第12話 想いの深さ……

 バイクで庁舎に向かう……

 I市の出入口は北側になっている、庁舎はI市から見て南側だ。

 だから僕は出入口がら出て直ぐ右折、城壁を右側に見ながら走る。

 城壁は元々のI市全体を覆っているわけではなく、I市を南北に貫通してG通りのを中心に東南1km程度を覆っているに過ぎない。(G通りの北側は線路を利用して城壁を積み重ね、南側は前回言ったがMH国道が城壁となっている)つまり、それ以外の元I市は城壁外にあり、今は人類は住んでいない、だから建物の一部は城壁の材料になったり、朽ち果てていたり、『ヤツら』の棲みかだったりしている……(但し、I市周辺は自分達の努力により大半の『ヤツら』は駆逐済みの筈)

 そして元は城下町であったI市には碁盤目に道が走っており、城壁外でも今は荒廃してしまったが一応舗装路が残っている。その名ばかりの舗装路を走り、城壁を右に見ながら時計回りに北から南へ向かう、時計で例えれば、I市の出入口が12時であり、庁舎はほぼ反対の5時に建っている訳だ、そして僕は、今は2時位の地点を走っている。慣れた道はひび割れや砂利があってもそこそこ飛ばして行ける、オフロードバイクで在る利点だ、フロントの21インチタイヤの直進安定性はこの様な不正地でリアタイヤが多少暴れても意に介さなかった。

 気楽に走っているためか、頭の中で先程の『具』さんの事を反芻する。


 ……どうやって、彼女は来たのだろう……移動手段は?


 ……簀巻きのまま来たんだろうか??


 ……簀巻きで転がりながら、ぐるぐる回ってI市まで辿り着く『具』さんを妄想する……


 ……何だろう、可愛い……


 ……先程は、汚すぎて、全然可愛いと思わなかったのに、まぁ、だからと言って好きな訳ではないが、小動物を見て感じる可愛さみたいなもんかな?と自分を納得させる。


 ……そして僕が眼光に射竦められたあの時は、瞳に譲らない意思を感じさせた、これは母さんや陳師傅からも感じるのと同質のモノだ……っと考えながら走って空を見上げると、空の向こうに暗い雲が近付いて来るのが解る。


 ……積乱雲……


 天候が悪化しそうだ……移動中の雨は嫌だな、これからの長旅を思いげんなりする、そして、ヨシタカにもっと庁舎の『ヤツら』につていて訊いておけば良かったと後悔した、『具』さんの件で、完全に頭からすっ飛んでいた。


 ……『新種のヤツら?若しくは助けを求める人類?』

 ……考える……

 ……人類なら何故、I市の出入口に来ない?健全な身体なら、1日有れば、出入口まで来れる筈、庁舎で待つ意味が分からない、『具』さんの様に門前まで来れば良い……(まぁ、簀巻きで来る必要はないが……)なら、身体が不自由、或いは、屋上まで上がったが、体調不良で出入口迄はもう行けない、という事だろうか?前提条件がややこしい理由だな、可能性は有るけど……


 ……おっさん先生の言葉を思い出す。

「もし状況判断に困ったら原因は簡単な方を信じろ、そしてその原因から引き起こされる中で、1番最悪な結果に対して対策しろ」彼はそう言った……


 簡単な原因とは何か?

