十三章

 俺と長門は中世版SOS団を残して一旦は店に戻った。なんだかえらく長い間留守にしていたような感じもあるが、気のせいだろう。

 ロンドンに戻ったのは、あいつらがなるべく人様の財産に手を出さずに済むように市場いちばで食料を調達してくるためだった。もともと村の商人は市場いちばで仕入れているので、まとめて買えば村で買うより安く手に入るはずだ。あと、長門に頼んで風邪薬と腹薬はらぐすりたぐいを用意してもらった。お世辞にも衛生状態がいいとは言えないジプシーたちが黒死病なんかかかった日にゃ全滅だからな。


 数日後に荷馬車で森に行ってみると、あたしたちもう働きたくないでござる仕事したくないでござる状態で、金が続くだけ食いに食い飲みに飲んでいて、食料が尽きるまでは毎日ゴロ寝状態だった。太古の狩猟しゅりょう民族ってきっとこんな感じだったんだろうなあ。

「そういや古泉、領主のやつ兵隊を集めてるみたいだぞ」

とうとうヤツ呼ばわりされちまってるぜ殿様。

「なんですと!?」

「こないだ来るときもだったが、城内に百人くらいは見た気がする」

「涼宮さん、至急司令部を招集してください」

「あいあいさー」

寝っ転がったままエールを飲んでいたハルヒがうぜーだりーもうやだー的な敬礼をした。この部隊は誰が隊長なのか分からんな。と古泉の顔を見ると、命令系統を曖昧あいまいにして敵を混乱させる戦術なのですよ、としたり顔で言っている。いや、部下が混乱しとるだけだろ。

 SOS団司令部が招集され作戦会議となった。司令部ってハルヒと古泉と朝比奈さんだけかよ。これじゃお山の大将じゃないか。

「キョン、説明して」

「説明っていうかまあ、さっき言ったとおりだ。領主が大量に兵隊を集めてる。あれは近々なにかをやらかす気配だった」

「とうとう来るべきものが来たようね」

「ええ、僕もそう思います。森に進軍してアウトロー狩りをはじめるつもりでしょう」

「そこまで兵力をそろえなくても、ボス一人を捕まえりゃいいんじゃないのか」

「あんたどっちの味方なのよ!」

いやまあ、一般論でだな。

「本当にわたしたちを捕まえに来るつもりかしら」不安げな朝比奈さんが言った。

「まあ中世ですし、支配する側はハルヒみたいに民衆を惑わすボス的存在は嫌がるでしょうね」

「涼宮さん、せめて子供たちだけでも避難ひなんできないかしら」

「そうね。みくるちゃんは面倒を見てくれる疎開そかい先を探しといて。分散させてもいいから」

「分かったわ」

「あたしは様子を見てくるからキョンと有希は留守番お願い。もしものときは王直轄領おうちょっかつりょうに逃げ込みなさい」

そう言い残してハルヒと古泉は馬を駆って偵察に出た。


「あの、キョンくん、疎開そかいってなにかしら」

「えーと、ハルヒが言ってるのはたぶん、むかし戦争中に子供だけ空襲の少ない田舎に避難ひなんさせてたことがあるんですが、それのことでしょう」

「三十人を受け入れてくれるところって、この辺にあるかしら」

「三十人ですか……。マナーハウスとかじゃ無理でしょうねえ。なあ長門、三十人の子供をどこかに隠しておく方法はないだろうか。量子冷凍とか一時的に時間凍結するとか、コールドスリープするとか」

妙に冷凍にこだわる俺を、長門は指さし、

「……お坊さん」

ボソリと言った。おぉそうだった。我が故郷の修道院があるではないか。俺が世話になった修道院まで子供を歩かせるのは遠すぎるので、近場ちかばの修道院に頼んでみよう。とはいっても修道院も財政が厳しいはずなんで、タダでは受け入れてはくれんだろうなあ。長門に留守番を頼み、俺は朝比奈さんを連れて修道院へ、もしものときの保険をかけに行った。


 荷馬車に乗って村の境界線を超えて隣の領地に入り、どこかに修道院がないかとほうぼうを訪ね歩いた。道の途中で見かけた村人が森のなかにあるよと指差してくれた。両側が鬱蒼うっそうと茂る細い林道の奥に、これまた古風な建物があった。石が積まれた垣根かきねの中に、苔むしたレンガ造りの瀟洒しょうしゃな教会が立っている。たぶん世捨て人みたいな司祭様が住んでいるに違いない。門の前に呼び鈴らしき鐘が下がっていたのでカランカランと鳴らしてみた。

