五章

 途中で道がふた手に別れていて案内の矢印が書いてあった。片方にLONDON、もう片方は汚れてて読めなかった。なるほど、ここはロンドン郊外か。一度も海外に出たことのない俺がはじめて足を踏み入れた異国の土地があのイギリスだったとはなあ。しかも花のロンドンだぜ。

 牧草地やすでに刈り取られた麦畑を抜けていくと長く続く城壁のようなものが見えてきた。今まで見てきたのは石を積んだだけのいわば家畜のための柵で簡単なものだったが、さすが首都らしく今度のは頑丈がんじょうそうだ。

 畑のところどころに民家があり、風車も回っていたのでたぶん農夫か管理人がいるだろうと思い寄ってみた。風車小屋に行くとおっさんが出てきて、旅の途中なんだけど少し食べ物を恵んでもらえないかとゼスチャーしてみると、胡散臭うさんくさそうにジロジロと俺の荷車を眺めた挙句パンと水をくれた。アウトローだと速攻で追い返されるがやっぱり修道士コスと剃髪ていはつは偉大だよな。

 風車小屋では粉をいているようだった。ふつうは川のそばに水車小屋があって、そこで粉をいたり羊毛を叩いたりしているものなのだがここでは風力らしい。俺はラテン語で風車と粉挽こなひき職人を祝福する祈りを唱え、

「父と子と精霊の聖名により、あばよ」

おっさんに十字を切ってその場を離れた。英語は分からんが丸暗記したラテン語の呪文ならなんとかなる。祈祷きとうの文句が間違っていてもどうせ庶民には分からんからいいのだ。


 パンをかじりながら荷車を押していくとだんだん城壁の高さがリアルに分かってきた。これは明らかに軍隊の攻撃から守るためのもので、切り出した石を積み重ね頑丈がんじょうにできている。壁のこちらには大きな堀があり、城門につながる橋がかかっている。城壁のところどころに高い塔が立っていて見張り兵の影が見え、壁の内側にあるものを守っているという感じがする。

 住民がけっこう出入りしているのでそれに紛れて入ろうと城門に近づくと、番兵がジロジロと俺を見た。この顔はやっぱり目立つかな。呼び止められるかと思ったがなにも言わずに通してくれた。

 両側に塔が立つ城門をくぐり中に入るとニワトリやらアヒルやらがぞろぞろと群れて歩いており、子供が走り回り、その間を人や荷馬車が行き交っていて、その賑やかしさに俺はなんだかほっとため息をついた。家の造りは農村のとは少し違い、二階建てとか三階建てで、黒い木材に白い漆喰しっくいの壁で趣味のいい作りになっている。俺がテレビなんかで知ってるイギリスの建物はこんな感じだな。行き交う人の衣装を見ても裕福ゆうふくそうでやっぱ都会っ子って感じがするよな。まあなかには俺みたいにみすぼらしい格好のやつもいるが。

 十字架の立っている大きな建物を何軒か見かけたがたぶん聖堂だろう。しばらく泊まらせてもらえないかと思い、石造りの豪華な鐘つき堂がある大聖堂にお邪魔して入り口の清めの水で手を洗って中に入ると、これまた豪勢な造りで窓には神々こうごうしいステンドグラスがはめこまれ回廊には彫刻がいくつも並び、柱の上には彫刻がほどこされている。

 司祭の助手みたいな少年がいたので司教様はいるかと尋ねると、でっぷり肥え太った司教がお腹も苦しそうによたよたと出てきた。カタコトのラテン語で宗教的辞令の挨拶あいさつをし、しばらく泊めてもらえないかと伝えた。司祭はダメだダメだと重たい指輪のはまった手を振って、あっさり追い出されてしまった。教会と修道院じゃこうも扱いが違うものなのか。どこかに修道院を探そう。たぶん一軒くらいはあるだろう。


 教会の入り口にたむろしてる子供にモナステリーはどこだと尋ねてみるがどうも通じない。俺が剃髪ていはつした頭を指さし十字架をかかげて礼拝のかっこうをすると、ああ、あっちだよと教えてくれた。

 あっちという方角に歩いて行くと人通りの多い賑やかな大通りに出た。屋台とか露天がたくさん出ていて、野菜やら肉のかたまりやらハエのたかった魚やらが売られていた。生きた羊とか豚も取引されているようだ。なるほど市場か。そういや俺が育てたハルヒも市場に出されてたな。

