十二章

 裁判所前でかかげる勝訴のアレ、判決等即報用手持旗はんけつとうそくほうようてもちばたというやたら長い名前らしいのだが、勝訴旗しょうそばたをドヤ顔でかかげる勢いの興奮冷めやらぬジプシー団は、ハルヒを先頭に凱旋がいせんの歌を歌いながら森の隠れ家に戻るところである。


 We're just a poor farmer,

 オレたちしがない農民よ


 And we surely serve to the lord.

 領主様には頭が上がらない


 We rein only our horse,

 言うことを聞くのは馬だけよ


 And are made our back was shorten.

 気がつきゃオレにも手綱たづなが付いている


 We had to only eat and plow up,

 ただただ食って耕すだけの毎日よ


 To those awful the children.

 うちにゃ腹をすかせた子供が待っている


 We ain't work any more!

 もう仕事したくねえ!



 Glory glory Haruhi ya!

 コリゴリ ハルヒや!


 Glory glory Haruhi ya!

 コリゴリ ハルヒや!


 And we won't work any more!

 もう働いたら負けかな!


腕をふりふり足並みそろえて延々と行進を続け、最後のリフレインを三回繰り返したところでピタリと森に到着した。ちなみにこいつらが歌っているのは「NEET讃歌 作詞:涼宮ハルヒ」である。旋律せんりつが気になる奴はリパブリック讃歌さんかで検索でもしてくれ。


「朝比奈さん、今回はすばらしい働きでしたね」

ジプシー団の後ろをついていきながらの、古泉と朝比奈さんの会話である。

「いえいえそんな。わたしは手紙を持って戻ってきただけだし。それにこれで勝ったわけでもないし」

「事実上の却下だと思いますよ。それより、あの森が所有権争いの元になっているといつ気づいたんですか」

「気づいたわけじゃないんだけど、旦那様から昔は違う領主様だったと聞いてたので、あの短剣が出てきた森はもしかしたら別の持ち主がいたんじゃないかと思ったの」

するどいですね。長官とはどんな取引をされたんですか」

「取引っていうか……さすがは古泉くん、政治の話には敏感ね」

「王様の権限を笠に着ている代官は、自分にメリットがないと動いてくれないのではと」

「ええ。短剣を長官に献上して、あの森のことを調べてもらったの。それで一筆書いてくださいってお願いしたわけ」

「それが判事宛の手紙ですね」

「そう。でもそれだけじゃなくて、森の所有権が王様に戻れば長官が管理できるようになるわ。そうなると収入も増えますから、って」

「なるほど。税収は役人を動かすにはもってこいのカードですね。しかしよくドゥームズデイブックをご存知でしたね」

ドゥームズデイブックというのは、前にじいさんが言ってたウィリアム王が作らせた、イングランド全土の土地台帳のことらしい。そういえばむかし秀吉も似たようなことをやっていた気がするな。

「いえ、あれは長官が、権利を主張するには根拠が必要だろうとおっしゃって写しを書いてくれたの」

「そうでしたか。王様の代理だけあって、なかなかの辣腕らつわんですね」

「そうね。とくに伯爵様が相手だからはりきっちゃったみたい」

簡単に言えばまあ、虎のを借りて狼を追い払った、とでも表現しようか。それにしてもよくやった朝比奈さん。


 道が村から森に差し掛かったところで古泉が風景に違和感を感じて言った。

「朝比奈さん、森の様子がおかしくないですか?」

「どういう風に?」

「なんだか増えてませんか」

そういえば確か森の端はもっと奥にあったような。朝比奈さんが不意に大声を出した。

「畑がなくなってるわ!」

もともと曖昧あいまいな境界線を拡張しただけで、ちょっと見には分からないはずだった。

「ほんとですね。僕達が開拓したはずの畑がなくなっています。どういうことなのでしょう」

どういうことなのとはこっちが聞きたいのだが、たしかに伐採ばっさいしたはずの土地が広葉樹林に戻っている。

「目の錯覚……ではなさそうね」

「もしかして原告の嫌がらせでしょうか」

古泉、いくら騎士様が人手を雇ったとしてもだな、一日でハイ森に育ちましたぁって、ねーよそんな樹木は。

「はっ」

古泉はカッコ察しが付きそうな声で、こぶしで手のひらをポンと叩いた。朝比奈さんも気がついたようである。

「これって涼宮さんですよね」

「確か映画撮影のときにも同じことがあったわよね」

「この物語はフィクションであり、というやつですね。今回涼宮さんはこう言いました、領主の所有する森に立ち入る罪は犯していない。領主が所有する森林資源を伐採ばっさいしておらず、それを自分のものにはしていない。それから売却していないとも言いました」