「ほいっ、うちになにか用かな?」

建物のドアが開いてひょっこり顔を出した。

「えーと、こちら修道院でよろしいんですよね」

「そうだよ。あれれ~もしかしてキミ、ブラザージョーンかい?」

なんで俺の名前を知ってるんですか、しかもごく一部でしか通用していない偽名ぎめいのはずなんですが。

「いやぁ、ここいらを神がかった若い修道士が旅をしてるって風の噂に聞いたのさぁ」

なんか全部お見通しみたいですが。この人は別に鶴屋さんでもなんでもなくて、まあ確かにチラっとのぞいた八重歯はかわいいのだが、魔法使いがふり回しそうな木の杖を持ち、ケルト風の魔法使いみたいな深いフード付き白装束を着ていて、胸のところに何かの紋章が入ったペンダントを下げている。戦ったら速攻でメラゾーマとか唱えてきそうで、僧侶の俺だとマジックポイントの差であっさり負けそうである。

「えっと、こっちはミス・ミクル・オブ・アサヒナといって、」

「おーぅ、あんたがミス・ミクルかい、今世間を騒がせている山賊のボスだよね」

「ボ、ボスではありませんっ。研修生みたいなものです」

山賊に研修制度があるのかどうかは知らないが、真っ赤になってブンブンと否定する朝比奈さんである。

「あはははっ。で、お二人さん、今日は何用かい?」

「実はうちの村の子供達のことでご相談がありまして」

「うっとこ、カソリックじゃないけどいいのかい?」

「え、ここって修道院ですよね」

「修道院は修道院でも、うちはドルイド教だから。上を見てみなよ、十字架もないさ」

ありゃま、ほんとだ。教会のてっぺんにあるはずのシンボルがない。シスターの着てる衣装もぜんぜん修道服っぽくなくて、ソーサラーとかウィザードのほうが合ってる気がする。

「宗派は問題ないと思います。子供を一時的に保護していただけないかと」

「そうかいそうかい。んじゃ立ち話も何だから、中で聞くよ」

「ありがとうございます」

「ちょいと待った、ブラザージョーン。それ仕込杖しこみづえだよね。武器の持ち込みはご法度はっとさ」

いやー、これが刀だなんてよく分かりましたね。目の付け所がするどい。

 シスターに仕込杖しこみづえを渡し、塀の中へと通されると朝比奈さんが耳打ちした。

「あの……キョンくん、なぜ鶴屋さんがこんなところにいるんでしょう」

「あれは鶴屋さんのようで鶴屋さんではなさそうですが。髪が銀色ですし」

お歳を召した方のシルバーではなくて、仙人とか修行を積んだ魔法使いみたいな白銀の髪だ。

 部屋の中に入ると狼の毛皮とか鹿の角、なにかごっつい動物の毛皮が飾ってあり、カソリックみたいなゴテゴテした金細工の装飾はなかった。

「ドルイド教って動物が神様なんですか」

「まあ、その一部が動物なんさね。どっちかっていうと自然そのものが神さんっていうかね」

なるほど。日本の自然信仰と似てますね。

 シスターが運んできた木彫きぼりのカップに注がれた、すっごい濃いなにか緑色のココアみたいなのから湯気が立っていて飲み下すには少し勇気がいった。

「それでさっきの話ですけど、実は今領主とめていましてね。細かいことはシスターに迷惑がかかるといけないので省略しますけど、向こうがとうとう武器まで持ち出してきたんです」

「あちゃー、そりゃ穏やかじゃないね」

「うちの村民が家族ごと土地を追い出されてしまいましてね。子供も三十人ばかしいまして」

「三十人かい。そりゃまたにぎやかだね。いいよっ、まあここなら領主も攻めてこないだろうさ」

「ほんとですか、ありがとうございます」

いやぁ話がわかる人で助かった。

「なんなら大人もうちにくればいいっさ」

「大人たちは食料の調達をしないといけないので、大丈夫だと思います」

「そうかいそうかい、そいつぁまた豪儀ごうぎだねぇ」

「ところで、お礼はいかほど差し上げれば」

「お礼? お布施ふせのことかい? そんなもん気にしなくていいっさあ。まあ気が向いたら食料でも届けておくれよ」

いやー、世の中にはこういう奇特なお方がいるのだなあ。利権だなんだと自分のことしか考えてないどこぞの誰かに爪の垢を濃縮して毎朝飲ませたいくらいだ。

 お礼はまたいずれ、ということで俺と朝比奈さんは早々においとますることにした。帰り際に朝比奈さんが、

「あの、シスター、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「こいつはしたり、たまのお客様なのにすっかり自己紹介を忘れていたよ。あたしはクレイン、シスタークレインさ。森の門番と呼んどくれ、イェッサー」

