十章

 冬小麦を植える一回目の犁入れが終わり、そろそろ暑い夏の盛りがやってこようとする頃。あれから三ヶ月ほど経った今では、違法に拡張作業を続けていた畑は役人に気づかれることもなく少しずつ広がってきて、測量してみると農奴のうどにだいたい一ハイドずつ行き渡る程度の面積になった。一ハイドあれば家族を養えるし農作物を売ることもできる。住み込みメイドになった女の子の家も来年の家計は多少楽になりそうだった。それまではじいさんの家で預かる、ということらしい。朝比奈さんにも実のお姉さんのようになつき、まあ本人が楽しんでいるようなのでそれはそれでよしとする、とのハルヒ談である。

「農耕馬も欲しいところねぇ」

言っておくが家畜泥棒は重罪だぞ。即効で死刑だ。古泉もそれを知っていたので釘を差した。

「涼宮さん、家畜を黙って借りたり拾ってくるのは絶対にダメです。重罪です」

「知ってるわよ。とりあえず土地だけは確保できたけど、それだけじゃみんなで一斉にすき入れできないじゃない」

「そうですね。開放耕地はヨーロッパ独特の耕作手法ですからね」

開放耕地がどういうものかというと、村の農民が広い土地を共同で所有する、とでも言えばいいか。帳簿上はそれぞれに所有する土地の面積が割り当てられているが、実際に耕して収穫するためには一切の境界線をなくし、全体をひとつの大きな畑として扱い、全員で決められた作物を植えて全員で収穫する。収穫の際には、帳簿上で所有する面積に従って長いうね単位で割り当てられる。

 古泉が何度も“畑を耕す権利しか持っていない”と言っていたのは、収穫のうち得ることのできるうねの本数の権利だったのである。権利を持っているのは農民だけではなく、領主や教会や修道院が持っているものもあるが、その場合作業するのも雇われた農奴のうどである。

 とはいっても、地形的にまとまっていない土地もあるし、ある畑には十人、別の畑には二十人の持ち主がいて、それぞれ又貸しの借り手がいたり、雇われの農奴のうどがいたりという複雑な権利関係になっている。同じ畑で植え続けると土地がせるので三年でローテーションを組むとか、羊を放牧するとか、春麦と冬麦のスケジュールを決めるとか、その辺の一切を管理しているのがマナーハウスというわけだ。これが意外と大変なんだよ。

「めんどくさいわねー。でもまあ、日本みたいに農地をちまちまとあぜ道で分割してムダに作業が増えるよりはいいことかもね」

「ええ。一人で一ヘクタール耕すより十人でまとめて十ヘクタール耕すほうが労働力的にはかなり楽になります。牛や馬の場合は特に」

「そうそう。だから馬が欲しいわけよ」やっぱりそこにたどり着くのか。

「若い馬を安く買って二年くらいかけて調教するしかなさそうですね」

「またお金稼がないといけないわねぇウヒヒ」

そこで密造酒ですか。


 台所がまたもや男子禁制となり、メイドさんがかいがいしく走り回り、鍋や樽が転げまわる音がしてドアの向こうから甘い匂いが漂ってくるようになった。働く女性というのはこうもいとおしいものなのだなぁと、古泉は細い目をさらに細くして微笑ほほえんでいる。

 なにかの用でふとした拍子に古泉がうっかりドアを開けてしまい、

「執事さん、覗いてしまわれたのですか!」

機織はたおりをしていた鶴にくちばしでつつき回されそうな勢いでメイドさんに怒られた。古泉はまさか飛び去ったりはしませんよねという感じで、

「すいません、涼宮さんはいますか」

「ミス・スズミヤは三日前からお出かけ中でいらっしゃいません」

「え……どこへですか?」

ずっと台所にこもっているとばかり思っていた。最近古泉に黙って出かけることが多い気がするのだが、ハルヒが行き先を言わないときはたいていやましいことがあるか、はたまたとんでもないことを思いついたかだ。じいさんに聞いてみると、なんでも数ポンドの大金を貸してくれと言って金の入った袋を握りしめたまま馬に乗ってでかけたそうな。

 ハルヒが金を持ってトンズラするなんてことはまずないと思うが、それっきり帰ってこないので気をんでいたところ、数名の村人とともに馬を引き連れて帰ってきた。

「たっだいまぁ! 大漁よ大漁! もう笑いが止まんないったらないわ」

最近のイギリス海峡では馬が釣れるのか。

「おかえりなさい。皆さん心配してましたよ」

「めんごめんご! 夜討ち朝駆けで出かけちゃったから言う暇もなかったのよ」

メモを残していくくらいしてくれてもよさそうなものを、と古泉は思ったが口には出さず飲み込んだ。ハルヒの連れには五人ばかしの村人がいて、それぞれ数頭の馬を連れている。

「立派な馬ですね。高かったでしょうに」

「チッチッチ、格安航空チケット並みよ」

走ってる最中にふり落とされたりせんだろうな。よくよく見てみるとどうも目つきが悪い。あちこち怪我けがをしているのもいる。農耕馬にしては筋肉がなく足が細い。

「涼宮さん、これ軍用ですよ」

「いいじゃないの。馬には変わりないんだから」

「いえ……軍馬と農耕馬はまったく違いまして……」

古泉は頭痛に見舞われて誰かの仕草をまねるように眉間をおさえた。農耕馬はモノをひっぱるのが仕事で、体全体の筋肉ががっしりしている。軍用馬は機動性を持たせるために早く走るように体格を作ってあり、長時間の力仕事には向いていない。農耕馬は比較的穏やかな大型の品種を使い、軍用馬は中型で人や武器を怖がらないように激しい金属の音や刺激性の匂いに慣れさせている。戦場では人を踏みつけたり噛み付いたりもする。

「疑うわけではありませんが、正規ルートで手に入れられましたよね」

騎士や兵士の馬を奪ったりしたらえらいことになるぞ。

「馬の流通なんか知らないわよ、戦争をやってる大陸から中古の馬を輸入しただけだし。一頭だいたい五シリングでね」

じいさんの経理担当をしている古泉の説明によると、農耕馬の相場は一頭が十シリング(百二十ペンス)くらいで、現役の軍用馬だと一頭あたり十ポンド(二百シリング=二千四百ペンス)もするらしい。エサ代もかかるし調教にもかなりの金がかかっているはずだが、それが農耕馬より安いとは、とんだ中古車並みのお値段である。ぜってー盗難車だろ。

「これって盗難車……じゃなくて盗難馬じゃないですか」

「さあね。あたしはちゃんと動物商にお金を払ったわけだし、出処でどころがどこだろうと知ったこっちゃないわ」

ハルヒは腕を組んでツンとすまして応えた。

「軍用馬はたぶん農耕には使えないと思いますよ」

「だったら、農耕馬と掛けあわせて繁殖させればいいのよ」

「ま、まあその手がなくもないですが……生まれるのは来年の話ですよ」

古泉は思った。もしかしたら自分は段々彼に似てきているのではないだろうかと。涼宮さんのフォローなど余裕でできると思っていた自信が崩壊しつつあるのではないか、と。俺が言うのもなんだがツッコミ方が似てきてるぞ。

 ともあれまあ、金を払っちまったもんはしょうがない。聞いた感じだと身元も怪しげな動物商らしいので返品もできないだろう。じいさんに借りた金を返すために馬の繁殖をさせるという条件をつけ、ハルヒ自身が生類憐しょうるいあわれみの令を遺憾いかんなく発揮はっきして馬の世話をやることになった。家畜小屋に入りきれないため馬小屋の拡張もしなくてはならず、じいさんにはまた出費を頼まなくてはならなかった。


 軍用馬というのはなかなかに気性きしょうが激しく、家畜小屋が毎日大騒ぎでハルヒは馬と同レベルで喧嘩けんかをして蹴られるようで、顔によくひづめの形をした青あざができていた。じゃじゃ馬がじゃじゃ馬ならしをしてるってどんなジョークですか、ひざを叩いて笑いたい気持ちというのはこういうのを言うのですねと古泉はシミジミと語っている。

 エサ代はかかるわ雌馬を見たら盛って騒ぎ立てるわ馬糞を運ばないといけないわでハルヒも髪をふり乱して世話に明け暮れている。古泉は家畜の世話が嫌なわけではないが、これはハルヒがはじめたことだから自分でさせるべきだと思い一切手伝わなかった。