「ということは、すべてがなにもなかったことになってるの?」

「畑を見る限り、そのようです」

神人まで借り出した伐採ばっさい作業は無駄な労力だったわけか。なんと都合のいい歴史改変、いや歴史修復か。自分でしでかしといて自分で元に戻すという、いまだかつてお目にかかったことがない離れ業をやっているが、これもハルヒの能力の一面なのか。自分の尻を自分でぬぐうとは新発見だぞ。

「もしかしたらキョンくんがいないからじゃない?」

「その可能性も大いにあります。残念なことにこのところの僕の役目は敗訴が続いていて、涼宮さんのフォローが追いついていません。それを自力で解決したのでしょう」

なーんだ、俺がいなくてもSOS団はちゃんと回っていくんじゃないか、はっはっは。

 ところが話はそれだけで終わらず、建設中の木材がまるで一夜にしてシロアリに食われたかのごとく消滅する怪事件が領地一帯で相次いだ。古泉の所見しょけんでは、おそらくハルヒたちが伐採ばっさいしていた木材だろうということなのだが、それを業者から買い取っていたのは誰あろう領主様ご自身なのである。因縁相合いんねんあいがっして成るとはこのことだ。

 じゃあその代金はどうなったのだ、裁判はどうなるのだ、なにもなかったのならジプシーたちはなぜ元に戻らんのだ、というツッコミには古泉にも正しい答えの出しようがない。ハルヒは時間まで巻き戻るとは宣誓しなかったからな。しかしハルヒがいきなりげっそりやつれているのは、食ったはずの鹿の肉が食っていないことになったからに違いない。デタラメだなぁもう。


 そんな領地内の怪現象とは一歩も二歩も離れて、森の奥へ奥へと移り住んだジプシーたちは竪穴式住居を少しずつ増やし、一家族が小屋一つに住めるくらいの小さな集落ができつつあった。ハルヒは毎日馬に乗ってでかけ、もともとあった麦畑を見にいっている。畑の麦はそろそろ穂が傾きつつあり、いいかげん刈り取らないと雨が降って芽が出てしまう。そうなるとカビが生えて売り物にならなくなるだろう。

 森の影に隠れて様子をうかがうと、残った村人がぽつぽつと刈り取り作業をしているのが見えるが、とても追いついていない。なんせ農作業の半分以上は農奴のうどがまかなっていたのだ。実態経済を知らない領主が安直に追い出すからこういうことになるのよ、とハルヒはほくそ笑んでいた。他人の不幸がメシウマなハルヒだったが、そのゆがんだ微笑ほほえみもすぐに真顔に戻ることになった。ジプシー団の食料がとうとう底を尽いたのである。


 皆で持ちだした家財道具を売り、ハルヒのお気に入りだった鎧一式よろいいっしきも泣く泣く売り払った。ジプシーたちはなけなしの大麦をスープのようなおかゆにして分け合った。最後に馬が残ったが、いくら腹が減っても馬だけは食べなかった。そのむかし、馬を食ってはいけないというお達しがカソリック教会から出たことがあって、今でもその慣習に従っている。イギリス人が馬を食うのはよほどの飢饉ききんのときだけである。一方のハルヒはというと、奪い取ってでも食うかと思いきや、古泉の観察によると一日一食しか食っていなかったらしい。


 ハルヒはその日も麦畑の監視にでかけていた。樹々に隠れて様子をうかがうと、麦の収穫に人が増えている。どうやら領主は近隣の領地から人を雇ったようだった。修道院に依頼したらしく修道服を着た集団もいた。

