十八章

「分かったわ。あたしに任せなさい。では、朝比奈みくるのぉラブラブぅ~」

「もういいってそれは」

「まじめにやんなさいよ、大作戦その第二弾!」

あのなあハルヒよ。世の中にはパートツーと名付けられ、これ以上ないというまでに駄作となった数多あまたの映画が、

「どうでもいいわよそんなの。作品に対する情熱が足りないだけでしょ」

いや情熱以外にもスポンサーとか配給とかいうお金的な事情がだな。っていうか情熱とかそんな抽象的なもんで映画ができるのかと突っ込まれた覚えがあるんだが。

「で、なにをやるつもりなんだ?」

「ダンスよダンス。ダンスと言えばなにか、言ってみなさいキョン」

「ダンスって腰ミノつけてマラカス振るとかブカブカのズボンを尻まで下げて床の上をぐるぐる回るとか」

「微妙に混ざってるけど全部ハズレ。あたしたちがやるのは社交ダンスよ」

「あーもしかして小学校の運動会のときにやったやつか」

「それはフォークダンスでしょーが。あんたちょっと黙ってなさい」

無学でサーセンした。

「涼宮さん、ダンスパーティを主催するの?」

「そうそう、みくるちゃん。思うにね、伯爵がエサに食いつかないのは貴族のゴージャスな暮らしに明け暮れてまともに恋愛したことがないからに違いないわ。そういう童貞には清く正しい男女交際から教えてやんなきゃだめなの」

童貞ってお前。性別によっちゃピーが入る単語だぞ。

「お前ダンスパーティつったって、いったいどこでやるんだ。畑は麦をいたばかりだから使えんぞ」

「畑でダンスパーティなんてどこの田舎よ。ダンスホールに決まってんじゃないの」

「そんなもん……あったっけな?」

古泉に視線を投げてみるが、

「いえ、僕の知るかぎりではこの領地に人が集まるためのホールはまだ作られてないと思います」

「ないんだったら自分で作ればいいじゃない」

そのセリフひさびさに聞いた気がする。作ればいいと言うだけで自分はなにもしないいつものセリフ。

「作るって建てるのか」

「あったりまえでしょ。どこの世界に地面からダンスホールが生えてくるっての」

い、いやん、異世界ならそういう超便利なところがあってもいいんじゃないかなって思ってたところなんだ。

「ダンスホール建てるのってどれくらいかかるんだ?」

「さあ……、その辺はやっぱり執事くんよね」

「正確な建設費を算出するのはなかなか難しいですが、えーっと、マナーハウスにある広めの木造倉庫の費用がだいたい八十ポンドです」

八十ポンドというと二万ペンス、俺の日当が三千円だとして、日本円で五千七百六十万、くらいか。どう考えても無理だろ。

「なーんだ、なんとかなるじゃない」

「無茶言うな、どこにそんな金があるんだよ」

「マナーハウスにあるでしょ」

「あれは伯爵の金だろうが」

マナーハウスは銀行じゃないつーの。つまりなんだ、伯爵を釣るのに伯爵に金を出させる魂胆こんたんか。タコを釣るのにタコの足をエサにするようなもんじゃないか。

「まああたしだってタダで建ててもらうほどがめつい女じゃないわ。うちの土地と建物を担保たんぽにして資金調達してもいいわよ」

いや、十分がめついって。ここの不動産は爺さんの遺産だろ。ちなみに石造りの小さな教会が百二十ポンド、中庭付きの個人宅が百ポンドだそうだ。

「うちの十年分の収入を前倒しで担保たんぽにすれば、資金の半分くらいはなんとかなるかもしれませんよ」

またいらん入れ知恵を。お前がそういう無茶な方法を思いつくから俺達が苦労するはめになるんだぞ、分かってんのか。という顔をすると古泉はスマイルをくずさず口の端だけ角度をニッと上げてみせた。

「さっすが古泉くん。そうと決まったらとっととはじめるわよ。ポジションを伝える。あたしと古泉くんはマナーハウスに殴りこみ。有希とキョンは職人を集めなさい」

「集めるって、弾幕だんまく作る人か?」

ハルヒはお前はアホかという顔をして、

「大工と石工に決まってんでしょうが。いい? ありったけ集めてくるのよ」

さっきまで夢見る表情だった朝比奈さんは、どうやらたいへんな事態になりそうだというのがようやく分かってきたらしく顔色をピンクから青へと変え、

「あ、あの、わたしはなにをしたら」

「みくるちゃんは石材と木材の調達に行ってちょうだい。マナーハウスのでかい倉庫を建てられるだけの建材って言えば分かるから」

「わ、分かりました。在庫があるか聞いてきます」

「おいハルヒ、金はどうすんだよ」

「とりあえず伯爵の名前でツケときゃいいの。四の五の言わずさっさと建てなさい四十日以内!」

というわけで、伯爵が遠征から戻ってくるまでに農場の倉庫、もといダンスホールを建てろという社長の号令一過、俺たちは土地と資金と職人、それから建材の調達に駆けずり回ることになった。まあ城を建てろと言われないだけマシだったがな。


 俺と長門はポクポクとロバが引く荷車に乗って、職人がいそうなところを訪ね歩くことにした。大工にしても鍛冶屋にしても、需要を超える以上の職人は村に置かないという談合めいた厳しいルールがあり数人しか住んでいない。石工にいたっては教会堂なんかの大きな建物でしか雇われないので定住する人がおらず、わざわざ遠くから呼び寄せないといけないありさまだ。

「しっかし、たかだか野郎一人の気を引くのに家まで建てるかねふつー」

「……家じゃない、ダンスホール」

「まあそうだけどさ。アイラブユー、ミーツーで済む話だろ」

長門は、あなたはなんて無粋ぶすいな男なのという目をして、

「……身分の異なる二人の恋が成就じょうじゅするには綿密に用意された舞台が必要」

「そんなもんか」

「重要なのは告白に至るプロセスであってゴールそのものではない」

「なるほど」

随分と朝比奈さんの肩を持っているように見えるが、これは朝比奈さんが当事者だから応援しているというわけではなさそうで、最近の長門はどうやらラブロマンスにって読んでいるらしいのである。本人はおくびにも出さないが、ギリシャや中東から取り寄せた、カソリックでは禁書と呼ばれていた恋愛物なんかを読んでいるのをときどき目にする。ギリシャ語が読めない俺でも単語くらいは分かる。もしかして豪華な庭園の一角にある東屋あずまやで晴天の下、俺がひざをついてプロポーズするのを望んでいるのではなかろうか。前にも言ったような気がするが、未来に帰ったら俺も宮廷ものハーレクインを読むべきかな。


 領地の酒場を数軒回ってみたが大工らしきやつはほとんどいなかった。だったらロンドンのほうがまだ職人は多いだろうと思い、一度長門の店に帰ることにした。

「おーい、お前らどこ行ってたんだよ」

谷口が泣きそうな顔で俺たちを、というか長門を出迎えた。

「グロースター伯のところで仕事があってな。たぶん向こうにちょくちょく出かけることになると思う」

「おい修道士、お前城付きの司祭にでもなったのか」

「いや、そういうわけじゃあないんだが。いろいろとな」

司祭職ってのは神学を勉強して教区教会の偉い司教様からの委任状がないとなれないんだわ。


 谷口は俺達が出かける前に言いつかっていたとおり、まめに薬や化粧品の小売をこなしていて、かなり在庫が減っていた。予約注文もちゃんと取ってあるようだ。だがユキリンの帰りを首を長くして待っている間に考えるところがあったらしく、

「なあ修道士、お前の口利くちききで俺も伯爵んところの騎士になれねえかな」

などと言い出す始末である。

「トニーにゃ無理だろ。お前領主のために死ぬ覚悟ないし」

「バ、バカにすんな。俺にだってそれくらいの根性はあるぜ」

根性っていうか、谷口に勤まる騎士道があるんだったら世界はミジンコ並みに騎士だらけだろうよ。いや俺もあんまり騎士道の戒律かいりつはよく知らんが、谷口がまげって刀差して元服するくらいの驚天動地きょうてんどうちに違いない。

「だってお前ロンドン市民だろ。市民権なくしていいのか」

ロンドン市は職人とか商人の組合が強くて、王様に大金を収める代わりにわりと自由な自治が認められている。王様は行政にはあんまり、というかほとんど口出しできない。ロンドンの市民権は特権みたいなもんなのだ。