 ヨシタカは、助けを求めているとは言わなかった、双眼鏡で確認して『変なヤツら』が居ると言っただけだ……もし、手を振り、叫んで助けを求めているなら、いくらヨシタカでも、『変なヤツら』で終わらずに、『助けを求める人類かもな……』と言っても良いのではないか?楽観的に人の可能性もあるが、僕はヨシタカの反応から原因を『ヤツら』が屋上にいる事に仮定した。

 そして『ヤツら』が居るとして最悪の状況・対策を考える。


 ■最悪の状況

『ヤツら』が複数いる可能性、

 故に庁舎の至る所に『やつら』がいる可能性

『只のヤツら』では無く、手強い『ヤツら』が居る可能性


 ■状況に対する考えるべき事

『ヤツら』或いは『手強いヤツら』に対する防衛手段

 屋上までの移動方法

 いざという時の脱出経路


 ■上記に対する対策

 館内案内図※移動手段や脱出経路の把握の為に必要

 自己防衛の武器※腰に下げた鉈とバイクに常備している警棒代わりのジュラルミン製LEDライト・暗闇化での索敵にも使える。

 通った扉は開放しておく事、脱出時は通過した扉は閉めておく、或いはドアストッパーで固定する。

 非常階段は使わない、狭い為に『ヤツら』を排除するのに苦労するから。


 今出来る対策はこんなもんか……『手強いヤツら』に対して明確な対策は打てないが、一応武器は持って行くって事で対応としよう……

 走りながら、正しいかは知らないが、粗っぽい対策は出来た、道が下り坂になり、下の方に、卸売業の倉庫が見えてきた、昔ここは問屋街であり、色々な商品を卸している会社が点在していた、パンデミック後は貴重な資源を調達する場所として重宝された、しかしそれも、もう今はゴミしか無い場所だ、その奥に大きな庁舎が見えてきた……

 庁舎の周辺は城下町然とした市内とは異なり、車両での交通をメインに考えた道路整備がされていた為、道幅が広く走り易かった。

 元は広大な駐車場だったのだろう、アスファルトの合間から草木が繁る庁舎入口正面の平地にバイクを停めて、ハンドルロックを掛けキーをしまった、次いでヘルメットを脱ごうとして考える……

『脱がない方が安心か……』ヤツらが居るなら、頭部の防御も考えて装着しておいた方が良いかと思う、しかし視界の閉塞感も大きい、どちらを取るべきか悩み、ヘルメットを脱いだ。

 ヘルメットホルダーに引っ掻け施錠する。

 ヘルメットの代わりにもならないが、防寒用のニット帽をバックパックから取り出しかぶる。


 雑草を跨ぎ正面玄関口に向かい歩く、扉のガラスが飛散している為、足元に注意して館内に入った。

 一気に薄暗くなる。

 複数の受付窓口があるだだっ広い空間が広がる。

 LEDライトを点灯すると、その空間のかなり先、エスカレーター付近まで一気に明るくなる。エントランスに大きく館内図面が置かれている。左腕前腕に取り付けた小型PCでその図面を撮影する。そして図面を常時表示モードにしておく。

 物資を獲得する為に何度も入った場所だから、地図が無くても大丈夫だと思うが、念には念を入れておいて間違いはないだろう。

 しかし、ぱっと見たところ人も『ヤツら』も見当たらない。

 受付窓口の向こうには、職員が作業する為のデスクが未だに所狭しと並んでいる。

 遮蔽物が多いソコに『ヤツら』が潜んでいる可能性を鑑み、入念にLEDライトで照らし索敵する。

 ……本当に何も居ない様だ。

 僕はLEDライトを肩に担ぐ様にして周囲を照らしながら、2階への階段に向かう……エレベーター横に階段がある筈だ、念の為に小型PC上の図面の階段の位置にポインタで印を付ける。

 物陰に注意しながら、2階への階段を上がる、階段は交互通行が出来る程度には幅広いが、当時はエレベーター若しくはエスカレーターをメインに使用していたのだろう、手摺が有るだけの地味な階段を後方を警戒しながら2階へ到着した。目が暗さに慣れて来た事と、窓から入る日光でそこそこ周囲は確認できるようになった、それならばと、自身の存在が見つかるのを避ける為LEDライトを消す。昼間に行動しておいて正解だった、ただ、走行中に見た積乱雲が気になった、曇天になれば、否が応でもライトを点ける事になるだろう。

