第27話 夜営準備

 UIが簡素な小型PCは、直ぐに立ち上がる。

 GPSで衛星を補足し始める。

 方角としては南……高架を潜った……そして今ココ……

 屋外だし、捕捉は簡単な筈……


 案の定、早々に地図が表示され、点滅するピンが地図上に打たれる。


 ……確かに南下した……


 何も考えずに逃走した為に、次の目的地である栄が離れてしまった……まぁ、2~3km程度だし、必ずしも栄を探索しなければ行けない訳じゃない。

 あくまで名古屋駅周辺の探索してお宝が見付かりそうな町として選んだだけ……状況により、探索場所は随時変更でオッケーだ……しかし2~3km程度といっても設備管理を30年程度放棄した世界では、この距離は安心できない……道の断裂……建物の倒壊等で、道路が使えない可能性が考えられた。

 先程の通過した高架下も安全とは言えないのだから……

 だから栄に行けないなら他の町を探索するだけ……

 そんな事を考えながら、小型PCで栄への道筋を調べていたら、地図上に大須の文字を見つけた。

 そう言えば、先程の本屋で見つけた観光案内本で記載されていた地域だ……古き善き商店街と寺院……


 小型PCの時計見る、今昼の3時……既にこんなに時間が経っていた……

 もうじきに夕方、日が沈む。

 今日は大須で野宿が良いかもしれない。


 バイクのバッテリー残量インジケータが満タンを示す。

 エンジンを切る。


 周囲にお猿の気配は無い。

 バックパックの脇のポケットから胡桃の袋を取り出す、そして3個食べる……お腹が多少満たされる……晩御飯間近だからこの程度にしておく。


 お腹に食べ物が入ってホッとしたのか、唐突に思い出す……朝練を忘れていた……馬歩と演舞……苦虫を噛み潰した様な陳師傅の顔が浮かぶ。


『……すみません……』僕は一人言。

「よっこいしょ……」と言い、今更ながら馬歩を始める。

 既に逃避行で身体は十分暖まった……

 ……しかし……

『アララ……』1分で早々にギブアップ……


 暫く、アスファルトに尻餅をついて休憩。


 次は演舞だ……力を込めて大きく表演する。


 表演しながら考える。

 馬歩が昨日より更に出来ない。

 出来ない理由は明確だ。

 お猿から逃げる際に……10分程度だろうか……スタンディングでステップを踏み締め、両腕でハンドルを保持したからだ。


 バイクは、特にオフロード走行は全身運動だ。

 確かにバイクに乗らない人からすれば只の移動手段であり、僕がこれ程疲労する意味が判らないかも知れない。

 だけど不整地を走る場合は、路面のギャップでスライドしたり跳ねたりする車体をコントロールする必要がある……車体を全身の体幹で抑えながら走ることになる。

 だから非常に体力を使う。

 伊賀市から四日市市に向かう時は、のんびりと殿様乗りで安楽だったけど……


 明日も筋肉痛だろう。

 それでも全身全霊を込めて突き、震脚した。

 演舞を終える。


 もう一度アスファルトに座り込み休憩する。

 太陽が地平に近付く。夜が来るんだ……

 それまでに安全基地を創らないといけない。

 これが、時間の掛かる作業なんだ……何度も名古屋に行くなら、正に安全に休息できる場所を造り、そこを拠点に探索に出掛けるのが最適解。


 昨日止まった工場も廻りはフェンスに囲われて簡易な安全基地になると僕は思っている。


 だから大須でそれを見つけたい……或いは造りたい。

 大須は名古屋の比較的中心であり、安全基地にはもってこいだった。


 僕は重い腰を上げて、バイクを始動させる。

 少し南下したら、東に大須通りと交差する……

 左折して大須通りを走る。

 片側3車線の広い道路は走行に適していて、スピードは出せる……これなら4時頃には大須に辿り着けそう。

 道路の両脇には5階以上の高さの建物が建ち並び窓のガラスは所々割れていても、30年経っても歪みもせずしっかり建っている……過去の建設技術の高さを思い知る。


 途中で中川運河と堀川に架かる橋を渡る。

 もう、地図上では大須まで少し……


 ……有名な大須観音が在る筈……そして周辺には飲食店の建ち並ぶ商店街が軒を連ねている。

 あの賑やかな観光案内の写真を思い出す……


 ……あぁ、大須観音を通り過ぎた……一瞬、大須観音で野宿させてもらおうかと思ったが、小型PCの地図から見る大須観音は大きな敷地面積故の、出入り口の多さから拠点としては大き過ぎた為、諦めた……囲われている様で、囲われていない。

