十七章

 騎士が毎日甲冑かっちゅうを着て仕事をしているかというとそういうわけでもなく、それからの古泉は朝早くから馬に乗って通勤、いや登城し、日が暮れてから帰ってくるというサラリーマン生活みたいな日々が続いた。なにをしているかというと城の執事に連れられて領内の土地の検分、村に一軒ずつあるマナーハウスへのあいさつ回りなどに行っている。それからハルヒたちの住んでいる村の裁判所、荘園裁判の立ち会いについて教わっている。その合間に城では士官としての訓練もあり、剣術や馬術よりは用兵術の基礎を勉強しているらしいが、ご苦労なことだ。

 古泉がいない間は俺が執事代理で家の経理を任されているのだが、俺はフランス語が読めねえんで長門に教えてもらいながら課題をこなす学生の気分を味わっている。っていうか自分でやれよハルヒ。


 古泉は騎士俸給きしほうきゅうとして土地をもらった。つまり伯爵が王様からもらった土地を分けてもらっている。といっても、何度も説明しているとおりこの国では開放耕地なので、帳簿上所有する面積の割合で収穫の分配を受けるしきたりになっている。古泉の取り分は、この村に伯爵が所有する土地の権利分をすべて、そのうち五パーセントを税金として伯爵に収める。地理的にはあちこちに分散して存在しており、マナーハウスの土地台帳を見ないと詳しくは分からないらしい。古泉はそんな大金をもらっても使い道がないのでといい、すべてハルヒの収入として計上するようマナーハウスで取りはからってもらった。マナーハウスの監査も今では古泉がやっており、そのハルヒの土地権利も大部分はタダ同然で農奴のうどに貸し出している。


 村から騎士を輩出はいしゅつしたと知るや、毎日のように客人が訪れるようになった。まず年頃の娘を持つ母親が、一組だけでなくグループで連れ立って挨拶あいさつに来た。手製のパウンドケーキやらスコーンやらを届けてくれるのはいいのだが肝心の古泉は勤めに出ており、それが分かるとそそくさと帰っていった。ハルヒと長門は古泉あてにもらったはずのケーキを勝手にわしわしと食っている。それから土地の検分になるべく手心てごころを加えてもらいたいマナーハウスのじいさん連中とか、領主に取りなしてほしい陳情ちんじょうを持ってくるやつとかもいた。その辺はマナーハウスの集会で決まることなので抜け駆けは許しませんと丁重かつ真摯しんしに怒られていた。当面の古泉の役割はまあ、地方官僚かんりょうみたいなものである。


 とある日曜日、十時の朝飯の席に朝比奈さんがいなかった。

「あれ、今日はみくるちゃんいないの?」

「いないのか? そういや先週もどこか行ってたな」

日曜日の俺は村の教区教会でミサの手伝いをさせられているので多少は忙しかったりする。

「えー、今日エールの仕込みしたかったのにぃ」

近頃のハルヒといえばみ屋の女将おかみさんだ。この村切っての美人を集めてウェイトレスをお願いしているのだが、酔ってちょっかいを出そうする者はおらず皆おとなしい客ばかりである。悪さしないようにハルヒがカウンターで目を光らせているからな。たまに泥酔して前後不覚になるオッサンがいるが、ハルヒが咳払いをすると誰かがかついで連れて帰るという慣習ができている。め、食え、払え、帰れが店のモットーであり、客は全員村の顔見知りだ、悪いことはできん。

 ハルヒは家の外に出てしばらく朝比奈さんを探す風な様子だったが、突然の号砲が響き渡った。

「分かったわ!」

「なにがだ」

こんな休日には聞きたくない音声である。

「みくるちゃんを誘拐拉致ゆうかいらちした犯人よ。第一容疑者は、」

「朝っぱらからなに縁起えんぎでもないこと言ってんだ」

探偵ごっこはとっくに卒業したと思ってたぜ。

「そうね、動機は……、ちょっとあんたたち耳を貸しなさい」

ナニナニ、俺と長門は頭を寄せた。古泉は昨日から城に出掛けていて留守だ。

「朝比奈みくるの失踪事案しっそうじあん、状況証拠その一、買ったばかりの二輪馬車がないわ。その二、みくるちゃんのお気に入りのドレスがない。その三、あたしの秘蔵の口紅が消えている」

「お前口紅なんか持ってたのか」

「あったりまえでしょ。でも残りが少ないからたまにしか付けてないんだけど」

口紅くらいなら長門に頼めば作ってくれるんじゃないだろうか。エリザベス女王の肖像画とか明らかに美白してるし、中世でも化粧品くらいはあるだろう。

「……女性は化粧を禁じられていた。一部特権階級のみが使用」

「ええ、まじですか!?」

「……そう。ローマカソリックの教理に基づく」

ということは皆スッピンだったのか……。長門ヨーロピアンヒストリーによると女性の化粧が一般化するのは十四世紀以降のことだそうだ。

「そして最大の疑惑はこれよ! あたしに黙ってこそこそと出かけていった。これこそが後ろめたいことがある行動の証左しょうさよ」

「誘拐されたんじゃなかったんかい」

「あんたも鈍いわね。これらのことから導き出される答えは一つ! 逢引あいびきよ逢引あいびき。第一容疑者は伯爵! 第二容疑者も伯爵! 三四がなくてゴットゥーザ様よ!」

ゴットゥーザ様って誰だよ。

「そういや、世話になった女子修道院に挨拶あいさつに行くつってたぞ朝比奈さん」

「アラッ。そういうことは先に言っときなさいよ。延々推理を披露ひろうしてたあたしがバカみたいじゃないの」

うん。バカみたいだった。


「たっだいまぁ、遅くなっちゃってごめんなさい」

昼過ぎ、ハルヒが並べた椅子の上でもう食えないと寝言をつぶやいているところに朝比奈さんが帰ってきた。俺たち三人は朝比奈さんを上から下までながめ回した。たしかにいちばん綺麗きれいなドレス、こっ、これは胸元が大きく開いた勝負ドレスだぞ。そしてぽってりと厚くルージュを差し、心なしかほほにもチークが入っている。ウェーブした髪のボリュームが絶賛二割増しくらいになってるぞ。

「涼宮さんごめんなさい、口紅勝手に借りちゃいました」

「え……いいのよいいのよどんどん使いなさい。顔面に塗ってもオッケーオッケー」

ハルヒはニヤニヤとゆるむ顔を真顔に戻そうとして必死である。寝室に着替えに戻る朝比奈さんの後ろ姿を、三人で雁首揃がんくびそろえて追いながら、

「どうよ二人とも。十分あやしいと思わない?」

「朝比奈さんだって一人で出かけることくらいあるだろう」

「……朝比奈みくる、」

「どうしたんだ長門?」

「……あまさんに会うために香水を付けている……妙だな」

それってどっかの探偵さんの声真似こえまねですか。

「有希、香水ってシャネルとかディオールとか?」

「いや待て、そもそも朝比奈さんが香水を持ってるわけが、」

「……わたしが作った」

長門コスメか。そういや長門んちの店の商品にそんなものがあったな。階段から降りてくる足音を聞いて三人は急に黙った。

「ど、どうしたのかしらみんな」

髪をい上げたメイド姿の朝比奈さんを、三人の目がジロジロと疑いの視線で走査している。

「朝比奈さん、まだ朝ごはん食べてませんよね。おなかすいたでしょう」

「い、いえ、向こうで頂いたから大丈夫……」

最後はモゴモゴとごまかしていたが、誰にとは言わなかった。

「俺ヤギのチーズ大好きなんですよね。朝比奈さん、スモークチーズはおいしかったですか?」

「えっと……チーズは出なかった気がするけど……」

シスタークレインの朝食に自家製チーズが出ないはずがない……妙だな。

「みくるちゃん、朝からステーキなんてゴーシャスね! 今日の晩ごはんは焼き肉にしましょう」

「えっ、ええ。いいわね」

うむ。質素倹約しっそけんやくがモットーの修道院で朝から肉はないわ。だいたいパンと生乳くらいだ。生乳は胃にもたれてゲップに見舞われるはずである。ハルヒが突然椅子から立ち上がり、

「あらっ、伯爵が来たみたいよ。何の用かしら」

「ええっ!?」

朝比奈さんは慌てて窓に駆け寄り、家の外に飛び出てあちこちを見回している。

「どこにもいないわ~涼宮さん。ほんとに見たの?」

「あーごめん。近所のおっさんだったわ。いやーよく似てたなー」

なんだそのわざとらしい棒読みは。朝比奈さんはからかわれたとも気づかず、なんだかホッとしたような表情でパタパタと台所に入っていった。

 ハルヒはオホンと咳払いをし、

陪審員ばいしんいんの皆様、評決に達しましたか?」

「あい。有罪」

「……あい。有罪」

「全会一致で彼女を有罪と決しました。キッヒッヒ」

ハルヒは長門の肩を寄せ、俺のえりぐりをつかみ、

「有罪って、別に伯爵に会いに行ってもやましいことじゃあるまい」

「十分やましいわよ。そういうわけだから、協力しなさい」

「なににだ」

「みくるちゃんをき付けて伯爵をベタれさせるのよ」

「なんと、まさか朝比奈さんを政治利用する気か」

「そのまさかよ。伯爵に古泉くんを取られたときはもうね、これで一回戦敗退かと思ってあきらめかけたけど、捨てる神あればリサイクル神ありね。ビショップは失ってもうちにはまだ大駒のクイーンが控えてるわ」

いや、どっちかというと俺がビショップで古泉はナイトな気がするが。長門は……そうだな、長門はルークかな。最後のとりで的な。

「……誰がうまいこと言えと」

俺のモノローグに突っ込んでるけど、クイーンと言ってほしかったのか長門よ。

「あのお硬い伯爵がベタボレ? そんなうまいこといくかよ」

「ちっちっち、あんたは西洋史ゼロ点。有希どう思う?」

「……歴史的な観点では正しい。権力の影に女ありと揶揄やゆされた宮廷政治においては、常にビューティでデンジャラスな女たちが暗躍あんやくした記録がある」

長門がビューティにデンジャラスと来たか。宮廷政治って、伯爵はただの田舎の殿様だろ。


 その田舎の殿様にお仕えしている古泉が帰ってきた。もう日は暮れている。

「涼宮さんにも困ったものですね」

古泉はいつもの、あんまり困っていないというかむしろスマイルが含まれた困惑顔を浮かべた。

「まったくだ」

「僕抜きで評決してしまうとは」

ってそっちかよ。

「朝比奈さんの行動がまず謎なんだ。古泉は城で見かけなかったか」

「いえ、僕は仲間の騎士たちと連れ立って鹿狩りに出かけたもので」

なんだ、お前もまたゴージャスな生活をしてんなあ。狩りは戦場をした馬の訓練ですよ、と古泉は言い訳めいたことを言う。俺は看過かんかできない数々の朝比奈疑惑を説明し、

「つまりだな、すべての情況証拠が物語るもの、それは一つ!」

俺もなんかハルヒみたいになってきたぞ。

「ああ、伯爵様Lordshipの色恋ネタですか。趣旨しゅしは結構なんですが、そうなってしまった後のことは考えているんですか?」

「はい? なってしまった後ってなんだ?」

「運良く伯爵との恋愛関係が成立したとして、未来に帰っても大丈夫なんですか?」

ううっ、古泉のしたたかな反撃。

「今とりあえずは帰る手段がないのでしょうがないという事情があるからいいものの、いざ帰るとなったら別れることができるんですか?未来に連れて帰ったりしたらイングランドの歴史がひっくり返りますよ」

ま、まあそういう懸念はまず朝比奈さんが持っていてしかるべきなのだが。

「そういえば朝比奈さんが前に、自分は誰ともお付き合いはできないんですと言ってたことがあるんだが、あれって本当だろうか。つまり未来人エージェントは本当に独身のままでいるのか」

「さあ、どんな訓練を積んでどんな任務を帯びているとしても、人を好きになるのを禁止することは無理でしょうね。ダブルオーセブンのようなスパイでさえ」

あれはむしろ女に弱いスパイというキャラクタを確立してるように見えるがな。

「機関にはそういうタブーはないのか」

「機関の行動規範こうどうきはんについてお答えすることはできませんが、強いて言えば恋愛に禁則がかかっているのは僕ぐらいなものです」

「古泉だけ禁止なのか?」

「いえ、観察対象との関係においてです」

ああ、SOS団内での恋愛は禁じられてるってことか。ってことは新川さんと森さんとかはありなのか。い、いや今のはただの妄言もうげんだ。


 古泉は時間論的な理由から不賛成、長門は史実的にはアリだという理由で賛成、そして俺はというと朝比奈さんが男に走るという承服しょうふくしがたい心理的な理由で不賛成。不賛成なはずなのだが、どうせ反対したところでハルヒがやるといえばそうなっちまうんだ。どうなるかは神のみぞ知るだろ。

「あなたは賛成なんですか?」

「気分的には嫌だが、俺はもうムダに気力と体力を消耗しょうもうするのはやめた。神がやると決めたことに反対してもはじまるまい、神聖なる御心みこころのままになるだろうよ」

「あなたも少し変わりましたね。以前はなにがなんでも反対していたのに」

「悪かったな。これが修道士の生き方だ」

俺はわざとらしく目の前で十字を切ってみせた。なんだかオラ急に聖人っぽくなってきたゾ。


 伯爵に朝比奈さんをけしかけるなどというハルヒのたばかりが果たしてうまくいくものかどうか。だいたい男が女を好きになるパターンってのは出会いの最初の瞬間から決まってて、他人がどうこうできるもんじゃないと思うんだが。まあ、俺だったらそうだな、偽の手紙を書いて伯爵をおびき寄せ偶然をよそおって鉢合わせたところで、あらマイロードこんなところでなんという偶然かしら、おやミス・アサヒナあまりのお美しさに見とれてしまいました、マアお上手ですことオホホ、みたいな感じだろうか。

「……ありきたりですことオホホ」

なにか中世の恋愛ドラマっぽい巻物を読んでいたらしい長門が顔を上げた。酷評こくひょうされたぞオイ。

「だって中世だろ? 騎士道的にはあんまりれたれたってのはどうかと思うんだが」

「……それは表向き。騎士道にも情熱はある。むしろ一途いちずといえる」

情熱って、ウシとかヤギみたいな草食性の俺にとっちゃ多少耳が痛い単語なのだが、

「ひょっとして長門はそういう恋愛が好きなのか」

本人に面と向かって恋の好みを聞くとはなんつー無粋ぶすいなやつだ、ハルヒだったらそう突っ込むことだろう。長門は数秒間だけ考え、こんな話をした。


── むかしむかし、ある国に伯爵夫人と騎士がいた。騎士は夫人の夫である伯爵に仕えて十数年、彼にとっての夫人は、彼の奉公が厩舎きゅうしゃで見習い馬丁ばていから始まった頃からのあこがれの対象だった。彼は体が小さく先輩の兵士から頻繁ひんぱんにいじめを受けた。だが夫人への想いが彼の苦難を支えてくれた。ミスをしでかして厩舎長きゅうしゃちょうに怒鳴りつけられても彼はけして弱音を吐かなかった。仕事仲間の噂にまれに出てくる夫人の話を聞けることが唯一の生きがいだった。


── やがて彼は騎士見習いとなり、そして従臣じゅうしんの礼を取り真の騎士として認められた。彼は騎士たちの中では最年少だったが急速に頭角とうかくを現した。馬上槍試合ばじょうやりじあいで優勝したあかつきに、夫人に自分の想いを告げた。マイレディ、最初にこの城に来たときお目にかかってこのかたずっとあなたをおしたい申しておりました。劣った身分の自分ですが、この身を一生、あなたにだけおささげいたします。

 その告白は謀叛むほんにも近い行為だったが、十数年かけてようやく夫人の目の前に立つことができたというこれまでの苦労を思えば、今すぐしばり首になっても本望ほんもうだとすら思った。


── 当然ながら夫人は愛には応えてくれなかった。このことが誰かに知られたらそなたは牢に閉じ込められるか追放されてしまうだろう、だから黙っていよ、と。夫人は最初から彼の気持ちを知っていたのだ。

 一度だけは許されたこの告白を、彼は二度と繰り返すことはなかった。それからはただひたすら心の中だけで一人の人を想い続けた。実直に騎士としての勤めを果たす彼に目を留めたのか、たびたび縁談の話が来た。資産のある家からの引き合いもあったが彼は丁寧に断った。


── そんなある年、隣国との戦争になった。城は包囲され、多勢に無勢、味方の家来は矢を受けて死に、ある者は這々ほうほうていで逃げ出し、最後に残った彼も深手を負った。致命傷を負いながらも彼は夫人を守った。そこではじめて夫人は彼の愛の深さを知った。あの槍試合はまさに騎士の命をかけた戦いだったのだと。


「いい話だな。それからどうなったんだ?」

「……分からない」

「分からんって、まさかこのままハッピーエンディング無しで終わるのか?」

「……続きは、あなたの想像に任せる」

なんという不完全燃焼。

 長門いわく、領主は部下の忠誠心を保つために、それから士気を上げるために若い妻の美貌びぼうを利用することがあるのだという。むさいオッサンのために戦おうというやつはいないが、主人の若妻の心を射止められるなら命をかけても惜しくはないものだ。武芸試合は庶民の見世物という意味合いだけではなく、戦場でなければ見せることができない勇敢さをご婦人にアピールしたいという騎士たちの思惑おもわくもあった。これが騎士道精神のはじまりであり、ご婦人には礼儀と自己犠牲を尽くし、名誉を守ってさしあげなければならないという信条が生まれた。

「へー、暇だからって戦闘ごっこをやってたわけじゃないんだな」

「……そう。恋は命をすほど崇高なもので、けっしてひけらかしたりせず、相手が想いに応えてくれなくてもその気持ちを失ってはならない。聖母マリアに対するのと同じ献身を示さなければならない。それが宮廷恋愛のルール」

「うーむ、ハイソな人たちの恋愛にそんな決まりがあったとはな。俺にはとても務まらん」

目の前の恋人様に向かってなにを言うのだ俺は。あっさりしすぎだろ。

「……さらに、恋が実っても結婚できるわけではない」

「人妻だもんな。どうなるんだそういうカップルは」

「……人目を忍んでの密会のみ。公の場で会っても知らぬ顔をしていなければならない」

「そりゃつらいな」

「もともと、上流階級では結婚と恋愛は別のものとして考えられていた。夫婦間に恋は存在せず、また結婚したからといって恋人と決別する必要はなかった」

「まじか……それってあからさまに不倫ふりんじゃね?」

「……政略的な理由によって自分が望まない相手と結婚させられるという慣習が生み出した、妥協策だきょうさくといえる」

なるほどねー。高貴なお方にとっては家の事情で恋の価値が高かったってことか。今どきの若いもんは簡単にくっついたり離れたりするが、命をかけろとは言わなくともそれくらい真剣になってもらいたいもんだ。って人事ひとごとみたいに言ってるぜ俺も。


 晩飯の用意中に長門の恋愛談義を聞いているところにハルヒの乗った馬車タクシーが帰ってきた。朝からおでかけだったらしい。貴族が着るようなシルクのドレスに髪を編み上げ、どこで手に入れたのかセンスをぱたぱたと振っている。なんか髪からフケみたいなもんが出てるぞ。

「おいなんだその格好は、コスプレイベントにでも行ってきたのか」

「ひっひっひ。あ、違った。オホホホちょっと奮発ふんぱつしただけよ。どんどんめていいのよキョン」

昔から馬子まごにも衣装といってだな、どんなに着飾っても育ちがイテテ耳ひっぱんな。

「おかえりなさい涼宮さん、なにかのもよおしだったの?」

「ただいまみくるちゃん。ちょっと買い物してきたわ。あと、イケメン騎士どもとお食事に呼ばれて城に行ってきた」

朝比奈さんの両耳がピクと動いた。

「そ、そう。領主様には会ったの?」

「会ったわよ。飯おごれつって城門叩いたらちょうど朝飯の時間だったから、お美しいミス・スズミヤ一緒にいかがかな、なーんちゃってカッコつけてローストビーフをこーんな山盛りに」

「涼宮さん、食事の時間によそ様の家にお邪魔するのは……」

行儀の悪い子を見るように困った顔をした朝比奈さんをハルヒはさえぎり、

「どうでもいいじゃないのそんな他人行儀。一人でモソモソ食べるより皆で楽しく食べたほうがおいしいわよ」

訪問のマナーにはうるさいイギリス人なのであるが、シキタリではだいたい十時から三時の間にと決まっている。まあハルヒにいまさら教育したってはじまらないし、朝比奈さんもあきらめ顔だ。

 それからハルヒは晩飯を食っている間ずっと城の連中の話をしていた。

「今まで気がつかなかったけどさあ、こっれがなかなかのイケメンそろいなのよ、年下よ年下。見習いを十四歳からやってんだって! 有希もキョンに飽きたらすンぐに言いなさい、若いツバメを軽く一ダースくらい紹介してあげるから」

「……分かった、検討する」

ツバメって、おいおい分かったって、俺はとうとう愛想あいそ尽かされたのか。

「あたしもあの格好で行ったら即効で言い寄られたわ。騎士って意外と貧乏なのよね」

「給料出てんじゃないのか」

「そりゃ出てるけど、かかる経費から見たら蚊の涙みたいなもんよ。ああやって貸し出し出征しゅっせいしてるのは特別手当が出るからまだマシなほうでねぇ、現地までの旅費は自腹、よろいセットは事あるごとに新調しないといけないし、軍馬は高いわ数年で買い換えないといけないわエサ代に従者の人件費はかかるわで、しかも妻子持ちの騎士は悲惨ひさんなものよ。この焼き鳥うまいわね」

まるで無理して三十年ローンで家を買って車検が来る前に車を買い換えてる水飲みサラリーマンみたいだな。聞いてきた苦労話を披露ひろうしながらスペアリブを骨ごと噛み砕いているハルヒだった。

「伯爵ってもとは騎士見習いだったって聞いたが、そうなのか?」

「そうそう。ここだけの話なんだけどね、」ハルヒはナイショ話をするように声を低めて「なんか王様の身内だけどすえっ子で、でも爵位なんて金にはならないし、親からたいした土地ももらえなくて家計には苦労したらしいわ」

「ということは古泉が土地をもらったのは、なけなしの財産を分けてもらったってことじゃないか」

「まあ、そういうことになるかもね。なかなか気が利くじゃないの」

いや、お前が土地の上がりをもらってんだからもうちょっとありがたく思えよ。


「来週ディナーに招待されてるから、行ってくるわね」

あの豪勢な衣装はそのためか。

「っていうかお前だけ? 俺たちは?」

「さあ」

「さあって、俺はいいんだが長門と朝比奈さんは連れて行くべきだろ」

ハルヒはチラと朝比奈さんを見て、

「だって招待されてないからしょうがないでしょ」

「そうかもしれんが……」

黙って聞いていた朝比奈さんの眉毛がさっきからピクピクと動いていることに、俺と長門は気がついている。伯爵に朝比奈さんをけしかけろと言っときながら自分だけ愛想あいそふりまいてなにをやってんだこいつは。


 それで数日後、城からの使いで手紙が届いた。三人宛だった。手紙を読んだ朝比奈さんが困ったときのハエ頼みで両手をり合わせて言った。

「キョンくん、長門さん、一生のお願い。お金貸して」

「そんな布袋ほていさんみたいに拝まなくてもいいですよ。といっても所持金あんまりないですけど」

俺が懐から財布を取り出すと、とてもそんな小銭レベルの話ではないらしく、

「……地球寄ってく?」

直営店を経営している太っ腹の長門ファイナンスはある時払いの金利一切なしだそうだ。っていうか長門さん、あなたはなぜそんな古いネタをご存知なのでしょうか。ララララ。

「ドレスを新調したいの。ロンドンで貴族用の衣装を扱ってる店を紹介してもらえないかしら」

「……分かった。いくらいるの」

ガッテンお任せあれみたいに長門は胸をトンと叩いた。

 俺は? 俺にはお願いはないんですかという必死の問いかけには答えず朝比奈さんは財布代わりの長門を馬車に積んで買い物に出た。

 帰ってきた長門と朝比奈さんの張り合いようときたらもう、目を見張らんばかりの華麗かれいなドレスで乙女のライバル意識というのはかくも恐ろしきや。長門はいつもどおりのポニーテールだったが、貴族御用達ごようたしみたいな美容室に行ったらしい朝比奈さんのロングかつボリュームのある髪が一段と豪華に編み上げられ、ウェーブが後ろでまとめられてそこから縦にチョココルネみたいなカールが下がっている。

「おかえりなさいませ、お嬢様がた。ハルヒ以上にお似合いです」

「……そう」

「オーホホホ、めがっさめてくれてもいいっさぁ」

羽の生えたセンスをぱたぱたやって鶴屋さんのモノマネをしているが、ノリきれなかったらしく急に素に戻って真っ赤になった顔を隠している。ネタが滑ったときに使うんですかそのセンス。

「みくるちゃんどこで買ったのそれゴージャス!」

「えっと、長門さんのお知り合いの店で」

ハルヒはチッと舌打ちをして、

「あたしもそれにすればよかったわ……。来月土地代を取り立てたら買おうかしら」

農奴のうどから取り立てた血と汗と涙がお前の衣装に化けるのか、そのドレスたたられるぞ。


 翌週、古泉が貴族仕様の馬車で迎えに来て全員で乗った。古泉はいつものように小洒落こじゃれたチュニックにフリル袖のシャツ、騎士のトレードマークらしいSOS団ロゴ入りマントを身につけ、タイトなズボンをいている。俺だけがなんだか修行僧みたいなみすぼらしい格好でついていくことになった。じいさんの衣装を借りてもよかったんだが、この粗布がすっかり馴染なじんでしまってな。

 城に来るのは三度目、貴族の馬車が珍しいらしいハルヒは道中どうちゅうずっと子供みたいに馬車の窓から顔を出して大騒ぎで、道行く人に手を振ってハルヒ様のお通りを知らせている。


「来たわよー、待望の淑女しゅくじょよ」

馬車が門前で止まる前から手を振っている。石造りの高い壁をくぐって城内に入ると、四角い塔の扉の前に伯爵と執事さん、メイドさん達が並んでのお出迎えだ。客室に通されると俺たちが来ることを知らされていたらしく、若手の騎士がずらりと並んで待っている。伯爵に一人ずつ紹介されたが、ハルヒは前回来たときから知られているので主に俺と長門と朝比奈さんにだ。

「みくるちゃん、どうよこのイケメンそろい」

「素敵な方たちですね。頼もしいわ」

「お持ち帰りしてもいいわよフヒヒ……」

「そんな、みなさんに失礼ですよ」

困り果てた朝比奈さんを見るニコニコ顔の未成年騎士さんたちはまんざらでもなさそうである。

「どうなの伯爵、この子たちは嫁さん募集してないの?」

伯爵は腹の底から笑い声を出して、

「手が早いなミス・スズミヤ、残念ながら彼らはまだ家族を養えるほどの収入がないのだ」

「養子ならいいでしょ。うちは土地もあるから騎士二人くらい養えるわよ」

伯爵は若い騎士さんたちに向かって笑いかけ、

「ということだ、諸君の中にミス・アサヒナの婿養子むこようしに立候補する者はいるか?」

全員が一斉に胸に右手を当て、左手を挙げた。えらい人気だなヲイ。

「すっごいじゃないみくるちゃん、り取りみどりよ」

「そんな、恥ずかしいですよ……」

持ってきたセンスでつつましく顔を隠してみせる朝比奈さんである。俺と古泉はピクピクと神経質に眉毛を動かしている。よく観察してみると笑っている朝比奈さんのほっぺたもピクピクと動いているようだが。

 伯爵も調子に乗ったのか、

「そういうミス・スズミヤはどうなのだ? 独身とお見受けするが」

話を振られてハルヒはほほを染め、

「あた、あたしは騎士程度の身分じゃ満足しないわよ」

「なるほど。では貴族か王族がお望みか」

「キヒヒ、まあそれに準ずるなにかね」

宇宙人未来人超能力者はどうなったんだよ。


 ディナーの用意が整いましたと執事さんが言いに来て俺たちは大部屋に呼ばれた。騎士さんや伯爵ファミリーを含めて二十人くらいが長いテーブルの前に立っている。席順はこないだ来たときと同じ上座かみざに朝比奈さんが着くはずだったのだが、何を思ったかハルヒが上座かみざに、つまり伯爵のすぐ隣の席に陣取り、それに戸惑った朝比奈さんがチラとハルヒを見ると、なんか文句でもあんのという顔で腕組みをしている。その対面に古泉が座り、朝比奈さんは黙って古泉の隣に座った。ハルヒの右隣には俺、俺の右隣に長門が座っている。

 メインディッシュは豚の丸焼きで伯爵が丁寧に切り分けたものをパンの上に乗せて食った。ハルヒは豚のソテーをパンに挟んでワシワシと食ったが、実はこの皿代わりのパンは晩餐ばんさんのメニューではなく、昨日に焼いたパンの残りで、あとで城の外に住んでいる貧者にほどこしをするためのものなのだそうだ。ハルヒがうまい最高デリシャスセボンオッティーモ! を連発し何度もおかわりを要求するので、伯爵は自分が食う暇もなくニコニコとスマイルで切り分けてやっている。何を思い立ったかスプーンでグラスを叩いて椅子から立ち上がり、伯爵家並びにグロースター騎士団そして我がSOS団の友好と発展を願って乾杯、と会社の接待でよくやるようなスピーチをはじめ、なんだかよく分からない拍手をもらっていた。腹をすかせた俺たちは黙々と食って飲むだけで、ハルヒのテーブルマナーのしつけなんぞまったく眼中になく、もう知らんわみたいにして腹を満たすだけだった。


 飯が終わると客室に戻った。女性陣は暖炉の前のベンチに座り、伯爵と数人の騎士を含む野郎どもは立ったままとりとめのない談笑を交わし食後のワインを飲んでいる。ワインはお世辞せじにもうまいものではなかったが。

「修道士殿、以前に酒場でバラードを歌っておいでのところをお見かけしたのだが、一曲どうだろう」

伯爵は客室の壁を指さした。そこにはバイオリンの先祖みたいなやつとかネックのないギターみたいなやつが飾ってあった。

「バラードというほどのものでもないんですが」

などと慌てることもなく、俺は楽器の中からおもむろにリュートを取った。まあ、こういう席では一曲でいいから弾いてみろと言われるのは分かっているのでな。ペグを調整してもったいぶってげんの張り具合を確かめ、二三回咳払いしてから、レパートリーの中から滝廉太郎たきれんたろうを歌ってやった。適当にアルペジオを効かせて弾くと騎士さんたちから拍手をもらった。おひねりはナシだぞ。

「なんだか哀愁あいしゅうあふれる、物悲しい曲ですな」

伯爵が感想を言うと懐古趣味かいこしゅみの分かる朝比奈さんがうんうんとうなずいている。ただ一人だけ、なぜか怒ってる奴がいて、

「キョン、あんたバッカじゃないの。なんでそんな縁起えんぎの悪い歌を聴かせるのよ」

あ、そういやそうだった。荒れ果てた城のかつての栄華えいががどうとかいう歌詞だよな。俺は空気読めなくてすいませんねぇと頭をかいて笑った。

「ちょっとそれ貸しなさい」

ハルヒがリュートをひったくってジャカジャーンとかき鳴らした。なにか二十一世紀のポップスっぽいイントロを歌おうとして音が違うことに気がつきペグをキリキリと回している。いやだからギターとは音程が違うんだって。ハルヒは仕切りなおしにビシ指をして、

「あんたたち、みったれたキョンの声なんかに感心してんじゃないわよ。あたしの歌を聞けぃ!」

ハードロックでもかき鳴らすのかと思いきや、なにかどこかで聞いたことのある洋楽の本物のバラードっぽい曲を引き始めた。いつの間にそんな曲マスターしたんだ。

「もう夜がけちゃったわ~ん」

思い出した。イギリスの歌手が歌っていた、素晴らしき今夜みたいなタイトルの歌だったか。って今それをここで歌うのか、八百年後にこれが伝わったら歴史がとんでもないことにならないかオイ。

 ハルヒは微妙に音程のずれたリュートをポロポロと弾きながら、ディナーショーで客席を回る演歌歌手みたいに歩きまわり、そこにいる一人ずつに向かって歌った。翻訳ナノマシンのせいで俺には日本語で聞こえるのだが、ところどころ誤訳していて微妙にマヌケな歌詞だ。花瓶からバラの花を一輪抜いて唇にはさみ、伯爵の前に片膝かたひざをついてそれをささげ持ち、

「そこであたしは言ってやったわけよ~、今夜のアンタは最高ってね~」

そして野郎どもからの拍手大喝采である。伯爵は心なしか目がうるんでいる。

「素晴らしい。ミス・スズミヤのお国の歌かな」

「知らないの? あんたんとこの歌よ」

知るわけないだろ。情報漏洩じょうほうろうえいもたいがいにしろ。

 皆がアンコールを叫んでねだるので、調子に乗ったジャイアン、じゃなくてハルヒのリサイタルが最後まで続いた。歌に酔いしれる伯爵を見てハルヒがフフンという感じに朝比奈さんを見ると、朝比奈さんのひたいに青筋が浮かんだ。なんか視線に火花が散ったように見えたんですけど、なんだったんだ今のは。


 まだ暗くならないうちにと俺たちはおいとました。馬車に乗るとき伯爵が一人ずつ手を取ろうとしたのだが、ハルヒは酒が回っているのか足をもつれさせて伯爵に抱きついてしまい、こりゃまた失礼しましたテヘヘ笑いを浮かべた。朝比奈さんと長門は丁寧にひざを曲げて挨拶あいさつをした。俺は執事さんからおみやげにとローストポークの残りを包んでもらった。


 家のメイドさんたちにおみやげを渡して、俺は二階に上がろうと階段に足をかけた。あんまり愛嬌あいきょうばかりふりまいているハルヒにちょっと釘を刺しておきたいと思ったんでな。ところが部屋で着替えているはずのハルヒと朝比奈さんの様子がおかしい。

「涼宮さん、ちょっと話があるの。そこに座って」

「さっきから座ってるじゃないの」

「今日のあれはいったいどういうつもりなのかしら!?」

朝比奈さんの声がけわしい。ただならぬ気配がしたので抜き足差し足で階段を登ると、ドアの前で神妙な顔つきをしている長門と目が合った。聞きつけた古泉がいったいなにごとですかと階段の下から覗いたので、俺は口に指を当てて手招きした。なんだかやばい空気だぞ。

「さあ、なんのことかしらね」

声の様子から朝比奈さんが腰に手を当ててにらみ、ハルヒが肩をすくめているところを妄想した。

「しらばっくれないでちょうだい。ずっと様子がおかしいと思ってたけど、あれはわたしへの当てつけでしょう。子供でも分かります」

「フフーン。さーてね、あたしは皆が仲良くなれるようにやってるだけよ。みくるちゃんの思い過ごしじゃないの」

「思い過ごしですって!?あんなのは御為おためごかしです!」

部屋の中でガチャンとなにかが割れる音がして、マナーもへったくれもなく聞き耳を立てている三人が顔を見合わせた。やばい、やばいぞ。二人が面と向かって喧嘩けんかするなんて今までにない事件だぞ。

「じゃあ聞くけどみくるちゃん、なにがどう当てつけだっての。説明してみせなさいよ」

ハルヒの声に緊張が走っている。ドアの向こうだから見えないがそれくらいは俺にも分かる。

「どうしてこっそり会いに行ったりしたの!?」

どっちかというとこっそり会いに行ったのは朝比奈さんのほうな気がするのだが。

「こっそりなんてしてないわ。堂々と公道を通って行ったわよ、白昼はくちゅうもとね」

「そういうことじゃなくて……」

話が噛み合わなくて朝比奈さんが眉間をおさえているのが分かる。

「こないだまで喧嘩腰けんかごしだったのにあんなに愛想あいそをふりまいて!」

「へえ、騎士に愛想あいそよくしたらダメだっての。そんな法律いつできたのかしらねえ、マグナカルタにもないわよそんなの」

弁護士でもないやつに法律を言われるとすごくイライラするんですが。ああ、マグナカルタってのはイギリスの王様と貴族で決めたルールみたいなもんだ。

「騎士さんじゃないでしょ、涼宮さんがびてたのはロードシップにでしょ」

「あたしはびてなんかいないわよ」

「ロードシップの前でわざとつまずいたでしょ。殿方とのがたに抱きついたりして、はしたない」

「わざとじゃありませーん、スカートのすそを踏んで転びそうになったから支えてくれただけでーす」

「じゃあ涼宮さんがロードシップと話をするとき、いちいちわたしの反応を見るのはどうしてなの」

「そりゃあ話をするときはみんなの顔を見るわよ」

「違うでしょ! わざとあおるような話し方をしてるでしょ」

「ふーん。それってもしかしていてんの?」

「ちっ、違いますよ!」

いえ、どうみてもいてると思います。三人とも暗がりでうなずいた。そこでハルヒのチェックメイトが響く。

「ひょっとしてあんた……、伯爵が好きなの?」

「え……」

「はっきり言いなさいよ、どうなの」

ハルヒがつま先で床をトントンと叩く音が聞こえる。

「そ、そうよ。わたしが誰かを好きになったらいけないのかしら?」

言ってしまった。その言葉をとうとう言ってしまわれた。

「エッそうだったの?」そこでハルヒが息を飲む。

「涼宮さんがダメだと言うのなら、長い付き合いもこれっきりです。わたしはここを出ていきます」

朝比奈さんがハルヒより男を取るとはっきり言ってしまったぞ。荒れるぞ、今夜は荒れるぞ、神人一体くらいじゃ済まないかもしれんぞ古泉。

「そうだったの……」

ハルヒが顔をおおって鼻をすする音が聞こえてきた。え、なんで泣いてんの、どういう展開なのこれは。この辺で三人とも、どうやらハルヒのセリフも仕草もわざとらしいことに気がついている。

「涼宮さん……」

「いいわ……伯爵はあんたに譲る。あたしはいさぎよく身を引くわ」

「待って、わたしはそんなつもりじゃ、」

「伯爵にはあたしは似合わないわ。みくるちゃんみたいにおしとやかなのほうが似合ってることくらい分かるわよ」

「そんなこと……」

喜んでいいのか否定するべきなのか迷っているらしい朝比奈さんは口ごもった。

「でもねえ、途中であきらめたりしたらそこであたしが速攻で横取りするわよ。波瀾はらんはなしよ」

微妙にどっかで聞いたセリフだぞ。

「え、ええ。涼宮さんはそれでいいのかしら」

「いいのよ。あたしはいつだって『部下の』シヤワセを祈ってるから」

「涼宮さん、そこまでわたしのこと……ありがとう」

「あたしの分もシヤワセになるのよ、みくるちゃん」

部下の、というところを太字になりそうなほど強調し恩を売っているのが見え見えのハルヒだが、長門に聞いたところ二人はヒシと抱き合っているらしい。聞き耳を立てている三人のニヤニヤが止まらない。

「コラァそこで立ち聞きしてる三人!」

いきなり部屋のドアが開いてハルヒが出てきた。

「い、いやぁ奇遇だな。そろそろおやすみのあいさつをしようかと思ってたんだ俺達」

「レディの会話を立ち聞きするなんて最低よ」

ニヤニヤして親指を立てているところを見るとあんまり怒ってもいないようだ。


 翌朝、朝比奈さんが台所に入ったのを見計らって俺は、

「おいハルヒ、伯爵を口説くんだったら直接朝比奈さんに頼めばいいだろ」

「チッチッチ、昔の人はいいこと言ったわ。敵を籠絡ろうらくするにはまず味方からよ」

味方だけ籠絡ろうらくしても意味ねーだろ。

「そんなことしても朝比奈さんが燃え上がるだけだろうに」

「まーあ見てなさいって。伯爵みたいなお硬いタイプはね、言い寄られると断れずに自ら炎上してしまうものなのよ」

波瀾はらんはなしだとか言いながら暗雲立ち込める嵐の予感だな。伯爵と朝比奈さんが泥沼戦争になっても知らんぞ俺は。

「だいたい嫉妬しっとあおって、まともな恋愛になるのか?」

「問題ないでしょ。これはただのきっかけよ。そうよね、有希」

「……そう。嫉妬しっとできない者には恋愛ができない。本当の愛には嫉妬しっとがつきもの」

なんだか珍しく格言めいたことを言う。長門はキラキラ目でなんだか期待しているものがあるようだが、古泉はただ肩をすくめてみせるだけである。


「さーてはじまるざますよ、みくるちゃん」

「涼宮さん、なんでガンス?」

「決まってんじゃない、朝比奈みくるのぉ~ラブラブぅ大・作・戦」

なんじゃその昭和のバラエティ番組みたいなタイトルは。っていうかもう元ネタすら分からんだろ。

 時は十二世紀もすえのご当地イギリスで、当世切ってのイケメン貴族、ジャン・ド・スマイト伯爵を手懐てなづけるために、これまた絶世の美女朝比奈みくるをけしかけようとたくらんだ。しかぁし、けしかけるためにはまず朝比奈みくるの本気度をブースト変換せねばゴールは遠い地平の向こう側。そこで策士さくしハルヒは自らあおって嫉妬しっとさせるなどと巧妙こうみょうに仕組んだ罠で、見事みくるを篭絡ろうらくしたのであった。もはや手中のコマと化した美女を尖兵せんぺいとして送り込む軍師ハルヒが、次に繰り広げる作戦とは!?果たしてみくるは伯爵様のハートを射止めることに成功するのか、よもや見逃せないハラハラ展開はCMの後! みたいなナレーションがこいつの脳内では高らかに鳴り響いていたに違いない。

「なによその三流タブロイド誌みたいなナレーションは」

俺のほうが突っ込んでんだよ。

 ハルヒはテーブルの上に座ってあぐらをかき、

「そうねぇ、まずはラブレターからよね」

「お前にしちゃやけに地味だな」

「なに言ってんの。あたしだってこの時代の恋のセオリーってものくらいは分かってるわよ」

セオリーって、お手製のチョコレートを胸に城門前で出待ちするとか、ハーレクインも真っ青なトロトロにとろけそうな熱いラテン語の告白を羊皮紙にしたためて気持ちを伝えるとか、あるいはもっと大胆にだなぁ、朝比奈さんのギリシャ風悩殺コスプレでメロメロにするとか、ってイテテ長門、今のはただの妄想だ。

「あんたもバッカね、最初からそんな大技おおわざ使ってたら、男ってやつはすぐに冷めちゃうでしょうが。満腹になった魚にはなにを投げても食いつかないものよ」

なにか欲求不満めいたものを浮かべている長門がウンウンとうなずいている。俺は釣り糸の先にエサっぽい朝比奈さんがぶら下がっているというどこかで見たようなシーンをなんとなく妄想した。

 ハルヒはペンと羊皮紙をテーブルの上に置き、

「さあさあみくるちゃん、あたしのいうとおりに書きなさい。ペン先からほとばしる黒い液体があたしの言霊ことだまとなって伯爵のハートを鷲掴わしづかみにしてくれるわ」

心臓を鷲掴わしづかみって、そのまま発作起こして倒れるんじゃなかろうか。名前を書いたらそいつが死ぬとかいう漫画のパクリみたいな、ここに来ての編集長一直線リターンズである。

「わ、分かりました。よろしくお願いしまぁす」

昨日の一触即発いっしょくそくはつの火花展開とは打って変わって手懐てなづけられた猫みたいにおとなしい朝比奈さんだ。

「オホン、あー、拝啓、ロード・ジャン・ド・スマイト伯爵閣下様」

敬称が三重になってるぞヲイ。

「あのー先生、」朝比奈さんが手を挙げる。

「なにみくるちゃん」

「日本語で分かるのかしら」

「え……」

『拝啓』と濃い文字が浮かんでいる。ペンで行書体っぽい字で書かれた手紙を見せた。え、こいつら日本語でしゃべってたのか……。

「チッガーウみくるちゃん、貴族宛の手紙はフランス語に決まってんでしょ」

「で、でもわたしボンジュールムッシューマダムくらいしか」

「しょーがないわね。っていうかあたしもケシクセーしか知らんわ」

ハルヒはフランス語ができそうなやつはいないかと、残り二人しかいない部屋の中を見回し、俺をスルーして長門に声をかけた。

「有希は中世フランス語できたっけ?」

「……すこしなら」

少しっていうかネイティブスピーカーを凌駕りょうがする語学力だと思うぞ。

 結局ハルヒが文面を考え、長門が代筆することになり、朝比奈さんは文面に切々としたためられた熱い思いと下心に顔を真赤にしながら心打ち震えただけだった。


── ミクル・オブ・アサヒナから、親愛なるロード・ジャン・ド・スマイト様。愛とごあいさつをお送りします。ハルもたけなわのみぎり、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 先日は素敵な夕食にお招きいただきありがとうございました。北国で捕れたというまろやかな味わいの黄金芋の酒、香ばしく上手に焼けたこんがり肉Gなどはとても美味しゅうございました。殺風景で貧相なド田舎の晩飯には正直飽き飽きしていたところで、とても楽しいひとときを過ごすことができました。そろそろ気温も……、殺風景でいいのよ正直に書くの!

 そろそろ気温も上がるこの頃では、わたしどもの畑で冬小麦の植え付けをしているところです。一仕事終えてからの火照ほてった体は汗にまみれて、肌着もぴったりと張り付いているようです。いっそあなたのような清らかで冷たい川の水に飛び込んでなにもかも流し去ってしまえたらどんなにか気持ちいいことでしょう。なによキョン、なんか文句でもあんの? うちのなまぐさ坊主もみだらな妄想をしています。いけない子ね。

 今、わたしは自分の部屋でロウソクだけをともしてこのお手紙を書いています。窓を開けると涼しい夜風が部屋を通り抜け、一枚しか着ていないわたしの薄い夜着やぎと、両肩に垂らした髪をなでてゆきます。ゆれるロウソクの小さな赤い炎に浮かぶのは、なぜかいつもあなたの笑顔。この夜空の向こうではあなたもベットに伏せておいでなのかしら。夢でお会いできることを願って、そろそろ筆を置きますね。

 村へお越しの際はぜひ我が家へお立ち寄りくださいね。心を込めたサービスをさせていただきます。待ってます。ラブアンドピース。あなたの、ミクル。


 長門がフツフツといてくるなにかをこらえるように丁寧に折りたたみ、お手製の香水を一滴垂らし、トロトロに溶けたシールワックスで封をした。古泉が城の警備の勤務があるという日を狙って手紙を言付ことづけた。週に三日ずつの交代勤務らしい。戻ってくるとハルヒが窓越しに呼び、

「おかえり古泉くん。城でなにか変わったことはなかった?」

「変わったことですか……、えて言えば兵士に招集しょうしゅうがかかったことくらいでしょうか」

「それだけ?」

「ええ。それだけですけど、なにかご予定でもありましたか」

「うーん。なんかこう満月に向かって雄叫びを上げるような、パジャマのまま夜の街を徘徊はいかいしてムラムラします、みたいな騒ぎを期待してたんだけどねぇ」

お前は伯爵をゾンビに準ずるなにかにしたいのか。


 それから数日して、伯爵から直接使いが来て朝比奈さん宛の手紙が届いた。古泉に託さなかったところをみると、もしかしたらなにか読まれると困ることが書いてあるのかもしれないなどと妙に期待をふくらませている四人である。ハルヒが朝比奈さんの手からひったくって封を折った。

「それでは読み上げ……って読めないわ。有希おねがい」

「……おまかせを」


── グロースター伯ジャン・ド・スマイトより、ミス・ミクル・オブ・アサヒナへ。ごあいさつ申し上げる。先日はお手紙をありがとう。ミス・ミクルの丁寧なフランス語を読むにつけ、あなたはきっと高貴な家のお生まれに違いないと確信した。そしてあなたの可憐かれんな筆跡にかなりの教養を積まれたお方だと拝察はいさついたすところだ。

 城の皆は息災そくさいだ。むさ苦しい男ばかりだが、若く初々しい騎士もいて、ミス・アサヒナの婿養子むこようしになることを本気で望んでいる者も少なくない。いや、これは失敬。彼らは情熱的で、純情な少年の心を持ち、ときに野心家だ。国を守る忠誠心と、辺境の地で誰かを思う気持ちは一体であり同じものだ。彼らには、神のご加護のもと清らかな心で青い麦のようにまっすぐ育ってほしいと願っている。

 さてこのたび、残念ながら城を留守にすることになった。あなたがこの手紙を読まれる頃には、私は国元を離れフランスで領土の警備についているだろう。帰ったらまたご連絡差し上げたいと思っている。敬意を込めて、ジャン

 追伸、騎士たちが皆様に、とくにミス・アサヒナに会いたがっている。いつか都合のよろしい折にでも城にお立ち寄りいただければみな喜ぶと思う。


ハルヒは読めもしない古い仏語の手紙をくまなく調べ、

「ふーむふむ。貴族らしいなかなか洒落しゃれた手紙ジャン」

人の名前をダジャレにするな。

「古泉、領土の警備ってお前は行かなかったのか」

「僕は今回は留守番ですね。自分の城の警備も必要ですから」

まあ古泉はペーペーの新米だからな。

 ハルヒは薄いベージュの紙をペンペンと叩いて、

「それにしてもこの返事、いまいち手応えがないのよねえ。あんだけ手紙でたらし込ん……乙女の恋を表現したのに」

今たらし込んだって言ったか、たらし込んだって言っただろ。

婿養子むこようしになりたいって書いてあるならその気はあるんじゃないか」

「何いってんの、それは少年兵の話でしょ」

いや、少年兵って国際的に問題になってるやつだから。まあ十四歳なら年齢的には近いか。

「伯爵が若い騎士たちをネタにして自分の気持を込めてるとか、なくはなさそうだが」

「あんた深読みしすぎよ。この文章だとまるで女に興味が無さそうじゃん」

「んー、長門はその辺どうだ?」

中世のロマンスに一言いちごんありそうな長門に水を向けてみると、

「……この時代の手紙のやり取りでは比喩ひゆを多く使い、直接的な愛情表現はしないという特徴がある。行間を読ませるのも妙味みょうみ

妙味みょうみ、と来たか。まあ文面からなんとなく朝比奈さんが恋しいという感じが伝わってこなくもないが、あるいは社交辞令ってこともあるか。だが長門によると、えてその辺の曖昧あいまいさを利用して、読む側の想像をき立てるのがこの時代のいいところなのだとか。

「……ただし、それが通じるのは感性が分かる者同士に限る」

「そうか。伯爵って乙女心に鈍そうだしなあ」

お前が言うか、みたいな八つの目が一斉に俺を見た。


「古泉くん、遠征っていつごろ帰ってくるの?」

「一回の遠征はだいたい四十日間ですが、状況次第では延長されることもあります」

「それって誰が決めてんの?」

「イングランド王です」

「そうなの。でも四十日かぁ。みくるちゃんへの熱き思いが熟成するのには、まあちょうどいい時間かもね」

「そ、そうなのかしら」

さっきから会話の中に乙女の恋とか婿養子むこようしとか愛情表現とかいう単語が飛び出すたびに顔を赤くしている朝比奈さんである。

「キシシ、みくるちゃんいっそのことフランスまで押しかけてみる? 愛する人への想いを伝えにせ参じましたぁみたいに」

また突拍子もないことを言い始めたぞ。朝比奈さんに重騎兵コスプレをさせるのはやぶさかではないが、お前こないだ大技おおわざは使わんって言ってなかったか。古泉が眉間にシワを寄せながらスマイルを浮かべるという新しい芸当を見せながら、

「いえ涼宮さん、それはお勧めしません。国境付近は治安が安定していませんし、ロードシップも望まれないと思います」

「分かってるわよ。けど、いざとなったら強行突破で愛を伝えに行くわよ。あたしたちは国境なきSOS団だからね」

「す、涼宮さん……」

SOS団はいつからNGOになったんだ、お前は国境なきって言いたいだけちゃうかと突っ込みたい空気はあれど、それより有無を言わさぬハルヒになにかを訴えようとして口をパクパクしている朝比奈さんが言いたいのは、たぶん、いったい誰の恋愛なのだということに違いない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る