「なるほどね。代わりの労働力はあるって言いたいわけね。そっちがその気なら、分かったわ……やはりアレが必要のようね」

「必要って、なにがですか?」

悪い予感がした、というよりなにか妙なことをしでかすのでは、という虫の知らせがあった古泉はハルヒに同行していた。物陰から遠くを伺うハルヒの横顔はどことなくやつれて見えた。

「まず、食料の確保よ。それが先決ね」

 俺が言うのもなんだが、ハルヒに関する悪い予感というのはたいてい当たる。なるべく穏便おんびんにかつ合法的な解決策をはかる古泉にすれば、安易安直に最短時間の最短距離で強引に解決しようとするハルヒはとても乗りこなせる馬ではなく、説得することすらかなわない。

 古泉は自問した。今回はじめて自分がメインのストッパー役をになうことになった。SOS団部下その壱の彼よりは自分のやり方のほうがいくらかはスマートなはずで、少なくとも機関という超インテリエリート組織で訓練を受けた自分である。この頭脳を持ってすれば解決できないことはない、と高をくくっていた。ところがどうしてどうして、最近やけに胃の痛みを覚えるが、もしかしたら団員その壱の彼はこのストレスを毎日受けながら暮らしていたのだろうか。機関での座学と訓練、どんな試練にも耐える精神修養はいったいなんだったのだろうかと。

 そして古泉は悟りの境地に至った。これは、この状況は、団員その壱がいなくても涼宮さんをフォローできるようにとの保険、いや予行演習なのだ。いずれは彼の手を離れる日が来るという涼宮さんの思し召しに違いない、と。


(おい古泉、機関って禅の修行でもやってたんか?)

(ええ合宿でときどき山寺にもりますよ)

(マジデ!?)


「みんな。よく聞きなさい。あたしたちはこれから苦難の道を歩くことになるかもしれないわ」

腹をすかせた子供たちをなだめつつ、ハルヒは親たちをき火の回りに集めて言った。

「涼宮さんまさか、」

「そのまさかよ。土地もお金も、家も家畜も奪われたわ。明日どうなるか分からない、たぶんこのままいけば寿命を大きく縮めるでしょう。いつかは病気に倒れるでしょう。でも、あたしたちは今日を生き延びなければならない。今日を生きて明日の命に繋げなければいけない。あたしはここに決断する。子供たちを養うためなら盗んででも奪ってでも食べさせるわ」

皆静まり返っていた。ハルヒが言っているのはつまり、皆で強盗団になるということである。ジプシーたちは皆おとなしい農民だ。簡単には賛成しなかった。

 強盗で現行犯となると、いくら村人が味方になってくれても即縛り首である。雪冤宣誓せつえんせんせいどころじゃない。そうなりゃ奥さんも子供も路頭に迷ってしまう。アウトローの末路はたいてい野垂れ死になのだ。

 それまで黙っていたじいさんが腰を上げた。

「皆の衆、このままではいずれにしろ飢えてしまう。捕まれば家族は野垂れ死にじゃが、なにもしなくても野垂れ死にじゃ。ずっとわしらが植えてわしらが刈り取ってきた。戦ってわしらの畑を取り返そう」

じいさんは先祖伝来のつるぎをシャリンと抜き、ハルヒの右手に握らせ高々たかだかかかげた。折からの風に雲の切れ目から太陽の光が指し、つるぎとそしてハルヒの顔を照らした。

 食べ物を盗むと宣言するだけのシーンにいったい何の意味があるのか、古泉はいまいち理解しかねているのだが、今や百人近いジプシーたちにとっては天使降臨に匹敵するなにかだったらしく、こぶしを上げて叫ぶ者、拍手する者、十字を切る者がいて、皆一様にロード・ハルヒと叫んでいる。百年後に生まれるはずのジャンヌダルクを凌駕りょうがする救世主の誕生だった。


