二十八章

 高貴なる弟くんが城門から消えてしまい、皆が朝飯のテーブルについて、まあいつか彼が婚約したら花でも贈ってやろうなどという雑談をしているのは、多少なり罪悪感にかられているからだろう。

「いい人なのに、実にもったいない」

「じゃーあキョンが結婚すればいいじゃない」

俺が赤くなり古泉がクススと笑い、妹男爵があははと笑う。笑い声に混じってどこからかスンスンと鼻をすする音が聞こえる。

「わ、わたし、随分ひどいことを言ったわ……」

「どうしたのみくるちゃん」

鼻をすする涙声の主がハンカチで顔をおおう朝比奈さんであることが分かり、ハルヒが目を丸くしている。散々いじめ倒した上にみつぎまでもらって追い返したことでそんなに良心が痛むのだろうか。っていうかハルヒがいつもやってることじゃん。

「そんな事情があるとは知らずに、男性なら誰でもすべてを捨てて結婚するべきだとか、勝手なことを言ってしまったわ」

「マイレディ、気にせずとも大丈夫だ。男には捨てるに時あり、捨てざるに時あり。これを乗り越えれば彼はきっと立派な騎士になれる」

伯爵がうなずきながら、自分にもそういった経験があるていに言った。朝比奈さんは突っ伏していたテーブルから突然顔を上げて、

「それともあなたは、わたしのためにすべてを捨てられるっていうの!?」

今度は伯爵が目を丸くしている。話の脈絡が見えないどころかいったいこの人はなぐさめてほしいのか同情してほしいのか、それともなにか意見を求めているのか、なんなんだ。

「まあまあみくるちゃん、しゃくだけど旦那が正しいわ。男の全員が全員すべてを捨てられるわけじゃないしね」

「えーえ涼宮さん、あなたは捨てさせた女の側にはなにも罪はないっていうんでしょうけどね!」

ハルヒは笑うべきか分からない空気に眉毛をピクピクと動かしている。いったいどうしちゃったのみくるちゃん、と全員が首をかしげている。そこへ執事さんが朝のメニューを運んできてガパと鍋のふたを開けた。朝比奈さんは手で口をふさいで、

「んぐっ……ま、マイロード、ちょっと失礼して……ごむんぐぐー」

呆然と後姿を目で追う執事さんと伯爵。遠くでリバースする朝比奈さんの生々しい声が。いやリアルすぎるから文字にするのはやめとこう。


「……朝比奈みくる、血中のホルモン値が上昇中」

「なにそれ?」

「……通俗的な用語を使用するなら、つわり」

なん……だと。前代未聞だぞ。この話始まって以来つわりに見舞われたキャストがいたかオイ。

「ああ、なるほど。それであの感情の起伏きふくですか」

古泉がバイオリズム風に指を上下に振ってみせた。そういえば恥を知りなさい事件そのくらいから様子がおかしかった気がするな。やたらツンツンしていたし、その後はメソメソ、今度はイライラである。もしやハルヒが乗り移ったのではと疑っていた。次はなんだ、神人でも出すのか、と。

「そういうもんなのか」

「……そう。胎児に対する拒絶反応を抑制よくせいするためのエストロゲン、プロゲステロンの分泌による副作用と思われる」

なるほど。ドクター長門がいうんだから間違いあるまい。

「ミス・ユキリナ、レディシップは大丈夫か、なにかひどいやまいではないだろうか。薬を飲ませたほうがいいのでは」

「……彼女は病気ではない。妊娠にんしん初期によく見られる症状」

「わ、私はいったいどうしたらいいのだろうか」

初の子供を持つことになる伯爵はオロオロしている。

「……配偶者はいぐうしゃは精神的余裕を持って接して」

「し、しかし、そうはいってもだな」

「マイロード、落ち着いてください。僕達が心得てますから」

古泉がポンと胸を叩いてニコニコスマイルでなだめているが、俺達のうち誰も妊娠にんしんに心得のあるやつはいないんだけどな。

「ふーん、つわりねぇ。そろそろマタニティの用意しとかないといけないわねえ」

どうでもいい感じにハルヒが牛乳で煮たオートミールをスプーンですくってズルズルと音を立てている。

「おねーちゃん、どうかしたのぉ?」

「心配しなくても大丈夫よ妹ちゃん、あなたもすぐに経験できるわ」

よほどのマゾでもないかぎり自ら望んで経験したい人はあんまりいなさそうだが、長門によると、つわりの症状というのは人様々ひとさまざまで、ある特定の食べ物が食べられなくなるとか、ある特定のものばかり食べたくなるとか、ある特定の匂いをぐと猛烈な吐き気に見舞われるとか、あるいは常に空腹で食べていないと気分が悪くなるとか、眠れないとか眠くて眠くてたまらないとか、バリエーションが豊富なのだそうだ。

「マイロード、それから皆さんさっきはごめんなさい」

大きく深呼吸をしながら、気持ちもなにもかもを吐き出して妙にスッキリした感の朝比奈さんが戻ってきた。伯爵は椅子から立ち上がって奥さんを抱きしめ、

「いいのだよ我が愛しのレディミクル。あなたは誰よりも美しい。怒っている姿も笑顔同様にキラキラと輝いている。私を育ての親だと思って存分にわがままを言っておくれ」

「まあ……お優しいのね」

朝比奈さんは滔々とうとうと述べられる甘ったるい麗句れいくにうっとりとほほを染めた。いくらつわりでも少し甘やかしすぎじゃないかと全員が伯爵を見たが、いっこうに気にする様子はない。聞けば、中世では旦那が奥さんを溺愛できあいしないと流産してしまうという言い伝えがあるらしい。いやー厄介なもんを背負い込んだなーなどと、全員からあわれみの視線を浴びている伯爵であった。

