十七章
騎士が毎日
古泉がいない間は俺が執事代理で家の経理を任されているのだが、俺はフランス語が読めねえんで長門に教えてもらいながら課題をこなす学生の気分を味わっている。っていうか自分でやれよハルヒ。
古泉は
村から騎士を
とある日曜日、十時の朝飯の席に朝比奈さんがいなかった。
「あれ、今日はみくるちゃんいないの?」
「いないのか? そういや先週もどこか行ってたな」
日曜日の俺は村の教区教会でミサの手伝いをさせられているので多少は忙しかったりする。
「えー、今日エールの仕込みしたかったのにぃ」
近頃のハルヒといえば
ハルヒは家の外に出てしばらく朝比奈さんを探す風な様子だったが、突然の号砲が響き渡った。
「分かったわ!」
「なにがだ」
こんな休日には聞きたくない音声である。
「みくるちゃんを
「朝っぱらからなに
探偵ごっこはとっくに卒業したと思ってたぜ。
「そうね、動機は……、ちょっとあんたたち耳を貸しなさい」
ナニナニ、俺と長門は頭を寄せた。古泉は昨日から城に出掛けていて留守だ。
「朝比奈みくるの
「お前口紅なんか持ってたのか」
「あったりまえでしょ。でも残りが少ないからたまにしか付けてないんだけど」
口紅くらいなら長門に頼めば作ってくれるんじゃないだろうか。エリザベス女王の肖像画とか明らかに美白してるし、中世でも化粧品くらいはあるだろう。
「……女性は化粧を禁じられていた。一部特権階級のみが使用」
「ええ、まじですか!?」
「……そう。ローマカソリックの教理に基づく」
ということは皆スッピンだったのか……。長門ヨーロピアンヒストリーによると女性の化粧が一般化するのは十四世紀以降のことだそうだ。
「そして最大の疑惑はこれよ! あたしに黙ってこそこそと出かけていった。これこそが後ろめたいことがある行動の
「誘拐されたんじゃなかったんかい」
「あんたも鈍いわね。これらのことから導き出される答えは一つ!
ゴットゥーザ様って誰だよ。
「そういや、世話になった女子修道院に
「アラッ。そういうことは先に言っときなさいよ。延々推理を
うん。バカみたいだった。
「たっだいまぁ、遅くなっちゃってごめんなさい」
昼過ぎ、ハルヒが並べた椅子の上でもう食えないと寝言を
「涼宮さんごめんなさい、口紅勝手に借りちゃいました」
「え……いいのよいいのよどんどん使いなさい。顔面に塗ってもオッケーオッケー」
ハルヒはニヤニヤと
「どうよ二人とも。十分あやしいと思わない?」
「朝比奈さんだって一人で出かけることくらいあるだろう」
「……朝比奈みくる、」
「どうしたんだ長門?」
「……
それってどっかの探偵さんの
「有希、香水ってシャネルとかディオールとか?」
「いや待て、そもそも朝比奈さんが香水を持ってるわけが、」
「……わたしが作った」
長門コスメか。そういや長門んちの店の商品にそんなものがあったな。階段から降りてくる足音を聞いて三人は急に黙った。
「ど、どうしたのかしらみんな」
髪を
「朝比奈さん、まだ朝ごはん食べてませんよね。おなかすいたでしょう」
「い、いえ、向こうで頂いたから大丈夫……」
最後はモゴモゴとごまかしていたが、誰にとは言わなかった。
「俺ヤギのチーズ大好きなんですよね。朝比奈さん、スモークチーズはおいしかったですか?」
「えっと……チーズは出なかった気がするけど……」
シスタークレインの朝食に自家製チーズが出ないはずがない……妙だな。
「みくるちゃん、朝からステーキなんてゴーシャスね! 今日の晩ごはんは焼き肉にしましょう」
「えっ、ええ。いいわね」
うむ。
「あらっ、伯爵が来たみたいよ。何の用かしら」
「ええっ!?」
朝比奈さんは慌てて窓に駆け寄り、家の外に飛び出てあちこちを見回している。
「どこにもいないわ~涼宮さん。ほんとに見たの?」
