二十三章
この頃の結婚といえば先に
「めんどくさいわねー、庶民はほとんどデキちゃった婚だっていうのに」
ほとんどは言いすぎだろ。まあ、だいたい二割くらいかな。
「しょうがないだろ。なんせ騎士道プラス教会の
「
ハルヒは口をアヒルのようにとがらせ自分の手のひらに唇をくっつけながら不満そうにつぶやいた。お前は二人になにを求めてるんだ、スキャンダルか、
「ところでキョン、みくるちゃんの結婚式はあんたがやんの?」
「いや、さすがにそれは大聖堂の司教様が
俺はちょっと覗いたことしかないんだが、街の中心に建っているグロースター教会にはわりと立派な聖堂があってだな、領地の重要な行事は偉い司教様がやることになっている。俺みたいな
翌週に朝比奈さんと伯爵の
立派な石造りのグロースター教会に二人がお出ましになり、ロウソクだけが
「聖なるキリストの教会が認めるならば、あなたはこの女性を妻として
「はい」
おなじ質問が朝比奈さんにもされて、あ、えっと、はいですとドギマギした様子で答えた。司教様からお互いの婚約指輪を受け取り、相手の指にはめる。
「こら司教! そこでキッスくらいさせなムググ!」
「涼宮さん……神様の
古泉にたしなめられてテヘペロをしてみせるハルヒである。
そういえばここしばらくは一人の神人すら生み出さず、わりとすんなり従うハルヒという完全逆転だったが、もしかしたらなにをしても落ち着かず
司教様が祝福を述べた後、二人は手を取り合って教会の外に出て、部下一同、親族一同、友人一同、教会関係者、領民一同がニヤニヤ顔もといニコニコ顔で
それからしばらくの間、教会の前の掲示板にこの二人はラブラブなんです的な文章が
式まではまだ三週間もあるさとモラトリアムをかましていた俺は、結婚式の準備と予行演習にまさかこれほど手間をかけるとは思っていなかった。っていうか男は大抵そういうもんだよな。
買い物の使いっ走りをやらされあっちこっちを走りまわり、そうかと思えば予行演習をやる司祭の役をやらされたり、花嫁だけではなく女子全員が着る衣装のデザインが気に入らないとか、花嫁衣装はもっとキュっとバシっとウエストを
野郎は全員家から追い出され、追い出されたというか単に村のおばちゃんたちが我も我もと家に押しかけてあれやこれやイギリス流の挙式について議論を始めたために居場所がなくなったわけだが、ハルヒと長門を中心にした花嫁の友人がワインとエールをがぶ飲みしながらああでもないこうでもないと、当の花嫁はそっちのけでのお祭り騒ぎである。
「白よ! 白に決まってんでしょ、それだけは絶対領域よ」
あー、ハルヒよ、残念ながらこの時代ウエディングドレスてのはないんだそうだ。特に純白シルクのやつはな。などと歴史的事実に基づく説得を試みようとする努力もむなしく、ペルシアと
式当日の朝、目も覚めるような純白の衣装で家のドアを開けた朝比奈さんは白い肌の上に白い長手袋で、見送りに来ている村の住民に手を振った。姿が現れると小さな拍手が
白く長いスカートには金と銀の糸で
「朝比奈さん、お美しいです。今日という日を俺は、」
「こらキョン、領主の奥さんにはちゃんと敬称をつけなさいよね」
「マイレディ、ユーアーソーパーフェクト、パーフェクトっす!」
朝比奈さんは小さな声で、
「ありがとう、キョンくん。今までずっと」
今までという言葉に、もううちの人間ではなくなるんだなぁみたいな妙な
家の前に四頭立ての馬車が止まり、伯爵が降りてきた。今日はなんだか髪のボリュームが増してるな、と思ったらカツラなのだそうだ。よくイギリスで法廷の人が被ってるやつな。
「おはよう、……ございます。マ、マイ、マイレ」
伯爵は緊張のあまりセリフを忘れたのか、たぶん朝比奈さんの輝ける美しさに我を忘れたのだろう、呆然とその姿を見つめ目を何度もゴシゴシとこすっている。
「マイロード、晴れてよろしうございました」
「ま、まったくそのとおり。昨日から天気のことばかり気になって寝付けませんでした」
「でも夕方から天気が
「それは残念。では外で
「そうですね。今夜は冷えますから」
挙式当日だというのに、さっきから天気の話しかしてない二人である。
伯爵は朝比奈さんの右手を取って馬車に乗せ、
「マイレディ、地球上のバラと財宝をすべて集めたとしても、今日のあなたはそれに負ける気がしません」
ここからグロースター教会まで、真新しい
かたつむりが歩くほどのゆるゆる行列が教会にたどり着くのには半日ほどかかり、その道の途中で村の住人が見物に立っていて、朝比奈さんが手を振って
「いやぁ、もう
「それにしても、まさか朝比奈さんがこんなに早くお嫁に行ってしまうとは。まったくの予想外でしたけどね」
「えー、あたしゃもっと早く結婚してもよかったと思うよ」
ええまあ、この時代ではそうかもしれませんね。俺的には、ある程度の職業的地位を得てからの晩婚になるんじゃないかって気がしてました。未来人の仕事優先で。
「俺の予感では、身の回りのことにかまけてて晩婚になるような気がしてたんです」
「まあねえ、恋ってのはいつなんどき現れるかわかんないもんだからね。あーあ、あたしもあやかりたいねえ。このままだと晩婚になっちまうよ」
「ドルイド修道会って結婚できるんですか」
「もっちろんだよ。どうやって子孫を残せってんだい、アメーバかいあたしゃ」
細胞分裂する鶴屋さんは、まあそれはそれで見てみたい気もしますが。
「それなら古泉はどうですか。あいつまだ独身ですよ」
「なるほど! そいつぁいいことを聞いた。ダンスに誘ってみるよ」
「あいつお硬いところありますけど、わりと女性にはトロけやすいんで、がんばってください」
古泉に美女をけしかけるとは、いったいどうなることか、未だかつて恋の罠を仕組んだことのない俺はニヤニヤを
大聖堂教会の屋根付き玄関にはこないだの司教様がニコニコ顔で立っていて皆を
司教様は結婚指輪をお
「父と子と聖霊の
を
「この指輪を
これが終わってからやっと教会の中に入るのだが、朝比奈さんはここでやっとベールのついた白いショールを頭に被った。現代でもショールを
玄関の外で見物していた貧しい領民に
「信仰の友よ、我らは今日ここに父と子と聖霊の
ラテン語で、
二人は
「キョ、キョ、い、今の、いったいなんのマネなの」
「さ、さあ俺に聞かれても知らん」
「……今のは、
長門がフォローしてくれたが、そ、そういう習わしがあんのな。いやー、いろんな意味でホッした。考えてもみろ、もし俺が式を
そこで新郎が新婦のベールを上げて肩を抱き寄せ、左手で右手を握り、目を閉じた新婦に唇を寄せ、ハァという客人のため息が響く中、熱いキスを交わした。これが二人の初キスである。目を開けたときの朝比奈さんは新世界に降り立ったビーナスのように光り輝いており、
二人は手を取り合って教会の出口に歩いてゆき、客人一同もその後に続いた。入口のドアを開けると待ちわびていた領民が拍手喝采し、二人の頭の上に祝福のバラの花ビラをいっせいに
控えていたケルト風楽団が演奏を始め、新郎新婦が馬車に乗るとさっきと同じ行列でゆるゆると城まで行進した。行列の先導役には、この日のためにあつらえた長いドレスで着飾った
一行がグロースター城についたとき、いつもは殺風景な石の建物が見事に飾られ、城壁のいたるところに大盛りの花を活けた壺が置かれていて赤やピンクや黄色の
ドアの前で銀ピカの
伯爵は騎士団に向かって笑いそうになるのをこらえながら、
「これはまた派手に飾ったな。聞いてないぞ」
このお
「サーコイズミの案です。彼がどうしてもと言うので」
騎士団長が到着したばかりの古泉をクイと指差した。なるほど犯人はこいつか。
「マイロード、マイレディ、ご成婚おめでとうございます。お二人の
騎士団長が大声で号令をかけると全員がシャリンと
「レディ・ミクル・オブ・スマイト。あなたを我らが領主の妻として、領主同様に誠心誠意お仕えし、我らが
突然忠誠を誓われて、朝比奈さんはええっと、どう
「ええっと、では騎士殿」
右の肩に
「お立ちなさい、騎士殿。勇気を持っていつも正しいことを行なってください。あなたが仕える領主と領民のために、強きを
騎士団長は朝比奈さんの手を取って指輪にキスをし、それから立ち上がった。その様子を見ていた皆から大歓声が
執事さんが丁寧にあいさつを述べて、二人の先に立って城の中に案内した。騎士団はシャクシャクと
俺たち客人はそのまま大広間に通され、新郎と新婦が登場するのを待った。ハルヒは長門を連れて朝比奈さんのために用意された部屋に突入しに行ったようだ。
大広間に伯爵と朝比奈さんが現れると皆拍手で
小一時間ほどして皆の腹が
「ユキリン! 俺のユキリン! 俺と一曲踊ってくれ!」
いやこれは俺じゃないから。なんか前より一段とたくましくなった谷口が走ってきて長門の前でひざまずいた。
「トニー、お前なんでこんなとこにいんだよ。エルサレムじゃなかったんかい」
「このクソ修道士、よくもあんな戦場ど真ん中に置き去りにしてくれたな。おかげで俺ぁ騎士道に目覚めたよ。ロード・スマイトにお仕えする
二十代半ばにして男に目覚めるとか、実家のおっかさんは泣いてるだろうに。谷口なんざ志願しても三等兵がいいところだがな、まあ強く生きろ。
長門が俺に向かって踊ってやってもいいか、という視線をよこしたのでうなずいてやった。まあ悪さはしまい。
ハルヒはいつもよりめかし込んでいるくせにダンスなんぞ興味はないらしく、隣の部屋でローストビーフのかたまりを
俺は伯爵と朝比奈さんが優雅に踊っているところを遠目に鑑賞し、谷口が一曲だけと言っていたのにアンコールをお願いしているのでまあ好きにしろと冷めた
普通は男から誘うものらしいが、古泉が鶴屋さんにダンスを申し込まれて照れた笑いを浮かべている。二人は修道女と騎士コスプレという実にエレガントな
伯爵があちこちの部屋をうろうろして誰かを探している。隣の部屋でときどき聞こえてくるゲップと笑い声の主を見つけると、お探しの人物はどうやらそいつだったらしい。テーブルを囲んでしょーもない中世ジョークの
── イングランドのある農家の女が言いました。騎士様、うちの息子が病気なので税が払えません、どうかお
「ミス・スズミヤ。次の一曲を踊っていただけませんかな」
後ろから呼ばれたハルヒはくるりと首だけ回し、座った目でまじまじと伯爵の顔を
「いいわ。今世紀の記念にね」
差し出された手を取り、ヨロヨロと椅子から立ち上がった。こんなに酔った状態で踊る方も踊る方だが、誘う方も誘う方だ。まあこれが今日という日だから、ずっと一線を画していた二人にすればなにか思うところがあったのだろう。
曲が始まるとハルヒは急にシャキッとした顔つきになり、うやうやしくお
優雅さからは程遠いハルヒと伯爵のダンスだったが、曲が終わると丁寧にお
ダンスタイムは一時休憩となり、部屋の中から人がまばらに散っても、二人はじっと見つめ合ったままそこから立ち去らなかった。
「ミス・スズミヤ。今回のことはいろいろと手を尽くしていただいてありがとう。感謝の念に尽きない。このお礼はどうお返しすればいいのやら」
「いいのよお返しなんか。みくるちゃんが幸せになれるんだったらね」
「もちろんだ。我が
「みくるちゃんはねえ、一度つらい失恋をしてるからね。その分も埋め合わせしてあげるのよ」
「そうだったのか。いや、あのお方が失恋なさるとは信じられん。相手の男はなんという不幸なやつだ」
伯爵は腕組みをして、いったいどこのどいつだという風に考え込んでいる。ハルヒはチラと俺を見てから、
「年下の男の子だったんだけどね。巡り合わせが悪くて告白もできずに
「では一方的な恋だったわけだ」
「案外まんざらじゃなかったかもしんないけど、まあ結ばれない運命だったのよ。どっちも子供だったしね」
同じ歳のお前に子供とか言われたかねーのだが。伯爵は笑いながら、
「なんと言うべきか、その不幸な男がいたから私が今ここであの美しい姿を
聞き耳をたてていた俺が、
「そうだわ、ひとつだけいいこと教えてあげる。みくるちゃんはわりとマゾっ気があんのよ。耳が弱点ね」
「ほうほう……。耳が弱い、のか。それは興味深いな……」
「抱きしめてペロペロしてあげるとコロっと、」
ご婦人が聞いていたら赤面しそうな、話題があらぬ方向へ行きそうなので俺はオホンオホンと
「ミス・スズミヤ。妻の友人として、それから私の友人として、今後ともよろしく頼む」
ハルヒは少し考えてから右手を差し出した。伯爵がその右手を取って口づけをしようとすると、
「ち、ちがうわよ。こうやんのよ」
ハルヒは赤面しながら伯爵の右手を握って上下に三回振った。伯爵は最初目を丸くして、それから笑ってうなずき握った手を振った。中世では男女で握手する習慣はないのだが、これが男女の友情の成立という人類初の珍事である。
そんな二人の様子を朝比奈さんがじっと見ていて俺にぼそりと言った。