「みくるちゃん何が食べられないの?」

「その、そこにある白いドロドロの液体がだめなの」

朝比奈さんは、よくそんなおぞましいものが食えるな、という感じにハルヒを見ている。

「え、だって昨日まで食べてたじゃない」

ハルヒもこれみよがしにオートミールをトロトロとすくってみせた。

「だめなの……もう想像しただけで、うぷ、んぐぐーっむんぐおおおぉ」

もうオーツ麦なのか牛乳なのか、ハルヒの顔に反応しているのか分からんが、朝比奈さんはまたもや部屋から走り出ていって、たぶん洗面器なんかとご対面しているようだ。

「あーやだやだ。結婚なんかするもんじゃないわねまったく、はぐはぐ」

などと朝比奈さんの皿の肉をほおばりながら他人事のようにのたまっている。っていうかお前が片付いてくれないと俺達困るんだがな。


 ドクター長門の診察の結果、どうやら乳製品全般がだめらしく、その日からオートミールのおかゆ、クリームシチュー、ヨーグルトのたぐいはメニューから抹消された。牛乳がだめだとなると、もう焼くか水で煮るか生で食うしかないのだが。

 ハルヒは素焼きのピッチャーでエールを笛飲みしながら、

「しょーがないわね、じゃあ妹ちゃんの婿むこ探しはあたしが取り仕切るわ」

いや最初からお前が主力としてやってたような気もしますが。

「ハルヒ、もうめんどくさいし、本命アタックでいっちゃえよ」

「あら、珍しくいいこと言うわね。あたしもそう思ってたところよ」

いかん、俺としたことがつい口をついていらぬトリガーを引いてしまったァ。俺がひと言でもなにか発言するたびにトルネードが引き起こされることを忘れていた。ちょっと安泰あんたいして平和ボケするとこれだからなあ。

「本命って神聖ローマ帝国の親戚だっけ」

「皇帝の孫の嫁ぎ先の長男よ」

それは嫁いだ相手が弟でその兄がいたってことなのか、それとも嫁いだ本人の息子で長男なのか、まあどっちにしても無駄にややこしい。ほとんど赤の他人じゃないか。

「もしご成婚の運びになれば、リチャード陛下の身代金みのしろきんだったイングランドの借金が少し減るかもしれませんね」

古泉がほがらかにイングランドの景気予想をしている。

「大陸までおしかけるのか。もう遠征はしたくないんだが……」

「安心しなさい。縁談は寝て待て、勝手に向こうからやってくるから」

そんなカモが風呂敷包ふろしきづつみにネギを背負って遠路はるばる食材になりに来ました、みたいなうまい話があるものか。俺達婚活こんかつやってんだぞ。

「へー、じゃああんたがアポ取って、これこれこういう事情だから嫁にしてくれって頼み込めばいいじゃない」

「い、いやん、俺はそういうのは全然素人ですから」

などとああでもないこうでもないテーブル上の空論をやっていると、執事さんが伯爵あてに手紙を持ってきた。伯爵が文面を指差しながら、

「ハインリヒ陛下の縁者で、公爵の息子という御仁ごじんがロンドンにお越しになるそうだが、もしかしたらこれがくだんの人物なのではないだろうか」

してやったり、とハルヒがひざを打ち、

「ほれみなさい。待てば縁談の日和ひよりあり、男なんてものはねぇ待ってればおしかけてくるんだから」

いやそれ、お前が自分で召喚しょうかんしたんですよ。俺は妹男爵に目をやりながら、

「いろいろとタイミングが良すぎる気もするが、じゃあとりあえず会いに行ってみるか」

「わーい、あたし皇帝の奥さんになれるんだ」

それは無理、ぜったい無理。

「ではお茶の会でも開いていただけるよう私からリチャード陛下にお願いしてみよう」

「そんなの、その他大勢のなかの一人になってしまうわ。一発必中でハートを射止めるのよ」

「でもどうやってだ、ミス・スズミヤ」

「あたしに作戦があるのよ。みんなちょっと耳をかっぽして貸しなさい」

なになに、今度はなにがはじまるんです、全員で丸テーブルを囲んでの陰謀である。伯爵もワクテカをおさえきれないようですが、巻き込まれるとえらい目にいますよ。


「まず、大陸からの旅のルートは決まってるわ。輸送船の航路はたいてい北上してテムズ川からロンドンに着くんだけど、この時期の北海は風が強くて流されるからドーバーの港に上陸するはずよ」

「先回りするのかね」

「まあ聞きなさい。ドーバーからロンドンまでのルートは二つあるわ。公爵の息子とはいっても皇帝ゆかりの貴族だからこっちに知り合いも多い。だったらカンタベリーまいりをして挨拶回あいさつまわりをしながらロンドンに来るはず」

「なるほど。なかなかの戦術参謀だな、うちの軍に欲しいところだ」

ハルヒはガハハハと大きくのけぞって笑っている。後が怖いのであんまりおだてないでください。

「そこであたし達が一芝居打つわけよ」

芝居ってまさかアレを上演するのか。

「アホキョン、あんたはその残り少ない脳みそをもっと有効に使いなさい。あたし達がやるのはリアル救出劇よ」

「き、救出劇!?」

全員が身を乗り出した。悪い予感がする。というかいつもの流れな気もする。

 ハルヒのシナリオはこうである。ハルヒふんする山賊団がたまたま通りがかった田舎道で、これまた偶然通りがかった妹男爵の一行を襲う。そこでありえない低確率で通りがかった公爵家臣の一団がこれを目撃、騎士道の義憤ぎふんに駆られた一団が妹男爵を奪還だっかん。オオ、ナントウツクシヒオヒメサマ、ケツコンシテチャフダイ。めでたしめでたしである。

