第三部 朝比奈みくるの策謀

十五章

 雨が線となって降り続いている。会場は静まり返り、立会人は全員立ち上がったまま固まっている。裁判長、四人の騎士、そして俺を含む介添人かいぞえにん全員がリング内に立っているが誰もひと言も発しない。

「神様……いったい何が起こったというので……」

沈黙を破ったのは裁判長だった。吐く息を白くしながらオロオロと顔の前で十字を切っている。顔面蒼白になった護衛の一人が、

「これは神罰です!」

滅多めったなことを言いなさるな騎士殿。そちは神聖なる啓示けいじを受けたのか」

「いえ判事様……しかし伯爵がブーツからナイフを抜いたのを見ました」

長い衣をまとった裁判長のカツラが濡れる。俺たちの服もたいがいにびしょ濡れになっている。

 リングにあった闘士の姿は二人とも消えていた。リングの端、南側の柵が黒焦げになっており、その手前に綿のような白い粉が二つ固まっている。それぞれ粉の山から煙が立ち上っていた。その脇には装飾の入った短剣と細身の刀が転がっている。この粉はいったい何なのか、いったい何が起こったのか、ハルヒが刀をふり上げた次の瞬間なにが起こったのか、誰にも分からなかった。

「ナイフは……確かにわしも見た。そこに転がっておる短剣じゃな」

「しかし原告もなにか武器のようなものを持っていたではないですか」

被告が抗議した。裁判長はうなずいた。

「その細長いやつじゃな」

裁判長が指さした刀の脇にさやになったバトンが落ちている。

 古泉が口をはさんだ。

「裁判長閣下、僕は被告側の闘士がナイフを抜く前に、降参を叫んだのを聞きました」

その点はいかがですか、と護衛の騎士四人に振った。四人のうち三人が伯爵の声を聞いたと証言し、四人とも伯爵が手を挙げる仕草を見たと言っている。

「三人が降伏の声を聞いたということなら、被告の敗訴になるが。そっちはどうじゃな」

「しかし裁判長、」と被告が困惑した様子で「本人がいないのであれば勝ちも負けもないのでは」

「それが問題じゃ。二人ともどうなってしまったのか……」

さて、これをどう収集をつけるかだが。

 長門が俺の袖をツンツンと引いて耳打ちした。

「……二人の構成情報を再構築する。残滓ざんしを引き取って」

残滓ざんし? そんなもんどこに……ってこれ? もしかしてこの粉っぽいなにかですか」

長門はうなずいた。プッ、涼宮ハルヒの骨粉こっぷんになっちまったぞ。いや、笑っちゃいかんよな。長門いわく、刀をふり上げた瞬間に落雷し、刀からハルヒを伝って短剣に直撃、数億ボルトの電圧に数十万アンペアの電流が流れた、ということである。そしてハルヒは真っ白な灰になった。などと昭和アニメを洒落込しゃれこんでる場合じゃない。ほんとに神罰じゃねえか、あなおそろしや、あなゆゆしきや。

 俺は古泉に耳打ちした。

「おい、ちょっと事後処理するから関係者を連れ出して協議しといてくれ」

「分かりました」

「絶対に引くなよ」

「もちろんです」

引くなよとは、これから行われる裁判の判決をという意味である。とはいっても本人たちがいないんじゃ、別の意味で紛糾ふんきゅうすることは間違いなさそうだが。古泉が全員に聞こえるように、

「裁判長、今回の件について被告側と協議の上、議事録に残したいのですが」

「なら立会席に戻ろう。ここでは濡れていかん」

観客席には口々に神の救いを唱える者、両手を組んで懺悔ざんげを始める者、固まったまま動かない者などなどがいたが、不用意に動いてはならないという国王罰令ばつれいだけは愚直ぐちょくに守っているようだ。

 古泉が裁判長以下、被告側の介添人かいぞえにんと連れ立って立会席の天幕に入り、俺は後ろ目にそっちを気にしながら、

「長門、ほかになにか必要な物は?」

「あの長門さん、わたしも手伝います」

「……そう。タライと水が必要」

「タライの大きさは?」

「二メートル程度」

二メートルのおけか。俺はどこかでおけを調達に、朝比奈さんは水をんでくることにした。

 えーとおけね。俺は荷馬車でロンドンの町中に入り、雑貨屋とか金物屋などを覗いてみたがそれらしきものは売っておらず、というかさっさと戻らないと裁判の協議が終わっちまう。

 俺は近所のお屋敷のドアを叩いて、おばちゃんが出てきたので、子供が生まれそうなので可及かきゅう的取り急ぎの事態につきおけを売ってもらえないかと頼んでみた。できれば二メートルくらいの。ええ、子供が二メートルくらいありそうなんで。お金はハーフシリングあります。ありがとうございます、神のお恵みを。

 亀の甲羅こうらのようにおけを、というかこの時代の風呂桶らしいが、荷台に乗せてまた会場に戻った。


 リングに長門と朝比奈さんの姿はなく、テントを覗いてみるとそこで待っていた。

「おう、手に入れてきたぜ」

見ると、地面にペンタグラムのようなものを描いている。最近よく出てくるなそれ。

「……残滓ざんしおけに入れてきて」

俺はおけをリングに持ち込んで両手で粉をすくってみたが、ほんとに遺灰いはいなのかこれ。遺骨なら髪の毛を燃やしたような匂いがするものだが、そういうのはない。気味悪いな……、一度お祈りでも唱えたほうがよかったか。このままドーバー海峡にでもいてやったほうが人類のためになる気がするが。あ、しまったいらんことを考えてたら二人分混ぜちまった。

 雨の中の観客は、お前らはいったい何をやってるんだとブーイングしている。そりゃまあ大金がかかってるわけだし、勝敗が決まらないと配当がもらえない。いったいなにが起こったのか当局が何も教えてくれないので国王罰令ばつれいもへったくれもないらしい。立会席では古泉と被告側の騎士がああだこうだと議論し、裁判長がまあまあと仲裁している。そのまわりではやし立てている暇な立会人たちである。

 衆人環視しゅうじんかんしの中でおけを引きずってテントに戻り、

「長門、二人分の灰を混ぜちまったが大丈夫か」

「……それは大問題」

ガーン。

「もしかして俺のせいで蘇生そせい不可能な事態に?」

長門はいつもはあまり見せない渋い顔をして、

「……構成分子すべてに符号化が必要。すこし、時間がかかる」

なんだか分からんが、たぶん分子を一個ずつハルヒ用と伯爵用にり分ける、ということらしい。適当でいいじゃんその辺は。

 ペンタグラムの上におけを置き、朝比奈さんがんできた水を注いだ。

「……タンパク質の基礎部位が必要」

「それって何だ?」

「……あなたの体組織サンプルを分けて」

「おいおいちょっと待て」

それじゃ俺の体がハルヒの体の一部になっちまうのか。いくらなんでもそれは御免被ごめんこうむりたいのだが。心理的というか生理的に受け入れられん。

「……それなら全員で」

ぜ、全員って、四分の一が俺か。長門は試験管を差し出し、鶴屋さん並みの八重歯をキラリと見せて俺に血をよこせと迫ってきた。い、いやん。針でプツと指先を指しポタポタと落ちる血を試験管に垂らした。イテテ……赤い血だ……俺死ぬ。