「ようやく打ち解けたみたいね」
「さあ、どうでしょうかね。気性が激しいあいつのことですから。また
「でも、涼宮さんが自分から握手を求める相手なんて初めてじゃないかしら」
「そう……、かもしれませんね」
過去の記憶をたどってみるが、そういえば思い当たるフシがない。
「もしかしたら、ジャンは涼宮さんにとって、和解したい誰かに似てるのかもしれないわね」
そんな親の
ハルヒは照れ隠しなのか腹が減ったと大げさに叫んで隣の部屋へと戻り、テーブルの上に残っている食べ物と酒を片っ端からかき寄せている。俺も小腹がすいたので長門を
「こら! そこのオッサン!」
俺のことかと一瞬思ったが、ハルヒがビシ指をしている方向を見ると、壁に向かって背中を丸め、薄汚れたフードを被って黙々と食っている中年のおっさんがいる。ビクッとしてふり向き、口に指を当ててシーッと言っている。
「あんた、せっかく来てんなら
「た、頼むから静かにして。今日はお忍びで来てるんだから。あ、このジャガイモとゆで卵と三角形のなにかを串に刺して煮たやつおいしいね」
それはたぶん長門が作ったおでんだと思いますよ。イギリス海峡で獲れた魚の練り物は
聞き覚えのある声を耳にしたらしい伯爵が駆けつけてきて、
「陛下、リチャード陛下、あなたもお人が悪い。おっしゃっていただければ部屋をご用意しましたのに」
「もうーその呼び方やめてくれない? 今日はアニキとして来たんだから。食べたら帰るからそっとしといてよね」
護衛も従者もいないところを見るとどうやら本当にお忍びで来たらしい。ウエストミンスターは
窓の外の
「そろそろ夜が明けますね」
「ええ。もうすぐ
テラスには
薄暗いテラスに目を降ろすと先客がいて、東の空を
「やーれやれね。やっとジョンスミスが片付いたわ」
その言葉に、俺と長門と朝比奈さんは瞬間冷凍庫に放り込まれた
今のはいったいどういう意味だ。なぜハルヒはここでジョンスミスの名前を出したのだ。そもそもジャン・ド・スマイトが実はジョンスミスのフランス名だと知っていたのか。ハルヒほどの
片付いた、だと? いったい何が片付いたんだ。考えてみれば今回の騒動は最初から伯爵を中心にハルヒが立ち回っている。領土を荒らしまわった盗賊団も、まさかの落雷
そして俺の記憶から一つの音声が
“あんたさえいなきゃねえ”
もしかしてハルヒは、ジョンスミスの存在を消したかったんじゃないだろうか。
最初は亡き者にしてしまおうと試みた。
そうだとすれば、タイムスリップにはじまった今回の中世版SOS団の大冒険は、俺たち全員がハルヒの手の上で踊っていたことにはならないか。すべての発端である時間移動技術の事故も、ハルヒの願望を
ところが、何の偶然か誰かの陰謀か、横槍が入り決闘は中断され、
そしてもう一つ。この陰謀にいち早く気がつくはずだった古泉はなぜかSOS団から遠ざけられていた。古泉は去り際にわずか
朝比奈さんは言った。既定事項とは一本の時間の流れがいくつかの点で固定されているものだ、と。安易に動かそうとすると揺り返しが起こって元の流れに戻そうとする力が働き、結局は同じところにたどり着く。それはその時代に生きている人間の意思とつながっている。だが歴史の方程式の解を最初から知っていて、誰よりも強力な意思を持っているやつがいたとしたら。もしかしたら既定事項すら打ち破ってしまえるのではないか。
そこで俺の疑問が再び
“あいつはいったい何と戦ってるんだ”
その問いに対する答えを先に得た俺の脳裏に
ハルヒが
固まったまま動かない朝比奈さんと長門。俺が二人の肩を揺するとハッと我に返り、さっきまでほろ酔いだった表情が急に青ざめた色に変わった。どうやら朝比奈さんも同じ答えにたどり着いたらしく
「……これまで涼宮ハルヒがこのような事象の展開をしたことはなかった。俗物的だが、神秘としか表現できない」
これは長門が随分後になって明かしたことだが、情報統合思念体の管理下にあるこの世界の構造自体を、この舞台で演じさせられるという役を逆手に取って改変を行うという、まるで時空構造のハッキングのようなことをやってのけたハルヒの底知れない能力が明らかになり、思念体
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます