九章

 しもが地面に降りるのをやめてそろそろ風が暖かくなってきた。ある晴れた日のこと、魔法以上に恐ろしいスマイルを満面にたたえたハルヒが帰ってきた。

「みっくっるっ、ちゃーん」

「涼宮さん、なにかいいことあったのかしら?」

朝比奈さんの表情はなにかよからぬことでも企んでるのかしらと問いたげだったが。

「ふっふっふー。近所のおばちゃんからいーいものを手に入れたわ。あなたもちょっと手伝いなさい」

「まあ、なんですか」

「いーいものよキシシ……」

見ればサンタクロース並みの大きな麻袋を背負っている。古泉もいったいなにが始まるんですと興味津々きょうみしんしんについていこうとしたが、

「あーダメダメ、台所はしばらく男子禁制」

「え、そうなんですか」

「これから神聖にして不可侵な儀式をり行うんだから、男子は指くわえて待ってなさい」

なるほど、食べ物関係か。新しい中世コスプレでもやるのかと期待していた古泉は少し恥じ入った。

 ハルヒはメイドさんの耳元でボソボソと内緒話をし、メイドさんはガッテンでいという感じで細い腕まくりをして台所へ引っ込んだ。その日から一週間、古泉とじいさんは書斎で台所から聞こえてくる鍋や皿をひっくり返す音をじっと聞いていた。じいさんには何が起こっているかは分かっているらしく、古泉がドアの向こうを気にする度に、いいからまあ黙って待っとれという感じにうながしている。


 ある朝、古泉が畑の耕し具合を見に出かけようとするとハルヒが呼び止めた。

「古泉くん、暇ならちょっと手伝ってくんない?」

古泉がハルヒに出会ってから暇だったことはいまだかってないとは思うが。執事代わりとはいえ人出が足りないのを見とった古泉は、最近では肉体労働を進んでするようになっている。

「申し訳ありません、今日は小麦のすき入れが順調か見に行かなくてはならないんです」

「小麦ってこないだき終わったんじゃなかったっけ」

「ええ。これからやるのは冬小麦の畑になりますね」

この辺りでは二種類の植え方があって、秋収穫の麦は春小麦と言い四月くらいから種を蒔く。一方で冬小麦と称しているやつは春から夏にかけてゆっくりと畑を耕し、秋にしもが降りる前に種を蒔く。翌年の夏に刈り取りをするわけだが、当然育成期間が長いので収穫は春小麦よりも多くなる。

「あっそう。じゃあ仕方ないわね。今日はどの辺でやってんの?」

「北の森付近の畑です」

「分かったわ。仕事が終わる頃に行くから待ってなさいね」

いったい何を待つのだろうかと思いつつ牛を追っていると三時の鐘と共にハルヒがやってきて、

「勤勉なる労働者諸君、お勤めご苦労! 晩ごはんよ!」

今日のまかない食はいつもと違うらしくメイド姿の朝比奈さんを連れて来ている。

「ありがとうございます涼宮さん、ちょうどお腹がすいたところです」

「さあさあ、ハルヒ・オブ・スズミヤご謹製のエールよ! たんと召し上がりなさい」

荷馬車に載った大きな樽をゴンゴンと叩いてみせた。メイド姿にふんしたハルヒは素焼きのピッチャに並々と注いで、古泉に最初の味見をさせるべく持って行こうとしたのだが畑の土に足を取られてすっころんで頭からエールを被った。村人一同があーあもったいねえと溜息をついたが、大丈夫大丈夫まだたくさんあるから問題なし、と土だらけになった顔をムクリと起こしてテヘヘ笑いをしドジっ子メイドを演じている。

「そういうことだったんですね朝比奈さん」

「そうなの。実は一度失敗してお酢になっちゃったんだけどね」

なるほど、ずっと地酒を作ってたのか。聞けば、強い酒を造ろうと画策かくさくしたハルヒが発酵させるための酵母の分量を欲張ったため、発酵しすぎておいしく飲めるタイミングを逃してしまった、んだそうな。まあ過ぎたるはなんとかだな。

 労働者の村人はエールを一口飲んで、素人にしちゃまずまずの出来だなと及第点きゅうだいてんをくれた。この辺じゃエール造りは家庭の主婦のたしなみで、一家に一台、じゃなくて一銘柄、それぞれ伝わるレシピがあるのだという。

「口当たりのいい味ですね。僕達の時代のビールとはまた違って」

実はこの時代はまだホップが入ってないので、ほとんど苦味のない麦芽酒だ。

「芽の出た麦をるところから、鍋で煮て樽で発酵させるところまで、この時代のお酒って本当に手作りなのね。あ、はいはい、おかわりどうぞ~」

カップを持って並ぶ村人は、ハルヒではなくなるべく朝比奈さんにおしゃくをしてもらいたがっているようだ。


 その日から妙に酒臭い匂いがするようになったハルヒは、いったい何個分の樽で醸造したのか台所に大量の在庫を抱え、玄関口にジョッキの形を描いた看板を下げて居間のテーブルで客にエールを売るという酒税局も真っ青の商売を始めた。この時代この国では一ガロン、十三・五リットルがたったの一ペニーという、現代から考えると途方も無く価格破壊な世界だが、俺の日当が一ペニーだったことを考えるとそれ相応なもんか。

 ハルヒは四分の一ペニー飲み放題の価格設定で、ツマミは朝比奈さんの日替わり手料理で、普通はハムとか干し肉なんかなのだが意外にもこれが人気を呼んだ。ちなみに場所を提供しているじいさんは配当として売上の二割を受け取り、残りを厨房の朝比奈さんとハルヒ、給仕のメイドさんたちで折半せっぱんとなった。客のほとんどが美人メイドを目当てに来る野郎という営業効果をかんがみれば、朝比奈さんの取り分はもっとレートを上げてもしかるべきなのであるが、ともあれ口コミで村中に広まって笑いが止まんないほどのボロもうけである。

 客も喜ぶ、オーナーも万歳、商売繁盛みんな幸せの舞台裏では、エールを作る過程で砂糖を混ぜて一気にアルコールの度数を上げてしまうという、その分を水で薄めている事実を知って笑いながら困った顔をする古泉であった。さすが経営者、こういう悪知恵だけは働くんだな。


 営業時間は毎日夕方から夜だけだったのだが、十本以上あった樽も一週間と経たないうちに次々と空になり、在庫が入荷するまでは休業となった。調子に乗ったハルヒは店の商品に手を付けていたらしく、毎朝二日酔い状態で青い顔をして頭を抱えながら農作業をしていた。そりゃあ砂糖なんか入れたら悪酔いするわな。


 ハルヒがいったいなぜ酒造りなんかを突然おっぱじめたのか、話は一週間ほどさかのぼる。


 じいさんにメイドを雇ってくれないかという話があったらしい。これが小学五年生くらいかという小さな女の子で、まだまだ子供同士で遊びたい盛りだと思うのだが、この子の親が子沢山で面倒見切れなくなってきたので住み込みで雇ってくれないかと持ちかけられたのだった。

「あんたねぇ、いくら中世のイギリスだからって人身売買が許されると思ってんの!」

書斎の前で話を聞いていたハルヒは突然ドアを蹴っ飛ばしてまくしたてた。まったくだぁ、いつも奴隷扱いされてる俺の身にもなってほしいもんだね。

「涼宮さん、まあ落ち着いてください」

書斎でじいさんとその子の親と話をしていた古泉がドウドウとハルヒをおさえた。

「これが落ち着いてられるかっての! この子から十一歳って自己紹介されたわ。よくしつけされてていい子だけど、よくもまあ抜け抜けと自分の子を売れたもんね」

「ご心配なさらずとも、これは人身売買のたぐいではありません。こちらの方にはちょっと事情がおありのようで、」

「どんな事情があるってのよ」

ハルヒは全力疾走した馬みたいに鼻を開いて荒く息を吐いている。

 聞けば、この子の家では子供は増えるのに現金収入が減る一方で土地の借り賃が払えなくなり、やむをえず土地を手放さなくてはならないのだという。土地を手放せば収穫も減るわけで、どう考えても食べるものに困ることになるからせめて長女のこの子だけでも住み込みで働かせたい、ということだった。

 これを聞いてハルヒは腕を組んで考えこんでしまった。

「ふ~む」

「なるべくなら事情を知っているこの家で援助して差し上げられれば、村の中ですし、いつでも帰ることができるでしょう。この時代では日々のかてを得るために身売りすることも多いんですよ」

最後の一文は声を落としてハルヒの耳元で言った。

 農家には二通りあって、そこそこの収入を得られるだけの土地を持っている農家と、ほとんど土地がなく他所で雇われて細々と暮らしていくだけの農奴のうどがいる。土地を持っている農家にもいろいろあるが、土地を貸したり人を雇ったりする裕福ゆうふくな大地主から、やっと一家族を養えるだけの収入がある独立農家までさまざまで、ともかく食うことには困っていない世帯を保有農という。一方の農奴のうどになると、小屋農家と呼ばれ竪穴式住居みたいな小屋に住み、家のまわりにある猫のひたいくらいの畑しか持っていない。これでは満足に家族を養えないので、土地を持っているところで働かせてもらうしかない。さらに、この辺りでは財産が目減りしていくのを防ぐため、一家のうち長男だけがまとめて土地を相続する慣わしがある。つまり次男が結婚するとたいていは貧乏家族になってしまうわけだ。

「その土地、いくらなの」

「え?」

「うちで買い取るわ。いくらなの」

「残念ながら、お金があっても簡単に買い取ることはできません」

「なんでよ」ハルヒは口をとがらせた。

「所有しているのは土地そのものではなくて、土地を耕す権利、なんです」

「どういうことなの」

古泉の解説によると、つまりだな、ここら一帯の土地は、というよりイギリスにあるすべての土地は王様が領主に与えて、領主が家臣に分配して、家臣が部下に与えて、部下が農民に土地を使う権利を与えている、ということだ。与えられた方はそれぞれのご主人様に税金を納めなくてはならない。これが荘園しょうえん制度というものである。その権利は未来永劫えいごうのもので、家系が絶えない限り相続できる。売ることもできるが、地主が認めればという条件付きでだ。

「じゃあその権利とやらをうちが買うわ。いいわよねグランパ?」

「ええーと、旦那様」

古泉は困惑気味にじいさんの顔を見た。じいさんも困った顔をしている。じいさん自身も人に土地を貸している身分なので、あんまり村人とトラブルになりそうなことはけたいところのようだった。


── というようなことがあり、いたいけな少女を救わんと考えたのが自家密造酒によるパブ経営だったらしい。いや、その女の子も結局メイドさんとしてここで働いているわけだが。未成年者を酒場で働かせたりしたら児童福祉法にひっかかるぞ。

「じゃあ古泉くん、みくるちゃん、これから殴りこみに行くわよ」な、殴りこみってアナタね。

「どこへ行くの涼宮さん?」

「あの子の地主とやらのところよ」

「土地の耕作権を買い取るには、今回のパブの売上だけではとても足りないでしょう」

古泉はまめに売上の帳簿を付けていたのでその辺は分かっている。

「とりあえず借り賃を払えればいいのよ。畑を失った農家なんてただの奴隷よ」

まあ、農奴のうどは実際多いんですがね。

「僕は行くのは構わないんですが旦那様の手前もありますから、なるべくおだやかにお願いします」

「分かったわ。おだやかに、土地の借り賃を払うだけ、これでいいわね」

「ではマナーハウスに参りましょう。土地の権利関係はそこで管理されています」

「マナーハウス? なにそれ」

「僕達流に言えば、公民館とか村の役場とか簡易裁判所なんかが一緒になったものです」

「へー、便利なのね。二十一世紀も全部コンビニでやればいいのに」

お前はコンビニのレジで裁判をやりたいのか。ポイントカードをお持ちでなかった罪により罰金刑か。


 農耕馬に馬車を引かせ、古泉は執事の正装で、とはいってもタキシードではなくちょっと裕福ゆうふくな地主が着る中世の長袖シャツにループネクタイをしてチュニックを羽織っている。朝比奈さんは家の中でいちばんキレイな胸の開いたドレス、ハルヒは相変わらずメイド姿である。

 マナーハウスというのは村の中心的な建物で、普段は荘園の管理人が住んでいる。母屋おもやは立派な石造りの二階建てで、敷地内には井戸やパン焼き小屋、焼き物の釜など共同設備があり、領主の資産で家畜小屋なんかもある。お役所に似た役目としては、村の畑でなにをいつ植えるか、いつ耕すかなんかを決める農協みたいなこともやっているようだ。金銭トラブルの裁定や土地契約の公証なんかもここで扱い、まあ言ってみれば行政司法律法がいっしょくたになった中世版コンビニである。

 母屋おもやのドアを開けるなりハルヒの開口一句、

「こんちわー。農地一式ぃ、いただきにぃ来ましたぁ」

さっきと言ってることが違うじゃないか。

「ベイリフは誰?」

ベイリフBailiffというのは訳せば荘園の中間管理職、荘園差配人さはいにんのことである。

「僕だけどなんの用」

「マナーハウスに来る用事と言ったら土地をもらうしかないでしょ。一ハイドでいいから土地をちょうだい」

お前はついさっき古泉からマナーハウスというものについて説明を受けたんじゃなかったか。

「はぁ? 何言ってんだ。っていうかキミたち誰」

「あたしはハルヒ・オブ・スズミヤ。このイケメンはうちの執事、そっちのグラマラスな美人はお姫様」

だいぶ前にも似たような展開があったような気がしなくもないのだけど、と朝比奈さんは冷や汗を垂らし、古泉は知るわけないのでたぶん気のせいだろう。

「四の五の言わず耳そろえて土地の権利をよこせ」

お前はバブル期の不動産ゴロか。

「ダメに決まってるじゃないか」

「あーらそう、ならこっちにも考えがあるわ」

「なにす……」

やおら差配人さはいにんの左手を掴み、朝比奈さんの右の胸に導く、などといういつぞやのようなささやかな冤罪えんざいではなく、いきなり差配人さはいにんの背中をドンと押し朝比奈さんを押し倒して抱きつかせた。

「きゃああああ」

朝比奈さんの叫び声が家全体にも家の外にも響き渡った。敷地にいる全員がいったい何の騒ぎだと集まってきた。

「さあて皆さん、この荘園差配人さはいにんのセクハラ行為をとくとご覧あれ。地代を強引に取り立てて嫁入り前の娘さんに手を出さんとする悪徳差配人あくとくさはいにんよ!」

なんか低俗な時代劇になっちまってるぞオイ。

「あ、悪徳ってこれはキミがやらせたんじゃないかぁ」

そうだそうだ差配人さはいにんは悪くないぞ、と部下らしき数人の若者が口々に唱えた。

「へー、この場面を見ていったいこの中の何人がそう思うかしらねえ」

「か、神様が無実をご存知だ」

「ふーん。試しに神父さんに聞いてみましょうか。どうかしら、信じる?」

腕を組んだままハルヒがあごでクイと差配人さはいにんを示してみせると、偶然にも都合よくそこに居合わせた村の教会の司祭さんがブンブンと首を横に振っている。

「ほーら見なさい。神様だってご存知よ。どうなの、よこすの、よこさないの。あんた地獄にちるわよ」

神父は神様じゃないし、どう考えてもちるのはお前のほうだと思うのだが。

「涼宮さん、権利だけ要求してもそれは無理です」見かねた古泉が渋面じゅうめんをしつつ口を挟んだ。

「え、なんで?」

「この差配人さはいにん様にはその権限がないのです」

ハルヒは差配人さはいにんえりぐりをつかみ、

「あんたそうなの?」

「だからさっきからそう言ってるじゃないか!」

じいさんは土地保有農だから誰に土地を貸すかは自分で決められるが、ここの荘園は領主の持ち物だから、領主に頼まないと畑を耕す権利を動かすことはできないのだそうだ。まあ動かせれば、の話だがな。

「領主って誰なの」

「この一帯を治める伯爵様です」

「ってことは伯爵が土地転がしの大元締おおもとじめってわけね」

別に転がしてるわけじゃないだろう。伯爵様だって王様にお仕えしてるわけだし。

「それに土地の持ち主は伯爵様でも、実際にそこで耕しているのは農民ですから、収入源となる畑を取り上げることは無理でしょう。あの女の子の家のような貧困家族が発生してしまいます」

それを聞いてハルヒはうーんと唸った。そりゃそうだ、二十一世紀の不動産とはワケが違う。土地は農民が生活のかてとして使っているものであって、収入の一部を地主に収めているだけだ。投資目的で持っているわけじゃない。

「しょうがないわね。今日のところは土地の借り賃だけ払うわ。あの家族から畑を取り上げたりしたら許さないからね」

「そ、そんなことしないよ」

「あの、涼宮さん……」朝比奈さんが涙目で訴えている。

「っていうかあんたいつまでみくるちゃんに抱きついてんの!」っていうかお前がやらせたんだろうが。

「うわああっ、すいませんすいません」

「男の方に抱きしめられるのなら、わたしにも心の準備が……」

ときめく胸の鼓動を押さえている朝比奈さん、準備ができるのもそれはそれで問題ありなのですが。


 明け方、まだ東の空も真っ暗闇で、屋根の上から時を告げるコケコッコーの声すら聞こえる前にハルヒの怒号が鳴り響いた。

「ひらめいたわ! ないんだったら、自分で作ればいいのよ!」

皆の衆覚えておくがいい。二キロ四方の人間が目を覚ましたハルヒのセリフは正確には以下のとおり。


“I get a flash in my mind! I just can make it my own, if I couldn't have any!”


いったい誰に向かって叫んでいるのか、このセリフを最初に聞いた俺にはもはや聞き飽きた号砲だが、はじめて聞く古泉も朝比奈さんも突如安眠を妨害されて、ハルヒがまたなにかやらかしおったのかと肝を冷やしてベットから飛び起きた。

「なんなの涼宮さん!」

「いったい何ごとですか涼宮さん!」

「なんでこんな簡単なことに気づかなかったのかしら。土地よ土地、畑なら自分で作れるわ!」

「分かりました。しかし……まだ夜中ですから」

「古泉くんも喜びなさいよこの革命的アイデアを」

こんな十二世紀の片田舎で革命って、ピューリタン革命はまだ四百年くらい先だし、産業革命に至ってはまだ石炭すら掘っていない。

「その件はまあ……あとで相談しましょう。ではおやすみなさい……」

家中の人間がロウソクを灯してハルヒと朝比奈さんが寝ている寝室を覗きこみに来て、古泉はあくび混じりの安堵あんどの溜息をついて二度寝に戻った。このときの号砲でじいさんも十年くらい寿命が縮んだらしい。

 とはいっても何かを思いついたハルヒがじっと待てるわけもなく、馬のいななきが聞こえるところをみるとベットから抜けだしてどこかにでかけているようだった。止めても聞きはせん、まあ好きにさせとけ。


 ハルヒは夜が明けても帰ってこず、農作業もほったらかして朝飯にも戻ってこなかった。夕方、じいさんがちょっと様子を見てきてくれんかというので古泉は馬にまたがり村人に訪ねて回った。どうやら森のほうにいるということだ。

 村の外れにある深い森に数人の農夫が集まっていて、その真中にハルヒがいた。

「涼宮さん、ここにいらしたんですか。そろそろ晩ごはんの時間ですよ」

「古泉くんいいところに来たわ。ちょっと知恵を貸して」

「かまいませんが、いったいなにをなさってるんですか」

「開拓よ開拓、森を切り開くの」

「森林伐採ばっさいですか……」

古泉がまた渋面じゅうめんを見せた。これはとんでもないトラブルになるぞ。

「うちの村には半分くらい土地なしの農奴のうどがいるでしょ。そいつらを集めて木を切るの」

「しかし、勝手に伐採ばっさいをすると領主様に怒られませんか」

怒られるどころか領主にとっては森林は貴重な狩場だから縛り首獄門ごくもんものだぞ。無断で鹿やイノシシを捕まえたやつを裁く森林裁判所というものがあってだな。

「チッチッチ、森と畑の境界線を見てみなさいよ。うねうね曲がっててまっすぐじゃないじゃない。毎日地味に切っていけば誰にも気づかれずに畑を拡張できるわ。昔の人はいいことを言った、墾田永年私財こんでんえいねんしざいの法よ」

その法とやらは奈良時代に聖武天皇しょうむてんのうが決めた措置なのだが、うんうんとうなずいている村人はどうやら貧しい家の人達ばかりらしくやる気満々である。こないだの女の子の父親もいるようだ。

「それでね、相談っていうのはアレよ」

見れば森に太い大木が転がっている。

「アレって切り倒した木のことですか?」

「切り開くのはいいんだけど証拠隠滅しょうこいんめつしとかないとバレちゃあ意味がないわ。穴を掘って埋めるのもいいんだけど手間がかかりすぎるし」

「それなら簡単です、木材として売ればいいんですよ。知り合いの材木商に引き取ってもらいましょう」

「その人信用できる?」

「できると思いますよ。王室御用達ごようたしですから」

「さっすが古泉くん! 持つべきは材木商に知り合いのいる執事ね」

なんだその超マイナーな人脈は。


 それからしばらくして、朝になると森の方からカッコンカッコンという音がするという噂が広まり村人が怖がっていた。西洋では魔女とか精霊なんかが住んでいることになっていて、森というのは昔から妄想のテリトリーだからな。


