第26話 戦略的撤退

『お暇しよう』僕は思う……そしてエスカレーターを降りようと振り返る。


 音を立てずに、そそくさと5階に向かう……後ろの『ヤツら』に追い付かれる心配は無いだろうが、前方を何かに塞がれたら……退路が1経路しか無いのが、僕の恐怖心を上昇させる。


 簡単に5階に付く……そりゃそうだ、何もなければ一瞬だ……僕は何とか逃げ切れそうな気分になる。


 ……急な物音……建物内に響く……


「ドシンッ……」その後「ガチャ、カチャカチャ……」盛大な騒音……エスカレーターをうまく降りれない読書家の『ヤツら』が踏み外したのね……「最悪だよ、君、本に没頭しときなさいよ……」僕は状況が更に悪化した事を認識する。


 ……お猿が気が付く……多分……


 階下で「ギャー、ギャー」なんて叫び声が聴こえていないか?とても気になる……今は聴こえないけど……僕がお猿なら気が付くよね、絶対!


 素直に、4階の階段を降りて良いのか、降りたらお猿と鉢合わせなんて『ヤツら』より嫌だ、戦闘能力が全く比べ物に成らない。


 鉈を掴む……が……戻す。

 片手が塞がるのが怖い……


 ガーバーのマルチツールをポケットから出し、マルチツールのキーホルダーリングを袖チャックのベロの穴に通す……これで手を離しても落とさない。


 腕を振って、上手くマルチツールを掴めるか何度かチャレンジ……そして慣れた。

 もう、腕を振り上げた勢いで、マルチツールを容易に掴める。

 どうせなら、マルチツールのナイフも引き出せれば最高何だが、それは無理だ。

 しかし、それでも鈍く尖った金属の先端で相手を攻撃出来るだろう。

 おっさん先生が持っていた、タクティカルペンみたいなモノか?

 おっさん先生は変わり者で、よく分からないモノを沢山収集していた……まぁ、荒地で生活している以上、何が役に立つかは分からないから、変なモノでも持っていて損はない。

 タクティカルペンは謂わば、武器付きの筆記具だ。

 ボールペンの反対側は、鋭利な金属の切っ先が付いている……それで急所を突いたり、刺したりして相手を制圧する筆記具、ジュラルミン製で非常に頑丈だ。

 但し、ボールペンは使い物に成らないので、只の武器になっちゃってる。

 ガーバーのマルチツールをタクティカルペン代わりに使おうと思うのだが、ナイフを出しっぱなしにしておくのは怖いので、短いプラスドライバーを出したままにしておく。

 この先端でお猿の急所を刺す……あくまでお猿対策だ。

『ヤツら』には痛みは通じないからだ……こんな小さな突起で刺しても攻撃は止まらない……蹴飛ばして、距離を取った方がよっぽど効果的。


 まぁ、これが今現在で僕が出来る対策だ……

 メインの選択は、『逃げる』だ……

 そしてサブの選択は、『敵を排除して逃げる』だ……


 エスカレーターの手すりを触りながら4階へおりる。

 後ろから、「ガチャン、ガチャン……」

 先程棚に商品棚に前進していた『ヤツら』だろうか?!商品を落としている音が盛大に鳴る。


 ……希望的観測……


 この音が『ヤツら』であり、お猿でないと、勝手に思い込もうとしていないか?


 後ろを振り返る……


 暗闇に、小さな塊が5階のエスカレーター降り口に立っている……いや四つ足で……


 片眼が赤黒く……


『君、地下1階に居なかった……?』赤黒い目をみて想う。

 相手の目が僕を見る……犬歯が見える……

『あぁ、やっぱり、君は……』僕の中で後悔が大きくなって来る。

『仕留めておくべきだった……』僕の中の憐れみの感情がこの事態を起こした……

 相手は、先程までの怯えを綺麗さっぱり消し去って、僕への臨戦体勢を整えている……

『あれ程怯えさせた筈が……』恐怖心は払拭されたのか?疑問??