 ここは早めの行動が良いだろう。

 目を凝らして周囲を見る、1階と同じく市民の為の各種業務を受ける為の窓口が並んでいる。受付奥には所員達のデスクが並んでいるが、僕たちが過去に探索した為にデスクはあらぬ方向に動かされ1階よりも乱雑な印象だ……


 ……受付窓口向こう側の柱の影、唐突に『ヤツら』が1体いた……

 思わず身体が強張る、久しぶりの『ヤツら』だった……この庁舎では永らく見ていない。

 ……約5年ぶり位か……

『ヤツら』は僕に気が付いていない、ただ、ボーッと突っ立っている、

 一瞬、ヨシタカの言っていた『変なヤツら』かと思い、階段の影から観察する、年齢は50代位の男性、スーツだった物を着ているというか、引き摺っている....ネクタイが鉢巻きのように額に巻かれている。30年間巻き続けているのだろうか?飲み屋帰りの企業戦士……30年間の不摂生の為か、両腕が逆に曲がっており、関節の意味を成していなかった……


 ……1分弱経過……


 どう観てもいつもの『ヤツら』だった、何にも考えてない空虚な表情とのろまな動き……暫く観ていたら、隣のパイプ椅子に躓き、倒れた……そして見えなくなった。受付窓口の向こう側から「コトッ、カサッ」という様な音が聞こえてくる……起き上がろうと努力しているのだろうが、両腕がアレでは多分無理だろう。


 この機会にそのまま3階に上がる、『ヤツら』は僕が庁舎を出ても、もがき続けているだろう。僕からは見えなくなった『ヤツら』が、どうやって庁舎まで来たのかを考える、現在解っている『ヤツら』の生態とは以下の様なモノだ……


 ◆『ヤツら』

 まぁ、簡単に言えば、昔のゾンビ映画のゾンビと酷似している……

「ウー」とか「アー」言う。

 常に”お食事”を探している。

 動きはスロー。

 顔色悪い。

 身体の何処かがもげてたり、欠損してたりする。

 上記の様な死にそうな怪我でも動いてる

 切っても余り血が吹き出さない。

 痛み感じてなさそう。

 五感は鈍そう。

 基本、不潔。

 大概非力。

 痛覚がない。


 後、僕が個人的に気に入らないのが、

 笑わない。

 空気読めない。

 女の『ヤツら』に可愛い子が居ない事だ。

 ……たまに服が脱げかけている女の『ヤツら』も見るけど、これに興味が湧いたら、僕は大分拗らせていると思う。今の所は何とか大丈夫……


 話の後半はどうでも良いけど、大事な事を言い忘れていた。『ヤツら』は全員、孤立している、協力という考えが『ヤツら』には無い。……っと言うか隣の『ヤツら』を仲間としても認識していない、『ヤツら』は全て(個)であり(孤)なんだ……だから、『ヤツら』同士で協力するって事は今まで僕自身見たことがないし、おっさん先生も「『ヤツら』はお互いを仲間だとも思っていないし、食料とも思っていない、只の障害物としか思っていないと思う」言っていた。

 僕もその認識だ。

 だから、1人1人なら『ヤツら』はそれほど脅威ではない、問題は、複数の『ヤツら』に同時に見つかり、"お食事"として認識された場合だ……これが怖い……相変わらず、互いに協力等しないが、目的が1つになる事で、疑似的な協力体制になるからだ……おまけに『ヤツら』は”お食事”以外の目的を持たないから、他に興味が湧く、何て事もない……『ヤツら』はある意味でとても純粋なのだ……故にタチが悪い……僕は受付の奥で努力している『ヤツら』以外の『ヤツら』が居ないか周囲を注視しながら、3階へ上がる、階段には『ヤツら』は居ない……階段では会いたくない……3階も1、2階と同じく構成だ……受付窓口と奥に職員の事務机が並ぶ、今度は『ヤツら』は居ないし、それ以前に、階段から受付に行くまでの通路にバリケードが築かれている、元々職員だった『ヤツら』を排除する際に築かれた物だ……昔は、1、2階にも有ったのだが、『ヤツら』が完全に排除された後は、僕達の通行の妨げになる為撤去したのだ、ただ3、4、5階は、マトモな資源が無かったのと、バリケードを撤去するのにI市の皆が疲れてしまった事により放置となった……まぁ、これなら、『ヤツら』はこいつを越えて進入しては来れないだろう。

