第二部 涼宮ハルヒの伝承
七章
それからの俺たちは、なんということはなしに二人だけの
いや、けして当の目的を忘れていたわけではないのだ。どこでどうしてるかは知らんが、ハルヒのことだから台風並みの事象を引き起こしているはずで、大衆の
「今頃どうしてんだろなあ、まったく」
たまに大火事が起こったとか強盗団が捕まったとかロンドン庶民を
「心配ごと?」
「い、いやー俺は心配なんて、ぜーんぜん。あんなもん、自力で生きていけるしな」
「誰のこと?」
「……彼が
職場の上司というか、あれはもはや社長を超えた存在で、どう説明すればいいのか、まったく名状しがたいキャラクタというか。
「実はなあユキ、俺と長門が出会ったきっかけになったやつがいて、こいつがとんでもないエネルギーの持ち主でな。まあそのうち会えると思うが」
「そう。会ってみたい」
「あ、あんまり急いで会わなくてもいいと思うぞユキ。疲れるだけだし、なあ長門」
長門は本心を述べたものかどうか考える風に、
「……なるべくなら先送りしてもいい。むしろこの生活が続いてもいい」
いかんなー、モラトリアム症候群が長門にも
長門が未来から
「ブラザー、ミストレスはいらっしゃるか」
「はい、奥におりますです、サー」
俺のことをブラザーと呼ぶのは酒場の客に違いないが、どうも
馬から降りて従者に預け店の中に入った。庶民相手の薬ばかり売っているのかと思っていたが、たまにはこういう高貴なお得意さんもいるんだな。長門は
「いらっしゃいませ、今日もお天気がよろしいですね旦那様。……要件を聞こう」
ユキリンからいきなりヒットマンみたいな長門語になったので俺が慌てて、エヘヘ今日もいい品が
聞けば、この
長門によると水虫の薬の製法は存外簡単で、竹を蒸し焼きにして煙を蒸留して作る液体をバルサミコ酢と調合すればいい、ということだ。それにミントなんかのハーブを足して香りをつけるとはい出来上がり。これが実に好評でこの地方一帯の紳士諸君、特に今の騎士さんみたいな長いブーツを
注文された薬が完成し、俺と長門はロバに荷車を引かせて配達することにした。ブラザーと呼ばれていたので俺はいちおう修道服を着たほうがいいような気がして修道士コスプレで出かけた。ロバが歩くスピードだと城までは丸一日かかり、俺たちは商人扱いなので途中の橋で通行料を払い、街を取り巻く城門をくぐってから宿で一泊した。街の中心にも城壁があり、その内側にある城を中心にした、わりと大きな町だった。翌朝、城の門に立っている番兵に取り次いでもらって、城の執事に小瓶の入ったカゴを渡し、代金が入った袋を受け取った。城の中にはかなりの数の兵隊が入り乱れていてまるで戦いの前の騒々しさだった。
街の城壁を出て、来た道を元に戻っていった。この道は森を抜ける道が長く、気をつけないとと思っていたら案の定出やがった。槍を持った二人組が道の真中を
「旦那ぁ、もしかしてこの先の城の客かね?」
「そうだと言ったらどうする」
「すまねえが財布置いていってくんな」
「なんだ強盗か? だったら覚悟しろよ、俺はただの修道士じゃねえぜ」
「旦那、お連れのご婦人もいなさるのに黙って金を置いていかないと
俺はロバを止め、荷台から杖を取り出し座席の上に立って刀を抜いた。まあ今日は長門もいることだし手加減してやるがな。
俺は朝倉のマネをしてスパっという感じで槍の穂先を切り落とした。
「さあ、最初はどいつだ?」
これが
「お、おねげえします、ほんの少しでいいんで金を置いていっておくんなさい。エモノを逃したらボスにどやされるんでさ」
「なんだお前らボスがいるのか。だったらアジトに連れて行け」
仕込み杖を持った旅のご隠居バリに、俺はちょいと