 苦笑する朝比奈さんの指先から数滴の血液を採取し、長門がテントを出て戻ってきたところを見ると手にはあふれんばかりの血液が込められた試験管が握られており、ってオイ古泉お前提供しすぎだろ。

 試験管ごとポシャンとおけに放り込み、水の中に赤黒い筋がにじんで広がった。長門はテントの一部だったらしい分厚い帆布ほぬのおけに被せてまわりをひもで閉じた。長門はおけの前にひざを付き、帆布ほぬのの上に両手を当てて、神妙な顔をして目を閉じ呪文を唱え始めた。

「……オンキリキリ、バサラウンハッタ……ソワカ……アビラウンケン……ソワカ……」

それから五分ほどブツブツとどこかで聞いたことあるような呪文が続いた。護符ごふを貼ったほうが効果あったんじゃないだろうか。最後に、チーン。

「……召し上がれ」

いや食うわけにはいかんだろ。

 三人で並んでじっと待っていると、シュワシュワと泡立つような、なにかが醸造されているような音がし始めた。きっとおけの中では想像を絶するようなグロいアニメーションが展開されているのだろうなあ。砂糖入れてみようかなどと冗談めかしてみたら、糖尿になるのでやめたほうがいいとマジレスで返された。

 おけの中でバタバタとなにかがもがく音が聞こえ、俺たちはほっと一安心した。

蘇生そせいが成功したみたいね」

「いやー、俺としてはこのまま海にいて荼毘だびに付してもよかったんですがね」

「あら、それなら山のてっぺんに埋めるというのはどうかしら?」

「……埋葬するなら、桜の木の根元に」

三人であはははーと乾いた笑い声を上げた。バッタバッタと帆布ほぬの凹凸でこぼこしている。

「おい笑ってる場合じゃない、中でおぼれてるぞやばいぞ溺死だぞ!」

「ええっ!?」

朝比奈さんが慌ててひもいて帆布ほぬのを取った。そこに見えた、いや見ていない。誓って何も見ていないです。長門が瞬速で俺の目を両手でおおってテントの外に連れだした。後ろからハルヒの黄色い悲鳴が聞こえてきた。やれやれ。


 テントの前で雨に降られながら待っていると自分がなんだかスケベオヤジみたいな気がしたので、俺は立会席で行われているとおぼしき決闘後の協議を見にいくことにした。

「どうやら裁判の無効という流れになりそうです」

「なんでだよ。原告は降伏したじゃないか」

「そうなのですが、それ以前に涼宮さんの刀が多数決で武器認定されまして、ポイント欠点しました」

「それでフィフティフィフティじゃ割に合わんだろ」

「向こうが先に短剣を抜いたということで、裁判費用と罰金は向こうが持ちます。それが取引ラインでした」

「土地と家は?」

「旦那様の土地を含めて、没収となったすべての土地が返却されます。ただし今年の収穫の利益分は引き渡されません」

収穫分から裁判費用を差し引けばプラマイゼロか。これじゃどっちが勝ったのか分からんな。

「いや待て。伯爵は今長門が蘇生中そせいちゅうだ。伯爵の命はこっちで預かってるぞ」

「それは……フェアではないような気がします」

同じことを考えていたらしい古泉の、笑い混じりの困った顔だった。まあ、俺も修道士らしからぬことを言ってしまったがな。ハルヒはたぶん納得するまい。またなにか、しでかさなきゃいいのだが。


 テントに戻る途中で、これは悪いニュースと良いニュースどっちから聞きたいかの典型だな、などと考えていると、朝比奈さんの怒鳴り声が聞こえた。あの、朝比奈さんの怒鳴り声って……見る者すべてをマゾにおとしめるアレですか。

「マイロード、あなたは神に対して正義を宣誓されたお方です。なぜあのようなことをなさったのですか」

「マイレディ、面目ありません。魔が差したとしか」

「わたしの国にこのような言葉があります。羞悪しゅうおの心は義のたんなり。恥ずべき行いを憎むことは正義の根源である、というものです」

おっしゃるとおりです」

「恐怖心に負けたというのなら、騎士見習いからやり直すとよろしいのです」

「はあ、まったくおっしゃるとおり。弁解のしようもありませぬ」

「あなたが正義をいつわったりしたら、家臣にどのようにして弱きを助け強きをくじけとさとせるのでしょう」

「その通りです。今回の失態については深く懺悔ざんげし、主のゆるしをう所存であります」

「まったくです。恥を知りなさい!」

これが後世に伝えられている、〈朝比奈みくるの恥を知りなさい事件・そのいち〉である。


 懺悔ざんげと聞いて俺はテントの入口を開けて中に入った。そこには素っ裸で股間をおさえた伯爵様が正座させられていて、寒さにカタカタ震えている。そりゃ謝りたくもなるわな。こっちが赤面してしまったわ。

「あどうも、はじめましてマイロード」

「修道士殿か。この度はその……正直、すまんかった」

佐々木健介のモノマネにしちゃひげがない気がしますが、あの、それはいいんですけど、なんでハルヒのカチューシャしてるんですか。ハルヒのほうは、と見ると帆布ほぬのをグルグルと体に巻きつけてガタガタと震え、こっちのほうが鼻髭はなひげを生やしている。なんか微妙なところで分子構造が入れ替わってるらしいのだが、長門さん。

 長門がハルヒの鼻髭はなひげをベリっとぎ取り、伯爵のカチューシャと交換すると、

「こらキョン入ってくんな、あたし着替えられないじゃないの。伯爵、あんたも出てけ!」

ハルヒもドライというか。プライドもなにもなくしたスッポンポンの伯爵様があまりにも哀れで、俺は自分の修道服の上着を貸してやった。いえ、ズボンはだめです。


 伯爵がテントに戻ると大仰おおぎょうな驚きの声が聞こえ、神をたたえるイッツミラクル! の叫び声がした。家臣一同がオイオイと泣いている。長門さんに感謝するがよかろう。