 だからこそ、階段内に『ヤツら』が居ると困る、逃げ道が無いからだ……4階への階段を上がる、バリケードの状況を観て、頑強なのを確認。


 ……もう4階は観ない……


 ……5階にも用はない……バリケードは通路を塞ぐどころか、階段の踊り場まで溢れて上部は天井まで達している、

 ……これを越えて来る『ヤツら』は居ないだろう。重機でも無い限り無理だ……


 ……もう屋上手前の階段まで来た、小さな扉を開ける、ここが行政機能を果たしていた時は、ここは職員以外出入りしない場所だったのだろう、扉の小ささと簡素さがそれを現している。


 僕はゆっくりとその小さな扉を少し開ける……


 今まで暗闇に居た為に射し込んできた外光が眩しい……


 薄目にして、周囲を観る……


(居た……貯水槽の横、丁度日陰になっている所、静かに立っている)


(パット見、ただの『ヤツら』に観える、痩せぎすな40歳代男性、薄汚れた白衣を着ている)


 ……直後、首だけを僕の方に向けて、僕を見た……僕を認識した……なのに、こっちに来ない……ただ、じっと僕を視ている。


 ……確かに変な『ヤツら』だ、襲ってこないこんな『ヤツら』は初めてだった、僕を”お食事”と思ってないのか?


 ……ただ、目が見えていない可能性も有るけど、それなら他に視線を向けたりしないか?あくまで僕を凝視している……


 ヨシタカの言う通りだった……珍しく彼の観察眼が正しかったようだ、去年など、彼に言われて現場に行ったが、案山子が1体風に揺れているだけだった。

 今回も半信半疑だったが、コレは正解、ヨシタカの勝率50%だな。


 そんな事を考えながら、変な『ヤツら』を更に観察する、身体はいつもの『ヤツら』みたいにユラユラして安定しない、ただ、目は僕を追いかけて瞳が動いているのがここからでも解る、『ヤツら』の身体が僕から正反対を向き始めた、その為首から上は可動域のギリギリまで僕を凝視し続けたが、途中で限界が来たのか、僕を視界に収められなくなった、それでも、僕を見ようと、左右に首を振って努力していた……そうすると又身体が僕の方に向き直った。また、お見合いが続く....それ以外に『ヤツら』は何もしてこない。

 ……

 ……

 ……そろそろこの不毛なにらめっこを続ける気が僕には無くなって来た、どう考えても、僕を食べたい気持ちはコノ『ヤツら』には無いようだった。


 ……決意して、僕は扉を全開にして、『ヤツら』に身体を晒した、途端、『ヤツら』の顔が歪み口が開いた……「あ”う”……」

 ……いつもの『ヤツら』の声だ、僕は失望した……が、その後の行動は僕の予想外だった....