「……かっこいい……ダーリン」
「今なんか言った?」
「……なにも」
山賊二人を前にオラオラさっさと歩けみたいにして俺たちは森の奥へと進んだ。ところどころで木の上に見張り台があるようだ。脇道へ
どうやらここの山賊は家族が大勢いるらしく、和気あいあいと
「あ、
山賊二人が恐る恐る小屋の中に入ると、なんだかいつも聞いていた頭痛の種である主の声が聞こえてきた。
「早かったわね。あんたたちちゃんとエモノは確保してきたんでしょうねえ」
どこを探してもいねえと思ったらまさかこんな森の奥で山賊をやっていたとはなあ。俺はこめかみに手を当てて頭痛に悩む仕草をした。長門も真似をして眉間に手のひらを当てている。
「おいハルヒ! いねえと思ったらこんなところで山賊かよ!」
小屋に向かって大声で呼びかけると、中でなにかの液体を
「キョンなの!?なんであんたがこんなとこにいんのよ!」
そのセリフ、幼なじみが中世で山賊をしていることがバレて照れ隠しする感じで頼む。顔だけひょっこりとのぞかせたハルヒはもう日焼けしてるのか単に汚れてるだけなのか分からんほどの真っ黒だった。
「なんだそのマダラ模様に日焼けした顔は。ガングロサクソンかお前は」
首だけひょっこり出した三人は俺の頭を見るなり固まって、慌てて口を
ハルヒが再びヒョコと顔を出し、
「な……なんなのその格好、ザビエルにでも弟子入りしたのア、アンタ」
笑ってはいかん笑ったら負けよとでも念じているのかほっぺたをプルプルと震わせている。
「これは生きていくためのコスプレというか、まあいろいろとあってだな。いちおう修道士見習いだ」
俺は偉そうに信心深そうに目を閉じて十字架を
「これは面白いプレイをなさっていますね。
「それより古泉、お前がついていながらなにやっとるんだ」
ようやく落ち着いた古泉がまあまあという感じで出てきて、
「話せば長い物語になります。我々は好きで山賊団を組織しているわけではなく、民衆の権利のためにやむなくやっているんですよ。ここに
まあ朝比奈さんが無事に生きていてくれていたのでそれは良しとするが。
小屋から飛び出してきたハルヒの格好は緑色のヘアキャップにチュニック、緑の長袖を着ている。
「なんだその格好は、ゼルダコスプレか」
「テヤーッ回転
シャキンと
「はあ、キョン見て笑ったら体力消耗したわ。朝から何も食べてないのよね……ひもじい……」
そういえば三人とも随分細くなっちまったな。朝比奈さんも若干スレンダー度が増している気がする。ちゃんと皆に飯食わせてんのかとハルヒに聞こうとしたところ、さっきの二人組がやって来て、
「ボス、箱馬車が来ました。兵士の警護付きです」
「やっと現れたようね。積年の
「まさか兵隊と戦うつもりか、飯なら俺達が食わせてやるって」強盗はヤバいからやめろと俺が止めようとすると古泉が、
「さっきも申し上げましたが、これは正義の戦いなのです。我々は空腹に耐えてでも戦わなければならないんです」
「そのとおりよキョン。これはあたしたちのジハードなんだから。腹は空腹なれど
よほど腹が減ってると見えてもう飯という単語しか頭にないらしい。
ハルヒは俺の荷車の上に飛び乗り、その辺にいる人民とやらに向かって
「おまえらーっ肉が食いたいカーッ」
「オーッ!!」
「酒が飲みたいカーッ」
「オーッ!!」
「絞首刑は怖くないカーッ」
「オ……」
たった一人朝比奈さんだけがグーを天に突き上げてオーと極上スマイルで叫んでいた。大丈夫ですか、市中引き回しの上に縛り首になったりしないでくださいね。
どうやら俺と長門もすでに仲間としてカウントされているらしく、約半年ぶりのSOS団再結成は名称改め山賊団となった。
「さあっ山賊の時間よ!!」