 俺は荷車を壁に立てかけて、道を挟んで酒場の向かい側に立ち、リュートを抱えポロポロとコードを弾いてみた。しばらく弦を鳴らしていると店の外のテーブルについている客がこいつはいったいなんだという感じにして眺めている。そこでおもむろにオホンと咳払いしドナドナを歌ってやった。どうも俺の印象では、イギリス人はこういう情緒じょうちょをそそる悲しい旋律せんりつが好きらしい。

 弾き終わって帰ろうとすると酒場の主人が出てきて店の中でもう一曲やってくれとせがまれ、フッ釣れたなという感じで俺は丸椅子に片足をかけて日本の民謡を歌ってやった。異国の歌はわりと受けが良かったらしく小銭が飛んできた。おひねりありがとうございます。って拾おうとしたら子供が持って逃げやがった。店のおやじがおひねり用のカゴをテーブルに置いてくれ、俺はそれから二三時間、日本の歌謡曲も織り交ぜつつ何度かループして歌った。ギターとは音階が違うし俺の歌もかなり音程は外れていたはずだが、異国の歌だしうまいのか下手なのかは分かるまいて。

 たまにエールをおごってくれるおっさんがいて俺はのどうるおした。声も枯れてきたのでそろそろ帰るよと言うと店のおやじにおひねりを半分くらい持っていかれた。くっそ、さすが商売人しっかりしてやがるな。だが晩飯の焼き肉を店のおごりにしてくれたのでよしとしよう。

 ひさびさの現金収入を得て俺はホクホクした顔で店を出るともう日が暮れかかっていた。修道院には行かずその晩は裏路地に荷車を止めてその下で眠った。ペニー硬貨で厚みを増した財布はしっかりと握りしめたままだった。


 次の日、俺が市場を歩いていると道をゆく買い物客がチャイナモンクと口々に指差している。どうやら噂が広まったらしいのだが、その度に俺はジパングだっつーのと連呼した。誰だ今モンキーつったやつは。

 町にはほかにも酒場があることを知り、何軒かをかけもちで一時間ごとに流しをやることにした。一か所で長いことやってるよりずっと実入りがいい。たまにだが酔っぱらいにからまれることもあったがほかの客が止めに入ってくれるなど、案外モラルのある住民だった。外で歌を聞いていても店の主人は別に文句も言わなかった。

 三軒目で今日はそろそろお開きにしようかとアンコールに答えて蛍の光を歌っている途中で、視界の端に妙に見覚えのあるものがチラリと映った。一見するとイギリス人の女の子だがどうも俺の知ってる誰かの後ろ姿と被った。その子がふとふり向いて目と目があったときの表情を見て、俺はリュートもおひねりもエールの入ったカップも放り出して駆け出した。

 その子は薬草の屋台で買い物をしていた。俺は人混みにまれるようにかき分けて、

「おい!」

思い切り日本語で叫んだ。俺が呼んだと知るや女の子はビクッとおびえ、その脇からマッチョな兄ちゃんが出てきて俺の首根っこを掴んだ。俺の女になにちょっかい出してんだテメエみたいな胴間声が響き、俺はあっけなく道の端に放り投げられた。マッチョ野郎はさっさと行こうぜという感じにその娘をうながして、俺との間には雑踏が流れて見えなくなり、そして起き上がると二人とも消えていた。


 酒場のほうからブーイングが聞こえてきたのに気がついて、俺は店に戻り、そこからはもう上の空で何度もコードと歌詞を間違え、ごめんごめんと謝りつつ客からは何度もアンコールをやらされるはめになった。

 あれはどう見ても長門だった。髪の毛をポニーテールにはしていたが。


 屋台の方が店仕舞いを始めたので俺もライブをお開きにして、薬草を売っていた屋台のおばちゃんに聞いてみた。さっき来てたかわいい女の子は誰です? アルケミーの子かい、あきらめな、あの子にはフィアンセがいるんだとさ。い、いえ別にナンパするつもりじゃないんですが。店ならこの通りをまっすぐ行ったところさ。ありがとお姉さん! 美人のお姉さんだなんてあんたも口がうまいねホホホ。

 という会話が伝わったのかどうか分からんが半分は俺の妄想だ。実は指差した方向しか分からなかった。

 ところどころぬかるんだ道を俺は荷車を押して歩いた。道沿いにはパン屋やら酒樽を置いている店やら野菜を売っている店、それから鍛冶屋や衣類を売っている仕立屋みたいな店もあった。ときどき質もデザインも違うゴージャスな衣装の人が馬車に乗って通りがかるが、あれはきっと偉い貴族か金持ちに違いない。