 これでは安心して夜を迎えれない。

 可能な限り塀や柵に覆われていて欲しいんだ……

 でないと安心して眠れない……


 良い野宿先を探す、時刻は4時を過ぎる……太陽が沈んで行く……照度が落ちる……日が落ちる前に……探さないと……


 僕は焦りだす……焦りは禁物だと思いつつも、その思考が頭から離れない……


 バイクで走りながら、左右を見る……安全な隠れ家……安眠できる場所は……


 春日神社を横目に見る……これも大須観音と同様の理由で却下。


 地図上に大きな建物が映る……校庭と学舎……僕の第六感……イヤイヤ……学校だからフェンスに囲われていると考えた。


 地図を参考に交差点を左折する……

 直ぐに学校の校庭が見える……

『ビンゴ!!!』僕は心の中で叫ぶ。


 フェンスどころか……更に強固……近付くと判る……塀の上部にもかなりの高さまで網が張られている。


 学校の正門は人一人通れるくらい開いていた。

 バイクで走り抜ける。施錠はしない。学校内に『ヤツら』が居ないとは限らないから……センサーを仕掛けておくが、逃げ道は開けておく。

 校庭をバイクで走る、オフロードバイクで良かった。


 ……野宿に適した場所は?

 あまり大きい建物は索敵に時間を要するのでいやだな……

 バイクごと室内に入れるなら尚良しだ……


 時刻は4時半を過ぎた……本格的に暗くなってきた……そりゃ冬だもの日が落ちるのが早い……急がなくては。


 プール脇に建物が在る……更衣室か?どうなんだろ……しかし、サイズは適切、これ以上大きいと安全確保に手間が掛かるから、校舎なんかで夜営しようなんて考えもしない。

 この更衣室?かもしれない建物の周囲というか、校庭に動体センサーを置いて行く。

 建物の周囲50mを基準に設置した。


 これが寝ている間の僕の『眼』だ……慎重にしっかりと配置する。

 フェンス側は要らないから合計2ヶ所……100m間隔で設置……これがセンサーの検知範囲だからだ……これ以上距離を開けるとセンサーとセンサーの間に無検知範囲が出来てしまう。


 次は更衣室?に隣接する建物の対応だ。ここは動体センサーでは心許ない。

 距離という『保険』がとれないからだ。

 センサーが反応しても、これ程近距離なら僕が寝ぼけていたら直ぐに目の前まで『ヤツら』が来るだろう。

 物理的障害が欲しい。

 辺りを見回す、手頃な鉄パイプが落ちていた。

 隣接する建物の扉は簡単な引き戸だった。

 引き戸に鉄パイプを斜めに掛ける……少し考えて風に吹かれて転がる雑巾を掴む……裂く……二つに分ける。

 1つを戸と鉄パイプの間に挟む……もう1つを戸枠と鉄パイプの間に挟む。

 やってる事は大した事じゃない……摩擦を増やすんだ……戸と鉄パイプでは滑るが、間に雑巾を挟む事で滑らない。

 一手間で効果絶大……鉄パイプを上からグイグイと押して固定する。「ギィ、ギィ……」と引き戸が軋む音がする。

 効いている。

 反対側からは引き戸を壊す勢いでないと開けれないだろう。

 それでも安心できないので、追加で更衣室に置いてある細い冷蔵庫を……ズリズリ引っ張り……あれっ引っ張れない……何か引っ掛かっている?電源コードが延びている……重いな、中に何か入っているのか??

 幅60センチ、高さ80センチ、奥行き50センチ……小さい……簡易な冷蔵庫なんだろう……ロッカーに毛が生えた程度……しかしこんな場所に冷蔵庫……扉の開閉用に取っ手が付いている。


 僕は取っ手を掴もうと……

 ……!!!……

「パカッ……」掴もうとした、直前に冷蔵庫の扉が内側から押される様に音を立てて少し開いた。


 ……尻餅をついた……

 冷蔵庫は少しだけ開いたまま、それ以上は開く気配はない。

 僕が開けないといけないの?

 イヤだ……

 しかし扉は僕が開けるのをじっと待っている……


 僕は片膝付いてしゃがんだまま、暫し冷蔵庫とにらみ合い。

 昔おっさん先生と対戦したTVゲームの強キャラのポーズ……

 待ちガイル状態……


 しかし現実には僕はバク転しながら蹴りは出せないし、両手を交差しても飛び道具は発生しないので、全く強キャラでは無い。


 ……いい加減にらみ合いを諦めて、冷蔵庫の取っ手を掴み開ける……

 突然、目が合う……


「あぁぁ……」『ぎゅうぎゅうですね』僕の声と思い……


 ……死体だ……目を見開いた顔……この人と目が合った……切断され……押し込められた人体……サイズ間違いの棺桶に入れる為に、どれだけ切り刻んだのか……

 人体のエンジンたる、心臓その他の臓器を容れている胴体は首から切り離され、目を開いていてもこの人は生きてはいなかった。

 ここまで切断されたら『ヤツら』であっても動けないだろう……頭部以外はぶつ切り状態……


 暫く僕はこの奇妙なお見合いを続けていたが……


 ……いや……何かおかしい……綺麗な顔……美しいのでは無く、鮮度が良い……つまり最近解体された?!おまけに冷たい……電気が来ている……


 いくら『ヤツら』であっても、これだけ解体されて数年が経過すれば、人並みに腐敗し……骨だけになる……だけど冷蔵したら綺麗に保存できるのかしら……そんな事を思いながら……