それからハルヒを先頭にして、馬に乗る者、槍を構える者、矢をつがえる者が隊を組んで出ていった。子供とお年寄りを残して全員が出払ってしまい、俺と長門だけがぽつりと森の中に取り残されていた。俺はいちおう聖職者の格好をしてるわけだし、いくらなんでも修道士が強盗をやるわけにはいかんわけで、ここで
「いいけどな、あくまで監視だぞ」
「……分かった」
とは言ったものの俺も久々のハルヒの暴走にワクワク感が
「……事後の始末も、それはそれで楽しい」
だめだこりゃ。
山賊団は三つに別れる。エモノに恐怖心を与えて追い立てる役、エモノを分断させる役、包囲網から逃げ出さないように待ち構える役だ。パオーパオーみたいな、お前は武田信玄かとツッコミを入れてほしそうなラッパの音があちこちから聞こえ、どうやらエモノの馬を
行く手の林道には大木が道を
御者の兵士がオロオロしている間に馬に飛び乗りハーネスの金具を外して馬ごと走り去る。これはいい馬が手に入った。もちろん兵士も少しは抵抗を見せるが槍と弓矢を構えた山賊に取り囲まれるとあっさりと降参した。
全面降伏した兵士たちの運命は見るも哀れで、武器
「武士の情けよ、パンツだけは残しといてあげるわ」
「おいハルヒ、この時代はパンツ
そういえば女性陣のキャーキャーという黄色い叫び声が聞こえる。股間を
「おいハルヒ、まさかと思うが兵士を天ぷらにして食ったりするなよ」
「セミじゃあるまいし分かってるわよ」
「あとな、人質は騎士だけにしとけ。騎士は養育と装備に大金かかってるから身代金も高い」
「へー、よく知ってんじゃん」
どう見ても
兵士たちは自分たちの給料を運んでいたらしく箱馬車の荷物は金の入った袋だけだった。度重なる強盗のせいで宝石とか武器なんかは運んでいなかったらしい。
「おい金貨だぞ、クラウンだぞ」
俺は修道士らしからぬ
ちなみにこの時代のクラウンってのは一枚が五シリング(六十ペンス)、当時の生活水準からいうと日本円でだいたい十八万円だ。俺の日当が一ペニー、三千円程度だったことを考えると一つかみでもあれば遊んで暮らせる金である。
その日はまだ陽も高いのにもかかわらず山賊団の酒盛りパーティとなり、荷台一杯のパンを買い、樽でエールを買い込み、豚の丸焼きの香ばしい匂いが森中に広がって皆がゴクリとツバを飲み込む音がコーラスのように聞こえた。大金を取られた領主様も地元の商店街に経済効果があったと思えばお喜びになるに違いない。
人質に取られた兵士たちも今では綱を解かれてなぜか皆と一緒に酒を飲んで笑っている。いいのかおっさん、帰ったら
ハルヒはエールの
「諸君、今日の働きは実に見事だったわ。これを足がかりにして一気に本陣に切り込むわよ。明日の領地は我らのもの、我がSOS山賊団に栄光あれ!」
俺達がアウッ! アウッ! アウッ! と
酔っ払ったハルヒと山賊たちが輪になって踊り始めたので、俺はそれを眺めながら
「ところで、なんで山賊なんかはじめちまったんだ古泉」
「話せば長いですよ」
「聞こうじゃないか」
「ワンクールくらいかかりますよ」
「一期でも二期でもかまわんさ」
酒も入ったことだし、古泉お得意の長々とした講談もいい
「そうですね、時間移動技術の事故からお話したほうがいいでしょう。事の発端は八百年後、そのとき何かが起こった ── 」
ま、またそれか。俺は長門に手招きして
三人がこの時代に落ちてきたのは、実時間にして俺より半年ほど後のことらしい。ここからは古泉の一人語りである。
まったく、TFEIというものは怖い存在だ、と古泉は思った。まさか本当にタイムマシンを完成させてしまうとは。古泉の機関は一応インテリジェンスを
