第7話 鍛練 ~体も心も~
次の日、僕は朝八時半に目が覚めた。
ちゃんとしたベッドで寝れた為か頭はスッキリとし、身体も軽くなった気がする。
そして地図作成時は忘れていた簡単な基礎訓練を10分ほど行い、その後台所でユキ婆ちゃんから貰った野菜を洗い、刻んだベーコンと一緒に皿に盛り付け、簡単なサラダを作った。
豆乳を飲みながらそれを食べ、バターを塗った食パンを1枚焼いた。
バターの良い匂いがするカリカリに焼けたパンを口に咥えながら今日1日どうしようか?と思った……
そうだ!道場に行こう!と思った...バイクで地図作成に勤しんでいる昨今、あまり道場には行っていなかった……鍛練不足指摘されることは明白だったが久しぶりに陳師傅に会おうと思った。
自宅の玄関を出て、歩いてI市の唯一のアーケードまで来た……アーケード内には食堂から服屋、食料品店まで、一通り揃っており、住民達は買い物のほとんどをここで済ましている。
そのアーケードの一番端に小さな中華料理店がある。
午前中で朝も早い時間だ、今は準備中だが入口は施錠されていない、いつものことだった、僕はお店の入口をくぐると大きな声で、「陳師傅!」と言った。
「あいよ!」と言う声が響き、厨房から、女性が一人出てきた。その人は女性にしては高身長で、スラリとした熟女だった。あえて年齢は伏せるが、本人曰く「永遠の32歳」だそうだ……「おおっ、トウマかい」女性は僕を見て、近寄ってきた...「地図作成は進んでるのかい?」
「はい、ボチボチですが今はやっと、N県の北部が探索出来た程度です」と僕は答えた。
この女性が陳師傅だった、僕に武術を教えてくれている日本語で言えば陳師匠だ。
陳師傅は、「そうかい、時間は有限だよ、急がなければいけないが、焦っては駄目だよ」と言い、次に「型を見せてみな」と言った。
「はい……」と言い、心のなかで『やっぱり……』と思った。
僕は、深呼吸を1回してから、両足を揃え、両手で円を書くように回し胸の前で合わせた、ゆっくりと中腰で歩き、素早く拳を突き出した、その後もやんわりとした太極拳みたいな動きの中で時折、勢い良く拳や肘を突き出して型が終わった。
特徴的な点が2つある。
1つは突き出した拳と同じ側の足が前に出ている点だった、ボクシングのストレートなら、拳とは逆の足が前に出ている筈だ。
もう1つは、拳を突き出す際に飛び込む様にして一気に距離を縮めている点だった。
しかしこんな、見え見えの拳なんて、下手をすれば、『ヤツら』にさえ避けられるんじゃないかと、僕は常々、師傅に言ったものだが、
「当てるのは後、今は拳の威力を上げる為に、身体を弛緩させる事と打撃時の力みだ」と言われ、「大きな力を得たいなら、緩んだ状態が必要なんだよ、緩みを締めて行く際に、力が出るんだ、他にも要点はあるが、お前には先ず自分の運動エネルギーを可能な限り相手に伝える術を学ばなくてはならん」陳師傅は言った、そして、抽象的な自分の物言いを反省したのか、「お前は、体重60kg位だよな、そのお前が、1m程度を飛び込む様にして拳を突き出している訳だ、飛び込む際のスピードが徒歩より多少早い時速6km程度出たとして、ジュール換算で80J程度は有るのか?まぁ実際は、突きだすのは拳だし、関節や軟骨などで、そのままの運動エネルギーは得られない、それでもお前が拳の威力を上げようとするなら、どうしたら良い?」と急に科学的な話をしてきた。
「体重を上げるか、スピードを上げるか」僕は答えた。
「半分正解……正確にはスピードを上げる方が効率が良い、スピードが倍になれば運動エネルギーは4倍だからだ、仮にもスピードを維持したまま、お前の体重が二倍なる事は先ず無いだろう……」師傅は僕を見てウインクした。「だから、型でスピードを上げる訓練をしろってこと?」僕は聞いた。