「いいんだよもう市民権なんて。正直、俺こんな革細工かわざいく職人の生活うんざりしてんだよ。一旗揚げてえの」

一旗揚げたいだけのやつがとても耐えられるとは思えんのだが。っていうかお前長門にかっこいいとこ見せたいってだけだろ、見え見えなんだよ。

「まあ聞いといてやるが、お前がやるとしたらまず馬丁ばてい見習いからだぞ。馬の世話しながら十四歳の先輩に毎日しごかれるんだぞ」

それを聞いてトニーはうーんと唸っている。革細工かわざいく職人一筋でお前を食わせてきた父ちゃんと母ちゃんの老後もちゃんと考えろ。

 ああそうだった職人といえばだ、

「トニー、この辺でルイーダの酒場みたいなところ知らんか」

「なんだその、なんとかの酒場って」

「ニートが集まって仕事の誘いがかかるのを待ってるようなところだよ」

「待ってるかどうかは知らんが、職人つったらギルドだろうがよ」

ギルドか。長門も思い当たったらしくこぶしで手のひらをポンと叩いた。この時代は職人になるのにもルールがあって、職人見習いになりたいやつが親方とちぎりを交わす書類が必要なんだそうだ。職人が増えすぎないように管理している組合がギルドだ。

 そうと分かれば長居は無用、俺と長門はさっさと店を出てギルドハウスに向かった。後ろで谷口が今度はいつ帰ってくるんだと大声で聞いていたが、いやーそれは分からん、もしかしたらこのまま未来に帰っちまうかもしれんのでな。


 修道服のまま大工ギルドと石工ギルドの建物を訪ねて行くと、どうやら聖堂を建てる依頼と勘違いされたみたいで上げぜんぜんで奥に通された。い、いやそんな大それた発注じゃないんですが。ただ村に大きめの倉庫を建てたいだけなんで。そこで内装無しの外側のみエコノミープランの見積もりで、材料費と職人の日当の総額を教えてもらった。こないだのハルヒの森林伐採事件のせいで、木材の供給が需要を上回っちまった結果、暴落した後のリバウンドで相場が上がっているらしい。流通の皆様にまで迷惑をかけるとは、とんだ人騒がせな開拓だったわけだ。


 その頃ハルヒはというと騎士正装の古泉を引き連れて、虎のを借る小型犬みたいな風体で村のマナーハウスに殴りこんだ。当然聞いた話になる。

「頼もう、頼もう頼もう! なに誰もいないの? あたしに恐れをなして逃げ出したと見なし看板をいただいていくわよ」

道場破りかお前は。

「なにしに来たの君たち」

こないだ土地一式強奪未遂事件の被害者五人組が、また来たのかという冷めた目でハルヒを見た。今回のハルヒはひと味違うぞ、ただの土地強奪犯じゃない。

「おいそこの農民、が高い。こちらにおわすお方は伯爵の騎士様、サー・コイズミよ。控えい」

「だからなんの用なの」

いや、たぶん古泉は農地の検分でしょっちゅう来てるし顔見知りだろ。

「まあまあ、ご紹介はその辺にしときましょう。ところでベイリフさん今日は折り入っての相談がありまして」

ベイリフというのはマナーハウスに住み込んでいる荘園差配人さはいにんの部長だ。中世イギリス版の部長氏は古泉の顔を見るとペコペコと頭を下げ、

「あどうも旦那ぁ、奥へどうぞ。そっちのあんたは椅子にでも座っててくれ」

「ちょっとぉ、あたしが古泉くんの部下みたいになってんじゃないの」

いや、お前が頭が高いとか言い出すからそうなるんだよ。

「早速本題ですが、建物用の土地を確保したいんです」

「ええ、なにかをお建てに?」

「ダンスホールを建ててもらいたいと考えていましてね」

天変地異クラスのどんな無謀な要求を突きつけようとも微動びどうだにしないニコニコスマイルの古泉である。

「ダンスホールですか!?そんなものを建ててどうなさるんで」

「実はこの村でダンスパーティを主催、」

突然ハルヒが横から割って入り、「この村から伯爵夫人を輩出はいしゅつするためよ!!」

一曲踊っただけで伯爵の奥さんになれるんだったら世の中見合いも駆け引きもいらんというか、短絡的たんらくてきすぎるというか。

「コイズミの旦那、それってどれくらいの広さなんですか」

「この敷地にある倉庫くらいでしょうか」

「あれですか!?あれをもうひとつ建てるとおっしゃるんで? 土地が足りませんよ旦那。領主様のご命令でもそりゃ無茶だ」

別に領主の命でもなんでもなく、その辺はモゴモゴとごまかす古泉である。ハルヒが鼻息も荒く部長氏のえりを掴み、

「今ある倉庫をぶっ壊してでも協力しなさい。全英アイドルがこの村出身ってことになったらどんな経済効果があるか分かってんの? 城を建てても十分お釣りが来るわ」

部長氏は首をかしげて、

「どうもその辺がよく分からないんだけど、伯爵夫人って誰?」

そこは込み入った大人の情事じょうじ、いや事情じじょうなのであんまり追求しないように。古泉は少し考えて戦略を変えたらしく、

「ベイリフさん、これは村を揚げての婚活こんかつなのですよ」

「ほーう、なるほど」

「こちらの皆さんは独身だとお見受けしますが、あなた方にもメリットになる話なのです。普段は顔を合わせるチャンスがなくても、ダンスホールでお互いを知るきっかけが生まれるかもしれません。いえ確実に女性に会う機会に恵まれるようになります」

部長氏は一瞬夢見るような表情を見せたが、

「そりゃあ願ったりかなったりのたいへんに結構なことですが、ところでお金は領主様に出していただけるんですよね」

「もっちろん全額出せとは言わないわ。寿ことぶきキャンペーン出血大サービスであたしがコミコミ三割、アンタんところが七割でどうよ」

突然押しかけて土地を貸せとねじこんだ挙句建物まで建てろというやつのどこが大サービスなのか説明してもらいたいものだね。

「アンタんとこって、マナーハウスから出すのかい?」

「あったりまえじゃないの。もうかってんでしょ」

「無茶言うなよ、うちはいっつもギリギリでやってんだよ。あの倉庫だって先月建てたばっかりで」

「今の倉庫を改築して一階をダンスホールに、二階を倉庫にするという案はいかがでしょうか。建築コストも多少おさえられます」

出た、両方の顔を立てつつ自分はいいところを全部かっさらう超能力者の折衷案せっちゅうあん

「いいわねそれ。それでも足りないってんならまあ、村の住民から善意の寄付をつのればいいんじゃないの」

お前はほとんど水を飲んで暮らしてるような農民からさらにしぼりり取る気か。

「それより旦那、倉庫には干し草が詰まっていまして、豚やアヒルの面倒も見なきゃならねえんで」

まあ精一杯のおしゃれをして踊ってるそばで豚が踊ってたら興醒きょうざめだわな。

「だったら家畜の資産リスト作りなさいよ、うちで面倒見るわ。エサ代と世話の手数料は実費だけど」

動物には優しいハルヒ、などではない。生まれたヒナや子豚はうちのもんだと主張するに違いない。

 幸か不幸か倉庫はまだ新しく、今なら増築も可能という大工さんの見立てで、暖炉や照明などの内装をほどこして床に石と板を貼り、二階部分を継ぎ足すというハルヒの脳内だけでパースされた夢の御殿ごてんみたいな設計図が描かれた。


 家畜小屋兼農用倉庫が年度末の突貫工事とっかんこうじ並みのスピードで、元の姿からはとても想像すらつかないにまで改築され、瀟洒しょうしゃな二階建ての、未来風に言えば多目的ホールが完成した。大きさ的には北高にあった道場くらいか。裏から見ると二階部分に石垣で作られた坂道が接続されていて、そこから干し草を出し入れできるようになっている。朝比奈さんが東奔西走してかき集めた木材も石材も、実際は予算をだいぶ下回り、村民の皆さんのご協力もあって資金不足になることもなく、マナーハウスの連中も古泉も胸をなでおろした。ただ、俺達が集めた大量の職人さんたちは、半年くらいはこれだけで食っていけると期待していたにもかかわらず一ヶ月そこそこしか仕事をもらえずにいて、そっちはあんまり恩恵おんけいを受けなかったようだ。

 午後三時、農民が今日の仕事を終える頃に、ハルヒがこけら落としついでにダンス教室をやるというので近所に触れ回った。俺たちはソーシャルダンスなんてやったことも見たこともないはずなのだが。村の住民と建築に関わった職人だけを呼んでの、ダンスパーティ前のプレオープンである。音響の具合を見ておきたかったのでいちおう楽団も呼んでおいた。

 正面のドアを開けると白い漆喰しっくいの壁が広がり、両側には二階を支える柱が並んでいて、柱の上には獣脂じゅうしランプがかけてある。蛍光灯ではないので全体的にぼんやりと赤みがかった照明だが、これはこれでおもむきがあるな。部屋の真ん中は吹き抜けになっていて、ロウソクのシャンデリアが天井から下がっている。

「吹き抜けにしたんだな」

「ええ。夏場は熱気がこもりそうですからね」

内装を確かめている古泉はなぜか派手に着飾っており、いつもの正装に加えてシルクのスカーフを巻いている。

「壁際に花が生けてあるけどそんな設計だったっけ?」

「あれは朝比奈さんが用意してくれたみたいです」

なるほど、さすが。その朝比奈さんはどこだと視線を彷徨さまよわせてみると、なんと!

