二十三章

 この頃の結婚といえば先に婚約式こんやくしきというのがあり、教会の前で婚約することを誓うという習わしがある。その後しばらく世間に婚約のお知らせをしてからようやく結婚式という運びだ。つまりクレームがあるやつは今のうちに名乗り出ろ、ということだろう。

「めんどくさいわねー、庶民はほとんどデキちゃった婚だっていうのに」

ほとんどは言いすぎだろ。まあ、だいたい二割くらいかな。

「しょうがないだろ。なんせ騎士道プラス教会の戒律かいりつが厳しいんだから。領主が照れながら、いやーデキちゃいましたとか言ってたらシメシつかんだろ」

貞節ていせつを守るのはいいんだけどねえ、結婚するまではキスもだめなんでしょ。なんちゅうか全然色っぽくないちゅうか」

ハルヒは口をアヒルのようにとがらせ自分の手のひらに唇をくっつけながら不満そうにつぶやいた。お前は二人になにを求めてるんだ、スキャンダルか、同棲どうせいでもさせたいのか。

「ところでキョン、みくるちゃんの結婚式はあんたがやんの?」

「いや、さすがにそれは大聖堂の司教様が直々じきじきにやるだろう」

俺はちょっと覗いたことしかないんだが、街の中心に建っているグロースター教会にはわりと立派な聖堂があってだな、領地の重要な行事は偉い司教様がやることになっている。俺みたいな場末ばすえのなんちゃって修道士なんかが式をり行ったりしたら顰蹙ひんしゅく買うだろうよ。カソリック業界にもみ分けってやつがあんのさ。


 翌週に朝比奈さんと伯爵の婚約式こんやくしきが行われた。せっかくだからクリスマス当日にパーッとやればいいじゃないなどと安易なことを言っているやつがいたが、教会の決まりでクリスマス前の四週間と後の十二日間は結婚式をり行えないことになっている。それに十二月に入ると冷たい雨が降り始めるし、氷雨ひさめでずぶ濡れになりながらの披露宴ひろうえんってのも嫌だろ。

 立派な石造りのグロースター教会に二人がお出ましになり、ロウソクだけがともる薄暗い聖堂の中で、人をかたどったステンドグラスを見上げながら婚約の誓いを立てた。

「聖なるキリストの教会が認めるならば、あなたはこの女性を妻としてむかえることを誓いますか」

「はい」

おなじ質問が朝比奈さんにもされて、あ、えっと、はいですとドギマギした様子で答えた。司教様からお互いの婚約指輪を受け取り、相手の指にはめる。

 婚約式こんやくしきはシルクのウエディングドレスではなくて、朝比奈さんはいつものゴージャスな朝比奈さんで、薄いショールを髪の上にのせている。ぼんやりと赤くともるロウソクの光を背景に、端整たんせいな顔の輪郭だけが浮かんで見えた。あれだけ気合いが入っていた朝比奈さんがなんだか最近はしゃなりしゃなりと大人しく、司教様の前にひざを付いている姿に淑女しゅくじょらしい落ち着きを見せている。

「こら司教! そこでキッスくらいさせなムググ!」

「涼宮さん……神様の御前ごぜんです、静かに。シーッ」

古泉にたしなめられてテヘペロをしてみせるハルヒである。

 そういえばここしばらくは一人の神人すら生み出さず、わりとすんなり従うハルヒという完全逆転だったが、もしかしたらなにをしても落ち着かず突飛とっぴな行動に走る朝比奈さんと入れ替わっていたんじゃないかという疑惑ぎわくが頭に浮かんだ。プロポーズをされてからというもの朝比奈さんの肩の力が抜けてきて、偶然なのか自然の摂理せつりなのか知らんが、今度はハルヒのやんちゃぶりがまた芽吹めぶいてきたようだ。


 司教様が祝福を述べた後、二人は手を取り合って教会の外に出て、部下一同、親族一同、友人一同、教会関係者、領民一同がニヤニヤ顔もといニコニコ顔で出迎でむかえた。聞けば、この領地でお偉いさんの寿ことぶきイベントがあるのは随分ひさびさで、伯爵が誰かと二人でいるのを見るのも数年ぶりのことだそうだ。


 それからしばらくの間、教会の前の掲示板にこの二人はラブラブなんです的な文章がさらしもの、いや貼り出され、領内ではその噂で持ちきりだった。あの貴族のお嬢さんはなんでも決闘の最中に愛の告白をしたんだそうな、あんだぁ聞いたっけやエルサレムさぁ愛の告白こぐはぐすっで行っだんだど、ちゃうちゃうあのお姫さんは十字軍ん女神めがみさんやって、王様ばぁ身請みうけさっしたちゅうけんがすごかごりょんさんばい。などなどハルヒとごっちゃになってるふしもあるが、まあゴシップとはそがなもんじゃけえのう。