 ところでこの辺の店には鉄で出来た看板みたいなものが壁から突き出ていて、そこが何の店かはそのサインで分かるようになっている。ブーツの形なら靴屋と靴の修理屋、ポットの形なら素焼きの食器屋、金槌かなづちなら金物屋、杖にヘビが絡んでるやつは薬局、などなど、何の店か分からないやつはだいたい酒場だ。そんなサインが並ぶこの大通りに妙な看板の店があった。どう表現すればいいのか分からんが、なんというかこう、これが看板職人の失敗作でないのだとしたらだな、サナダムシがのたくってるみたいな、三百六十二ペタバイトの情報でカマドウマを召喚しょうかんしてしまいそうな看板だった。

 その店には出窓もなく売っているものが分からない。とりあえず間違ってたら逃げ出すことにして、ドアを開けてみると薬草のにおいと香をいてるようなにおいが漂っていた。カウンターには薬草の束が積まれている。アルケミーって薬剤師だったっけ? 当たらずといえども遠からずな気がして訳語を思い出そうとしていると、奥のドアからさっき俺を放り投げたマッチョ野郎が出てきた。

「レレレ、レフトビハインド~」

口調と顔がどうも谷口に似てるんだが気のせいか。

「ユー!」またお前か! という感じでつまみ出されドアの外に放り出されしっかりと鍵をかけられた。筋肉隆々きんにくりゅうりゅうイギリス版の谷口とかギャグとしか思えんのだが。

 しかし店の場所は分かった。あれが長門じゃなかったとしても話をするまではあきらめんぞ。俺はペンの看板を出している店に行き、小さなゴワゴワ紙を買ってインクを借りてメモ書きをした。二十一世紀の英語はスペルが違うのでたぶん通じないだろう。俺はあっさりと日本語で“長門へ、俺だ。今表にいる”と書いた。

 近くにいる子供に小銭をやり、あそこの店に届けろと手紙を渡した。子供は走って行ってドアが開かないよとこっちを見たが、俺は物陰からノックしてみろと手振りで伝えた。ドアをガンガンと蹴るとマッチョ谷口が出てきて手紙を受け取り、開いてから読めないとみるや鼻をかんでクシャクシャに丸めて道端に捨ててドアを閉めやがった。くそったれ谷口のやつ覚えてろよ。二十一世紀のお前を情報連結解除してやる。

 これは作戦を変えねばなるまい。谷口が間に入ると面会はとても無理だ。


 また荷車の下で夜を明かし、俺は市場がはじまると即効で薬草の屋台に行った。

 おばちゃん今朝もきれいだね! あらそうかい、おだててもなにも出ないよオホホホ。ところで昨日の子が同じ薬草をまた欲しいって頼まれたんだけど。どれくらい欲しいんだい? そこにあるの全部。あらま太っ腹だね持っていきな。

 とまあ、そういう会話があったのかなかったのか、俺は全財産をはたいて薬草を大人買いした。おばちゃんがあんたもニクイねぇ彼女にやんな、と、どっちかというとグロテスクな感じの花を一束くれた。俺は荷車に薬草を山積みにして押していった。

 今度はつまみ出されないぞとしっかりとラジオ体操第一をこなしてから、まだ開店前のドアを開いた。薬草の山を抱えて中に入ったが、誰もいなかったのでカウンターにあった呼び鈴を鳴らした。長門頼むからロッカーから出てきてくれ、という願いもむなしく現れたのはマッチョ谷口のほうだった。テメエいい加減に、と谷口の口が開く前に俺は大声で叫んだ。

「おい長門、奥にいるのは分かってんだ! 出てきてくれ、俺の長門ユキ、ユ、キ、リ、ン!!」

なぜだかいつだったかどこでだったかユキリンと呼んで欲しがっていた記憶があるのだ。

 奥のドアに少しだけ隙間が空いた。こっちをうかがっている。俺は薬草の束を持ち上げてプレゼントフォーユーと叫んだ。ドアがゆっくりと開いた。目ははしばみ色、髪は栗毛だが似ている、少しだけ首をかしげたところが長門に似ている。谷口は薬草をひったくり、においを嗅いで品質がどうとか色が気に入らねえとかイチャモンをつけて突っ返し、ドアから俺を追いだそうとした。俺はここで負けてなるものかと是が非でも柱にかじりつき、

