十九章

 時はそろそろ七月、夏真っ盛りである。もう一ヶ月もすれば麦畑は恵みの穂が一斉にこげ茶色になり、去年俺が食うや食わずの生活をしていたあのときと同じ刈り取り作業がはじまる。今回はこっちは雇う側だ、こきつかってやんよ。

 この時期、恋する乙女もまだおとなしい頃合いで、皆にとっても心休まる月だった。なんてのは嘘ぴょんで、今になって思えば、朝比奈さんの奇矯ききょうな振る舞いは、エスカレートする病魔のように、最初はひそやかに、徐々にやがては大胆にその片鱗へんりんを見せていたと言うべきだろう。


 というわけで、片鱗へんりんその一。髪型が……毎日どころか全然変わらない。いや公平を期すために正確に言おう、お手入れさえされてない。野郎どもは知らないかもしれないが、髪の長い女性は寝る前にブラッシングしてほつれたりくせがついたりしないように丁寧にいてからお休みになられる。編み上げたまま寝たりすると髪が引っ張られて抜けてしまうこともある。兵庫髷ひょうごまげとか島田髷しまだまげとか昔の人はたいへんだったんだよ、抜け毛が。

 片鱗へんりんその二、夜遅くまで起きている。それというのも、朝比奈さんとハルヒの寝室から夜中にいつまでも話し声がしてたり、俺が寝泊まりしている居間の窓を開け放っていると朝比奈さんの大きなため息が、とくに月夜なんかにはよく聞こえてくる。そこ、俺は別に聞き耳を立ててるわけじゃないからな、たまたま窓を開けたら聞こえただけだからな。

 ため息が聞こえた翌朝の朝比奈さんはぼんやりと眠っているのか起きているのか分からないご様子で、髪の毛が狼男からいだ毛皮のように頭の天頂から末広すえひろがりにボサボサ状態になっている。さらに朝食のテーブルでドイツ風丸パンにキスをして、そのまま枕にして眠ってしまったり、俺らがジュース代わりに飲んでいる薄めのワインをデキャンタからゴクゴクと飲み干して朝からいい飲みっぷりを披露ひろうしたり、そのまま寝室で二度寝へと突入したりもする。


 片鱗へんりんその三、ご飯を全然食べない。朝比奈さんは体質的にもともとがグラマーなお方で、別に体型を維持する必要にかられたりとか、翌週にオーディションが控えている俳優の卵みたいな職業的義務にかられているわけではない。それなのに目の前に出された豪勢なメニュー、長門さんが作ってくれた野菜中心のイタリアン、ハルヒがどこぞで覚えてきたというボルシチですら、まるで人間の食べる食材じゃないような視線をくれた挙句、食欲が無いといいつつ全然食べずに寝室に引っ込む始末である。

 そのせいもあってか、いやぁせた、というよりガッツリやつれたね。スレンダーな朝比奈さんはそれはそれで萌えイテテすまん長門、もう離せ。顔がせるのはいちばん後だと言われているが、この頃ではホッソリ顔のアイリッシュセッターみたいになっている。


 片鱗へんりんその四、情緒不安定じょうちょふあんてい。食欲が無いとはいえ、やっぱり体の方は栄養を欲するらしく、二三日おきにはちゃんとした食事をる。無論、ちゃんと食べないといい子を産めないわよと男の俺でも赤面しそうなハルヒのツッコミがあってこそだが、未来でもなじみのある果物をわざわざ遠方から取り寄せたり、特別に朝比奈さんの好きな肉や野菜を包んで焼いたミートパイを用意するなど、まるで病気になった子供を看病する母親である。朝比奈さんがスプーンを皿から口まで運ぶ動作は、なんだかはじめて人間の現実世界の感覚というものを味わったロボットのようで、スプーンですくったスープとそこから立ち上る湯気をまじまじと凝視ぎょうしし、スープの大海に浮かぶ豚肉の島がまるで世界の八番目の新大陸であるかのような驚愕の表情を浮かべている。それだけならまだマシだ。そこで突然苦悶くもんの表情を浮かべ、豚は犠牲になったのだ……昨日から続く我々の空腹、その犠牲にな……とでも字幕が出そうな、この豚が生きていたなら人類を託せる輝ける未来があったのかもしれない、世界平和のために寄与きよしたかもしれない、そういうひとかけの豚肉のようだった。完全に我と我が妄想の世界に入ってしまっている。