 古泉がハルヒを連れて材木商との商談、いや密談を終えて戻ってくると、家の前に馬が二頭つながれていた。がっしりした立派な馬で、銀のハミに家紋入りのくらをかけていて見たところ軍馬らしい。

 家から、腰につるぎを下げた貴族風のおっさんが二人出てきた。しゃれたフリル袖のシャツにチョッキ、長い鼻髭はなひげに長い髪にフック船長みたいな帽子をかぶっている。ハルヒはとっさに物陰に隠れ、

「やばいわ古泉くん、陰謀がバレたのかしら」

バレるもなにも森のほうはまだ数本木を切っただけで畑にはなってないし、まだ残っている切り株は枯れ草でカモフラージュしているから近寄ってまじまじと観察しないと分からんはずなのだが。

「大丈夫でしょう。きっと旦那様に用事がおありだったんですよ」

「そうかしら。すっごく偉そうでなんか胡散臭うさんくさいわあの二人」

古泉的には彼らの中世貴族コスプレもなかなかかっこいいのではと思っているのだが、ハルヒにすればそんなこたぁどうでもいいのよ、らしい。やっぱ白銀のよろいに身をまとい白馬に乗った二十代前半くらいのイケメンじゃないとだめか。

 書斎に入り、じいさんに今の二人はなんだったのと聞くと、こないだ売ったエールの件で裁判所に出頭命令が来たのだそうだ。

「出頭命令ってなによ! 自分ちで作った酒を自分ちで売っただけじゃない。麦一粒もらってない政府にはなんの義理もないわよ」

まあ落ち着けハルヒ。堂々たる酒税法違反だ。

「売るのは別にいいんですが、客の中にエールの品質をチェックする役人がいたらしいんです」

「なにも悪いことはしてないわよ」

水で薄めるのはいいことなのか。と俺がいればマジ突っ込みしただろうが、古泉は黙ってスマイルを見せるだけだった。ああ、最近胃が痛むのは気のせいではなさそうです、と。


 それからじいさんと古泉が荘園裁判所──これもマナーハウスだが──に出頭して簡単な裁判を受けて帰ってきた。ハルヒは自分も行って無実を証明してみせると息巻いていたのだが、こいつが出てくるとまたトラブルになりかねないので古泉が説得して留守番をさせていた。

「で、で? どうだったの」

「ほとんどなにもありませんでした」

「なにもって裁判じゃないの? 異議あり! ちょっと待ってください証人、あなたにはどうしてそれがエールだと分かったんですか!?とかやんなかったの?」

お前は成歩堂龍一なるほどうりゅういちか。古泉は笑いながら、

「アルコールの薄いエールを売ったかどで罰金でした。六ペンスです」

「なんで罰金刑なの、あたしたちは犯罪者じゃないわよ! ちょっと裁判長にねじこんでくるわ」

「まあ落ち着いてください、判事もこの村の人ですから。エール醸造の罰金というものは犯罪と言ってしまうと少し語弊ごへいがあるんですよ」

裁判長が言うには、実は自家製の酒を作って売ることについては、領主は税金を取っていない。昔から税金がかかっていないからという単なる慣習に従って徴収していないだけである。そこに品質管理の名目でたまに役人を派遣して味見をさせ、相応の値段かどうかをチェックさせる。そしてたまーにだがインネンを付けて罰金を取る。裁判官自らこんなことを暴露して大丈夫なのかこの法廷は。

「罰金を課せられるかどうかは運で決まります。ほとんど税金のようなものですから」

「むう~」

ハルヒはいつものアヒルくちびるで、ここは怒って抗議するべきかサラリと受け流すべきかを迷っているようだった。ところで日本のビールは四割近くが税金だって知ってたか?

「まあ、六ペンス程度の小銭で騒いでもしょうがないわね。次にインネンつけられたらアルコール百パーセントの酒を領主に送りつけて火をつけてやるわ」

百パーセントつったらウォッカかよ。古泉はまさかマジでやらんだろうと笑いながら、

「成功したら二人で一杯やりましょう」

「いいわね」


 思えば、この会話が伏線だったのかもしれない。よもやいくつもの回収劇が待ち構えているとは一欠片ひとかけらも疑わず、涼宮さんが素直にうなずいていることにもっと警戒するべきでした、と古泉は言った。


 その日、ぼんやりとした満月の朧月おぼろづきが高く昇り妙に生暖かく湿った風がふく春のよいに、古泉はなかなか寝付けずわらのベットの中で何度も寝返りを打った。ゆがんだ板ガラスがはめ込まれた窓から隙間風が入りカタカタと鳴る。妙に口の中が乾いてベット脇の水差しでのどうるおしたところ、外から人の話し声が聞こえてきた。玄関でボソボソと話し声がする。

 古泉はロウソクに火をつけて階下に降りた。

「旦那様、どうなさいました」

「森で木が燃えているらしいのじゃが」

「山火事ですか。すぐ行きます」

古泉は服を着替えてから朝比奈さんの寝室をノックした。

「朝比奈さん……お休み中すいません」

「なにがあったの古泉くん」

朝比奈さんはすでに目を覚ましていてベットに腰掛けていた。

「山火事が起こったらしいので僕も消火を手伝いに行ってきます」

「あら、ここは大丈夫かしら」

「この家からはだいぶ離れているので大丈夫だとは思いますが、何かあったら逃げ出せるようにしておいてください」

「分かったわ。気をつけて、無理をしないで」

「涼宮さんのことをお願いします」

二人が顔を見合わせてハルヒのほうを伺ってみると、火事が起ころうが地震が起ころうが関係なさそうで、余裕でグウグウと大きないびきを立てて眠っている。


 馬は人間よりも夜目が効くらしく、多少暗くても今日みたいな月が出ている晩にはふつうに走ることができる。古泉は馬車は引かず、とりあえず火事の規模を見るために馬にくらを乗せて自分だけで現地に向かった。

