……


 ツルギが嗤う……その姿が曇る……

 室内なのにどうして??瞼を擦っても擦っても曇る……


 漸く、僕自身が泣いているのに気が付く。

『悲しくて泣いているのでは無いんだ……こんな……酷い……僕が何をしたって言うんだ……』心の中で思う。

「なんで……なんで……」しかし僕の口からはこれしか出てこない。

「旨かった?父さんの肉は……そうか……ちゃんと食べないと、これは正しき生物の循環だ……そうだろ」


「ガッアァァァァ……ゴボボボ……ッェェェ」唐突に吐いた……吐いた……


 それでも何とか、ツルギから目を離さない……

 それだけは、ダメだ……死ぬ気で、ツルギを睨む……


 ボヤけた視界の向こう、ツルギは僕を凝視している。

 隙を伺っているのだ……これが彼の作戦だった。


 武器も防具も劣るツルギが優位に立つ為に、仕組んだ事。

 彼自身も散々お父さんを食べていた。

 僕の隣で山盛りの丼を貪る様に、恐らくはあの時はツルギだったんだ……あの鬼気迫る食事はそう言う事だった。


『こんなんで全力で戦えるか……んな訳あるか!!』最悪だ……胃の中に入っている物体を夢想して……えずく……視界が歪む……


 内臓放り出した死体もいいさ……

 脳漿にまみれた頭蓋もいいさ……

 千切れた四肢もいいさ……

 我慢出来る。


 けど……けど……僕のお腹の中に『人の肉』が入っているんだ……

 お腹の中を掃除して欲しい……全部吐き出したい……

 お腹の中を消毒したい……


 ダメだ、ダメだ、ツルギを……僕が上半身を上げた瞬間……


「ドゴッ!!」左肩口に衝撃!!横に飛ばされ転げる、壁の書棚にぶち当たる。

 僕の背後で「ガタン」という音……その後「タンッ」という音が立て続けに鳴る……プロテクターのお陰で打撲は無いが……打撃が来る事を見ていなかった為、首が振られた、少しくらくらする……

 吐瀉物が飛び散る……

 胃液も飛び散る……


 打撃の痛みで我に帰る……視界の端に、長細い……先程の小さな「タンッ」と音を立てた原因となったモノ。


「ゴトッ、ゴロゴロ……」腕から離れた金属ボトルがツルギの方に転がる。

「ゴキッ」金属バットがボトルを押し潰していた……ひん曲がった飲み口から水が溢れている。

 

「君は本当にタイミングが悪いよね……折角、頭をクリーンヒット出来る所だったのに!」ツルギが憎々しげにバットを担いで歩いてくる。


 最後の武器、腰の鉈を探る……『なんだ……コレ』僕は焦る。

「鉈が取れないかな……」ツルギが目を見開いて言う。

『なんだ、コイツ何をした』僕の額から汗が流れる。

「冷蔵庫の父さんを視ている君は、隙だらけだったからねぇ……それ取れないよ……仮に取れてもちゃんと取らないと刃物の役目は果たさないかな、フフフ……」ツルギは本当に嬉しそう。


 何らかの接着剤か、何か……腰の鉈を収納している革製のケースの留め金が外れない、それどころか鉈自体がケースにへばり付いている様に剥がれない。この状況下でベルトを外してケースと鉈を見ている暇は無い。


 あの、冷蔵庫の顔面とお見合いしていた、あの数刻……確かに、僕の注意は冷蔵庫に集中して、声を掛けられるまで、ホタカの存在に全く気が付かなかった……

 あの時既に……

 嬉しくない、全くもって嬉しくない。武器が無くなった。


 もう次の打撃が……視界の端のアレ……緑色の棒、握る箇所に黒いゴムの滑り止め……


 ツルギが担いだ金属バットを体の前方に構える……歪んだ金属バットに似つかわしくない、剣道の正眼の構え……彼は剣道の心得が有るのか?


「剣道三倍段って知ってる?」ツルギがニヤニヤ話す。

「知ってるよ……」僕は答える。

「徒手空拳で剣道に勝ちたいなら三倍の段数が欲しいって意味だ」

「つまり、俺が二段なら、君は六段必要だと言う事、まぁ、君は空手とかの心得も無い様だけどね」ツルギが金属バットの先端を僕に向けて言う。

「それは、後付けの意味だよ、本来は違う……」僕は答える。

「何言ってんだ!!訳わかんねぇな、本当に君は!」ツルギの声に少し怒りが含まれる。

「分かんないなら、いいさ……」僕は撥ね付ける……ツルギ!更に怒れ。

「あぁ、なんだよその言い方、君、僕を舐めてるの?!」更にヒートアップ。

 頭に血が登れ……怒りで判断を違えろ……視界の端、おあつらえ向きの頑丈そうな緑色の床拭きモップ……


『剣道三倍段などと言うならば、アレが欲しい』僕は気付かれぬ様に、視界の端でソレを見る。

『剣道二段等と言ってはいたが、多分ハッタリ……真に剣道の心得が有るなら、金属バットなど選ばない……学校である以上、体育館に竹刀でも有るだろうし、剣道に適した長物は他に有る……』


『武芸十八版において、その技術を使う、学ぶ、修練する際に、その武具について紛い物はいかん、剣を学ぶなら、必ず剣にて修練せよ、槍術を習得したいなら、物干し竿など使いはせぬ、正しく槍を用いて練習せよ』

 

 正しき順序で、

 正しき道具で、

 正しき方法で、

 正しき時間で、

 そうでなければ成らぬ……でなければ修練は実を結ばぬ。


 陳師傅はそう言った。


『そうだ、紛い物だ……ツルギ……お前は……肉親の死や、孤独と向き合っているホタカの方が、余程本物』僕は気持ちを振り絞る……勝つまでは行けなくとも、ここから逃れる術は有るかも知れない。


 今まで先手を取られ続けた……


 今から挽回できるか?


 しなければ死ぬだけ……

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