三十二章
俺達をハラハラさせた突発性言語野急発達症もようやく落ち着きを見せ、落ち着いたとはいっても名付け親の遺伝子、いや名付け親の意思を受け
城内は、マナーハウスやギルドハウスから大勢の客がお年賀のあいさつに訪れ、寒いながらもにぎやかだ。俺達も
「マイロード、マイレディ、明けましておめでとうございます」
「修道士殿。明けましておめでとう。今年もよろしく頼む」
新年のあいさつは洋の東西、時の
粉雪の舞うある晩のこと、その日一日ガタガタと凍りそうになりながらおむつの洗濯を手伝っていた俺は、冷たい石の礼拝堂の隣にある自室の
「ど、ドナタ?」
声変わり前の少年のような裏声で呼びかけると、
「……」
足音の主は、言わずとも分かると思うが長門だった。
「どうしたんだこんな夜中に」
夜中つってもたぶんまだ十一時くらいだと思う。長門は
「……侵入者の気配がある」
吐く息が白く曇っている。あなたが侵入者なのでは、とツッコミを入れる
「
「……鉄じゃない、石」
俺は突っ込まれる
俺は長門の手を引いて裏口から塔に入った。入口に立っていた番兵のひとりに、
廊下のカーテンの裏やトイレの中など、誰かが隠れられそうなところを
「おおっと、あなたが武器を持ち出すなどいったいなにごとですか」
「長門が、誰かが忍び込んでる気配がすると言うんだが」
「了解しました」
古泉は即答でうなずいて、連れの番兵に寝ている全員を集めろと指示していた。
古泉の命令で集められた眠そうな兵士たちには悪いとは思いつつ、それぞれが担当する場所に散っていく皆の背中を俺は頼もしげに
二階の大広間でじっと
「サーコイズミ!
どうやら伯爵の寝室に入り込んでいたらしい。部屋の鍵が開いていたので兵士の一人が
「おい、伯爵はどこだ」
「ベットにはいません」
寝ているはずの伯爵がいない。枕を触ってみるが冷たい。
「
「全員で探しましょう」
古泉はお手柄の兵士三人の表彰もそこそこに、捕まえた容疑者を地下牢に引いていかせた。
部屋の窓はきっちり閉まっているし忍び込めるような
「コイズミ殿、いったい何の騒ぎだ」
開いているドアから、眠い目をこすりこすりパジャマ姿の伯爵が現れた。かわいらしいナイトキャップを被っているがもしかしてそれは朝比奈さんのお手製ですか。後ろからその朝比奈さんも乱れた髪を気にしながら伯爵の影に隠れている。
「マイロード、今までどちらに」
「えーと、まあその、なんだ。妻の寝室にいたんだが」
ポッと
「
「ほう、
あなた
「朝比奈さん!ハリーは?ハリーはいったいどうしたんですか!?」
誰も
「えっと、今日はたしか……」
「ちょっと伯爵!いったい何の騒ぎよ、ハリー坊やがせっかく寝付いたとこなのに!」
ドアを蹴って入ってきたハルヒがハリーを抱いていた。どうやら起こされて
「あら、涼宮さんが面倒を見てくれていたのね」
ハルヒとヘンリーのセットをほほえましく
「
俺たちは別に速射砲で撃たれたわけじゃないのだが、蜂の巣をつついたような騒ぎと言いたいんだよな。
「もう大丈夫だハルヒ。正体は分からんが盗賊かなにかの一味が侵入したらしい」
「まったく
お前がその盗賊のボスだったわけだしな、などという突っ込みが脳裏に浮かんだらしい伯爵と朝比奈さんが
「どうだろうコイズミ殿、その
「そうですね。もう遅いですし」
やれやれ、一件落着か。なにごともなくてよかった。ハルヒは侵入者などはどうでもいいらしく、
「人騒がせな連中はほっといて寝ましょうねハリーちゃん。今度は演歌を歌ってあげようかしらねぇ」
伯爵と朝比奈さんは元の寝室に戻るのがおっくうらしく、今晩はこっちの部屋で寝るとのことで、古泉がランプをテーブルの上に置き俺たちは部屋を出て行こうとした。ハルヒに抱っこされていたハリーがふつと泣き止み、天井の
「誰かいます!」
と叫ぶのと天井から人影が降ってくるのとが同時だった。
「下がって!」古泉は