「こらキョン、古泉くんもちょっと来なさい」

「へーい」

いやまあ、呼ばれることもその理由も分かってるけどな。

「説明しなさい」

「と申しますと?」

すっとぼける古泉である。

「もう少しで決着がつくとこだったのに、いったい何があったのかをよ。なんであたしが素っ裸で風呂に入ってたのかをよ」

いやまあ、人が風呂に入るときはたいてい、イテテ耳引っぱんなよ。

「あれはその……なんと申しますか、被告がナイフを隠し持っていたために神罰が下おりまして、」

「古泉くん、あんたいつからクリスチャンになったの!?」

ごまかしきれないでほかに適当なこじつけがないものかと困った顔をする古泉である。

「古泉、もういい。隠し立てしないでそのまま話してやれ」

「よろしいんですか? つまりですね、涼宮さんが武器をふり上げた瞬間に運悪く落雷したのですよ」

「それだけ?」

「ええ。あたり一面が白く光って一瞬なにが起こったのか分かりませんでしたが、二人とも数万アンペアの電撃でんげきで燃えてしまいました」

「ってことはあたしは一度死んだわけ?」

「そういうことになります。遺灰いはいをかき集めて長門さんの超錬金術で復活しました」

古泉がこうも馬鹿正直にすべてのネタをあっさり明かしちまったからか、あるいは図らずも臨死体験の往復切符を行使して戻ってきてしまったからか、ハルヒは信じられないといった顔で呆然としている。ベンチに座り込んでがっくりと肩を落とし、人生のなにもかもが終わったような疲れた目をして、

「おっつぁん……あたしは灰になっちまったよ……真っ白な灰に」

はいそのネタは俺が先にやった。


 雨の中動員された観客も、たぶんこのまま放置しておくと暴徒になりかねんので俺はハルヒをリングに連れて行った。すると裁判長がイッツミラクル! を叫び、正装に戻った伯爵がこれまたリングに顔を出すとダブルミラクル! 裁判長がただいまの決闘、ドロー、を宣言すると観客は感極まったのか、なんだか分からん主をたたえる歌を歌い出した。しょうがないので俺も賛美歌の斉唱せいしょうに付き合った。ハルヒはそっぽを向いたままさっさと終われという感じに爪先つまさきをパタパタと踏み鳴らしている。

 判決を聞いてごねにごねるハルヒを、散々苦労して説得する俺だった。古泉が冷や汗を垂らしているが、こりゃー今夜あたりまた青い奴が出るな。

「なんであたしが負けてんのよ!」

「いや、だから負けてないって。土地と家は戻ってくる」

「じゃあ農奴のうどはどうなんのよ」

「雇い主のところに戻ることになるだろうな」

「あいつらのために戦ってきたのに、これじゃ裁判所がもうかっただけじゃないの」

ハルヒは眉間に手をやった。最近俺の仕草に似てきたぞお前。あそうだ、俺のけはどうなったんだ。配当もらっとかないと。

「失礼、先ほどのレディはいらっしゃるか」

テントの外で声がした。

「はい、あら、伯爵様?」

「この度のことをおびしたい。ご都合のよろしいときに城に来ていただけますまいか」

「こらぁ伯爵! なにナンパしてンググ空気読めンググ」

「ええ。是非とも。全員で伺ってよろしいでしょうか」

「みくるちゃンググ! ングググ!」

イケメンを見ると見境なくなる朝比奈さんもドライですね。


 森に戻ると皆が雨の中でじっと待っていた。ハルヒの顔色をうかがっている。試合中は凸凹でこぼこに腫れ上がっていたハルヒの顔は長門リザレクション、いや長門コスメチックのおかげでまともに戻っていたが、イライラと眉毛を動かしている様子を見て住民は黙っていた。

「みんな……喜びなさい! 家に帰れるわよ!」

なんだ、その気難しい顔はフェイクかよ。皆がおっしゃあと歓声を上げた。まあ控えめに言ってもハルヒが来る前の状態に元に戻ったんだ。喜ぶべきだろう。

 ハルヒはポケットからスマホを取り出して森の様子を撮っていた。短いジプシー生活だったが、いい思い出になるだろう。

「っておい! なんでスマホなんか持ってんだお前」

「なんでって、これあたしんじゃないの。なんか文句あるわけ?」

い、いや、中世になんでそれが存在するのかというそこはかとない疑問なわけだが。

「バッテリー節約して使ってるに決まってんじゃない」

お前のスマホってそんなにバッテリー持つんか? たしか半年くらい前に落ちてきたって言ってなかったか。俺のやつはええっと……あそうだ、農民に偽装した強盗に襲われて持っていかれたままだ。

「ちまちま電源切ってるからに決まってんでしょ。カメラ以外のアプリ全部削除、無線系カット、省電力モード必須。あんたも頭使いなさいよね。あーもう、あんたのせいでムダに消耗しょうもうしたじゃないの」

なるほど、そんなに持つのかバッテリー。日本の電池技術は中世でも最高だな。いや突っ込みどころが違うぞ俺、その情報を未来に持って帰ってもいいのだろうか。


 ハルヒはしばらくのあいだ暮らしていた森を見回し、アウトロー生活ともおさらばか、みたいな顔でため息をついた。みんなが荷物をまとめる様子を見て朝比奈さんも微笑ほほえんでいる。

「よかったわね、涼宮さん」

「うん……」

ハルヒは森の奥が気になるようで自然とそっちに足が向いた。俺たちも後に続いた。薄暗くなった林の中にある小さな盛土。

「ごめんねグランパ」

ハルヒはぐすぐすと鼻をすすった。

「こんなんじゃ寂しいから墓石でも立ててやろう」

俺が後ろから声をかけてもハルヒは返事をせず、顔を見せないようにグスグスとしゃくりあげ、どうやら鼻が詰まっているらしく口でハァハァ息をしている。朝比奈さんと古泉が俺を見た。な、なんだよ。俺はなにもせんぞ。こういうときは古泉だろう。俺と長門と朝比奈さんの視線が古泉に向いた。え、僕がやるんですか? あったりまえだろ。しかし僕では役が勝ちすぎて……はうあ! はぐ!

 俺と朝比奈さんが古泉の背中をドンと押すと、古泉はハルヒの肩に手をかけ、オドオドしながら軽く抱きしめた。うんうん、これもまた絵になる、と三人はうなずいた。ハルヒ、古泉で鼻をかむな。


 林につないでいた馬は農奴のうどに戻ったジプシーたちがそれぞれ引き取ってゆき、俺はロバに荷馬車を繋いで竪穴式住居の中にある家財道具を積み上げ、なるべく濡れないようにひのきの枝を被せた。ハルヒはもっと未練がましく居残るかと思ったのだが、軽く敬礼してさっさと軍馬を駆って先に行ってしまった。俺は長門と朝比奈さんを乗せ、馬に乗った古泉の後をついてロバに引かせた。


 ハルヒの家、というか居候させてもらっていたという爺さんの家は思ったよりも大きかった。俺と長門が訪れるのは今回が初めてだ。家の扉や窓をふさいでいた板を斧で叩き割り中に入った。床や家具にホコリが積もっていて、歩くと床に足跡が残った。古泉が暖炉に火を付けている。いるべき人物が一人だけ不在だからか、三人とも口数は少なかった。二階に上がってみると寝室はあの晩に抜け出したときのままになっている、らしい。

 朝比奈さんが早速メイド服に着替えて台所に入り、遅い晩飯の支度をしてくれている。そういや三時の飯食ってなかったな。ところが台所はひどいありさまで、野菜のほとんどが影も形もないくらいに腐って干からびているし、ジャガイモは芽が出て伸びきったところで枯れ、タマネギは茶皮だけ残して中で液体と化しひどい臭いを出している。カビの生えた小麦を裏の畑に捨て、納屋の貯蔵庫から新しい小麦を出してきた。それをいて粉にして無酵母むこうぼパンを焼き、野生化した夏野菜を畑から採ってきて、干し肉でスープを作ってくれた。

 ハルヒはとても飯を食う気分ではないらしく、一人だけ部屋に引きこもってベットにもぐり込んだ。四人はまあ好きにさせとこうと、誰が言うともなく、誰も呼びに行かずに四人だけでの遅い晩餐ばんさんを喰った。


 翌朝ハルヒはマナーハウスに出かけ、去年の夏に土地を没収されて以来の農作業の負担金について交渉に行った。畑の所有者全員に作業の分担金といた種の代金を払って来年の収穫は入手できることになった。まあこの辺は皆が事情を知っていたし同情もしてくれていたのでな。それからもともと雇っていた使用人、メイドさん二人と小学五年生のメイド見習いを呼び戻し、農場経営を少しずつ復旧させた。残念ながら、ハルヒが土地を貸していた農奴のうど農奴のうどのままだった。ハルヒは、一度は神人を使って伐採ばっさいした森をうらめしそうにながめていた。


 ある日領主から使いの人がやってきて手紙を置いていった。ハルヒは開こうともせず、テーブルにひじをついてプイと横を向き、古泉のほうに押しやった。

「見たくないし触りたくもない」

「でも、涼宮さん宛ての私信ですよ」

「いいから読んで」

古泉はうやうやしく封を折って広げ、

「先日の一件についておびしたい、ついては城に招待したい、と書いてあります」

「行くわけないでしょ」

「おいハルヒ、子供じゃないんだからそういうことは本人に面と向かって言えよ」

子供じゃないんだからというセリフにカチンと来たらしく、

「あんたが行けばいいじゃないの! っていうか行きたい人は勝手に行きなさい。あたしは死んでも行かないからね」

噛み付いてきやがった。そのままダダダッと足を踏み鳴らして家から出ていった。


 俺は古泉から羊皮紙の切れっぱしを受け取ったが、古フランス語は分からず長門に読んでもらった。


── グロースター伯よりミス・ハルヒ・オブ・スズミヤへ、先日の決闘の件について、おび申し上げる。和解の印に皆様を城に招待したい。ついては来週の頭に迎えをお送りしたく、都合が悪ければ折り返しお手紙を頂戴ちょうだいしたく願いたてまつる。敬意を込めて。ジャン・ド・スマイト


『その人はジョンスミスなのよ』


あのときの声が今でも耳に残っている。ハルヒのトドメの一撃を阻止そしした朝比奈さんの叫び声は確かにそう言っていた。誰かの横槍だったのか、これまた都合よく落雷してハルヒの耳には届かなかったようだが。

「この手紙によると伯爵はロード・ジャン・ド・スマイトが正式名らしいんですが、朝比奈さんはこれ知ってたんですか」

伯爵はノルマン人の家系なのでこういう名前になるらしい。

「ええ」

朝比奈さんは浮かない顔をしていた。俺が長門に目だけで尋ねると軽くうなずいていた。まあ長門は知ってて当然かもしれんが。

「朝比奈さん、こういう重要な情報は早めに教えておいていただいたほうが」

とくにハルヒがらみでは、と言おうとする俺をさえぎって、

「ええ分かっています。それが禁則事項だったの」

「禁則事項って、ここは中世のイギリスですよ」

「あの、キョンくん、今だから言うけど、伯爵様Lordshipはあの決闘が原因で亡くなるはずだったのよ」

朝比奈さんの顔つきが厳しい。そういえばハルヒも妙なことをつぶやいていた。あんたさえいなければ、と。

 古泉が三人の顔を見比べながら割って入る。

「あの、お二人さん。いったい何の話をしているんですか?」

「あー、えーっとだな。これはお前は知らないほうがいいことだ」

「それは殺生せっしょうというものです。僕にも情報を共有してくださいよ」

しょうがない。まあ古泉もこの流れに巻き込まれているわけだし、教えないとゴネそうだしな。

「今回俺たちがこの時代にタイムスリップしてきた理由がだな、単なる事故じゃなさそうだってことだ。もしかしたらハルヒが起こしたのかもしれんというか。いや、その可能性が高くなった」

「どのような理由で涼宮さんが?」

「えーと、これにはいろいろと複雑な事情があって、ハルヒは伯爵を追いかけてこの時代に来たらしい」

「なるほど。それで中世の貴族と涼宮さんがどういう関わりがあるんですか?」

「まあ、ただの人違いだ」

「人、違い、ですか。ふーむ」

それのどこらへんが複雑な事情なのだと言いたげな古泉は、首をかしげ九十度ひねりそうなところまで考え込んでいた。名前が同じことは分かるが、八百年もさかのぼって追いかけてくるとは人違いどころかもはやストーカーである。

「……今回の涼宮ハルヒの行動は、ジャン・ド・スマイトきょうの歴史と一致する」

「ということは既定の歴史をなぞってるってことか。それにしちゃあ、やけに伯爵にツンツンじゃないか。ツンがこうじて殺そうとするなんざ、いくらハルヒでもありえんだろ」

ヤンデレならともかくだな。

「今回の涼宮さんには、なにかうらみめいたようなものを感じましたが、あれはなにが原因なのでしょうか」

うらみねえ。世話になったじいさんのことを逆恨さかうらみでもしてんじゃないのか? 朝比奈さんと長門が視線を合わせ、それからジトっとした目で俺を見る。長門は上目遣うわめづかいに俺を見ている。古泉はその視線の理由が分からないらしく俺の表情をうかがっている。いや、俺にも分からんのだが。なにか俺、粗相そそうをしましたかね。


 翌週、この時代にしては豪華な箱馬車が迎えに来た。ハルヒはさっさと畑仕事に出かけ見送りすらしなかった。朝比奈さんは最後まで迷っていたが、伯爵を公然と叱りつけた手前もあってか、行ったほうがいいわよねとハルヒ様にお伺いを立てる気味に言い、やっぱり先方が礼儀を尽くしているからにはこっちもそれなりの応えをするべきだろうと四人で聞こえよがしに話し合った結果、ハルヒを残して城に行こうということになった。ハルヒもひさびさにメイドさんたちとエールを作って楽しんでるようだし、俺たちもたまにはボスのいないところで羽を伸ばしたいし、まあいっかみたいな放任主義だった。


 軽快に鳴り響く馬のひづめの音とともに、高い城壁の門をくぐったときの朝比奈さんの表情は明るかった。城には、朝比奈さんと古泉は領主裁判のときに一度訪れている。街の外壁を含めた城下町は、だいたい一辺がそれぞれ一キロメートルくらいの大きな城だった。そりゃまあ王宮のあるロンドンの街よりは小さいかもしれんが、これだけの住民を住まわせているのだとしたら経済規模はかなりのものだろう。城壁の中には民家が立ち並び、職人の店や商人の店の前には馬がつながれ、店が寄り集まる市場いちばには晩飯のおかずが羽を散らして飛び回ったり鼻を鳴らして走り回ったりしていた。

 そういえばこないだいた兵隊が一人もいない。見回してみたがよろいを着せた軍馬もいなくなっていて雰囲気がすっかり変わっていた。


 俺たちは礼儀を欠かない程度の正装に近い格好で、朝比奈さんと長門は長めの白いドレス、古泉はシャツの上にチュニック、膝下ひざしたまでのズボンに長い靴下の英国紳士スタイル、俺は修道服を伯爵に貸したままなのでおっさんくさい中世風使用人のコスプレでついてきた。俺だけ召使いみたいだぞ。

 城壁の内側にもうひとつ城壁があり、さらにその中に四角い、チェスのルークみたいな形の塔が建っていた。

「要塞みたいだな」

「ええ、キープkeepと言います。ここはかつてイングランド本土防衛の要衝ようしょうでした。いえまさに今がそうですが」

 中庭には石畳が敷かれていた。城壁の門の上から衛兵が見下ろしていて、朝比奈さんがにこやかに手を振ると慌てて胸に手を当てて儀礼の姿勢をしていた。分かりやすい。

 御者が門前で、ハルヒ・オブ・スズミヤご一行到着と衛兵に告げると鉄格子のシャッターが持ち上げられた。塔は石造りの四階建て箱型マンションのようで、ここが領主の住んでいる本丸ほんまるらしい。


 馬車が中に入ると塔の重そうな木のドアが開いて人が出てきた。衛兵と、こないだ裁判に来ていた執事、それから領主の伯爵だった。

「領主自らのお出迎えですよ。貴賓きひん扱いです」

まじすっか。それなのに招待された本人が来ていないってどんな礼儀知らずだ。伯爵はパリッとした貴族コスプレに身を包み、こないだの気難しい顔はどこへやら、ニコニコと営業スマイルである。

 御者が馬車のドアを開けるとまず朝比奈さんが降りた。伯爵が突然前に出て朝比奈さんの右手を取り、足がステップから離れて地面に着くのを確かめてから手を放した。おぉー、これが紳士のたしなみというものかー、などと溜息ためいきをつく俺と古泉は田舎丸出しである。朝比奈さんのほほはいつになく紅潮していた。次いで長門が降りるときも右手を取って降ろした。俺も未来でこれをやるべきかな。

「ようこそ我が城へ」

伯爵は朝比奈さんの右手を取って口づけをした。オォー、これが紳士の……。朝比奈さんはまさかリアルで手にキスをされるとは思っていなかったようで、目を丸くしている。なぜかその後一週間右手を洗わなかったそうだが。

「ところでミス・スズミヤがいらっしゃらないようだが……」

古泉が前に出て挨拶あいさつをしようとしたが朝比奈さんがそれをさえぎった。スカートの端をちまっと掴んでひざを曲げ、

「マイロード、この度はお招きに預かりありがとうございます。ミス・スズミヤはこのところ風邪具合が悪く、閣下に風邪を伝染うつしては申し訳ないとのことで来城しませんでした。お招きに応じることができず申し訳なく思っており、よろしくお伝えくださいとのことです」

「そうですか。去る日の雨でお体を害されたのでなければよろしいのですが」

去る日とは悪天候に見舞われた決闘当日のことである。ハルヒのことなら心配しなくても、雷が落ちても死なないと思います、ええ。

「では、ええと、マイレディ。まだお名前も伺っておりませんでした」

「申し遅れました。ミクル・オブ・アサヒナと申します。こちらはお友達のミス・ユキ・オブ・ナガト、」

「……」

長門がコソコソと朝比奈さんの耳元でささやくと、

「ごめんなさい、お友達のミス・ユキリナ・ド・ナガティウスでした」

「存じておりますミス・ナガティウス、部下がよくお世話になっているとのことで」

伯爵はようこそとうなずいた。長門はすでに面識があるらしい。

「それから執事のイツキ・オブ・コイズミ、そっちはええっとキョ、」

朝比奈さんはえーっとという感じに俺の顔を見て、どうやら本名を明かしていいものかどうか迷っているらしく、伯爵が後を継いで、

「修道士殿、ブラザー・ジョーンですね。先日は服をありがとう」

いえまだ見習いの身分でして、とはいっても誓いを立てて半年は経ってるから修道士に昇格してもいい頃合いなのではありますが。っていうかマイロード、あなたもその名で俺を呼ぶんですか。


 伯爵は執事に案内させるのでと言い、自分は別の部屋に入った。執事は暖炉のある客室を案内してくれ、俺たちはテーブルに着き椅子に座ってワインを勧められた。部屋の中は、床は木の板、石造りの壁にところどころ紋章入りの大きなタペストリーのような布が貼ってある。肖像画っぽいものが何枚か飾られていて、そのうちの一枚は伯爵本人らしい。窓には厚手のカーテンがかかっていた。


 ディナーの用意ができたので、と執事が呼びに来て俺たちは大きな暖炉のある広間に通された。長いテーブルの上座かみざには伯爵が立っていて、どうぞおかけくださいと言い、客が椅子に座ってから自分も座った。座る順番にはテーブルマナーがあるらしく、上座かみざの両脇に朝比奈さんと古泉、古泉の隣に長門、そして長門の向かい側には俺が座ることになった。つまり朝比奈さんの隣が俺である。もしかして偉い順とかSOS団内の力関係とか、そういう順番なのかね。


 ふつうは招待した家のあるじ祝祷しゅくとうを唱えるのだが、客の中に聖職者がいる場合はそいつがやることになっていて、俺が天にましましアーメンを唱えてからどうぞ召し上がれという合図になった。メイドさんがスープ皿を運んできて皆の前に置いた。それからローストチキンにしちゃあやたらでかいじゃないかというサイズの、実は七面鳥でしたメインディッシュが登場し、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。伯爵が細長い包丁で切り分けている。贅沢品ぜいたくひんであるはずのコショウがピリリと効いていて、俺たちが今まで食ってたもんはいったい何だったんだろうなというくらいに、んーテイスティ。


 執事がワインを注ぎ、メイドさん配膳はいぜんしている間に全員無言でもくもくと食った。皆誰もが、誰かが会話の口火くちびを切るのを待っている様子だった。なんだか気まずい。古泉がチラチラと俺を見ている。なんだ、俺にネタふりをしろと言ってるのか。

「マイロード、このお城はえらく年季が入っていますよね。いつごろ建てたんです?」

「私が生まれた年にはもうあったらしい。残っている古文によればローマ帝国の時代に小さな塔が建てられたとあるが、その後ヘンリー二世陛下が増築して今のような形になったのだと聞いている」

「歴史のある建物ですね」

「まあ、殺風景な要塞だがな」

そこで会話は途切れた。古泉、今度はお前がなんかネタを振れ、と目配せしてみるが目を細めて困った笑いを見せるだけだった。

「こんなときに何だが、この度のことはおびのしようもない。改めて謝罪したい」

いつ切り出そうかと迷っていたらしい伯爵が、持っていたナイフをパタリと置いて唐突とうとつに話し始めた。古泉はこういう話題が出るというのが分かっていたらしく、

「もったいないお言葉です、マイロード。僕たちも話し合って解決する機会を持つべきだったと思っています」

「私はてっきり長官の差金さしがねだとばかり思っていたのだが、そうではなかったのだな」

「今回の件は、どちらかといえばミス・スズミヤの自発的な行動からはじまったものでした。長官に相談したのは後付あとづけです」

「長官はなにか特別な野心でもあるのか、たまに嫌がらせめいたことを演じるのだ。ミス・スズミヤも火中の栗を拾うと言おうか、また思い切ったことをしたものだ」

長官の権威けんいを引っ張り出してきた朝比奈さんが渋い顔をしている。

「ごめんなさいマイロード、あのときはわたし、必死で、涼宮さんが負けたら居場所がなくなってしまうんじゃないかと思ったんです」

「いやいや、農民が土地の権利を守るのは当然のこと。こちらも村の慣例に従うべきだった」

なんかお互いに謝ってばかりで暗い雰囲気なので、ここは多少空気が読めなくてもいいやと思った俺が話の方向を変えた。

「あの森は結局どっちの所有なんです?」

伯爵は軽いため息をついて、

「あれはだな……もう何年も前に王宮とめにめた挙句、双方とも面倒くさくなって当面は棚上げにすることで合意したのだ。だが今回の件でまた話し合わなければなるまい」

なるほどね、埋まっていたはずのものを俺たちがわざわざ掘り返しちまったってわけか。


 メニューがだいたい出揃でそろって平らげたところで皿が引き上げられディナーは終わった。俺たちは席を立ち客室に戻った。朝比奈さんと長門が丸いテーブルについたが、伯爵が座ろうとしないのでたぶんそういうマナーなのだろうと思い、俺と古泉は暖炉の前に立ったままワインをちびちびと飲んでいる。

「コイズミ殿は執事職にしては身軽そうにお見受けするのだが、なにか武芸のたしなみがおありなのではないかな」

「武芸というほどではございませんが、護身術程度なら訓練を受けております」

「ほう、護身術というと?」

「ええっと、」と古泉は口ごもる。機関で訓練を受けているのだとすれば、柔道とか空手のたぐいだろう。

「僕のつたない理解では説明するのが難しいのですが、相手の力の方向をいなして投げる技、と申しますか」

古泉は右の手で左の手の甲をペンと叩いて返すしぐさをしてみせた。

「それはおもしろいな。コイズミ殿の郷里きょうりの特有の技なのか?」

「ええ。おそらく固有の武術だと思います」

「興味がある。ちょっと見せてもらえないだろうか」

「いえ、とてもお見せするほどのものでは……」

古泉は頭をいて丁寧に断る素振そぶりだったが、

「古泉、閣下Lordshipがお望みだろ。見せて差し上げろ」ここで慇懃いんぎんに断っては失礼だろうと俺はとがめた。

「え……そうですか、では」

古泉は俺の手首をむんずと掴み、部屋の真ん中に引っ張りだし、

「ちょっと僕に襲いかかってみてください」

「いいのか?」

「本気でお願いします」

俺も一応修道院で多少の体捌たいさばきは習っておいたからな。お坊さんも自己鍛錬じこたんれんのために護身術くらいはやるのだよ。

 俺は柔道のように両腕を構え、古泉の左襟ひだりえりを掴もうと腕をり出した。り出した瞬間、古泉の体が俺の右側に回転し、古泉の左腕が消えた。右足のつま先になにかが触れたと思った瞬間、天と地がひっくり返って視界がぐるりと逆転し、あれま……真っ白。受け身を忘れた、前言撤回ぜんげんてっかい

 気が付くと朝比奈さんの顔が目の前にあった。

「キョンくん、大丈夫?」

「あ……、大丈夫です。なにが起こったんです?」

「修道士殿、怪我けがはないか」

伯爵が笑いながら拍手をしている。古泉が俺の顔を覗き込み、申し訳なさそうにつ笑顔で腕を取り、

「すいません、受け身をするように言うのを忘れていました」

イテテ、お前ぜったいわざとだろ。その満面スマイルはいつか俺を投げてやろうと思っていたことがかなった達成感だろ。ズキズキする後頭部のあたりを長門がなでてくれて少し痛みがやわらいだ。十秒ほど気を失っていたらしい。