 ……ヤル気が出た理由、直ぐに判った……


 後ろに援軍がいる……そういう事か……薄暗い中に、小さな塊が二個三個……


 正しい選択……『一人で勝てないなら、援軍呼んで勝つ……』当たり前の思考……僕でもそうする。


『君は援軍を連れて、 僕の後を追って来ていたのか……命乞いをして僕に憐憫を感じさせ……生き残り、虎視眈々と僕を仕留める戦略をこの短期間で練ったのか』

 今まで『ヤツら』とばかり戦ってきた若しくは逃げてきた僕には、敵が集団で戦略を練ると言う事が無かった。


『ヤツら』は『個』であり、集団の様に動いていても『個』の塊……意思疏通など無い、烏合の衆。

 昨日出会った、新型『ヤツら』は多少戦略というモノが在って びっくりしたけど、それでもたかが知れていた。


 ……お猿は違う……完全に僕を仕留める『隊』だと感じる。


 ……どうしよう……どうしよう……

 あの敏捷性……

 あの牙・爪……

 小さいのに力強い……


 先程みたいに、LEDライトなんかで殴るなんてミスをしたら……絶対に鉈で斬り殺さないと……まぁ、先ずは逃げるんだけど……


 下層でお猿と挟み撃ちとかないかな……

 バイクを始動させる時に追い付かれないかな……

 起こりうる最悪の事態が頭を巡る……


 何処かでお猿の足止めをしないと安心してバイクに乗れない……出た結論はそれ……足止め……バリケード……


 4階へ辿り着くが、既に5階のお猿はエスカレーターで跳ねながら降りてくる。

 逃げた僕に先程の報復しようと、躍起になって追いかけてくる……そこには恐怖心は見えない……距離をどんどん詰めてきているのがその証拠。


 距離は15m程度で、僕は4階から3階へのエスカレーター、お猿の先頭は、4階へ辿り着いた所……これは追い付かれる。

 また4階と3階へのエスカレーター間には安全管理の為かアクリル板がぶら下がり、仕切られてはいるが、お猿の敏捷性を考えればアクリル板を押し退けて、飛び降りてくる事も考えられた。

 そうすれば直ぐに3階エスカレーターに到着だ。

 ますます、足止めの方法を考えねば成らない。


 僕は鉈を固定しているフックを外す。

 マルチツールをぶら下げた手で鉈を掴む。

 2階へのエスカレーターを走る。

 案の定、お猿は三次元的に空間を飛び跳ねて、3階のエスカレーター途中から僕には向かって飛び掛かってきた……迎え撃つ!

 んな訳無いでしょ!!

 僕は痛みを気にせず、2階のエスカレーター踊り場へ跳ぶ……そして前転……お猿を見る……エスカレーター上で僕を睨む。

 残りの2体(多分……内1体は地下のお猿)はまだ飛び降りては来ない。

 1体で襲い掛かる覚悟は在るのか?

 鉈で威嚇する……お猿は先程までの攻撃性を見せず……僕を見ている……少しの後退り……『なんだコイツ今更ながら僕が怖いのか?』僕は事態が好転したと早合点。


 後ろで「ゴソッ」と小さな音が僕の耳を叩く。

 最悪な予感……悪寒……


 横っ飛びする僕……

 僕が居た空間を『ヤツら』の手が空振りする。

 いつの間にか『ヤツら』が迫っていた。

 ガチャガチャ音を立てながら逃げた僕には、この静かに忍び寄る『ヤツら』の存在に気づけなかった。

『ヤツら』はやんわりと首を曲げて僕を見る……小さな『ヤツら』元は子供だったのだろうか……

 身長150センチに満たない。


 ……お猿はエスカレーター上で止まっている。

 ……どうして……来ない?……なんだろう……


 ……!!!……


『ヤツら』が居たから、お猿は襲って来なかった……

 攻撃しても痛みも感じず、致命傷でも動いている『ヤツら』……意味が分からないんだ……これ程殺傷しても生きている存在……お猿には悪夢なんだ。


 僕に畏怖した訳では無く、『ヤツら』に怯えたんだ。


 それが判った……この大型家電量販店内の力関係が見えた。

 ここの生態系の上部は『ヤツら』なんだ、『ヤツら』本人は、只ここに居るだけだが、お猿にとっては強敵どころか、死んでも死なない最悪な存在……但し、普通に生活している以上、『ヤツら』から攻撃を受ける訳でもない……正に『触らぬ神に祟りなし』状態。


 コイツを利用できないか?

 というかコイツを利用しないと足止めなど出来ない!

 僕は2階のエスカレーターから1階のエスカレーターへ歩く。


『ヤツら』はジリジリ僕を追ってくる。まだ足腰の丈夫な『ヤツら』の様で、徒歩のスピードで僕を追いかけてくる。

 その上からは、お猿が奇声を発しながら、付いてくるのが聞こえる……『ヤツら』を押し退ける勇気は無いからせめて恫喝の叫び声を連呼と言った所か……確かにこの狭い通路なら、これで回避出来るかも、しかし売り場に出たら……迂回して、回り込まれるのでは……当たり前の推論、まず正解。

 そう考える間にもエスカレーターは半分を過ぎて、お猿が『ヤツら』を飛び越えかねない勢いで近づく。


 どうする……どうしたらいい……このままではお猿に纏わりつかれ、齧られ、最終『ヤツら』に咀嚼される未来しかない。


 1階に踊り場を見る……幸い何も動体は居ない……ソコから正面の出入り口までは直ぐ、様々なゴミが落ちて走り難いが15秒在れば店舗の外だ……ただお猿も出てくるだろう……

 バイクを安全に始動させる時間がほしい。

 朝乗っていたから、セルで1発始動すると思うが、それでも数~十数秒は掛かる

 お猿に追い付かれないスピードまで達する迄なら更に十数秒掛かるかもしれない。


 何か良い方法は?考えろ僕!!何かあるはず!