軽く敬礼してみせる鶴屋さんだった。


「それにしても不思議な人だったわ。こんな山奥でなにをして暮らしてるのかしら」

帰りの道々、朝比奈さんが首をかしげていた。

「ほんと似てましたね」

俺も笑わずにはいられなかった。

「二十一世紀でもなにかと助けてくれて、もしかしたら鶴屋さんってイギリス人の血筋なのかしら」

「かもしれませんね」

鶴屋房右衛門さんはもしかするとそうなのだろうかと笑いつつ、モゴモゴとごまかしていると、

「前にもそういうことがあったの?」

「えーと」

俺はウウと詰まった。前にもというか未来にもというか異世界にもというか、いかん調子に乗って喋ってると明かしてしまいそうだ。

「禁則事項なのかしら」

滅多めったに見られない朝比奈さんのニヤニヤ顔である。

「ええ、実は似たようなことがありましてね。朝比奈さん、もし過去や未来に飛んでしまって困ったことが起きたら、鶴屋さんに似た人を探すといいですよ。必ず助けてくれますから」

「そうなのね。覚えておくわ」

時と場所を問わず、俺達の周辺で影に日向ひなたになって支援してくれるのが鶴屋さんの役どころのような気がする。助けてもらってばかりで面目ないであります。


 森に帰り着き、焚き火を囲んでボソボソとオートミールのお粥をすすっていると、夜遅くハルヒたちが神妙な顔つきで戻ってきた。

「ありゃーだめだわ。もう完全に頭がってるとしかいいようがないわね」

お前以外にもってる奴がいるもんだなイテテ耳ひっぱんな。

「弓兵にバリスタまで用意していました。殲滅せんめつする作戦ですね」

市民を皆殺しにする気か。なんだか話が夭安門じみてきたぞヲイ。

「作戦変更。もう王様に直訴するしかないわ」

「直訴ってたしか重罪だぞ」

「なによ、庶民に矢を向けるのは罪にならないっての!?」

俺に噛みつくなよ。後で聞いたら、直訴しても金さえ払えば重罪ではないらしい。

「難民として隣の領地にでも逃げたほうがいいんじゃないのか」

「まあ最悪そうなるだろうけど、逃げた先で生きていけるか分かんないでしょ。どうやってみんなを食べさせるのよ」

それは俺にも分からん。行った先の村で受け入れてはくれんだろうし、このままいけばハルヒたちは本当にジプシーになっちまうな。

「俺はとりあえずカソリックの修道院長に会って、偉い司教様に仲裁をかけあってもらえないか頼んでみるわ。大司教様の耳にでも入れば領主もあきらめざるをえんだろう」

「さっすがキョン、出家しただけのことはあるじゃない」

いや出家とかしてないから。古泉が自分のひたいをペンと叩いて、あなたには完敗ですねというしぐさをした。あんまり期待しすぎるな。富と権力という意味では司教様も領主とたいして変わらんのだ。


 この領地でいちばん大きな修道院を訪ねてみたが、そこの修道院長は、かけあってはみるが今すぐにことを動かすのは難しいだろうと言った。教会というところはじわじわと何年もかけて政治が動くところだ。下っ端の司祭に話をつけ、その上の司祭に話を上げてもらい、またその上の、というように階段を登って懸案事項けんあんじこうがようやく最上階に伝わる。当然タダでは動かないし、自由に動かせる資産もないから買収することもできないし、ある意味官僚かんりょうよりも腰が重いのだそうだ。


 その日俺が森に戻ってきたのは三時のかねを過ぎてからだったが、ハルヒと古泉、そして朝比奈さんはいなくなっていた。子供の見張りをしながら巻物を読んでいる長門に聞いてみたところ、どうもハルヒの号砲が今度は二連発で出たらしく留守番を言いつけてどこかへすっ飛んでいったらしい。

 ハルヒたちは翌朝になっても帰ってこなかった。これは困ったことになった。ハルヒが財布を持って行っちまったせいで山賊団に食わせるものがない。こんな森の中で百人分の飯をどうやって都合しろというのだ。俺と長門は相談して街道沿いに立ち、“通行税:領主”とフランス語で書いた木箱を持って立ち、辻強盗つじごうとうならぬ辻募金つじぼきんを行った。たまたま通りがかった偉い人たちが無言で金を突っ込んでくれて、三日間くらいは食わせられるだけの収入を得た。まあ、世の中とはこういうもんだ。


「じゃじゃーん」

じゃじゃーんって。イギリスならタラーだろ。

「キョン、裁判よ裁判!」

「まーたやんのかよ」

「ちがうわよ、今度は本物の国家賠償請求訴訟こっかばいしょうせいきゅうそしょうよ」

古泉の顔を見ると、違いますというふうに汗を一粒浮かせた。

「先日領主裁判のときに手紙をしたためていただいた長官ご本人に会ってきました。朝比奈さんに両目をパチパチしていただいて協力をあおいだところ二度返事でオーケーを取れました」