「朝比奈さん、ま……ドレスを新調されたんですか。よくお似合いです」

また、と言いそうになってあわてて言葉を継いだ。スカートのすそにひらひらのフリルがたわわに波打っており、胸が大きく開いたスリーブ、前よりゴーシャスになっている。これなら伯爵でなくても心奪こころうばわれること間違いなしです朝比奈さん。にしても、予行演習にしては気合入りすぎていませんか。

「あ、ありがとうキョンくん。今日届いたの。この衣装で踊れるかどうか心配で」

ええ、ええ、いいですとも朝比奈さんがステップを踏み踏み俺の足を踏んでくれても大歓迎ですよ。残念ながらハイヒールではないが。

 そんな様子を、普段着のままの長門とハルヒがじとっとした目つきで朝比奈さんを見ている。ちょっとファッションに金使いすぎなんじゃないのと言いたげだ。あんなドレス高い割には着る機会ないでしょとブツブツ言っている。

 ハルヒはいちばん奥にある一段高くなったステージに上がり、

「ちょっとあんたたち浮かれてんじゃないわよ。ソーシャルダンス初心者のあんたたちに厳しく指導してあげるからね。気合を入れていくわよ」

「お手柔らかにお願いします、ミス・スズミヤ」

古泉が肩にかかったマントを寄せてうやうやしく礼をした。俺も肩にかかった麻の修道服を脇に寄せてうやうやしく十字を切った。あたしはドラキュラかという顔でジロリと俺をにらんだ後、

「オホン、領民の諸君! あたしの言葉を聞けぃBehold!

お触れを聞いてだいぶ集まってきた村の人達に向かって呼びかけた。


── 皆様から頂戴ちょうだいしましたるご支援、そして熱烈なるご愛顧あいこたまわりまして、今日こんにちまでわたくしハルヒ・オブ・スズミヤは独身で過ごして参りました。今ここに、自らの進退をかけて、この村をイングランドで最高の繁栄はんえいある村にする決意をいたしました。

 ふり返りますれば、二十三年に渡る独身生活、いろいろなことがございました。数々のイベントを思い起こしますときに、なぜもっと早くパートナーを見つけなかったのかと、なぜもっと良い男を捕まえなかったのかと、人生の半分を無駄に過ごしていたことがやまれてなりません。

 わたくしのくににこんな言葉があります。恋せよ乙女、あかきリップ色褪いろあせぬ間に。このダンスホールで交わされる眼と眼、ステップの合間わずかに触れる手と手。そんな一瞬であなたの人生が大きく花開くことまず間違いありません。そこのお嬢さん、未来の旦那を探しなさい、そっちのシャイな少年、女の子に声くらいかけてみなさい。若人わこうどよ、えて闘志をかき立ててくれ!


 どっかの球団の名誉監督が永世えいせい引退しちまいそうな勢いでアドリブをかますハルヒだった。なにに感動しているのかまったく理解しかねるが、村の住民は雨あられの拍手大喝采、涙さえ浮かべる始末で、イギリス人ってやつぁつくづく演説が好きなんだなぁとしみじみ感動しちまったぜ。朝比奈さんあーたも同類ですか。


「さあさあぼーっと突っ立ってないで、ダンスの初心者がいたらあたしの前に来なさい。さっそくレッスンをはじめるわよ」

まったく地元の英国人様にありがたく教えてやる態度だな。

「はい、男女分かれて横一列に並ぶ! さっさとやる! お辞儀じぎをする! バンド、ミュージックスタート」

陸軍ヘルメットを被せたら似合いそうなダンスインストラクターが、とりあえずなんか鳴らせと楽団に横着おうちゃくな注文をつけ、ステージに向かって右に男、左に女が並び、ゆるい、すごくゆっくりの四拍子に合わせて踊った。踊るというより足を踏まないように互いに触らないようにうろうろと動いているだけにしか見えんが。いや、実は俺はただ見てるだけだった。

「キョン、なんでやんないのよ」

「フランシスコ修道会はダンス禁止なの。俺はいいからそっちで適当にやってくれ」

すまんな長門、ダンスパートナーになってやれなくて。教区教会の神父ならよかったんだがな。

 さすがの古泉も足元がおぼつかない動きで、朝比奈さんは衣装が気になってスカートのすそばかり気にしている。長門はソーシャルダンスの基礎知識はあるらしく、華麗かれいに体を回し相手役をリードしたりしている。言っとくがチークダンスみたいなぴったり寄りうやつじゃないからな。

 ハルヒが手拍子を打ちながら、曲がりなりにもなんとか全行程をクリアしたようだ。分からなくなったら隣で踊ってる上手い人の真似まねをすればいい。実践のほうが覚える。

「よーし、それじゃ一曲通してやるわよ。ベテランの村の人、全員列に入ってちょうだい」

古泉の相方あいかたにハルヒが入り、周りで見ていたおっさんやおばちゃんが列に混じり丁寧にお辞儀じぎをした。ゆるい曲の演奏がはじまり、ぐるりと回って、男女が入れ替わり、元の列に戻り、隣の人と入れ替わる。初心者もだんだん流れに乗ってきたらしく動きがスムーズになっている。そうそう、こういうのは見よう見まねでいいんだ。たまに戻る位置を間違えて相方あいかたのほうに行ってしまったりしているのはご愛嬌あいきょうだ。

 ダンスにきょうが乗ってきたところで曲のテンポが少し早くなり、だいぶ優雅になってきた。見ていても楽しい。一曲目が終わると軽く拍手をしてまたお辞儀じぎをした。なるほどね、礼に始まり礼に終わるのがダンスか。

 二曲目がはじまったところで、周りで見ているギャラリーが妙に増え始めていることに気がついた。開け放たれたドアから人が入り込んできている。皆どうも見慣れない顔である。法衣を着ている神父らしき人がいたので聞いてみると、隣村の住民で、噂を聞きつけて新築のダンスホールを見に来たのだという。まあここいらで女傑にょけつとして知られているハルヒのやることだ、ゴシップ好きの口に封はできまい。

 馬車で駆けつけるやつもいてマナーハウスの敷地はプレどころかグランドオープンの様相をていしてきた。客はどんどん増えて倍以上にふくれ上がり、これを商売のチャンスと見た村人が敷地内に屋台を出す始末である。これぞ経済効果というやつか。

 人が増えていることにも気づいていないらしいハルヒは古泉とのダンスにきょうじて、外がお祭り騒ぎになっていることも知らぬ様子だ。二曲目の終わりは華麗かれいに決まり、周りにいた客人からも大きく拍手がいた。そろそろ日も暮れかかり気温も下がっているのだが、体を動かした熱気で皆清々すがすがしい汗をかいている。

 ひたいぬぐう古泉がふと真顔に戻った。古泉がハルヒをうながし人混みをかき分けてドアに近づいていく。丁寧にお辞儀じぎをして、

「マイロード、お戻りとは存じ上げませんでした。ご無事で」

伯爵と部下数名が拍手をしながらそこに立っていた。

「おうコイズミ殿。たった今、戻ったところだ。実はミス・スズミヤがなにか楽しいことをやっておられるとの噂を耳にしてな。せ参じた次第だ」

古泉的にはもしかしたら怒られるのではと内心思っていたに違いないが、伯爵は笑いながら応じている。

 朝比奈さんがひざを曲げてちょこんと首をかしげてお辞儀じぎをした。ハルヒは頭すら下げず、

「あんたちょっと帰ってくるタイミング早すぎるわよ。今日は予行演習でメーキャップもしてないのに」

「いやいやいや、実に立派で優雅なダンスでしたよ」

ハルヒはそんなことはどうでもいいのよ的に、

「ほらほらみくるちゃん、なんか言うことあるでしょ」

「え、あ、あの、おかえりなさいませご主人様」

朝比奈さん、そりゃメイド喫茶だ。

「ミス・アサヒナ、息災そくさいでなによりです。ドレスがとてもよくお似合いだ」

「あ、ありがとうございますっ」

自分だけ着飾ってきて正解だったわと内心つぶやきながらシナを作ってみせる朝比奈さんである。イテテなにも言ってませんよ俺。

「……」

二人とも黙ったまま、相手の目を見つめたり、朝比奈さんはこれからどうすればいいのとハルヒと古泉の顔を交互に伺ったり、伯爵はただただスマイルを返すだけだった。

「こら伯爵、あんたもなにか言うことがあるでしょうが」

「え、そうだったか。あい分かった。ミス・アサヒナ、一曲踊っていただけますかなWould you care to dance?」

「も、もっちろんよ!」おいハルヒ、答えるのはお前じゃない。

わたしでよろしければ喜んでI have been enchanted、マイロード……」

微妙にうつむいて、しかしながらりんと部屋に響く声で返答する朝比奈さんだ。


 伯爵を男子の列の真ん中に、その対面に朝比奈さんが立った。曲がはじまるとゆるやかにお辞儀じぎをした。互いに三歩歩み寄り、右手と左手を取って入れ替わり、向き合ってから三歩離れる。気が付くと、ギャラリーはみんな伯爵と朝比奈さんを見ている。片方が優雅に動き、他方はおぼつかない足取りで、片方がフォローし、そして他方が微笑ほほえみ返す様子が実にいい。ギャラリーの表情は皆、まるでかれ合う二人の間に繰り広げられるドラマを暖かく見守っているかのようだ。

「お前は踊んなくていいのか」

ギャラリーに混じってハルヒがなにごとかをつぶやいている。

「シッ、静かにして。今いいところなんだから。はいそこでステップ、手を二回打つのよ、そうそう。流し目で相手を見る、そこで切れの良いターン! オ・レ! グッドガール、いい子ね」

朝比奈さんはドッグショーに出された小犬か。

 最後に伯爵が真ん中で朝比奈さんの右手を取って高く上げ、朝比奈さんがスカートを揺らしてくるりと一回転し、両手を握って見つめ合い、やがて名残惜なごりおしむように二人は離れた。そこで曲が終わり拍手となった。朝比奈さんはハッと我に返り、周りを見回して拍手をした。初ダンスにしては上々じょうじょうの出来栄え、たいへんよくできましたのスタンプを三つほど進呈して差し上げたい。

「ミス・アサヒナ、素敵な踊りでした」

「こちらこそ、マイロード。あなたのリードのおかげです」

うるんだ瞳で伯爵を見つめ返す朝比奈さんに、よしっ、とハルヒはガッツポーズを入れた。最後のは決めのセリフだったらしい。よく仕込んであるな。


 伯爵も心なしかほほが赤く染まっていて、もしかしたら二人はこのまま月の下でデートか、などと鉄板コースの展開に期待をふくらませていた四人だった。ところがそうは問屋がおろさない。曲が終わるやいなやギャラリーに待ちかまえていた女子共が伯爵の元へ大挙たいきょして押し寄せたのである。どの娘も両親らしき人物と連れ立ってぜひとも伯爵に挨拶あいさつをばせんと欲し、押し合いへし合い、行列のできるラーメン屋並みの盛況である。

 見知った顔もいるがほとんどは隣の村からやってきた客で、よくよく見るとまだ十六とか十七そこそこの娘達だ。おおいハルヒ、歳の差で負けてるぞ。十六歳と二十数歳じゃ月とスッポンだぞ。

「なに言ってんのよ、若けりゃいいってもんじゃないわよ」

「しかしお前、この時代は十五歳で結婚するとかふつーにいるわけだし」

それどころか豪勢に着飾った、従者を従えている見るからに金持ちの娘もいる。キリリと引き締まった唇のルージュ、い上げたボリュームのある髪、長いまつげの下に青い宝石のような瞳、ノースリーブどころか肩もあらわなパーティドレス。どう見てもどこかのご令嬢です。

「やっぱり本物にはかなわないわ。わたしみたいな付け焼き刃じゃ」

あまりのゴージャスさに朝比奈さんが気後れしている。

「みくるちゃん、しっかりしなさい。金持ってりゃいいってもんじゃないわよ。あなたの美貌びぼうは百万ポンドよ」

「でも……やっぱりお金も美貌びぼうも、両方あったほうがいいですよね」

お金にはきちゃない、いえ、お金に現実的なこだわりのある朝比奈さんだから説得力がある。この国の結納金ゆいのうきんは女性のほうが払うことになっていて、旦那の資産の相続権が嫁さんに保証されてることもあってか結構高い。


 目の前で繰り広げられるイケメン争奪戦をながめているうちに、ハルヒと朝比奈さんはあれよあれよと部屋の隅に押しやられてしまい、気がつけば伯爵はさっきのゴージャスな娘さんと踊っている。場数をこなしているのか、これまたダンスが上手だ。

 ゆっくり寄せいてから釣り上げよう画策かくさくしていたところ、大枚はたいて建てたダンスホールに釣り名人が大挙たいきょして押しかけさくっと持って行かれたこのありさま。壁に頭を押し付けている感じの二人の背中に寂寥感せきりょうかんが漂っていた。イギリス人にしたら地元住民めんなってところだろう。

「こうも大勢で押しかけられちゃお手上げだな。二人の周りにいい雰囲気を作るなんてこたぁとうてい無理だろ」

ハルヒは腕組みをしたまま、伯爵に群がる養殖ウナギを見つめて眉毛すら動かさない。

「キョン……。SOS団にとって最大の敵って、なんだか分かる?」

「なんだよいきなり」

「それはね、数よ。世界最強をほこるSOS団とはいえ、数に任せた圧倒的な敵の攻勢にはなすすべもない。手も足も出ないこの状況が、我々のウィークポイントを浮き彫りにしているとは思わない?」

あのなあハルヒよ、その元ネタ分かるやつが圧倒的に少ないということだけは浮き彫りになってると思うよ。


「あの、もし……ミス・アサヒナ?」

呆然としている朝比奈さんにさっきから話しかけているらしい騎士の一人が顔を覗き込んだ。

「え、あ、はいはい。こんばんわ、マイロード」

朝比奈さんは誰だったか名前を思い出せない風にお辞儀じぎをした。

「よろしければ次の曲を踊っていただけませんか」

「え……ダンス、ですか?」

まさかのお誘いに、というか本命以外からの誘いはまったく眼中になかったようで朝比奈さんは狼狽ろうばいしている。ハルヒに向かっていったいどうしたらいいのという視線を送る。ハルヒはもうヤケクソな感じで、

「いいじゃないの、乗っちゃいなさい」

「え、でも」

「これも作戦よ。伯爵より若いイケメンといい仲になっているところを見せつけてやんなさい。それよりこの子もなかなかかわいいじゃないの。後数年もしたら化けるわよキヒヒ」

「そんな……」

自分よりは随分と年下の騎士さんをダシに嫉妬しっとあおるなんて真似まねはできそうもない感じだったが、無下むげに断るわけにもいかず腕を取ってテクテクとダンスの列に並んだ。それからの朝比奈さんは心ここにあらずな様子で、何度もステップを間違え周りの足を踏みそうになり相方あいかたと正面衝突する始末である。ハルヒはそんな朝比奈さんを遠くからながめながら腕を組んで考え込んでいる。こうも敵が多くてはどれを狙い撃ちすればいいのかもわからない。誰かと同盟を組むべきか、仲間割れさせて敵がある程度減ったところで狙い撃ちするべきか、などと考えているに違いない。

「人聞き悪いわね、そんな人道じんどうにもとること考えてないわよ」

いやいや、昔の人はいいこと言った。恋愛に王道なし、と。人道じんどうなんてへったくれもねえ、勝ちゃあいいのだよ。


 それから何度かお誘いを受けるたびにハルヒの顔色をうかがいつつ、お愛想あいそ程度にダンスの相手をしたが結局伯爵とは最初の一度きりで、ラストダンスは私にみたいなドキドキ展開はついにお目見えすることはできなかった。

 眉毛をキリリと逆ハの字に釣り上げたハルヒはずっと伯爵の姿を遠目に追っていた。物好きな野郎がハルヒに近寄り、一曲いかがとお誘いに来て、てっきり断るものと思っていたら黙って相手をしている。愛想あいそ笑いもせずただひたすら足を動かし、相方あいかたに話しかけられても返事すらしない。踊ってる最中にチラチラと伯爵のほうを盗み見ていた。終わってもお辞儀じぎせずにそそくさとその場を離れた。

 古泉が俺の顔を見て返事をうかがっている。なにを質問したいのか分からんがウンみたいにうなずいてやったら、どうやら気を利かせたつもりらしく長門を誘っている。長門の手を取ってホールの真ん中に連れてゆき、丁寧にお辞儀じぎをした。別に俺に気をつかっていたわけではないとは思うが、長門は最初からずっと俺の隣で会場の様子をながめていただけだった。俺もどこかで着替えてダンスに参加しようかとも思ったが、今さらそうもいかんのでな。次は普段着で来ようと思う。


 プレオープンのはずなのに夜更けまで踊りにきょうじ、朝比奈さんが待ち続けていた伯爵は人ごみにまぎれて帰ってしまった。古泉がいないところを見ると一緒に城に帰ったようだ。

 ハルヒがラスト一曲を命じてからも客はなかなか帰らず、いつまでも談笑でにぎわっている。しょうがないので俺たちは人がいなくなるまで待ち、ベンチに座ってエールを飲んだり屋台の焼き鳥を食ったりしつつ時間をつぶした。

「なかなかうまいこといかんもんだな」

祭の後の静けさの中、俺はベンチにちょこんと座っている長門にエールの入ったカップを差し出した。

「……ありがとう。問題ない。これは前哨戦ぜんしょうせんにすぎない」

余裕だな。っていうか長門がそこまで臨戦してたとは思わなかった。

「だが昔から言うだろ、恋愛なんてもなぁ男と女が闇の中で頭をぶつけあったようなもんだ、って」

「夏目漱石。一理ある」

「無理にくっつけようと必死にならんでも、偶然の出会いってやつがあるだろうに。なあ」

「……この時代、この国の女性は一定年齢に達すると誰と結婚するかが重要な課題となる。独身のまま家に居続けるのは、年金も老後の蓄えもない両親にとっては負担が大きい。年齢が若いうちはまだ相手を選ぶことも可能だが、歳を重ねるごとに選択肢は減り、妥協だきょうすえに結婚することも多い」

「お前にしてはシリアスだな」

「……通俗的な表現を用いるなら、人生の一大事になりふり構っていられない」

「それで殺到したのが、あのお嬢様方か。なんかすごく必死な感じはした」

「……なによりも、慣習的に女性の側から結婚を申し込むことはできない。場合によっては一生に一度でも求婚されればそれが唯一のチャンスということもありうる」

そういえば、ダンスも必ず男から誘うのがマナーになっている。日本も古来からそんな感じだったよな。なんで恋愛になると男のほうが気ままに好き勝手やってて、女はいつでも待ってるだけなんだろうな。まあおしとやかなところにかれるのが、いつの時代も男の常ってやつか。

「別にしとやかじゃなくたっていいじゃないの」

ハルヒが横から口を挟んだ。ベンチに座り込んで串焼きをガツガツと頬張ほおばっている。伯爵を横取りされてよほど腹にえかねたのか、よほど腹が減ったらしい。

「勝手に男の妄想で理想の女を彫刻するんじゃないわよ。だいたいねえ、結婚後は女のほうが苦労が大きいのに、自分でいい馬を選ぶチャンスが少ないなんて不公平だわ」

「安心しろ。世の中にはじゃじゃ馬がタイプの酔狂すいきょうな男もいる。蓼食たでくう虫も好き好きっていうだろ」

「だぁれがじゃじゃ馬よ」

「まあ俺的にはなるべく朝比奈さんみたいな、」

ハルヒに左の耳を思い切り引っ張られ、右の耳を長門に引っ張られた。イテテ俺は織田裕二か。


 客もまばらになり、俺たちは後に残されたゴミを集め、垂れたロウソクを片付け、床を掃き、傷だらけになった床にワックスを塗ってようやく宴が終わった。ハルヒは手伝いもせずさっさと帰ってしまった。朝比奈さんの下ろしたてのゴージャスな衣装はよれよれになり、ひたいからほつれた髪が垂れ下がっている。

「おつかれさまでした」

「あらキョンくん、ダンスの列では見かけなかったけど、長門さんとは踊らなかったの?」

「いえ、今日は修道士なんで。ダンス禁止なんです」

まだ生えそろっていない頭の天辺てっぺんをペンと叩いてテヘヘと笑ってみせた。ほんとは踊ったことないしステップも知らんからな。

「あら残念ね、キョンくんが踊ってるところ見たかったのに」

そのニュアンスだと盆踊りとか阿波踊りのたぐいに聞こえなくもないですが。

「それより、俺応援してますから、がんばってアタックしてくださいね。まだまだこれからっすよ」

「え、ええ」

ハルヒに扇動せんどうされて本命アタックを心に念じてきた朝比奈さんだったが、祭の熱が冷めたせいか、なんだか素に戻ってしまって、わたしいったい今までなにしてたのかしら的な羞恥しゅうちの色を浮かべている。

「朝比奈さんと伯爵の最初のダンスはよかったですよ。二人とも輝いてました」

「あ、ありがとう。でも綺麗きれいなお客様ばかりでかすんでしまって……。せめてもう一曲踊りたかったわ」

「じゃあ次はラストダンスを誘ってもらえるようにがんばりましょう」

俺が決意するようにグーを握ってみせると、ええ、そうね、という感じに朝比奈さんはかろうじてグッと握ってうなずいた。った髪も垂れ疲れたご様子で、これでは宇宙人魔法使いとも戦えなさそうだなあ。


 翌日はひどい二日酔いで目覚め、井戸まで行って顔を洗った。簡単に風呂に入れないことがうらめしい。今ならドラム缶風呂でも喜んで飛び込むところだ。ハルヒも朝比奈さんも昼になるまで起きてこなかった。あのあと帰ってきてから二人でやけ酒を飲んでいたのを俺は知っている。

 午前中晴れ渡っていた空が少し曇り始め、涼しい風が吹いてきた頃、庭で子豚とたわむれていた長門が慌てて玄関に飛び込んできた。

「……エマージェンシーモード。全員招集ぜんいんしょうしゅう

「なんだ、なにごとだ」

長門が緊急事態と言うと世界がひっくり返るような一大事が基本だが。窓の外を見ると馬が二頭、小綺麗こぎれいな正装に身を包んだ伯爵の部下が優雅にカッポカッポと並んで歩いている。

「おーいハルヒ、お客さんみたいだぞ」

返事がない。

「おいハルヒ、いつまで寝てんだ。さっさと起きねえか」

ドアを開けようとするも鍵がかかっている。ドンドンとノックすると髪をふり乱した朝比奈さんが出てきた。

「あー、なにー? キョンくん今日は禁則事項日でしょー、まさか禁則事項なのー? 聞いてないわよー」

目の下にクマを作り青い顔をした未来人が眠い目をして禁則事項を唱えている。

「朝比奈さん、客人です。あの、ちゃんと、身だしなみを整えて」

「あー、誰が来たのー」

「伯爵の、」

「はいっ、目ん玉ぱっちりです!」

その肌の荒れ具合、ちゃんと化粧は落としてから寝たんでしょうね?


 玄関の前に騎士さん二人がやってきて、メイドさんが客間へと案内した。俺は修道服を着て応対に出て愛想あいそ笑いをし、いやー昨日はお疲れ様でした、いい舞踏会でしたなどとどうでもいい世間話をしている。お茶はまだ存在しないので、もてなし用のグラスに注いだワインをお出しして城の様子を質問したりして時間稼ぎをした。聞けば、ハルヒと朝比奈さんに話があるのだそうだ。伯爵からなにか言付ことづかったのだろう。

「マイロード、おまたせしてごめんなさい」

先ほどの醜態しゅうたいとは打って変わって化けて出た朝比奈さんが神々こうごうしく現れた。騎士さんが椅子から立ち上がり、

「いえいえ、突然おじゃまして申し訳ない」

「お召し上がりになって。今なにかさかなになるものを持ってこさせますから」

ワインには口をつけていなかった。

「修道士殿、不躾ぶしつけながら、ミス・アサヒナと二人きりでお話をさせていただけないだろうか」

「え、二人きりで?」

「数分で済みます」

「ああそう。じゃあハルヒが天岩戸あまのいわとから出てくる前にお願いします」

俺は長門とメイドさんをうながして客間の外に出た。ドアの前で耳ダンボである。

「ミス・ミクル・オブ・アサヒナ、ボクは彷徨さまよえる子羊です」

この人は別にボクっ子の騎士さんというわけではないのだが、俺の長門製脳内翻訳ナノマシンが勝手にそう訳しているだけだ。

「はい?」

「ミス・アサヒナ、えてお尋ねします。人はよく、迷ったときは考え込まずにまずやってみろと申しますが、どう思われますか」

「どうと申されましても……」

「では、たとえばの話、今は安定しているように見えても、お仕えしている領主はいつか果てるかもしれず、この領地も他人の手に落ちるやもしれない。守るべき人も土地も、やがては失われるかもしれず、それは神のみぞ知るところ。待っていればジリ貧になることは分かっているのですが、あなたならどうなさいますか?」

「えーっと、あの、イギリス経済の話かしら」

「とりあえずなんでもいいから変えてみたいと思うのは、やはり騎士道に反するものでしょうか」

朝比奈さんは、いったいなんの話をしているんだという表情で首をかしげ、

「ええまあ、そういうことも……あるかもしれませんね」

硬いブーツがトン、とひざをつくらしい音。

「ボクは十四歳になった日に、騎士道に従う人生の決断をしました。そして領主と国にちゅうを尽くすべきことを教えられました。さらに昨日の晩のこと、天からの啓示けいじを受けました。人は成長するたびに幾度も決断を迫られるということを。ミス・アサヒナ、両親の手を経て神から授かったこの生命いのち、あなたのために、あなただけのためにおささげしたい。この場で結婚を申し込みます」

「あらあら、あらまあ、どうしましょう」

パニクった朝比奈さんが部屋の中をトコトコと歩き回る足音がする。

「わたしいったいどうしたら……」

「ミス・アサヒナ、どうか一言、イエス、だけでいいのです」

騎士さんは微動びどうだにせず、グルグルと回り続ける朝比奈さんの姿を目で追っているに違いない。

 朝比奈さんの足音がピタリと止まった。

「そんな、まさかこのタイミングで……」

それからブツブツとなにか独り言を唱えているような声が聞こえ、また部屋の中を歩き始めた。騎士さんは白と出るか黒と出るか、自分の運命を決するご神託しんたくを今か今かと待っている。

 やがて足音は止まり、りんとした裁定のお言葉が、

「マイロード、お気持ちはたいへん嬉しく存じます。あなたの告白がもう三ヶ月早ければ是非ともお受けしていたでしょう。あのときわたしは天啓てんけいを受けました。あるお方と一緒でなければ決して幸せにはなれないだろうと。あなたが徳を積まれたりっぱなお方であることは存じあげております。立派な旦那様になられるであろうことも分かります。でもわたしは運命に逆らうことはできません。ごめんなさい、今のわたしはお受けできません」

騎士さんはスクと立ち上がり、

「そうですか……一足ひとあし遅かったのですね。分かりました。ボクはいつでもあなたの幸せを願っています」

コツコツとブーツの音が響いてこっちに歩いてくる。俺たちは慌ててドアの前から飛び退いて、まるで何事もなかったかのように部屋に散った。玄関を出る間際に俺の方を向いて、

「修道士殿、お手数おかけした。ありがとう、これでボクもふっきれたよ」

まるで初恋に敗れた少年のような表情で、目が心なしかうるんでいて、よーく見たら昨日朝比奈さんと踊っていた若い騎士さんである。いやー実際初恋だったのかもしれん。なんだかあまりのむくわれなさにこっちまで景色がにじんできやがった。掛ける言葉もなくスンマヘンなあ、気ぃ落とさんといてやみたいにペコペコと頭を下げている俺と長門である。

 心配した朝比奈さんが見送りに出ているが、馬上の騎士さんのその寂しげなかげった笑顔ときたらもう、朝比奈さんが唇を噛み締めてウルんでいるのを見るだけで察するに足る。


 客間に戻るともう一人の連れがじっと椅子に座っている。

「修道士殿、折り入ってミス・ハルヒ・スズミヤとお話が……」

なに、お前もか! しかもハルヒか! 酔狂すいきょうにもダンスを申し込んだやつか!

 落ち着け少年、キミは血迷ったことをしている。その歳で将来を棒に振るにはまだまだ早すぎる。世の中にはなあ、きのいい魚がたんと泳いでるもんだよ。実家のおっかさんが反対するのにも構わずやってきたのが目に見えるようだぞ。

「いったいなんの騒ぎよ、ふあああ」

空気を読めない能力だけは立派なアマテラスハルヒが堂々たるパジャマ姿で登場である。

「ミス・スズミヤ……起きろ、そなたは美しい」

いやお前が生きろ。

「は?」

例によって片膝かたひざをつき、どこから取り出したのかバラの花束をハルヒの目の前にささげた。

「わたくしは戦場で一度、この胸に矢を受けたことがあります。それから半月ほど生死を彷徨さまよいましたが、神のみ心あって一命を取り留めました。その間わたくしはまさに夢遊むゆうの境地にいました。どこまでも続く荒野を当てどもなく歩き続け、もうこれ以上は歩けないとあきらめかけたとき、地平の彼方に小さな光を見つけました。それが何のお告げであったのか、昨晩わたくしはようやく答えを得たのです。あなたがおっしゃった、命短し恋せよ乙女、これは実にいい言葉でした。わたくしの胸に一本の矢のように突き刺さり、ズンと五臓ごぞうに響きました。ミス・スズミヤ、あなたと一生を過ごせるならどこへでも参ります。この士爵ししゃくを捨ててあなたの国へ行っても構わない。どうかわたくしの胸から矢を抜き、希望の光となり、わたくしの伴侶はんりょとなってください」

「誰よあんたぁ、あぁん?」

ハルヒは状況が飲み込めていないらしく、目やにのついたまつ毛をこすりこすりしている。

「どうかわたくしの妻になってください」

二度も言わせんな恥ずかしい、みたいな表情で花束を高くかかげた。

「あんたまだケツの青い未成年でしょうがーあぁん? それとも犬年齢ねんれいなの? バカじゃないの、死ぬの、あぁん?」

いや、尻が青いのは俺たちモンゴロイドだけらしいぞ。っていうか語尾がジミーヤマザキになってんぞ。

「ミス・スズミヤ、あなたは率直なお方だ。そのように美しい言葉を尽くして罵倒されるのなら、わたくしの本望です」

「ったく人がこんなひどい頭痛に見舞われてるってのに、怒鳴られて嬉しいのか! 帰れマゾヒスト! 犬の分際であたしにプロポーズなんて十年早いわ」

「今日はどうも日が悪かったようですね。日のめぐりだけは神様にもどうにもならないようだ。ミス・スズミヤ、お目覚めのところ突然押しかけてすまない。今日のところはこれにて失礼する」

「とっとと帰れ! フォックステリアのほうがまだかわいいっての!」

ハルヒは花束をひったくってムシャムシャと食っている。腹壊すぞ。

 ありがたいことに騎士様はさして怒った様子もなく、まあこういうこともありますと言って馬にまたがった。若いのにしっかりしておいでで。朝比奈さんはさっきの騎士様の分もあわせて丁寧に非礼をびている。ハルヒのやつ二日酔いで機嫌が悪いんです、と俺と長門はこれまたペコペコと平謝りする始末であった。

 馬が走り去る音が道の向こうに消えて、俺達が玄関を入ると二階でドアがバタンと閉まる音がした。これから二度寝するらしい。


 メイドさんが晩飯の用意ができたと呼びに来てハルヒがようやく起きてきた。ハルヒがテーブルの上座かみざにつこうとすると、

「涼宮さん、今朝のことなんだけど。あの言い方はないと思うの」

「あー? 何の話だっけ」

「いいえ、はっきり言ってひどい言い方だったわ」

珍しく朝比奈さんが眉毛をきりりと上げての物言いである。

「なんで怒ってんのみくるちゃん。あーっと、思い出した。なんか犬にプロポーズされたっけ」

朝比奈さんがドンとテーブルを叩いた。皿が踊った。おいおい荒れ模様だぞ。あいにくと今日はストッパー役の古泉がいない。

「一国のために命をかけている騎士さんに失礼です!」

「なにムキになってんの。お腹空いてんだからさっさと食べるわよ」

「メイドさん、話が終わるまで配膳はいぜんを待っててね。涼宮さん、騎士さん達は家に帰ることも許されず楽しみらしいことは一切なし、恋愛は禁止という厳しい見習いの時期を過ごしてこられた方なのよ」

古泉がハルヒをいさめるやり方は、なだめたりすかしたりしつつ、たいていは倫理観りんりかんを引き合いにして考えを改めさせるのだが、朝比奈さんはカーブもシュートもなく直球の正論だけで迫ってくる。ときにこれが元でこじれたり、ときにハルヒの完膚かんぷなきまでの敗北になったりもするのだが。

「だからなんだっての。自分で選んだ仕事でしょ、公務員と同じことよ」

「あの方たちは誰に強いられたわけでもなく、領民のために無償で自分の命を投げ打つ誓いouthを立ててらっしゃるの。だからこそ、そういう人生をえて選んだ心意気に敬意を持つべきじゃないかしら」

そうそう。騎士にせよ修道士にせよ、宣誓outhするってことはだな、その精神に反したことをすると死に値する一生モンの重たいなにかを背負って生きるということなのだ。

 ハルヒが黙りこんだ。握りしめたスプーンのやり場に困って空の皿の上に放り出した。朝比奈さんもじっと黙って、さっきよりはやわらいだ表情でハルヒを見ている。テーブルの上を冷たい空気がただよう。メイドさんが困って一旦メニューを台所に下げるべきか迷っているところへ、

「……あなたは、必要以上に彼のプライドを傷つけた。謝罪するべき」

長門がボソリと言った。テーブルの上の凍りついた硬いなにかが割れてくずれ落ちた。長門がハルヒに意見するとは珍しい。

「むう……有希まできついこと言うし」

「おいハルヒ、あの人は古泉の同僚だろ。古泉の顔を立てて、ひと言び入れとけって」

「むううう」

ハルヒはまだ痛むらしくこめかみをぐるぐるとみながらテーブルに伏せた。

「俺がついていってやるから」

「うっさいわね! あんたなんかに付きわれなくてもいいわよ」

よーしよし。ハルヒの不機嫌の矛先ほこさきが俺に向いてる間は周りとうまくやれるんだ。


── 親愛なるジャン・ド・スマイト伯爵へ。ミクル・オブ・アサヒナよりあいさつを送ります。そろそろ夏の足音が聞こえてきましたね。雨も少なくなり、青い麦が風にそよぐ音が耳に心地よいこの頃です。

 マイロードの突然の訪問には心底驚かされ、身支度みじたくも心の準備もできておらずお見苦しいところをお見せしたのではと、家の淑女しゅくじょ一同は気をんでおりました。でも、ダンスホールでのマイロードと家臣の方々の凛々りりしいお姿を思い浮かべる度に、そんなくやみはとても小さなことに思えてきて素敵な思い出と変わってしまうのです。またいつかお誘いいただきたいと、ささやかな願いを今夜の星にささげてもよろしいでしょうか……。

 さて、昨日のことですが、もしかするとすでにお聞き及びかもしれません。当家のスズミヤがマイロードのご家臣のひとりに対し、たいへん無礼な態度を取るということがありました。ここに深くおびする次第です。酔っていたとはいえ高貴な職にあるお方への態度には決してあるまじきこと。スズミヤ本人も深く反省しており、このとおり丁寧におびに伺うと申しておりますゆえ、なにとぞおゆるたまわりますよう。