 ハルヒのスパルタ式調教で、すきを引くことは無理でも軽い馬車くらいならなんとかなる程度までには仕込むことができた。軍馬を引退して第二の人生に慣れてきたところで、馬を農奴のうどの家に連れてゆき面倒を見てもらうことにした。そのうちの何頭かは農耕馬に種付けをしてもらったので来年の今頃には仔馬が生まれていることだろう。

 農奴のうどが自分の馬を持つというのはなかなか手の届かない願望らしく皆一様に喜んでくれ、ハルヒはちょっとした英雄扱いされている。いいのよいいのよあたしはあんたたちがシアワセならそれで、と、おだてられるとのけぞってガハハ笑いをするハルヒだった。


 この頃では村でのハルヒの発言力はかなりのものになっており、開放耕地のスケジュールや土地の改良にも口を出すようになっていた。村の長老たちは他所から来た若い娘がなんも知らんとツベコベ言うなと怒っていたが、若い連中や農奴のうどを中心にハルヒに賛同する者も多かった。


 そろそろ夏も終わり、畑が一面の黄金に色づく収穫の季節である。


 日本ほど湿度の高くないイギリスとはいえ蒸し暑く寝苦しい夜だった。硬い玄関の扉をドンドンと叩く者があった。古泉が窓から見下ろしてみると十数人の兵士が獣脂じゅうしランプをかかげている。皆腰からつるぎを下げており槍を持つ者もいた。ただならぬ気配に古泉は部屋から飛び出してハルヒの部屋のドアを開けた。

「お二人とも、納戸なんどに隠れていてください。急いで!」

「古泉くんなにがあったの」

「招かれざる客です。なにやら不穏な動きがあります」

この時代は押し込み強盗が多いからな。


 階下に降りて行くとじいさんが玄関のドアを開けて対応しているようだった。兵士はこの土地を治める領主の紋章を付けていた。いちばん偉い感じでリーダー格の、たぶん騎士だと思うが、がっしりした胴に鎖帷子くさりかたびらと腰には皮のよろいを着ている。馬に乗ったまま、家中に響くような大声を出して仰々ぎょうぎょうしく開いた巻物を読み上げていた。

「裁判所命令である! 領主様の森林を無断で伐採ばっさい、並びに土地の無断使用のかどで財産を差し押さえする。開廷は一週間後、文句があれば申し立ては法廷でせよ!」

部下の一人が差し押さえ状をドアに釘で打ち付けている。じいさんは呆然と立ち尽くし、メイドさんはオロオロするばかりだった。兵士は住人を家から追い出し、窓やドアに板を打ち付けてふさいだ。

旦那様My Lord」古泉が話しかけているのは偉そうな兵士のほうである。

「なんだキサマは」

「この家で執事をしております、コイズミと申します。いったい何があったのかお話いただけませんか」

「フン。農家の執事などに話すことはないわ」

「訴状を見せていただけませんか」

「そんなものは裁判所に行って見せてもらえ。とにかく土地も財産もすべて没収。一歩も立ち入ることはならん」

なにかこう、上から見下されている感が否めないのであるが、騎士とはそういうものかもしれない。これ以上怒らせてこじらせて牢屋に押し込まれでもしてはいけないと思い、古泉は黙って引き下がった。


「どうしましょうか旦那様」

「どうと言ってものう……」

じいさんは途方に暮れている。兵士はさまざまな権利書、金の十字架や宝石など金目の物を持ちだしており、じいさんと古泉以下使用人は家の庭でその暴虐ぼうぎゃくぶりをただただ見ているだけだった。彼らのいう財産とは家畜も含めてのことらしくアヒルやニワトリを荷車に乗せて運び出し、豚と羊は数を数えて後日引き取りに来ると言っている。

 リーダーの騎士はジロリと古泉たちを一睨ひとにらみした後、馬に飛び乗って去っていった。家のドアの前には警備を命じられたらしい歩兵が二人立っている。こっそり忍びこむわけにもいかなさそうだ。