 方角的には村の外れ、ハルヒたちがこっそり伐採ばっさいしていたあたりである。誰かがき火でもしてくすぶった炭火が燃え広がりでもしたのだろう。消火するといってもポンプも消火器もないし、この時代の火事はいったいどうするのだろうかと考えていると、地上と夜空の境目に森の形をした漆黒の影がうっすらと浮かび上がった。姿は見えないが村人が叫ぶ声が聞こえる。その向こうに大きな炎がうごめいて、

「なんと……」

古泉は息を呑んだ。出るものが……出るべくして出やがった。それは火事などではなく巨大な生きた青い炎、神人だった。


 考えてみればこの時代に舞い降りてから一度も出現していない。いくらハルヒとはいえ二十一世紀の便利な生活にどっぷり使った現代人が食うものも食わず、日々農作業に尽くしているのである。ストレスが溜まらないはずがない。むしろ現れないのが不思議なくらいだ。

 いやちょっと待った。そもそもなぜここで神人が出現するのだ。あれは閉鎖空間にしか現れないはずで、現実世界に接触すると崩壊して消えてしまうはずである。この世界に来たとき確かに違和感は感じていた。微量ながらエネルギーを開放することもできた。ここは閉鎖空間か、あるいはそれに準ずる世界なのだろうか。ということは涼宮さんがこの世界を構築したのだろうか? ではあの時間移動実験はなんだったのか。もしかすると実験までが現実世界で、事故に誘発されてこの世界が構築されたのか。しかし、推測しようにも情報が少なすぎる。

 ともあれ青い巨人がイギリス史に突如現れるなどという歴史改変があってはならない。神人は一体だけのようだ。自分一人で簡単にケリをつけられるだろう。古泉は馬を畑の柵に繋いでその場を離れた。


 握った右手をひたいに当て、目を閉じ、言葉にはならない概念を念じると足が硬い地面から離れる感覚を得る。暗闇の中に自分一人だけが浮いている映像を思い浮かべる。やがて自分の姿は消え、周りの音も、空気も、気温も、重力からも解放され、自らの中に小宇宙を作り出す。闇の中心に一点の光が生まれ、目を開いた。

 そして赤い炎となって浮遊する。今自分は涼宮ハルヒから与えられた思念エネルギーの化身である。

「上昇」

平面に上下をプラスした立体空間を三半規管がとらえ、青い神人を眼下に見下ろすはるか上空へと飛翔ひしょうする。赤い玉の後方には白いもやが発生し、球体の外と内側での温度差を知る。深夜の上空は冷たい。

 村人が自分を指差しているが構っている場合ではない。目撃者が数名であれば酔っていたか何かの見間違いかの噂話で済むが、役人が見に来て王宮に報告などしてしまえば歴史上の大問題となる。事は一刻を争う。

 神人の赤い目がこちらを見た。また小うるさいやつが来たなと手のひらで払い落とそうとする。それをかわして急転直下、古泉は神人の頭から一気に攻め込んだ。落下加速を利用して頭から縦に切り裂く算段である。青い光の中に入り込み、喉元のどもとから胸めがけて落下した。

 胸の中心に達するや古泉は顔の前で腕を組んで意識を集中した。赤い球体は一枚の薄い板になり縦に回転して神人の体の中心線を描いた。次の瞬間、神人の動きが停止した。まず右半分がぐらりと傾き、そして左側もかしいでいった。やがて地面に向かってまっすぐくずれるように縮んでゆき、青いかたまりは光を放ちながら徐々に小さくなっていく。

 古泉はその様子を見ていなかった。くずれ落ちていく神人に背を向けたまま、背中でエネルギーが小さくなっていくのを感じていた。

 古泉はゆっくりと地面に降り、自分を包んでいたエネルギーの収束を解いた。やれやれ、これでやっと眠れる。寝付けなかったのはおそらく虫が知らせたのだろう。こんな時代にまで来て神人狩りを要求されるとは、これは涼宮さんとは一生離れられない身の上かもしれない、などと感傷にひたっている。


 馬をつないでいたところまで歩いて戻り、森のほうを見ると様子が変である。地面に吸い込まれたはずの青いかたまりが消えずに残っている。残っているどころかアメーバのようにうごめいており、ハルヒのエネルギーの状態が回復しつつあった。

「まさかそんな……」

青いかたまりは再び立ち上がり元の形に戻った。しかも二つである。彼らは単に分離しただけだったのだ。

 古泉は唇を噛んで自分の失態を呪った。切り刻めば勝手に消えると思っていた神人が増殖しているではないか。右手を握り再び精神集中する。いや待て、と球体になりかけた自分をおさえた。

 そもそも神人は何のためにここに発生したのだろうか。通常は涼宮さんがストレス発散するために建物を壊して回る、いわば子供の八つ当たりのような精神状態が顕現けんげん化したものだ。いくらストレスを感じたとはいえここでは壊すものがない。壊すことで満足を得るはずなのだが、これでは感情のエネルギーを開放できないではないか。それに思い当たったとき、どうも神人の様子がおかしいことに気がついた。

