5、大人と正直者

「なんとかなったわね」


 ネフィーを担ぎ、建物中へと逃げ込んだマリアが息を吐く。

 すでにマリアによってエスト薬を呑まされたネフィーの傷口は塞がっている。一瞬にして傷が消える様子を改めて見て、この霊薬の凄まじさが分かる。


『ヤツの矢の威力があり過ぎたのが幸いしたかもな』


 弓騎士の矢は、その強烈な速度からネフィーに突き刺さることなく貫通し、後方の地面で爆発したとしか思えない振動を生んだ。

 結果、ネフィーはその爆発の全てを自分の身体で受けることはなかったのだ。

 もしあの爆発に巻き込まれていたら、ネフィーの身体は爆散し、流石のエスト薬でも回復はできなかっただろう。


「ネフィーを救い出せて本当によかった。風星の言うことを聞いてネフィーの後を追い掛けてきていて正解だったわね」


 ここまでネフィーをサポートする一方、実は魔法のマイクの切り替えを使い、マリアにも別の指示を出していたのだ。

 ネフィーにバレないように別のルートを使って中央の塔を目指せと。

 自らの縄張りであるこの街を一人で守っている弓騎士の特性を早々に察した俺は、きちんとした手順を踏めばマリアを安全に導けると踏んで、ネフィーに悟られぬように、こっそりと指示を出していたのだ。


『それにしても、あの魔法の弓はかなり厄介だな』


 離れた場所から一部始終を見守っていたマリアの話を聞いて、あの魔法の弓の能力が判明した。どうやらあれは新しい矢を次々と生み出しているのではなく、一度放った矢を手元に呼び戻しているようなのである。

先ほどの戦い。大通りで狙撃された時よりも矢の威力はさらに上がっていたし、何より矢を続けて射る感覚が短くなっていた。

これは、矢が何かに刺さってから魔法で回収しているので、その矢との距離が近ければ近いほど回収速度も上がり、次の矢を射るまでの間隔も短くなる、ということらしい。

 つまりあの弓騎士は、とてつもなく長い射程から強力な攻撃が出来るだけでなく、近づいたら近づいただけ威力と連射速度が増していき、さらに矢が尽きることが一切ないということらしい。


『ただ逃げることは確実にできる。だが倒すとなるとかなり難しいな』


 それは撤退も視野に入れての発言である。

 これに対しマリアはどう反応するだろうか?


「私はネフィーが決めればいいと思うわ」


予想外の答えだった。てっきり逃げるのには反対だ、とでも言うと思ったのに。


『それでいいのか?』

「だってこれはネフィーが始めたことだもの。私も風星もネフィーを手伝っているだけ。最終的にどうするかはネフィーにしか決められない」

『……そう、だな』


マリアのその言葉に、何か強い説得力を感じてしまい、思わず同意してしまう。

 とりあえず街の外で待機しているリンドに今の状況を説明すべく、魔法のマイクの【3】のスイッチを押す。そしてその説明中にネフィーが目を覚ました。


「ここは?」

「ネフィーがやられた場所のすぐ近くの建物の中よ。あいつは目に入った相手にしか攻撃してこないみたいだから、ここなら安全よ」


 床に横になったままのネフィーの顔を覗き込みながら、マリアが答える。


「……マリアが助けてくれたのか?」

「ええ」

「……そうか、風星が私の後を付けさせていたのか」


 一瞬にして状況を察したらしいネフィーは、やはり頭の回転が速い。


「こっちも狙われると思ったけど、風星の言う通りに、ネフィーとは違う離れたルートを移動していたら、不思議と狙われることはなかったのよね」

「ヤツは一人しかいないからな」


 苦笑を浮かべるネフィーもまた俺と同じく、弓騎士の特性に気付いていたらしい。

 ただ言われたマリアは「?」といった顔をしているので分かっていないと思われる。


『さっきマリアと話して、これからどうするかはネフィーに任せようという話になった』

「私が決めていいのか?」


 マリアが「もちろんよ」と頷き、ネフィーに尋ねる。


「ネフィー、あなたはこの後、どうしたいの?」


 その質問に、ネフィーはマリアの手を借り、ゆっくりと上体を起こしながら答える。


「撤退しよう。幸い、あの弓騎士相手なら確実に逃げることはできるだろうからな」

「風星と同じことを言うわね」

「そうか。風星もそう考えているのなら、問題なく脱出はできそうだな」


 弓騎士はあの塔の上から動かず、敵を発見しない限り攻撃してくることもない。矢を射ってくる方向とタイミングは分かっている。塔に近づけば威力も連射速度も上がっていくが、逆に言えば塔から離れれば離れるだけ威力も連射速度も遅くなっていく。