 そういえばハルヒと朝比奈さんがいない。まだ家の中に隠れているのだろうか。

「旦那様、小銭を少しお持ちではないでしょうか」

「わしは持ってないが、おいメイドさんや」

メイドさんに命じてこっそり金銀を持ち出させたらしくエプロンの下に財布を隠している。古泉はパブに人をやってこの村でいちばん強い酒を買ってきてもらった。ドアの前に陣取っている二人の兵士に近づき、いやー今日はお疲れでしたねと親しげに話しかけ足元にラム酒の瓶を置いた。

 兵士は最初、キリッとした顔で買収には一切応じない感じだったのだが、古泉が住人を連れて家の影に隠れると途端とたんに肩の力が抜け、一口だけならいいよな、そうだよな、と口々に言って瓶を空にした。飲んだら緊張の糸がゆるんだのか槍を持ったままうとうとしはじめ、ドアの前の敷石に座り込んで眠りこけてしまった。

 古泉は二階の窓に砂粒を何度か当てて指笛を吹いた。朝比奈さんが目から上だけを覗かせ、続いてハルヒが窓を開けた。いったいなんの騒ぎよと大声で叫ぶ前に唇に人差し指を当てて、眠っている兵士を指差してみせた。

「気づかれないように……台所の鍵を開けてください」

朝比奈さんがうなずいて窓を閉めた。ハルヒの眉毛がぴくぴくと上がったり下がったりしている。家の裏からごそごそと音がしてロウソクを灯した二人が出てきた。

「いったい何の騒ぎよ!」

静かにしろとあれだけ伝えておいたのにハルヒの号砲が飛び古泉は耳をふさいだ。運が良かったのか兵士は起きなかった。ハルヒはドアに貼られた差押命令書さしおさえめいれいしょ、これはフランス語で書いてあるはずなのだがそれを読むなり、

「差し押さえってどう……ムググ!」

古泉が口をおさえて後ろから羽交はがめにした。

「ともかく、これ以上騒ぎを大きくすると裁判で不利になります」

「誰が大きくさせてムググムググ!」

「これなにが書いてあるの?」朝比奈さんが尋ねた。

「領主の資産を脅かした罪で告訴され、出廷保証金のために不動産と動産を差し押さえる、と書いてあります」

「まあ、開拓がバレたのかしら」

「そのようです。役人と親しい村人の誰かから漏れたのかもしれません」

「わたしたちどうなるの?」

「来週早々に領主様の元で裁判があるそうです。それまではなにもできませんね」

「それまでどうやって暮らしたらいいのかしら。収穫前の畑もあるのに……」

「収穫物はすべて領主のふところに入りますし、思うに、旦那様の財産が狙いで、裁判そのものは二の次ではないかと」

「そう……」

朝比奈さんは肩を落とした。


「旦那様、今日のところはメイドさんをご実家のほうにお帰しになられてはどうでしょう」

「そうじゃな。こうなってしまっては仕方がない」

「明日にでも僕が裁判所に行って訴状を確かめてきます」

「そうしておくれ。当面の生活費を皆に配りなさい」

じいさんの財布から少しずつだが、給料としばらくは食べていけるだけのお金を渡した。使用人もメイドさんもなんだか申し訳ない感じでお礼を言い、自分の荷物だけを持ってそれぞれの家族の家に戻っていった。

 じいさんと古泉は兵士が眠っているうちにと、当面必要な荷物を家の中から持ちだして荷車に積んだ。馬は軍馬も含めてすべて兵士が連れて行ったので自分で押して歩くしかない。