 皆の衆、お知らせしよう。このなんだか分からんアウトロー集団の名称がたった今決定された。食料を大いに強奪する涼宮ハルヒの団、まんまSOS団かよ。

 ハルヒたちは布で頭巾ずきんを作って顔をおおい、弓をつがえ、手始めに入門編として辻強盗つじごうとうからはじめた。近場ちかばでは知り合いが多いので、住んでいた森から遠征した。領主が住んでいる城に続く道は隣の領地からの街道になっており、銀行屋や交易商人、それに御用達ごようたしの職人なんかがときおり通りがかる。城から出てきたところを足止めして領主から支払われた金銀のたぐいをすべて強奪、銀行屋の護衛の兵士からは武器装備馬、馬車にいたるまですべてを没収した。

 唯一評価できることがあるとすれば、それは決して農民は襲うなという命令だった。ハルヒは自分を義賊だと自負しており、農民を敵にすれば同情票すら失ってしまう。もし捕まっても、仮に死刑になったとしても農民があたしの味方になってくれて、ロード・オブ・スズミヤは貧民のために戦ったのだと歴史に名を残せるわ、などと物騒ぶっそうなことを言っている。

 ハルヒが捕まるようなヘマはしないと思うが、メンバーに怪我人けがにんが出ないか、兵士に殺されたりしないか、一計を案じた領主の罠にかかって全員一網打尽いちもうだじんになったりしないかと古泉はハラハラしどおしだった。


 実は強盗が出るのはそれほど珍しいことではなく、村から追い出されたアウトローたちが集まって野盗やとうと化すのはけっこうあったようだ。こういう組織犯罪を取り締まるのはだいたい領主に使えている兵士たちなのだが、彼らも農民出身で警備専門というわけではなく自警団に毛が生えた程度のものだ。捕まえたところで給料も出ないしな。懸賞金がキャリーオーバーされているところを見ると検挙率はそれほど高くなかったと見える。

 ハルヒはそんな一般の強盗と一緒にされるのが嫌だったらしく、あたしたちはただの山賊団じゃないわ、差別化しないと! となにに対抗意識を持っているのか意味不明なのだが、とりあえず衣装を変えてみようということになった。それがあのゼルダ、もといリンクコスプレである。古泉はふつうに貴公子風の黒マントを羽織り、仮面舞踏会で被るような怪傑かいけつゾロ風のマスクを付けている。


 山賊団の最初のエモノは貴族だった。あるとき買い物がてら斥候せっこうに出たメンバーが耳寄りな情報を仕入れてきた。

「ボス、いいブツが手に入りそうですぜ」

「だぁれがボスよ! あたしは猿じゃないわよ。マイレディと呼びなさい」

「ま、マイレディっすか……」

朝比奈さんならともかく薄汚れた山賊がレディを名乗るのは無理があるんじゃ。

「で、なんなのそのエモノって」

「明日、城で晩餐会ばんさんかいをやるそうで。あちこちから高貴な御仁ごじんが集まるとか」

「ふーん晩餐会ばんさんかいね。よーし、分かった。最後の晩餐ばんさんにしてやるわキヒヒ」

お前、最後の晩餐ばんさんって言いたいだけちゃうんかと。

 ハルヒは念入りに作戦を立て、城に続く道でもっとも通行の多い場所を狙って部隊を潜入させた。森を通る道に落とし穴を用意し、木の上にカモフラージュされた偵察台を作った。通信手段は動物の鳴きまねを全員で練習し、まあ二三百メートル程度の距離なら連絡できるようになった。

「いい? みんな。あたしたちはついに大物を狙うわよ。失敗は許されないわ。これにはチームプレイが必須なの。一切のスタンドプレイを禁止するわ」

お前のスタンドプレイのためにどれだけ周りが巻き込まれているか、少しは認識してほしいものだね。

 そろそろ日も傾き午後六時の鐘が鳴る頃だったが、街道を通る一台の箱馬車があった。河原で魚を捕るふりをしていた斥候せっこうの一人が、馬車をあやつっている御者の服装がどうも高貴すぎるので、おそらく貴族様が乗っているのだろうと馬の鳴き声で通報した。