「コイズミ殿、ほとんど相手に触れずに倒せるとは実に面白い武術だな」

「故郷ではアイキドーと呼ばれています」

合気道だったのかよ! そりゃーかなうわけないわ、っていうか素人の俺じゃなにが来ても太刀打ちできそうにないな。

「どうだろう、コイズミ殿」伯爵はワインのおかわりを勧め、「私のためにその腕を貸してもらえないだろうか」

「マイロード、それはつまり、あなたにお仕えしろとおっしゃるのですか?」

「うちには騎士が足りない。貴殿のような部下が欲しいと思っていたところなのだ」

おいおい伯爵からのスカウトだぞ、農家の執事から一気にナイトにプロモートだぞ。

「しかし、僕には戦線の経験がありません」

「いやいや、戦場で戦うだけが騎士ではない。村と領主の間に入って治めるのも騎士の仕事だ」

 古泉は少し考え、それからいつもの作り笑顔をして、

「お誘いありがとうございます。恐れながらマイロード、僕の主人はミス・スズミヤですから、たぶん二人の主人に仕えるのは難しいかと存じます」

伯爵はちょっと首をかしげるようにして、

「それについては前から不思議に思っていたのだが、ミス・スズミヤと皆様はどういうご関係でいらっしゃるのか。コイズミ殿は彼女の騎士なのか?」

「いえ、従臣じゅうしんの誓いをしたわけではありません。僕たちは彼女に雇われている身分であり、僕自身は彼女が作った組織の副将といったところです」

あーあやだねぇ、ここで副団長の階級をひけらかすかね。どうせ俺はヒラの団員だよ。

「なるほどな。金で雇われたと言われるなら、奉公ほうこう給金を私が保証するということでいかがか」

「ありがとうございます。僕は彼女の古くからの友人でもありますから……残念ながらそばを離れることはできないでしょう」

離れたくても離れられない、まあ腐れえんってやつだな。俺も長門も、朝比奈さんも、な。

 伯爵は、まあ今すぐというわけでもないから考えてみてくれ、と古泉のスカウトをあきらめていない様子だった。


 執事がワインとチーズを載せたトレイを持ってきて、そのとき伯爵になにかを耳打ちした。伯爵は椅子から立ち上がり、

「皆様、しばしの間、席を外すことをお許し願いたい。部下たちが戻ってきたようだ」

ドアの前で深々と頭を下げて出て行った。そういえば窓の外からカチャカチャと金属のこすれる音がする。馬も鳴いている。

「何の音かしら?」

椅子から立ち上がった朝比奈さんが窓を開け、俺たちが階下を覗き込んでみると大勢の兵隊が集まっている。なんだなんだ、クーデターか。よく見ると兵隊はどれも傷だらけで、割れた盾を背負っているやつやよろい凸凹でこぼこに壊れているやつ、包帯を巻いているのもいるし松葉杖のやつもいる。尻に矢が刺さったままの軍馬もいるようだ。

「いったいなにがあったんだ」

「忘れていましたが、この時代はずっと戦争をしていたのでしたね」

「戦争って、今のイングランド王ってもともとはフランス人だろ」

「ええ。万世一系のみかどが治める日本と違って、イングランドの王様はヨーロッパの一地方をまとめる一介いっかいの貴族にすぎません。大陸に住む諸侯しょこうと争って領地をうばったりうばわれたりを繰り返していましたから」

「身内でやってる戦争か。そりゃ領民はいい迷惑だな」

「領民は地元の領主を贔屓ひいきにしてますから、勝てば万歳をして迎えるようです。ただ徴用ちょうようや戦費を賄う重税には閉口しているようですが」

 ドアが開いて伯爵が戻ってきた。

「戻りました。中座ちゅうざして申し訳ない」

「マイロード、兵隊さんたちは大丈夫なのですか」朝比奈さんが尋ねた。

「ミス・アサヒナ、ご心配ありがとう。負傷している者もいるが何度も戦場を経験しているので大丈夫だ」

「あの、看護が必要ならわたしもお手伝いしたいと思います」

「いえいえ、客人に血の匂いがするような仕事をお願いするわけには。今のところ看護も足りていると思う」

「そうですか……」

それでも朝比奈さんはまだ心配そうに窓の下を見ていた。俺は決闘沙汰けっとうざたの発端になった騒ぎをふと思い出し、

「もしかして俺がこないだ見たのは出征しゅっせい前の兵隊さんたちだったんですかね」

「こないだというのが二週間ほど前のことなら、おそらくそうだと思う」

あらまー、なんという誤解だ。

「ええと、マイロード、実に申し上げにくいんですが、俺たちとんでもない誤解をしていたようで。特にハルヒが」

「というと?」

「あのとき見た兵隊は俺たちを襲うために集めたんじゃないかと思って、あせって国王裁判に訴えるハメになったんです」

俺が頭を下げると伯爵はあはははと乾いた笑い声を上げ、

「そういうことか。いやはや。この兵どもは四十日ずつ交代で国王にお貸ししている中隊でな、今回は大陸に派兵していた」

なーるほど。そういうことか。

「それを知らずにハルヒをそそのかしたのは俺なわけでして、申し訳ありませんでした」

「いやいや、謝ることはない。戦争がすぐそこに迫っていることは、領民にはなるべく知られんほうがいい。無用な心配をさせたくないのだ」

領民というのは日々の飯以外のことは頭にないからな。領地の外から軍隊に攻撃され、領地の中からは領民に突き上げられ、この領主様は気の休まる暇もあるまい。

「マイロード、あなたもご出征しゅっせいなさるの?」朝比奈さんが尋ねた。

「ときどきは参る。様子を見に行かないとうちの兵も士気がおとろえてしまうのでな」

故郷に帰ってきてみれば裁判沙汰さいばんざたとは、それであんなに怒っていたわけだ。

「わたしたちの知らないところでご心労を重ねておいでなのですね」

「まあ、領土を守るというのは……そういうことだ……」

伯爵が誰に言うともなくうつむいてボソリとつぶやいた言葉が耳に響いた。


 夕方六時の鐘が鳴り、俺たちは暇乞いとまごいをした。伯爵はぜひ泊まっていけと勧めたのだが、自宅には俺たちの帰りを首を長くして待っているじゃじゃ馬、いやレディがいて、待たせると機嫌を損ねて後が大変なのでと、言い訳をしつつ箱馬車を出してもらった。

「修道士殿、これをお返ししたい」

「はい?」

伯爵の手には折りたたまれた修道服があった。丁寧に洗濯してくれたらしく、受け取るとなんだかいい匂いがした。

「今度来るときはぜひミス・スズミヤも一緒に」

「え、ええ。まあハルヒの熱が冷めたらですね。色んな意味で。マイロード」


城壁を出ると、れる馬車の中で古泉が言った。

「あの、僕は考えたんですが」

「なんだ」

従臣じゅうしんの礼の件、考えてみようかと思っています」

従臣じゅうしんの礼ってなんだ?」

古泉は話を聞いてなかったのかよという顔で、

騎士叙任きしじょにんの件です」

「って本気で貴族になるつもりか」

いえ、騎士は貴族ではありません、と真顔で説明した。ナイトはいわば優秀な兵士に与えられる称号で、日本に例えると親方様に土地と名前をもらった武将みたいなものだ、ということらしい。本当の殿様である貴族は、代々続いている王様の親類で、公爵や伯爵くらいしかいない。その下位の男爵という爵位も、もともとは王様に直接お仕えする家来に土地と名前が与えられた称号にすぎない、らしい。

 それはいいんだが。

「お前ハルヒの部下だから受けられないって言ってたじゃないか」

「ええ。でもよく考えてみれば僕たち全員にとってそれはメリットになるのではと」

「お前が採用されるのは別にかまわんが、俺たちに何のメリットがある」

「この中世の世界ではコネクションで事が動いていきます。人と人とをつないでいるのは金や証文しょうもんや権力ではなく、雪冤宣誓せつえんせんせいのように知り合いの知り合いという、いわば人の信用の延長線上にある信用です。僕が領主様と涼宮さんの間を取り持てば関係がスムーズになると思うのですが」

潤滑油じゅんかつゆの役割を自ら買って出るとはいい覚悟だが、ハルヒが絡んでそう簡単に歯車が回るものか」

そこで古泉はニヒルな笑いを浮かべて俺に問いかける。

「僕がそれにチャレンジしてみる価値があるとは思われませんか」

 古泉よ、お前も変わったな。自分がなにを言っているのか分かっているのだとすればだ、なるべく長いものに巻かれようとする古泉が、自分から厄介事やっかいごとを背負って立とうとしているわけだ。

 ハルヒになるべく穏便おんびんに人生を終えてもらいたいがために、世界崩壊などは言語道断、UMAや超常現象、異常気象にすらふたをし、エキセントリックなものは一切認めない立場だったはずである。今までずっと無害な腰巾着を演じていた古泉は、すべてをフィクションに封じ込めてしまわんとする機関の方針に従って、俺や長門そして朝比奈さんを都合よくコントロールし、ときには一致する利害を持ちだして動かしハルヒを封じてきたのである。こいつは人生の終わりにこう言いたかったのだ、あれらはすべて夢のなかの出来事でした、と。そのはず、だった。

 その古泉がだ。今なんと言った。ハルヒと常識世界との間を取り持つことがチャレンジだと? フン、やってみるがいいさ、できるものならばな。肩の荷が少しでも楽になる俺としちゃあ願ったりかなったりだ。だいたい良かれと思って動いてみればなにかしらのトラブルに巻き込まれるというのがハルヒ従臣じゅうしんの第一条なのだからな。

「あの、わたしは応援しますよ。古泉くんが騎士になるなんて、とても似合ってるし、かっこいいと思うの」

朝比奈さん、あなたは、あなたは少し論点がちがう気がします。

「……騎士の職務は営業職に準じるものがある。古泉一樹には適している」

長門ぉ長門おぉぉ、超理性的なお前までがなにをいうとるんだ、という顔をすると、長門は俺の耳元でボソリと一言だけつぶやく。

「……涼宮ハルヒの、白馬の騎士」

「よし古泉、やってみろ」


「こいずみ! ごいずびぃぃとうとう裏切ったのね! あたしのシモベえぇぇ!」

鼻水を垂らしながら泣き叫ぶハルヒの開口一句である。ネクタイがないので締め上げようがないが、器用にもひもネクタイを両手で引っ張って締め上げている。どうだ古泉、歯車になった初の気分は。

「おち……落ち着いて話を……涼宮さぁんぁん、」

「あにを聞けっていうのよ、グシッ」

古泉のシャツで鼻をチンとかんでから、やおらエールをぐいとあおりコップをテーブルにドンと置いた。

「僕は士爵ししゃくが欲しいのではなく、領主様と涼宮さんの間に入って、いわばクッションの役目をおおせつかりたいわけです」

「クッションなんていらないわよ。あいつの寝床に針のむしろでも敷いてやりたいところよ」

「もう同じ訴状内容で裁判はできませんから、次に争うことになったら投獄されます」

「だったら農民一揆のうみんいっきでもバスチーユ襲撃でもなんでもしてやるわよ」

「無茶言わないでください……」

あー、西洋史を忘れたやつのために言っとくが、バスチーユ牢城ろうじょうがあったのはフランスであってイギリスじゃないからな。

 ハルヒは腕組みをして、

「あたしの部下でいるのが嫌なんだったらそう言いなさい。今すぐ取締役解任してあげるから。それからどこへなりと、あんたのしたう伯爵様の元にでも行ってしまうがいいわ」

「嫌ということではないのです。むしろ涼宮さんを思えばこそ、」

「あたしは一言も頼んでいない。それのどこがあたしのためなの」

「いえ、僕も反対されてまで騎士になりたいわけではありませんが……」

珍しく古泉が追いつめられてるな。

「涼宮さん、わたしは身内からお城勤しろづとめが出るのはいいことだと思うの。だってわたしたち騎士様の身内になるわけだし、領地の政治に涼宮さんの意見を取り上げてくれるようになるかもしれないわ」

朝比奈さんがとりなそうとしているが、要は古泉を通して権力が手に入るわよ、どうかしらフフッ、と言っているのである。ところがハルヒは権力など眼中にはないらしく、

「みくるちゃん、あんた忘れたの? グランパはあいつのせいで死んだのよ」

「涼宮さん……それは言いすぎだと思うの」

朝比奈さんは困った子ねえ、な感じにハルヒを見つめた。

 俺は当時ハルヒのそばにはおらず伝え聞いただけなのでよくは知らんのだが、気になったので長門に耳打ちした。

「実際のところどうだったんだ? じいさんが死んだ原因はスマイト伯爵のせいか」

「……彼は実年齢で八十歳を超えていた。死因はもともとわずらっていた肺炎の可能性が高い」

「なるほどな……。この時代の平均寿命を考えると老衰ろうすいだろうな」

長門はうなずいた。納得しないだろうからハルヒには黙っといたが。


 しょうがない、俺がフォローしてやるか。泥船でも助け舟だ。

「おいハルヒ、俺だって今はキリストさんにお仕えしてる身分だ。お前が二股は許さんというのなら今すぐ取締役を降りるぞ。修道会に破門されたら生きていけん」

「それは……困る」

「だったら二足のわらじくらい認めてやればいいじゃないか」

「むぅ……」

キョンのくせになんというむごい選択を迫るんだ、という感じに俺をにらんだ。どうだグウの音も出まい。

「しょうがないわね。好きなようにしなさい古泉くん、ただし、」

「ただし何ですか?」

「キョン、あんたの頭を刈らせなさいいぃ」

「ハルお前カミソリ危ないうわなにするやめふじこぉぉ!!」

「キョンのくせにあたしに意見しようなんて百年早いのよ、神罰よ神罰!」

ハルヒに命令するという超気分のいい展開になったなどと思ったら、せっかく生えそろった俺の髪の毛がまたフランシスコザビエル級になるという罰を食らい、それでまた皆から頭をでられることになった。くっそ朝比奈さんまで肩を震わせて笑ってる。長門、なんかほほ痙攣けいれんしてるがエラーでも出てんのか。古泉、頭に水を垂らしてくれんでもいい、俺はカッパじゃねえ。

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