ガラガラッ「話は聞かせてもらった!」

まーたそれですか朝比奈さん。あなたゲロ吐いて寝込んでたんじゃないんですか。

「その作戦、面白いじゃないの。あ、いえ、面白そうね」

言い直してもダメです。今のはハルヒそっくりでしたよ。

「みくるちゃんは具合悪そうだし、今回は寝てていいわよ」

「いいえ、わたしも付き合います。妹ちゃんにヤバいことがあったらわたしが助け出しますから」

いえ、すでに十分ヤバい事態なんですがね。

「おいハルヒ、相手はプロの兵士だぞ、ヤバすぎんだろ」

「そうだミス・スズミヤ、相手は主君を抱えた護衛の兵士だ。捕まったら冗談でしたじゃ済まされないだろう」

「そりゃーまあ邪魔が入らないようにリチャードの兵士に鼻薬はなぐすりをかがせて護衛してもらっておくわよ。詳しい上陸地点の情報収集は伯爵に任せるわ」

「え? 私が?」

伯爵は自分を指差して、え、やんの? という感じに眉毛を上げている。俺達の円卓会議に入ったからにはもう遅いです。あなたの首は見えない鎖でつながれていますから。


 王様の兵士達に遠路はるばる旅をしてもらって、茶番の、いや芝居のキャストを頼むのは忍びないというので、伯爵から王様宛に公爵息子の護衛を申し出てもらい、古泉とその部下が担当することになった。ひさびさにヒーローぽい出番なので嬉々ききとして出かけていく古泉だが、グロースターからドーバーまでは早馬はやうまでも二日かかる。こっちもこっちでご苦労なこった。俺達も場所と時間を打ち合わせて後を追った。

 俺達は山賊団をやっていた頃の衣装を持ち出してきて、というかふつうに農民が着ている地味な服だが、なるべく目立たないように城からカポカポと馬を出した。修道士が山賊をやるわけにもいかんので俺も着替えて来たが、行列にひとりだけ誰だか分からないオッサンが混じっている。

「こら伯爵、なんであんたが一緒にいんのよ」

どこの古着屋で手に入れてきたのかヨレヨレのシャツに膝下ひざしたまでのズボン、り切れた麦わら帽を被っている。顎髭あごひげをもふもふさせながら、

「私がいるとコイズミ殿が気を使うだろうと思ってだな」

「そうじゃなくて、」なんで山賊のかっこうで着いてきてんだ、と聞いているのだが、ハルヒは眉間みけんに手を当てて頭痛の仕草をしている。違うんだよハルヒ、彼はついにお前のストッパー役として目覚めたんだよ。

 そこから四日間、俺達は妙にたくましい軍馬で、妹男爵と朝比奈さんを妙に高級感ただよう馬車に乗っけてカポカポと街道を進んだ。途中でウエストミンスターに寄って王様に手紙を言付ことづけると、ボクもやりたいボクも仲間に入れてくれなきゃヤダヤダ、入れてくれないとグロースターからの通行料を二倍にするぞと経済制裁のダダをこねられたのだが、

「まあ、あんたには二人を祝福する仲人なこうどの役があるわけだから、そこでふんぞり返って土産話みやげばなしを楽しみにしてなさいね」

とハルヒの一蹴いっしゅうされたのである。イングランドに仲人の習慣はなかった気がするが。

 伯爵のお抱えの伝令から、これも騎士様でまったく付き合いのいいお方なのだが、ドーバーの港に神聖ローマからの御一行ごいっこうが到着したとの報告を受け取った。俺達はロンドンとカンタベリーの間にある街の宿に泊まり、罠を仕掛けようとじっと待ち構えている。

「山賊というのはいつもこんな長剣を持ち歩いているものなのか?」

ところどころ茶色に薄汚れたみすぼらしいアウトローの格好をした伯爵は、顔だけはパリッとひげを生やしアンバランスもいいところだが、

「長剣だからいいのよ」

「接近戦なら短剣とバックラーのほうが適している思うのだが」

長剣をブンブンと振ってみている。やたら重いだけであんまりいいつるぎではないらしい。

「これは戦うための武器じゃなくておどすための武器よ。相手が恐れをなして財布を差し出せばそれで事足りるのよ」

「なるほど」

「あんたはまあ、戦場では百戦錬磨ひゃくせんれんまの将軍かもしれないけどね、山賊の世界では新入りだからね」

などと小生意気なことを言う。自ら山賊団を率いていた朝比奈さんも苦笑している。伯爵は真面目くさった顔でうなずき、

「おっしゃるとおりだな、ボス・スズミヤ」

朝比奈さんがプッと吹き出している。伯爵も切り返しを心得ているようだ。

 お前ボスって言いたかっただけちゃうかという顔をして、ハルヒは羊皮紙に地図を描きながら、

「妹ちゃんにも活躍してもらうから地図を覚えなさい。南に十マイル下ったところにちょうどいい森があるわ」

ま、また森か。お前が森に入るといつも決まって騒動が起きるんだが。

「馬を足止めするためにあみを用意したほうがいいだろうか」

「伯爵、襲いたい気持ちは分かるけどあたしたちはただの山賊じゃないのよ。今やあたしたちは羽をまとって舞い降りる恋のエンジェール、山賊を超えた存在なんだから」

散々グロースターを荒らし回っといてどの口がそんなこと言うかね。

「涼宮さん、妹ちゃん女の子だし、あんまり危ないことは……」

「大丈夫よみくるちゃん。妹ちゃんは王子様をおびき寄せるただのエサだから。妹ちゃんのポジションは森の手前よ、ターゲットが姿を現したら妹ちゃんが大声で助けを叫ぶの。ちょっとリハーサルやってみなさい」

「きゃー」

「くーっ、かわいさあまってあやうさ百倍、なかなかいいわねぇ。もっと真に迫った、ヘビににらまれた窮地きゅうちのカエルが王子様に変身して返りちにする感じで」

返りちにしちゃったらアカンだろ。

「キャアア!!たすけてー」

部屋のドアがドンドンと鳴り、宿の客が数人蹴破けやぶって入ってきた。その後ろに隠れるようにして宿屋の主人がお客様なにかございましたかとオロオロしている。

「妹ちゃんすっごいじゃん、効果絶大ね!」

「ごめんなさいご主人なんでもないですーわたし達は今度上演するお芝居の練習をしてるところなのです」

朝比奈さんが冷や汗をかきながらスイマセンスイマセンと弁解している。ま、まあたしかに芝居っちゃ芝居だけどな。ほかの客も寝る頃合いなのでお静かにと釘を刺され、全員でぺこぺこと謝る始末だった。