「長門、バックトゥーザフューチャー!!」腕時計を見せた。

「……ブラザー……ジョーンスミス?」

やっとつながった。その声はまぎれもなく長門のものだった。


 長門は薬草屋のおばちゃんがくれた花束を受け取り、こっちへ、という感じにドアの奥を指さした。俺は大げさに谷口の手をふりほどいてにらみつけ、フンと鼻を鳴らして乱れた修道服を整えた。

「ユキ、── 」大丈夫なのか、追い出してもいいんだぜと谷口が言う。

「トニー、プリーズ」

このマッチョな谷口はトニーって名前だったのか。

 長門がなだめて谷口はようやく落ち着き、俺はドアをくぐった。部屋の奥には下に降りる階段があり地下室になっていた。階段を降りて地下室のドアを開けるとそこには大きな本棚とテーブル、奥には暖炉がありその上には絵が飾ってあった。左手の本棚には大量の巻物が積んであり、右手の壁には黒板があって記号やらローマ字が書いてあった。どことなく昔過ごした部室の感じがするが、深海魚の干物とか干しワカメみたいになったコウモリとか、日本農家の軒先の干大根みたいな京人参きょうにんじんとか、イタリア系ヒゲの配管工兄弟が喜びそうなキノコなんかが天井からぎっしりとぶら下がっていて、マッドサイエンティストのラボを彷彿ほうふつとさせた。


 長門はテーブルの上に理科室の実験器具みたいな五徳ごとくやら蒸留装置やらを並べ、フラスコになにやら液体金属みたいなやつを注いでランプに火をつけた。紫色の花をナイフで刻んで中に入れ、それから俺の髪の毛を一本よこせというので頭から抜いてやった。髪の毛をメビウス状に結びフラスコの中に落とすとなにやらモクモクと虹色に輝く湯気が立ち上り、長門は両手をかざして呪文を唱え始めた。

「……ハジメチョーロチョロ……ナカパパー……アカゴナーイティモ……フタトゥルーナ……」

 怪しげな呪文が終わるとどうやら完成したとみえて小瓶に注いで俺に飲めとうながした。毒々しい赤紫色の液体が湯気を立てている。スッポンの血を凌駕りょうがしそうなこの液体を飲めというのか。俺はなるべく火傷しないようにフーフーと冷ましてから一口飲んだ。

「んーんー、むぐー?」

あまりの不味さに吐き出してもいいかと尋ねたが長門は飲め飲めとせっついた。お味のほどはというと、昔飲まされた子供用風邪薬っぽい甘味にダークネスセンブリ茶をブレンドしたようななんとも形容しがたいもので、俺は目をつぶって身震いしながら飲み込んだ。

「ハァハァ。もういいか、これ以上はちょっと無理」

「……」小瓶を返そうとすると首を横にふる長門。

ダメだそうだ。フラスコの中身全部空けるまでは許してくれないそうだ。俺はモクモクと湯気の立つフラスコを取り上げ適度に冷ましつつ、何度も吐きそうになり、涙目になりながら飲み下した。

「テイスティ?」

「死にそうに不味いっすオエップ」

「胃薬をあげる」

「ありがとよ、」って、今なんと言った!?

「胃薬を、」

おぉイッツミラクル! 言葉が分かるぞ。

薬の効き目が現れて長門はかすかに微笑ほほえんだ。

「そう。このコンニャクの花は滅多めったに手に入らない。希少なの」

久々に聞いた長門ボイスだ。なるほど、前にも使ったような気がする猫型ロボットのネタですね、分かります。

「これっていつまで効果あるんだ?」俺は自分の耳を指差して聞いた。

「だいたい七日程度。だんだん聞こえなくかもしれない」

ってことは俺は一週間ごとに翻訳なんとかを飲む苦行を強いられるわけか。


 「おい修道士、お前どんな魔法を使ったんだ。ユキリンが初対面でこんな表情をするのはじめて見んぞ」

薬の調合をする長門と吐きそうになりながら薬を飲んでいる俺をずっと見ていたマッチョ谷口は、納得がいかないという表情で言った。

「未来に帰ろうってどういう意味だよ。ユキ、こいつ知り合いなのか」

「トニー、俺は初対面じゃないし、お前みたいなただのエキストラでもないのさ、」

俺たちメインキャスト、自らの願望を叶えるためには世界を書き換えてしまうキリストのごとき存在と、この銀河を治める貴族たちの美しき使い魔、メイドにふんしたちょいとばかしおっちょこちょいのタイムトラベルレディ、そして特Aクラスのイケメンウィザード。そのレギュラーである俺も今や未来人修道士なのだよ。いや、カッコ見習い、でした。