 変な『ヤツら』はいきなり後ろ向きに倒れた、そこには、貯水槽へ至る給水配管があった....今は貯水槽には繋がっておらず途中で切断され、鋭利な断面が屋上の床から50センチ程度突き出ていた。

 変な『ヤツら』はそこにダイブしたのだ、腐りかかった様なその柔らかな皮膚は、容易に配管を受け入れた、背中から入った配管は大腸を引っ掻けながら腹部へと出て、その後、『ヤツら』はじわじわと自身の体重で、床に接地するまで降下した……


 ……『ヤツら』の身体がもがく、配管を中心に回る……回る度に、大腸が配管に巻き取られて、『ヤツら』の中から引き摺り出される……中が空に成るくらい、臓器を巻き取られて、『ヤツら』の動きが多少鈍る……逆回転したら、そんなに巻き取られずに済んだのに……と忠告したいが『ヤツら』には理解されないだろう。


 ……一応断っておくけど、僕はグロ耐性がある、生まれつきではなく、今までの生活で得た耐性だ……

 こういう場面も散々見てきた……

 この世界では皆いずれそうなる……


 仰向けの『ヤツら』の顔が……

『ヤツら』の瞳が僕を見る……

 この体制なら、僕からは目を逸らす事はない……身体はもう振り返れない……


 目を見て僕には解った『ヤツら』否、首から上は”彼”だ。


 そして彼はほんの少しだけなら身体を制御出来る様だった……だが、『ヤツら』の制御の方が強く、儘ならない時が多いのだろう……

 僕の方を見続けられなかった事もその為だ……そして言葉も満足に喋れないけど、ウイルスに頭は犯されていない……彼は、僕から目を逸らさない様に、また僕を、彼の『ヤツら』が襲わない様に、或いは、僕が襲われないと安心する為に、『ヤツら』を配管に拘束したんだ……


 僕は彼に近づく……


 彼には僕がコミュニケーションを取ろうとしているのが判った様だ……


 彼は配管を見て、首を何度も横に振る……

 意味が分からない……

 まだ動く彼の『ヤツら』が配管を持って身体を引き抜こうとする……彼の意図が解った、僕は周囲を見て近くに放置されていた、溝に嵌める格子状のグレーチングを両手で持ち上げた。

 そして「ごめんなさい」と一言、その痩せた腕に落とした……

 腕はグレーチングの下敷きとなり、『ヤツら』はグレーチングの下でもぞもぞ腕を動かすことしか出来なくなった。次いで、もう片方の腕にもグレーチングを落とし、念の為にもう1枚、配管をグレーチングの格子に通して腹の上にも置いた....もう『ヤツら』は脚をもぞもぞさせてはいるが、グレーチング3枚に上から押さえ付けられて上半身は身動きが取れない様だった……


 首だけの彼が微かに頷いた。

『オッケー』と言うことだろう。


 彼が口を開け、舌を出す。

 限界まで口を開けている様に見える。

 彼の口の中に何かある……

 右側頬の内側……

 銀色の物体……


 ……彼の額を注意深く左手で抑えた……

 ……噛まれないか心配になり、僕はジャケットの右腕上腕のポケットに差し込んであるGB製のマルチツールを取り出す。

 ペンチにして口腔内に差し入れる、頬に縫い付けてある様で、中々取り出せない、彼の目を見開いた表情から『ヤレッ』と言っているのが判る。

「すみません!!」言うと同時に僕は物体を掴んだペンチを引っ張った。

「ブチッチッ」という嫌な音と共に、ペンチの先端に縫い付けた紐を付けた血だらけの金属ケースが出てきた。紐は切れなかった様だった、多少の肉片と血をこびりつけたまま金属ケースの周囲に纏わり付いていた。

 金属ケースは縦横3センチ程度の正方形の箱。

 厚みは、8ミリ程度で丁度半分の4ミリの場所に分割出来そうな割れ目がある。 

 正方形の各頂点には、紐が付いており、彼の頬と縫合していた様だ、更に各頂点は小型のネジで固定されており、想像するに、この各ネジを外せば割れ目から中を確認できるのだろう……マルチツールの+ドライバーを使用してケースを開ける、30年間の未開封のケースは固着しており、ネジが嘗めないか心配したがなんとか開けることができた……不要な紐を外しズボンの後ろポケットに突っ込んであるウエスで金属ケースを拭く……