 翌朝、夜も明けきれぬうちから俺達は身支度みじたくを整え準備万端じゅんびばんたんで宿を出た。ハルヒだけは髪ボサボサの頭で、もー午後からにしましょうよと、計画した本人が二日酔いかよと俺と伯爵から何度も突っ込まれつつ、痛む頭をおさえながら馬に乗った。馬にむかって揺らさないようにそっと歩けと無理難題を押し付けていたが。

 俺達は森の手前に陣を張り、妹男爵だけを馬車に待たせておいた。山賊は木の陰から様子を見ている。

「おーい、修道士殿、様子はどうだ」

「まだ見えませーん」

「落ち着きなさい伯爵、昔から王子様は寝て待てと言うでしょ」

俺は汚れたシャツと農夫のズボンに、剃髪ていはつを隠すほおかむりをし、登りにくくてしょうがない杉の木のてっぺんの枝に足をかけて見張りをしている。今にも折れそうな足場になるべく下を見ないようにしながら、地の果てにあるカンタベリーの街の方角をすがめている。やがて左手の方角から朝日が昇り、青空高く薄雲が流れていく。天気明朗てんきめいろうなれど天高し。これだけいい天気なら、馬に乗った騎士の群れがやってくればすぐに分かるだろう。

「おいハルヒ、念のため聞いておくが、古泉は今日ここに俺達がいるって知ってんだよな」

「んーん、なにも言ってないわ。それと見ればあたしたちだって分かるでしょ。あとはその場の流れ次第よ」

この人はこれだもんなあ。アドリブで待ち伏せかよ、本物の山賊にもうしわけない。

「公爵のボンボンがこの道を通らなかったら、俺達いったいなにしに出てきたんだろうねえ」

「いいからちゃんと見張ってなさい」

こんなのがボスですいませんねえ、と下を見ると、手持ち無沙汰ぶさたの伯爵は長剣の柄にあごを乗せて困り笑いをしている。

「なあミス・スズミヤ」

「なによ」

「山賊というものは……実に退屈なのだなあ」

ここ数時間はこんなやりとりだけが続いている。

「あんたは食うに困ったことがないからそんなこと言えるのよ。雨の中ひもじい子供を抱えて通行人を襲うところを想像してごらんなさい」

「まあ……つじ強盗もこんなに天気の良い日ばかりじゃないだろうな」

「金持ちそうな馬車を襲ったら相手も子持ちで、不幸な目をした子供がなんの抵抗もせずに、親から貰った金の髪飾りを恵んでくれるのよ。わかる? このいたたまれなさ」

「はあ、そういうこともあるのか。世の中なにが正しくてなにが間違ってるのか分からなくなるな」

「まあ、貴族には貴族の苦労があるわけだし、一方的に領主をうらんだりはしてないわ。まじめに統治とうちしてるってのも、なんとなく分かったしね」

「お気遣きづかい痛み入る」

「しっかりしなさい、領民の生活はあんたの行政次第なんだから」

伯爵はびた長剣をぐっと構えて、

「う、うむ。ところで獲物はまだなのだろうか。以前から一度襲ってみたかったのだが」

マア、あなた騎士道はどこいったんですか、という顔をしている朝比奈さんである。


 ハンモックでもあれば風に吹かれながらここで昼寝でもするところだな、などと、そろそろしびれてきた右足を左のつま先でいていると、遠くに小さな旗が見えた。古泉を先頭に、その後ろにいるのが噂の御仁ごじんらしい。馬に乗っている騎士と、荷馬車を引いている兵士を含めても十人ほどだ。

「おーい、おいでなすったぞ。古泉の旗だ」

忘れてはいないとは思うが古泉の紋章はSOS団のエンブレムである。あんな目立つ旗、襲ってくれと言わんばかりじゃないか。貴族が道中どうちゅうで旗をかかげて歩くのは完全武装で行軍してるときくらいだぞ。

「来たわよ、待望の花婿はなむこ! みんな、気合い入れて狩るのよ」

「狩るっていうかおいハルヒ、この後どうするんだ、拉致らちして結婚しろと脅迫きょうはくするのか」

「バッカじゃないの、昨日のリハはなんのためだと思ってんの。妹ちゃんを襲うフリをして、相手が追いかけてきたらみすみすうばわれるフリをするに決まってんでしょ。こういう場面に遭遇そうぐうすると男ってやつはバカみたいに英雄になりたがるものなのよ」

そうよね、という顔を向けているが、まあそうかもしれんな、という曖昧あいまいな顔で返している伯爵である。

 もう好きにしろよ、と英雄からはほど遠い存在になった俺はブツブツと文句を垂れながら木の上から降りた。道の真中に妹男爵が乗った馬車が往生おうじょうしたように停まっている。こんなところで女の子が一人で乗ってるってのも変じゃないだろうか、なにかの罠だとかホラーの一種だとか疑うんじゃないだろうか。

 俺達が隠れている茂みから二百メートルほどのところまで来たところで、古泉がわざとらしい大声で、

「あっ、マイロード、あの道の真中に停まっている馬車はいったいなんでしょうか」

棒読みにもほどがあるセリフを叫んでいる。

「さっすが古泉くんタイミングを心得てるわ。よし、全員突撃Follow me

プペープペペーとハルヒがこの日のために用意しておいたらしい突撃ラッパの合図で、俺達は馬車めがけて飛び出した。

「ようよーう、お嬢さん一人旅かい? かわいい娘じゃねえか」

覆面ふくめんでフガフガしゃべってるのでちょっと何言ってるか分からないですね。馬車の御者席ぎょしゃせきに座っていた妹男爵は心得たとばかりに立ち上がって、

「きゃあああ強盗さんたすけてー」

よーしよし、微妙にセリフを間違ってるが叫び声だけは立派だ。

「マイロード、あれは山賊です!!」

古泉がこっちを指差すのを確かめてハルヒが妹男爵を自分の後ろに乗せる。

「妹ちゃん、ふり落とされないようにあたしの腰につかまってなさい!」

「わかったぁ!」

「ハイヨー、叫びなさい!」

「きゃああ王子様たすけてー!!」

産卵中のモリアオガエルみたいにハルヒの背中にしがみついた妹男爵はパッパカパッパカと上下しながら疾走しっそうしていった。俺達もその後を追う。伯爵は長剣を背中にして駆ける姿がかっこよく決まりすぎてて山賊っぽく見えない。長門と朝比奈さんはスカートがパタパタとはためいてどうも山賊っぽく見えない。