そのときの伯爵の表情は恐怖でも怒りでもなかった。長い騎士人生のあいだに染み付いたなにかの覚悟を浮かべ、ただし小さな無念さが
起き上がった古泉が
「おい長門!!」
俺は長門に駆け寄った。空中のなにかを
「大丈夫か」
「……問題ない」
俺のときのように胸に穴が開いたり手のひらが焼け焦げたりはしていなかった。長門が指先で
「ミス・ユキリナ、大丈夫か。どこかに矢が刺さったのでは」
「長門さん、
「……大丈夫」
「まさか二人目がいたとは。もしかしたら三人目がいるかもしれません。城内をくまなく探させます」
「カ、カッコイイわっ」
一部始終をリアルに
「いえいえ、僕は
肝を冷やしたプチバトルシーンにもかかわらず
「あんたアサシンよね、すっごいじゃん。どうやって忍び込んだの?壁登ったりできんの?二刀流できる?」
「敵を
「うっさいわね、これこそニンジャよニンジャ。忍びの道に生きる者の志は西洋も東洋も同じなのよ」
ハルヒの脳内ではたぶんフードを被ったなんとかローグみたいなキャラを妄想しているのだろうが、忍者がいつでも
ヒーローキャラを
「んで、誰に雇われたのあんた、あぁん?」
真顔でペシッとひっぱたいた。子持ちのヤンキーの姉ちゃんみたいになってるぞ。
「おいハルヒ」取調べはお前がやることじゃないだろ、と言おうとしたのだが、
「言わないとネズミの入った樽に頭だけ突っ込んで頭の皮から少しずつ食べさせるわよ」
どこの国の拷問だそれは。妙にビジュアルが浮かんでなんか吐きそうになってきた。
「フィリップ陛下だ」
なんかあっさり吐くなこいつ。耳の中にナメクジを入れるとか針の山を歩かせるとかやんなくていいの? 顔をブンブンと横に振っているが。
「いい
「フィリップ陛下のご命令だ。
十マルクっていやあ十三シリング、日本円だと四百八十万だぞ。相当な金だぞ。ところがそいつの顔を見ると、自分は何も言っていないという風にブンブンと首を振っている。なんか長門の口元が微妙に動いてるのだが気のせいか。
「あのー、長門さん? あなたはいったい何を
「……今のは、腹話術」
いや、こういうところで声が遅れるなんとか堂みたいな技を
「ふーん。リチャードが捕まったときもおかしいと思ってたけど、そういうことなの」
「なにがそういうことなんだ?」
「キョン、いくら寝ぼけてるとはいえちょっとは頭使いなさい。古泉君に説明してもらうばっかりじゃ話についていけないわよ」
くっそ古泉に聞こうと思ったら先に釘を差された。伯爵が口を開き、
「まさかフィリップが直接手出ししてくるとはな」
伯爵は、忍び込んだのがただの盗賊ではなかったことを知り、はじめて怒りの色を見せている。フィリップというのはフランスの王様で、十字軍遠征のときにも出てきたが、うちの王様とレオポルトと一緒に戦った盟友である。
「しかしなんであなたが狙われてるんです? 王様ではなくて」
「リチャード陛下が誘拐されたとき、フィリップは陛下を亡き者にしようとしたのだ。イングランドの貴族を分裂させ、何人かを抱き込んで
言い
「コイズミ殿、急ぎウェストミンスターに伝書を出してくれ。それから町の入口に番兵を増やして警備を強化するように。今後もこういう事態が起こるやもしれん」
「かしこまりました」
伯爵は書斎に入り、残されたメンツはヤバかったけどかっこいいシーンを見たことに満足しつつあくびをしながらそれぞれの寝室に戻っていった。俺たちはこれがもっと大きな何かの
アサシンを撃退してからというもの、伯爵の指示により街の警備が格段に厳しくなった。いたるところに兵士が立っているし、見慣れないやつが
グロースターだけではなくて、ロンドンや周辺の州も兵士の移動も多くなった。武器も兵士の数も増強されていて、庶民の間では、どうやら戦争が近いらしいとのもっぱらの噂だった。