お前も朝比奈さんを安売りするな。

「それで、なにがオーケーなんだ?」

「長官を連れて宮殿に行ってまいりました」

「まじっすか、バッキンガムに!?」

「いえ、この時代はウエストミンスター宮殿です」

なるほど。ウエストミンスターは後日火災になるらしい。

「ロンドンってすっごいのよ! 大都会よ! お屋敷だらけよ! キョンも行ってみるといいわ」

おのぼりさんかよ。俺と長門はそこで暮らしてるんだよ。

「王様に会ったのか」

「ええ。五分ほどでしたが謁見えっけんを許されました。伯爵様とはあの森林をめぐって以前からめていたらしく、王様の率直なご意見では、所有権の主張を引っ込めるかもしくは税金を払うかをしてほしいとのことでした。要は徴税権ちょうぜいけんの問題です」

「ということは、いやいやボクが、いやいやワタシが、どうぞどうぞを繰り返してたのか」

「微妙に違いますが、そういうことです。王家と伯爵家は当然ながら同じ家系で、相続の際に所有が曖昧あいまいなまま残されていたのがあの森林なのだそうです」

なるほど、そこにハルヒがつけ込んだというわけか。

「人聞き悪いわね」

なるほど、そこにハルヒが目をつけたというわけか。

「うむ、くるしうない」

俺のモノローグに率直なご意見を差し挟まないでもらいたい。


 しかし王様に面会するのって何ヶ月も待ってやっと数分だけ会えるという、なかなか巡ってこないチャンスらしいのだが、こういうときに発揮はっきするハルヒの非人間的能力は中世でも有効らしい。

「なんか面会待ちリストに急にキャンセルが入ったらしいわ」

言わずもがな。そのキャンセルとやらはお前自身が作り出したんだな。

「そこで王様の署名しょめい入りで権利令状を発行していただき、その足で裁判官に提出、という流れです」

おいちょっと待て、なんか新しい用語が出てきたぞ。

「権利令状ってなんだ?」

「権利令状というのはですね、」

主に土地絡みの権利侵害を訴えるときに、王様に金を払って発行してもらう命令書のことで『おい領主、ちゃんと公正に裁判せえ。お前がやらんのやったらワシとこの長官にやらせるで』みたいなことを書いてもらう。実は土地保有農だけはこれを書いてもらうことができる。領主裁判所で埒が明かないような民事のごたごたは、上訴裁判所ともいうべき国王裁判所に訴え出て王様に命令してもらえるようになっている。つまり王様からしてみれば、これで裁判権の横取りができるようになっているのである。


 私信なので中身は読めないが、内容はだいたい以下のような感じだ。


── 神よりたまわりし権限により、キング・リチャードが伯爵にあいさつを贈る。はそちに命じる。ハルヒ・オブ・スズミヤがそちの所有する土地を侵害したとする告訴について、くだんの土地はの所有する森林であり、そちには権限がない裁判が行われている。ゆえに、が公正を行うため、オックスフォード巡回裁判所所管のもと、これをなさしめる。正義を求める民の訴えがこれ以上起こらぬようにするためである。


 巡回裁判所とあるのは、別名が国王裁判所といって、その名の通りロイヤルのものだ。もともとは強盗や殺人などの重大犯罪を裁くための、有罪になれば死刑になるようなシリアスな裁判を扱っていたのだが、こういう具合に王様が裁判権を横取りする事例が増えてきて、いろいろな事件を扱うようになった。それというのも裁判をやると罰金やら没収やらで王様のふところがホクホクになるという事情あってのことなのだが。


 さらに裁判記録に残すため長官への命令書も書いてもらった。


── キング・リチャードよりオックスフォードシャー西部地方長官に命ずる。グロースターシャーで争われている王領林おうりょうりんの件で、ハルヒ・オブ・スズミヤによる権利侵害が行われていると伯爵が申し立てている。土地を検分するため適法な者を派遣せよ。権利侵害を明らかにするための裁判官の前に、訴えを起こしている者、訴えられている者、さらに検分した者を召喚しょうかんせよ。


「へー、よく書いてもらえたな。王様もよっぽど暇だったのか」

「暇なわけないでしょ。これ高かったんだから。二シリングも払わされたのよ」

まあ弁護士費用と思えば、って二十四ペンス? 日本円で七万二千円? ペラ一枚の手紙書いてもらうだけなのに高すぎないっすか。書記官が代筆して王様は読みもせずサインするだけだろ、ボロもうけけじゃん。