タイムマシンの実験は二日目を迎えていた。長門が作ったタイムマシンは一風変わっていて、古泉が知っているSFに出てくるようなものとは違っていた。二つのブラックホールとゼンマイが動力の時計という、いたってシンプルな構造だった。部屋の照明以外はまったく電力を使っていない。経理担当の俺としては財政を圧迫せず一安心である。
(あー、古泉、もうちょっと
そういえば古泉も空腹を感じていた。当日の朝に食パンの買い置きがないことに気づきプリンしか食べられなかったのが要因だとしたらとんだ買い物ミスにちがいない。冷蔵庫にあったチョコレートケーキを食べてもよかったのだが胃が持たれそうなので実行を断念したのだ。ハルヒがトンカツ弁当を頼むと言い出したときには、ついつい、それでは僕もと手を挙げて言いそうになった。しかし皆の前でトンカツ弁当が食いたいなどと公言しなくてよかった、と感じた。それでも、事の発端から早半年が経ち、トンカツという
(分かったから。トンカツに対する熱き思いの
いつものパシリである俺が自ら食料調達を買って出るとは、やはり経理担当というものはいいものだ。いくら
俺がハカセくんを連れて実験室を出た後、長門は大きなアナログ時計を操作していた。見るかぎりこのタイムマシンには操作盤らしきものはなさそうだと古泉は思ったりもしたのだが、測定機器にはわりと高度なものが持ち込まれている。加速度センサーという名前で偽装してある重力子センサー、時間移動後の分子構造の乱れを観察できるX線顕微鏡、そのほか地磁気を
「あ~早くタイムマシン完成しないもんかしらねえ」
ハルヒはパイプ椅子にふんぞり返っている。なにを言い出すんだ、頼むからあんまり願望めいた無茶振りはしないでくれと長門以下三名がハルヒに
それまでコツコツと回っていた銀河時計がふつと止まった。測定器の数値を読んでいた長門は手を止め、数秒間考えるような仕草をし、立ち上がって時計の動力機構のほうへ歩いていこうとした。
「有希……それいったい何?」
ハルヒが
「……これは、わたしではない」
丸い輪の内側に、紫色の光を放つ奇妙な文字らしいものが踊り始めた。その文字をじっと読んでいた長門が突然叫んだ。
「全員、退避」
古泉は反射的に後ずさった。長門の足元を回っていたサークル文字はやがて垂直に立ち上がり、長門の体全体を包む円筒に形を変えた。紫色だった円筒の色が少しずつ白く、さらに光を増してゆき部屋全体がフラッシュを
長門を
朝比奈さんが慌てて壁にかけてある外線電話を取った。電話の相手は俺である。
「もしもしキョンくん、早く戻ってきて! 長門さんが……」
『なにがあったんですか朝比奈さん、長門になにがあったんです!?』
朝比奈さんは手から電話を取り落とした。止まっていた銀河時計がゆっくりと、まるで誰かが動かしているかのようにゆっくりと、逆に回り始めたのだ。
時計は大きな音を立ててガクガクと振動を始め、部屋の中にあるものを揺らし始めた。
「お二人とも、部屋の外に出ましょう」
古泉が言うのも耳に入らず、ハルヒは呆然と逆回転する時計を眺めていた。これはなにか超常現象的な世界をひっくり返す一大事に違いない、というハルヒのいつもの習性で、恐怖に歯をカタカタと鳴らしながら同時に目をキラキラさせるという芸当をやってのけている。
銀河の星たちは少しずつ回る速度を上げていった。古泉がハルヒの腕を掴んだ。朝比奈さんは床に落ちた受話器を取り上げようとした。次の瞬間、部屋全体のパズルのピースがバラバラに分解するかのような
古泉は見た。落下していく足元のはるかかなた、漆黒の空間に宇宙の
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