 それを聞いた森の監視担当がガチョウの鳴きマネでエモノ通過の一報あり、と隣の班に伝え、そこから妙に下手くそなフクロウの鳴き声が響き渡り、それを聞いた地上部通信班が火打ち石でき火を起こし始める。緑や紫の煙が出る薬草を燃やして伝言を伝え、ってボスケテかよ! ノロシとはまた悠長ゆうちょう諜報部隊ちょうほうぶたいだなオイ。

 はるか数キロ先の丘の上に立ち上る煙を監視していたハルヒは、

「来たわよ、待望のお金持ち! その名も、」

「貴族、小型の馬車、護衛なし、イケメン御者、ですね」どんな暗号だそれは。

「ポイントA地点にただちに急行すると返信して。騎馬部隊集合、かねてより張り巡らしていた網にエモノがかかったわ。古泉くん、用意できてる?」

「やれやれ、しょうがないですね。参ります」

自重じちょうしろと言われたのに始まったもんは仕方がない風の古泉だが、メンバーの中でいちばん着飾ってるのがお前自身なのは気のせいか。

 ハルヒを先頭に山賊小隊が馬を走らせた。刈り取りが終わったばかりの畑の間をうように、奇妙奇天烈きみょうきてれつな騎馬軍団が、先頭からリンク、道化師、魔法使い、修道士、最後に怪傑かいけつゾロ様がゾロゾロと走り抜けていった。ゼルダ姫コスプレで早駆けするのは危ないというので、残念ながら朝比奈さんはお留守番だ。


 第二報、箱馬車は森の中に入った。山賊を警戒しているためか加速中。ハルヒたち騎馬部隊は道の反対側から入り、同時に偵察部隊が後ろ詰めをする。偵察部隊を三人残して入り口をふさぎ、ほかの馬や馬車が入ってこないようにする。

 遠くからクワクワとアヒルの鳴き声がする。どうやらエモノが目前に迫っているらしい。古泉が七面鳥の鳴き声で返答する。ゆるくカーブした道の奥からひづめの音が聞こえてくる。ハルヒはムチをふりふり第一戦闘速力で特攻をかけた。

「いっちばんのり~見えた! 見えてきた! 見えてきたわよ!」

古泉は思った。こんなにイキイキとしたハルヒを見るのはいったい何日ぶりだろう。農地を追放されてからどこかストレスを溜め込んでいて、ずっと眉間にしわを寄せていた。やっぱりハルヒには風の中を走り抜けている姿が似合うと思う。

「ひゃっほ~、」

ハルヒは山賊団いちばんの俊足しゅんそくを持つ軍馬にまたがり時速六十キロのスピードで突っ込んだ。落とし穴に。

「涼宮さん!」

前方を走っていたはずのハルヒが一瞬で消え古泉は手綱たづなを引いた。全速力で走っている体重五百キロの馬をいきなり止めるのは簡単なことではない。古泉の馬は、頭から突っ込んだハルヒと穴を高く飛び越えた。

 自ら掘った落とし穴に自らハマるとは、古泉は豚の鳴きマネで作戦中止を命じた。

「むぐぐ……ぐぐ。誰よ……こんなところに……落とし穴なんか」

穴の底から聞こえてくるのはまだ生きているらしいハルヒの唸り声である。誰かって、はい、お前だ。

「大丈夫ですか涼宮さん」

道の幅いっぱいに掘られた、長さ二メートル深さ一メートルの穴の底に向かって呼びかけた。ここは陽気に笑いとばすべきか、それとも神妙な顔をして作戦についてもっともらしい反省点を述べるべきか、はたまたしらばっくれてオラなにも知らねえッスを決め込むべきかを迷っている。

「ぷはぁ。大丈夫に決まってるじゃない、これしきの罠であたしがへこたれるとでも!?」

罠っていうかお前が掘らせたんだろ。騎馬部隊の面々はゾロゾロと玉突き衝突しそうになりながら馬を止めた。


「あのぉ……大丈夫ですかぁ?」

後ろから聞き慣れぬ声、若かりし頃の朝比奈さんみたいな細い声が聞こえた。例のエモノの箱馬車から出てきた、おおぅ、こっちは本物のお嬢様である。頭に銀色のティアラがちょこんと乗っかっている。レディシップだぞレディシップ、お前らが高いぞ。