「あーごめん。近所のおっさんだったわ。いやーよく似てたなー」
なんだそのわざとらしい棒読みは。朝比奈さんはからかわれたとも気づかず、なんだかホッとしたような表情でパタパタと台所に入っていった。
ハルヒはオホンと咳払いをし、
「
「あい。有罪」
「……あい。有罪」
「全会一致で彼女を有罪と決しました。キッヒッヒ」
ハルヒは長門の肩を寄せ、俺の
「有罪って、別に伯爵に会いに行ってもやましいことじゃあるまい」
「十分やましいわよ。そういうわけだから、協力しなさい」
「なににだ」
「みくるちゃんを
「なんと、まさか朝比奈さんを政治利用する気か」
「そのまさかよ。伯爵に古泉くんを取られたときはもうね、これで一回戦敗退かと思って
いや、どっちかというと俺がビショップで古泉はナイトな気がするが。長門は……そうだな、長門はルークかな。最後の
「……誰がうまいこと言えと」
俺のモノローグに突っ込んでるけど、クイーンと言ってほしかったのか長門よ。
「あのお硬い伯爵がベタボレ? そんなうまいこといくかよ」
「ちっちっち、あんたは西洋史ゼロ点。有希どう思う?」
「……歴史的な観点では正しい。権力の影に女ありと
長門がビューティにデンジャラスと来たか。宮廷政治って、伯爵はただの田舎の殿様だろ。
その田舎の殿様にお仕えしている古泉が帰ってきた。もう日は暮れている。
「涼宮さんにも困ったものですね」
古泉はいつもの、あんまり困っていないというかむしろスマイルが含まれた困惑顔を浮かべた。
「まったくだ」
「僕抜きで評決してしまうとは」
ってそっちかよ。
「朝比奈さんの行動がまず謎なんだ。古泉は城で見かけなかったか」
「いえ、僕は仲間の騎士たちと連れ立って鹿狩りに出かけたもので」
なんだ、お前もまたゴージャスな生活をしてんなあ。狩りは戦場を
「つまりだな、すべての情況証拠が物語るもの、それは一つ!」
俺もなんかハルヒみたいになってきたぞ。
「ああ、
「はい? なってしまった後ってなんだ?」
「運良く伯爵との恋愛関係が成立したとして、未来に帰っても大丈夫なんですか?」
ううっ、古泉のしたたかな反撃。
「今とりあえずは帰る手段がないのでしょうがないという事情があるからいいものの、いざ帰るとなったら別れることができるんですか?未来に連れて帰ったりしたらイングランドの歴史がひっくり返りますよ」
ま、まあそういう懸念はまず朝比奈さんが持っていて
「そういえば朝比奈さんが前に、自分は誰ともお付き合いはできないんですと言ってたことがあるんだが、あれって本当だろうか。つまり未来人エージェントは本当に独身のままでいるのか」
「さあ、どんな訓練を積んでどんな任務を帯びているとしても、人を好きになるのを禁止することは無理でしょうね。ダブルオーセブンのようなスパイでさえ」
あれはむしろ女に弱いスパイというキャラクタを確立してるように見えるがな。
「機関にはそういうタブーはないのか」
「機関の
「古泉だけ禁止なのか?」
「いえ、観察対象との関係においてです」
ああ、SOS団内での恋愛は禁じられてるってことか。ってことは新川さんと森さんとかはありなのか。い、いや今のはただの
古泉は時間論的な理由から不賛成、長門は史実的にはアリだという理由で賛成、そして俺はというと朝比奈さんが男に走るという
「あなたは賛成なんですか?」
「気分的には嫌だが、俺はもうムダに気力と体力を
「あなたも少し変わりましたね。以前はなにがなんでも反対していたのに」
「悪かったな。これが修道士の生き方だ」
俺はわざとらしく目の前で十字を切ってみせた。なんだかオラ急に聖人っぽくなってきたゾ。
伯爵に朝比奈さんをけしかけるなどというハルヒの
「……ありきたりですことオホホ」
なにか中世の恋愛ドラマっぽい巻物を読んでいたらしい長門が顔を上げた。
「だって中世だろ? 騎士道的にはあんまり