 ハルヒは腕を組んだままイライラと靴を踏み鳴らしている。やっと農業経営が軌道に乗ったと思ったところがここに来てお役人の邪魔が入ってしまった。


 古泉は家財道具が山積みされた荷車を見て、

「旦那様、僕たちはこれからどうしましょうか」

「どこか身を寄せられるところを探そうかの」

じいさんは村のマナーハウスのメンバーなので、知り合いの地主が助けの手を差し伸べてくれるだろう、と言った。

 古泉が荷車を押して運ぼうとするとハルヒが、

「もぅアッタマ来た。行き掛けの駄賃に装備をもらっていくかんね!」

眠りこけている兵士に向かって怒鳴りつけ、やおらよろいを脱がせ始めやがった。

「す、涼宮さんなにをなさるんですか」

ハルヒは兵士をスッポンポンの丸裸にしようとしている。最後の一枚をぎ取ろうとするのを古泉が必死で止めに入った。

「ええい離せ、あたしのなぐさみものにしてくれるわ!」

「なりません涼宮さん、兵士にもプライドがあります。それだけは、それだけは」

がっちりと腕をおさえられたハルヒは古泉に向かってビシ指をして、

「古泉くん、あんた最近キョンに似てきたわよ!!」

気にしていることをスバリ言われて古泉は手を離した。哀れ酒に酔った兵士はフリチンのままゆるんだ顔で眠っている。ゆるせ兵隊さん。っていうか古泉、股間に干し草を載せてやるのは親切心のつもりなのか、もう少しマシなもんはなかったのか。

 ハルヒは強奪した鎖帷子くさりかたびらを着て革のスカートで腰を巻き、鉄のカブトを被って槍を構えた。

「ほら、古泉くんも着なさい」

「ぼ、僕もですか」

さっきのセリフに少しばかりショックを受けていた古泉は言われるがままによろいを着せられ、盾を持ち、腰から重たいつるぎを下げた。

「どうよこの凛々りりしい姿、いっぱしの騎士みたいじゃないの」

められて喜んでいいのか悪いのか、古泉はカブトのフロントカバーの内側で汗を垂らしながら笑った。

「そうだわ、こういうときのためにキョンよ」

え? 俺はまだ登場しないはずだがな。もしかしたら掃除用具入れにでも同位体が転がっているのか。

 家畜小屋に引っ込んだと思ったら、キラキラと目を輝かせてハルヒが連れてきたのは一頭だけ残していた軍馬だった。お前の家畜を見りゃキョンと名付けるくせはなんとかならんのか。

「さあさあ、ロード・コイズミ、あなたの馬よ。お乗りなさい」

軍馬に乗るのははじめてで、もしかしたら相性が悪くふり落とされるかもしれないが、古泉はアブミに足をかけて馬の背中に載った。朝比奈さんがランタンで照らし出し、

「こんなときになんですけど、古泉くん、れするわ」

「そうですか。ありがとうございます」

朝比奈さんにめられて鼻の下を三センチほど伸ばしている古泉である。フンっ。

「さあグランパ、兵力も整ったことだし、どこへでも行くわよ」

暗い夜道をじいさんとレディ二人を連れて歩くわけだし、まあ武装はしておいたほうが安全だろう。

 これから出征しゅっせいにでも出るかのようなコスプレを目の当たりにして、じいさんは軽い嘆息たんそくを漏らし、ちょっと待っとれと言って台所から家の中に入ってなにか荷物を持ってきた。

「ハルや、これを持ちなさい」

古い布でグルグル巻きにされていた棒のようなもの、解いてみると年季の入ったつるぎだった。抜いてみれば怪しい光を放ち、多少刃こぼれはしているが、の部分に紋章が入っていて宝石が埋め込まれている。

「すっごいじゃない、どうしたのこれ」

「うちはむかし領主様にお仕えしておったのじゃよ」

「だったら少しくらい大目に見てくれてもよさそうなのに」

「いやいや。ジェームズ王よりも前の話でな」

ジェームズ王というのはだな、西洋史でノルマンコンクエストを習ったやつもいると思うが、十一世紀ごろにイギリスを征服した王様のことだ。イギリスの領主は全員土地を没収され、褒美ほうびとしてフランス出身の貴族に与えられた。その末裔まつえいが今の領主なのだという。じいさんの先祖も土地をなくし、残った財産で畑を買い戻し農夫として生き延びてきた。じいさんが言っているのは、それよりも前の話である。

「分かったわ。あたしが預かる」

女剣士が颯爽さっそうと腰にぶら下げるかっこいいシーンを予想したかもしれないが、そこ笑っていいぞ。ハルヒの背丈じゃ足の長さが足りなくてまるで子供兵士だった。長剣は背中に背負うか、馬のくらしておくもんだ。