「あの、もしかしてあなた方は……」

古泉はヒラリとマントをひるがえし深々と頭を下げ、

「お察しの通り、山賊団です。そう呼んだほうがいいでしょう」

「やっぱりそうだったんですかぁ。この辺で、走る仮面舞踏会みたいな人たちが出ると噂を聞いてたんですけど、まさか本物に出会えるとは思ってませんでしたぁ」

レディシップは右手を差し出し、古泉は軽く口付けをした。

「お見苦しいところをお見せしました。僕たちはまだ研修中の山賊なのです」

「そうなんですかぁ。山賊さんもたいへんなのですね」

「ええ。捕まったら最後、縛り首です。残る子供たちはどうなることやら」

「あの……よろしかったらこれ少しですけど、どうぞ」

レディシップは自分の財布を古泉に下賜かしした。

「マイレディ、よろしいのですか。今宵こよいは舞踏会のご予定では」

「いいんですよ。うちのお母様が、領主様にわたしを見初めていただこうと無理やり連れだされたので」

馬車のほうをふり向くと、ドアの影でお母様とやらがカタカタと震えながらこっちを伺っている。

「では、お言葉に甘えて頂戴ちょうだいいたします」

古泉は腰からフェンシングのブレードみたいなやつをすらりと抜き、財布を引っ掛けてくるくると回し、再び腰にした。

「まあ、かっこいいわ」

「マイレディ、よろしければ城の入口までエスコートさせてください。護衛もなしにご婦人だけでは物騒ぶっそうです」

はい山賊のお前が言うな。

「ありがとうございます。それではよろしくお願いしますね」

「穴をけてお通りください。皆さん、レディシップのお通りです、道を開けてください」

いったい何の会話をしてるんだというボス、もといレディ・ハルヒを尻目に一行はリアル貴族の馬車を前と後ろで挟んで護衛して進んだ。呆然とするハルヒを放置していくなんざ古泉もドライだな。


 帰ってきてからハルヒはずっと機嫌が悪かった。それというのも古泉が本物の貴婦人に、それも若い娘にデレデレしていたからであるが、貴族からほどこしを受けたというのも気に入らなかった。

「初収入ですよ。喜んでください」

「古泉くん、あんたにはプライドってもんがないの?」

「そんなものはSOS団に入ったときにどこかへ置いてきてしまいましたよ」

おいおい古泉がはっきりモノを言うようになったぞ。謀反むほんだ、造反ぞうはんだ、革命だ、ボスに挑戦する副将だ。山賊団はここに来て新しいリーダーの登場か。


 SOS団始まって以来の黒歴史とも呼ぶべき赤っ恥をかいた黄色いひよっ子盗賊どもは、雪白せっぱくのようなお姫様から一ヶ月くらい食っていけるほどのお金を賜った。念入りに練った作戦というやつが素人考えだということを反省したハルヒは、市場いちばが立つ日や給料日などお金が動く日だけを狙って待ち伏せすればいいということに気づき、特定の日時に戦力を集中して森の中でじっと待ち伏せる作戦に変更した。これが功を奏したのか少しずつ山賊団の収入が増え、少なくとも飯が食えないという日はなくなった。


 待ち伏せをかけたエモノの中に俺と長門もいたわけだが、二人のように最悪返り討ちにしてくる奴もいたりで、そうそう都合よく大金が手に入るわけではなかった。城に来る客が全員金回りがいいかというとそうでもないし、領主の方もこのところ景気が下り坂のようで、辻強盗つじごうとうで領主の金が奪われると税収から補わなくてはならない。すると生産者のコストが上がるわけで、穀物の値段が上がると物価全体を押し上げる。さらに銀行屋や交易商なんかは領主が特別に保護していて、そいつらが強盗に襲われると領主自ら損害金を払う。その結果税金が上がり、物価が上がると庶民の買い物が苦しくなる。もしかして自分たちは、自分で自分の首をめているのではなかろうか、などと古泉は疑念を払いきれないのだった。


