十八章
「分かったわ。あたしに任せなさい。では、朝比奈みくるのぉラブラブぅ~」
「もういいってそれは」
「まじめにやんなさいよ、大作戦その第二弾!」
あのなあハルヒよ。世の中にはパートツーと名付けられ、これ以上ないというまでに駄作となった
「どうでもいいわよそんなの。作品に対する情熱が足りないだけでしょ」
いや情熱以外にもスポンサーとか配給とかいうお金的な事情がだな。っていうか情熱とかそんな抽象的なもんで映画ができるのかと突っ込まれた覚えがあるんだが。
「で、なにをやるつもりなんだ?」
「ダンスよダンス。ダンスと言えばなにか、言ってみなさいキョン」
「ダンスって腰ミノつけてマラカス振るとかブカブカのズボンを尻まで下げて床の上をぐるぐる回るとか」
「微妙に混ざってるけど全部ハズレ。あたしたちがやるのは社交ダンスよ」
「あーもしかして小学校の運動会のときにやったやつか」
「それはフォークダンスでしょーが。あんたちょっと黙ってなさい」
無学でサーセンした。
「涼宮さん、ダンスパーティを主催するの?」
「そうそう、みくるちゃん。思うにね、伯爵がエサに食いつかないのは貴族のゴージャスな暮らしに明け暮れてまともに恋愛したことがないからに違いないわ。そういう童貞には清く正しい男女交際から教えてやんなきゃだめなの」
童貞ってお前。性別によっちゃピーが入る単語だぞ。
「お前ダンスパーティつったって、いったいどこでやるんだ。畑は麦を
「畑でダンスパーティなんてどこの田舎よ。ダンスホールに決まってんじゃないの」
「そんなもん……あったっけな?」
古泉に視線を投げてみるが、
「いえ、僕の知るかぎりではこの領地に人が集まるためのホールはまだ作られてないと思います」
「ないんだったら自分で作ればいいじゃない」
そのセリフひさびさに聞いた気がする。作ればいいと言うだけで自分はなにもしないいつものセリフ。
「作るって建てるのか」
「あったりまえでしょ。どこの世界に地面からダンスホールが生えてくるっての」
い、いやん、異世界ならそういう超便利なところがあってもいいんじゃないかなって思ってたところなんだ。
「ダンスホール建てるのってどれくらいかかるんだ?」
「さあ……、その辺はやっぱり執事くんよね」
「正確な建設費を算出するのはなかなか難しいですが、えーっと、マナーハウスにある広めの木造倉庫の費用がだいたい八十ポンドです」
八十ポンドというと二万ペンス、俺の日当が三千円だとして、日本円で五千七百六十万、くらいか。どう考えても無理だろ。
「なーんだ、なんとかなるじゃない」
「無茶言うな、どこにそんな金があるんだよ」
「マナーハウスにあるでしょ」
「あれは伯爵の金だろうが」
マナーハウスは銀行じゃないつーの。つまりなんだ、伯爵を釣るのに伯爵に金を出させる
「まああたしだってタダで建ててもらうほどがめつい女じゃないわ。うちの土地と建物を
いや、十分がめついって。ここの不動産は爺さんの遺産だろ。ちなみに石造りの小さな教会が百二十ポンド、中庭付きの個人宅が百ポンドだそうだ。
「うちの十年分の収入を前倒しで
またいらん入れ知恵を。お前がそういう無茶な方法を思いつくから俺達が苦労するはめになるんだぞ、分かってんのか。という顔をすると古泉はスマイルを
「さっすが古泉くん。そうと決まったらとっととはじめるわよ。ポジションを伝える。あたしと古泉くんはマナーハウスに殴りこみ。有希とキョンは職人を集めなさい」
「集めるって、
ハルヒはお前はアホかという顔をして、
「大工と石工に決まってんでしょうが。いい? ありったけ集めてくるのよ」
さっきまで夢見る表情だった朝比奈さんは、どうやらたいへんな事態になりそうだというのがようやく分かってきたらしく顔色をピンクから青へと変え、
「あ、あの、わたしはなにをしたら」
「みくるちゃんは石材と木材の調達に行ってちょうだい。マナーハウスのでかい倉庫を建てられるだけの建材って言えば分かるから」
「わ、分かりました。在庫があるか聞いてきます」
「おいハルヒ、金はどうすんだよ」
「とりあえず伯爵の名前でツケときゃいいの。四の五の言わずさっさと建てなさい四十日以内!」
というわけで、伯爵が遠征から戻ってくるまでに農場の倉庫、もといダンスホールを建てろという社長の号令一過、俺たちは土地と資金と職人、それから建材の調達に駆けずり回ることになった。まあ城を建てろと言われないだけマシだったがな。
俺と長門はポクポクとロバが引く荷車に乗って、職人がいそうなところを訪ね歩くことにした。大工にしても鍛冶屋にしても、需要を超える以上の職人は村に置かないという談合めいた厳しいルールがあり数人しか住んでいない。石工にいたっては教会堂なんかの大きな建物でしか雇われないので定住する人がおらず、わざわざ遠くから呼び寄せないといけないありさまだ。
「しっかし、たかだか野郎一人の気を引くのに家まで建てるかねふつー」
「……家じゃない、ダンスホール」
「まあそうだけどさ。アイラブユー、ミーツーで済む話だろ」
長門は、あなたはなんて
「……身分の異なる二人の恋が
「そんなもんか」
「重要なのは告白に至るプロセスであってゴールそのものではない」
「なるほど」
随分と朝比奈さんの肩を持っているように見えるが、これは朝比奈さんが当事者だから応援しているというわけではなさそうで、最近の長門はどうやらラブロマンスに
領地の酒場を数軒回ってみたが大工らしきやつはほとんどいなかった。だったらロンドンのほうがまだ職人は多いだろうと思い、一度長門の店に帰ることにした。