「……それは表向き。騎士道にも情熱はある。むしろ
情熱って、ウシとかヤギみたいな草食性の俺にとっちゃ多少耳が痛い単語なのだが、
「ひょっとして長門はそういう恋愛が好きなのか」
本人に面と向かって恋の好みを聞くとはなんつー
── むかしむかし、ある国に伯爵夫人と騎士がいた。騎士は夫人の夫である伯爵に仕えて十数年、彼にとっての夫人は、彼の奉公が
── やがて彼は騎士見習いとなり、そして
その告白は
── 当然ながら夫人は愛には応えてくれなかった。このことが誰かに知られたらそなたは牢に閉じ込められるか追放されてしまうだろう、だから黙っていよ、と。夫人は最初から彼の気持ちを知っていたのだ。
一度だけは許されたこの告白を、彼は二度と繰り返すことはなかった。それからはただひたすら心の中だけで一人の人を想い続けた。実直に騎士としての勤めを果たす彼に目を留めたのか、たびたび縁談の話が来た。資産のある家からの引き合いもあったが彼は丁寧に断った。
── そんなある年、隣国との戦争になった。城は包囲され、多勢に無勢、味方の家来は矢を受けて死に、ある者は
「いい話だな。それからどうなったんだ?」
「……分からない」
「分からんって、まさかこのままハッピーエンディング無しで終わるのか?」
「……続きは、あなたの想像に任せる」
なんという不完全燃焼。
長門
「へー、暇だからって戦闘ごっこをやってたわけじゃないんだな」
「……そう。恋は命を
「うーむ、ハイソな人たちの恋愛にそんな決まりがあったとはな。俺にはとても務まらん」
目の前の恋人様に向かってなにを言うのだ俺は。あっさりしすぎだろ。
「……さらに、恋が実っても結婚できるわけではない」
「人妻だもんな。どうなるんだそういうカップルは」
「……人目を忍んでの密会のみ。公の場で会っても知らぬ顔をしていなければならない」
「そりゃつらいな」
「もともと、上流階級では結婚と恋愛は別のものとして考えられていた。夫婦間に恋は存在せず、また結婚したからといって恋人と決別する必要はなかった」
「まじか……それってあからさまに
「……政略的な理由によって自分が望まない相手と結婚させられるという慣習が生み出した、
なるほどねー。高貴なお方にとっては家の事情で恋の価値が高かったってことか。今どきの若いもんは簡単にくっついたり離れたりするが、命をかけろとは言わなくともそれくらい真剣になってもらいたいもんだ。って
晩飯の用意中に長門の恋愛談義を聞いているところにハルヒの乗った馬車タクシーが帰ってきた。朝からおでかけだったらしい。貴族が着るようなシルクのドレスに髪を編み上げ、どこで手に入れたのかセンスをぱたぱたと振っている。なんか髪からフケみたいなもんが出てるぞ。
「おいなんだその格好は、コスプレイベントにでも行ってきたのか」
「ひっひっひ。あ、違った。オホホホちょっと
昔から
「おかえりなさい涼宮さん、なにかの
「ただいまみくるちゃん。ちょっと買い物してきたわ。あと、イケメン騎士どもとお食事に呼ばれて城に行ってきた」
朝比奈さんの両耳がピクと動いた。
「そ、そう。領主様には会ったの?」
「会ったわよ。飯おごれつって城門叩いたらちょうど朝飯の時間だったから、お美しいミス・スズミヤ一緒にいかがかな、なーんちゃってカッコつけてローストビーフをこーんな山盛りに」
「涼宮さん、食事の時間によそ様の家にお邪魔するのは……」
行儀の悪い子を見るように困った顔をした朝比奈さんをハルヒは
「どうでもいいじゃないのそんな他人行儀。一人でモソモソ食べるより皆で楽しく食べたほうがおいしいわよ」
訪問のマナーにはうるさいイギリス人なのであるが、シキタリではだいたい十時から三時の間にと決まっている。まあハルヒにいまさら教育したってはじまらないし、朝比奈さんもあきらめ顔だ。