 式まではまだ三週間もあるさとモラトリアムをかましていた俺は、結婚式の準備と予行演習にまさかこれほど手間をかけるとは思っていなかった。っていうか男は大抵そういうもんだよな。

 買い物の使いっ走りをやらされあっちこっちを走りまわり、そうかと思えば予行演習をやる司祭の役をやらされたり、花嫁だけではなく女子全員が着る衣装のデザインが気に入らないとか、花嫁衣装はもっとキュっとバシっとウエストをめてというハルヒの注文を伝えるためロンドンの仕立屋を往復したりで、休む暇もなかった。

 野郎は全員家から追い出され、追い出されたというか単に村のおばちゃんたちが我も我もと家に押しかけてあれやこれやイギリス流の挙式について議論を始めたために居場所がなくなったわけだが、ハルヒと長門を中心にした花嫁の友人がワインとエールをがぶ飲みしながらああでもないこうでもないと、当の花嫁はそっちのけでのお祭り騒ぎである。

「白よ! 白に決まってんでしょ、それだけは絶対領域よ」

あー、ハルヒよ、残念ながらこの時代ウエディングドレスてのはないんだそうだ。特に純白シルクのやつはな。などと歴史的事実に基づく説得を試みようとする努力もむなしく、ペルシアと交易こうえきしているという商人を捕まえてきて、とっととシルク一反いったんそろえてよこしなさい一週間以内、という暴挙ぼうきょ敢行かんこうした。あの交易商こうえきしょうは帰るとき泣いてたぞ。まあ一生に一度だし、こういうこともありますよねと古泉がいつもの困ったスマイルで言う。いや、人によっては二度くらいあるかもな。


 式当日の朝、目も覚めるような純白の衣装で家のドアを開けた朝比奈さんは白い肌の上に白い長手袋で、見送りに来ている村の住民に手を振った。姿が現れると小さな拍手がいた。

 白く長いスカートには金と銀の糸で刺繍ししゅうされており、レースの縁取ふちどりがされているチュニックを着て、えりに毛皮が付いている上着を肩にかけている。ずっと面会謝絶めんかいしゃぜつされていたので俺達がこの姿を見るのは実はこれが初めてだ。

「朝比奈さん、お美しいです。今日という日を俺は、」

「こらキョン、領主の奥さんにはちゃんと敬称をつけなさいよね」

「マイレディ、ユーアーソーパーフェクト、パーフェクトっす!」

朝比奈さんは小さな声で、

「ありがとう、キョンくん。今までずっと」

今までという言葉に、もううちの人間ではなくなるんだなぁみたいな妙な感慨かんがいを覚え、景色がうるんできて、ああもうなんだか、娘を嫁にやる父親の気分だよ俺。いいに育って、もうほんと。


 家の前に四頭立ての馬車が止まり、伯爵が降りてきた。今日はなんだか髪のボリュームが増してるな、と思ったらカツラなのだそうだ。よくイギリスで法廷の人が被ってるやつな。

「おはよう、……ございます。マ、マイ、マイレ」

伯爵は緊張のあまりセリフを忘れたのか、たぶん朝比奈さんの輝ける美しさに我を忘れたのだろう、呆然とその姿を見つめ目を何度もゴシゴシとこすっている。

「マイロード、晴れてよろしうございました」

「ま、まったくそのとおり。昨日から天気のことばかり気になって寝付けませんでした」

「でも夕方から天気がくずれるとの星のそうが出ておりましたの」

「それは残念。では外でもよおしをするのはやめたほうがよろしいですか」

「そうですね。今夜は冷えますから」

挙式当日だというのに、さっきから天気の話しかしてない二人である。

 伯爵は朝比奈さんの右手を取って馬車に乗せ、微笑ほほえんでシートに座る朝比奈さんに向かって用意していた言葉は、

「マイレディ、地球上のバラと財宝をすべて集めたとしても、今日のあなたはそれに負ける気がしません」


 ここからグロースター教会まで、真新しいよろいセットに身を包んだ騎士さんが二人、うち一人は古泉で先導をつとめた。その後ろに新郎新婦が乗る馬車が続く。あらかじめ俺が雇っておいた、楽器を抱えた一団が馬車の後ろを歩いた。楽団はバイオリンやバグパイプ、フルートなどでイングランド民謡みんようを演奏しながら歩き、その後ろに親類縁者、友人、領民の代表などが大名行列のようにぞろぞろと続いている。