 神人は緩慢かんまんな動きでただふらふらと森の中を歩きまわり、もちろん木々は体をすり抜けているのだが、生えている木を握り一本また一本と抜き始めた。

「な、なんということ」

気づいてしまった。古泉は気づいてしまったのだ。彼らは涼宮さんに伐採ばっさいを命じられているのだ。古泉は妙におかしさがこみ上げてきて笑い声をおさえきれなかった。なぜって、ハルヒが神人をあやつって農作業をしているのである。

 神人はどうやら目立たない森の奥の方から木を抜いて、まるで丁寧に間引きをしているようだ。そりゃ、端の方から一気に引っこ抜いてしまえば一目瞭然でバレてしまうからだろう。こういうマメなところはやはりハルヒの指示にちがいない。


 古泉はもう玉になる必要は感じていなかった。ただ黙って神人の伐採ばっさいを見守っていた。村人は相変わらず驚愕の声を発していたが、まあ後でこじつけて既存の神話でも吹き込んでやればいいだろう。

 十数本くらいの大木を抜くと畑の端に並べ、どうやら作業は終わりのようだ。二人の神人が古泉を見ている。消さないのか、それがお前の仕事だろ、とでもいうように手招きをしている。神人が自ら意思表示をするなど前代未聞のことであるが。

 古泉が神人の足元まで歩いていくと、そいつらは両腕で自分を抱きしめるようにして一本の太い青く光る棒のようになり、赤い目玉のある頭も引っ込んだ。二本の足は一本にまとまり、やがて少しずつ縮んでいく。二人いた神人は一つのかたまりに戻り、さらに小さくなって青い玉になった。空中からゆるやかに舞い降りて古泉の手の上に留まった。


 村人が執事さん執事さん、と古泉を指差している。あんたすげえ魔法使いだったのかい、などと叫んでいるが、そんなことになったら火炙ひあぶりにされかねない。錬金術と違い魔術やオカルトのたぐい禁忌タブーなのである。古泉は村人に向かって、今のはこの森に住む鍛冶屋のウィルです。自らの魂を清めるためにここで働いているのです、とかなんとか解説した。

 神話を知らない俺のために説明するとだな、むかしウィルという名の鍛冶屋がおったんだそうな。こいつはとんでもないナマケモノで仕事はしねえ、遊んでばかりでろくな死に方をしなかった。慈悲深い聖人様はもう一度だけチャンスをやるから、今度はまっとうな生き方をしろよと二度目の人生を与えられた。ウィルとしては地獄だろうが天国だろうが二度も死ぬのはごめんだ、モラトリアムが許す限りのんびりと暮らすつもりだったが、意図せず復活させられちまった。二度目の人生もまた同じことを繰り返したので怒った聖人様が、お前のようなやつには地獄にも天国にも居場所はない、と追い出しちまった。そのとき石炭のカケラを一つだけもらうことができて、今でも夜になると鍛冶屋のウィルがポウと青い炎を出して燃えている、というお話なのだそうだ。


 村人は納得したのかしなかったのかホウと関心したようにうなずいて、スペクタクルショーの余韻よいんにふけったままそれぞれ家路についた。

 古泉が馬で家に戻ると玄関で朝比奈さんが待っていた。

「火事は大丈夫だった?」

「山火事ではありませんでした。実は、」古泉は小声で、神人でした、とささやいた。

「まあ! 神人って閉鎖空間でしか現れないはずじゃ……」

「ええ。通常はそのはずなのですが。どう思われますか?」

「どうって、わたしはあまり詳しくないから。むしろ古泉くんのほうが専門じゃないかしら」

「いえ、この世界のことです。閉鎖空間っぽくないですか」

「そうねえ、違和感があるといえばあるけど……それがどんな具合なのかと聞かれると分からないわ」

「この世界に降りてきたとき妙な違和感はありました。そして思念エネルギーを集中させてたきぎに火をつけることもできました。それがまさか神人まで現れることになるとは」

「やっぱり涼宮さんかしら」

「僕も最初そう思ったんですが、どうやらいつもと様子が違うんですね」

「どんなふうに?」

「閉鎖空間にしろ神人にしろ、涼宮さんがストレスを発散させるためにエネルギーのはけ口として生まれるわけですが、今回はストレス発散どころかさらにストレスを加えているようなありさまで」

「どういうことかしら」

「神人が森林伐採ばっさいしてます」

それはもしかしてジョークで言っているのか的なセリフを、古泉があまりに真顔で言ってのけたので朝比奈さんはプッといた。

「閉鎖空間って涼宮さんが望んで作った世界のはずよね」

「通常はそうです。ところがこの世界は涼宮さんの望んだ世界とは言い難い状況らしいのです。涼宮さんが自分で働いたり自ら解決しないといけないことが多々あり、つまりこれでは世界構築した意味が無い。閉鎖空間とは呼べない」

「妙なことになってるのね。それで、神人は古泉くんが退治したのかしら」

「それもまたおかしなことに、」

古泉はポケットに手を突っ込んで、神人の成れの果てを取り出してみせた。青く光るビー玉である。ふっと息を吹きかけるとチラチラと青い炎が舞う。

「これが神人なの?」

「ええ。かなり圧縮されてますが涼宮さんの思念エネルギー、つまり神人です」

「こうしてみるとかわいいんですね」

かわいい、とは古泉にすれば今まで感じたことがない表現だった。機関の人間にとって神人は破壊神の代名詞のような存在で、それを退治するのが超能力者に課せられた義務であり、天敵としての使命を与えられた存在である。ところが今まで見たこともない、まったく敵性を見せないどころか友好的でさえある神人というのが今日のアレなわけだ。