 そうかと思えば突然空気が一変する。想像に難いかもしれんが、シンと静まり返った居間のテーブルで、ハルヒと長門と俺が黙々と飯を食っているとする。俺が今日は暑かったなーとかそろそろ雨が降ってくんねーとなーとか話しかけても、アアとかウンとかソウネしか返ってこないまるで会話のない核家族化かと錯覚してしまいそうな我が家の食卓でだな、そこに突如とつじょ「うふっ……ンフフフ」と幸せの絶頂がふわふわただよう笑い声がれてくる。僧帽筋そうぼうきんから広背筋こうはいきんにかけてゾクッと鳥肌が走り、三人がその声の主に視線をやると、空になった皿の底をじっと見つめる朝比奈さんが唇の端を耳まで引き上げて笑っているのである。

「み、み、みくるちゃん、どうしたの?」

「あ、はい? なにか?」

「なんかすごい勢いで笑い出したけど」

「いーえ、なんにも笑ってないですよ。全然、おかしいことなんて、ぜーんぜん」

ブンブンと首を横に振って全否定し、天啓てんけいを受けたような表情でいきなり席を立ったかと思えば玄関に向かって走りだし、突然馬の背中にしがみついた朝比奈さんの姿が家畜小屋から飛び出していった。いつまでたっても帰ってこないなと三人がやきもきしていたところ、その日朝比奈さんが無事に帰ってこれたのは、夜も更けて、村のパブの主人がへべれけになった彼女を見かねて馬車で送り届けてくれたからであった。


 何がしたいんでしょうねえ、このお方は。


 小麦の刈り取りがはじまり、労働者が羊のように群れる頃になっても古泉は帰ってこなかった。伯爵の休暇も配下の兵士の交代すらもなかった。一回の従軍はだいたい四十日が限度と決まっていて、いわば王様が配下の貴族の兵力を借りるわけだから、延長料金は別途請求されることになるので、あんまり長期戦にすると財布が苦しくなってやめざるをえなくなる。ところが十字軍というやつはバチカンがキリスト教を信じる王様や貴族に呼びかけて聖地をうばい返せと軍をつのったので、いったいいつ終わるのやら決めておらず、完全に征服するまで長引いてしまう可能性が高かった。

 戦場へ手紙を送ったりしては戦いの邪魔になるかもしれないと思ったのか、朝比奈さんはえて手紙を書こうなどとはせず、新聞などはない時代だからロンドンへ戦況の噂を聞きに行ったり、こないだの裁判で知り合った長官に戦線はどんな様子かと尋ねに行ったりしている。窓の上からは夜更けにため息をつく音が何度も聞こえ、いつ会えるとも知れぬ戦場の彼氏を想う乙女のなんと痛ましい恋か。いや、まだ彼氏じゃないけどな。

 朝比奈さんは黙って待っているだけではなく、シスタークレインのところに中世フランス語を習いに通っていた。長門に教わればいいのに、と思ったが朝比奈さん的にはなにか思うところがあるらしく、わざわざ女子修道院まで遠出している。たぶん過去にいろいろあったので長門には気をつかっているのだろう。