 季節は秋も過ぎ、赤く染まった落ち葉の舞い散る森の中の生活である。広葉樹のほとんどは葉を落とし、杉やヒノキなどがかろうじて冷たい風を防いでくれている。秋の野菜はあらかた食べつくし食料も心細くなってきた。

「寒いわね~」

明け方ハルヒは歯をカチカチ言わせながら小屋から出てきた。しもが降りるほどの気温の前にはき火の炎も劣勢な、妙に寒々しいこのごろである。

「気温が温かいうちはよかったですが、こうなってくると石造りの建物のありがたみが分かりますね」

「ここに石で家を建てられないかしらね」

「石工と大工さんが必要ですね。あいにくと全員が農家ですから、木を切るくらいしかできません」

石造りの家ってのはそうそう簡単にできるもんじゃないしな。石工職人ってのはほうぼうで重宝されていて、建設現場を渡り歩いても食うに困らないくらいの仕事らしい。

 十一月に入ると冷たい雨が降った。畑にいた小麦の種が芽を出す前にこの雨に当たると、凍ってしまって全滅することもあるという。それから空が曇ると雪が降り、まれに積もることもあった。日の当たる時間も短くなり、北海道より北にあるイギリスの冬は存外厳しかった。


 山賊団の間で風邪が流行った。熱が出て咳が出る。腹の具合もよくないみたいだ。たぶんインフルエンザのたぐいだと思うのだが、古泉も朝比奈さんも医学の知識がないので違いが分からなかった。ワクチンや抗生物質などはなく、ただなるべく暖かくしておかゆを食べさせるのが精一杯だった。そんな中ハルヒだけはピンピンしていて山賊活動を続けていた。ソロで強盗ってどんなギャグだと笑いたくなるのだが、ハルヒにしてみれば死活問題だったのだろう。


 じいさんの具合がよくなかった。コンコンと小さな咳が続いて熱もあるようだった。ハルヒはじいさんだけでも家に帰せないかと古泉をつかいに出したのだが、家は厳重に封鎖されていて兵士に追い払われるようにして帰ってきた。古文書を調査すると言っていた裁判所はあれからなにも言ってこない。

「大丈夫グランパ?」

「ああ、大丈夫じゃ。温めたワインを飲めば治るよ、治るともさ」

じいさんはかすれた声で言い、咳をおさえながら素焼きのカップをすすった。

 雪の降る晩、隣の小屋から小さな咳がずっと聞こえていた。朝比奈さんが、旦那様の意識がないとハルヒを呼びに来た。

「たいへん、すっごい熱じゃない!」

「僕が医者を呼んできます」

「わたしはお湯を沸かしておきます」

古泉は夜の夜中に城のある街まで出かけ、一人しかいない医者の家に馬車を走らせた。前にも説明したがこの時代の医者というのは裕福ゆうふくな患者しか診てくれないものだ。治療費も高く一般市民に払えるものではない。古泉は家のドアをドンドンとこぶしで殴って医者を叩き起こし、治療費ならなんとかする、急病なのでとにかく診てくれと頼み込んだ。医者はこんな寒い夜に遠出したくないとゴネたが、そこをなんとかと粘る古泉に連れられて馬車に乗り込んだ。この馬車は荷馬車だから屋根もないのだ。

 医者が森にたどり着くと、眠っているじいさんをなでたり耳を近づけたりしながら、今年はいたるところで風邪が流行っていて薬という薬が手に入らないのだと言った。とりあえずお湯を沸かして小屋の中を温め、目が覚めたら温めたワインに薬を溶かして飲ませなさい、と丸薬がんやくを一粒だけくれた。ハルヒはじいさんのひたいに置いた濡れたボロ切れを無言で取り替えている。

 古泉は城までの道をもう一度往復し医者を送り届けた。当然現金は持っていないので、治療費はそのうち払うからとじいさんの長剣を担保たんぽに渡した。

 古泉が雪の中を戻ってくるとハルヒはまだ看病していた。

「ありがと、古泉くん」

「ええ。旦那様の具合はどうですか」

「相変わらずよ」

じいさんはうわ言で一度だけハルヒの名前をつぶやいたそうだ。

 小屋の中に敷いたわらの上で寝ているじいさんのひたいから、玉の汗が流れるように顔を伝っている。自分が着ていた上着をじいさんにかけ、ハルヒは薄着のまま、川から何度も水をんできて体をいていた。せめて抗生物質の一粒でもここにあったら、と三人ともが思ったに違いない。病院も薬も遠く時の果てにあり、かなわぬ願いだった。