 谷口は俺の手首を握りマジマジと腕時計を眺め、

「この腕輪は何の機械だ、なんで俺の名前が書いてあるんだ?」

お前の名前って確かトニーじゃなかったか。トニー……トニー……、トニー・グッチ? どんなダジャレだよお前の姓名は。


 谷口は、どうでもいいけど長居すんじゃねーぞ、ごゆっくり、と言い残してバタンとドアを閉め、天井から粉が降るほどの衝撃を与えてから出て行った。

 やっと長門と二人きりになれたのだが、俺は再会を喜んではたしてここで抱きしめるべきかどうか思案していた。長門はもじもじとなにかを言いたげな、でも恥ずかしいみたいな仕草をして、

「ブラザージョーンスミス……、ずっとお礼を言いたかった」

「お礼ならいい。来るのが遅れたのは優柔不断な俺のミス、不手際」

一人パロディのつもりだったが、そうじゃない、という感じで長門は目を伏せて、

「女子禁制の修道院で魔術書を借りたくて困っていたとき、助けてくれたのがあなた……。あのときはありがとう」

「そ、そうか。お安い御用だ」

そのシチュエーションはロマンチックなのかどうか分からんが、なんだか前にもあったような気がしなくもない。たぶんこの長門のファンタジーなのだろう。


 しかしこの長門が人間の長門で、有機ヒューマノイドでないことは最初に見かけたときの表情からなんとなく分かっていた。だから俺は、ほんとは宇宙人だろ、とか、ハルヒを知ってるか、などと深く問い詰めたりはしなかった。経験から言うとこの世界は異世界で、俺はまたなにかの手がかりを集めなくてはならず、情報統合思念体も未来人も赤玉超能力者もいないということになるのだろうか。いや待て、だったらあの喜緑さんと朝倉はなんだったんだ。時間移動がらみのただの事故だと思っていたのに、いろんなグループのいろんな思惑おもわくがごっちゃになって全員がニヤニヤしているような気配がするのだが。

「お前の名前はユキリン、だよな。ファミリーネームはなんていうんだ?」

「わたしの名前はユキリナ・ド・ナガティウス。トニーはユキリンと呼ぶけど」

なーるほどラテン系か。谷口がイタリアンなら当然か。

「ところでトニーは親類か? 従兄弟かなにかか」

「彼はこの店の大家の息子で革細工をやっている。ときどき店を手伝ってくれている」

「薬草屋のおばちゃんが婚約者がいるって言ってたが、もしかしてトニーのことじゃ……」

そこで長門はポッと顔を赤らめて、

「婚約はしていない。彼が一方的にアプローチしているだけ」

なーんだ、そういうことか。はっはっは。あきらめろ谷口、お前には無理だよ。


 その日から俺は長門の、いやユキリンの店で住み込みの使用人として働かせてもらうことになった。屋根裏部屋に寝泊まりし、錬金の仕込みを手伝ったり、現金収入のためにたまには酒場でライブをやった。

 ユキリン自身は好きなだけいてもいいと言ってくれたのだが、働かざるものはわらをも食う、じゃなかった、わらを運ぶとかなにがしかの手伝いでもしないとバチが当たるだろう。それというのもトニーがあんまりユキリンのまわりをうろうろするので牽制けんせいしたかったというか、実のところは、俺は自立して店を経営しているユキリンに養ってもらうことに気がとがめていたのだ。


 ユキリンの店はわりと繁盛していた。腹の薬や二日酔いの薬は毎日売り切れになるほどで、いちばん需要が高かったのが高齢者向け不老不死の薬と、ご婦人向けに美容の薬、あと香水は高値で売れた。この辺はなんというか、栄養ドリンクに夢を一滴混ぜて売ってるようなもの、とハニカミながら教えてくれた。おっさん向け精力強壮剤というのも実は中身は同じで、レシピは企業秘密らしい。

 薬剤師というのは俺の誤訳で、ユキリンは錬金術師だと言っていた。だがこの時代は医者と床屋の違いがないのと同じで、薬剤師も錬金術師も医者みたいなことをやっていたので、どの店が医療行為をするというはっきりした区別はなかった。王室御用達とか公認の医者はイタリアの医学校で勉強してローマ教皇から免許を受けたやつと決まっているが、産婆さんばや修道士やまったくの素人がやる無免許のニセ医者も多かった。いやニセというのは語弊ごへいがあるな。正規の免許を持ってる医者の治療費はとても庶民の手の届く値段ではなかった。貴族とか金のあるハイソな方々しか診てもらえないのである。