「みくるちゃん、いっそのこと巡礼にでも行けばいいのに」

「バカ言うな、エルサレムはムスリムの支配下だぞ。あの辺は戦争真っ盛りだ」

「分かってるわよ。でもみくるちゃんがあんなにやせ細るまで恋い焦がれるとはねえ。あんな男のいったいどこがよかったのかしら」

お前だ、お前がき付けたんだ。


「キョンくん、あなたはいったいいつから長門さんの小姓こしょうになったんですか!」

こんな言葉が朝比奈さんの口から飛び出すようになったのは、そのあまりの奇矯ききょうな行動をいさめんと、俺が放った言葉にカチンと来たからだろう。

 えーといつからかと聞かれても、すべて知っているはずのあなたがそばにいながら朝倉にナイフで脇腹をグッサリやられて、長門に命を助けられてこのかたずっとだと思いますよ。ええ。

「ご、ごめんなさい今のは語弊ごへいがあったわ」


 朝比奈さんが長門から隠れるようにしてフランス語を習っていたのにはわけがあった。ただ伯爵に手紙を送りたいだけならまだよかった。それなら長門に習えば済む話だったろう。

 その日、シスタークレインの修道院に行くのでついてきてほしいと言われ、あれっきりあいさつにも行ってなかったのでまあいいかとついていくことにした。なぜか長門と一緒にとは言わなかった。

「キョンくん、ちょっと相談したいことがあるの」

「相談されましょう。なにごとですか」

荷馬車の上から後ろをチラチラとふり返り、自宅が見えなくなる距離まで来ると朝比奈さんが切り出した。

「正直に言うとね、もうわたしは待つことにうんざりしてるの」

あなたも日本経済の話ですか。

「ええまあ、はたで見ている俺もなんとなく心中しんちゅうをお察ししています」

「それでね、涼宮さんの力を借りたいの」

「だったらハルヒに直接言えばいいんじゃないですか」

「いえ、わたしではたぶんうまく説得できないと思うの」

「はっきり言ってください。ハルヒになにをさせたいんです?」

「王様に、リチャード陛下に、十字軍を早めに撤退てったいするように手紙を書いてもらいたいの。どうかしら」

まあ読まれるかどうかは別として、手紙を書くだけなら問題はないんじゃ。

「それよりハルヒはフランス語知らないって言ってませんでしたっけ」

「そこはわたしが訳して教えるから、欲しいのは涼宮さんの直筆じきひつの手紙なの」

長らくハルヒたちと付き合っていると何を考えているくらいかはピンと来る。つまり朝比奈さんはこう言っているのだ。ハルヒの持っている願望を叶える能力を使って、この国の王様を動かし、十字軍遠征をやめさせたい、と。別に手紙が届かなくてもいい、要はハルヒが書き記すことでそれが現実と化すことを狙っているのだ。嘘も百回言えば事実になるみたいな格言があるが、ハルヒの場合一度言えば十分だ。そしてハルヒを動かすのは俺の役回りである。自分で手を下さず人を使う回りくどさは、未来人の作法なのだろうか。

「うーんと、それはつまり歴史改変をしたいってことですよね。朝比奈さんらしくないでしょう」

「ええ、分かってるの。本当は遠征なんて最初から阻止そししたかったんだけど、せめてロードシップには無事に戻ってきてもらいたいの」

それをやってしまうと西洋史がごっそり変わってしまうというか、自分に都合のいいように歴史をいじるなんて、すごく身近にいる誰かに似てますよね。そこで俺が放ったセリフが次の通り。

「それは長門に相談しないと俺の一存ではちょっと……。なんというか無謀すぎませんか。自分の思惑おもわくで世界を変えようなんて、朝比奈さん、あなた最近ハルヒに似てきてますよね」

朝比奈さんの何かがピキピキと割れる音がした。


──キョンくん、あなたはいったいいつから長門さんの小姓こしょうになったんですか!(エコー付き)


 朝比奈さんはこの話をもちかけるために、わざわざ家から俺を連れだして長門から引き離したのである。長門が反対することは分かっていたから、えて俺だけに持ちかけたのだ。朝比奈さんにはなにかと甘いと日頃から揶揄やゆされている立場の俺も、こうやって利用されるのはあまりいい気がしない。それがあのイケメン貴族のためときた日にゃなおさらだ。

 朝比奈さんは小さくため息をつき、

「分かったわ。この話はもうこれでおしまいにしましょう」

いえまあ、ゴリ押しで頼まれれば俺の独断でやってもよかったんですがね。


「ミックル~今日も来たんだぁ、ってあれれ~、隣りにいるのはブラザージョーンじゃないかね。髪の毛生えてきたんだ、ひっさしぶりさね」

ええ、おかげさまで。いや、そこは生きてたんだぁでしょうに。シスタークレインには伯爵とめにめていたときに一度世話になって以来である。ここ一番ってときにいつも助けてもらっているのに義理もへったくれもなくて、なんだか俺たちの時代と待遇たいぐうが同じでもうしわけない。

「こんな山奥に引きこもってると人と話す機会がなくてさぁ。もー退屈でたまらないっさ。さあ入った入った」

「あの、シスタークレイン、それならわたしとエルサレムに行きませんか」

まだ部屋の中に入りきらないうちから朝比奈さんが単刀直入すぎる切り出し方をした。

「ええっ、ミクル、それはマジかい?」

「えらくマジです」

「ふーむ。今日の用向きはそれかい?」

「ええ。とはいっても観光ではなくて、巡礼みたいなもので、十字軍で傷ついた兵隊さんを手当するためなの」

あの、朝比奈さん、シスタークレインはカソリックでもムスリムでもユダヤでもないんですが。

「いいねぇあたしも一度やってみたかったんだよ、その巡礼ってやつ! こんな田舎臭いところで神さんと一緒に住んでるとさぁ、あたしにもカビが生えてくるってもんだよまったく。あたしも連れてっておくれよ」

それってあなたのところの教義に反しませんか鶴屋さん。

「朝比奈さん、突然そんなこと言い出して、大丈夫なんですか」

「いいの。もう直接会いに行きたいの」

朝比奈さんは目をギュッと閉じて、もうこれ以上ないという感じに理性にあらがっている。その割には看護師として従軍するという大義名分を立てようとしてるように見えるのだが。

「ふーむ。どういう事情なのか、ちょいと話してみなよ。あたしが聞いてやっから」

「そう……鶴、シスタークレインなら分かってくれそうな気がしたわ」

朝比奈さんは燃え盛る心のうち吐露とろした。聞いててイライラする部分もあったりして、俺も長いことこの人に付き合ってるけど、ここまで他の男に嫉妬しっとしたのは初めてだ。

「そうかい。そりゃつらいし苦しいし、遠い異国の戦場にいる彼氏を想う気持ちにはあらがえないよねえ」

いえ、彼氏ではありません。少なくとも今はまだ。

「このままあの方が戦死でもされたらと思うともう、わたしどうしたらいいか」

「よっしゃ。その話乗ったよ。ドルイド教つったってシスターはシスター、あたしだって怪我けがの手当て法くらいは心得てるさね。しかも、」

「しかも?」

「なんと魔法が使えるんだなぁうちは。あはははは」

やばい、これはやばい気がする。今までハルヒや長門なんかの、魔法使いを凌駕りょうがする力をおさえてなるべく暴走しないように努力してきたのに、ここにもまた同じような力を持ってる人がいたとは。

「ドルイド教ってどういう系の魔法なんですか」

「ふふっ。いいかい、人類には男と女がいて、生まれたときから見えない糸でつながってる。その糸を切れないようにうまーく手繰たぐり寄せるのがうちらの魔法。恋の魔法、とでも呼ぶんだなこれが」

誰がうまいこと言えと。

「まあエルサレムに行くのはいいとして、いくらなんでも女性二人は道中どうちゅう危険すぎませんか。護衛の騎士団でも雇ったほうがいいんじゃないですか」

騎士団を雇うのは傭兵ようへいを雇うのと同じくらい金かかりますけどね。

「大丈夫だよ。だからあたしは魔法が使えるんだってば。ほれ」

鶴屋さんが杖を一振りすると緑っぽい炎がごうごうと燃え上がり、そこら辺に飾ってあった毛皮に一気に燃え移った。

「ファイヤーぁぁ! シスター火事ですよ! これって堂々たる攻撃魔法じゃないですか、恋どころか焼け死にますよ!」

「あっちゃーまたやっちゃったよ。部屋の中で出しちゃいけないって婆ちゃんにあれだけ言われてたのに。ブラザージョーン、消火器消火器」

この時代のどこにそんな大それたもんがあるっていうんですか。あなたドルイド僧なんだったら火を消す魔法くらい心得ておいてくださいよ。

「なーんてね」

「あれ、いきなり消えた。ぜんぜん燃えてない。焦げてもいないや」

燃え盛っていた壁の毛皮も部屋の中の調度品ちょうどひんもコゲ一つない。煙の痕跡こんせきすらない。

「これがあたしの魔法だよ。ニヒヒ」

「すっごいすごいシスタークレイン、幻覚を見せるのね」

あー、なるほど。幻術の一種か。ウィッチじゃなくてイリュージョニストってとこか。


「ほんとうに大丈夫なんですか」

女子修道院からの帰り道に、どうやら思い詰めている風な朝比奈さんに聞いてみた。

「わたしはただ、ロードシップのそばに、一ヤードでも近くにいたいだけなの」

「まあお気持ちは分からなくもないですが。行っても会えるかどうか、こういう事態だからむしろ面会してもらえないでしょう。古泉もいることだし、待っていれば帰ってきますよ」

「いいえ。キョンくんは全然分かってないわ。自分が好きな人と同じ地続きの、同じ土地にいるかどうかは雲泥うんでいの差があるのよ」

どうも最近の朝比奈さんはとげがあるな。恋する乙女はみんなこうなのか。

 そういえば自分が好きな人、と言うのをはじめて聞いた気がする。朝比奈さんもそれに気付いたらしく顔を真赤にして、

「ごめんなさい、今のは忘れて。ただの妄言もうげんなの」

いえいえ別に謝らなくても。

「それにハルヒが許さないでしょう」

「どうして? 涼宮さんがなぜ反対するの?」

「い、いえそうじゃなくて、伯爵が身の危険にさらされるような事態は、ハルヒが許さないでしょうってことです」

「そ、そうよね。今回のことは涼宮さんのお墨付きのはずだし」

お墨付き、とは物は言いようだが、実はハルヒの力を利用する気満々なのではないだろうか。


「みくるちゃーん、朗報よ。メッシーナで勝ったって。イングランド軍がキプロスに着いたって」

自宅が見えてきたところでハルヒが盛んに手を振っている。

「そう……よかったわ……」

朝比奈さんは大きく息を吐いてフラフラと俺の肩に寄りかかった。あ、朝比奈さんアカンって、長門がすごい目で俺達を見てますって。

 長門の姿に気づくとハッと我に返り、慌てて俺から五十センチくらい離れた。荷馬車を降りるなり朝比奈さんと長門は黙ったまま見つめ合っている。朝比奈さんが青くなっている。視線をたどると真ん中あたりで火花が散っているようにも見える。

「……話がある」

ま、待て長門、さっきのはいわゆる持病の貧血ってやつでだな、お前にも学生時代にあっただろ、ってあれは俺の妄想だったか。

「どうしたの有希? みくるちゃん?」

不思議そうな顔をして交互に二人を見るハルヒ。いったいなにがあったのと俺の顔をじっと見るが、俺は肩をすくめてブンブンと首を横に振った。朝比奈さんは黙って居間に入った。まずいなー、この二人が争うなんてこの話始まって以来一度もなかったのに、全面対決のきざしだぞ。

「……あなたは自分がなにをやっているか分かっているの」

「あー、ちょっと長門、誤解だよ。さっきのやつはなんでもないんだよ」

「……あなたは黙っていてDon't say any word

ハイィ、オレ黙る。アナタ話すネ。長門の口からシャラップを聞く日が来るとは。

「分かっています。これはすべてわたしの責任です」

「……組織のバックアップがない今のあなたには責任を取る能力がない。彼を利用するのはやめて」

「ちょっと、有希にみくるちゃん、二人とも何の話をしてるのよ」

「涼宮さん、あなたはちょっと黙ってて」

「ハイィ、アタシ黙る、アナタ話すネ」


「ごめんなさい、キョンくんを利用しようとしたのは謝るわ。でもわたしは使える手段は誰でも、どんなものでも使うつもりです」

おおハッキリ言ってのけたぞ。

「……限界を超えて修復不可能になる恐れがある」

「いいえ。完全にとはいかなくても、わたしなりに元のラインに従っています」

「あなたなりに、とは、限界点の基準が曖昧あいまいすぎるのではないか」

「いえ。到着点の話です。長門さんに見えているものすべてではないけど、わたしにもちゃんと全体の流れは見えているつもりです」

こっ、これは高度に暗号化された会話。二人に共通する経験に基づいた単語だけで構成されたやり取りだ。少なくともハルヒには理解不可能に違いない。

 分かりやすく翻訳するとだな、朝比奈さんがやろうとしていることについて、今の朝比奈さんはTPDDが使えないから未来人組織のフォローがない、つまり不用意な歴史改変が起こっても修復ができないじゃないか、と長門は言っている。それに自分の願望をげるために俺を利用するのはやめろと。それに対する朝比奈さんの反論はというと、未来人組織の一員としてこれまで働いてきた経験とかんにより、TPDDがなくても時間軸の流れは読める、自分がやったことの因果律いんがりつの計算くらいわたしにだってできるもん、ということらしい。たったこれだけの短い会話に、なんと奥深い、宇宙人と未来人のせめぎ合いの様子が凝縮ぎょうしゅくされていることか、それを理解できる俺にも感動だぜ。

「……分かった」

だいたい二十秒くらい考えてから長門がやっと答えた。その二十秒の間にいったいどれだけのシミュレーションをこなしたのか、俺達人間の能力では計り知ることはできまい。朝比奈さんはほっとため息をつき、

「ごめんなさい。でも人生八十年しかないうちの、たった一瞬に大きなチャンスがあるとしたら、それにけてみる気にはならないかしら、長門さん」

「……」

長門は黙ったままだった。たぶん仮定の上に立った質問ではイエスノーを答える意味が無いし、そもそも長門のような存在にとってチャンスは自分で作り出せる。

 長門は一息ついてからようやく口を開き、

「……論点が違う。でも、タイミングが一度しかないのであればその価値は検討に値するかもしれない」

長門が折れた。長門が妥協だきょうしたぞオイ、こいつと出会ってからの人生で初だぞ。折れた理由はまあ、なんとなく分からんでもない俺なのだが。

 さっきまでこわばっていた朝比奈さんの顔に笑顔が戻った。

「よかった。もしよければ、巡礼に付き合っていただけるかしら」

「……喜んで」

朝比奈さんもモノの分かったお方だ。必ずしも意見が一致しない相手を、一緒に仲間に引き入れることで関係の修復を図ろうとしている。

「あの、あたし、そろそろしゃべってもいいかな」

「涼宮さん、わたし巡礼に行こうと思うの。会えなくてもいい、遠くから見てるだけでもいいの」

ハルヒはプルプルと表情筋を震わせながら、両の手を朝比奈さんの肩の上にポンと乗せ、

「さっすがみくるちゃん、よっく言ったわ! エルサレムに従軍するのね、もっちろんあたしも行くわよ」

「い、いえ涼宮さん、わたしが行くのは兵隊さんの看護のためで、」

ハルヒは、妖怪ウォッチに出てくる地縛猫じばくねこみたいな名前のエルサレムの王様バリに右手のグーを天に突き上げ、

「キョン、軍を招集しなさいAssembly army!」

いや、なんか、すごい勘違いしてるぞこの女は。

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