 ハルヒと妹男爵の馬は森の中の道を外れて林の中へと入っていった。ところがどうも後ろのほうが静かすぎる。ときどきふり返ってみるが誰も追いかけてこない。

「おーいハルヒ、ちょっと待て」

聞こえなかったようで指鼓ゆびこをぴーっと鳴らしてようやく気がついた。来た道をじっとうかがっていると、カポカポと古泉の馬がだけが駆けてくる。

「どうなったのキョン? なんで追いかけてこないのよ」

「俺に怒っても困る。おーい古泉、何がどうなってるんだ」

「あのお方は山賊と聞いて逃げ出しました」

「あぁん? 逃げたの!?ヘタレじゃん」

「全然ダメじゃん」

「え、ええっと。意味ないじゃん、でいいのか」

最後のじゃんはジャン本人だ。

「どうなったの?」朝比奈さんがようやく追いついた。

「逃げられたわ。もういいわよ。山賊と聞いて逃げ出すような男にはとても妹ちゃんを預けられないわ。そんな腰抜けはこっちで願い下げよ」

「では僕は公爵のご子息を追いかけますので、事後処理はお願いします」

事後処理ってねえ。俺達いったいなにしにここまで来たの。

 そのときである。道の先の方からドドドと馬が駆けてくる音がする。ふり返ると、槍を下に構えて突撃してくる重装騎兵の姿が見え、徐々に大きくなっていく。ありゃ完全に戦闘モードだぞ、山賊ども全員殺すとか叫んでるぞ。

「お、おおいなんだか分からんがぜんぜん関係ないやつが突進して来るぞ!殺る気マンマンだぞ」

「みんな逃げてえぇぇ」

目を輝かせたハルヒは半月みたいな大きな口で叫びながら、いの一番に逃げ出し、俺と長門はなるべく皆から離れるように一目散いちもくさんに馬を走らせた。下りだ、逃げるときは丘を下るんだ。

「おいハルヒこっち来んな離れろ」

「なによ自分だけ逃げ出す気なの、薄情者ぉ」

「妹だ妹を渡してしまえ!」

「お坊さんひどーい!!」

槍を構えた騎兵はしがみついている妹男爵が人質だと思っているらしく、俺のほうには目もくれずハルヒに槍先の狙いをつけている。まあ芝居どおりに事が運んだわけだが。まばらに木が生えている森の中をハルヒの馬、俺の馬、そして騎兵の馬が乾いた枯れ葉をまき上げながら駆け抜ける。槍を握りしめた腕が大きくを描いて、投げた。ブオンと宙を切って俺の顔の前をかすめていった。うぉぉあっぶねえ刺さるところだったぞ。れた槍は木の幹に刺さり、次の瞬間ゴンッ、ボキッ、バタッという漫画の擬音みたいな音と共に後ろの人影が忽然こつぜんと消えた。


 急に静かになったのだが、何が起こったのか分からず俺は数十メートル先で馬を止めた。ふり返ると、林の向こうにさっきの重装騎兵が仰向あおむけでぶっ倒れている。馬だけは鼻息も荒く主人を残してハルヒを追いかけていったようだ。太い木の幹に刺さった槍がビヨンビヨンとれているが、どうやら自分の投げた槍がブーメランとなって、いやブーメランというのはおかしいが、槍の根元に自ら激突したわけだな。

 落馬したときの勢いでカブトはどこかに転がっていったようで、カールしたこげ茶色の髪があらわになっている。顔の感じから言えば二十歳くらいだろうか。怪我けがをして動けないのかと思って馬を降りて近寄ろうとしたが、ムクリと立ち上がり、俺の姿を見ると腰のつるぎをシャキンと抜いた。

「キサマ、道に罠を仕掛けるとは、はかってのことか! 王の平和を乱す山賊め、成敗せいばい致す!」

いえ、あなたが勝手に自損事故じそんじこを起こしただけなんですけど。

 つるぎをふり回しながら向かってきたので逃げようとしたが、間に合わない。今にも飛びかからんとした瞬間、後ろから声がした。

「待て、お前の相手は私だ」

おぉ、颯爽さっそうと現れたる白馬の王子様、じゃなくて伯爵様。森の中からカポカポと現れ、馬から降り、俺と騎兵さんの間に立った。

「キサマ何者だ、名を名乗れ」

「私はただの山賊だ。名乗るほどの者ではない」

なんか堂々としすぎて明らかに騎兵さんのほうが気圧けおされてて、ぜんぜん山賊っぽくないんですけど。

 それでも騎兵さんは引くに引けないらしく、いきなりつるぎをふりかざして伯爵に突進した。伯爵はくらしてあった長剣を抜こうとして、さやの部分でつるぎの刃をかわした。騎兵さんが左手をり出した。その手にはなにかナイフのような短いつるぎが握られている。その切っ先が伯爵の顔をかすめた。

 慌てて飛び退いた伯爵の右のほほに細い傷を作り、血が垂れた。

「そなた、二刀使にとうつかいか」

貴族言葉になっているのも忘れて、伯爵は覆面ふくめんを切りいたほほの傷に手をやった。

「これは二刀流にとうりゅうではない」

二刀流にとうりゅうってのはたしか、だいたい同じ長さの片手剣を二本握るやつだった気がする。ところがこの騎兵さんが持っている左手のつるぎはほとんどナイフの長さである。あー、そういえばこの片手剣と短いナイフを持つスタイルはどっかで見たことあるぞ。たしかマンゴーシュとか言ったな。