「俺の父親だよ……」後ろから声。

 僕は地面から10センチ浮き上がったと思う……気持ちだけは……心臓の回転数が8000rpm程度に跳ね上がる。


「誰っ?!!」振り返り、僕は叫ぶ。

「あぁ、ごめん……俺の名前はホタカ……」相手は淡々と答える。


 ……静かで優しいその声に心臓の鼓動が少し収まる……

 ……良かった……『ヤツら』じゃない……


 まぁこんなに冷静に受け答えできる『ヤツら』がいる筈ないよね……僕は思い直す。

「……どうやって……センサーを掻い潜ってここまで……」僕の最大の疑問……この際ホタカのお父さんの事は後にして……

「君はセンサーを設置しただろう……けど、学校のフェンス側には設置しなかった……校庭側だけだ……『ヤツら』ならそれで充分だけど……」と言い……カチャカチャと鍵束を振って見せる……

「フェンスにも通用口は在るよ、非常口とでも言うのかな」ホタカは微かに笑う。

「通用口の南京錠を開けて普通にここまで来た」ホタカは素っ気なかった。

「なんだ……どんなマジックを使ったのかと思ったよ……」僕は自分の思い込みを恥じた。

 短期的な大問題の答えが出て僕はホッとしたと同時に、ホタカの「俺の父親だよ……」という発言を思い出す。

「この冷蔵庫の人は……」僕は最後まで言えない……察してホタカの方から話始める。

「『親父』は『ヤツら』だった……長く……永く……俺は……唯一の肉親を殺せなくて一緒に暮らした……とは言え親父は鍵付きの教室の中に軟禁状態だけどな、だけどある時……『親父』の意識が戻った……」ホタカは一気に言うと、一呼吸して続ける。

「戻ったと言っても、1日の大半は『ヤツら』だよ……俺を噛もうとするし、餌だとも思っている……けど時折『親父』なんだ……意識がある時……『親父』は俺に言った……『私の首を切断して殺してくれ』と……」ホタカは眉間に深い皺を刻み言う。

「俺の気持ちは置いといて、『親父』が苦痛を感じているのは痛いほど判った……『ヤツら』の時の記憶が甦るらしい……人を喰った時の……」ホタカは目を瞑り続ける。

「そりゃ、辛いだろうよ……『親父』は母さんを喰ったからな……」ホタカは目を開ける。

「夏に親父を殺した……首を切り……それでも動くから……腕も脚も切った……数日で親父は動かなくなった……親父の遺言通り、冷蔵庫に入れて保管している」しかし僕は話の後半の意味が判らない。

「冷蔵庫に入れる???どうして???」僕は尋ねる。

「もし、私を解剖して、この病症を解明出来るならば、サンプルにして欲しいと……自分が特異な症例である事を親父は認識していたんだ……自分は『ヤツら』になって、そして『親父』に戻った稀有なサンプル……」ホタカはもう暗くなった空を見上げた。

「だから、非常用の太陽光発電の電力を利用して冷蔵しているんだ……」僕はまじまじとホタカを見る……僕より年上だろう、二十歳間近……身長も僕より10センチ程度か高い……細い身体つき、だけど弱そうには見えない。

「親父は母さんを生きたまま喰った……母さんは……仰天した顔のまま死んだ……その顔さえも親父は咀嚼していた……小さかった俺は隠れたまま、それを見た……俺は親父を憎んだ……それが間違っている事も理解している……親父は『ヤツら』になったんだから仕方無い……時々親父だった頃を思い出す……休みの日は時間があれば俺と一緒に遊んでくれた……でもあの時、優しい親父の口から母さんの舌がぶら下がり、それを喉を鳴らして飲み込んだんだ……憎かった……でも愛しかった……」吐き出すようなホタカの言葉……


 ホタカは少しの間、空を見上げたままだった……


 僕からはホタカの尖った顎が見えるだけ……


 彼がどんな思いで母親を食べた父親の首を切り落とし、冷蔵庫に詰め込んだのか?


 日の落ちた空は彼の表情を照らさない……

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