「朝比奈さん、ちょっと部屋までついてきていただけますか」

「ええ」

二人は連れ立って、足音を立てないようにしてハルヒが寝ている寝室に入った。

 心配をよそにハルヒは大の字になって眠っており、今にもベットからずり落ちそうだった。古泉が神人の青いビー玉をハルヒのひたいの上に置くと、スッと吸い込まれるように消えた。

「消えちゃったの?」

「ええ、涼宮さんの精神に戻ったみたいです」

ハルヒの右の眉毛がピクピクと動いたので二人は慌てて部屋を出た。思念エネルギーを元に戻してよかったのかどうか、あの眉毛の動き方はまた一悶着ひともんちゃくありそうな気がしますね、と古泉が言うと朝比奈さんも同じように思っていたらしく二人は笑った。


 それから二三日おきに、夜になると神人が現れて木を引っこ抜き、古泉がビー玉を回収し、朝になると村人が大木を解体して運ぶという作業分担が構築された。あの神人にも名前がつき、村人はウィル・オブ・スミスと呼んでいる。そういえば映画俳優にそういう名前のやつがいなかったっけ。


 早朝から大きなノコギリを持ちだし大木を輪切りにして木材にし、ナタと斧で枝を払い落としてたきぎにする作業が続いている。木のほとんどが広葉樹でサイズも太さもまちまちなため、人の手で切りそろえなくてはならない。いくら青い巨人が作業を大幅に軽減してくれたとはいえ、残された木材を放棄するわけにはいかないしな。限りある資源を有効に活用するのは人に与えられた義務なのだ。

 農村の村人もハルヒたちがやっていることはだいたい分かっているとは思うのだが、なるべく見て見ぬふりをしてくれているようで、役人に垂れ込んで金一封を受け取るような度胸のあるやつはいなかった。まあ村の農地が増えるのはいいことだしな。

 朝比奈さんがきこりさんたちのために朝ごはんを用意してくれるというので、古泉が荷馬車を出した。林業をやると野郎どもは一気にたくましくなって、ハルヒでさえも筋肉隆々になっている。古泉は斧をふり回すハルヒを見て、喧嘩けんかしたら負けそうだと内心思った。

「みなさーん、朝ごはんお持ちしました」

「いよぅみくるちゃん、なかなか気が効くね! うちに嫁に来ないかい」

「なに言ってんですかおにいさ……涼宮さんったら」

真っ赤になって怒ったふりをする朝比奈さんである。色黒のハルヒに色白のメイドさんが、なんだか二人ともキャラがハマってしまってほのぼのとイギリス田園風景になじんでいる。

 朝比奈さんがエールをおしゃくしてまわり、野郎どもはハルヒの手前ナンパしたりはしないが、今日もお綺麗きれいだぁねとか、お姉さんあんだぁ彼氏はいんのかねなどとそれなりに探りは入れているようである。朝比奈さんは歴戦らしくわりとやんわり交わしているが、あんたら手ぇ出したら涼宮さんからどんな目に合わされるか分かっとんのやろね、と目が語っていた。


 朝っぱらからエールなんか飲んでもまったく酔わないらしい農奴のうど連中は飲みに飲み喰いに食っている。皆の食器が空になるのを待っている朝比奈さんは、神人が引っこ抜いた穴を見て、

「神人って見たことないけど、すごく大きいんでしょうね」

「涼宮さんの気分次第でサイズも変わりますが、百五十メートルを越すビルくらいはありますね」

「こんな大木でも簡単に引っこ抜いちゃうんですね」

「ええ。直径一メートルのクヌギの木の、こずえの部分がちょうど手の大きさくらいです」

神人からしたらこんな木の一本や二本、ブロッコリーみたいなものだろう。


「あら、これなにかしら」

「何ですか?」

「切り株になにか金属みたいなものが」

「どれ……根に絡んでますね」

木がまだ若い頃に根っこが絡みついたのだろう。古泉が切り株を裏返し、ナタで根を切り開いた。

「どうも短剣のようですが」

「ほんとね。赤いガラスみたいなものが」

こびりついた泥を服のすそこすり取ってみると確かに宝石のようなものがはまっている。の部分には唐草模様のような装飾が施されており紋章のようなものも刻まれているようだ。

「ライオンの紋章というと、けっこう身分の高い人の持ち物のようです」

「すごいわ。きっと偉い貴族が持っていたのね」

「なになにどうしたの二人とも」

ハグハグと口いっぱいにパンをほおばったハルヒが耳ダンボでやってきた。

「これが切り株に挟まっていたの」

「へええ、すっごいじゃん。お宝よお宝」

「この紋章はどこかで見た覚えがあるんですが、誰でしたっけね」

「いいじゃない誰でも、こういう高貴なアイテムはトルネコ並みに価値があるわ。高く売れるわよ」

誰が売ると言ったかオイ。

「これあたしが預かるわ。いいわよね」

「え、ええ。わたしは構わないですけど」

「もちろんいいですとも」

古泉は、ボスはあなたです、という感じに肩をすくめてみせた。ボスというより上前をはねてる現場監督だがな。

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