それからハルヒは晩飯を食っている間ずっと城の連中の話をしていた。
「今まで気がつかなかったけどさあ、こっれがなかなかのイケメン
「……分かった、検討する」
ツバメって、おいおい分かったって、俺はとうとう
「あたしもあの格好で行ったら即効で言い寄られたわ。騎士って意外と貧乏なのよね」
「給料出てんじゃないのか」
「そりゃ出てるけど、かかる経費から見たら蚊の涙みたいなもんよ。ああやって貸し出し
まるで無理して三十年ローンで家を買って車検が来る前に車を買い換えてる水飲みサラリーマンみたいだな。聞いてきた苦労話を
「伯爵ってもとは騎士見習いだったって聞いたが、そうなのか?」
「そうそう。ここだけの話なんだけどね、」ハルヒはナイショ話をするように声を低めて「なんか王様の身内だけど
「ということは古泉が土地をもらったのは、なけなしの財産を分けてもらったってことじゃないか」
「まあ、そういうことになるかもね。なかなか気が利くじゃないの」
いや、お前が土地の上がりをもらってんだからもうちょっとありがたく思えよ。
「来週ディナーに招待されてるから、行ってくるわね」
あの豪勢な衣装はそのためか。
「っていうかお前だけ? 俺たちは?」
「さあ」
「さあって、俺はいいんだが長門と朝比奈さんは連れて行くべきだろ」
ハルヒはチラと朝比奈さんを見て、
「だって招待されてないからしょうがないでしょ」
「そうかもしれんが……」
黙って聞いていた朝比奈さんの眉毛がさっきからピクピクと動いていることに、俺と長門は気がついている。伯爵に朝比奈さんをけしかけろと言っときながら自分だけ
それで数日後、城からの使いで手紙が届いた。三人宛だった。手紙を読んだ朝比奈さんが困ったときのハエ頼みで両手を
「キョンくん、長門さん、一生のお願い。お金貸して」
「そんな
俺が懐から財布を取り出すと、とてもそんな小銭レベルの話ではないらしく、
「……地球寄ってく?」
直営店を経営している太っ腹の長門ファイナンスはある時払いの金利一切なしだそうだ。っていうか長門さん、あなたはなぜそんな古いネタをご存知なのでしょうか。ララララ。
「ドレスを新調したいの。ロンドンで貴族用の衣装を扱ってる店を紹介してもらえないかしら」
「……分かった。いくらいるの」
ガッテンお任せあれみたいに長門は胸をトンと叩いた。
俺は? 俺にはお願いはないんですかという必死の問いかけには答えず朝比奈さんは財布代わりの長門を馬車に積んで買い物に出た。
帰ってきた長門と朝比奈さんの張り合いようときたらもう、目を見張らんばかりの
「おかえりなさいませ、お嬢様がた。ハルヒ以上にお似合いです」
「……そう」
「オーホホホ、めがっさ
羽の生えたセンスをぱたぱたやって鶴屋さんのモノマネをしているが、ノリきれなかったらしく急に素に戻って真っ赤になった顔を隠している。ネタが滑ったときに使うんですかそのセンス。
「みくるちゃんどこで買ったのそれゴージャス!」
「えっと、長門さんのお知り合いの店で」
ハルヒはチッと舌打ちをして、
「あたしもそれにすればよかったわ……。来月土地代を取り立てたら買おうかしら」
翌週、古泉が貴族仕様の馬車で迎えに来て全員で乗った。古泉はいつものように
城に来るのは三度目、貴族の馬車が珍しいらしいハルヒは
「来たわよー、待望の
馬車が門前で止まる前から手を振っている。石造りの高い壁をくぐって城内に入ると、四角い塔の扉の前に伯爵と執事さん、メイドさん達が並んでのお出迎えだ。客室に通されると俺たちが来ることを知らされていたらしく、若手の騎士がずらりと並んで待っている。伯爵に一人ずつ紹介されたが、ハルヒは前回来たときから知られているので主に俺と長門と朝比奈さんにだ。
「みくるちゃん、どうよこのイケメン
「素敵な方たちですね。頼もしいわ」