 お猿の恐怖の対象は『ヤツら』……


 ……僕には強気

 ……『ヤツら』には弱気


『ヤツら』には襲い掛かって来ない……


 襲い掛かっては来ない……


 襲い掛かっては来ない……


 エスカレーターが終わる……


 頭の中に奇妙な案が浮かび上がる。


 それに従う……変だが、この場合は限り無く有効……


 鉈を握り直す……数瞬で手汗が滲む。


『ヤツら』の顔を見る……もう一度鉈を握る……滑らないか確認。


 エスカレーターを昇る。


『ヤツら』との距離が縮まる……もう少しで鉈が届く。


 まだ我慢……我慢……



『イッまだ!』僕は一心に鉈を横に振るスイング。

 小さい『ヤツら』だからエスカレーターの高低差が丁度良かった……


「ゴガァー!!!」僕の鉈で『ヤツら』の下顎が消失した。


 目的達成!殺さない……動いてほしい……その方が脅威となる。

 僕はジャケットのチャックを頸元まで引き上げる。

 鉈を仕舞い、『ヤツら』に近付く……

『ヤツら』も近付く……

 顎が無いまま……舌がぶらぶら……


 僕が振り返る、『ヤツら』に背を向ける。

 背の小さい『ヤツら』が僕の腰にしがみついて背中に上顎を擦り付ける……噛みたいんだよね……


 僕は小さい『ヤツら』をおんぶする。

 お猿は一定の距離を保ち、付かず離れず……

 

 僕の背中の同居人に恐怖して、近寄って来ない……


 僕の背中で『ヤツら』は歯をジャケットに擦り付ける……ケブラー繊維は意に介さない。

 おまけに背中をほぼ覆うd3Oプロテクターが『ヤツら』の歯や爪から守ってくれている。

 それでも僕の背中を登って頭部を爪で引っ掻かれれば、雑菌が入りそうなので、『ヤツら』の片腕を掴み、下に引っ張っていた。

 子供の為、力も無かったのも功を奏した……僕は『ヤツら』を護身としてお猿から身を守る。

 そそくさと大型家電量販店の出口を出る……太陽を拝む。


『ヤツら』を背中からひっぺがし、道路に倒し足で踏んでおく。

 バイクのキーをポケットから出す……キーを捻り、セルを押す。

「ストトトトッ……」エンジンが起きる。

『ヤツら』が足の下でもがく……お猿が自動ドアから出てくるが、警戒している。


 アイドリングが安定した……耳で感じとる。

 もう出れる。

 モーターもONする、エンジン+モーターで一気にここから離れる。

 バイクに跨がり、『ヤツら』を踏んづけるのを止める。

『ヤツら』が起き上がる……僕にすがり付こうとする『ヤツら』を思いっきり蹴る……三匹のお猿の居る大型家電量販店の入口に転がっていく。

 お猿が奇声を発しながら飛び退く。


 ギアを1に入れる!

 クラッチを離す!

 一瞬の動作……

 即タイヤが空転しながらも力強く路面を蹴飛ばし道路に飛び出す!


 飛び退いたお猿達が着地し、即、僕を追い掛ける為に四つ足で跳ぶように走り始める……街路樹を飛び越え……僕のバイクに近寄る。

 お猿の最高速は時速30km程度、それもバイクの様に徐々にスピードが上がるのではなく、ほぼ直ぐに時速30kmに達する。


 一瞬で僕のバイクの数m後ろまで近付いてくる……

 ジャンプしたら背中に飛び付かれるのでは無いかと気が気でない……

 だけど、それもほんの数秒……

 そして、ミラーを見ている余裕はない……

 シフトチェンジに集中する……只今4速……まだ後を5速・6速を残してスピードメーターは既に時速60km……

 これ以上は出せない……

 アスファルトは至る所、割れて段差が出来ているからだ……

 転けてしまえば、お猿に追い付かれる……

 僕のバイクの技量ではこのスピードが限界だった。


 次第に、お猿の声は遠くなる……遠くなる……


 そして……聴こえなくなる……


 それでも比較的舗装が残っていて良かった……

 そして狭い道で無くて良かった……


 もうお猿の鳴き声は聴こえない。


 数kmは走っただろうか……

 心臓の心拍も通常に戻り、冷静に考える暇も出来た。

 僕は道路脇にアイドリングのままバイクを停めて、モーターをOFF、バッテリーの充電を開始する。


 バッテリーの目盛りが上昇する。


 車止めに腰掛けて周囲を見舞わす……


 というか、ここは何処だろう、お猿から逃げる事しか考えず、突っ走った僕……


 腕の小型PCを起動……


 僕は何処まで……

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