「おーい、お前らどこ行ってたんだよ」
谷口が泣きそうな顔で俺たちを、というか長門を出迎えた。
「グロースター伯のところで仕事があってな。たぶん向こうにちょくちょく出かけることになると思う」
「おい修道士、お前城付きの司祭にでもなったのか」
「いや、そういうわけじゃあないんだが。いろいろとな」
司祭職ってのは神学を勉強して教区教会の偉い司教様からの委任状がないとなれないんだわ。
谷口は俺達が出かける前に言いつかっていたとおり、まめに薬や化粧品の小売をこなしていて、かなり在庫が減っていた。予約注文もちゃんと取ってあるようだ。だがユキリンの帰りを首を長くして待っている間に考えるところがあったらしく、
「なあ修道士、お前の
などと言い出す始末である。
「トニーにゃ無理だろ。お前領主のために死ぬ覚悟ないし」
「バ、バカにすんな。俺にだってそれくらいの根性はあるぜ」
根性っていうか、谷口に勤まる騎士道があるんだったら世界はミジンコ並みに騎士だらけだろうよ。いや俺もあんまり騎士道の
「だってお前ロンドン市民だろ。市民権なくしていいのか」
ロンドン市は職人とか商人の組合が強くて、王様に大金を収める代わりにわりと自由な自治が認められている。王様は行政にはあんまり、というかほとんど口出しできない。ロンドンの市民権は特権みたいなもんなのだ。
「いいんだよもう市民権なんて。正直、俺こんな
一旗揚げたいだけのやつがとても耐えられるとは思えんのだが。っていうかお前長門にかっこいいとこ見せたいってだけだろ、見え見えなんだよ。
「まあ聞いといてやるが、お前がやるとしたらまず
それを聞いてトニーはうーんと唸っている。
ああそうだった職人といえばだ、
「トニー、この辺でルイーダの酒場みたいなところ知らんか」
「なんだその、なんとかの酒場って」
「ニートが集まって仕事の誘いがかかるのを待ってるようなところだよ」
「待ってるかどうかは知らんが、職人つったらギルドだろうがよ」
ギルドか。長門も思い当たったらしく
そうと分かれば長居は無用、俺と長門はさっさと店を出てギルドハウスに向かった。後ろで谷口が今度はいつ帰ってくるんだと大声で聞いていたが、いやーそれは分からん、もしかしたらこのまま未来に帰っちまうかもしれんのでな。
修道服のまま大工ギルドと石工ギルドの建物を訪ねて行くと、どうやら聖堂を建てる依頼と勘違いされたみたいで上げ
その頃ハルヒはというと騎士正装の古泉を引き連れて、虎の
「頼もう、頼もう頼もう! なに誰もいないの? あたしに恐れをなして逃げ出したと見なし看板をいただいていくわよ」
道場破りかお前は。
「なにしに来たの君たち」
こないだ土地一式強奪未遂事件の被害者五人組が、また来たのかという冷めた目でハルヒを見た。今回のハルヒはひと味違うぞ、ただの土地強奪犯じゃない。
「おいそこの農民、
「だからなんの用なの」
いや、たぶん古泉は農地の検分でしょっちゅう来てるし顔見知りだろ。
「まあまあ、ご紹介はその辺にしときましょう。ところでベイリフさん今日は折り入っての相談がありまして」
ベイリフというのはマナーハウスに住み込んでいる荘園
「あどうも旦那ぁ、奥へどうぞ。そっちのあんたは椅子にでも座っててくれ」
「ちょっとぉ、あたしが古泉くんの部下みたいになってんじゃないの」
いや、お前が頭が高いとか言い出すからそうなるんだよ。
「早速本題ですが、建物用の土地を確保したいんです」
「ええ、なにかをお建てに?」
「ダンスホールを建ててもらいたいと考えていましてね」
天変地異クラスのどんな無謀な要求を突きつけようとも
「ダンスホールですか!?そんなものを建ててどうなさるんで」
「実はこの村でダンスパーティを主催、」
突然ハルヒが横から割って入り、「この村から伯爵夫人を
一曲踊っただけで伯爵の奥さんになれるんだったら世の中見合いも駆け引きもいらんというか、
「コイズミの旦那、それってどれくらいの広さなんですか」
「この敷地にある倉庫くらいでしょうか」
「あれですか!?あれをもうひとつ建てるとおっしゃるんで? 土地が足りませんよ旦那。領主様のご命令でもそりゃ無茶だ」
別に領主の命でもなんでもなく、その辺はモゴモゴとごまかす古泉である。ハルヒが鼻息も荒く部長氏の
「今ある倉庫をぶっ壊してでも協力しなさい。全英アイドルがこの村出身ってことになったらどんな経済効果があるか分かってんの? 城を建てても十分お釣りが来るわ」
部長氏は首を
「どうもその辺がよく分からないんだけど、伯爵夫人って誰?」
そこは込み入った大人の
「ベイリフさん、これは村を揚げての
「ほーう、なるほど」
「こちらの皆さんは独身だとお見受けしますが、あなた方にもメリットになる話なのです。普段は顔を合わせるチャンスがなくても、ダンスホールでお互いを知るきっかけが生まれるかもしれません。いえ確実に女性に会う機会に恵まれるようになります」
部長氏は一瞬夢見るような表情を見せたが、
「そりゃあ願ったり
「もっちろん全額出せとは言わないわ。
突然押しかけて土地を貸せとねじこんだ挙句建物まで建てろというやつのどこが大サービスなのか説明してもらいたいものだね。
「アンタんとこって、マナーハウスから出すのかい?」
「あったりまえじゃないの。
「無茶言うなよ、うちはいっつもギリギリでやってんだよ。あの倉庫だって先月建てたばっかりで」
「今の倉庫を改築して一階をダンスホールに、二階を倉庫にするという案はいかがでしょうか。建築コストも多少
出た、両方の顔を立てつつ自分はいいところを全部かっさらう超能力者の
「いいわねそれ。それでも足りないってんならまあ、村の住民から善意の寄付を
お前はほとんど水を飲んで暮らしてるような農民からさらに
「それより旦那、倉庫には干し草が詰まっていまして、豚やアヒルの面倒も見なきゃならねえんで」
まあ精一杯のおしゃれをして踊ってるそばで豚が踊ってたら
「だったら家畜の資産リスト作りなさいよ、うちで面倒見るわ。エサ代と世話の手数料は実費だけど」
動物には優しいハルヒ、などではない。生まれたヒナや子豚はうちのもんだと主張するに違いない。
幸か不幸か倉庫はまだ新しく、今なら増築も可能という大工さんの見立てで、暖炉や照明などの内装を
家畜小屋兼農用倉庫が年度末の
午後三時、農民が今日の仕事を終える頃に、ハルヒがこけら落としついでにダンス教室をやるというので近所に触れ回った。俺たちはソーシャルダンスなんてやったことも見たこともないはずなのだが。村の住民と建築に関わった職人だけを呼んでの、ダンスパーティ前のプレオープンである。音響の具合を見ておきたかったのでいちおう楽団も呼んでおいた。
正面のドアを開けると白い
「吹き抜けにしたんだな」
「ええ。夏場は熱気がこもりそうですからね」
内装を確かめている古泉はなぜか派手に着飾っており、いつもの正装に加えてシルクのスカーフを巻いている。
「壁際に花が生けてあるけどそんな設計だったっけ?」
「あれは朝比奈さんが用意してくれたみたいです」
なるほど、さすが。その朝比奈さんはどこだと視線を
「朝比奈さん、ま……ドレスを新調されたんですか。よくお似合いです」
また、と言いそうになってあわてて言葉を継いだ。スカートの
「あ、ありがとうキョンくん。今日届いたの。この衣装で踊れるかどうか心配で」
ええ、ええ、いいですとも朝比奈さんがステップを踏み踏み俺の足を踏んでくれても大歓迎ですよ。残念ながらハイヒールではないが。
そんな様子を、普段着のままの長門とハルヒがじとっとした目つきで朝比奈さんを見ている。ちょっとファッションに金使いすぎなんじゃないのと言いたげだ。あんなドレス高い割には着る機会ないでしょとブツブツ言っている。
ハルヒはいちばん奥にある一段高くなったステージに上がり、
「ちょっとあんたたち浮かれてんじゃないわよ。ソーシャルダンス初心者のあんたたちに厳しく指導してあげるからね。気合を入れていくわよ」
「お手柔らかにお願いします、ミス・スズミヤ」
古泉が肩にかかったマントを寄せてうやうやしく礼をした。俺も肩にかかった麻の修道服を脇に寄せてうやうやしく十字を切った。あたしはドラキュラかという顔でジロリと俺をにらんだ後、
「オホン、領民の諸君!
お触れを聞いてだいぶ集まってきた村の人達に向かって呼びかけた。
── 皆様から
ふり返りますれば、二十三年に渡る独身生活、いろいろなことがございました。数々のイベントを思い起こしますときに、なぜもっと早くパートナーを見つけなかったのかと、なぜもっと良い男を捕まえなかったのかと、人生の半分を無駄に過ごしていたことが
わたくしの
どっかの球団の名誉監督が
「さあさあぼーっと突っ立ってないで、ダンスの初心者がいたらあたしの前に来なさい。さっそくレッスンをはじめるわよ」
まったく地元の英国人様にありがたく教えてやる態度だな。
「はい、男女分かれて横一列に並ぶ! さっさとやる! お
陸軍ヘルメットを被せたら似合いそうなダンスインストラクターが、とりあえずなんか鳴らせと楽団に
「キョン、なんでやんないのよ」
「フランシスコ修道会はダンス禁止なの。俺はいいからそっちで適当にやってくれ」
すまんな長門、ダンスパートナーになってやれなくて。教区教会の神父ならよかったんだがな。
さすがの古泉も足元がおぼつかない動きで、朝比奈さんは衣装が気になってスカートの
ハルヒが手拍子を打ちながら、曲がりなりにもなんとか全行程をクリアしたようだ。分からなくなったら隣で踊ってる上手い人の
「よーし、それじゃ一曲通してやるわよ。ベテランの村の人、全員列に入ってちょうだい」
古泉の
ダンスに
二曲目がはじまったところで、周りで見ているギャラリーが妙に増え始めていることに気がついた。開け放たれたドアから人が入り込んできている。皆どうも見慣れない顔である。法衣を着ている神父らしき人がいたので聞いてみると、隣村の住民で、噂を聞きつけて新築のダンスホールを見に来たのだという。まあここいらで
馬車で駆けつけるやつもいてマナーハウスの敷地はプレどころかグランドオープンの様相を
人が増えていることにも気づいていないらしいハルヒは古泉とのダンスに
「マイロード、お戻りとは存じ上げませんでした。ご無事で」
伯爵と部下数名が拍手をしながらそこに立っていた。
「おうコイズミ殿。たった今、戻ったところだ。実はミス・スズミヤがなにか楽しいことをやっておられるとの噂を耳にしてな。
古泉的にはもしかしたら怒られるのではと内心思っていたに違いないが、伯爵は笑いながら応じている。
朝比奈さんが
「あんたちょっと帰ってくるタイミング早すぎるわよ。今日は予行演習でメーキャップもしてないのに」
「いやいやいや、実に立派で優雅なダンスでしたよ」
ハルヒはそんなことはどうでもいいのよ的に、
「ほらほらみくるちゃん、なんか言うことあるでしょ」
「え、あ、あの、おかえりなさいませご主人様」
朝比奈さん、そりゃメイド喫茶だ。
「ミス・アサヒナ、
「あ、ありがとうございますっ」
自分だけ着飾ってきて正解だったわと内心つぶやきながらシナを作ってみせる朝比奈さんである。イテテなにも言ってませんよ俺。
「……」
二人とも黙ったまま、相手の目を見つめたり、朝比奈さんはこれからどうすればいいのとハルヒと古泉の顔を交互に伺ったり、伯爵はただただスマイルを返すだけだった。
「こら伯爵、あんたもなにか言うことがあるでしょうが」
「え、そうだったか。あい分かった。ミス・アサヒナ、
「も、もっちろんよ!」おいハルヒ、答えるのはお前じゃない。
「
微妙にうつむいて、しかしながら
伯爵を男子の列の真ん中に、その対面に朝比奈さんが立った。曲がはじまるとゆるやかにお
「お前は踊んなくていいのか」
ギャラリーに混じってハルヒがなにごとかを
「シッ、静かにして。今いいところなんだから。はいそこでステップ、手を二回打つのよ、そうそう。流し目で相手を見る、そこで切れの良いターン! オ・レ! グッドガール、いい子ね」
朝比奈さんはドッグショーに出された小犬か。
最後に伯爵が真ん中で朝比奈さんの右手を取って高く上げ、朝比奈さんがスカートを揺らしてくるりと一回転し、両手を握って見つめ合い、やがて
「ミス・アサヒナ、素敵な踊りでした」
「こちらこそ、マイロード。あなたのリードのおかげです」
伯爵も心なしか
見知った顔もいるがほとんどは隣の村からやってきた客で、よくよく見るとまだ十六とか十七そこそこの娘達だ。おおいハルヒ、歳の差で負けてるぞ。十六歳と二十数歳じゃ月とスッポンだぞ。
「なに言ってんのよ、若けりゃいいってもんじゃないわよ」
「しかしお前、この時代は十五歳で結婚するとかふつーにいるわけだし」
それどころか豪勢に着飾った、従者を従えている見るからに金持ちの娘もいる。キリリと引き締まった唇のルージュ、
「やっぱり本物にはかなわないわ。わたしみたいな付け焼き刃じゃ」
あまりのゴージャスさに朝比奈さんが気後れしている。
「みくるちゃん、しっかりしなさい。金持ってりゃいいってもんじゃないわよ。あなたの
「でも……やっぱりお金も
お金にはきちゃない、いえ、お金に現実的なこだわりのある朝比奈さんだから説得力がある。この国の
目の前で繰り広げられるイケメン争奪戦を
ゆっくり寄せ
「こうも大勢で押しかけられちゃお手上げだな。二人の周りにいい雰囲気を作るなんてこたぁとうてい無理だろ」
ハルヒは腕組みをしたまま、伯爵に群がる養殖ウナギを見つめて眉毛すら動かさない。
「キョン……。SOS団にとって最大の敵って、なんだか分かる?」
「なんだよいきなり」
「それはね、数よ。世界最強を
あのなあハルヒよ、その元ネタ分かるやつが圧倒的に少ないということだけは浮き彫りになってると思うよ。
「あの、もし……ミス・アサヒナ?」
呆然としている朝比奈さんにさっきから話しかけているらしい騎士の一人が顔を覗き込んだ。
「え、あ、はいはい。こんばんわ、マイロード」
朝比奈さんは誰だったか名前を思い出せない風にお
「よろしければ次の曲を踊っていただけませんか」
「え……ダンス、ですか?」
まさかのお誘いに、というか本命以外からの誘いはまったく眼中になかったようで朝比奈さんは
「いいじゃないの、乗っちゃいなさい」
「え、でも」
「これも作戦よ。伯爵より若いイケメンといい仲になっているところを見せつけてやんなさい。それよりこの子もなかなかかわいいじゃないの。後数年もしたら化けるわよキヒヒ」
「そんな……」
自分よりは随分と年下の騎士さんをダシに
「人聞き悪いわね、そんな
いやいや、昔の人はいいこと言った。恋愛に王道なし、と。
それから何度かお誘いを受けるたびにハルヒの顔色をうかがいつつ、お
眉毛をキリリと逆ハの字に釣り上げたハルヒはずっと伯爵の姿を遠目に追っていた。物好きな野郎がハルヒに近寄り、一曲いかがとお誘いに来て、てっきり断るものと思っていたら黙って相手をしている。
古泉が俺の顔を見て返事をうかがっている。なにを質問したいのか分からんがウンみたいにうなずいてやったら、どうやら気を利かせたつもりらしく長門を誘っている。長門の手を取ってホールの真ん中に連れてゆき、丁寧にお
プレオープンのはずなのに夜更けまで踊りに
ハルヒがラスト一曲を命じてからも客はなかなか帰らず、いつまでも談笑で
「なかなかうまいこといかんもんだな」
祭の後の静けさの中、俺はベンチにちょこんと座っている長門にエールの入ったカップを差し出した。
「……ありがとう。問題ない。これは
余裕だな。っていうか長門がそこまで臨戦してたとは思わなかった。
「だが昔から言うだろ、恋愛なんてもなぁ男と女が闇の中で頭をぶつけあったようなもんだ、って」
「夏目漱石。一理ある」
「無理にくっつけようと必死にならんでも、偶然の出会いってやつがあるだろうに。なあ」
「……この時代、この国の女性は一定年齢に達すると誰と結婚するかが重要な課題となる。独身のまま家に居続けるのは、年金も老後の蓄えもない両親にとっては負担が大きい。年齢が若いうちはまだ相手を選ぶことも可能だが、歳を重ねるごとに選択肢は減り、
「お前にしてはシリアスだな」
「……通俗的な表現を用いるなら、人生の一大事になりふり構っていられない」
「それで殺到したのが、あのお嬢様方か。なんかすごく必死な感じはした」
「……なによりも、慣習的に女性の側から結婚を申し込むことはできない。場合によっては一生に一度でも求婚されればそれが唯一のチャンスということもありうる」
そういえば、ダンスも必ず男から誘うのがマナーになっている。日本も古来からそんな感じだったよな。なんで恋愛になると男のほうが気ままに好き勝手やってて、女はいつでも待ってるだけなんだろうな。まあおしとやかなところに
「別にしとやかじゃなくたっていいじゃないの」
ハルヒが横から口を挟んだ。ベンチに座り込んで串焼きをガツガツと
「勝手に男の妄想で理想の女を彫刻するんじゃないわよ。だいたいねえ、結婚後は女のほうが苦労が大きいのに、自分でいい馬を選ぶチャンスが少ないなんて不公平だわ」
「安心しろ。世の中にはじゃじゃ馬がタイプの
「だぁれがじゃじゃ馬よ」
「まあ俺的にはなるべく朝比奈さんみたいな、」
ハルヒに左の耳を思い切り引っ張られ、右の耳を長門に引っ張られた。イテテ俺は織田裕二か。
客もまばらになり、俺たちは後に残されたゴミを集め、垂れたロウソクを片付け、床を掃き、傷だらけになった床にワックスを塗ってようやく宴が終わった。ハルヒは手伝いもせずさっさと帰ってしまった。朝比奈さんの下ろしたてのゴージャスな衣装はよれよれになり、
「おつかれさまでした」
「あらキョンくん、ダンスの列では見かけなかったけど、長門さんとは踊らなかったの?」
「いえ、今日は修道士なんで。ダンス禁止なんです」
まだ生えそろっていない頭の
「あら残念ね、キョンくんが踊ってるところ見たかったのに」
そのニュアンスだと盆踊りとか阿波踊りの
「それより、俺応援してますから、がんばってアタックしてくださいね。まだまだこれからっすよ」
「え、ええ」
ハルヒに
「朝比奈さんと伯爵の最初のダンスはよかったですよ。二人とも輝いてました」
「あ、ありがとう。でも
「じゃあ次はラストダンスを誘ってもらえるようにがんばりましょう」
俺が決意するようにグーを握ってみせると、ええ、そうね、という感じに朝比奈さんはかろうじてグッと握ってうなずいた。
翌日はひどい二日酔いで目覚め、井戸まで行って顔を洗った。簡単に風呂に入れないことがうらめしい。今ならドラム缶風呂でも喜んで飛び込むところだ。ハルヒも朝比奈さんも昼になるまで起きてこなかった。あのあと帰ってきてから二人でやけ酒を飲んでいたのを俺は知っている。
午前中晴れ渡っていた空が少し曇り始め、涼しい風が吹いてきた頃、庭で子豚と
「……エマージェンシーモード。
「なんだ、なにごとだ」
長門が緊急事態と言うと世界がひっくり返るような一大事が基本だが。窓の外を見ると馬が二頭、
「おーいハルヒ、お客さんみたいだぞ」
返事がない。
「おいハルヒ、いつまで寝てんだ。さっさと起きねえか」
ドアを開けようとするも鍵がかかっている。ドンドンとノックすると髪をふり乱した朝比奈さんが出てきた。
「あー、なにー? キョンくん今日は禁則事項日でしょー、まさか禁則事項なのー? 聞いてないわよー」
目の下にクマを作り青い顔をした未来人が眠い目をして禁則事項を唱えている。
「朝比奈さん、客人です。あの、ちゃんと、身だしなみを整えて」
「あー、誰が来たのー」
「伯爵の、」
「はいっ、目ん玉ぱっちりです!」
その肌の荒れ具合、ちゃんと化粧は落としてから寝たんでしょうね?
玄関の前に騎士さん二人がやってきて、メイドさんが客間へと案内した。俺は修道服を着て応対に出て
「マイロード、おまたせしてごめんなさい」
先ほどの
「いえいえ、突然おじゃまして申し訳ない」
「お召し上がりになって。今なにか
ワインには口をつけていなかった。
「修道士殿、
「え、二人きりで?」
「数分で済みます」
「ああそう。じゃあハルヒが
俺は長門とメイドさんを
「ミス・ミクル・オブ・アサヒナ、ボクは
この人は別にボクっ子の騎士さんというわけではないのだが、俺の長門製脳内翻訳ナノマシンが勝手にそう訳しているだけだ。
「はい?」
「ミス・アサヒナ、
「どうと申されましても……」
「では、たとえばの話、今は安定しているように見えても、お仕えしている領主はいつか果てるかもしれず、この領地も他人の手に落ちるやもしれない。守るべき人も土地も、やがては失われるかもしれず、それは神のみぞ知るところ。待っていればジリ貧になることは分かっているのですが、あなたならどうなさいますか?」
「えーっと、あの、イギリス経済の話かしら」
「とりあえずなんでもいいから変えてみたいと思うのは、やはり騎士道に反するものでしょうか」
朝比奈さんは、いったいなんの話をしているんだという表情で首を
「ええまあ、そういうことも……あるかもしれませんね」
硬いブーツがトン、と
「ボクは十四歳になった日に、騎士道に従う人生の決断をしました。そして領主と国に
「あらあら、あらまあ、どうしましょう」
パニクった朝比奈さんが部屋の中をトコトコと歩き回る足音がする。
「わたしいったいどうしたら……」
「ミス・アサヒナ、どうか一言、イエス、だけでいいのです」
騎士さんは
朝比奈さんの足音がピタリと止まった。
「そんな、まさかこのタイミングで……」
それからブツブツとなにか独り言を唱えているような声が聞こえ、また部屋の中を歩き始めた。騎士さんは白と出るか黒と出るか、自分の運命を決するご
やがて足音は止まり、
「マイロード、お気持ちはたいへん嬉しく存じます。あなたの告白がもう三ヶ月早ければ是非ともお受けしていたでしょう。あのときわたしは
騎士さんはスクと立ち上がり、
「そうですか……
コツコツとブーツの音が響いてこっちに歩いてくる。俺たちは慌ててドアの前から飛び
「修道士殿、お手数おかけした。ありがとう、これでボクもふっきれたよ」
まるで初恋に敗れた少年のような表情で、目が心なしか
心配した朝比奈さんが見送りに出ているが、馬上の騎士さんのその寂しげな
客間に戻るともう一人の連れがじっと椅子に座っている。
「修道士殿、折り入ってミス・ハルヒ・スズミヤとお話が……」
なに、お前もか! しかもハルヒか!
落ち着け少年、キミは血迷ったことをしている。その歳で将来を棒に振るにはまだまだ早すぎる。世の中にはなあ、
「いったいなんの騒ぎよ、ふあああ」
空気を読めない能力だけは立派なアマテラスハルヒが堂々たるパジャマ姿で登場である。
「ミス・スズミヤ……起きろ、そなたは美しい」
いやお前が生きろ。
「は?」
例によって
「わたくしは戦場で一度、この胸に矢を受けたことがあります。それから半月ほど生死を
「誰よあんたぁ、あぁん?」
ハルヒは状況が飲み込めていないらしく、目やにのついたまつ毛をこすりこすりしている。
「どうかわたくしの妻になってください」
二度も言わせんな恥ずかしい、みたいな表情で花束を高く
「あんたまだケツの青い未成年でしょうがーあぁん? それとも犬
いや、尻が青いのは俺たちモンゴロイドだけらしいぞ。っていうか語尾がジミーヤマザキになってんぞ。
「ミス・スズミヤ、あなたは率直なお方だ。そのように美しい言葉を尽くして罵倒されるのなら、わたくしの本望です」
「ったく人がこんなひどい頭痛に見舞われてるってのに、怒鳴られて嬉しいのか! 帰れマゾヒスト! 犬の分際であたしにプロポーズなんて十年早いわ」
「今日はどうも日が悪かったようですね。日のめぐりだけは神様にもどうにもならないようだ。ミス・スズミヤ、お目覚めのところ突然押しかけてすまない。今日のところはこれにて失礼する」
「とっとと帰れ! フォックステリアのほうがまだかわいいっての!」
ハルヒは花束をひったくってムシャムシャと食っている。腹壊すぞ。
ありがたいことに騎士様はさして怒った様子もなく、まあこういうこともありますと言って馬にまたがった。若いのにしっかりしておいでで。朝比奈さんはさっきの騎士様の分も
馬が走り去る音が道の向こうに消えて、俺達が玄関を入ると二階でドアがバタンと閉まる音がした。これから二度寝するらしい。
メイドさんが晩飯の用意ができたと呼びに来てハルヒがようやく起きてきた。ハルヒがテーブルの
「涼宮さん、今朝のことなんだけど。あの言い方はないと思うの」
「あー? 何の話だっけ」
「いいえ、はっきり言ってひどい言い方だったわ」
珍しく朝比奈さんが眉毛をきりりと上げての物言いである。
「なんで怒ってんのみくるちゃん。あーっと、思い出した。なんか犬にプロポーズされたっけ」
朝比奈さんがドンとテーブルを叩いた。皿が踊った。おいおい荒れ模様だぞ。あいにくと今日はストッパー役の古泉がいない。
「一国のために命をかけている騎士さんに失礼です!」
「なにムキになってんの。お腹空いてんだからさっさと食べるわよ」
「メイドさん、話が終わるまで
古泉がハルヒを
「だからなんだっての。自分で選んだ仕事でしょ、公務員と同じことよ」
「あの方たちは誰に強いられたわけでもなく、領民のために無償で自分の命を投げ打つ
そうそう。騎士にせよ修道士にせよ、
ハルヒが黙りこんだ。握りしめたスプーンのやり場に困って空の皿の上に放り出した。朝比奈さんもじっと黙って、さっきよりは
「……あなたは、必要以上に彼のプライドを傷つけた。謝罪するべき」
長門がボソリと言った。テーブルの上の凍りついた硬いなにかが割れて
「むう……有希まできついこと言うし」
「おいハルヒ、あの人は古泉の同僚だろ。古泉の顔を立てて、ひと言
「むううう」
ハルヒはまだ痛むらしくこめかみをぐるぐると
「俺がついていってやるから」
「うっさいわね! あんたなんかに付き
よーしよし。ハルヒの不機嫌の
── 親愛なるジャン・ド・スマイト伯爵へ。ミクル・オブ・アサヒナよりあいさつを送ります。そろそろ夏の足音が聞こえてきましたね。雨も少なくなり、青い麦が風にそよぐ音が耳に心地よいこの頃です。
マイロードの突然の訪問には心底驚かされ、
さて、昨日のことですが、もしかするとすでにお聞き及びかもしれません。当家のスズミヤがマイロードのご家臣のひとりに対し、たいへん無礼な態度を取るということがありました。ここに深くお
追伸:もしご存じなければご当人の名誉のために、どうかマイロードの心にだけ秘めていただけますでしょうか。
またの機会に、お会いできることを楽しみにしております。心をこめて、ミクル
丁寧に封をされたこの手紙を持ってハルヒはショゲショゲと謝りに行くことになった。馬に乗った後ろ姿が、あーだりーとか、もーなんであたしがーなどなどブツブツ
二日後になって城から帰ってきたハルヒはツンとすました様子で、
「別にいいって言ってたわよ。っていうか、あの子をそそのかしたの実は伯爵じゃん。わざわざ謝りに行ったらすっげー笑われたんだけどぉ」
すました顔が実は真っ赤になっているのを誤魔化そうと必死である。きっと城内で
「まあ、そうなの。ロードシップが気の良いお方でよかったわ。
「プロポーズ断ったら首くくりになるってどんな中世ホラーよ」
「そうじゃなくて。あの騎士様がもし怒って騎士道に反することでもしたら、ってことなのよ」
「へー。いっそクビ飛んじゃえばよかったのに」
「もう、涼宮さんったら!」
ペコちゃんばりに舌をペロリと出して台所へすっ飛んで逃げるハルヒである。ドアから顔を出し、枕くらいはあろうかというベーコンのかたまりにかぶりつきながら、
「ああそうそう、古泉くんからキョン宛に手紙もらってきたわ。これまだ塩っけが足りないわねハグハグ」
「え? 俺宛にか。なんだよ改まって。中世風の文通ごっこでもやりたくなったのか」
ハルヒが黒ヤギばりに手紙まで食っちまう前にひったくった。封を折るとひさびさに見る日本語で書いてある。実は古泉はサナダムシがのたくったSOS団ロゴ並みの悪筆なんだが、こうして手紙にしたためられた母国語を見るのもなかなかいいもんだ。
── ここであなたの本名を書くのは禁則に触れることでしょうから、マイブラザーフッド、とでも称しましょうか。
いつから俺がお前の
「……
「そうかい」って私信を勝手に読むんじゃありません、ってモノローグに突っ込むんじゃありません、ってダチンコて場合によっちゃピーが入る単語だぞ。どうだ俺のトリプルツッコミ。
──
僕が考えるに、未来に帰るためにはもう涼宮さんの能力を引き出すしかないのでは、というのが結論です。朝比奈さんのデバイスは壊れたままですし、長門さんにいたっては対策を講じる様子もなく、情報統合思念体はいったい何を考えているのか、もしかしたらお手上げ状態なのかもしれません。
なのでいざとなれば、あなたの力で涼宮さんに一筆書かせるとか、なにがしかの誓いをさせるなどを講じ、未来に帰りたくなるように念じさせてください。いろいろとあなたにとっては頭痛の種になるでしょうが、ひとつだけいい方法があります。あなたが神父として彼女の告解を聞けばいいのです。未来に残してきた罪を今ここで告白しなさい、と言えばよろしい。
そしてもし、僕が間に合わなかったとしても、あるいは帰れなくなったとしても遠慮なさらず四人だけでお戻りください。古泉一樹は、ここ十二世紀の時間平面から皆様を見守って生きていきます。お願いできますれば、僕が使っていた机の引き出しに遺髪が収めてあります。それを故郷の家族の元へ身柄として帰していただけますでしょうか。一樹は立派に生きて天寿を全うした、と。
おっと、そろそろ時間切れのようです。もし僕が無事に生きて帰ってこれたとしたら、またよろしくしてやってください。最後にひとつだけ、朝比奈みくるの行動にはご注意を。事あらば
長寿と
ご注意を、だと?
「古泉がいよいよ
「キョンくん、そうなの?」
ハルヒは噛み付いていたベーコンのかたまりから口を離し、
「えええ!?昨日はそんなこと一言も言わなかったのに」
「十字軍っていうと行き先はエルサレムか」
「もうそんな時期だっけ?」
十字軍をデパートの季節モノ
「貴族は西洋史的なスケジュールが詰まってて忙しいんだよ」
「チッ、みくるちゃんのクレオパトラコスプレでダイナマイト色仕掛け大作戦がいよいよ発動するはずだったのに。計画がオジャンになったじゃないの」
色仕掛けて、マジそんな爆発するような作戦が展開されたら伯爵引くわ。俺でなくても引くわ。
「机の引き出しに遺髪が入ってるから、もしものときはそれを持って未来に帰れと言ってるぞ。
「ちょっと手紙見せなさい」
ハルヒが取った手紙を瞬時に
「だめだ、これは私信だ」
「ああーっなにすんのよバカキョン。これが古泉くんの最後の手紙だったかもしれないのにぃ」
お前まで
「心配するな。あいつはそう簡単には死にゃあせん」
お前は知らんだろうがバトルシーンではけっこうな活躍してんだぞ。
「そういえばキョン、今年って何年だっけ? グレゴリオ暦で」
「二〇一八年に決まってんだろ」
「全然笑えない」
「一一九〇年じゃなかったか」
「六月よね、十字軍よね、たしかメッシーナの戦いのはず」
お前はこの世界に落ちてくる前に西洋史の試験勉強でもしてきたのか。
「ええっ、涼宮さん、そこでロードシップはどうなるの?」
「さあ。そこまでは覚えて、」
「思い出して! ねえ! 今すぐ思い出して!!」
朝比奈さんが両手でハルヒの
「ま、待ちなさい、みくるンガ、そんなに
「元気ですか! 元気ですかぁ涼宮さん! お願い、詳しく知りたいの」
「アガガ……途中で船が難破したっていうから溺死でもしたんじゃないの」
聞くが早いか朝比奈さんは
「追いかけたほうがいいんじゃないか」
「いいのよ放っときなさい。昔から言うでしょ、人の
「そりゃいいが、一人で行かせて大丈夫か」
「すぐ帰ってくるわよ。伯爵もまだ遠くには行ってないでしょ。でもまさか、本当に追いかけていくとは思わなかったけどね」
ニヤニヤしたいのか鼻を広げてフフン顔をしたいのか、その二つが交じり合って、くしゃみが出そうで出ない犬みたいな顔になっている。
ハルヒはマナーハウスに次のダンスパーティの予定をキャンセルしないとと言いつつ出て行った。こないだが本番になっちまったし、伯爵もしばらくは来れないだろう。
「長門、古泉が朝比奈さんに注意しろと書いてたんだが、どういう意味か分かるか」
「……気になっていることはある」
「
「……発端は、ジャン・ド・スマイト
「というと、最初の裁判のときか」
「そう。あの短剣は先王が紛失したまま歴史の
「なんのためにそんなことをしたんだ?」
「……その時点では単に涼宮ハルヒに加担したものと思われた。古泉一樹にとってもなんら不審な点はなかったはず」
「発端てことは続きがあるのか」
「……二度目は、涼宮ハルヒとジャン・ド・スマイト
「あのときの雷って長門がやったんじゃなかったのか?」
「……わたしは何もしていない。仕込み刀をふり上げた瞬間にコンマ五秒静止しなかったら落雷はしなかった」
「ということは朝比奈さん自身が歴史を変えちまったってことか」
「……そう。問題は、決闘の相手が誰であるかをあらかじめ知っており、既定の歴史を知った上で意図的に行ったということ」
「動機は何なんだ、古泉はなにを
「……今のところ分からない。それが歴史改変に関わっていることは確か」
古泉はハルヒが能力を持ってこのかたずっと、観察を
そして、たった一人で出て行った朝比奈さんがいったいなにをしたのか。ここからのことはずいぶん後になって長門から聞いた話である。
夏になるとイギリスでは雨の量が減る。天までが味方したのか雨にも
伯爵の足跡をたどり
朝比奈みくるは単純な女であった。汚れたメイド服を着たままで、のそのそと王城へと出かけていった。ってまた太宰治ネタか。
「お頼みします! お頼み申し上げます!」
たちまち彼女は番兵に捕まり、
「王はお前のような薄汚いメイドにはお会いにはならんし、今ここにはおらん。痛い目に合わんうちに行け」
「王は乱心か、じゃなくて、お願いがございます。ご
「だめだ。スマイト伯は出陣前で忙しいのだ」
「ならば、せめてお
「だめだと言ったらだめだ」
「わたしはミス・ハルヒ・オブ・スズミヤの使いの者です!」
この名前を出した
「誰だそれ」
伯爵の居場所は分かったもののこれでは
一軒の宿屋の前でふと足を止めた。店先に下げられたタペストリーに見慣れたSOS団の紋章が描かれている。朝比奈さんは、これは天の助けに違いない、と本気でそう思った。
「古泉くん、お願いロード・スマイトに会わせて!」
宿屋のラウンジに飛び込むなり古泉らしき背中を見かけて叫んだ。目を丸くした古泉がふり返り、部下数名とテーブルでトランプに
「朝比奈さんではないですか。こんなところでどうなさったんですか」
「古泉くん、いえ、サーコイズミ、突然ごめんなさい。紳士の皆様、お楽しみのところを邪魔してごめんなさい」
古泉はドアの外に朝比奈さんを
「いったいなにがあったんですか」
「ロードシップがたいへんなの、伝えないといけないことがあるの。だから会わせて」
「残念ながら、それはできません」
「どうしてなの」
「朝比奈さんが伝えたいのは、十字軍遠征で何が起きるかでしょう。未来からの情報を
古泉は否定はしながらも、表情の中に、
「ロード・スマイトが死ぬかもしれないということは知っています。でも伝えたいのはそういうことじゃないの」
「というと?」
「あの……」言い
古泉は腕を組んで黙っていた。朝比奈さんは一歩下がって深く頭を下げ、
「お願い。今まであなたの組織とは利害が反することが多かったけれど、今だけはこのとおり、わたし朝比奈みくる個人の純粋な気持ちからお願いしたいの」
「顔を上げてください。そんなに
朝比奈さんの今にも
「分かりました。宮殿に参りましょう。思いの
「ええ、本当に!?ありがとう。この恩は一生、死んでも忘れません」
古泉は部下に所用で宮殿まで行ってくると言い残し、馬車を呼んで朝比奈さんを乗せた。十分に着飾り公用のような顔で入城すれば怪しまれることはないのである。宮殿の執事に面会を求め、名前を告げ、それからスマイト伯爵にお目通り願いたいと伝えてもらった。執事が戻ってきて伯爵が泊まっている部屋に案内された。
「これはこれはミス・アサヒナ。この通り急な
「マイロード、お忙しいところ突然おじゃましまして、心よりお
伯爵は二人に椅子を勧めたが古泉は座らなかった。
「ところで、急なお話とはいったい」
「マイロード、
「そうか。ではコイズミ殿、すまんが」
「かしこまりました。声が聞こえないところにいます」
このときの朝比奈さんはかつてないほどの勝利を得た顔をしている。すでに背中を向けてドアに向かって歩き始めていた古泉は、その表情には気づかなかった。朝比奈さんは、ここで愛の告白をするつもりなど
「マイロード、あまりお時間がありませんので手短に」
「分かった」
「あなたはメッシーナの戦いで勝利を収められます。その後、」
「そうありたいものです」
伯爵はまるで女神の祝福を受けるかのように笑顔で答えた。
「いえ、聞いてください。その後、船で地中海に出られることになっていますが、それを三日伸ばしてください」
「三日? なぜまた?」
「その日から天候が悪化するのです。そのまま船に乗ると嵐の中で難破してあなたは溺死なさいます」
「……」
それはまた不吉な、これから戦いに出るというのになんと
「たった三日、いえ二日と半日でいいのです。そうすれば貴重なあなたの部下たちも失われずに済みます」
「ミス・アサヒナ、戦場で三日は好機を逃すには十分すぎます。王は早急に援軍を求めていらっしゃるのです」
「マイロード、わたしはあなたに、生きて帰ってきてほしいのです」
この女はいったい何の根拠があって予言めいたことを言うのだろうかと半信半疑ではあったが、真正面から目と目で見つめ合って吐かれる迫真のセリフに、伯爵もうなずかざるを得なかった。
わずか五分の面会だったが、これで人事は尽くした、と朝比奈さんは思った。それからこの話は他言無用に、と釘を差すことも忘れなかった。こういう神がかったことを言われると、とくに
ドアの外で待っていた古泉の耳にはなにも入らなかった。恋する純粋な乙女の告白を、それがたとえ未来人の言葉であろうとも、受け取った思いを伯爵は胸に秘めたままでいてくれるだろう。これは中世の片隅にたったひとつ
ところが自ら道を踏み外したことにも気づかなかった歴史のほうは、このときすでに大きく変わっていたのだ。
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