追伸:もしご存じなければご当人の名誉のために、どうかマイロードの心にだけ秘めていただけますでしょうか。

 またの機会に、お会いできることを楽しみにしております。心をこめて、ミクル


 丁寧に封をされたこの手紙を持ってハルヒはショゲショゲと謝りに行くことになった。馬に乗った後ろ姿が、あーだりーとか、もーなんであたしがーなどなどブツブツつぶやいていたが、朝比奈さんはとがめ立てはせずスルーしてハルヒを見送っていた。


 二日後になって城から帰ってきたハルヒはツンとすました様子で、

「別にいいって言ってたわよ。っていうか、あの子をそそのかしたの実は伯爵じゃん。わざわざ謝りに行ったらすっげー笑われたんだけどぉ」

すました顔が実は真っ赤になっているのを誤魔化そうと必死である。きっと城内でけのネタにでもなってたんだろう。

「まあ、そうなの。ロードシップが気の良いお方でよかったわ。しばり首になるところよ」

「プロポーズ断ったら首くくりになるってどんな中世ホラーよ」

「そうじゃなくて。あの騎士様がもし怒って騎士道に反することでもしたら、ってことなのよ」

「へー。いっそクビ飛んじゃえばよかったのに」

「もう、涼宮さんったら!」

ペコちゃんばりに舌をペロリと出して台所へすっ飛んで逃げるハルヒである。ドアから顔を出し、枕くらいはあろうかというベーコンのかたまりにかぶりつきながら、

「ああそうそう、古泉くんからキョン宛に手紙もらってきたわ。これまだ塩っけが足りないわねハグハグ」

「え? 俺宛にか。なんだよ改まって。中世風の文通ごっこでもやりたくなったのか」

ハルヒが黒ヤギばりに手紙まで食っちまう前にひったくった。封を折るとひさびさに見る日本語で書いてある。実は古泉はサナダムシがのたくったSOS団ロゴ並みの悪筆なんだが、こうして手紙にしたためられた母国語を見るのもなかなかいいもんだ。


── ここであなたの本名を書くのは禁則に触れることでしょうから、マイブラザーフッド、とでも称しましょうか。


いつから俺がお前の舎弟しゃていになったんだよ。

「……舎弟しゃていじゃない、同輩。通俗的な呼称を使用すると、ダチンコ」

「そうかい」って私信を勝手に読むんじゃありません、ってモノローグに突っ込むんじゃありません、ってダチンコて場合によっちゃピーが入る単語だぞ。どうだ俺のトリプルツッコミ。


── 招集しょうしゅうがかかりました。僕も十字軍遠征のために大陸に参ります。遺書、というと大げさかもしれませんが、今後なにかあったときのためにこの手紙を記しておきます。

 僕が考えるに、未来に帰るためにはもう涼宮さんの能力を引き出すしかないのでは、というのが結論です。朝比奈さんのデバイスは壊れたままですし、長門さんにいたっては対策を講じる様子もなく、情報統合思念体はいったい何を考えているのか、もしかしたらお手上げ状態なのかもしれません。

 なのでいざとなれば、あなたの力で涼宮さんに一筆書かせるとか、なにがしかの誓いをさせるなどを講じ、未来に帰りたくなるように念じさせてください。いろいろとあなたにとっては頭痛の種になるでしょうが、ひとつだけいい方法があります。あなたが神父として彼女の告解を聞けばいいのです。未来に残してきた罪を今ここで告白しなさい、と言えばよろしい。

 そしてもし、僕が間に合わなかったとしても、あるいは帰れなくなったとしても遠慮なさらず四人だけでお戻りください。古泉一樹は、ここ十二世紀の時間平面から皆様を見守って生きていきます。お願いできますれば、僕が使っていた机の引き出しに遺髪が収めてあります。それを故郷の家族の元へ身柄として帰していただけますでしょうか。一樹は立派に生きて天寿を全うした、と。

 おっと、そろそろ時間切れのようです。もし僕が無事に生きて帰ってこれたとしたら、またよろしくしてやってください。最後にひとつだけ、朝比奈みくるの行動にはご注意を。事あらば躊躇ちゅうちょせずに阻止そしを。

 長寿と繁栄はんえいを。古泉一樹


ご注意を、だと? 阻止そしを、だと? いったい何をだ。未来人への嫉妬しっとか、それとも機関の勢力維持か。俺は手紙から目を上げて朝比奈さんを見ようとしたが、つい視線をそらし、素知そしらぬ顔で、

「古泉がいよいよ初陣ういじんらしいです」

「キョンくん、そうなの?」

ハルヒは噛み付いていたベーコンのかたまりから口を離し、

「えええ!?昨日はそんなこと一言も言わなかったのに」

「十字軍っていうと行き先はエルサレムか」

「もうそんな時期だっけ?」

十字軍をデパートの季節モノもよおしみたいに言うか。

「貴族は西洋史的なスケジュールが詰まってて忙しいんだよ」

「チッ、みくるちゃんのクレオパトラコスプレでダイナマイト色仕掛け大作戦がいよいよ発動するはずだったのに。計画がオジャンになったじゃないの」

色仕掛けて、マジそんな爆発するような作戦が展開されたら伯爵引くわ。俺でなくても引くわ。

「机の引き出しに遺髪が入ってるから、もしものときはそれを持って未来に帰れと言ってるぞ。縁起えんぎでもない」

「ちょっと手紙見せなさい」

ハルヒが取った手紙を瞬時にうばい返し、俺は暖炉の火の中に放り込んだ。

「だめだ、これは私信だ」

「ああーっなにすんのよバカキョン。これが古泉くんの最後の手紙だったかもしれないのにぃ」

お前まで縁起えんぎの悪いこと言うな。

「心配するな。あいつはそう簡単には死にゃあせん」

お前は知らんだろうがバトルシーンではけっこうな活躍してんだぞ。

「そういえばキョン、今年って何年だっけ? グレゴリオ暦で」

「二〇一八年に決まってんだろ」

「全然笑えない」

「一一九〇年じゃなかったか」

「六月よね、十字軍よね、たしかメッシーナの戦いのはず」

お前はこの世界に落ちてくる前に西洋史の試験勉強でもしてきたのか。

「ええっ、涼宮さん、そこでロードシップはどうなるの?」

「さあ。そこまでは覚えて、」

「思い出して! ねえ! 今すぐ思い出して!!」

朝比奈さんが両手でハルヒの襟首えりくびをひっつかんでガクガクと揺すっている。

「ま、待ちなさい、みくるンガ、そんなにれたらアゴが猪木に」

「元気ですか! 元気ですかぁ涼宮さん! お願い、詳しく知りたいの」

「アガガ……途中で船が難破したっていうから溺死でもしたんじゃないの」

聞くが早いか朝比奈さんは血相けっそうを変えて家を飛び出した。嫌がる馬を家畜小屋から引っ張り出し、メイド服のまま馬の背にくらをかけるのもそこそこに飛び乗って出て行ってしまった。ありゃ荷馬じゃなくて軍馬だぞ、大丈夫なのか。

「追いかけたほうがいいんじゃないか」

「いいのよ放っときなさい。昔から言うでしょ、人の恋路こいじを邪魔するやつは犬に食われて死んじまえ」

「そりゃいいが、一人で行かせて大丈夫か」

「すぐ帰ってくるわよ。伯爵もまだ遠くには行ってないでしょ。でもまさか、本当に追いかけていくとは思わなかったけどね」

ニヤニヤしたいのか鼻を広げてフフン顔をしたいのか、その二つが交じり合って、くしゃみが出そうで出ない犬みたいな顔になっている。


 ハルヒはマナーハウスに次のダンスパーティの予定をキャンセルしないとと言いつつ出て行った。こないだが本番になっちまったし、伯爵もしばらくは来れないだろう。

「長門、古泉が朝比奈さんに注意しろと書いてたんだが、どういう意味か分かるか」

「……気になっていることはある」

阻止そししろとまで書いてたが、どんなことだ?」

「……発端は、ジャン・ド・スマイトきょうの領主裁判のとき。王家の紋章入りの短剣は本来持ち主の元に戻るはずではなかった」

「というと、最初の裁判のときか」

「そう。あの短剣は先王が紛失したまま歴史のはざまに消えてしまうはずだったもの。それを朝比奈みくるが政治利用した。裁判は被告敗訴になり罰金で終わるはずだったが、裁判制度の脆弱点ぜいじゃくてんを突いて有利に持ち込んだ」

「なんのためにそんなことをしたんだ?」

「……その時点では単に涼宮ハルヒに加担したものと思われた。古泉一樹にとってもなんら不審な点はなかったはず」

「発端てことは続きがあるのか」

「……二度目は、涼宮ハルヒとジャン・ド・スマイトきょうの決闘のとき。致命傷を与えようとしたとき涼宮ハルヒを阻止そしした」

「あのときの雷って長門がやったんじゃなかったのか?」

「……わたしは何もしていない。仕込み刀をふり上げた瞬間にコンマ五秒静止しなかったら落雷はしなかった」

「ということは朝比奈さん自身が歴史を変えちまったってことか」

「……そう。問題は、決闘の相手が誰であるかをあらかじめ知っており、既定の歴史を知った上で意図的に行ったということ」

「動機は何なんだ、古泉はなにを阻止そししろというんだ」

「……今のところ分からない。それが歴史改変に関わっていることは確か」

古泉はハルヒが能力を持ってこのかたずっと、観察を生業なりわいとしてきた組織の一員だ。ハルヒ周辺で誰かの思惑おもわくが動いていること、またはその気配があることを察する能力の高さは、古泉がハルヒ側近の座を維持し続けていることで自ら証明している。古泉が自分で言ったことがあるが、水面下での奮闘ふんとうを続けている戦いでは、二度続けば明らかにあやしく、一度しかない兆候ちょうこうすら、それを見逃せば不利に転じることもあるという。


 そして、たった一人で出て行った朝比奈さんがいったいなにをしたのか。ここからのことはずいぶん後になって長門から聞いた話である。


 夏になるとイギリスでは雨の量が減る。天までが味方したのか雨にもわず道がぬかるむこともなく朝比奈さんはひたすら馬を駆った。伯爵が大陸に渡るとなれば港である。軍隊が船を出せる港はここいらでいうとロンドンだ。うろ覚えの道を走り続け、馬も道を覚えていたのか一度も迷わなかった。鬼が出るか蛇が出るか知れない不慣れな道を、たったひとりで行くことに一欠片ひとかけらの不安もなかった。道行く途中でジプシーやアウトロー達を見かけたがそれどころではない。どうしても船が出てしまう前にたどり着く必要があった。

 伯爵の足跡をたどり宿場しゅくばを訪ね歩いたところ、どうやらロンドン市内のウェストミンスター宮殿でほかの諸侯しょこうそろうのを待っているとのことだった。

 朝比奈みくるは単純な女であった。汚れたメイド服を着たままで、のそのそと王城へと出かけていった。ってまた太宰治ネタか。

「お頼みします! お頼み申し上げます!」

たちまち彼女は番兵に捕まり、

「王はお前のような薄汚いメイドにはお会いにはならんし、今ここにはおらん。痛い目に合わんうちに行け」

「王は乱心か、じゃなくて、お願いがございます。ご逗留とうりゅうのジャン・ド・スマイト伯爵に会わせてください」

「だめだ。スマイト伯は出陣前で忙しいのだ」

「ならば、せめてお言伝ことづてを」

「だめだと言ったらだめだ」

「わたしはミス・ハルヒ・オブ・スズミヤの使いの者です!」

この名前を出した途端とたん、番兵の動きが止まった。

「誰だそれ」


 伯爵の居場所は分かったもののこれではらちが明かず、出てくるまで門前で待つというわけにも行かない。途方に暮れた朝比奈さんはとりあえず今日の宿を探そうと馬を連れてトボトボと盛り場を歩いた。宿屋街には酔っぱらいや将校や娼婦たちがあふれかえり賑やかである。

 一軒の宿屋の前でふと足を止めた。店先に下げられたタペストリーに見慣れたSOS団の紋章が描かれている。朝比奈さんは、これは天の助けに違いない、と本気でそう思った。

「古泉くん、お願いロード・スマイトに会わせて!」

宿屋のラウンジに飛び込むなり古泉らしき背中を見かけて叫んだ。目を丸くした古泉がふり返り、部下数名とテーブルでトランプにきょうじているところだった。

「朝比奈さんではないですか。こんなところでどうなさったんですか」

「古泉くん、いえ、サーコイズミ、突然ごめんなさい。紳士の皆様、お楽しみのところを邪魔してごめんなさい」

古泉はドアの外に朝比奈さんをうながして連れ出した。

「いったいなにがあったんですか」

「ロードシップがたいへんなの、伝えないといけないことがあるの。だから会わせて」

「残念ながら、それはできません」

「どうしてなの」

「朝比奈さんが伝えたいのは、十字軍遠征で何が起きるかでしょう。未来からの情報をらすことが厳禁なのは、あなたが最もよく理解しているはずです」

古泉は否定はしながらも、表情の中に、悲惨ひさんな運命を書き換えたいのは分かるという気持ちをぜた。

「ロード・スマイトが死ぬかもしれないということは知っています。でも伝えたいのはそういうことじゃないの」

「というと?」

「あの……」言いよどむ朝比奈さん。「あのね、わたしがこの一生の中で本当におしたいしたのは、あのお方だけだということを伝えたいだけなの。せめて彼が死ぬ前にそれを知ったからといって歴史が変わるわけではないでしょう?」

古泉は腕を組んで黙っていた。朝比奈さんは一歩下がって深く頭を下げ、

「お願い。今まであなたの組織とは利害が反することが多かったけれど、今だけはこのとおり、わたし朝比奈みくる個人の純粋な気持ちからお願いしたいの」

「顔を上げてください。そんなに懇願こんがんされると……困ってしまうじゃないですか」

朝比奈さんの今にもこぼれ落ちそうなうるんだ目に、古泉はほほゆるんだ。基本的に男は女の涙に弱い。そして、こういう重要な場面で涙が最大の武器になることを知っている女を信用してはいけない。あのクールな古泉ですら譲歩じょうほせざるを得なかったのだから。

「分かりました。宮殿に参りましょう。思いのたけを伝えに」

「ええ、本当に!?ありがとう。この恩は一生、死んでも忘れません」


 古泉は部下に所用で宮殿まで行ってくると言い残し、馬車を呼んで朝比奈さんを乗せた。十分に着飾り公用のような顔で入城すれば怪しまれることはないのである。宮殿の執事に面会を求め、名前を告げ、それからスマイト伯爵にお目通り願いたいと伝えてもらった。執事が戻ってきて伯爵が泊まっている部屋に案内された。

「これはこれはミス・アサヒナ。この通り急な出征しゅっせいだったもので、あいさつもそこそこに領地を後にしてしまい申し訳ない」

「マイロード、お忙しいところ突然おじゃましまして、心よりおびしますわ」

伯爵は二人に椅子を勧めたが古泉は座らなかった。

「ところで、急なお話とはいったい」

「マイロード、不躾ぶしつけとは存じますが、二人だけでお話させていただけますか」

「そうか。ではコイズミ殿、すまんが」

「かしこまりました。声が聞こえないところにいます」

このときの朝比奈さんはかつてないほどの勝利を得た顔をしている。すでに背中を向けてドアに向かって歩き始めていた古泉は、その表情には気づかなかった。朝比奈さんは、ここで愛の告白をするつもりなど毛頭もうとうなかったのである。

「マイロード、あまりお時間がありませんので手短に」

「分かった」

「あなたはメッシーナの戦いで勝利を収められます。その後、」

「そうありたいものです」

伯爵はまるで女神の祝福を受けるかのように笑顔で答えた。

「いえ、聞いてください。その後、船で地中海に出られることになっていますが、それを三日伸ばしてください」

「三日? なぜまた?」

「その日から天候が悪化するのです。そのまま船に乗ると嵐の中で難破してあなたは溺死なさいます」

「……」

それはまた不吉な、これから戦いに出るというのになんと縁起えんぎの悪いことを言うのだ、と言いたかったに違いない。だが伯爵はその言葉を飲み込んだ。不敬を言わせなかった朝比奈さんは、伯爵にとってそこまで大きな存在になりつつあった。

「たった三日、いえ二日と半日でいいのです。そうすれば貴重なあなたの部下たちも失われずに済みます」

「ミス・アサヒナ、戦場で三日は好機を逃すには十分すぎます。王は早急に援軍を求めていらっしゃるのです」

「マイロード、わたしはあなたに、生きて帰ってきてほしいのです」

この女はいったい何の根拠があって予言めいたことを言うのだろうかと半信半疑ではあったが、真正面から目と目で見つめ合って吐かれる迫真のセリフに、伯爵もうなずかざるを得なかった。


 わずか五分の面会だったが、これで人事は尽くした、と朝比奈さんは思った。それからこの話は他言無用に、と釘を差すことも忘れなかった。こういう神がかったことを言われると、とくに紙一重かみひとえで運命が別れるような修羅場しゅらばをくぐり抜けてきた戦士は話を信じてしまうものである。

 ドアの外で待っていた古泉の耳にはなにも入らなかった。恋する純粋な乙女の告白を、それがたとえ未来人の言葉であろうとも、受け取った思いを伯爵は胸に秘めたままでいてくれるだろう。これは中世の片隅にたったひとつ悲恋ひれんが生まれた、些細ささいな出来事にすぎず、大きな既定の流れに飲まれて消えていくことだろう。


 ところが自ら道を踏み外したことにも気づかなかった歴史のほうは、このときすでに大きく変わっていたのだ。

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