「王様もこのところ戦争ばかりで財政難だそうですから」古泉はいつもの困った顔で、その王様の困った顔を再現した。

「長官にはいくらか払ったのか?」

「公式には僕達と長官との間には利益供与りえききょうよはありません。一ペニーでも渡すと賄賂わいろになりますから。裁判権の移行によって長官には監督権限と土地を取り返した褒章ほうしょうを、王様には徴税権ちょうぜいけんが手に入る予定です」

「勝てばの話だろ」

「いえ、涼宮さんが勝っても負けても、森林の所有権が法的に明らかになることで長官と王様にそれぞれメリットがあります」

「なんと、裁判自体を取引のカードにしたのか」

この密約が結ばれたときのハルヒと長官の顔は、ふふふスズミヤよヌシも悪よのう、いえいえお代官様ほどではございませんわオホホホ、ばりに不気味な笑いを浮かべていたそうな。


 国王裁判所から呼び出しが来た。送達使そうたつしというお使いの人が村をうろうろしていたらしいのだが、家は閉鎖されてニワトリすらいねえし、マナーハウスに聞いてもさあどこにいんだろなぁとしか言わないし、住所不定無職のハルヒたちを訪ねあぐねて帰っていったらしい。結局長官の使いが来て、来週開廷だからね、とわざわざ森の奥深くにまで言いに来た。遠路だしちょっとエールでも飲んでいかねえかと誘ったのだが、森の中に住んでいる変人どもを恐怖の目で眺め、うつろう木の影にガクブルしながら帰っていった。


 俺達の森を抜けて隣の領地にある巡回裁判所まで行軍することになった。国営でも地方のお役所なので造りは領主裁判所とたいして変わらなかった。たぶん司法の機能的には同じなのだろう。

 建物の前には何台もの箱馬車やくらのついた馬が所狭しと並んでいる。入り口には人が群れ固まっており、まだ中に入ることはできないようだ。人が集まれば商売になると見えて、屋台風の荷車でエールを売るやつ、ったマメを売るやつ、古風なフルートで民謡を奏でて小銭を稼いでるやつもいた。なるほど、俺もリュート持ってくればよかったな。

 硬いひづめの音が響き渡り、軍馬で登場したのがハルヒと知るや指笛を鳴らしたり声援を贈るやつまでいて、どうやら今回の裁判は暇な庶民の恰好かっこうのスキャンダルになっちまってるらしい。応援されると調子に乗ってしまうハルヒは意味もなくガッツポーズをやってみせ、このまま出馬したら議員に当選できそうな勢いだ。

 そんな様子を、俺と長門と朝比奈さんはボロっちい荷馬車に乗って遠くから眺めていた。

「なんだかあっというまにときの人になっちまったなあ」

さすがタブロイドネタの国というか。

「イギリス人というのはこういう話題が好きみたいね」

「……英雄的存在が好まれる文化」

なるほどね、それがロビンフッドであり、キングアーサーか。


 建物の前で長官が待っていた。キリリと引き締まった表情に、ドライヤーでも当てたのか長い鼻髭はなひげがくるりとカールして上を向いている。ハルヒと目が合うと二人とも不謹慎にもニヤニヤと笑った。ここがアメリカだったらフィストパウンドしてハイタッチでもやりそうだぞ。

 古泉が胸に手を当てて会釈えしゃくをすると長官は門番にドアを開けるよう命じてくれた。今日の俺達は大切なお客様の待遇らしい。その後ろから観客らしき群衆がどどっと雪崩なだれれ込み、門番が必死に止めようとするのだが一緒にホールまで押し込まれている。


 法廷の造りは領主裁判所とほとんど同じで、真ん中に判事席、左右に原告と被告のベンチ、判事席の対面に傍聴席ぼうちょうせきがある。判事はまだ来ていないが、傍聴席ぼうちょうせきには観客が押し合いへし合いし座席の取り合いをしていた。なんか食べ物を売ってる奴までいるぞ。

 判事席の横のドアからカツラを被った判事が入ってきた。席につくと原告が来るのをじっと待っている。この裁判は長官の主催らしく、判事席の隣に長官専用の机がある。被告のベンチには俺達五人全員で座った。

 しばらく待ってカツンカツンと硬い足音をさせながらそれらしい人物が入ってきた。

「あれがうちの領主なの? フン、たいしたこ……イケメンね」

古泉が右の眉毛をピクと動かした。ハルヒがなにか口走ってるようだが気にしないことにする。そういえば話題の人、領主様にお目にかかるのはこれがはじめてである。長い髪を後ろにまとめ、鼻髭はなひげを生やしてはいるが意外と若いんじゃないだろうか。コーデュロイの洒落た臙脂えんじ色のチュニックに袖の長いシャツ、短いマントを羽織り、ピッタリしたズボンに腰からサーベルを下げている。うーむ、ザ・貴族って感じだ。