 金属ケース中身


 MicroSDカード 1枚

 折り畳まれた手書きのメモ 1枚


 以上だった……



 MicroSDカードを紛失しない様に、金属ケースに戻して僕のジッパー付きの胸ポケットの貴重品入れに入れる。


 畳まれたメモを開ける……


 3センチに納める為に、何重にも折り曲げられ

 とても綺麗に畳まれている……彼の几帳面な性格が伺える。



 ……


 ……


 ……拡げた紙に書かれた言葉は……


 ……『殺してくれ』……


 ……1言それだけ……


 ……彼はこれ以上無い位見開いた瞳で僕を見つめる……


 表情は無表情に近いが、『伝わる……言葉は無いが……痛いくらいに……』


 彼は僕の顔を見て微かに顔を上下した。


 ……彼の瞳が又下を向く、もう判る……首にある動脈を切断してほしい。


 腰に下げた鉈を掴み、彼の頭の横に立つ、彼は静かに目を閉じる……


 何故か、僕は泣いていた……僕の年齢よりも長い、彼の苦痛に満ちた30年間を思い……自分なら耐えられないと思った。

 彼は人生の殆どを、身体を『ヤツラら』に乗っ取られたまま、自分の本意でない人生を歩まされたのだ……人生の小さな目的も大きな夢も全て潰されたまま、安易に死ぬことすら許されない……その精神的苦痛の大きさに僕は寒気がした……それでも彼は何かしらの大事な情報を人類に渡す為だけに、ほんの少し制御できる手足を使って、人を探して無意味な人生を耐えたんだ……ただ簡単に死ぬ事は出来た、しかしただ死ぬだけではダメなんだ!

 頬に縫い付けた金属ケースを渡し、内容を理解してくれる人に出会う為に!!

 彼は拷問とも思える30年を生き延びた……

 そして僕と出会った……


 僕は、涙を拭い、

「ありがとう、そしてサヨウナラ」と言い鉈を振り上げた、その拍子に上空を見るともう空は曇天だった……雨が来る……


 振り下ろす、

 渾身の力を込めて、

 せめて一撃で……


 鉈は彼の首をほぼ切断し、切断面から頸椎の白い骨が見えた。

 そこから黒いオイルみたいな血が流れ出す。

 人間の時のように勢いは無いが、あっという間に首を中心に血も海が形成され、僕のブーツにへばりついた。

 彼の顔を見る……

 彼はまだ生きていたが、もう虫の息だった……痛みは無かったのか、先程迄の険しい視線を柔らかくしまるで眠る様だった……せめて最後くらい安らかに逝って欲しかった。


 そして僕の初めての人殺しは、急にやって来て、断る事も出来ずに終わった。

 それでも自分の行為を正当化したい僕は、彼を苦しみから解き放ったのだと……正しい事をしたのだと……そう思いたかった……だが利己的な事だ……僕は人殺しという事実から逃げたかったのだ……僕の心の安定の為に……


 ……彼はそんな僕を見つめている……優しさを感じる『大丈夫だよ』と言っている様だった……


 ……そして自身の死が間もなくと感じた彼は最後に僕をもう一度しっかりと見て、目を閉じ、僅かに口を歪めた、これが彼の精一杯の笑顔なのだと解ったとき、僕は口をへの字にして嗚咽した……感謝してくれたんだろうか??そんな思いが僕の頭の中で跳ね回る……


 ……大粒の雨が降る、先程の雨雲だ……


 ……もう彼の呼吸は止まり、閉じた瞼と僅かに開いた口には雨水が溜まり始めている……彼の血液を排水口に押し流す雨水は止まる事を知らない勢いで、僕の身体は一瞬でずぶ濡れになった……それでも僕は立ち去れなかった……


 雨水に盛大に打たれながら彼の遺骸を見つめる……彼の残したモノは物質だけではない、僕は彼から母さんと同じ気持ちを受け取る、覚悟と犠牲の心……








 

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