そんなピリピリした空気が続く、三月のとある日曜日。午前中はずっと城の礼拝堂でミサをやっていて、俺は昼からハリーの昼寝に付き合うことになった。街の中というか城そのものの警備がやたらと厳しく、建物の出入りにまでいちいち門番のチェックが入るようになって顔パスでの素通りが
俺はスペアのおむつセットをカゴに用意し、修道服の上からハリーをおんぶして、ヒモをたすき掛けにして
「おーいハリー、誰もいないときはしゃべってもいいんだぞー」
あれだけしゃべるなと釘を刺されたのに今頃なにを言ってんだと、怒ったらしいハリーは大きな音でお尻の穴から返事をした。背中から得も言えぬ
「ちわっすシスター」
「おおぅ、ブラザージョンにハリーちゃんかい」
産院の部屋に入るといつもの修道女コスプレの鶴屋さんがいた。
「ちょっとハリーが鼻水垂れてるんで
「ふーん、鼻水ねえ。どれどれ」
鶴屋さんはハリーのおむつを替えながら、
「熱もないし、問題ないっさね。そんな気にしなくてもいいと思うよ」
「そんなもんですか」
「赤ちゃんには自浄する本能があっからね。やれ乳吐きだゲップだやれ鼻水だと神経質になるこたあないよ」
「なるほど」
ハリーは鶴屋さんの前では常におとなしい。俺のときは例の新生児スマイルとやらを行使し足をバタバタやってなかなかおむつをさせてくれない。
「もうしばらくここに寝かせといていいですか。今ちょっと帰りづらい雰囲気でして」
「いいよ。ハリーちゃんも少しピリピリしてるみたいだけど、なんかあったのかい?」
赤子を
「ええっと、実は、」と俺は事情を明かしていいものか迷ったが、「ええと実は口止めされてたんですが、少し前に
「ほーう。
それは族違いでしょう、ってなんでそんなネタ知ってるんですか。
「ノルマンディからわざわざお越しいただいたらしいです」
「そりゃたいへんだ、フィリップ二世の陰謀かね。無事なんだろうねロードシップは」
「ええ。敵は二人いたんですが、古泉と衛兵が捕まえました」
「あたしの知らないところでそんなことがあったなんてねえ、なんだか
「ええ、すぐにとっ捕まえたので、誰も傷ついたりはしませんでした」
「こういう時代だし、母子だけでもどこかに安全な場所に
「どこかって、どこにです?」
「だから、たとえば実家とかさ」
とはいっても、朝比奈さんの実家はずっとずっと未来のどこかで、この国のこの時代にいること自体が旅の途中みたいなもんだからなあ。
「まあ今は里帰りは無理ですかね」
「なんでさ、馬車と従者だけ連れてさくっと帰りゃいいじゃん」
「それがその……レディシップの実家はかなり遠いんです」
「遠いってペルシアあたりかい?」
一瞬だけペルシャ風のコスプレをして半月刀をふり回す朝比奈さんが浮かんだが、
「いえ、もっとその、地理的にではなくて……」
微妙に話題がまずい方向に行きそうなのでモゴモゴとごまかした。
「ブラザージョーン、前から聞いてみたかったんだけどさあ」
「な、なんでしょうか」
俺はビクっと身構えた。こういうモノの尋ねられかたをするときは、たいてい禁則事項に抵触する。
「キミタチ、どっかに行っちゃうのかい?」
「な、なぜまたそんな
「なんていうかさあ、足が地に着いてないっていうか。あたしはここで生まれ育ったから分かるんだけど、五人ともここで暮らしてるのに安心感がないんだよね」
「そうでしょうか。俺的にはわりと
「地中海から帰ってきたときも、ミクルが結婚して城に入ったときも、ハリーが生まれたときもだけど、なんだかいつも義務感を背負っててさ。自分ちだとそこで守られてる
なんというか、鶴屋さんはどの時代にいても
そんな鶴屋さんに隠し事をする意味もなさそうだし、いずれは朝比奈さんの口から伝わることになるかもしれない。
「シスターには言っといたほうがいいかもしれません。俺たちは、というかミス・スズミヤはある目的でこの国に来たんですが、それにくっついて来たのが俺たちでして」
「ほうほう」