 伯爵は長剣を両手で握り、ブンと音を立てて脇を狙った。騎兵の左手のダガーがサラリとそれを払い、ほとんど無駄のない動きで身を守った。伯爵はこの一風変わった相手の技に驚いて目を見張った。あのダガーは盾の代わりだ。利き腕には普通のつるぎを握り、反対の手に握った短いつるぎで相手の剣先をかわす。

 伯爵にもそれが分かったらしく、構えの姿勢をいて長剣をさやに戻した。今度は普通の片手剣を抜いて、バックラーという小さな丸い盾を取った。

 仕切り直しといこうではないか、という伯爵が感じにうなずくと、騎兵がフェンシングのように構え、軸足じくあしこまかに動かしながら攻めてきた。伯爵は相手の剣先を注意深く目で追いながら、小刻みなその突きをバックラーで交わしている。

 伯爵は腰を落とし、ひざを曲げて長剣よりも素早い動きでつるぎり出した。バックラーの内側に見えないようにつるぎを隠し、間合いを測らせない。だが今日の伯爵はよろいを着ていない。ダガーにつるぎほどの威力いりょくはないものの、ときどき切り返されて傷を負い、シャツが破れていた。

 伯爵が騎兵の左手の小手こてを取った。ダガーはつばが小さく、それ自体は攻撃をけるのに向いていない。騎兵はダガーを取り落とし、慌てて後ろに引いた。残った右手のつるぎだけで攻撃と回避をこなしているが、伯爵の剣さばきが少しずつ押しはじめた。

 伯爵が騎兵を木の根元に追い詰めた。まさかここで切って捨てるようなことはないと思うが、騎兵は恐怖の眼差まなざしで見つめている。いよいよ降参を迫り、武器を捨てろと命じるかという瞬間。あれ、ここで伯爵が勝ったらどうするんだろう、まあ人質にして身代金みのしろきんを要求して自ら救出劇でも演じればいいか、みたいなことを考えていると、木の上からボキボキと枝が折れる音がして、黒いかたまりが落ちてきた。二人が上を見上げると黄色いカチューシャをした固まりが騎兵の頭の上に落ち、ゴンという鈍い音が響いた。

「ミス・スズミヤ、離れろ」

伯爵がハルヒの腕をとって引き離そうとすると、手をふり払い、

「イッタタタこの石頭め!」

仲良く頭にタンコブを作った相手をゴンと殴った。

 騎兵さんの反応がないので怪訝けげんに思ったのか、もしや死んだふりなのかと警戒しつつ様子を見ている。俺もつるぎを抜いて近づいた。生きているのか死んでるのか分からんが完全に白目しろめをむいているようだ。俺が伯爵の目を見るとうなずいてみせたので、首に手を当ててみた。一応頸動脈けいどうみゃくを確かめて生きているらしいことは分かった。

「生きているのか」

「どうやら気絶しただけのようです。ハルヒの頭が天から降ってきて脳震盪のうしんとうでも起こしたんでしょう」

「あたしの頭を隕石いんせきみたいに言うな」

「マイロード、このお方は王様の家臣かなにかですか?」

「いや、そのような予定はなかったはずだが」

俺と伯爵で、突然の珍客をいったいどうしたものかと考えていると、

「キョンくん、みんな大丈夫だった? マイロード怪我けがしてるわ!」

無事逃げ出していたらしい朝比奈さんの馬と、その後ろにくっついて乗っている妹男爵が戻ってきた。

「ああ、私は大丈夫だ。しかし……この御仁ごじんが問題でな」

「あー、マイレディ、紹介します。硬さではハルヒの頭といい勝負の、珍事の主です。白目しろめ向いてるけど」

「なかなかのイケメンね」

冗談言ってる場合ですか。朝比奈さんの背中にしがみついていた妹男爵は突然馬から飛び降り、

「きゃああお坊さんが、お坊さんが、お坊さんがー」

「よく見ろ、それは俺じゃないって」

それともここにいる俺はすでに人には見えない姿なのか。

「お坊さんがイケメンのお兄ちゃんを殺しちゃったよお」

ぶっ壊れた少女漫画のキャラクタみたいに泣き叫びながら、白目しろめの騎兵さんにしがみついてガクガク揺すっている。

「ええぇ? キョンくんがやったの?」

あなたまで何いってんですか。

 傷ついたイケメン騎兵をき抱く妹の泣き声を聞きつけて長門が戻ってきた。

「……修道士殿」

長門がなにか言いたそうなので近づくと耳打ちして、

「……既定事項のり戻し」

「既定事項?」

このマンゴーシュ使いの騎兵さんは歴史上の誰かなのか? 伯爵は騎兵さんのよろいに刻まれている胸の紋章を確かめ、

「この紋章はフランス王家の封土ほうどだな。エンブレムの上にあるカブトのマークは男爵だろう」

「え、なになに? こいつも貴族だったの? もー掃いて捨てるほどいるのね。石を投げたら当たりそうじゃん」

伯爵と朝比奈さんの顔がピクと引きつった。

「っていうかなんでこんなところにいるんだ。っていうかどうするんだこの人、このままここで放置していくと俺達お尋ね者になっちまうぞ」

「思いついたわ!」

ま、まーたそれか。

「今度はなんだ」

「この窮地きゅうちを脱する方法をよ。昔の人はいいこと言ったわ。災い転じてわらをもつかむ」

「災いっていうか、単にこの人が飛び入りで不幸になっただけだろ。まあいいから言ってみろ」

ハルヒは腕組みをして、ミリオンセラーに匹敵するアイデアが降臨した作家のような神妙な顔つきで、

「このイケメン男爵は山賊に誘拐されたお姫様を助けんとその後を追いかけ、多勢に無勢の戦いで落馬、くしくも気絶してしまった。そこへ颯爽さっそうと現れたるあたしたちが助太刀すけだちいたしそうろう。たまたま顔見知りがいて、実は大陸のイケメン貴族なのが分かったってオチよ」