 ところで、脳内翻訳の秘薬がだいたい七日で切れるというので、俺は野生のコンニャクの花を採取に行かなければならなかった。薬草屋で買おうとすると滋養強壮剤の材料にもなっているらしく高くてとても買えない。

 俺は大工に頼んで荷車に座席と荷台を取り付けてもらい、トニーんちで飼っているロバを借りて引かせた。

「ユキリナ、俺ちょっと町の外で薬草取ってくるわ」

「わたしも行く」

ユキリンはコクリとうなずいて荷台の後ろに乗った。ふっふっふ、これはトニーから引き離すいいチャンスだぜ。

 材料にする鉱物資源も欲しいというのでシャベルとピッケルなんかの道具と、それから用心のために護身用の仕込み杖を忘れずに持った。ムチをぴしりと打つとぽくぽくと歩くロバのれに合わせて俺達もれた。ユキリンと楽しいドライブである。

 最近町で噂になっているらしいリュートを弾く修道士と、小柄な錬金娘の組み合わせが不思議らしく、道で出会う住民がじっと眺めていた。おーい修道士デートか司教様にチクってやる、いえこれは生き別れの妹です、と真顔で答えておいた。修道士は恋愛禁止だからなあ。禁止というよりこれは修道士に限ったことではなくて、この時代は全般に男女七歳にして席を同せずみたいな生真面目きまじめな風潮があって、おおっぴらに付き合うのははばかられる道徳なのである。なんと清く正しき男女交際であることか。その割にはできちゃった婚も多いんだなこれが。


 こないだ俺が追いぎにった道は避けた。町から数キロ離れるとそこはもう田舎の風景で、ゆるやかに傾斜した畑と羊の放牧地の間にぽつぽつと樹が立っているだけだった。畑はそろそろ麦を植える時期らしく農夫がいて、馬が並んですきを引いている。チョロチョロと流れる小川が畑の間をい、街沿いの大きな川に、たしかテムズ川とかいうんだが、そこに流れ込んでいる。こんな静かな田園風景だが、未来じゃこの辺りもビル街になってんだろうな。

 コンニャクの花は高い山に登らないと生えてないんだとかで、半日くらいかけて人里離れた山の上まで登った。そこで俺は岩のかたまりから鉱石っぽいものを土方のおっさんのようにツルハシで岩を砕きながら掘り出しつつ、ユキリンはコンニャクの花や石の下に生えるキノコや珍しい苔なんかを集めていた。


 ユキリンが用意してくれたパンにベーコンを挟み、俺が知ってる二十一世紀のものよりは硬くて酸っぱいリンゴを昼飯にした。天気もよし、風もまた暖かく、雲がゆっくり流れていく。視界を遮るビルも青空を切り裂く電線もない、まったりとした田園風景を背景にロバがもさもさと草を食んでいる。そこで俺は格好をつけておもむろにリュートを取り出し、さりげない風にポロポロと弦を弾いた。最初はコードを押さえるだけの爪弾きで、それから弾きながら歌った。ユキリンの前ではまだ歌ったことがなく、やたら緊張してよく音を間違えた。いいことなのか悪いことなのか、日本語だと分からないはずが翻訳秘薬のせいで歌詞の間違いが直訳されてしまった。

 人から歌を歌ってもらうということが今までなかったのか、ユキリンは目をうるうるさせて聞き入っていた。長門をイメージして日本のさくらと名の付く歌謡曲を歌っているとなんだか俺も自分の声に酔いしれてしまって、やべえ目がうるんできた。

 隣りに座っていたユキリンが俺の首に抱きついて俺を押し倒し、手から離れたリュートがボロンと音を立ててゴロンと転がった。ユキリンは寝転んだ俺の胸に頬を押し当てたままじっと動かなかった。あのーユキさん、あなたはいったい何をしておいでなのでしょうか。仮に見習いでも貞節の誓を立てた修道士がこんな……、と思いつつ俺はユキの頭をなでた。

「なあユキリナ」

「なに」

「その髪型、似合ってるぞ」


 暖かい春の風が丘の上の二人をなでていった。


 次の日から俺は修道服を着るのをやめた。いやしくも一度は清貧、貞節、従順を誓う儀式をやったわけで、見習いだから許されるかどうかはともかく、俺としてはこの修道服の腰からぶら下がっている十字架に対して嘘をついているようで、残り少ない良心がミシミシと傷んだのである。まあ汗にまみれてたんで一度洗濯したかったしな。