 ハルヒは先祖伝来のつるぎを背中に挿し、古泉の家来のようにして槍を握った。カッポカッポと古泉が先頭を行き、荷車を押すじいさんと朝比奈さんが続き、行列の最後にキリ顔で槍を持った歩兵ハルヒが続いた。こので立ちじゃ強盗も寄ってこまいて。

 ところが、ランタンを持った四人が暗い夜道を、知り合いの地主を訪ねて歩いていると、どこからかぞろぞろと人が歩いてくる。後ろからついてくる集団に古泉が気がついて馬を止めた。ハルヒが怖い顔をして槍を構えている。

「あんたたち、止マレ。何者か」

コスプレをすると人格まで変わってしまうレイヤーさんがいるらしいのだが、ハルヒはまさにそのタイプらしい。ランタンで照らしてよくよく顔見ると一緒に木を切っていた農奴のうどの家族である。

「なーんだお隣さんじゃない。こんな夜中になにしてんの」

こんな夜中になにしてんのとはまた、こんな夜中に兵士コスプレをして練り歩いているやつが言うことではあるまい。聞くところでは数名の兵士がやってきてなけなしの財産をすべて没収、住んでいた家も追い出されたらしい。

「あいつらあんたのところにも来たの? ひどい悪党ね」

まあ一家族くらいなんとかなるだろうとじいさんが言うので、そのまま一緒に歩いていると、別の一団に出会ってしまった。数家族が一緒にいて今度は小さな子供もいる。

「あいつら……絶対に許さないわ……」

ぶかぶかのカブトの下で表情は見えないが、カタカタと鳴るカバーでハルヒがプルプルと震えているのが分かる。切れて報復に走る前に武器を取り上げたほうがいいんじゃないのか。

 朝比奈さんが両手でおいでおいでをして呼んだ。

「みんなこっちにいらっしゃい。一緒に手をつなぎましょう」

朝比奈さんは子供と手をつないで歩きはじめた。

「みくるちゃん、ありがと」

「いいのよ。こういうとき大人たちの空気には子供は敏感だから」

「そうね。なんかこのコスプレしてるとあたしも殺伐さつばつとしてくるわ」

朝比奈さんが言うには、なるべく子供が不安にならないように、怖がらないようにとの配慮はいりょだった。


 それから荷車が数台、赤ん坊を抱えたお母さん達を真ん中にして、まるでジプシーの集団のようにゆるゆると歩いていく。古泉は馬を降りて一緒に歩き、

「旦那様、この大所帯では誰かの家で面倒を見てもらうのは難しいかもしれません」

「そうさのう……」

「一旦森で野宿しましょうか。小さな子供もいますし、あてもなく歩き続けるわけには」

「そうしようかの」

本当にジプシーになっちまった放浪者たちは、どうやら全員が森林伐採ばっさいに関わったメンバーのようだ。農奴のうどだけではなくじいさんのような農地保有者もいて、もしかしたらマナーハウスの帳簿から足がついたのではないかと古泉は疑っていた。


 まだ暑い季節でよかった、と古泉は思った。ハルヒたちが伐採ばっさいしていた森からさらに奥深くに分け入り、小川の上流の水場があるところで野宿をした。子供たちはき火のまわりでそれぞれの親の足元で眠っている。

「ちょっと出かけてくるわ」

「どこへですか」

「村に戻って明日の食料を取ってくる」

「僕も行きます」

こういうときハルヒを一人で生かせるとなにをしでかすか分かったものではない。

「古泉くんはだめよ。唯一武器を持ってるんだからみんなを守って」

「そうですね、分かりました。くれぐれも無茶をしないようにしてください」

ハルヒはつるぎと槍を持っているとはいえ剣術のたしなみもなくナギナタも使ったことがない。そういえば北高入学時に剣道部と弓道部に仮入部したことはあるか。とはいっても実戦経験のない素人素足が武器なんぞをふり回したりすると、生兵法なまびょうほうはなんとやらで返って危ないのだが。


 その夜皆が寝静まり、数人がうとうとしながらき火の番をしている間じゅう馬のひづめの音が行ったり来たりしていて、ハルヒがえっちらおっちらと小麦粉やハムのかたまり、ニワトリなんかを背負って運んでいた。