「それもどうやら目的を達したようなので、そのうち元いたところへ帰ることになるかもしれません」
「なーんだ、やっぱりそうなんだ」
「でもレディミクルが結婚して子供まで出来てしまうとは、まったくの想定外でして」
「ハルにゃんが帰るとすると、ミクルも実家に帰るのかい?」
「分かりません。どうやったら帰れるのか、一度帰ったら戻ってこれないような場所なので……」
「ふーむ。そいつは困ったね。ミクルの故郷が海のはるか向こうだったとはね」
「海じゃありません。時の向こうです」
俺は修道服の袖に隠していた腕時計を出してみせた。
「な、なんじゃこりゃあ!ブラザージョーンがまさかのイタリアンだったとは」
突っ込みどころそこですか。
「これは時を計る機械でして、俺たちはずっと未来の、今から数えるとたぶん八百年くらい後に生まれるはずの人間なんです。そこから伯爵を訪ね求めてやってきたわけでして」
「へえー、そんな遠い国からわざわざねえ。ロマンだねえ」
「ロマンというか、こないだハルヒが決闘騒ぎを起こしたでしょう。あれが目的だったらしくて」
「あはははっ、宿命の対決かね。ハルにゃんらしいや。それで、ミクルの実家ってどんな国なんだね?」
「どんなというか、便利にはなりましたね。馬より早く走る車とか、遠くにいても話ができる小さな箱とか、絵も送れます」
「へえええ。時を旅するのもそうなのかい」
「いえ、それはまだまだ先みたいです」
「先って、この小さな機械でいうとどれくらいなんだね?」
「えーっと、どれくらいでしょうね。俺にもよく分かりませんが、その短い針が二百万回くらい回ったくらい、でしょうか」
鶴屋さんはぐるぐると回る時計の秒針を必死に目で追い続け、
「ブラザー、あたしゃなんだか頭痛がしてきたよ。この動いてる針はいったいいつ止まるんだい」
そう、止まってくれればいいんですけどね。
「レディミクルは俺たちよりずっと先の時代の人なんです」
「ほええ。あんな素朴な子がねえ。未来でも人間は変わらないもんなんだね」
「たぶん中身はなにも変わってないと思いますよ。泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだりは相変わらずです」
「じゃあ、誰かに
「それがレディミクルには、恋愛しちゃいけないっていうルールがありましてね」
「なんでさ?誰を好きになろうが本人の勝手じゃん」
「この時代は俺たちにとってはすでに過去になっているんです。俺達のうちの誰かが、この時代の誰かと結婚してしまうと、生まれるはずの人が生まれなかったり、いないはずの人が突然現れたりするわけで」
「うーん。難しいことはよく分からんけどさ。ミクルにとってはすでに過去の話かもしれんけど、伯爵にとっては現在進行中なんだよ。少なくとも、ここにあるもんは」
と言いながら、鶴屋さんは左胸をトントンと叩いた。
「ですよね。目の前でレディミクルがすんなり結婚して家庭を持ってしまうと、そういうもんかなーと考えたりもしたんですが。でも未来にも家族を残してきてるはずで、俺たち全員が未来での人生を中断したままだし」
「ふーむ。どっちの人生を取るか。確かにミクルにとっては重い選択だったかもね」
「そしてその選択はまだ決着がついてないんじゃないかと」
「というと?」
「帰るときがきたらどうするつもりなのか、レディミクルからまだ何も聞いてないんです」
「なるほどねえ。五人のなかでブラザージョーンはみんなの世話役なんだね」
「え、まあ。そういうもんかもしれないですね」
「ブラザー、心配しなくてもいいさ。もしものときはあたしがミクルの面倒をみるっさ。それがあたしの使命みたいな気がするんだよね」
「その言葉、レディミクルが聞いたら泣いて喜びますよ」
「あははは。面と向かってそんなこと言えないさね、二人とも恥ずかしいよ」
鶴屋さんは照れ隠しなのか俺の頭をぺしぺしと叩いた。いやいや、あなたのさりげない優しさには、朝比奈さんはいつも感謝してると思いますよ。