 ロンドンでふつうの男性市民が着る長袖シャツとチュニック、タイツみたいなやつにズボンを履いた。近所の仕立屋で買ったのだがけっこうな値段がしてユキリンに金を借り、俺はまた酒場でライブをやるはめになり、ライブをやるときは修道服のほうが実入りがいいと酒場の親父に言われ、結局また坊さんコスプレをさせられることになった。


 こないだ二人で採りに行った材料で、シミソバカスを目立たなくするという化粧液を大量に作り市場で売りに出すことにした。俺が荷車の上に立ち自作の美容の歌を歌って呼びこみをやり、ユキリンが売り子をやった。俺のことを知っている客がたちどころに集まり飛ぶように売れた。隣でエールの屋台を出していたおっさんが歌は反則だろと苦言をていしていたが、奥さんにプレゼントだといって化粧液の小瓶を渡すと一杯おごってくれた。


── さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。ここに取り出したりますハグッ(痛え噛んだ)この秘薬。ナガティウス錬金商会が最新テクノロジーで開発いたしましたりまするこの秘薬、どんな効果があるのか知りたい人は近くで聞けぃ、知りたくない人も遠くに聞くがいい。これが世紀の大発明だぁお立ち会い。たった一滴であれよあれとと十歳は若返るという摩訶不思議まかふしぎな秘薬だお立ち会い。そこにお通りのお綺麗きれいなオバ、お姉さん、この美容と健康の秘薬でさらに磨きをかければあなたのご主人が惚れなおすことマンズ間違いない。そちらのお嬢さんがた、この秘薬を使ってイケメン紳士のハートを射止め、玉の輿こしに乗ってみたいとは思わないかぁお立ち会い。


ユキリンは俺の売り口上を聞いてクスクスと笑っていた。いい笑顔だ。


 扇子せんすと三味線があれば雰囲気出たであろう両生類の薬売りの口上をパクらせてもらったわけだが、なんか知ってる誰かが前にやってたような気がしなくもないな。

 こういうのはノリで欲しい気にさせるのがポイントで、今日だけ限定販売とか言うとなんとなく買いそびれるのが惜しいような気になるだろ? 女だけじゃない、おっさんやあんちゃんも奥さんや好きな子にプレゼントすればもうラブラブっすよと畳み掛けると、そういうもんかなぁなどとうなずいて大量に買っていってくれた。


 昼過ぎには売り切れゴメンの札を立て、どうしてもというお姉さまがたのために予約注文まで取ることになったが、明日から店頭に殺到するかもしれんな。

「ユキリン、稼ぎはどうだった?」

「なかなかのもの」

「そうか、そりゃよかった。また材料を取りに行かないとな」

「そう。また一緒に」


 その日の晩飯は豪勢なメニューで、グリュイエールのチーズで作ったグラタン、オスロのサーモンパイ、リスボン産のハムのサラダ、ブリュッセルのムール貝、地元の羊のソテーと、ユキリンお手製のフルコースだった。テーブルに燭台を置いて部屋中にロウソクを灯した。俺がいただきまーすとパンを取ろうとすると、ユキリンは両手を合わせ、

「天にまします我らが父よ、御名のあがめられんことを。御国みくにを来たらせたまへ。我らの日々のかてを今日も与えたまへ……」

丁寧なラテン語で主の祈りを唱えた。空腹のあまりに食前の祈りをすっかり忘れてたが、修道服を脱いだ途端にこれだもんな俺は。不信心にもほどがある。

「アーメン」

「お疲れさま」

「お、おう。今日は頑張ったな」

俺たちはブルターニュのワインで乾杯した。素焼きのカップじゃ可憐な音はしなかったが。

「当面は予約だけで食っていけそうじゃないか?」

「そう。もっと大きな炉と蒸留釜が必要かも」

設備投資も必要になってきたか。俺もすこしは稼がないとな。


 晩飯の後、暖炉の前の揺り椅子に座ってユキリンはラテン語の本を読み、俺はそろそろワインの酔いがまわって眠くなってきたので寝ることにした。ユキリンにおやすみと言い、ローソクを持って暗い階段を登り屋根裏部屋にある俺のベットにもぐり込んだ。このベットは木の囲いにわらが詰め込まれているだけのクラッシックな造りで、ダニ避けに干した薬草が敷いてある。その上にシーツを被せ、薄い掛け布団にくるまって寝た。この国じゃ寝るときは裸らしいんだが、寒くてとてもそんな中世人みたいなマネは俺には無理だった。

 うとうとしていると部屋のドアがきしむ音がしてローソクを持ったユキリンが顔をのぞかせた。

「おやすみ」

「あ、ああ、おやすみ」

「あの……」ユキリンは少しだけ躊躇ちゅうちょする風を見せて言葉を継いだ。

「わたしたちは……良いパートナーになれると思う」

パートナーね、いいビジネスパートナーだな。ユキリンはそのままドアの向こうへ消え、二階の自分の寝室に降りていった。

 俺は今のはいったいどういう意味だったのだろうと眠い頭で考えた。パートナー、相棒とか味方とか、共同出資者とか組合とかそういう意味だよな。夫婦っていう意味もあったか。ふ、夫婦だと……。

 闇に目が慣れて俺はドアが少しだけ開いたままなのに気がついた。ユキリンがわざわざおやすみを言いに来て、ドアを開けて出て行った。これはもしかしたら、いや待てありえない。ただドアを閉め忘れたか隙間風で開いたかだろう。だがもしかして、もしかしたらだが、閉め忘れるとかありそうにない几帳面きちょうめんさから考えると、これはユキリンのお誘いなのではないだろうか……。

 長門になぜうちに泊まらないのかと問い詰められたことがあったような、なかったような、記憶が曖昧だが、その理由を説明したことがあるような気はする。下の階にはユキリンがいる。あれは長門ではない。そのせいかここで俺はお客様のように振る舞い、けしてイチャついたりせず紳士としてのお付き合いをしている。これではまるで長門が世界を作り変えちまったときの、あの人間の長門に対する俺の態度ではないか。厳密には、厳密にはどちらも長門だ。その、はずなのだ。時が違っても場所が違っても長門は長門なのだ。

 そうだ。紳士としてご婦人のお誘いを無下むげに断るわけにはいかん。俺もローソクを持ってユキリンの部屋のドアをノックするべきなのではないか。

 いや待て、先のことを考えろキョン。未来に帰ってから長門にこれこれこういうことがありましたと、なんの良心の呵責かしゃくもなく伝えることができるのか。そもそも伝えずとも長門にはすべてお見通しになるだろう。ああ、長門の悲しそうな顔が目に浮かぶ。それだけはやめるべきだな。

 しかしだな、ユキリンの存在自体が謎なのだ。なぜここにいるのか。あの世界は長門がそうなりたくて作り上げたものだった。ならばこれは長門自身が望んだことなのではないだろうか。きっとそうだ、そうに違いない。さあ勇気を出してローソクを灯そう。

 にしても、さっきユキリンが来ていきなり押しかけるってのも品がないかもな。もう五分くらい待ってからにしようか。


 五分経ったかな。いやまだ一分くらいか。もう十五分待ってから行くとしよう。もう少し待ってみるとするか。ユキリンにも心の準備ってものがいるよな。俺にもだが。な、なんか妙にドキドキして息苦しい。脳貧血か、あれ違うぞ鼻血が垂れてきた、ちょっと顔を洗おう。

 きっとワインのせいだ、少し頭を冷やしたほうがいい。俺って酒が入ると見境なくなるから気をつけないとなあ。将来酔いつぶれて長門んちに押しかけたりしませんように。


 どれ、起き上がって行くとするか……いや、なんだか気がとがめる。きっと神様に見られてるからに違いない。ちょっと祈ってからにしようか。天にまします我らが父よ、正直これ、たまりません。禁欲を……持て余す。

 そろそろいいかな……、あれ、なんで鳥の鳴き声がしてんだ。なんで外明るいの?


 ベットから起きだして一階に降り顔を洗って銅製の鏡を見てみると、目の下にクマができていた。どう見ても眠ってない顔です。

「おはよう」

ネグリジェを来たユキリンが起きてきて目の下にクマができていた。どう見ても眠ってない顔です。

「お、おはよう。昨日のワインは悪酔いしたな」

「そう……」

くしゃくしゃに乱れた髪を気にもせず、寝不足をワインのせいにしている二人だったが、いいんだ、よかったんだよこれで。


 眠気覚ましにコーヒーでもあればよかったのだが、あいにくと紅茶もコーヒーもまだイギリスにはないのだ。地下の仕事場でうとうとしながらどうしても眠気に勝てず、二人で寄りって部屋の隅で居眠りをしていると、谷口が入ってきてごゆっくりと叫んで泣きながら出て行った。トニー、お前さっさと嫁さん探したほうがいいぞ。

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