 マリアとネフィーの二人ならば、それで十分に逃げられるだろう。

 ネフィーはゆっくりと立ちあがり、自分の脇腹に目を向ける。


「エスト薬はやはり凄いな。傷が癒えただけでなく、疲れもなくなっている。これならすぐに動けるな」


 その行動から、すぐに出発する意思を見せるネフィー。


「本当にそれでいいの?」


 だが、その背中に向かって、マリアがそう尋ねた。


「……」

「ネフィーは何か思うことがあって、アイツと戦いたいと思ったんでしょ?」

「……リスクが高すぎる。私ではヤツを倒すことはできないことは実証された。ならこれ以上、ここで意地を張る意味はない」

「意味ならあるわ」


 ネフィーが振り返り、マリアを睨む。

 その目にはどこか苛立ちの色が見て取れる。


「面白い。なら聞かせてもらおうか。私がここで無理なワガママを通そうとすることになんの意味がある? 誰が得をするというのだ? そんなモノは存在しない」


 まるで自分勝手な子供に苛立つ大人のように、マリアを睨みつけるネフィー。

 そんなネフィーに向かって、マリアはあっさりと答えた。




「ネフィーがネフィーでいられる」




堂々と、ただ真っすぐに、一点の曇りのない瞳で。


「私が……私でいられる?」

「ここで意地を通すのならネフィーはこれまでと変わらず自らの弓の腕が最も優れていると胸を張り続けることができる。その自信を、その強さを否定せずに済む。なによりあの弓騎士と戦いたいと思ったネフィーが、それを我慢するネフィーにならずに済む。それってとても大事な事でしょ? 誰の為でもなく、誰の評価も関係なく、ただそうありたいと願うネフィーにとって何より大事なことでしょ?」


「……マリア」

「それにネフィー一人で勝てなくてもいいじゃない。ここには私もいるし、それにリンドだっているし、ついでに風星だっている。リスクがある? 上等じゃない。だったら全員で跳ねのければいい。一人じゃなく全員で勝つ。それってネフィーたちが私に教えてくれたことじゃなかったっけ?」


 その純真な言葉は、聞いている者の胸に響き、感情を高ぶらせる。

 素直で飾らない、ただただ本当に大事なことだけを迷いなく示すその姿に、思わず魅入ってしまう。

そう感じたからこそ、思ってしまう。

 確かにこのお姫様は、非常に揶揄い甲斐のあるアホな様かもしれない。

 だがしかし、マリア・リナ・リセシアは間違いなく万人から聖女として崇められるだけの気質を持った存在なのだと。どこまで真っすぐな、英雄としての才覚を宿した傑物なのだと。


「もう一度聞くわよ。ネフィー、あなたはこの後、どうしたいの?」


《白盾のマリア》は、もう一度、同じ質問をする。

 先ほど違うこと。それはネフィーの瞳に熱が籠っていること。


「マリア王女に頼みがある。私がヤツを倒すのに協力して欲しい」

「もちろんよ。それに風星もやるって言ってるわ」

『いや、まだ言っていないんですけど。言うつもりだったけど』

「あとはリンドだけど、きっと協力してくれるわ」


 魔法のマイクで二人の話を伝えると、一人街の外に残るリンドはグッと杖を握る。


「ここで反対しても私抜きでやるんですよね。なら私に選択権はありません」


 非常に不機嫌そうだ。だがこうも口にする。


「風星さん。ネフィーさんに、やるからには絶対に勝ちましょう、と伝えて下さい」

『ああ分かった』


 その胸を伝えると、ネフィーが微笑む。


「これは絶対にやらなければならないな」


 三人の思いは重なった。

 そして聖女様が堂々と口を開く。


「それで? 私たちはどうすればいいの、風星?」

『全部俺に丸投げかよ!』

「だって考えるのは風星の役目で、実行するのは私たちの役目でしょ? 働かないならご飯抜きよ」


 まったく、このお姫様は。


『へいへい、お任せ下さい、聖女様。とびっきりの策を考えてみせましょう』

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