「でも、あんまり幸せそうにしているレディミクルにどうするつもりなのか聞くのも、なかなかタイミングがつかめなくてですね」
「あたしは思うんだけどさ、ミクルが結婚したときにすでに心積もりは決まってるんじゃないのかな」
「心積もりというと?」
「この人となら一緒に死ねる、って覚悟さ」
「覚悟……ですか」
俺の脳裏には、小さくグーを握って宇宙人長門ユキとの最終対決に臨む、未来人ウエイトレスの姿がかすかによぎった。
「覚悟がなきゃ、わざわざ戦場まで会いに行ったりしないって」
「まあ、レディミクルがずっと
「それによく言うよね、愛があれば時間差なんて」
それは年の差じゃないかと。
俺と鶴屋さんの、未来や結婚や運命論みたいな込み入った話もハリーには興味ないようで、うつ
三時の
「ここにいらっしゃいましたか、今すぐお戻りください」
よほど急いでいたとみえて息も絶え絶えの古泉だった。いつもの
「どうした古泉、なんだその格好は
「ことによるとそうなるかもしれません」
「って、まじで始まったのか!?」
「リチャード陛下からの特使で、対岸に軍が結集しているという知らせがありました」
「対岸ってフランス側?」
「その通りです。イギリス海峡を挟んだカレー海岸に軍勢が押し寄せています」
「古泉も前線に出るのか」
「ええ。配下の兵士を連れて行きます」
「そうか。無傷じゃ済まされんな。けど、にらみ合ったまま終わるってこともあるわけだよな」
「どうでしょうか。一度軍を召集したからには、なにがしかの手土産がないと武将たちの気持ちの治まりがつかないものですから」
神の名を借りて遠征の次は貴族同士の
俺は鶴屋さんに急用ができたから城に戻ると告げて、ハリーを抱っこして産院を出た。古泉は城には戻らず、ほうぼうの村のマナーハウスを巡回して
城に戻ると重装備の兵士が忙しく走り回っている。騎兵のほかに槍兵、大勢の
「おいちょっと、そこの新兵くん」
「な、なんでやんしょうブラザーの
「教えてくれ、どこに行くつもりなんだ?」
「ええっと、ドバドバ海峡とかいう海だと聞いておりやんす」
「そうか。勝てそうなのか?」
「まっかせてくだせえ、英国の
「ほーう。イングランドはいつから軍艦なんか持つようになったんだ?」
「ハウッ、き、去年くらいからじゃないっすか
「近頃じゃ鉄カブトに黄色いリボンを付けるのが流行ってんのか」
「な、なに言ってんで
「紋章つったらその、お前が抱えてるサナダムシがのたくったみたいなペナントだろ」
「やだなぁサナダムシだなんてグロい話は。こいつぁグロースターの
「あきらめろ。お前を戦場に出すわけにはいかん」
バレてないとでも思ってたのかこいつは。カブトを脱ぐとハラリと髪がこぼれキリリと吊り上がった眉毛が現れた。目ン玉のキラキラ度がクリスタル並だ。
「チッ。団長自らみんなのために戦おうってのにい。
取締役っていうかまあ、俺はお目付け役みたいなもんだしな。これも仕事だ。
「っていうかその鉄カブは朝比奈さんの元カレだろ」
「元カレなんて人聞き悪いわね、身代わりと言いなさいよ」
朝比奈さんが枕にカブトをかぶせて抱いて寝てたのをなぜか俺は知っているのだが。
グロースターで現役の士官をやっている騎士さん以外に、普段は領内の田舎で荘園管理を任されている退役した騎士さんたちが馬を駆って城に集まってきている。馬を降りて長剣を腰に下げると首を何度か回してポキポキと関節の音を鳴らし、オホンと咳払いをして存在をアピールするや、群れていた若い兵士がささっと道を空けるなど老練の
積もる話は後で、と爺さん達を客室に追いやり、伯爵は
伯爵は両手の革のグローブを外して我が子を抱きかかえ、
「修道士殿、聞いたとおりだ。出陣することになった」
「本当にはじまっちゃうんですか」
「私にも分からない。リチャード陛下は極力開戦を