 じいさんのかすれるような息が続き、やがて潮が引くように汗が止まった。最後に大きく息を吸い、それから呼吸が止まった。

「グランパ! グランパ! ここで死んじゃだめよ!」

ハルヒは狂ったように人工呼吸と心臓マッサージを繰り返した。見かねた古泉が交代し、十五回の心臓マッサージに二回の人工呼吸を何度もほどこした。

「ここであきらめちゃだめよ、土地を取り返すんでしょ!!」

「涼宮さん……」

ハルヒは朝比奈さんが止めるのもふり払い、じいさんの顔にポタポタと涙が落ちて濡れるのも構わず、ただ一人でマッサージを続けた。

 じいさんの体がだんだんと冷たくなり、顔色が土気色つちけいろになった頃にハルヒはようやく手を止めた。

「ちょっと、二人だけにしてくんない?」

うつむいたままボソリとつぶやいた。

 古泉と朝比奈さんは顔を見合わせ、何も言わずに小屋を出た。

「今日はそっとしておきましょう」

「それがいいわ」

みんなにもそれとなく伝えた。


「──、というようなことがありましてね」

長かったな。アニメ一期分はあったんじゃないか。

 俺はたきぎをくべて、残っている炭火を吹いた。すでに日は暮れかかり、古泉の冒険だんに聞き入っているうちに火が消えたのに気づかなかった。

「僕にとっては波乱に満ち満ちた、人生最高の冒険でしたよ」

俺は一人語りを終えた古泉の横顔をまじまじと見た。き火の赤い光に照らしだされる顔はすこしやつれていたが、目だけは最後に会ったときよりも活き活きとしている。

貫禄かんろくがついたな、少しだが」

「ありがとうございます。今回はいろいろと勉強させられています。少しばかりの反省も含めて」

「ほう、いつになく謙虚けんきょじゃないか」

「SOS団に関わるようになってずっとあなたの行動を観察してきましたが、僕のほうがもっとうまく立ち回れるのではないかという、無意識の中におごりのようなものがありました。今回自分が涼宮さんのフォローをするという立場になってはじめて、あなたの今までの苦労が身に染みて分かりましたよ」

そこまで言われるとなんだか俺だけがすごく苦労したみたいに聞こえるが、まんざら悪い気はしなかった。

「それで、じいさんが死んでハルヒはさぞかしひどい暴れ方をしたんだろうな」

「いえ、むしろ静かでした」

古泉は、酔っ払ってわけわからん英語の歌をがなりたてているハルヒを、遠い目をして眺めた。長門が無言で俺の脇腹をツンツンとつつき、

「……」

後ろをふり向いて、林の向こうの暗い空間を示した。

「ああ。あそこに眠ってるのか」

「……そう」

林の中に開けた場所があり、ちょっとだけ土が盛り上がっている。そこに不器用な感じで交差させた木の枝がぽつんと挿してあった。

 俺は立ち上がってその土の盛り上がりのほうへと歩いた。長門も、その後に古泉も続いた。俺は盛土をおおう枯れ葉を丁寧に取り除いた。旦那様は冷たい土の中に、か。まあハルヒが世話になったんだ、ひと言でも礼を言いたかった。

 俺は名も無き墓の前にひざを付き、両手を胸の前で組んで、死者のための祈祷きとうを唱えた。


── 主の聖人は来たりて彼を助け、天使は彼を迎え、彼の霊魂れいこんを受け取りて、いと高き天にまします主の御前みまえささげたまわんことを。主よ、永遠の安息を彼に与えたまえ。絶えざる光を彼の上に、霊魂れいこんの安らかにいこわんことを。


── 我らが主、キリストの名において願いたてまつる。


最後に三人の声が重なった。「アーメン」

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