恐縮きょうしゅくだがボス・スズミヤ、騎士にとって落馬というのはあまり名誉のある話じゃないな。彼は追った、ついには敵を追い詰めようとしたそのとき、六フィートの巨漢からハルバードでの一撃を食らったがけきれず馬から飛び降りた、ってところで手を打たないか」

伯爵がクレームを入れた。あなたもこれがフィクションだってこと忘れてますよね。

「ふーむ。まあ妥当だとうな線ね、採用」

「……それについては意見を述べたい」

長門が右手を上げている。

「長門さん、どうぞ」

ハルヒが短剣の柄でマイクを渡すマネをしている。

「……おほん」


 ── 彼は独自の情報網により、山賊が現れることをあらかじめ察知していた。実はその情報をらしたのはイングランド王家の人間だったことは疑いようもない。もしや陰謀かという疑念も否定はできない。半信半疑はんしんはんぎながらも万全の装備でその現場を訪れてみると、果たしてそこには薄汚れた装いをした山賊団が今まさに少女を誘拐するところであった。敵は五名、多勢に無勢である。だが彼は意を決した。ここでもし命を落とすようなことがあったとしてもそれは一人の少女を助けんがため、無私の犠牲にほかならない。これは神から与えられた試練に違いない。よろしい、ならば甘んじて受けて立とうではないか。ご婦人の名誉を守るためならば、死ぬにはふさわしい舞台だ。彼は槍を構え拍車はくしゃをかけた。数々の戦場で鍛え抜かれた戦士である。ここで勝利して少女を助け出せるか、ここが自らの墓場となるか、神のみぞ知る。


「……続きは、二人に」

「花を持たせてくれるのか、ありがとう」

「なーるほど、本人視点ね。いいわ、採用」

おーいラノベ新人賞の審査会になっちまってるぞ。脚色は大盛りで本人はぶっ倒れたままかよ。


 気絶したマンゴーシュ男爵を抱えて馬車に乗せようとしたが妹男爵はいっときも離れようとせず、手を握ったままである。

「おい気絶してるだけだから、手を離してやれ」

「やだっ。この人が生き返るまであたしが面倒を見るの!」

だから死んでないし。まあ王子様になるはずのやつが敵前逃亡してしまったわけだし、代わりといっちゃなんだけど代用品ってことで大目に見てやんなさい、などとハルヒがのたまう。代用品ってねえ。

 荷台にかつぎ上げるのが一苦労で、重たい鎖帷子くさりかたびらを脱がせると胸のところに大きな青あざができていた。ヤバイ具合にれ上がっている。あらら、どうやら落馬したときに肋骨ろっこつが折れてたらしい。こんな状態でよく戦ってたな。

「あー、すまん長門、緊急事態につき応急手当を頼む」

「……あいあいさー」

皆の見ている前だったが、長門が黒いあざのある部分をさらりとなでると色がだんだん元の肌色に戻っていった。ハルヒと伯爵が、今のはいったいなんの魔法なのだという顔をしている。俺ももう隠し立てするのがめんどくさくなっていて、長門も、傷の手当くらいいいじゃん的な流れで公開治療となった。まあアルケミストだし、高度に発達した医療は魔法と見分けがつかないっていうし。


 そのままロンドンまで馬車を引いて帰り、ウエストミンスター宮殿にたどり着いた頃には日も暮れかかっていた。城門まで来ると執事さんが待ち構えていて、そのまま、お気になさらずその格好のままで結構ですから奥へ、さあささどうぞどうぞ、と王様の控室ひかえしつに通してくれた。なんかニヤニヤ笑いを隠しつつのご案内だったが。

「あはははー、本命のお帰りだ」

王様の開口一句である。

「陛下、このような見苦しい格好でお伺いして申し訳ありません」

「いいんだいいんだジャン、芝居の衣装だと思えば味があるじゃないの」

ボロい衣装で丁寧にお辞儀じぎをして、目を上げると先客がいたようで、高貴な衣装を身に着けた方々が円卓を囲んで座っている。チッとか舌打ちするやつもおるし、朝比奈さんと目が合うとあわてて目をそらしたが、あれがあのときのハゲ院長か。

「残念だったわねリチャード。あの公爵の息子ったら山賊を見るなり逃げ出したわよ」

「別に構わないよ。アレには最初から期待してなかったからね」

アレて、神聖ローマの貴族をアレ呼ばわりかよ。

「それよりぜーんぜん無関係のやつが飛び出てきてさあ。正義感丸出しで突撃してきたもんだから、うちの修道士が返りちにしちゃったのよねえ」

だからやってないでしょ? そういえばマンゴーシュ男爵は執事さんとメイドさんに客室に運ばれて治療を受けているらしい。受けているというかさっき長門が治療したあともまだ目覚めてないだけだが。

「プッ、無関係じゃないよ。だって彼は僕が仕込んだキャストだもの」

「な、なんだってー、とか言うとでも思った? あんな山の中にフル装備の騎兵がいて出るなんておかしいと思ってたのよ。どういうことか説明しなさい」

「だからさあ、こないだのりでもうけ損なったから、ホーエン家の公爵とアンジュー家の男爵のどっちがその子のハートを射止めるかでけをしてたわけだよ」

まあなんというか、暇な貴族というか、イングランド人らしいというか。ハルヒはまた頭痛に悩む仕草をして、

「あんたたちはもう……暇さえあれば金もうけなの。で、オッズは?」

「六対四でホーエン家だね」

「じゃあ、あたしがアンジュー枠に百ポンド」

おいおい当事者のお前がかよ。自分の試合で大金をかけるプロボクサーじゃないか。

「あーダメダメ、キャストのキミがけたらインサイダーでしょ。ところでご本尊ほんぞん怪我けがしてるみたいだけど、なにがあったのか波乱のストーリーを聞かせてくれない?」