 伯爵様は足を組んでベンチに座り、機嫌が悪いのか眉毛をピクピクと動かしている。お連れの人はいつもの騎士、執事、それから重たい本を持った学者風の人を何人か連れている。法律家でも連れてきたのか。


判事席のじいさんがオホンと咳をし、

「皆さんお静かに。廷吏ていり、はじめて」

廷吏ていりと呼ばれた兵士が大声で本法廷のはじまりを告げる。

「ハルヒ・オブ・スズミヤ、対、伯爵の裁判を始める」

ハルヒ対伯爵? 前に聞いたのと逆なような気がするが。古泉も怪訝けげんな顔をしているようだった。

「原告、告訴状を読みあげなさい」

伯爵側の執事が一歩前に出て読み上げようとすると再び判事が、

「いや、ミスター・コイズミ」

「え、僕たちが原告ですか?」

「訴状にはそう書いておるがな」

判事は巻物を確かめるように獣脂じゅうしランプの明かりに照らしている。

 これはどういうことなのだろう、古泉は訴状の内容すら知らないはずだ。

「どうしたんだ古泉?」

「なぜか僕たちが原告になっています」

二人はハッと共通の得体の知れぬ何かを察して横を見た。ハルヒは下を向いたままクックックと震えながら笑っている。

「おいハルヒ、なにをやらかしたんだ」

ハルヒは何も答えず、笑いをこらえきれないふうに下を向いたまま、鷲掴わしづかみにした巻物を古泉の胸に押し付けた。長官の方を見ると腕を組んだままピクピクとひげを動かしている。陰謀だ、陰謀の匂いがするぞ。

「ミスター・コイズミ、さっさと読み上げて」判事が急かしている。

受け取った古泉が慌てて巻物を読み上げる。


── 裁判長閣下、オックスフォードシャー西部地方長官閣下、並びにお集まりの皆様。ハルヒ・オブ・スズミヤはグロースター伯爵に対し、オックスフォード境界上に所有する一ハイドの土地を、正当な権利と正当な相続によって請求します。それはキング・ウィリアム一世の時代に先祖が所有地として対価を払って買い取ったものであり、そこにいる伯爵によって不当に没収されました。


敵側の執事は唖然あぜんとしていた。つまりこれは、訴訟が領主裁判所から国王裁判所に移されたんじゃなく、ここで新たに反訴を起こしたということだ。同じタイトルで立場逆転の裁判を起こすとは、完全なだまちである。それに気づいたらしい騎士は顔を真赤にして怒鳴っている。っていうかじいさんの土地が勝手にハルヒのものになっちまってるが、いいのか。

「静粛に、被告黙りなさい。原告、続けて」

判事は、わしは提出された書類に従ってるだけじゃからなと涼しい顔をしている。


── 昨年の七月、グロースターシャー、コッツウォルズに保有する家において、王様の平和のもとに暮らしていたところ、夜遅く六時課を過ぎた頃に伯爵配下の兵士一団がやってきて、国王の平和を乱さんとして住民を攻撃し、不法にも、つるぎと槍をもって故意の暴行をはたらき、住民の土地と財産を強奪するという重罪を犯しました。


「ハルヒ・オブ・スズミヤはそれを、」

古泉が最後まで言い終わらぬうちに、ハルヒは古泉の襟首えりくびを引っ張って後ろに引き自分が前に出た。

「裁判長、原告は被告の非道たる行いについて、宣誓と自らの身体によってそれを証明する用意があります」

おもむろにクシャクシャに丸まった靴下のようなかたまりをポケットから取り出し、オーバースローでそれを投げた。対面にいたのは伯爵その人だった。伯爵はけることもせず顔の前でそれを受け止め、丸まった革のかたまりを開くとなんと手袋だった。


 場内が一瞬シンと静まり返った。次の瞬間、百人の頑固爺さんがちゃぶ台をひっくり返しリングの外でパイプ椅子の投げ合いになり、蜂の巣を叩き落としたような轟々ごうごうたる大騒ぎになった。傍聴席ぼうちょうせきは椅子を叩いて拍手喝采、判事はガンガンと机を叩いて静粛にを繰り返し、被告の騎士はどないやねんと判事と古泉を交互に指差してなにごとか叫び立てている。長官は大声で笑い声を上げ、原告の連中はというと、ハルヒは腕を組んだまま伯爵に向かって薄気味悪い笑顔を浮かべ、古泉はひたいおさえたりハルヒにすがりついて懇願こんがんしたり、またひたいおさえたりを繰り返していた。

「えーっとだな」

たった一人だけ冷静な俺は、

「なにがあったんだ?」

真性のアフォか俺は。

「一切空気が読めてないキョンのために説明してやるとだな、」

ハルヒが俺のマネをして厭味いやみったらしく言う。パニックにおちいっている古泉にはいつもの分かりにくい解説も聞けそうにない。

「ハルヒ、あいつらいったい何を騒いでるんだ?」

「あたしが決闘を申し込んだからに決まってるじゃないの! そして伯爵は手袋を受け取ってしまったわけよ!」

ガーン。血の気が引いた。ウソぴょんでもなんでもないぞ。


 伯爵様はベンチに座って貧乏すりをしながらハルヒをにらんでいた。ハルヒは必死で笑いをこらえているのか、プルプルとほっぺたを震わせながらにらみ返している。

 たしかにだまちだった。自分が起こした訴訟だと思っていた伯爵は、来てみれば自分が犯罪者になっている。知らぬ間に訴状が差し替えられていた。そして自分が認めて開廷されたからには延期することも退場することもできず、訴答そとうの準備もしておらず、ここでの不用意な発言は永久に記録に残る。そして今となってはハルヒがやったはずの森林伐採ばっさいは消滅し、自分がやった土地差し押さえだけが重大犯罪となって自分に返ってきたわけだ。しかも、である。今度は自分と決闘をしろというのだ。何様なにさまなのだこの女は。

「マイロード、今回のことはまったくおびのしようも」

騎士さんが汗だくになってペコペコと謝っている。

「国王裁判だからと帰ってきてみればなんというザマだ! 私が犯罪者になっているではないか!」

青筋を立てて怒るお殿様に、家臣はひたすらスイマセンスイマセンを繰り返していた。


「静粛に! 傍聴席ぼうちょうせき、静粛にしないと全員追い出しますぞ!」

最後に一人だけハルヒの乾いた笑い声が響いてからようやく静かになり、判事は分厚い法律書をめくりながら、

「被告は、彼に対して申し立てられた犯罪に関して、有罪か否かを、審問と陪審ばいしんゆだねるか、または自分の身体によって防御するかの選択権があります。どうするかね」

「裁判長、これはまったく予期していないことであり裁判の延期を、」騎士が叫んだが、

「もうよい!」伯爵がそれをさえぎった。

「しかしマイロード……」

伯爵は立ち上がって一歩進んだ。

「裁判長閣下、並びに長官殿。私は国王の平和を乱した訴えに関し、住民を攻撃し槍とつるぎでもって暴行を働いた重罪と、不法に土地を取り上げた罪と、国王の平和に反するあらゆることを一語一句否定する。彼女が土地に関して申し立てたすべてのことを、裁判所の裁定に従って、自らの身体によって無実を証明する」

伯爵はペーパーもカンペもなしで自分の言葉だけで、正確に抗弁した。つまり、自ら決闘を受けて立ったのである。そして伯爵はジロリと、ハルヒではなく長官のほうをにらんだ。どうやらグルだと気づいたらしい。

 そして法廷は再び無法地帯と化した。


「マジで決闘するつもりなのか」

「あったりまえでしょ。なんでわざわざ国王裁判にまで持ち込んだと思ってんの」

「しかしだなあ……お前、死ぬぞ」

「百戦百勝のあたしが負けるわけないでしょ」

傍聴席ぼうちょうせきにはさまざまな憶測が飛び交い、知りもしない事件の真相を語る者、決闘の結果を予測する者、決闘の勝敗で賭けを開催するブックメーカー、ゴシップ好きな百鬼夜行ひゃっきゃこうが好き勝手なことを述べ合い百家争鳴ひゃっかそうめいしているありさまだ。

「おい古泉、そろそろ正気に戻れ」

「ハイ戻りました。大丈夫ですよ。決闘といってもつるぎり合うわけではありませんから」

「どういうことだ」

「大陸とは違って、イギリスの決闘裁判は死に至るまで戦ったりしないということです」

俺がイメージしてる決闘ってのは巌流島がんりゅうじまとか真昼の決闘とか、どっちにしても真剣に実弾だが。

「決闘裁判はいわゆる果たし合いとも違います。軽装の皮のよろいを着て、許される武器はバトンのみです」

「バトンってなんだ。運動会のリレーのやつか」

古泉は北高の体育祭を思い出したのか、苦笑しながら首を振った。

「違います。一・五メートルほどの棒の先に羊の角がついている、形はウォーハンマーですが、ただの木の棒です。時間制限あり、ドクターストップあり、いわば死なない程度に体力をぶつけ合う、理性的なプロレスのようなものです」

いい大人が棒でしばきあうことのどこが理性的なのか説明してもらいたいものだが、まあ死ぬまで殴りあうことはないということか。

「重装備の騎士が馬に乗って長い槍を持って突進するのとは違うのか」

「あれは馬上槍試合ばじょうやりじあいといって、戦争がないときの騎士たちの余興よきょうです。観客を集めて、トーナメントで勝った人が賞金をもらえるという武芸試合ですね。本気を出しすぎて死んだ人もいるらしいですが」

なんかいろいろとイギリス人が分からなくなってきたが、古泉の解説では、もともと決闘裁判というのはウィリアム一世が大陸から持ち込んだ慣習で、地元イングランド人の間では、残酷で血なまぐさい決闘は受けがよくなかったらしい。決闘裁判を廃止させるためにエリザベス女王が一芝居打ったこともあるくらいだ。


「それにしてもなんで伯爵は陪審ばいしんを選ばなかったんだろう」

二人で被告側のベンチに目をやると、伯爵様はまだ家臣を怒っているが半分くらいあきらめの表情だ。あーあれはなんというか、ダメな部下を持った上司がよくやる顔だぞ。

「もしかしたら今回の件は領主様は関わってないのではないでしょうか」

「俺もそんな気がしてきた。部下が勝手に空回りしてる雰囲気だな」

俺たちのほうはというと上司の方が空回りして、それにふり回されている部下面々なのである。


 傍聴席ぼうちょうせきの客が大騒ぎしている間にどこかへ消えていた判事が判事席に戻ってきた。

「静粛に。判決を言い渡す」

ここでも判決が先らしい。

「原告が決闘による証明を求め、被告は決闘による神判しんぱんを申し込んだ。イングランド国法に基づき、両者の身体による神の正義の証明が行われる。手袋の引き渡しは……済んでいるわけであるからして、では決闘の宣誓を。まず被告から述べなさい」

廷吏ていりが伯爵に近づいてセリフを教えようとしたが、自分は経験があるので構わないでくれと断った。この御仁ごじんは前にも決闘したことがあるのか。

「ハルヒ・オブ・スズミヤよ、私が述べることを聞くがいい。私はお前の土地を違法に奪ってなどいないし、武器をもって家人を攻撃などしていない。お前はそれを見ていないし証明もできない。ゆえに神と聖遺物せいいぶつよ、私に正義を示したまえ」

「では、続いて原告」

「伯爵、あたしの言うことを聞けい! あんたは偽善者だわ! それは以下の理由によってである。あんたの部下は去年の夏、夜遅くにうちに押しかけて金と銀の財産を強奪し、土地を奪い、あたしたちを村から追放した。そしてあたしは一部始終をこの目で見た。ゆえに神様、あたしに、あたしにこそ正義を!」

微妙に語尾が入り混じった宣誓だったがビシ指だけは一丁前だった。

「よろしい。双方が宣誓し、ここに決闘の開催が決定した。これより、決闘が行われるまでの間に取り下げるか、または和解することも許される。その場合は取り下げた側に二十シリングの手数料を課す」

なんだ、和解したのに罰金払わされるのか。だったら決闘を決行したほうがいいじゃないか。

「また決闘が行われた場合、敗れた闘士は六十シリングの罰金を払う。これは正義の立証を誓ったにも関わらずそれを証明できなかったからである」

いや待て、和解したほうが安く済みそうだぞ。

「被告が決闘に負けた場合、訴えられている土地とそこから得ていた利益を返済、奪ったものをすべて返却するものとする。原告が負けた場合は憐憫れんびん罰金、金額については決闘後に伝えるものとする。決闘で決着がついた折には同じ問題で再度告訴してはならない。国王陛下の元、決闘で判決されたことは永久に解決されたからである」


「ハイ、先生、憐憫れんびん罰金ってなんですか」と古泉の耳元で聞くと、

「顔が近いですよ。憐憫れんびん罰金というのは裁判所の情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地がある、ほとんどが少額の罰金です」

経理担当の俺は頭で計算した。最も安く済むのがこっちが勝ってすべてを被告に払わせる。次に安く済むのが被告に和解を申し立てさせるが、その場合土地がどうなるか分からない。その次がこっちから取り下げを申し立て、たぶん土地を失う。ということか。最も大きな損害は決闘に負けることだが、その場合は六十シリングと土地が飛んで消えていく。どっちにしてもハルヒが取り下げを認めるとは思えんが。


「決闘まで双方に二名ずつの護衛を付けさせる。決闘期日はええと日曜はミサがあるから、来週の土曜日でよろしいか? ではそのように。正当な理由により延期を申し立てる場合、原告の延期申し立て一回に付き、被告には三回の申し立ての権利が生ずる。以上、これにて閉廷」

ダンッ。なるほど、罰金には護衛の人件費も含まれてるわけだな。

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