「正確には時速0キロから最高速までの時間を少なくするんだ」師傅は言い、「ヒントは全て伝えた、弛緩 力み スピードだ、そして、今は大きな動作でその三点追求しろな」師傅はそう言い、「後、基礎訓練を怠っているな、馬歩が不十分だから、突きの時に腰が据わっていない、馬歩は毎朝するんだ、それだけで型が上手くなるから」と付け足した。馬歩とは、騎馬式とも言い、拳法習得時に基本となる姿勢の鍛練方法だ。
足を肩よりも広く開き膝を90度程度は曲げる、腕は前に出して、丁度、馬に乗り手綱を持っている様な姿勢を作り、その姿勢を維持する、地味だ...どうしようもなく地味。スクワットの方がまだ楽しい。
「やっぱりばれてましたか、けど10分するのも辛くて……」僕は泣き言を言った。
「私がしごかれていた時は、馬歩だけで1時間はしたものだ」師傅は呆れた顔をして僕に言った。
「こういった基礎訓練は地味かもしれんが、拳の土台となるものだ、例えば、積木を高く積み上げたい時に、土台が小さければ、倒壊する可能性が有るよな、逆に大きく広い土台があれば、高く積んでも安定しているよな、つまり馬歩は大きく広い土台を作るための訓練だ、わかるか?」師傅は諭すように優しく言った。
「サボってすみませんでした、これからは必ず、毎日します」僕は師傅に約束した。
「前にも言ったが、正しい姿勢を心掛けるんだよ、ただ闇雲にしても意味が無いんだ……」師傅は僕に言い、僕に馬歩の姿勢を取らせて、膝の位置や背筋を矯正してくれた。
「さあ、行くが良い……お前の肩には色々な人の想いが載っかっているな……そして出来る限り皆の気持ちに応えたくてお前は走り回るんだろう……だがな自分だけで全ての期待に応える事は出来んよ、無理をするな、出来ることだけを、ゆっくりと確実にしろな、そして、仲間を増やせ、信用できる仲間をな……そして信頼するな……」師傅の最後の一言が解らず、僕は???な顔を師傅に向けた。
師傅は僕を見て「いつか解るよ……信用しても良いが、信頼はしない方が良いのさ……」師傅はウインクをして、「また、ここに戻って来たら、型を披露しろよ」と言って笑った。僕は師傅にお辞儀をし店を後にした。
帰路途中僕の心は暖かかった、師傅は言ってみれば僕の第2の母さんだ……師傅も口には出さないが……厳しく、優しく、僕に愛情を注いでくれていた。
『僕の肩にはいろんな人の想いが載っかっている……それを解決して、僕の大事な人達を幸せにしたい……母の死を只見ているだけだった……そんな過去を繰り返したく無かった……』僕の頭の中を過去の痛みがぐるぐる回る。
そして、またユキ婆ちゃん顔が浮かんできた、『悲しそうな顔、そして、僕が責任を感じない様、我慢して作った微笑み』……僕が役に立たなかった事が突き付けられたあの瞬間……おっさん先生に助け船を出されて逃げた僕……呑気な会話をしてたけど、おっさん先生は、僕がまた陰鬱とした過去を思いだし、凹むのを、インスタントラーメンの晩飯と、下らないバイクと音楽談義で少しだけ救ってくれたのだ……ただ、今ではこんな自分の至らなさを感じても、それで、どうしようもなく成る程凹む訳じゃない、そんな繊細じゃない、そんなんじゃ、この『荒地』で生きていけないと思う。
僕は何だかんだで、精神的にタフになったのだ、まぁ鈍感とも言えるかもしれない...それでも、色んな悲しみは、小さなナイフとなって僕の心に傷を付ける、死にはしないが、やっぱり痛いもんだ...僕は頭を振り……また歩き始めた……今日はもう1件寄るところがある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます