二十章
つくづく思う、ここに古泉がいてくれたら、この状況を分かりやすく解説してくれただろうに。
俺が落ちてきたこの世界は、ある存在が夢見ている恋のようなものなのではないかと。俺たちが、あるいはこの世界そのものがその存在にとっての恋の舞台にすぎないのではないか、とな。
今からたった一年前に、王子様としてあるべき完全な理想像があらかじめ用意されて現れ、すべてがそこから始まったのではない、と否定できる証拠などどこにもない。自らの意志で世界を否定したり
時空の歪みを創りだして宇宙人未来人超能力者をかき集め、見つかりもしないこの世の不思議探索に
これまで関わってくれた、銀河を
ハルヒ一人でも持て余している俺なのに、同じ願望を持った人間が新たに登場したら、できれば場末の脇役として一生を終えたい願望の俺はいったいどうすればいいのだ。つくづく思う、ここに古泉がいてくれたら、と。
こんな頭痛がする夜明け前からガシャガシャと倉庫が騒がしい。
「こら! みんな起きなさい! 今朝は五時起きって言ったでしょうが」
「涼宮さん、皆さん、おはようございます」
まだニワトリも鳴いてないのに目ぱっちりの朝比奈さんがすでにトサカのお手入れを終えて待ち構えていた。目ん玉ぱっちりっていうか、あなた全然寝てないですよね。
「……」
「……」
俺と長門は終始無言のままボサボサの髪をして眠い目を
ハルヒは先週、城まで出かけて行って中古の兵士装備を買い取ってきたらしい。サイズ合うのかよと思ったのだがブリトン人はだいたい小柄なのでな。まあほとんど農民だし。
スチールの
「おーいハルヒ、何度も言ったが前線には行かせないからな。俺たちは兵士じゃないし、よそんちの宗教戦争には関わるべきじゃない」
「分かってるわよ。これはコスプレよコスプレ、歴史を知るにはまず形からって言うでしょ」
言わないです。あとコスプレで勉強になるんだったら歴史の先生は苦労しないです。
ブンブンふり回している
「ハルヒ、その
「気配ってなによ」
ギクッと目を見張るハルヒ。
「きっと戦場で人の血を吸ってるぞ。
「な、なにを言い出すのよ。べ、別にそんなものどこにでもある話なんだからね」
否定しつつも恐怖に震えている、こういうのツンガクっていうんだろうか。
「あれは……そう、俺がまだ小学校に上る前のことだ。田舎の古い言い伝えでな、戦国時代に死んだとかいう落ち武者が夜になると家の窓ガラスに映るんだ。そしてツルツルの頭をペンペン叩きながら、一本、二本、と抜けた髪をうらめしい顔をしながら数えて、」
「キャー、キョンくんやめて!」
朝比奈さんが目をつぶって両耳を
「キョ、キョンシー、出かける前にこれお
「お
「いいから今すぐやんなさい!
クックック、小学生か。しょうがないんで井戸水を数滴ふりかけながらブツブツとラテン語を唱えてやった。それからハルヒは
家の前から馬の鳴き声が聞こえ、どうやら旅の同行者が到着したらしい気配がする。
「おっはーミクル、いーいところに住んでるんだねぇ。あたしもこういう豪華な住まいにあやかりたいにょろ」
「おはようございますシスタークレイン。
「ようようブラザージョーン、朝から疲れた顔してるねっ。若いんだからもっとシャキっとシャキっと」
「えへへ。えーとうちの二人とは初顔合わせでしたっけ、こっちは
「……お初。よろしく」
「これはこれはお初にお目にかかれて光栄にょろ。山賊殿に錬金術師殿に修道士殿かい、いろんな人材が
ハルヒはシスタークレインの全身
「え、ちょっとキョン……、なんで……鶴屋さんがいるのよ……」
「いや鶴屋さんに似てるけど鶴屋さんじゃないから、話がややこしくなるから間違えんなよ」
「でもそっくりさんにしちゃ似すぎじゃないの、どんなクローンよ」
ボソボソと日本語でしゃべっているのがシスタークレインに聞こえたらしく、
「ブラザージョーンも言ってたけど、ツルヤって誰だい、あたしの知ってる人かい?」
「いやぁ、なんでもないですよぉ。すごくよく似た他人の
「え、えーっと、シスタークレインだっけ、よろしくね。村の子供達のことではお世話になりました」
「いいっていいって、困ったときはお互い様さぁ」
レディ達がテーブルで軽い朝飯を食べながらご
俺が御者席で
家の管理はメイドさんと雇いの農夫に頼んでおいた。もう一度この我が家の
イギリスとはいっても夏はやっぱり夏で、乗客三人は強い日差しに目を細めている。長門に日傘を買ってやればよかったのだが、イギリスに日傘なるものが登場するのはもう少し後の時代らしい。朝比奈さんはドルイド修道士コスプレをしていて、というかマニアックすぎてたぶんこれがコスプレだと分かる人はほとんどいないと思うが、ケルト風
俺の修道服にもフードがあるっちゃあるんだが、夏冬兼用、
「ところで、朝比奈さん、どういうルートで行くんですか」
「え……そういうのはてっきりキョンくんの担当だとばっかり……」
朝比奈さん、自分はあれこれ決めるだけで後のことは他人任せってのはですね、あなた本当にハルヒに似てきてますよ。などと言うとまたプチプチとなにかが切れるかもしれないので黙っていたが、ニコニコ必殺スマイルの朝比奈さんを見てると何も言えなくなる俺である。
ため息をついた長門が道の先を指差して、
「……ロンドンを経由して」
「おう、了解」
テムズ川から舟で下れば、下流でフランス行きの貨物船にでも乗せてもらえるだろう。ハルヒは太っとい眉毛を描いて気難しい騎士の顔をしながら後ろからついてきているが、顔まで騎士コスプレしなくてもいいぞ。
途中宿場町で一泊し、ロンドンの城塞には翌日の昼頃に着いた。長門が指差す方向に馬車を進めていくと、なつかしのドラッグストア・ユキリンが見えた。一旦店に寄ると言う。
「な、ナガティウス錬金商会って、有希って開業してたの。すっごいじゃん」
「……気がついたら店主になっていた」
いや、それはそれで怖いです。
皆を馬車から降ろして、馬からハーネスを
「ユキ! ユキリン戻ってきたのか! まじかうおぉぉ」
泣いてるのか喜んでいるのか叫んでいるのか眼と鼻から水をほとばしらせながらマッチョ谷口が出てきた。ハルヒが眉を寄せ親指でクイクイと谷口の方を指し、
「ちょっとキョン……なんなのこいつ。なんで谷口がいんのよ」
「こいつはトニーといってだな、谷口の遠い親類みたいなもんなんだよ」
「へー、谷口って先祖イタリア人だったんだ……それでああいうキャラなのね」
何を納得しているのか妙に納得しているハルヒである。
「おい修道士、なんかぶっそうなもん下げてるやつがいるが、従軍でもすんのか」
「いやまあ、ちょっとエルサレムまでな」
「なん……だと。頼む! 俺も連れて行ってくれ」
「だってお前、家の仕事はどうすんだ」
「家の仕事なんざどうだっていい。俺だって戦場に行って一旗上げてえんだよ」
ああ、そういえば騎士見習いの就職先を
「しかしなあ、素人のお前が行っても足手まといになるだけだぞ」
「ユキのそばにいてえんだ」
そこまで言われちゃなあ、と俺は長門の返事をうかがった。
「……トニー」
どういう意味のトニーなのかよく分からなかったが、否定ではなさそうだ。男には家でじっとしていられない年頃ってやつがある。まあ無駄に筋肉ありそうだし力仕事ならやれるだろ。
「しょうがない、連れて行ってやる。四十秒で支度しろ」
「イェッサー」
ドタドタと家の階段を上がって行く音がしたと思うとまたドタドタと降りてきて、
「おい修道士、俺に命令すんな」
「分かったからさっさとしろ」
「イェッサー」
それから谷口の母ちゃんらしき女性と
「おう修道士、準備完了したぜ」
顔に真っ赤な手形をつけて出てきた谷口は、テカテカの新品フルメタル
「着込みすぎだ、そんな格好じゃ船には乗れんだろ」
「や、やっぱそうかな。んじゃカブトは置いていくぜ」
ローマのコロセウムにでも出るつもりだったのか。
「なるべく軽い装備で、その長剣も、槍もダメだ。腰にあるやつだけにしとけ。必要になったら現地調達でもしろ」
っていうかなんでそんなバカ高いフル装備がお前んちにあんだよ。
「そうそう。この日のためにあつらえてみたんだが、どうよこのペナント」
谷口がパラリと開いてみせた
「どこの一族だ?」
「うちのに決まってんだろ。我がグッチ家の
真ん中にナイトが立っていて右手にスーツケースと左手にカバンを下げている。なんか今すぐ家出しますみたいなデザインになってるが。
「なにが
「やっぱバレてたか。でもいいじゃねえか、俺が
ところが、この紋章が代々伝わりどこぞのブランドのロゴになっているのを知るのは俺が未来に帰ってからのことである。
似たような格好をしたハルヒが谷口の武器装備を
「ちょっとトニーとやら、なんであんたの装備あたしのより立派なのよ」
「なんだあ、お前女だったのか。ふふっ、こう見えても俺様は
ムカついたハルヒが
「ハルヒ、軍馬は置いていくぞ」
「ええぇ、馬がいないとあたしただの歩兵じゃん」
だから前線には行かせねえつってんのに、お前戦う気満々かよ。
「馬を船に乗せると貨物になるから旅費がかさむんだよ。現地で借りるとか調達すりゃいいだろ」
「あそっか、そうよね。
いやお前、だから戦わないでねって、お願いだから。
「長門、こっちは準備オーケーだ」
「……了解した」
谷口を連れて行くとあっては店の面倒を見てくれるやつがいないので、当分の間閉めることにした。馬と馬車はここに置いていくそうだが、谷口の母ちゃんにでも頼んでおけばいいか。
テムズ川の渡し船にでも乗るのかと思いきや、長門は店の地下室へのドアを指差した。
「……ここから地中海沿岸へショートカットする」
「え、もしかしてあのドア?」
「そう。でも一方通行のみ、帰りは徒歩の旅になる。それでもいい?」
「ああ、正直今回は旅費が足りなくてな。片道だけでもだいぶ助かるよ」
長門を未来から
「え、ちょっと有希、こんな魔法使いの部屋みたいなところでなにすんの? あっ、分かった人体実験ね」
ああ、お前をマッチョな強化兵に改造するんだよ。
床下にあるはずのペンタグラムは敷石に
「……ここまで来て警告するのは、いささか
どっかで聞いたようなセリフだな。
「……でも、今ならまだ引き返せる」
朝比奈さんはギュっと
「いまさらです。とっくに覚悟はできています」
長門はうなずいてドアから一歩下がり、両手を合わせて詠唱を始めた。あらら、いいのかハルヒに聞かせちまっても。最近なんだか長門も半分ヤケクソっぽいんだが。
「……オンキリキリ……バサラウンハッタ……トビマス! トビマス!」
全員じっと固まったまま二十秒くらい待ったがなにも起こらない。
「有希? 今の、なんのおまじない?」
「……」
長門の液体ヘリウムみたいな目が俺を見つめた。長門がドアノブを指さしている。え、俺に開けろってこと? ゆっくりとドアを開くとそこは暗闇だった。だが前回のような
「キョン、今のなんだったの」
ハルヒが耳元でささやく。
「あれはだな、今
「へー。錬金術にドコデモなんとかとかあったんだ」
部屋が暗くてハルヒの表情が見えず、疑っているのか真に受けているのかよく分からないが、俺にとっちゃそんなこたぁもうどうでもよくなってきている。谷口が持ってきていたランプを部屋の中にかざすとどうやら食料倉庫のようだ。
「どこなのここ、」
ハルヒが誰に尋ねるでもなくつぶやいた
雲ひとつなくこれ以上ないという晴れ渡った青い空、そしてそこに飛びかう矢の雨、火矢の雨、投石器から放たれる砲弾、飛んでくる石、
「やっちゃったなあ、長門。やっちゃったよー」
「……すまない。座標が二ミリ秒ずれた」
「ここはどの辺なんだ?」
「……アッコンの城塞都市。エルサレムから北に百六十キロメートル」
やっちゃったなあ、いきなり戦場だものなあ。てっきり地中海の青い島、恋も芽生えるバカンスのキプロスに出るとばかり期待してたものなあ。いやー、今回の時間移動技術は物理座標がシビアだとは聞いていたが、たった二ミリ秒? ずれただけでこんなことになるとはなあ。
「おーいみんな、予定変更だ。とりあえずこの町から脱出するぞ」
聞こえなかったのか俺の声がかき消されたのか誰も返事をせず、朝比奈さんは真っ青になって固まっている。ハルヒと鶴屋さんはなんだかサマーバーゲンとクリスマスセールがいっぺんにやってきたみたいなお祭り気分でキャーキャー喜んでるし、谷口はカタカタ震えながら股間を
なにかどこの国か分からない言葉で叫んでいる兵士が
「……なるべく戦闘は
ああ、そうだったな。俺たちはキリスト教にもイスラム教にもなんの
「こういうときこそあたしにお任せにょろー」
鶴屋さんがもじゃもじゃ枝の杖を
なるべく身を守ることに
破裂した砲弾が飛んで来るのをなるべく
「長門、この街の構造を教えてくれ」
「……分かった」
長門は砂の地面に指先で地図を描いた。城塞都市ってやつは城壁の中がそっくり一つの街になっていて、そのまわりを分厚い壁が囲っている。町の西側は海、南側も海、東側も下半分は海、ということはもともと港町だったものを要塞化し、今は北側の陸地から包囲されてるってことだな。砲火が聞こえてきているのがたぶん北だ。
「とりあえず南にある港を目指そう。そこまで行けば小舟の一つくらい確保できるだろ」
「……分かった」
気のせいかもしれんが、楽しそうだな。
「……そんなことはない。全然、まったく、皆無」
いやま、そんなに否定せんでも、俺も少しワクワクしてるわけだが。
「よーしみんな聞け、俺達は一旦港に出て船でこの町を脱出する。もしはぐれたら南に向え」
ういーっす、とようやく皆の声が聞けて俺はホッとした。港を出たところでキプロスまで小舟で
「おいハルヒ、約束しろ。生き延びるためなら
「分かってるわよ。あたしは遊びに来たんじゃないんだからね」
いや、日頃の行いが全て遊びで成り立ってるみたいなお前が言うのがいちばん信用ならんのだ。俺が懸念してるのは、いくらこういう状況とはいえハルヒが人を
「シスタークイレインはミス・アサヒナのことをお願いします。なにかあったらすたこらさっさと逃げるか隠れるかしてください」
「ガッテン、おまかせあれ」
「長門は安全なルートを先導してくれ。二番手にトニー、三番手がハルヒ、朝比奈さんとシスタークレイン、俺が
「……了解した」
「ちょーっと待ちなさい、こういうときは当然あたしが先頭でしょ」
「お前ここの地形知ってんのか」
「し、知らないけど」
「んじゃ二番手がハルヒでいいか?」
「それで手を打つわ」
ただ人より前を行きたいだけじゃないのか、二番と三番にどれだけの違いがあるんだ。
「長門、この町には地下水路みたいなものはあるか」
「……あるにはある」
長門はシスター二人に目をやってどうしたものかと俺を見た。ああ、水路って下水溝か。うーん、こういう状況でもさすがに朝比奈さんを汚水まみれにさせるわけにはいかんな。
「屋根の上は?」
「……ところどころに使えそうなルートがある」
「最短距離よりは安全なほうで頼む」
「……了解」
よし、移動する。
長門がいきなり民家のドアを足で蹴り開けた。もう
「よし、全員飛べ」
隣の家との隙間を確かめて屋根に飛び移らせた。
朝比奈さんもこの時代に来てから随分と身軽になったとみえて、着地のとき片手
砲弾の音が響いてくる北の方角に目を
「すげーな、あれって射程が千メートルはあるって噂の、東ローマ帝国謹製トレブシェット
後ろから誰かの叫び声がした。さっき伝ってきた塔はモスクの鐘つき堂だったらしい。頭に布を巻いたおっさんが見張っていた。
「キョンまずいわ、見つかった」
「一度下に降りよう」
「……了解」
家の窓から忍び込み、これまた
五十メートルほど行ったところでまた建物の中に入り、今度は三階建てで屋上がなかった。ベランダから登って屋根に出た。ふり返るとさっきの塔にはもう人はいなかった。しばらくは見つからずに済むだろう。
俺達が歩いてきた屋根の
砲弾の音がしている方角と反対の、南らしき方角をチラと
俺たちは高い石造りの建物の壁をよじ登った。階段を使いたかったのだが家の入口が道に面しており、裏の壁面を直接登ることにした。
壁は下の方だけ石造りで、途中から日干し
「ちょっと! キョン! あれ!」
真夏の太陽の下、城壁の西に広がる真っ青な地中海、そこに
「キョンくん、あれってイングランド軍なの? ロード・スマイトがいるの?」
「多分そうだと思います」
「味方よ! 援軍よ! 伯爵があたしたちを助けに来たのよ」
「おいちょっと待て、あれは別に俺たちを助けに来たわけじゃ」
言うが早いかハルヒは駆け出していった。聞いちゃいねえ。屋根から滑り降りたと思ったら隣の屋根に飛び移り、どこから持ってきたのか長いロープを渡してまた隣の建物に移り、最後にはこの町
「げっ、気でも狂ったのかあいつ、なんてマネを」
城壁の上のハルヒがこっちに向かってニヤニヤ顔を見せ、こんなこともあろうかと用意してたのよフヒヒ的に一枚の大きな布を取り出した。パタパタと風にはためく大きな旗は我がSOS団の紋章、そして今ではグロースターの騎士、サー・コイズミの紋章、ECCE HOMO QUI EST HARUHINAである。意訳すると、ハルヒはここにいる、だ。
そのとき、俺の耳は確かに聞いた。海から風にのって聞こえてくる大きな歓声を。イングランド軍の兵士があげる雷のような雄叫びを。ハルヒが必死で旗を振っている。一隻の船がこちらへと
ハルヒの声を聞きつけて敵の兵士が集まってきた。
「おい長門、緊急事態だ」
このままでは俺達も見つかってしまう。俺は数秒だけ考えた。こいつらだけ先に向かわせるか、あるいはハルヒを回収してから一緒に港に向かうか。
「いや待て、第三の方法がある」
「……その意味とは」
「ここで待ってイングランド軍と合流する。敵に取り囲まれる危険もあるが、おそらく港にもイングランド軍が押し寄せて戦闘になるだろう。ここは動かず待っていたほうがいい」
「……分かった。わたしもそれに
長門が
「シスター、イングランド軍が侵入してくるまで、ミス・ユキリナとどこかの建物に隠れていてください」
「あいあいさー。ブラザージョーンはどうするんだい?」
「俺はちょっとアレを回収に」
城壁の上で狂ったように旗を振っているハルヒを親指で示した。
俺は朝比奈さんに十字架を手渡し、イングランドの兵士が来たらこれを見せるようにと言った。そして長門の肩をポンと叩いて、
「あとは頼むぞ。白旗が上がったらそこで落ち合おう」
「……了解した。無理はしないで」
大丈夫だ、今までけっこう痛い目にあってきたんだ。ちょっとやそっとじゃ俺は死なんよ。
兵士たちが集まってきてそろそろ城壁がやばい。寄ってくる敵に向かってハルヒがゆらりと
建物から地上に降り、俺は
向かってくるムスリム兵を城壁から蹴落とし、杖で叩きのめし、かき分けていくとようやくハルヒが立っているところにたどりついた。
「おいハルヒ! 勝手なことすんなつってんだろが!」
「やかましいわ! あたしに説教すんな!」
俺もこいつの行動にはたいがい腹が立っているが今はそれどころじゃない。ハルヒの
ハルヒは大声でなにごとか叫びながら
俺はときどき遠くから放物線を描いて飛んで来る矢に気をつけながら、ハルヒが足元に放置している旗を取り上げた。兵士から長い槍を取り上げて
「おーいハルヒ、そいつらは俺が相手するから、これ振っとけ」
ハルヒは話しかけたら殺すぞみたいなすごい
俺は城壁に立って、ときどき登ってくる兵士を小突き、ハルヒに矢が当たらないようにと盾になった。まあ下から射る矢なんてそうそう当たるもんじゃないんで余裕だ。向かってくる船の様子に気を取られていると、大きな旗を
「邪魔すんなテメェ!!」
ハルヒが怒鳴り声を上げてそいつのケツを蹴っ飛ばし、そいつが持っていた旗ごと海に放り込んだ。
上陸船が三隻ほど
「いやあ驚きましたよ。ドイツ騎士団の格好をしたのが、まさかあなただったとは」
ロープを伝って最初に登ってきたのは古泉である。ひさびさのご対面なのになんだか二人とも照れくさいのか、こういうときどんな顔をすればいいのか分からないの、的な表情で、
「ドイツ騎士団って修道士なのか」
「ええ。騎士修道会といいますね。いわゆるパラディンな方々です。白地に赤の十字が目印です」
古泉が俺の胸の十字を指して言う。ハルヒが笑っていたのはこれだったんかい。先に教えろよ、かっこうの標的じゃないか。
「こっちもどうにもならん緊急事態が重なってな、気がついたらここに来ちまった。おーいハルヒ、その旗もう振んなくていいぞ」
古泉の姿を目にしたハルヒはようやく落ち着きを取り戻して旗を降ろし、肩が
「おう、サー・コイズミ、お勤めご苦労。戦況はどうなの」
などと気取ってイングランド風の敬礼をした。
「実は我がリチャード陛下がここに来てからずっと
「そんなに強い城塞だったのかここは」
「ええ、ここはムスリムにとって守りの
よく見ると、顔を赤くしてそっぽを向いているハルヒの腕章が今日は団長に戻っている。
「おいハルヒ、なんで団長なんだ?」
「SOS騎士団団長に決まってんじゃないの」
などとツンとすました顔で言う。
古泉はゆっくり話している暇はなさそうで、ロープを伝って登ってきた兵士を五十人ほど集め、港に船団の上陸地点を確保するのでと言い残して去っていった。兵士たちがいちいち俺に敬礼していくので、うむ神のご加護を、と偉そうな顔で
「おーいハルヒ、俺は長門たちを迎えに行ってくる。そろそろ
「ええー、まだまだこれからなのにぃ」
何度言ったら分かる、どっちの国にも関係ないお前に人殺しをさせるわけにはいかんのだ。
港の守りは背後を突かれてあっけなく開放され、船団の兵士が突入し、それから小一時間しないうちにアッコンの町は白旗を上げた。
長門と落ち合う約束だったが白旗らしきものはなかなか見当たらず、まあお役所みたいなところにいけば町の代表者との講和条約みたいな話し合いがあるだろうと、大きなモスクを訪ね歩いてみた。
町の北側の壁に接している大きなアラビア建築があり、塔のてっぺんに白い旗がなびいていた。どうやらそこが司令官のいる城らしいな。
北の門が大きく開かれていて、馬に乗った十字軍の兵士が
「ちょっとキョン、あれって東ローマ帝国の全方位戦車砲バリスタ・クアドリロティスじゃん。完成度たけーなおい!」
なんでそんな超レアな武器知ってんだ。
城門を入って行くと、イギリスフランスドイツ連合軍みたいな騎士さんたちが、それぞれ所属する領主の旗を
ひときわ大きなモスクに負傷兵が次々と
中に入るとそこかしこに包帯を巻いた負傷兵が寝転んでいて、血なまぐさい匂いに汗の匂い、誰かが
部屋の奥に行くと、そこで
「おーい、長門、無事か~」
俺が呼びかけると乳鉢で薬を練っていた手を止めて顔を上げた。俺を見るとなんとも言い知れぬ複雑な表情をして乳鉢を取り落とした。それを見ていた鶴屋さんが、
「ほらほら、こういうときは思い切って胸に飛び込むにょろ」
背中をドンと押された長門がつんのめって飛んできた。いや、いくら長門が軽いからって足が地面から離れてジャンプするほどの
「いよっご両人」
鶴屋さんが
「心配かけたな」
「……」
長門は何も言わなかった。あの……長門さん、俺いちおう修道士だから、女性には触っちゃいかんことになってるから。しかし、ま、いっか。こういうときくらいは。
それから翌朝までずっと治療に駆けずり回り、俺は長門の助手をやりながら手当の方法を教えてもらった。その気になれば
「少し疲れてるみたいだが、大丈夫か長門」
「……問題ない。わたしはすでに過ぎた歴史を
それが自分で作ったルールにしろ、情報統合思念体の規定にしろ、助けられるものを助けられないってのはストレスになるだろう。長門の表情が少し硬くなっているが、エラーが出てるのかもしれんな。
俺は長門の背中をさすって、
「まあ適当なところで休め。理屈では納得してるかもしれんが、今目の前で起きてるわけだし、お前もこいつらも生身なわけで、さすがに情報量が多すぎるだろ」
「……そう」
今まで農村で優雅な暮らしをしてきたというギャップもあるしな。
ところで朝比奈さんはというと、こんなに大量の負傷兵を見たのははじめてだったようで、かなりのストレスを感じているようだ。ときどき
「大丈夫ですか朝比奈さん」
「ありがとう、大丈夫よ。わたし……考えが甘かったわ。戦場の兵隊さんがこんなに血まみれになるなんて思ってなかった。平和に暮らしてる未来じゃ考えられないもの」
ええまあ、俺も少し吐き気を
患者や看護師さんの雑談に混じってコツコツと硬いブーツの音が聞こえ、俺はその人物と目が合った。硬い表情でこっちに歩いてくる。
俺は目だけで朝比奈さんに伝え、くるりとふり向いた朝比奈さんは包帯を取り落として椅子から立ち上がった。黙ってここまで押しかけちまったんだ、ありゃーたぶん怒られるぞ。
「そちらはミス・アサヒナではありませんか」
「マ、マイロード、」
朝比奈さんがマイロードと言うのを聞いて、周りで座っていた兵士がこぞって立ち上がろうとした。伯爵は気にせずそのままでいろと手で制して、
「コイズミ殿からあなたがいらっしゃっていると聞いて
「ごごご、ごめんなさいっ、修道院の方と一緒に兵士さんの
朝比奈さんは目を合わせず、下を向いたままひたすらに謝っている。まさか戦場のど真ん中で再会することになろうとは両人とも予想していなかったに違いない。
「こら伯爵、みくるちゃんがいなかったらこんな簡単には
「ミス・スズミヤ、お手柄は伺っている。
今のは伯爵なりの皮肉だったらしく、後ろに仕えていた騎士さんたちがドッと笑った。
「うっさいわ! ジャンヌムググを知らんのかあんたは」
ジャンヌダルクは十五世紀の人だからな。未来の
「ミス・アサヒナに折り入ってお聞きしたいことがあるのだが」
「ええ、なんでしょうかマイロード」
「できれば二人きりで」
それを聞いた
「えっと、はい。ではどちらで」
「修道士殿、ご同席願えるかな?」
「え? 俺もですか? いいですよ」
二人きりというのになぜ俺が。ハルヒがどうしてもついてきたそうにしていたが、プライベートな話らしいし、俺が後で詳しく報告してやるから、なにか食うものもらってきてやるからというと
モスクの上階の個室に案内され、朝比奈さんと伯爵は小さな丸テーブルを挟んで座った。俺は部屋の隅で立ったまま控えていた。
「ミス・アサヒナ、出発前にあなたがおっしゃったとおり、メッシーナの戦いでは見事勝利を収めました」
「わたしも念じておりました。主のお導きに違いありません」
あんまり信心深そうもない未来人朝比奈さんは、俺が渡した十字架を胸の前で
「それからあなたの勧めによって出港を三日伸ばしました。最初は信じられませんでしたが、あなたのおっしゃった通り天気が
「主のご加護により助かったのですね、よかった」
朝比奈さんが修道女スマイルよろしくマリア様風に
「ミス・アサヒナ。こんなことをブラザーの前で申し上げるのは
「あの……つまり」
「なぜ天候が悪化すると分かったのですか。あなたは一体何者なのですか」
「えっと、つまりですね」
ここですべてをカミングアウトして、未来から来たから知ってるんですよ、とはさすがに言えまい。朝比奈さんの目は水族館の
朝比奈さんは突然天井を見上げて、
「星です、星のめぐりがそうなっていたの」
「なるほど、そうでしたか」
なーにを納得したんだあんたは。
「実はわたしは修道女ではありません。星に運命を読み解く女です」
「ミス・アサヒナが占星術師だったとは、存じませんでした。疑ったりしてすまない」
おいおい嘘で嘘を塗り固めちまったぞこの人は。大丈夫か、
「マイロード、星の動きからわたしが読んだことを申し上げてもよろしいでしょうか」
「まだ先があると?」
え、なんだかヤバくね? まだ未来の情報を
「アッコンが
「問題と申しますと」
「遠征前からリチャード陛下はサラハディーンと交渉されていたと思います」
サハラディーンってのはこの時代にイスラムを統一した王様だ。
「そこまでご存知だったとは。確かに、たびたび交渉していらっしゃいました」
「リチャード陛下は今回捕虜にしたアッコンの兵士と住民を人質として、身代金を要求なさるおつもりだと思います」
「たぶんそうなさるでしょう」
「それを逆手に取られ、人質を養うのに必要な
「なんと!」
「それに気がついたリチャード陛下は人質全員の首をお
「本気ですか。人質は三千人近くいるのですぞ」
「はい、本当です。陛下はそのために汚名をかぶることになります」
俺は少し不思議だった。時間移動技術者とはいえ、なぜここまで十字軍の歴史に詳しいのだろう。いや実際詳しすぎる気がするのだが。
「それがあなたの読みですか、ミス・アサヒナ」
「残念ながら、そうです」
伯爵は大きくため息をついた。そして腕組みをし、部屋の中をコツコツと歩き始めた。
「ミス・アサヒナ、これはまだ秘密なのですが、この後、陛下はヤッフォの港を攻めます」
「その前に、アルスーフで大きな戦いがあるでしょう。今から約二ヶ月ほど先のことです。そこでは作戦が必要になります」
「作戦と申しますと、どんな」
「リチャード陛下は二つの騎士修道会をお持ちだと存じますが、サラハディーンは騎兵を出してその片方に陽動を試みます。陛下はこの陽動には乗らないように命令されると思います。十分に引きつけた後、陛下の本隊とともに反撃なさり、さらにもうひとつの修道会が続いて攻撃なさいます。それで敵の軍勢は
「驚いた……あなたの星の読みでそこまで分かるとは」
星がそこまで教えてくれるのなら俺も未来を占ってもらいたいものだが、伯爵はちっとも疑っていないらしく目を丸くしている。
「あの、マイロード、少し
「もちろんですとも」
「十字軍の遠征は簡単には終わらないのです。これから二十年に渡って繰り返される戦争です」
「に、二十年もですか」
「その間に国は
「つまり、戦勝は
「いえ、適度な勝利で満足し領民を喜ばせるのも、領主のあるべき姿ではないかと思います」
「確かに。おっしゃるとおり」
「それもあってかもしれませんが、今回の勝利を手にしたレオポルト閣下とフィリップ二世陛下は戦線から離脱されるでしょう」
レオポルトはオーストリアの貴族で、フィリップはフランスの王様な。
「なんと薄情な。となると、リチャード陛下単独になりますな。苦戦はやむを得まい……」
伯爵は腕組みをしたままじっと考え込み、ときどきブツブツと独り言をつぶやいてから、
「失礼、ミス・アサヒナ。お時間取らせてすまなかった。今後の勝敗を左右するような貴重なお話でした。ありがとう」
「あなたのお役に立てるならいつでも、マイロード」
伯爵は朝比奈さんの右手を取り口づけをした。朝比奈さんは頬を染め、ようやく務めを果たしたような、思いつめていたものから解放されたような、なにかを達成したような満足した表情だった。
「修道士殿、立会に感謝する」
「え、立会人だったんですか俺」
「私がご婦人と二人きりになるのははばかられたのでな」
なるほど、騎士道にはそういう慣わしがあるんですか。
朝比奈さんの満足そうな顔を見ながら、俺は部屋を出た。
「こんなことして大丈夫なんですか?」
「なにかしら?」
「とぼけないでください。未来の情報をかなり教えていましたよね」
「ええ。でもこの通りに事が運べば、わたしが教えようが教えまいがたいして違わないと思うの」
無茶、ってうか強引だ、強引すぎる理屈だそれは。歴史の当事者かそうでないかの違いは俺にも分かりますよ。なんだか俺も甘く見られるようになったなあ。
「これでもしイングランドが負けたりしたらどうするんです」
「苦戦するかもしれないけど、負けたりはしないわ」
「確信があるんですか?」
「キョンくん、既定事項というのは簡単には切ったり曲げたりはできないものなの。いくつもの点でつながった長い線みたいなもので、誰かが意図的に
関係あるようでなさそうな、話をそらされている。追求されると都合が悪いことがあるんだろうか。
「そうなんですか。じゃあ修正ってどうやってやるんですか」
「歴史の修正は、三つとか四つの点を同時に動かして、そこで固定してしまう強力な押しピンみたいな点が必要になるの」
「なるほど。じゃあたった今、朝比奈さんが五寸釘で点を追加したわけですか」
それは別に質問を投げたわけではなく、さも考え深げに納得してみせたのだが、朝比奈さんは真顔のまま眉毛をピクリと動かしただけでなにも答えなかった。
このときの朝比奈さんの予言がきっかけとなってか、政治を占うためにホロスコープがイギリス王室に持ち込まれるのは、もう少し先の話である。
ハルヒと長門がいる治療院に戻る前に、なにか食うものを持って帰らないといけないことを思い出した。だが戦時閉店で食料品店とかやってねえし、コンビニもファーストフード店もねえしと思っているところに都合良く古泉を見かけた。
「おい古泉、長門とシスタークレインに食べ物を持って行きたいんだが、都合つかないか」
「おまかせを、数分お待ちください」
古泉の部下らしい兵士たちが、うちのボスに食料調達をさせるとはいったい何者なのだという顔をしている。俺はふんぞり返って、お前らどこの出身だ、家族はいるのか、母ちゃんを大事にしろよ、などと偉そうな口を
「あいにくパンと干し肉しかありませんでしたが、外で炊き出しをやっています。ところで、みなさんはいつまでここにご滞在ですか」
滞在ってお前、俺達は観光に来たわけじゃないんだぞ。
「負傷兵の治療が終わるまではいるつもりだが、なるべく早めに離脱したいな」
「それがいいでしょう。遠征はまだ序盤ですからね」
「お前もあんまり無理はするなよ」
「ええ、僕はいつも適度なところでセーブしています」
古泉から乾燥したパンと干し肉のかたまりを受け取り長門と鶴屋さんに持っていった。部屋に入るなりハルヒがかぶりつきそうな勢いで食いついてきたので
「んでんでんで、どうだったのみくるちゃんと伯爵は」
「どうって、なにもなかったぞ。お前がそのお花畑脳みそで考えてるようなことは一切」
「お花、畑で、悪かったわね。キョンまた毛ぇ抜いたろか」
やめてー髪の毛はやめてゅぇぇ。
朝比奈さんが苦笑しつつ、
「期待した話じゃなかったわ」
「何の話してたのよ」
「この先激しい戦闘になるから、早めに帰りなさいって。マイロードも早く帰ってきてね、って」
「このこのぉ、にっくいわねぇ互いの安否を
もう燃えて灰になってしまえばいいのに。恋とか、情熱とか。
なるべく早く帰るとは言ったが治療院の人手が足りず、さらにムスリムが
負傷兵のうち歩けるようになった者は輸送船でフランスを経由して送り返すことになり、治療院のベットにもだいぶ空きが出るようになった。本国からの補充の兵士も続々とつめかけている。朝比奈さんが言っていた通り、レオポルトとフィリップはそそくさと自国へ帰っていった。噂ではサラハディーンとの交渉がこじれているらしい。史実では近いうちに人質の首を
修道会のツテでどうやら帰りの輸送船に
「おーいみんな、
「ええー、まだ楽しみたいのにぃ」
お前は戦場を闘技場かなんかと思ってるんじゃあるまいな。ハルヒはここ一ヶ月ほどの間、俺たちの時代でいうところのイスラエル沿岸を馬で駆け巡り、反重力装置付き
なるべく荷物は持たないようにして、ゾロゾロと五人で港まで歩いて行くと波止場で伯爵と古泉が待っていた。
「修道士殿、
「ありがとうございます。帰ったらまた城にお伺いします」
「ミス・アサヒナ、今回はあなたに助けられたと言っても過言ではない。ご助言に深く感謝する」
「あなたのお帰りを首を長くしてお待ちしておりますわ、マイロード」
「いいわねぇ、港で別れを惜しむ二人。絵になるわぁ」
「す、涼宮さんだめですよからかっては。ロードシップが困ってらっしゃるじゃないですか」
ハルヒはちょっと一枚写真を撮らせろと、まだバッテリーが切れていないらしいスマホを取り出してパシャリとやった。今のはいったいなんだったのだろうと伯爵が首を
「伯爵、あんたもさっさと帰って来なさいよね。みくるちゃんがどうなっても知らないわよ」
「ミス・スズミヤ。どうなっても、とは?」
「なんかさぁ、長官がみくるちゃんを見初めたらしくて、ちょっかい出してくるのよねぇ。やれ花だ、やれ贈り物だって、ウザいったらないわ」
いえ嘘です。そんなちょっかいは一度もないですから。ところがこのハッタリが意外にも効果あったようで、伯爵の眉毛がピクピクと動いたのを俺は見逃さなかった。
輸送船はこの時代特有の、二枚の帆が貼ってあるだけの小さな帆船で、帰りの客は
天気もよく風も穏やかで、長門に天気予報を聞いたところ一週間ばかりは安定していると言っていた。ところが陸を離れた
俺達がたどったルートは、キプロスで水と食料を積み込み、イタリアのつま先メッシーナに立ち寄り、ナポリ、ジェノバと海岸線を伝ってマルセイユで船を降りた。孤島なんかには行かない行かない。
マルセイユに着いたはいいがそろそろ資金が底をつき始めている。
「おーいハルヒ、緊急事態だ」
「へー」
「言い直そう。あんまり緊急ぽくない事態だ」
「そうなの。よきにはからえ」
戦線を経験した今では、どんなことにも危機感を持たなくなってしまった俺達だが、金が無いとなると飯が食えないし、雨風をしのぐこともできない。
「正直、金が足りねえんだよ」
「しょうがないわね。山賊職で働きましょう」
こいつに相談した俺がバカだった。山賊って正式な職業なのか?
「長門の錬金術って、金を作ったりできないよな」
「いいこと思いついたわ!」
「……核融合すれば可能」
「ねえねえ、たった今いいこと思いついたわ!」
「さすがに核融合して金貨を作るのはルール違反かもなあ。シスタークレインはなにか稼ぎになりそうな特技ありますか」
「こらキョン聞いてんの? あたしに素ン晴らしいアイデアが!」
「あたしかい? やるとしたら魔法使った大道芸くらいかねえ」
「大道芸ですか。それもいいですね、俺食べるのに困ってたときリュートで流しやってたんすよ」
「みんなで旅芸人の一座をやったらいいと思わない?」
「へー、じゃああたしがどっかで楽器でも仕入れてこようかね」
「こらアタシの話を聞けぃ!!みんなで芝居をやるわよ」
まあ結局同じ結論にたどり着いたわけだが。
ハルヒによるプロデュース兼ディレクション、長門、朝比奈さんが主演、鶴屋さんが古泉イツキの代役、俺が脇役兼音楽その他もろもろ担当で、朝比奈ミクルの冒険in中世をやることに半ば強制的に決まっちまった。ってフランス語でやんの?
長門にフランス語で脚本を書いてもらい、それを棒読みで覚えるキャスト一同、もとい、俺とハルヒである。舞台稽古では、
「あなたの思うとおりにはシシ、シルブプレ~、わたしがマドモワゼール!」
「み、み、ミクルコマンタレブー!!」
目からビームを撃たれたりしたらおちおち
ハルヒがどこからかパクってきた
だいたい二週間くらいの行程のはずだったのだが、公演のリクエストが引く手あまたで、あっちの町に寄りこっちの村に寄りしていたところ北フランスの港町にたどり着くまで一ヶ月ほどかかってしまった。
船でイギリスの南にあるドーバーという港町に着いたとき、俺はもう何十年ぶりに生まれ故郷に帰ってきた
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