「ちょっとあんたたち……誰か腕の立つ人……あたしと一緒に来なさい」

ハルヒがボソボソと小声で呼んだ。

「なにがあったんですか」

「あいつらが連れて行った馬を見つけたわ。マナーハウスに繋いであるの。これから取り返しにいくわ」

「大丈夫ですか。番兵がいるでしょう」

「この時間だもの。誰もいないわよ」

今度ばかりは自分が行って、いざというときは逃げを打たねばと、古泉も同行することにした。村人で馬に乗れる男数名を連れて行った。


 全員でかなりの距離を歩いた。マナーハウスの明かりはすっかり消えていて、さすがの兵隊さんもお休み中らしい。塀の影に隠れて様子を伺うと、馬小屋に入りきれなかったらしく小屋の外の柵に繋いである。

「クックック。バカね外に繋いだりして。盗んでくれと言わんばかりよ」

「僕が様子を見てきます。誰もいなければ指笛で呼びますので、なにかあったらすぐ逃げてください」

「ガッテン承知よ」

 古泉が敷地の中に入り、馬がおびえないように小声で話しかけ鼻をなでた。まわりを伺ってみるが誰かが見張っている感じではなかった。古泉はポポピーと指を鳴らし全員を呼んだ。一頭ずつ綱を解いて塀の外に連れて行き、一人が二頭ずつ引いて歩いた。ひづめの音が聞こえない距離まで離れてから馬の背に乗り、駆け足で走り去った。難なく運び出すことができたが、まさかこんな時代にこんなところで馬泥棒をするハメになるとは。

「グッジョブよ古泉くん。馬小屋の中は無理だったけど、軍馬だけは全部取り返したわ」

「やれやれ……、これも彼の口癖でしたね」


 朝露あさつゆがこんなにじっとりと服を濡らすものだとは、ハルヒも朝比奈さんも露知らず、野宿は体に良くないのだとはじめて知った。朝飯は牛乳以外はとりあえず材料があったので、酵母なしで小麦粉を練ったものを焼き、蜂蜜を塗って皆に配った。数えてみるとジプシーは三十人くらいいた。

 ハルヒは早速穴掘りを始め、そのまわりを木で囲い杉の皮で屋根をふいて小屋を作っている。

「器用ですね。竪穴式住居ですか」

「ちがうわよ、トイレよトイレ!」

ハルヒは目を血走らせてなぜかムキになっている。

「すいませんトイレでしたか」

「男どもはどこででもできるでしょうけどね! レディはそうはいかないのよ」

中世の庶民におけるトイレというのは実に簡単で、家から矢が届く程度の距離で、だいたい五十メートルくらい離れたやぶの中でするとか、あるいは穴を掘ってその上に簡単な小屋を立て、使い終わったら埋めて別の場所に移動する、みたいなものだったらしい。

「さあ出来たわ! 一発目は当然あたし」

今までガマンしてたとはなんとおくゆかしい。ジプシーのレディたちもホッとひと安心している様子だった。自力でトイレまで建設するようになるとは、涼宮さんも変わりましたねえと微笑ほほえましく眺めていると、お前ら聞き耳を立てるなぁとハルヒの怒号が聞こえて矢が届かない距離まで離れた。


 古泉は訴状の内容を確かめるために馬に乗って裁判所へと向かった。その間にハルヒはジプシーたちを指導して竪穴式住居をいくつか建て、とりあえずはお年寄りと妊婦と子供を中心にそこで雨風をしのいでもらうことにした。


 よろいを着ていてはさすがにあやしまれるので着替えてから行ったが、裁判所の警護をしている廷吏ていり(これも兵士だが)にジロジロとなめめ回すように見られた。こいつは近ごろ噂になっているハルヒの下僕げぼくじゃなかったかと思っているのだろう。

 訴状の内容が内容だけに、担当する裁判所はマナーハウスでやる荘園裁判ではなかった。領主の土地を侵害するような罪の場合は領主裁判所が扱うらしい。あと、じいさんは領主の荘園で働いているわけではなく、自分で土地を持っている農家なので荘園裁判の権限からは外れることになる。自分がマナーハウスの幹事なので当然といえば当然か。

