1章11話 新入生代表の才女が、勝利のために素肌を晒す件について(4)



 これが最強。これが唯一無二のEXランクの神託者。

 まるで眼前のアルベルトは、ただ立っているだけで、言葉ではなく実力でそのことを証明してみせているようだった。楽観的、幸福な夢から覚めるような感覚。次いで、夢から覚めたら悪夢が始まったような感覚。


 相手に対する絶望よりも暗く、自分への失望よりも深いこの感覚の正体は、そう、間違う余地なく無力感と呼ぶのだろう。


 そして今、アンナは遅ればせながら心得た。

 嗚呼、自分には勝つための意気込みは足りていたが、当然、気持ちだけではこの男を倒せない、と。


「ハッ、ハハハ……」


 と、アンナは笑う。

 どこか壊れたオモチャのように。


「どうした? 力の差は歴然だと、骨の髄まで響いたか?」


 アルベルトが冷たくも訝しむように訊くと、アンナはいつの間にか俯いていた顔を上げる。

 不可思議――しかし、彼女の双眸にはまだ闘志の炎が燃え盛っていた。心はまだ、死んでいなかった。否、逆に『一周回った』のだ。開き直ったのだ。ゆえにその瞳の深奥にて、闘志は決闘開始の直後よりも数段ギラついている。


 アルベルトは想う。

 嗚呼……、この女性は恐らく、振り切れたらヤバイ類の人間だ、と。


「確かに、先輩はアタシよりも強いです」

「当然だな」


「だけど――最強っていうのも、意外と虚しいモノですね」

「――――なっ」


 声を漏らしたあと、そこで初めて自覚できた。

 学内の戦闘では、恐らく1年以上ぶりに、自分が言葉を詰まらせた、と。


 それもそのはず。

 信じられないことに、この窮地にアンナはアルベルトを再三、挑発した。挑発というのは戦闘の際、互いの実力が拮抗している時に行われるもの。それが違ったとしても、少なくとも今の彼女のように、圧倒的な実力差を見せ付けられ、心が一度折れかかった弱者がするようなものではない。


 どのような思考回路をしていたら、このタイミングでアルベルトを煽ろう、なんて結論に至るのか。

 加えて、繰り返された挑発の相手はよりにもよって、他ならぬ唯一無二の最強、アルベルト・ナハトヒューゲルなのだ。挑発の結果がどうなるかなど、想像するだけでも恐ろしい。


「理由は?」

「――いつか、アタシが、絶対に追い抜くから」


 と、アンナはアルベルトを嘲笑するように挑発を締めくくる。

 そして訪れる無言、静寂の時間。ステージに立つ2人はもちろん、今までアルベルトのことを応援していたファンクラブの会員や、その他の観客さえ言葉を失う。


 アルベルトは今まで何回も決闘を挑まれ、常勝無敗の戦績を誇ってきた。しかし、まさか彼を相手に挑発を3度も繰り返し、あまつさえ最後まで口を開かせてもらい、彼が許してくれた者はいない。


 水を打ったように広がる静寂。

 観客とはいえ決闘の舞台に上がっていない部外者がそれを壊すことは許されない。


 そしてアンナは静寂を作った側の人間だ。

 ゆえに、この瞬間、この場所で、静寂を壊すのに相応しい人間は彼を置いて他にいない。


「――――懐かしい」


 この時初めて、常に無表情に近い死滅した表情しか浮かべなかったアルベルトが笑った。それも先刻のように薄く笑ったのではなく、誰の目から見ても明らかなほど表情豊かに、加えて好戦的に歯を剥き出しにして笑っている。

 重ねて、アルベルトは口を開いた。


「君の名前はアンナ・ハーフェンフォルトと言ったな? 改めて、確かに記憶したぞ。俺は君のような身の程知らずを、どうも嫌いになれなくてね」

「アタシの名前を――、あの、アルベルト・ナハトヒューゲルが――」


「今回は俺の勝ちだが、また、幾度となく挑みにこい。俺にとって、君にはそれだけの価値があり、それを示したのは他ならぬ君自身だ。まぁ、無自覚だとは思うがな」

「~~~~ッッ!?」


「誇っていい。胸を張っていい。君より強い者は大勢いる。Aランクの神託の上にはSランクの神託がある。しかし、大言壮語もそこまで行けば1つの長所だ。先ほどの発言で君の心を完璧に折ったつもりだったが、君のメンタルはかなりモノだと保証しよう」

「――ありがとう、ございます」


「さぁ、最後も君の方から挑め。待ってやる。希望を残し、悔いを残すな」

「――――ッッ」


 言われると、アンナは数回、深呼吸を繰り返す。

 精神状態を落ち着かせることに成功すると、一回だけ瞑目。


 続く刹那、開眼すると、澄み渡るような冴えた意識の中で、この決闘において最後の〈万物を光に還す理法〉を発動させようとする。

 勝利を掴むにしても、敗北を知るにしても、どちらにせよ、だ。


 挑むのは自分が持つ中で一番の大技、敵が待ってくれないと使えない欠陥技能。

 迎え撃つのは自分の熱意――否――根性を認めてくれた憧憬の実力者。

 相手にとって不足はない。シチュエーションも十分を超えて十二分。


 アンナは純水のようなクリアな頭で儚く想う。最後に、技名ぐらいは叫んでおきたい、と。

 ならば叫ぶべきだ。かの学園の序列第1位の頭蓋に、己が大技の名前を叩き込んでやろう。


 いざ、アンナは気合いを入れるべく、そのように心を決める。

 九回連続で自身の身体を光に変換し、一つの終着点で結ぶ光化瞬動の到達点たるその技の名前は――、


「光化瞬動、九連一結――ッッ!」

「――アイゼンエーデ流剣術、五式。――〈死への行進曲トラップマーチ〉」


 それは瞬間的な瞬間、刹那を永遠に引き延ばしたうちのさらに刹那、0・1秒にも満たない間隙に行われた、両者たった一度の攻撃の始まり。


 アルベルトの利き手は右手なので、最終的に彼の左側に着地するアンナ。

 翻り、彼は利き手ではない左手でも充分に攻撃を繰り出せる修練を積んでいた。ゆえに、彼女が着地する『前』に、事前に自分の左側に攻撃を仕掛けるべく構えておく。


 そのことにアンナは目を見張り、しかし模造剣を振るい始め、片やアルベルトは事前に構えていたので彼女よりも数瞬だけ先手を打ち、手を振るう。


 瞬きをしたら見逃すほど早く――、

 学生の実力を優に超えるほど速く――、


 両者の手、腕が残像を置いて霞むほど疾い両者渾身の一撃。


 それを勢いよく大気を突き進み――、

 ついには風切り音を鳴らせ――、


 アルベルトの手刀はアンナに――、

 アンナの剣はアルベルトに迫り――、


 そして――、


「…………っっ、…………、ぁ」

「俺の勝ちだが、恥じることはない。成長という炎にはいつだって、敗北という薪をくべる必要がある」


 アルベルトの手刀がアンナの『アゴ』を強く掠め、彼女の気絶によって此度の決闘は幕を下ろした。


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