「グロースターの経済はかなり苦しいですから、なるべく……」
俺には外交のことは分からんが、州の財務担当者らしく苦言を
「まあ、イングランド全土がそういう状況だな。経済が行き詰まるとそれにつけ込んで隣国が攻めてくる。今回のように」
いつものことさ、という具合にハリーのほっぺたをプニプニと指でつついている。
「フィリップさんがうちの王様の
「そう考えていいだろうな」
「でもまさか全軍を投じてまで領地を欲しがるとは、背後から別の国に狙われるリスクを犯すだけの価値があるんでしょうかね」
「それがだな、フィリップだけではなさそうなのだ。十字軍遠征の
「背後を固めての連合軍ってことですか」
「そのようだな」
この三人は十字軍のときの同盟軍だ。つまり今回の敵はフランスとオーストリア、そして神聖ローマ帝国の連合軍ってことになるのか。これは困った。
どの国の王様も貴族もだが、どうやって自国の経済を
なので、これが必ずしも全面戦争になるというわけではなさそうだが、なるべく
そこへ古泉が呼びに来た。
「マイロード、会議が始まります」
「分かった、すぐ行く」
俺は伯爵からハリーを受け取り、後ろ姿に向かって小さな右手を振ってみせた。
「どうだハリー、よく見ろ。お前の親父はなかなか頼もしいだろ」
ハリーはなにも
ハリーの母親を探しているのだが、出陣の手伝いに
もしかしたら出陣前に
「修道士殿、よろしかったら同席してもらえないだろうか」
「え、俺がですか。戦術とか戦場のことはあんまり、」
職業柄まったく
俺は
大広間に入るとすでに長門も呼ばれていて、俺は肩に触れてその脇に座った。
「長門、ただいま」
「……おかえり」
「
「……」
少し
会話が聞こえたのかどうか、
「修道士殿、
「会議に参加するのはまったく構わないんですがマイロード、そこにいる古泉と、俺とユキリナが参加してるのに一人だけ呼ばれてないとなると後でごねそうなやつが約一名ほどいまして」
「ああそうか、それもそうだな」
後始末に手を焼く俺の苦労を察してくれたようで、ドアの前にいる衛兵に頼んでハルヒを呼びにやってくれた。どこかその辺で兵士とたわむれているのだろう。
部屋の真ん中には、いつも皆で飯を食っている長方形のテーブルではなく大きなドーナツ型のテーブルが置かれている。おお、これぞ円卓会議か、などと
十分ほど待たされた後に、ガシャガシャと
「もうあたし忙しいのになんなのいったい何の呼び出しなの! なんで皆で
階級章やら勲章やら
「お黙りなさい」
朝比奈さんがぴしゃりと
伯爵が手招きして端の椅子を指さすが、そこには座らず、招かれざる客のハルヒは堂々と真ん中の椅子に割り込んだ。俺と長門は壁際の椅子に
朝比奈さんは
「では、先ほどの続きだが、」
この即席会議室にはパネルもホワイトボードもなく、無論プレゼン資料などは配られていない。伝えられたことは各自ですべて記憶しなければならんようだ。
「先ほどの続きだが、敵の船団のほとんどはカリーの港を出たとのことだ」
「こっちの
「敵の上陸地点がおそらく、ヘイスティングス海岸だろうと見ている。つまりそこになる。過去にあったからな」
「敵の規模は?」
「歩兵にしておよそ八千、多くても一万だろう」
「こっちの戦力は?」
「その半分だ」
黙ってろと目で制するのも効かず、いちいち質問を
「半分って……ぜんぜん勝ち目ないじゃないの」
「正直に言おう。我々は戦力から言っても最初から不利だ。ノルマンコンクエストの再来になるかもしれない」
絶対数でまったく頼りない戦力の差を知り、騎士全員がため息をついた。ノルマン王朝である現在のイングランドが、大陸のノルマン人から攻められるというのは何の因果だろうか。イングランド貴族はすべて
長門の解説によると、ノルマンコンクエストのときの地元イングランド軍は七千人くらいいたらしい。あれから二百年
「そこで今回の作戦だが、」