 古泉は判事に面会を求め、小一時間ほどドアの前で待たされた挙句ようやく執務室に通された。執務室は丸まった巻物の束と分厚い本がところせましと積んであって、部屋全体がなにやらカビ臭い。大きな木の机に積み上げられた書類に埋もれるようにして、長くて白いカツラを被った判事が落ちくぼんだ目でこっちを見ている。

「判事様、イツキ・オブ・コイズミと申します。被告の代理で参りました」

「おお、噂は聞いておるよ。イケメン執事殿」

「告訴人はどなたですか」

「領主様の家臣の一人じゃ。騎士殿である」

「失礼ながら、その騎士様は当方の主人とはどんなご関係でしょうか」

「おぬしの土地はじゃな、もともとはその騎士の先祖のものでな、人手を渡っておぬしの主人が買い取ったものらしい」

「やはりそうですか」

古泉は昨晩の騎士を思い出していた。わざわざ夜が更けての寝こみを襲うという、どうも恣意しい的な私怨めいたものを感じていた。

「いやいや、それは勘ぐり過ぎというものじゃ。おぬしらの伐採ばっさいがバレたのは、木材の値段が下がったからじゃよ」

「そうだったのですか……」

「ここ三ヶ月のうちに相場が半分になった。ぶっちゃけ、わしも大損をこいた」

英語でぶっちゃけと来たか。

 これは迂闊うかつだったと古泉は渋い顔をした。自分が提案したことだけに痛烈だった。誰かが押せば誰かが引っ込む。中世といえども経済というのはすべてつながっていて、供給過剰になれば嫌でも価格が下がることになる。ハルヒが切り出した木材はこの一帯の材木市場しじょうを圧迫したらしい。安い労働力だからとはいえ神人を使うのも考えものだな。

「それから森じゃが、あそこには手を出してはならんという闇ルールみたいなものがあってな。悪いことは言わん。わしとしては罰金を払って丸く収めることを勧めるよ」

「それができればいいんですが」

古泉は丸く収まるものも必ず角が立ってしまう誰かのことを思い出して眉毛をハの字に曲げた。

「馬と引き換えになら土地の一部は返してもらえるかもしれん。和解するつもりがあるならわしが仲介してやろう」

「そうですね。被告を説得してみます」

古泉はハルヒをどう丸め込むか考えあぐねた末、裁判所の司書に法廷での手順を一通り聞いておくことにした。け負ってはみたものの、戦いがすべてだみたいなやつをどうやって説得すればいいのだ、などと早速後悔しはじめている。


「古泉くん! 古泉! あんた……あんだ! アンダあああ!」

話を聞くなりハルヒは古泉のえりを両手で掴んでガクガクと揺すった。

「す……すず……みやさん、落ち、着いて……くださ、」

「あんだはそれでも往年おうねんのSOS団の団員なの? 明智光秀が乗り移ったの!?」

「郷に入りては郷に従えと思ったまでです。殿、土地には土地なりのしきたりが、」

「違うでしょ!!SOS団の郷はこのあたしでしょ。みんなの心のり所、羽を広げてひなを守る鷹、自分が食べなくても子に与える母獅子ははじし、それがあたしでしょ?」

三メートルくらい遠巻きにして聞いているジプシーの集団がそうだそうだとうなずいている。どっちかというと子供と奪い合って食ってる母親な気もしますが。

「では領主様と裁判で争うおつもりですか」

「あったりまえじゃないの!!」

ハルヒは持っていた鉄のカブトをゴンッと殴った。涙目になってこぶしをぺろぺろなめめている。

 とはいっても土地没収の被害があったのはハルヒじゃなくてじいさんなので、どうするつもりなのかじいさんの意見をうかがった。

「ハルがそう言うなら、まあ、やるしかあるまいの」

「でしょでしょ、さっすがあたしのグランパね」

ハルヒはひげもじゃのじいさんに抱きついてほおずりしている。ハルや、よろいのまま抱きつくのはやめなさい。

「旦那様、原告の証人は領主様の関係者になると思います。それに判事も領主様の味方でしょう。どう見ても不利ですが、よろしいのですか」

「わしの一族は今の領主と戦って落ちぶれた。二度も土地を奪われてはご先祖様も腹にえかねるじゃろう」

じいさんも少しハルヒの毒気どっけにやられてる気がするな。

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