 かたつむりが歩くほどのゆるゆる行列が教会にたどり着くのには半日ほどかかり、その道の途中で村の住人が見物に立っていて、朝比奈さんが手を振って微笑ほほえんでいた。俺は隣を歩いている長門の手をときどき握り、誰かに見られてないかとドキドキしながらくっついたり離れたりしながら歩いた。俺もそろそろ考えないとなーというナレーションが何度も脳裏をかすめたが、そのたびに深層心理に押し戻した。分かってるって朝倉、これのことだろ。


「いやぁ、もうまぶしくってさあ、あたしゃ泣けてきたよ」

道々みちみち、鶴屋さんが袖で目元をヨヨヨとおさえつつ八重歯を見せている。馬車にしゃなりと座っている花嫁さんのお姿はもう後光がさしていて、未来の鶴屋さんにも見せたかったお姿だ。

「それにしても、まさか朝比奈さんがこんなに早くお嫁に行ってしまうとは。まったくの予想外でしたけどね」

「えー、あたしゃもっと早く結婚してもよかったと思うよ」

ええまあ、この時代ではそうかもしれませんね。俺的には、ある程度の職業的地位を得てからの晩婚になるんじゃないかって気がしてました。未来人の仕事優先で。

「俺の予感では、身の回りのことにかまけてて晩婚になるような気がしてたんです」

「まあねえ、恋ってのはいつなんどき現れるかわかんないもんだからね。あーあ、あたしもあやかりたいねえ。このままだと晩婚になっちまうよ」

「ドルイド修道会って結婚できるんですか」

「もっちろんだよ。どうやって子孫を残せってんだい、アメーバかいあたしゃ」

細胞分裂する鶴屋さんは、まあそれはそれで見てみたい気もしますが。

「それなら古泉はどうですか。あいつまだ独身ですよ」

「なるほど! そいつぁいいことを聞いた。ダンスに誘ってみるよ」

「あいつお硬いところありますけど、わりと女性にはトロけやすいんで、がんばってください」

古泉に美女をけしかけるとは、いったいどうなることか、未だかつて恋の罠を仕組んだことのない俺はニヤニヤをおさえきれないでいる。


 大聖堂教会の屋根付き玄関にはこないだの司教様がニコニコ顔で立っていて皆を出迎でむかえた。新郎と新婦が馬車から降り、司教様の前に立つ。指輪をはめるまでは中には入らないんだ。主の祝福のもと、本日はまたとない晴天に恵まれ、聖なる教会においてお二人の愛のちぎりを見届けることができ幸いであります、みたいなセリフを述べ、それから二人にいくつか質問をした。いちばん肝心なやつは、結婚できない血縁関係ではないか、というものだった。もう間違ったらアカンよみたいな。最後に、二人はそれぞれ自分の意志によって結婚に同意したか、と尋ね、二人ともハイと答える。

 司教様は結婚指輪をおきの人から受け取って祝福し、新郎に渡す。そこで伯爵のセリフ、

「父と子と聖霊の聖名みなにより」

となえながら朝比奈さんの左手の人差し指から順番に指輪をはめて外し、最後に薬指に収める。

「この指輪をあかしとして、あなたは私の妻である」


 これが終わってからやっと教会の中に入るのだが、朝比奈さんはここでやっとベールのついた白いショールを頭に被った。現代でもショールをかぶる習慣があるが、これはカソリックの習わしで、女は髪を隠すようにという聖句から来ているのだそうだ。

 玄関の外で見物していた貧しい領民にほどこしのお金を振る舞い、続いて招待客が聖堂の中に入る。司教様が祭壇の前で祈祷きとうをし、ここでやっと神様の前で結婚を誓い合う。さっきのは人前じんぜんの誓いみたいなもんだな。

「信仰の友よ、我らは今日ここに父と子と聖霊の聖名みなによって集い、神の許したまいし聖なる秘跡によりこの二人を一つになさんとす。二つの身体と二つの魂が婚姻こんいんの秘跡によりて、命ある限り一つの肉体二つの魂として強く美しく結びつけられんことを。アーメン」

ラテン語で、なんじジャン・ド・スマイトはミクル・オブ・アサヒナをめとり、死が二人を分かつまでげることを誓うか、という皆もよく知っている質問をされる。

 二人はおごそかにイエスとこたえた。その次の瞬間、いったいなにが起こったのか、目前で行われたことに正直俺は動揺した。司教様が、新郎の唇に、チュウをしたのである。まさにエエェェ!?なのだが客人は平静そのもので驚いたり目を見張ったりせず、むしろ俺たち未来人だけが確実に驚愕きょうがくに包まれてその光景を見ていた。ハルヒがカタカタと震えながら、

「キョ、キョ、い、今の、いったいなんのマネなの」

「さ、さあ俺に聞かれても知らん」

「……今のは、親和しんわ接吻せっぷん

長門がフォローしてくれたが、そ、そういう習わしがあんのな。いやー、いろんな意味でホッした。考えてもみろ、もし俺が式をり行ったりしてたら新郎と神父の、ジョンスミスとジョンスミスのキスシーンなんてものがだな、腐った女の子しか大絶賛しなさそうなシーンが展開されるところだったんだぞ。朝比奈さん終始ニコニコして見てましたけど、あなたは知ってらしたんですか。

 そこで新郎が新婦のベールを上げて肩を抱き寄せ、左手で右手を握り、目を閉じた新婦に唇を寄せ、ハァという客人のため息が響く中、熱いキスを交わした。これが二人の初キスである。目を開けたときの朝比奈さんは新世界に降り立ったビーナスのように光り輝いており、うるんだひとみからなにかがこぼれ落ちないように、ときどき目をぱちぱちしていたが、少し照れた笑顔を見せながら一粒だけ透明なものが流れた。


 二人は手を取り合って教会の出口に歩いてゆき、客人一同もその後に続いた。入口のドアを開けると待ちわびていた領民が拍手喝采し、二人の頭の上に祝福のバラの花ビラをいっせいにいた。式次第しきしだいが終わり、ようやく二人がおおやけに結ばれることとなり俺達も安堵あんどのため息をついている。かれ合う二人が万難ばんなんを超えて結ばれるとホッとするのは、洋の東西を問わず万人共通ばんにんきょうつうの感情なのだなあ。

 控えていたケルト風楽団が演奏を始め、新郎新婦が馬車に乗るとさっきと同じ行列でゆるゆると城まで行進した。行列の先導役には、この日のためにあつらえた長いドレスで着飾った花嫁の付き添いBridesmaidさん達が並んで歩き、ハルヒが先頭に陣取ってバラの花ビラを節分のように豪快にき散らしている。長門がなんだか白く輝くツブツブをいていたのだが一粒拾って目を近づけてみると真珠だった。なんとまた太っ腹な。


 一行がグロースター城についたとき、いつもは殺風景な石の建物が見事に飾られ、城壁のいたるところに大盛りの花を活けた壺が置かれていて赤やピンクや黄色のいろどりをえている。ね橋から城門、さらに城のドアにかけて赤い絨毯じゅうたんかれ、その両側に花瓶の形をしたギリシャ風の柱が建てられている。花道とはまさにこれのことだな。見上げると騎士全員のペナントが城壁から垂れ下がっていて、真ん中の塔にひときわ大きな伯爵の旗が風にはためいていた。

 ドアの前で銀ピカのよろいに身を包んだ騎士一同が勢揃せいぞろいし、敬礼の姿勢で待っている。やがて馬車がつくと伯爵が降り、朝比奈さんの手を取って絨毯じゅうたんの上に降りた。朝比奈さんはほほを染め満面の笑みをたたえ、自分をむかえ入れてくれる城と兵士さんたちに手を振った。

 伯爵は騎士団に向かって笑いそうになるのをこらえながら、

「これはまた派手に飾ったな。聞いてないぞ」

このお出迎でむかえはどうやらサプライズだったらしい。

「サーコイズミの案です。彼がどうしてもと言うので」

騎士団長が到着したばかりの古泉をクイと指差した。なるほど犯人はこいつか。

「マイロード、マイレディ、ご成婚おめでとうございます。お二人の門出かどでを、騎士団を代表して心からお喜び申し上げます」

 騎士団長が大声で号令をかけると全員がシャリンとつるぎを抜いて体の正面にかかげ持ち、騎士団長が朝比奈さんの前でひざをついた。

「レディ・ミクル・オブ・スマイト。あなたを我らが領主の妻として、領主同様に誠心誠意お仕えし、我らが生命いのちに代えてお守りいたします。あなたは我らを照らすあけの星、グロースターのうるわしき令夫人れいふじん、イングランドに微笑ほほえむ勝利の女神めがみです」

突然忠誠を誓われて、朝比奈さんはええっと、どうこたえればいいのかしら、と伯爵に尋ねる視線をやっている。どうやら事前に打ち合わせをしていないアドリブだったらしく、伯爵もえーっとだなという感じで頭をいているが、やがて古泉が下げていたつるぎを借りて朝比奈さんに渡した。エエッこれでやるの? わたしがやるの? という風に何度も尋ね、たぶん前に古泉がやったときに一度見ていたのでそれを思い出そうとしているのだろう、

「ええっと、では騎士殿」

右の肩につるぎの先を当て、左の肩につるぎを当て、

「お立ちなさい、騎士殿。勇気を持っていつも正しいことを行なってください。あなたが仕える領主と領民のために、強きをくじき弱きを助けることをほこりとしてください。神様のご加護を」

騎士団長は朝比奈さんの手を取って指輪にキスをし、それから立ち上がった。その様子を見ていた皆から大歓声がいた。メイドさんが城の窓から顔を出し、お抱えのシェフに厩舎きゅうしゃの管理人、門番の兵士までが花ビラを投げている。いやー、城主に嫁さんがきただけでこれだもんな。騎士さんたちのモチベーションがぐっと上がるのも分かるわ。


 執事さんが丁寧にあいさつを述べて、二人の先に立って城の中に案内した。騎士団はシャクシャクとよろいの音をさせて行進し、列を組んだまま城に入っていった。

 俺たち客人はそのまま大広間に通され、新郎と新婦が登場するのを待った。ハルヒは長門を連れて朝比奈さんのために用意された部屋に突入しに行ったようだ。披露宴ひろうえんはふつう花嫁の家でやるんだが、農家の家は貴族の知り合い全員を呼んでパーティをやるには狭いし、朝比奈さんが持っているアングレームの城ははるか遠くフランスにあるというので伯爵んちでやることにしたらしい。


 大広間に伯爵と朝比奈さんが現れると皆拍手でむかえた。朝比奈さんは白ドレスはそのままでショールを取っている。二人が上座かみざにあるテーブルに着くと近隣からやってきた貴族が進み出て祝辞しゅくじを述べ、祝いの品を贈った。それから領内のマナーハウスから代表者が来てお祝いと賛辞を述べた。

 披露宴ひろうえんの会場には城の部屋をくまなく使っているようで、大広間に新郎新婦と祝う会食テーブル、客室には大道芸のもよおしが見られる部屋、別の客室では楽団が曲をかなでていたり、オードブルやドリンク類が置いてある部屋にはワイングラスとエールジョッキが立ち並び、どこかの小さな部屋では客が楽器を弾き歌を披露ひろうしている。

 小一時間ほどして皆の腹がふくれた頃に大広間のテーブルを片付けダンスを踊ることになった。あー、また俺は壁のロウソクみたいにぽつんと立ってなきゃいかんのか。未来に帰ったら長門と踊るためにタンゴでも習っとくかな。

「ユキリン! 俺のユキリン! 俺と一曲踊ってくれ!」

いやこれは俺じゃないから。なんか前より一段とたくましくなった谷口が走ってきて長門の前でひざまずいた。

「トニー、お前なんでこんなとこにいんだよ。エルサレムじゃなかったんかい」

「このクソ修道士、よくもあんな戦場ど真ん中に置き去りにしてくれたな。おかげで俺ぁ騎士道に目覚めたよ。ロード・スマイトにお仕えする一兵卒いっぺいそつとして修行してるところだぜ」

二十代半ばにして男に目覚めるとか、実家のおっかさんは泣いてるだろうに。谷口なんざ志願しても三等兵がいいところだがな、まあ強く生きろ。

 長門が俺に向かって踊ってやってもいいか、という視線をよこしたのでうなずいてやった。まあ悪さはしまい。


 ハルヒはいつもよりめかし込んでいるくせにダンスなんぞ興味はないらしく、隣の部屋でローストビーフのかたまりをつるぎで切り刻んでわしわしと食っている。古泉が気を利かせてうながしたのか、騎士さんたちが花を一輪持って誘いに来るんだが、踊りたいんだったら売出し中の貴族の娘でも誘いなさいよと木で鼻をくくるような態度である。

 俺は伯爵と朝比奈さんが優雅に踊っているところを遠目に鑑賞し、谷口が一曲だけと言っていたのにアンコールをお願いしているのでまあ好きにしろと冷めた眼差まなざしでこたえてやり、長門と一寸たがわずリンクして踊るのをながめつつ俺はため息をついた。いや俺未来に帰ったら本気マジで習うから。笑われてもソーシャルダンス教室に通うから。

 普通は男から誘うものらしいが、古泉が鶴屋さんにダンスを申し込まれて照れた笑いを浮かべている。二人は修道女と騎士コスプレという実にエレガントなまいを見せていた。連続して三曲も踊らされ、そろそろ腰に来ましたからとギブを叩き、長椅子に寝そべってマッサージしてもらっている。どうもあいつはあねさん女房のほうが似合ってる気がするな。


 伯爵があちこちの部屋をうろうろして誰かを探している。隣の部屋でときどき聞こえてくるゲップと笑い声の主を見つけると、お探しの人物はどうやらそいつだったらしい。テーブルを囲んでしょーもない中世ジョークの披露ひろうをしているハルヒがいた。まわりにいる客も酒が入ってるんでどうでもいいネタで笑い転げている。


── イングランドのある農家の女が言いました。騎士様、うちの息子が病気なので税が払えません、どうかお慈悲じひを。騎士はこたえました。なにを言うか、領主様はお前の息子の健康など気にも留めんわ。女は言いました。騎士様、うちの夫は大酒飲みでお金がないのです。バカを言え、旦那が酒飲みでも領主様は酌量しゃくりょうせん。さらに女は言いました。騎士様、夫は頭が弱いのでございます。騎士は真顔でこたえました。知ったことか、領主様は自分の頭の程度などまったく気になさらんぞ。


「ミス・スズミヤ。次の一曲を踊っていただけませんかな」

後ろから呼ばれたハルヒはくるりと首だけ回し、座った目でまじまじと伯爵の顔をながめ、

「いいわ。今世紀の記念にね」

差し出された手を取り、ヨロヨロと椅子から立ち上がった。こんなに酔った状態で踊る方も踊る方だが、誘う方も誘う方だ。まあこれが今日という日だから、ずっと一線を画していた二人にすればなにか思うところがあったのだろう。

 曲が始まるとハルヒは急にシャキッとした顔つきになり、うやうやしくお辞儀じぎをし、タップダンスのようなステップを踏んだり、すれ違いざまに伯爵の尻をペンと叩いたり、伯爵が困った顔をするとぺろりと舌を出したり、伯爵が右手を上げている下で高速回転してみせたりと、いろいろマナーに触れることをやっていた。だが俺が思うに、一度は宿敵のように戦ったことのある相手に対してハルヒが妙になごんでいる。というかまあ、こいつが愛嬌あいきょうをふりまくなんてことはふつうしないのだがな。

 優雅さからは程遠いハルヒと伯爵のダンスだったが、曲が終わると丁寧にお辞儀じぎをし、ハルヒの方はビクトリア調にスカートの両端を持ち上げるお辞儀じぎをしている。

 ダンスタイムは一時休憩となり、部屋の中から人がまばらに散っても、二人はじっと見つめ合ったままそこから立ち去らなかった。

「ミス・スズミヤ。今回のことはいろいろと手を尽くしていただいてありがとう。感謝の念に尽きない。このお礼はどうお返しすればいいのやら」

「いいのよお返しなんか。みくるちゃんが幸せになれるんだったらね」

「もちろんだ。我が生命いのちして幸せにしてみせるとも」

「みくるちゃんはねえ、一度つらい失恋をしてるからね。その分も埋め合わせしてあげるのよ」

「そうだったのか。いや、あのお方が失恋なさるとは信じられん。相手の男はなんという不幸なやつだ」

伯爵は腕組みをして、いったいどこのどいつだという風に考え込んでいる。ハルヒはチラと俺を見てから、

「年下の男の子だったんだけどね。巡り合わせが悪くて告白もできずにあきらめちゃったのよねえ」

「では一方的な恋だったわけだ」

「案外まんざらじゃなかったかもしんないけど、まあ結ばれない運命だったのよ。どっちも子供だったしね」

同じ歳のお前に子供とか言われたかねーのだが。伯爵は笑いながら、

「なんと言うべきか、その不幸な男がいたから私が今ここであの美しい姿をの当たりにしていられるわけだ。そのおろかな野郎に感謝しようではないか」

聞き耳をたてていた俺が、おろかで悪かったな、という顔をするとハルヒも大声で笑った。いやまあ、まったく気付かなかった俺も悪いんだけどさ。あのとき俺がちゃんと告白してたら、って、ま、待て待て長門今のは妄言もうげんだ。耳は、耳はオバマになるからやめて。

「そうだわ、ひとつだけいいこと教えてあげる。みくるちゃんはわりとマゾっ気があんのよ。耳が弱点ね」

「ほうほう……。耳が弱い、のか。それは興味深いな……」

「抱きしめてペロペロしてあげるとコロっと、」

ご婦人が聞いていたら赤面しそうな、話題があらぬ方向へ行きそうなので俺はオホンオホンと大仰おおぎょう咳払せきばらいをした。

「ミス・スズミヤ。妻の友人として、それから私の友人として、今後ともよろしく頼む」

ハルヒは少し考えてから右手を差し出した。伯爵がその右手を取って口づけをしようとすると、

「ち、ちがうわよ。こうやんのよ」

ハルヒは赤面しながら伯爵の右手を握って上下に三回振った。伯爵は最初目を丸くして、それから笑ってうなずき握った手を振った。中世では男女で握手する習慣はないのだが、これが男女の友情の成立という人類初の珍事である。