「お持ち帰りしてもいいわよフヒヒ……」
「そんな、みなさんに失礼ですよ」
困り果てた朝比奈さんを見るニコニコ顔の未成年騎士さんたちはまんざらでもなさそうである。
「どうなの伯爵、この子たちは嫁さん募集してないの?」
伯爵は腹の底から笑い声を出して、
「手が早いなミス・スズミヤ、残念ながら彼らはまだ家族を養えるほどの収入がないのだ」
「養子ならいいでしょ。うちは土地もあるから騎士二人くらい養えるわよ」
伯爵は若い騎士さんたちに向かって笑いかけ、
「ということだ、諸君の中にミス・アサヒナの
全員が一斉に胸に右手を当て、左手を挙げた。えらい人気だなヲイ。
「すっごいじゃないみくるちゃん、
「そんな、恥ずかしいですよ……」
持ってきたセンスで
伯爵も調子に乗ったのか、
「そういうミス・スズミヤはどうなのだ? 独身とお見受けするが」
話を振られてハルヒは
「あた、あたしは騎士程度の身分じゃ満足しないわよ」
「なるほど。では貴族か王族がお望みか」
「キヒヒ、まあそれに準ずるなにかね」
宇宙人未来人超能力者はどうなったんだよ。
ディナーの用意が整いましたと執事さんが言いに来て俺たちは大部屋に呼ばれた。騎士さんや伯爵ファミリーを含めて二十人くらいが長いテーブルの前に立っている。席順はこないだ来たときと同じ
メインディッシュは豚の丸焼きで伯爵が丁寧に切り分けたものをパンの上に乗せて食った。ハルヒは豚のソテーをパンに挟んでワシワシと食ったが、実はこの皿代わりのパンは
飯が終わると客室に戻った。女性陣は暖炉の前のベンチに座り、伯爵と数人の騎士を含む野郎どもは立ったままとりとめのない談笑を交わし食後のワインを飲んでいる。ワインはお
「修道士殿、以前に酒場でバラードを歌っておいでのところをお見かけしたのだが、一曲どうだろう」
伯爵は客室の壁を指さした。そこにはバイオリンの先祖みたいなやつとかネックのないギターみたいなやつが飾ってあった。
「バラードというほどのものでもないんですが」
などと慌てることもなく、俺は楽器の中からおもむろにリュートを取った。まあ、こういう席では一曲でいいから弾いてみろと言われるのは分かっているのでな。ペグを調整してもったいぶって
「なんだか
伯爵が感想を言うと
「キョン、あんたバッカじゃないの。なんでそんな
あ、そういやそうだった。荒れ果てた城のかつての
「ちょっとそれ貸しなさい」
ハルヒがリュートをひったくってジャカジャーンとかき鳴らした。なにか二十一世紀のポップスっぽいイントロを歌おうとして音が違うことに気がつきペグをキリキリと回している。いやだからギターとは音程が違うんだって。ハルヒは仕切りなおしにビシ指をして、
「あんたたち、
ハードロックでもかき鳴らすのかと思いきや、なにかどこかで聞いたことのある洋楽の本物のバラードっぽい曲を引き始めた。いつの間にそんな曲マスターしたんだ。
「もう夜が
思い出した。イギリスの歌手が歌っていた、素晴らしき今夜みたいなタイトルの歌だったか。って今それをここで歌うのか、八百年後にこれが伝わったら歴史がとんでもないことにならないかオイ。
ハルヒは微妙に音程のずれたリュートをポロポロと弾きながら、ディナーショーで客席を回る演歌歌手みたいに歩きまわり、そこにいる一人ずつに向かって歌った。翻訳ナノマシンのせいで俺には日本語で聞こえるのだが、ところどころ誤訳していて微妙にマヌケな歌詞だ。花瓶からバラの花を一輪抜いて唇にはさみ、伯爵の前に
「そこであたしは言ってやったわけよ~、今夜のアンタは最高ってね~」
そして野郎どもからの拍手大喝采である。伯爵は心なしか目が
「素晴らしい。ミス・スズミヤのお国の歌かな」
「知らないの? あんたんとこの歌よ」
知るわけないだろ。