テーブルを取り囲んでいる客人は、それそれ、そこがこのけの旨味うまみよ、という感じで身を乗り出している。そこでまあハルヒは、長門と伯爵が編み出したフィクションを一人芝居風に演じて解説した。王様の勝敗判定としては、

「えーとね、ミス・スズミヤの話だと、結局どっちが射止めたかというと片方は逃げ出しちゃたわけだし、もう片方は残念なことに気絶しちゃったわけだし、勝負はドローってことになるのかな」

肩をすくめてみせた。

「ちょっと待ちなさいリチャード。勝負なしってことにするのはまだ早いかもよ」

ハルヒがニヤニヤしつつ、親指でクイとドアを指してついて来いという仕草をした。

 皆でついていくと、豪華な廊下を通って客室のドアの前に立った。ハルヒが薄くドアを開けると、シー静かにと見張り役のメイドさんが口に人差し指を当てている。ハルヒは部屋の中を覗いて、よし入ってこいと全員に命じた。小奇麗こぎれいなベットにはマンゴーシュ男爵が寝かされていて、その手を握ったままの妹男爵が突っ伏して眠っていた。なるほど、そういことか。王様が皆に向かって勝負あったなという顔をすると、親指を立ててうなずくやつと渋面じゅうめんを作るやつの割合がだいたい四対六だった。

 長門いわく、既定事項がより戻したとはこのことだそうだ。昔風に、元のさやに収まったとでも表現しようか。言わずもがな、最初にオークションを落札するはずだったのは、マンゴーシュ男爵その人である。


 かけシロに騎士の年収くらいはもらったくせに、今日はもうかったから七面鳥を出すよなどとケチくさいことをいうので、山賊コスプレの俺達は着替えるために客室になだれ込んだ。ハルヒはなにか新しいけを思いついたとかで自分に胴元どうもとをやらせろと王様にねじ込んでいるようだ。もう知らん、そっちで勝手にやってくれ。

「はー、やれやれだぜ」

「……はぁ」

俺がコメカミをマッサージしながら溜息ためいきをつくと、隣に座っている長門も、珍しく聞こえる音でため息をついている。これはほっと一安心の安堵あんどのため息なようだ。

「やっと解決できてよかったわ、キョンくん、長門さん、今回のことは本当にありがとう」

「いいんですよ、朝比奈さんがいちばんお疲れでしょう」

「いえ、元はと言えばわたしが空回りしてみんなをふり回しただけだから」

俺は得意の流し目で、

「古泉の言い草じゃないですが、よかれと思ってしたことですよ」

よかれと思って人の足を引っ張ったり、わざわざ仕事を増やすやつもいますけどね。しかし……今回はどっちかといえば仕事を増やしたのは朝比奈さんのほうであり、他方ハルヒは、皆で祭りをやりたかったのか山賊団再びをやりたかったのか、あいつがいったいなにをしたかったのかは分からんが、結果的には事態を収集させることになった。妙なこともあるものだ。十分にヤバい事態だったにもかかわらず誰一人怪我けがをせず、誰も捕まったりはしなかった。ハルヒが急に歳をとって丸くなったのだとか、彼氏ができてかどが取れたのだとかなら分からんでもないのだが、今回の言い出しっぺがあいつではなかったことが少し不思議だ。

「妹ちゃん、立派なお方にごえんがあってよかったわ」

「俺も未来に帰ったら実の妹の心配をしないといけませんが」

キョンくんはまず自分のことを心配しないと、などと笑い声を上げている。あなたね、その予定の人が隣にいるんですよ。長門も少しは照れるとかポッとほほを染めてみせるとかやってくれ。俺だけ顔真っ赤で恥ずかしいったらないわ。

 朝比奈さんはほおづえをついて二人をまじまじとながめ、

「二人ともさっさと結婚しちゃえばいいのに」

キター!!直球で来ましたよこの人。今度のは長門のハートの真ん中を射抜いたようで目を丸く見開いている。おいおい俺に今この場で答えを求めるような視線で見ないでくれ。

「いやあまあ、俺達はタイミングを見計らって適切な時期に、ですね。だよな、長門」

この場合、長門に助け舟を求めるのはそもそもの間違いで、上目遣うわめづかいにじっと責めるような目で俺を見つめている。早く腹をくくれと言っているのが伝わってくる。

「あなたたち二人は付き合ってそろそろ……十年くらいにはなるんじゃないかしら?」

ずーんと深層にまで響いてきた。直球どころか粒子加速砲から飛び出てきたファイアボールくらいの威力いりょくである。なるべく話題をそらしたいのだがすでに手遅れだ。

「そ、それくらいにはなりますかネ」

「あ、立ち入ったことだったわね、ごめんなさい。二人ともクールなだけだと思っていたけど、いちゃついてるどころか手をつないでるのすら見たことがないから、先々が心配で」

朝比奈さんも自分が結婚したものだからズケズケと余裕で恋ネタをかますようになったなあ。

「ク、クールって奥手ってことですか。やだなぁアハハハ」

朝比奈さんはハルヒばりにズイと顔を寄せて、

「ちょっと聞きますけど、ちゃんとキスとかしてるのかしら」

「き、禁欲事項であります」

い、いかん、朝比奈さんの口から突然飛び出てきた禁句タブーに俺はパニクっている。

「抱き合ってるのとかぜんぜん見たことないのだけど?」

「禁欲事項デス」完全に声が裏返っている。

「むしろ男性のほうがそういう欲求が強いって聞いてたのに、どうなの?」

朝比奈さんが長門に尋ねる視線をやると、二人の目が俺に向かって一緒に動いた。ご婦人二人の責めるような視線に刺され、俺は十字架を握りしめながらプルプルと打ち震え、

「おぉ聖母マリアよ、おゆるしください。俺には言う権限がないのです」

信じなくてもいい、ただ知っておいてほしい。禁欲生活の修道士を誘惑したらいかんですよ。ハァハァ……

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