 そんな二人の様子を朝比奈さんがじっと見ていて俺にぼそりと言った。

「ようやく打ち解けたみたいね」

「さあ、どうでしょうかね。気性が激しいあいつのことですから。また喧嘩けんかするんじゃないですか」

「でも、涼宮さんが自分から握手を求める相手なんて初めてじゃないかしら」

「そう……、かもしれませんね」

過去の記憶をたどってみるが、そういえば思い当たるフシがない。

「もしかしたら、ジャンは涼宮さんにとって、和解したい誰かに似てるのかもしれないわね」

そんな親のかたきみたいなやつがいたんですか。いったい誰やそいつ、お友達になりたいわ。


 ハルヒは照れ隠しなのか腹が減ったと大げさに叫んで隣の部屋へと戻り、テーブルの上に残っている食べ物と酒を片っ端からかき寄せている。俺も小腹がすいたので長門をうながして部屋に入った。

「こら! そこのオッサン!」

俺のことかと一瞬思ったが、ハルヒがビシ指をしている方向を見ると、壁に向かって背中を丸め、薄汚れたフードを被って黙々と食っている中年のおっさんがいる。ビクッとしてふり向き、口に指を当ててシーッと言っている。

「あんた、せっかく来てんなら挨拶あいさつくらいしなさいよね。あんたが一言ひとこと発すればなんでもはくが付くのに」

「た、頼むから静かにして。今日はお忍びで来てるんだから。あ、このジャガイモとゆで卵と三角形のなにかを串に刺して煮たやつおいしいね」

それはたぶん長門が作ったおでんだと思いますよ。イギリス海峡で獲れた魚の練り物は会心かいしんの出来みたいです。マスタードを塗って食べるといいです、って、あんた王様だったんかい!

 聞き覚えのある声を耳にしたらしい伯爵が駆けつけてきて、ひざまずこうとしたが頼むからやめてくれと懇願こんがんされ、

「陛下、リチャード陛下、あなたもお人が悪い。おっしゃっていただければ部屋をご用意しましたのに」

「もうーその呼び方やめてくれない? 今日はアニキとして来たんだから。食べたら帰るからそっとしといてよね」

護衛も従者もいないところを見るとどうやら本当にお忍びで来たらしい。ウエストミンスターは今頃いまごろ大騒ぎになっているにちがいない。しょうがないので古泉を護衛に立たせることにしたが、王様は相変わらず古泉にご執心しゅうしんのようで、ぜひうちに来ないかと執拗しつように口説いている。二人の間にハルヒが割り込んでダメダメと釘を刺して古泉を護衛していた。


 うたげは夜明けまで続き、テーブルの上のメニューが補充され、ときどきダンス会が開催された。眠くなった人は客室でごろ寝したり、ベンチの上でそのまま長く伸びていたりしている。たいていはまだ起きていてゲームにきょうじたりちびちびと酒を飲んでいたり、ご婦人は恋話こいばなに花を咲かせていたりした。

 窓の外の瑠璃るり色が少しずつ白んでくる頃、俺は火照ほてった顔を冷ましに長門と一緒に客室のテラスに出ようとしたところで朝比奈さんと遭遇そうぐうした。

「そろそろ夜が明けますね」

「ええ。もうすぐうたげも終わりね」

テラスには篝火かがりびかれていた。そろそろ火の勢いも弱くなってきている。階下にはいくつものトーチがかかげられ、馬車が通ってきた花道の両脇の柱にも火がともっていた。群青色ぐんじょういろの東の空に薄いピンクの筋雲が見えていて、そろそろ一番鶏いちばんどりが鳴く頃あいだろう。


 薄暗いテラスに目を降ろすと先客がいて、東の空をながめながらじっと夜が明けるのを待っている客がいた。そいつがフウと大きなため息を吐き、手に持ったグラスから一口飲んで一言つぶやいた。

「やーれやれね。やっとジョンスミスが片付いたわ」

その言葉に、俺と長門と朝比奈さんは瞬間冷凍庫に放り込まれた活魚かつぎょのようにビシっと凍りついた。


 今のはいったいどういう意味だ。なぜハルヒはここでジョンスミスの名前を出したのだ。そもそもジャン・ド・スマイトが実はジョンスミスのフランス名だと知っていたのか。ハルヒほどのかんの良さがあれば気がついてもおかしくはないが、いや待て、ハルヒは伯爵を名前で呼んだことは一度もないはずだ。


 片付いた、だと? いったい何が片付いたんだ。考えてみれば今回の騒動は最初から伯爵を中心にハルヒが立ち回っている。領土を荒らしまわった盗賊団も、まさかの落雷肉骨粉にくこっぷん決闘裁判も、そしてラブラブ大作戦も、あれらはすべて伯爵のためにハルヒが仕組んだ陰謀だった。