皆がアンコールを叫んでねだるので、調子に乗ったジャイアン、じゃなくてハルヒのリサイタルが最後まで続いた。歌に酔いしれる伯爵を見てハルヒがフフンという感じに朝比奈さんを見ると、朝比奈さんの
まだ暗くならないうちにと俺たちはお
家のメイドさんたちにおみやげを渡して、俺は二階に上がろうと階段に足をかけた。あんまり
「涼宮さん、ちょっと話があるの。そこに座って」
「さっきから座ってるじゃないの」
「今日のあれはいったいどういうつもりなのかしら!?」
朝比奈さんの声が
「さあ、なんのことかしらね」
声の様子から朝比奈さんが腰に手を当てて
「しらばっくれないでちょうだい。ずっと様子がおかしいと思ってたけど、あれはわたしへの当てつけでしょう。子供でも分かります」
「フフーン。さーてね、あたしは皆が仲良くなれるようにやってるだけよ。みくるちゃんの思い過ごしじゃないの」
「思い過ごしですって!?あんなのは
部屋の中でガチャンとなにかが割れる音がして、マナーもへったくれもなく聞き耳を立てている三人が顔を見合わせた。やばい、やばいぞ。二人が面と向かって
「じゃあ聞くけどみくるちゃん、なにがどう当てつけだっての。説明してみせなさいよ」
ハルヒの声に緊張が走っている。ドアの向こうだから見えないがそれくらいは俺にも分かる。
「どうしてこっそり会いに行ったりしたの!?」
どっちかというとこっそり会いに行ったのは朝比奈さんのほうな気がするのだが。
「こっそりなんてしてないわ。堂々と公道を通って行ったわよ、
「そういうことじゃなくて……」
話が噛み合わなくて朝比奈さんが眉間を
「こないだまで
「へえ、騎士に
弁護士でもないやつに法律を言われるとすごくイライラするんですが。ああ、マグナカルタってのはイギリスの王様と貴族で決めたルールみたいなもんだ。
「騎士さんじゃないでしょ、涼宮さんが
「あたしは
「ロードシップの前でわざとつまずいたでしょ。
「わざとじゃありませーん、スカートの
「じゃあ涼宮さんがロードシップと話をするとき、いちいちわたしの反応を見るのはどうしてなの」
「そりゃあ話をするときはみんなの顔を見るわよ」
「違うでしょ! わざと
「ふーん。それってもしかして
「ちっ、違いますよ!」
いえ、どうみても
「ひょっとしてあんた……、伯爵が好きなの?」
「え……」
「はっきり言いなさいよ、どうなの」
ハルヒがつま先で床をトントンと叩く音が聞こえる。
「そ、そうよ。わたしが誰かを好きになったらいけないのかしら?」
言ってしまった。その言葉をとうとう言ってしまわれた。
「エッそうだったの?」そこでハルヒが息を飲む。
「涼宮さんがダメだと言うのなら、長い付き合いもこれっきりです。わたしはここを出ていきます」
朝比奈さんがハルヒより男を取るとはっきり言ってしまったぞ。荒れるぞ、今夜は荒れるぞ、神人一体くらいじゃ済まないかもしれんぞ古泉。
「そうだったの……」
ハルヒが顔を
「涼宮さん……」
「いいわ……伯爵はあんたに譲る。あたしは
「待って、わたしはそんなつもりじゃ、」
「伯爵にはあたしは似合わないわ。みくるちゃんみたいにお
「そんなこと……」
喜んでいいのか否定するべきなのか迷っているらしい朝比奈さんは口ごもった。
「でもねえ、途中で
微妙にどっかで聞いたセリフだぞ。
「え、ええ。涼宮さんはそれでいいのかしら」
「いいのよ。あたしはいつだって『部下の』シヤワセを祈ってるから」
「涼宮さん、そこまでわたしのこと……ありがとう」
「あたしの分もシヤワセになるのよ、みくるちゃん」
部下の、というところを太字になりそうなほど強調し恩を売っているのが見え見えのハルヒだが、長門に聞いたところ二人はヒシと抱き合っているらしい。聞き耳を立てている三人のニヤニヤが止まらない。
「コラァそこで立ち聞きしてる三人!」
いきなり部屋のドアが開いてハルヒが出てきた。
「い、いやぁ奇遇だな。そろそろおやすみのあいさつをしようかと思ってたんだ俺達」
「レディの会話を立ち聞きするなんて最低よ」
ニヤニヤして親指を立てているところを見るとあんまり怒ってもいないようだ。
翌朝、朝比奈さんが台所に入ったのを見計らって俺は、
「おいハルヒ、伯爵を口説くんだったら直接朝比奈さんに頼めばいいだろ」
「チッチッチ、昔の人はいいこと言ったわ。敵を
味方だけ
「そんなことしても朝比奈さんが燃え上がるだけだろうに」
「まーあ見てなさいって。伯爵みたいなお硬いタイプはね、言い寄られると断れずに自ら炎上してしまうものなのよ」
「だいたい
「問題ないでしょ。これはただのきっかけよ。そうよね、有希」
「……そう。
なんだか珍しく格言めいたことを言う。長門はキラキラ目でなんだか期待しているものがあるようだが、古泉はただ肩をすくめてみせるだけである。
「さーてはじまるざますよ、みくるちゃん」
「涼宮さん、なんでガンス?」
「決まってんじゃない、朝比奈みくるのぉ~ラブラブぅ大・作・戦」
なんじゃその昭和のバラエティ番組みたいなタイトルは。っていうかもう元ネタすら分からんだろ。
時は十二世紀も
「なによその三流タブロイド誌みたいなナレーションは」
俺のほうが突っ込んでんだよ。
ハルヒはテーブルの上に座ってあぐらをかき、
「そうねぇ、まずはラブレターからよね」
「お前にしちゃやけに地味だな」
「なに言ってんの。あたしだってこの時代の恋のセオリーってものくらいは分かってるわよ」
セオリーって、お手製のチョコレートを胸に城門前で出待ちするとか、ハーレクインも真っ青なトロトロにとろけそうな熱いラテン語の告白を羊皮紙にしたためて気持ちを伝えるとか、あるいはもっと大胆にだなぁ、朝比奈さんのギリシャ風悩殺コスプレでメロメロにするとか、ってイテテ長門、今のはただの妄想だ。
「あんたもバッカね、最初からそんな
なにか欲求不満めいたものを浮かべている長門がウンウンとうなずいている。俺は釣り糸の先にエサっぽい朝比奈さんがぶら下がっているというどこかで見たようなシーンをなんとなく妄想した。
ハルヒは
「さあさあみくるちゃん、あたしのいうとおりに書きなさい。ペン先からほとばしる黒い液体があたしの
心臓を
「わ、分かりました。よろしくお願いしまぁす」
昨日の
「オホン、あー、拝啓、ロード・ジャン・ド・スマイト伯爵閣下様」
敬称が三重になってるぞヲイ。
「あのー先生、」朝比奈さんが手を挙げる。
「なにみくるちゃん」
「日本語で分かるのかしら」
「え……」
『拝啓』と濃い文字が浮かんでいる。
「チッガーウみくるちゃん、貴族宛の手紙はフランス語に決まってんでしょ」
「で、でもわたしボンジュールムッシューマダムくらいしか」
「しょーがないわね。っていうかあたしもケシクセーしか知らんわ」
ハルヒはフランス語ができそうなやつはいないかと、残り二人しかいない部屋の中を見回し、俺をスルーして長門に声をかけた。
「有希は中世フランス語できたっけ?」
「……すこしなら」
少しっていうかネイティブスピーカーを
結局ハルヒが文面を考え、長門が代筆することになり、朝比奈さんは文面に切々としたためられた熱い思いと下心に顔を真赤にしながら心打ち震えただけだった。
── ミクル・オブ・アサヒナから、親愛なるロード・ジャン・ド・スマイト様。愛とごあいさつをお送りします。ハルもたけなわのみぎり、皆様いかがお過ごしでしょうか。
先日は素敵な夕食にお招きいただきありがとうございました。北国で捕れたというまろやかな味わいの黄金芋の酒、香ばしく上手に焼けたこんがり肉Gなどはとても美味しゅうございました。殺風景で貧相なド田舎の晩飯には正直飽き飽きしていたところで、とても楽しいひとときを過ごすことができました。そろそろ気温も……、殺風景でいいのよ正直に書くの!
そろそろ気温も上がるこの頃では、わたしどもの畑で冬小麦の植え付けをしているところです。一仕事終えてからの
今、わたしは自分の部屋でロウソクだけを
村へお越しの際はぜひ我が家へお立ち寄りくださいね。心を込めたサービスをさせていただきます。待ってます。ラブアンドピース。あなたの、ミクル。
長門がフツフツと
「おかえり古泉くん。城でなにか変わったことはなかった?」
「変わったことですか……、
「それだけ?」
「ええ。それだけですけど、なにかご予定でもありましたか」
「うーん。なんかこう満月に向かって雄叫びを上げるような、パジャマのまま夜の街を
お前は伯爵をゾンビに準ずるなにかにしたいのか。
それから数日して、伯爵から直接使いが来て朝比奈さん宛の手紙が届いた。古泉に託さなかったところをみると、もしかしたらなにか読まれると困ることが書いてあるのかもしれないなどと妙に期待をふくらませている四人である。ハルヒが朝比奈さんの手からひったくって封を折った。
「それでは読み上げ……って読めないわ。有希おねがい」
「……おまかせを」
── グロースター伯ジャン・ド・スマイトより、ミス・ミクル・オブ・アサヒナへ。ごあいさつ申し上げる。先日はお手紙をありがとう。ミス・ミクルの丁寧なフランス語を読むにつけ、あなたはきっと高貴な家のお生まれに違いないと確信した。そしてあなたの
城の皆は
さてこのたび、残念ながら城を留守にすることになった。あなたがこの手紙を読まれる頃には、私は国元を離れフランスで領土の警備についているだろう。帰ったらまたご連絡差し上げたいと思っている。敬意を込めて、ジャン
追伸、騎士たちが皆様に、とくにミス・アサヒナに会いたがっている。いつか都合のよろしい折にでも城にお立ち寄りいただければみな喜ぶと思う。
ハルヒは読めもしない古い仏語の手紙をくまなく調べ、
「ふーむふむ。貴族らしいなかなか
人の名前をダジャレにするな。
「古泉、領土の警備ってお前は行かなかったのか」
「僕は今回は留守番ですね。自分の城の警備も必要ですから」
まあ古泉はペーペーの新米だからな。
ハルヒは薄いベージュの紙をペンペンと叩いて、
「それにしてもこの返事、いまいち手応えがないのよねえ。あんだけ手紙でたらし込ん……乙女の恋を表現したのに」
今たらし込んだって言ったか、たらし込んだって言っただろ。
「
「何いってんの、それは少年兵の話でしょ」
いや、少年兵って国際的に問題になってるやつだから。まあ十四歳なら年齢的には近いか。
「伯爵が若い騎士たちをネタにして自分の気持を込めてるとか、なくはなさそうだが」
「あんた深読みしすぎよ。この文章だとまるで女に興味が無さそうじゃん」
「んー、長門はその辺どうだ?」
中世のロマンスに
「……この時代の手紙のやり取りでは
「……ただし、それが通じるのは感性が分かる者同士に限る」
「そうか。伯爵って乙女心に鈍そうだしなあ」
お前が言うか、みたいな八つの目が一斉に俺を見た。
「古泉くん、遠征っていつごろ帰ってくるの?」
「一回の遠征はだいたい四十日間ですが、状況次第では延長されることもあります」
「それって誰が決めてんの?」
「イングランド王です」
「そうなの。でも四十日かぁ。みくるちゃんへの熱き思いが熟成するのには、まあちょうどいい時間かもね」
「そ、そうなのかしら」
さっきから会話の中に乙女の恋とか
「キシシ、みくるちゃんいっそのことフランスまで押しかけてみる? 愛する人への想いを伝えに
また突拍子もないことを言い始めたぞ。朝比奈さんに重騎兵コスプレをさせるのはやぶさかではないが、お前こないだ
「いえ涼宮さん、それはお勧めしません。国境付近は治安が安定していませんし、ロードシップも望まれないと思います」
「分かってるわよ。けど、いざとなったら強行突破で愛を伝えに行くわよ。あたしたちは国境なきSOS団だからね」
「す、涼宮さん……」
SOS団はいつからNGOになったんだ、お前は国境なきって言いたいだけちゃうかと突っ込みたい空気はあれど、それより有無を言わさぬハルヒになにかを訴えようとして口をパクパクしている朝比奈さんが言いたいのは、たぶん、いったい誰の恋愛なのだということに違いない。
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