そうそうそれよ、という風にハルヒはつんつんと指さした。
「なにぶん武器も兵士も足りない上に、借金の返済のため
つまり、歩兵に上陸される前に船をできるだけ沈めてしまえということだ。飛び道具がちゃんと当たればいいんだが、こないだのアッコンの城塞攻めを見る限りあんまり期待できなさそうだな。
「自陣の配置は?」
「ミス・スズミヤ、
それから砂浜での戦い方について
「以上だ。なにか質問は」
騎士さんたちは互いに顔を見合わせたが、聞きたいことはさっきからハルヒが口出ししていたので特に無いようだ。
「あの、マイロード」
ひとつだけ気がかりなことがあったので俺が右手を挙げた。
「修道士殿」
「そもそも戦いをしかけてくる理由は何なんですか」
「それなんだが、」伯爵は胸のポケットから手紙を取り出して、「フィリップからの通告によると、イザベラ・オブ・アングレーム
「解放!?」
そこで一同ははじめてエエェと驚きの声を上げた。なんでまた朝比奈さんなのだ。
「なんでみくるちゃんなのよ」ハルヒが噛みついた。
「レディ・イザベラ・オブ・アングレームについては、もともとフィリップ家臣のユーグ・ド・リュジニャン伯爵が
全員が朝比奈さんを見た。我らがレディは
「ははぁあん。さては
「それだけではない。彼女はグロースター
「なんとまあ、嘘で塗り固めた上に正義の味方気取りかよ」
俺の口からつい出てしまったが、皆が
「フィリップとユーグの狙いはアングレーム領だろう。領地からの収入を当てにしていたのが手に入らなくなったために頭にきているようだ」
そんな国レベルでゆすりみたいな、なんで赤の他人のフィリップに
「伯爵、その
「陛下の手紙によると、どうやら本当らしい。アングレーム領の司教も認めている」
これはややこしい話だ。忘れ去られてすでに時効になってしまったような昔の契約書を持ち出して権利を主張しているのである。古泉が手を挙げて、
「マイロード、バチカンに取りなしてもらうことはできないのでしょうか」
ああ、そうそう。こういうときにこそ教皇様の
「先日の
「報復と申されますと?」
「陛下が返礼にと差し向けた
あっちゃー、
「まさか本当にやってしまうとは、陛下も引くに引けない事情になってしまったわけですね」
「そのとおり。ご本人も
真っ青になって口をあんぐり開けている王様を想像したのか、皆笑いを
伯爵は椅子から立ち上がり、
「諸君、聞いたとおりだ。この戦いは我らが命をもって正しきを証明する
テーブルの上に
「武運を」
こういうときのために用意しておいたらしい、銀の
「おいハルヒ、まさかとは思うが、」
「プハーッ、なによ」
「お前まで出陣するつもりじゃないだろうな」
「当然でしょ、あたしが出なくてなにがSOS騎士団よ、ヒクッ」
「だからダメだとあれほど言っとるだろうが。そんな危ないものよこせ」
「だ、誰が渡すかヌグググ」
俺がハルヒの腰に下がっているエモノを取り上げようとすると、
「ミス・スズミヤ、あなたには城の守りをお頼みしたい」
伯爵が堂々たる
「なんで
「こういう事態ではなにかと
「うーん……しょうがないわね」
城からはだいたい八百人くらいの兵隊さんが、少しずつ列を組んで出陣している。俺は祝福をせがまれたが一人ずつやってる時間がないので、小隊ごとに養鶏場の鶏の
グロースターの街は嵐の前の前夜祭のような空気に包まれ、はじめて
朝比奈さんは、もう十分に整っているはずの伯爵の
「マイロード、無事に帰ってきてくださいね」
「もちろん
それからじっと見詰め合う目と目、伯爵の手が朝比奈さんの肩に乗り、唇と唇が近づいて重なると、ハルヒが胸に手を当ててハァとため息を
古泉が硬いブーツの足音をさせながら呼びに来た。
「マイロード、そろそろ
「分かった、行こうか」
街の城門には馬の
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