 そして俺の記憶から一つの音声が天啓てんけいのように響いた。


“あんたさえいなきゃねえ”


 もしかしてハルヒは、ジョンスミスの存在を消したかったんじゃないだろうか。


 最初は亡き者にしてしまおうと試みた。の葉を隠すなら森の中に、死体を隠すなら戦場に。この理論セオリーどおりに、皆が知っている歴史の闇にジョンスミスをほうむり去ろうとしたのではないか。

 そうだとすれば、タイムスリップにはじまった今回の中世版SOS団の大冒険は、俺たち全員がハルヒの手の上で踊っていたことにはならないか。すべての発端である時間移動技術の事故も、ハルヒの願望をかなえる能力が時間のパラドクスを引き起こしたんだとしたら。

 ところが、何の偶然か誰かの陰謀か、横槍が入り決闘は中断され、抹殺まっさつは失敗に終わる。肉骨粉にくこっぷんと化した二人を蘇生そせいする長門の背後にはおそらく情報統合思念体の意図があったのだろうが、抹殺まっさつの試みにしくじったとみると今度は、そのジョンスミスを作り出した張本人の朝比奈さんをけしかけて“合法的”に始末しようとした。未来人を組織から孤立させ、規定と禁則を破らせ、き付けて乙女心おとめごころを揺さぶり、心理戦よろしくマインドコントロールし因果律いんがりつを操作する能力を使わせたのではないか。朝比奈さんはそれに気づかぬままに動いていたのではないだろうか。


 そしてもう一つ。この陰謀にいち早く気がつくはずだった古泉はなぜかSOS団から遠ざけられていた。古泉は去り際にわずか一言いちごんだけの警告を俺に残した。自分が知っている史実と違うことが起き、誰かが歴史を改変しようとしている。俺は近視眼的きんしがんてきに朝比奈さんの行動ばかりを疑っていたが、それはカモフラージュにすぎず実は別の思惑おもわくが動いていたのではないのか。


 朝比奈さんは言った。既定事項とは一本の時間の流れがいくつかの点で固定されているものだ、と。安易に動かそうとすると揺り返しが起こって元の流れに戻そうとする力が働き、結局は同じところにたどり着く。それはその時代に生きている人間の意思とつながっている。だが歴史の方程式の解を最初から知っていて、誰よりも強力な意思を持っているやつがいたとしたら。もしかしたら既定事項すら打ち破ってしまえるのではないか。

 そこで俺の疑問が再びよみがえる。


“あいつはいったい何と戦ってるんだ”


その問いに対する答えを先に得た俺の脳裏に戦慄せんりつが走った。ハルヒははがねのワイヤーのように自力で元に戻ろうとする既定事項と戦いながら、歴史の舞台にゴンゴンと五寸釘を打ち続けていたのである。雨にも落雷にもめげず、硬い岩盤にペグを打ち込みながら断崖絶壁だんがいぜっぺきを登りつめ、とうとう自分の意思でルートを作り上げた。そして重要な問いは、あいつがすべて計算の上で意図してやったのか、それともジョンスミスに対する潜在意識がやらせたのか、ということだ。


 ハルヒがらしたたった一言で今まで起こったすべてのイベントの謎が解けてしまうとは、やれやれ天啓てんけいってやつは恐ろしい。いつでもこういう具合に理路整然りろせいぜんとモノを理解して関連性を推理できれば、俺だって古泉と同等の知能をほこれるんだがな。だがこのひらめきってやつが、まるでテスト後の答え合わせをするように一気に俺の脳内になだれ込んできたということ自体が、完全勝利を手にしたハルヒの能力による種明たねあかしでなかったとはとても言い切れない。


 固まったまま動かない朝比奈さんと長門。俺が二人の肩を揺するとハッと我に返り、さっきまでほろ酔いだった表情が急に青ざめた色に変わった。どうやら朝比奈さんも同じ答えにたどり着いたらしくひたいの生え際に冷や汗が浮き出ている。目を丸くした長門が、

「……これまで涼宮ハルヒがこのような事象の展開をしたことはなかった。俗物的だが、神秘としか表現できない」

これは長門が随分後になって明かしたことだが、情報統合思念体の管理下にあるこの世界の構造自体を、この舞台で演じさせられるという役を逆手に取って改変を行うという、まるで時空構造のハッキングのようなことをやってのけたハルヒの底知れない能力が明らかになり、思念体全域ぜんいきに渡って畏怖いふと恐怖が伝搬でんぱんしたのだという。情報統合思念体の手の上で俺達が踊っていたのか、それともハルヒの手の上で皆が踊らされていたのか、長門にも解けないミステリーなのらしい。

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