第一部 長門有希の転生

一章

図:アルクビエレ・ドライブ1と2

https://bit.ly/2MCsHiF

https://bit.ly/2pbcubd


 そうだな、もう随分前のことだが、あれは長門の時間のループの二十八回目だったか二十九回目だったか、もう記憶がごっちゃになってしまって俺の記憶キャパシタを完全にオーバーフローする壮大なる天文学的時間が経過し、すでに二十回目移行はもうカウントすらしなくなっていた頃のことだ。

 宇宙人未来人超能力者の三大組織が戦々恐々としているのも意に介さないハルヒはタイムマシン開発を堂々と宣言し、時のゼンマイを巻きすぎてバネがはじけ飛びそうになるのも一顧いっこだにしない時間的パラドックスを発生させた挙句、結局俺たちは浦島太郎方式がいちばん安全なのだとの結論に達したのが時間移動技術開発の顛末てんまつだった。

 一般市民代表の俺としちゃ、もうそんなに慌てて未来を欲しがったり未練がましくいつまでも過去にこだわったりせずに、安らかに大らかに今を生きていくことができればそれで十分じゃないか、それ以上を望むのは小さな人間にとっては分不相応ぶんふそうおうってもんだと達観たっかんめいた横目でハルヒの高速空中分解を眺めていたものだった。

 しかし、慣れってのは実に恐ろしい。この世を支配する種々の物理法則を前にしてことさら未来や過去を欲しがるのは、アインシュタインやホーキングを差し置いて習わぬお経を読むほど恐れ多いことだと思いつつ、思いつつも、このグルグル螺旋らせんの渦に巻き込まれるのがマゾヒスティック的な快感となってしまったことを、いったい俺はどうして否定できようか。否定しろよ。


 実時間で言うところの九月、赤鉛筆を耳に挟んだハルヒが、まだ完成すらもしていないタイムマシンに乗って十年分の競馬新聞を買いに行こうと画策かくさくしているところへ朝比奈さんが突如会社に現れて、やっぱり安全圏で既定の流れに沿ったほうがいいですよね的な協定が俺と朝比奈さんとの間で成立した結果、ハカセくんを召喚しょうかんした、ちょうどその直後のタイムラインでのことだ。


「オホン、え~、では会議をはじめます。この際、おはかりいたします。取締役会、第一回時間移動技術会議、議事進行および書記につきまして、わたくしキョンの権限で自任させていただくことにご異議ございませんでしょうか」

「あたしが指名したんだからあんたがやんなさい」

「僕は異論ありません」

「……異議はない」

「わたしは異議ないです」

「まったく異議ござらん」

「全会一致と認め、そのように決し……って一人多いぞ。ござらんって誰だお前」

「キヒヒヒ」

座敷ざしきわらしかお前は。なんだか前にも同じシチュエーションがあったような気がしなくもないが。

「おい議事録つけてんだから無駄なこと書かせるな」

「気をつけなさい、今どきの会社経営は隙あらば乗っ取ろうとする輩がわんさかいるんだから。ほらほら、あんたの後ろにも」

ハルヒのニヤニヤ笑いにゾクっと背中をなにかが走りぬけ、振り向くと、キラキラ目を輝かせた少年がエヘヘ笑いをしつつ頭をかいていた。乗っ取りっていうよりハルヒに乗っ取られた少年のような気もする。俺は手招きして、

「え~、議長より、この場をお借りしてお知らせいたします。北高の後輩にして我らがホープであるハカセくんがご来場なさいました。拍手でお迎えください」

ハルヒが用意しておいたらしい豆腐屋のラッパとチンドン宣伝部隊の太鼓をドンドンパフパフと鳴らした。朝比奈さんと長門は軽く会釈えしゃくをし、古泉は起立して右手を差し出した。

「どうも古泉一樹です。お噂はかねがね伺っております」

「よ、よろしくお願いします」古泉が手を出すと、初々しいハカセくんは握手をするのに手じゃなくて足のほうがカクカクしている。

「ハカセくん、うちは超適当アットホームな職場なんだ。もっとフランクでいいぞ」

「え、ええと、ジュスイ テ ゾヴ デヴォクネド」

い、いや別にフランス語でやれという意味じゃなくてだな。

「あ、は、はい、すいません。僕みたいな高校生を呼んでいただいただけでありがたいです」

「さあさあ、永遠の別れの恋人じゃあるまいしいつまで手を握り合ってんのよ」

茶化すハルヒに、古泉とハカセくんはポッと顔を赤らめて手を離した。いや別れる恋人は手を握り合ったりせんと思う。

「ハカセくんは技術顧問なんだから、あたしの隣に座んなさいね」

「は、はい涼宮姉さん。うさぎのお姉さん、お茶ありがとうございます」

「えー、一部ご承知かと存じますが、ハカセくんは俺達が出た大学の物理学部を志望していらっしゃいます。将来は量子物理を専攻されたいとのことです。さっそくですがハカセくんに趣旨しゅし説明をお願いしたいと思います。座ったところをすまないんだが、ハカセくん、頼む」

「はい。で、では、ただいま議題となりました時間移動技術についてご説明いたします」

学校の教師が持っている指示棒をピシと伸ばすと、キリっと講師の顔になるハカセくんだった。

「まず一般的な学説として、タイムトラベルが不可能であるという理論があります。質量のある物質はどんなものであれ光の速度を超えることができない、というものです」

「アインシュタイン博士ですね」古泉がうなずいた。

「そうです。その一方で、この宇宙が生まれたときの膨張ぼうちょうは光の速度を超えていた、という学説があります。光の速度を超えられないはずの物質が、それが生まれたときは光の速度を超えていた、これは一見矛盾しているようですが、ここに時間移動のポイントがあります。ええと、」

ハカセくんは用意した模造紙もぞうしがクルクルと戻るのを引き延ばそうとして苦心し、朝比奈さんが手伝ってホワイトボードに貼り付けた。ハカセくん手描きの丸っこい宇宙船が真ん中にあり、左側に球場の観客席が、右側にそれを上下にひっくり返した深い谷がある。

「この宇宙船の左側の空間は膨張ぼうちょうし、右側の空間は収縮している、という図です」

「その溝になってる部分が未来への扉?」

「いえ、この図は未来に行くとか過去に行くとかではなくて、エネルギーのプラスとマイナスという概念を簡単に表したものです」

どうやら膨張ぼうちょうと収縮の度合いを平面上の高低で表現していて、実際にこういう空間になるわけではないらしい。どうもこの、グラフでいうところの特定の数値を省略した図というのは返って分かりづらくなってる気もするのだが。

 どうやらピンと来ていないのが約三名いて首をかしげている。ハカセくんはもう一枚の模造紙をホワイトボードに貼り付け、

「物理の三次元での見方をすると、地球儀のようなエネルギーの泡の真ん中に宇宙船がいて、前の方の空間から後ろの方の空間に向かって収縮と膨張ぼうちょうの波が伝わっていっている感じです」

なるほど。経線と緯線の骨組みだけの地球儀の前が収縮しゅうしゅく、後ろが膨張ぼうちょうか。中心にちっこい宇宙船が浮かんでいる。

 ハカセくんは指示棒でペンペンと図を叩いた。

「たとえば僕達がいるこの部屋が特殊なエネルギーのバリヤで包まれた宇宙船だとしますね。部屋の後方でビッグバンが起こったことにします。そうするとそこだけ空間が膨張ぼうちょうしますから、この部屋は前方に押し出されることになります。次に部屋の前方に空間が縮んでいるブラックホールのようなものを置きます。後ろから押され、前に吸い込まれ、部屋全体としては前方に加速することになります。つまり、ワープします」

そんな宇宙規模のスペクタクルショーを間近にして大丈夫なのかこの部屋、という顔をして部屋の壁を見回しているとハカセくんは、

「物理的な現象に例えた場合の話です」と笑っていた。

なるほど、ワープの理屈はわかった。

「そこで、この押し出される速度をもっと早くして、光の速度よりも早くするとどうなるでしょう。たとえばこのワープ航法を使ってセンパイが一秒間に六十万キロメートル進むことができ、十メートル先に出現したとします」

「どうなるんだ?」

ハルヒが右手を上げて、

「ハイハイ、分かったわ。キョンが二人いることになるのね」

俺が二人って。十メートル先はビルの壁の向こうだから道路でノシイカになっちまってるだろうけどな。

「正解です。出発する一秒前の時空に飛んでしまいます」

今度は朝比奈さんが手を上げて、

「ハカセくん、よくタイムトラベルで問題になる、ほかの物質と重なってしまう事故は起きないのかしら。たとえば一秒前の自分と重なってしまうとか、」

俺が割り込み、

「俺が俺と重なるとどうなるんです?」

古泉がクックックとのどの奥で笑い、

「素粒子レベルで爆発してしまうと思いますよ」

「ガーン。そして俺は星になった……」

核分裂どころの騒ぎじゃなさそうだな。ハカセくんは冷や汗を三粒ほど浮かべて、

「このエネルギーの泡は物質の重複を防ぐ役目もあります。要はトラベル先にバブルごと出現するので、周りの質量を押しのける感じになります」

「あれよね、アスタラビスタ、ベイベー」

ハルヒが親指を立てているのを見て、あー、思い出した。なんかの映画で見たな、トラックの後ろが熱で溶けてるマッチョな裸体シーン。

「でもデメリットもあって、この移動方法ですと慣性の法則を無視していて、地球の自転や公転に着いていきませんから、たぶんセンパイは宇宙空間に放り出されてしまいますね」

なんと、時代遅れどころか地球にも見放される俺の図か。

「するとワープには使えてもタイムトラベルには使えないんじゃないのか」

「ええ。タイムトラベルしたい地点の太陽系位置と地球の位置を銀河系レベルで正確に指定した上に、トラベラーを同じベクトルで加速する必要があります。つまり同時に物理的移動手段も持たないといけません」

「なるほど。それでワープが必要なのか」

万事成功して百年をさかのぼった俺が、この時間移動にいったいどんな科学的意味があったんだろうと思いながら地球から百光年離れた宇宙空間に孤独を感じながら浮かんでいるところを妄想した。

「以上がワープを時間移動に転用した技術になります。これはメキシコのアルクビエレ博士が提案された、もともとはワープ航法が物理学上は矛盾しないということを数学的に表した論文です」

「世の中には酔狂すいきょうな科学者もいるもんだな。よっぽど仕事がないのかあるいはハルヒ並みに退屈なのか」

そこでハカセくんはニッコリ笑って、

「すでにNASAで実験中です」

「なん……だと」

「とはいっても膨大なエネルギーが必要なので、その辺をクリアしないと」

苦笑気味のハカセくんである。

「ハカセさん、実際問題どれくらいのエネルギーが必要なんですか?」

古泉がまじめにメモを取りつつ質問を挟んだ。

「ええと、この泡の大きさ次第ですが、たとえば体積が一立方メートルだとしますと十の四十二乗ジュールになりますね」

「なるほど、意外と少ないんですね」

なにがなるほどなのか、ジュールってのもよく分からんし俺にも分かるように説明しろと古泉に言うのもしゃくだなと思っているとハカセくんが、

「地球一個の質量がだいたい十の四十一乗で、それよりはちょっと多いくらい。超新星爆発のガンマ線バーストが十の四十五乗で、それよりは若干少ないくらい、と考えれば分かると思います」

と補足してくれた。いや、全然分からん。

「一回のタイムトラベルに地球一個消費するのか。もっと省エネにならんものかな」

ハルヒが口を挟み、

「世紀の大発明なんだもの、一個くらい安い代償よ」

その大発明品を使うやつはいったいどの星のやつなんだよ。


 社長に買い物を言いつけられ、だまうち的に俺のいない間に臨時取締役会が招集され、そのときの議題は特別予算編成だと後になって聞かされたのだが、ハカセくんの提唱する歩くなんとか理論を元にした実験機材をそろえることになったらしい。予算は青天井、糸目どころか財布のヒモすらも付けずに惜しみなく金をつぎ込む社長である。それの幾ばくかでも俺達のささやかな報酬に加味してほしいものだが。っていうか次の株主総会で鶴屋さんに言いつけてやるからな。


 時間移動技術実証実験設備施工費、と名付けられた稟議りんぎ書の書類をパラパラとめくってみたが、すでに社長以下二名の決済印が押されていた。あんまり財政圧迫するようなマネは控えてもらいたいが、まあ長門がいいというのならしょうがない。俺も自分のハンコ欄に百円スタンプをペタと押した。

「長門、じゃなくて副社長殿。この添付の資料なんだが、いったいどういうもんなんだ。長門の魔術書?」

専門的な要素を除いて分かりやすく書かれたという技術資料は、いったい全体なんなのか俺にはよく分からん代物しろものだった。

「……それは人類レベルの科学技術に沿った設計図にすぎない」

い、いや人類といってもピンからキリまであってだな少なくとも俺レベルじゃないことは確かだ。

「なんかこう、完成予想図とか模型みたいなもんはないのか。よくあるだろ建設パースとか」

「……」

長門はペン立てから鉛筆を取り、A4コピー用紙に垂直に立ててシャシャシャとレーザープリンタを凌駕りょうがする速度で立体図らしきものを描いてみせた。真ん中に蚊取り線香みたいな渦巻きがあって、その周りにギザギザの歯車みたいなのがいくつも重なっている。

「これ、発電所の設備かなんか?」

「……アルクビエレ理論に基づく転移、および時空測定機関」

「なんだか分からんが、部品のサイズからしてかなりでかいよなこれ」

俺は数ページに渡って描かれている設計図とやらをパラパラとめくってみた。縮尺でいうと三メートルとか五メートルとかあるぞ。

「……直径二十メートル、高さが二十メートルある」

「は? どこに置くんだそれ」

長門は上と下を指差した。屋上? まさか地下に秘密基地を作ろうとかそういう陰謀じゃあるまいな。

「あのさあ長門、これって電気代かかりそうだよなあ。正直言わせてもらうと鶴屋さんに借りてるお金って人件費と事務所の維持費だけでカツカツなんだよな」

「……問題ない。これは電力を消費しない」

「え、じゃあどうやって動くんだ?」

「……」

感情の吐露とろが控えめな長門にすればニヤリと笑ったように見えたのだが、唇の端がちょいと持ち上がっただけだった。


 長門の指した上と下、ってのは三階と五階フロアのことだったらしく、これまた都合のいいことに空き部屋が出てうちが借り切ることになった。古泉不動産の仕込みだとは思うが、すまんなあ弊社事情へいしゃじじょうで追い出したりして。あとで理由つけて補償費ほしょうひを出しとこう。

 翌週から重量トラックがビルの前に縦列駐車をはじめ、勝手にカラーコーンを立てていたのでおまわりさんから道路使用許可を取ってくれと注意されていた。

 突然、事務所のドアを開けて現れたのは、

「おはようございますSOS団の皆様! 我が社の安全安心ハイクオリティな建築技術をご贔屓ひいきいただき誠にありがとうございます」

「なんで谷口がいんだよ」

「ようキョン。久しぶりだな、ちゃんと汗して働いてっか? 日本経済を動かしてんのはデスクワークだけじゃねえんだぞ」

「なんで谷口がいんのよ」

「おお涼宮か。久しぶりだな、相変わらず男漁りにはげんでっか? 日本の少子化はイテテテ、だから俺の名札を見ろっての」

妙にイライラする声であいさつをする男、作業服を着込んだ谷口のネームプレートには、谷口工業株式会社という神々こうごうしい法人名がレーザーかなにかで深々と刻まれていた。

「なんで谷口工業なんてのが出てくんのよ、あんたが会社経営なんて百年早いわ!」

まだ社長歴一ヶ月も経ってないお前が言うか、とのツッコミはおいといて、俺は谷口の差し出した名刺を両手で受け取りながら、

「おい谷口、お前んちのオヤジ土建屋なのか」

「チッチッチ、土建屋とは失敬だぜ。こう見えても俺様はアーキテクト見習いの鉄工職人イテテ」

安全第一のヘルメットを被った谷口は、恰幅かっぷくのいい現場監督風のオッサンから安全靴で向こうずねを蹴られてサーセンサーセンと謝りながら走っていった。まああいつのことだから親類にでも建築業者がいて、おおかたコネで就職したんだろうよ。


 名前からして注文通りの仕事をするのか一抹の不安はあったのだが、谷口工業株式会社とやらは存外ちゃんとした工務店だった。谷口は監督にケツを蹴られながら、パレットトラックとかいう動くジャッキみたいなやつで数トンもある部品を運んだり、鉄製の足場を作って分解してまた組み立ててを繰り返したり、昼時にはパシリで弁当の買い付けをやらされたりしていた。たまに汚れたタオルで疲れた顔をぬぐっている様子を見ていると、ああ、なんか汗して働くってこういうことだったよなーみたいな気もしている俺である。

 それをかっこいいと思ったのかどうか、次の日にはハルヒがSOS団ロゴ入りドカタヘルメットを人数分買ってきた。

「あんたたち全員、今日からこれを着なさい」

「社長これはなに、ツナギなのかな?」

開発部部長氏以下五名がツナギはあんまりだなあみたいな顔をしている。早速着替えようとしてる古泉、お前はいろいろとやめといたほうがよくないか。

「自動車工のツナギじゃないわよ、安全作業着よ。あたしたちの会社はまだ発展途上、いわば建設中なの。るしのスーツなんか着てホワイトカラーを気取ってる場合じゃないわ」

二年ローンで買った舶来ブランドのスーツを着てるお前が言うかね。

 まあうちにも既定の制服というものがあっても悪くはないし、この先、建築とか工務の分野で事業展開する可能性もなくはない。とくに背広着用を義務付けているわけではないが開発部を含めて全員が背広で出社している。背広ってクリーニング代高いわけだからまあ、これはこれでメリットがなくもない気もする。いや、安全靴は通気性悪くて水虫になるから遠慮させてもらいたい。えなに、最近のはメッシュ加工なの。

 というわけで今回の俺達は建築作業員コスプレである。こんなん着せられても結局デスクワークしかしないんだがな。

 長門だけはまじめに作業に加わり、なんか女の子っぽいかわいい作業員がいるなーとチラチラ見ていたら、お面をかぶってパチパチと溶接の火花を出している背中の主がそれだった。

「ごくろうさん、長門って溶接の資格持ってたのか」

青白いアークの火を消して溶接マスクを取った長門は清々しい労働の顔をして、

「……昨日取った」

相変わらず器用なまねをするな。長門なら分子レベルで一分の隙もなく鉄とプラスチックをくっつけたりできそうだが。俺はまあ、建築士風に設計図と現場を見比べてみたり、書類ケース片手にスマホで誰かと打ち合わせしている風を装ってみたり、お勤めご苦労などとかっこつけて作業員の人たちにお茶とお菓子を差し入れたりした。開発部の五人衆はもともと工学系の知識もあったらしく、キリキリとレンチを回したりして部品の組み立てを手伝っている。おぬしら、意外と様になってるな。


 黄色と黒のシマシマのやつ、トラテープというらしいんだが、あれがそこらじゅうに張り巡らされていた。立入禁止の柵で囲まれている四階の床と天井に直径三メートルほどの穴が開いていた。たぶんビルのオーナーには内緒でやってるんだと思うが、つまり三階と五階に通じる開口部の穴があり、四階部分にメインの実験機が出来上がるらしい。長門が直接設計したとかいう、いろんなサイズでいろんな形をしたチタンだかタングステンだかの合金で作られた歯車が納品され、一つずつノギスで測って精度を確かめている。あと、なんか赤とか黄色とか青い玉みたいなやつもたくさん転がっていた。


「よっ」

「おう谷口、肉体労働ごくろう」

「ひっさびさじゃねえか。高校出て以来か、たまには電話くらいよこせよな」

「お前との会話に払う電話代があったら別のことに使うよ」

「あいかわらず釣れねー。美的ランキング貴族クラスの長門とはうまくやってんのか」

「余計なお世話だが、まあそこそこな」

「学生の頃もだったが、お前らクールすぎて噂にもなんねー。長門が浮気でもしたらどうするつもりだ」

「長門に限ってそんなマネするわけがなかろう」

「分からんぜ、運命的な出会いがそこらへんに転がってるかもしれんだろ」

「俺達はもうその辺のカレシカノジョとは違ってだな、惚れた腫れたってのはとっくに卒業しちまったんだよ。達観たっかんしてるお坊さんの領域だ」

「お前ら二人そろって出家でもすんのかよ。アラビューすら言わないなんてありえんだろ」

などと、谷口と遭遇そうぐうするなり学生気分に戻っている俺である。

「それじゃあな。俺昼飯行ってくるから」

「おいキョン俺も連れてけよ」

「お前まだ仕事中だろ」

「接待だよ接待、取引先とはよくやるだろーがよ」

いや接待ってのは金を払ってくれるクライアントにするもんであって発注先にはしないもんだが、暗におごれって言ってるのか。谷口はまあ怒られながらもマメに働いてるようなので、俺は駅前の定食屋で食わせてやることにした。

「お前んちが会社経営してたとは知らなかったな」

「お、これのことか?」谷口は名札を指した。「違う違う、これはうちの家族とは何のゆかりも血筋もかんけーねえよ」

「だって谷口工業じゃん」

「チッチッチ、就活中にな、大学にたまたま俺と同じ名前の求人が来てたのよ」

「それじゃ、よく経営者の身内と間違われるだろ」

「フヒヒ、それを狙って入社したのよ。御社の募集要項を見たとたん運命のようなものを感じました、ってな」

「うまくやったなあ。お前にしちゃ悪知恵働かせたわ」

同郷出身とか名字が同じとか、意外とこういうところでポイント稼いだりするのが世の中の甘さなんだよな。っていうかそんなんで雇う方も雇う方だ。

「おうよ、この名前のおかげで入社早々彼女もできたしよ」

「まさかお前、社長の身内とか嘘ついたんじゃねーだろうな」

「そんなこたぁしねーよ。取引先から外線かかってきて谷口ですつったら相手が恐縮きょうしゅくしちゃってよ」

「会社の電話で自分の名前を名乗ってしまうパターンか」

「それそれ、よくやるだろ。んで、めでたく付き合うことに」

「そのままゴールインなんかしたら立派な詐欺さぎだぞ」

「何言ってんだよ、俺は一言も社長の親類だなんて言ってねーぜ。勘違いするやつが悪いの」

谷口は八百五十円の焼肉定食をほおばりながらライスおかわりまでしている。

「そこまでしなきゃ彼女ができねーお前には同情するよ」

「キョンはいいよなー長門がいて。ああ、そうそう、それで折り入って頼みがあんだけどよ」

「なんだ、金か」

「ビンゴ。来週彼女の誕生日なんだよ。十万貸してくんね?」

「じゅ、十万って、なんだホテルのスイートでも予約したのか」

「一泊十万ってお前ね、俺の金銭感覚でそんな大金出せると思ってるのか」

「一泊一人五万なら今どき別に珍しくもないが、お前が彼女と一晩過ごすとしたら、んー、微妙かもな」

「だろ。いくら贅沢ぜいたくするつったって人には分相応ぶんそうおうってもんがある」

ハグハグと人の皿の肉にまで手を出す谷口だ。お前が分相応ぶんそうおうを言い出したら世の中ミジンコ並みに分相応ぶんそうおうだろうよ。自分で言ってて微妙に意味が分からん。

「指輪でも買うのか」

「惜しい。リングはリングでもイヤリングだ。まだ付き合って三ヶ月だし、十万でどうよ」

どうよと言われても俺がつけるわけじゃなし、いや、俺も考えたほうがいいのかな。

「十万円くらいならほのぼのなんとかとかはじめてのなんとかとかあるだろ」

「バッカかキョン、あんなもんはあぶく銭を稼いでるやつらだぞ。借りたが最後、血の一滴までしぼり取られるって」

「まあ計画的なご利用は無理そうだもんな、谷口は」

「だろ、だから頼むわ。今日中に即金で」

「人にモノを頼むときはだな、谷口」

「すいませんしたキョンファイナンス様。十万円ほど耳そろえてもらえないでしょうか」

そろえろってお前ね借金取りみたいに。

「キョン信販株式会社では信用実績のないお客様のご利用はお控えいただいているのだが、まあ」

「だがまあ?」

「なんか担保たんぽ物件よこせ。お前のことだ、半年くらい行方をくらませてデフォルトしかねん」

担保たんぽって、俺んち賃貸ちんたいだぜ」

「誰が不動産の話なんかしとるんだ。あれは抵当権の手続きが超面倒で、ってオイその高そうな腕時計はなんだ、よこせ」

「ば、バッカ、お前ねえ、これいくらしたか知ってんの? 二十万だぜ二十万。お前がはめてる二千九百八十円のとは出処でどころがちがうんだよ」

二十万の腕時計はめながら人に八百五十円の焼肉定食おごってもらって、彼女にみつぐために十万円せびろうとしてるお前の金銭感覚が分からんわ俺。

「だから担保たんぽつってんだろが。ちゃんと返済すりゃ問題ねえだろ、嫌なら時計を質屋にでも持っていけ」

「わ、分かったよ。ほらよ。傷つけんなよ」

二十万の舶来腕時計はローマ数字だけのシンプルな文字盤で、谷口の労働の汗を吸っている以外はまあ、存外軽くて値段相応にしっくりくる代物しろものだった。

 俺はその足でコンビニのATMへ行き、谷口に現金十万を渡し、忘れずに手書き拇印ぼいんの借用書ももらっておいた。これでも経済学出身だからな。


 工事開始から三日後くらいにだいたいの全体像が見えてきた。ありきたりな白い壁紙とフローリングマットの事務室を無理やり実験室にリフォームした四階の部屋には、遮音しゃおん壁材が貼られ帯電防止タイルが敷かれている。言われてみて気づいたが、外を走る車の音がほとんど聞こえない。

 取り外された蛍光灯の代わりに電球が暖色系の光を落としていて、部屋の真ん中には周りをステンレスの手すりで囲まれた、直径二十メートルくらいの巨大な渦巻きが描かれた薄い円盤が置かれている。その上に小さな玉や雲みたいな形をしたものが渦巻きの上に無数に並べられているが、どう表現すればいいのか、クリスマスツリーがぺしゃんこに押しつぶされ完全な平面になったんだとしたらこういう感じだろうか。円盤の真ん中には直径二メートルほどで高さ三十センチの円形の台があり、これもステンレス製の手すりで囲まれていた。この台に歩いて渡るためのキャットウォークが天井からぶら下がっている。要は巨大なレコードプレイヤーみたいな見た目だ。

「さあみんな、いよいよ火入れ式をやるわよ」

谷口工業の人たちがいったい何やろこれはという表情をしつつ、たぶん前衛芸術ちゃうかと後ろをふり返りつつ帰っていった夕方、本来なら退社時間のはずなのだが労働基準法どこ吹く風の社長命令一下である。いやま、労基法ろうきほうって取締役が過労死しても関係ない法律だからな。

「なんだそのファンタジーRPGに出てきそうな格好は」

安全第一コスプレの俺が突っ込むのもなんだが、

「なにって見りゃ分かるでしょ、司祭よ司祭」

ハルヒはくるぶしまである長いローブに金縁のえりを着て、イカの頭みたいなミトラを被り、腰帯こしおびから十字架を下げている。司祭つーかそれローマ法王だろバチ当たりめ。

「タイムマシンの実験と法王がどういう関わりがあるのか、それを説明してもらいたいものだが、」

「みくるちゃん、あんたを助祭に任命するわ。あたしが祈祷きとうを唱えるから、香炉を持って部屋中に神聖なる芳香ほうこうを撒き散らしてちょうだい」

「あ、はいはいやります。ケホケホ」

「行くわよ。パードレ、ノステル・クイエス・インカエリス。インノーミネパートリス、エフィリエ、エスピリトゥス・サンクティ。アーメン」

なんだそりゃ、古代ギリシャかどっかの呪術か。なんだか超端折はしょられてる気もしなくもないが、クリスマス以外クリスチャンらしいことは一切しないハルヒが円盤に向かって重々しい表情で十字を切った。俺は超真面目な顔をして、

「ハカセくん、キミはこういうバチ当たりな大人の真似はしちゃいかんからな」

「え、あ、はい」

こんな格好は恥ずかしくて頼まれてもやれないです、とは言わなかったがなんとなく思ってるらしいことは分かる。分かるのだがハカセくんも長門からすでにドクターウェアを着せられているので、これも一種のコスプレだな。

「さあ有希、電源入れていいわよ」

「……電源スイッチのたぐいはない」

「え? どうやって動くのコレ」

長門はなんか昔の缶切りみたいな、水道の蛇口の取っ手みたいな、水道工事の人が使うようなT型の金具を抱えて真ん中の丸い台まで歩いていった。円盤の上を橋のように渡してあるキャットウォークからそこに降り立ち、その金具を穴に差し込み、ネジのようにグリグリと回している。しばらく回し続けている間も俺達は手すりの外で作業が終わるのを待ち、上から淡いナトリウムランプの光に照らされている長門の姿をぼーっと眺めていた。長門は工具を抜き、同じ通路をたどって俺達のところに戻ってきた。

「……」

長門が無言で円盤のほうを見ているので俺達もなにかが起こるものと期待してそっちを見ている。

「……」

この無言は残る四人の無言である。何も起こらない。

「有希、で、これからどうなるの?」

信心深げにじっと十字架をかかげていたハルヒ神父が早いとこ奇跡を起こせと言わんばかりに口を開いた。朝比奈さんが持っていた香炉はもう火が消えている。

 カッツン、となにかが動く音がした。カットン……カットン、なんやろこの懐かしい感じは。あれかな、田舎にあった柱時計かな。カットンカットンの音が静かに部屋に響いている。いったいなにが動いているのか、長門のほうに尋ねる視線をやると、小さいカメラをハカセくんに渡し、ハカセくんは長い自撮り棒の先についたカメラを持ってキャットウォークの上を歩いた。

「えーっと、センパイ見えますか」

俺達は長門が持ってきたタブレットで写っている映像を見ている。なんか小さな歯車の上に小さな玉が八個並んでいる。真ん中にオレンジの玉が見える。オレンジの玉の周りに点在している小さな点、縮尺でいうと一個が数ミリ程度だろうが、一個だけ水色のものがあった。さらにカメラが寄ると、水色の点にさらに小さな白い点がくっついているのが見える。白い小さな点になんだか見覚えがあるような、デートの夜に見上げたくなるような、山の頂きからえたくなるような。

 拡大した白い点に描かれている模様を見てハルヒが口をあんぐりと開けた。

「ゆ、有希、こ、これもしかして時計なの!?」

「……そう」

「時計って、文字盤とか針とかないのか」

「ちがうわよアホキョン、こないだのハカセくんの説明を思い出しなさい」

「えーと、だな」

確か、この部屋が宇宙船だとすると後方に空間の膨張ぼうちょうがあって前方に収縮があって、

「そっちじゃないわよ。ハカセくんはこう言ったでしょ、タイムトラベルしたい地点の太陽系の位置と地球の位置を銀河系レベルで、」

「ってことはこれ動いてる銀河系のリアル模型なのか!?」

うおぉぉーすげえぜ。俺と古泉、朝比奈さんも含めて感嘆のため息を漏らした。国立天文台でもここまで作ったやつはおらんだろう。

「ということは今画面に映っているのは現時点の太陽系の位置ですか」

「……そう」

古泉の質問に対し、こんなものはなんでもないという風に首肯しゅこうする長門だ。

「そういや電力使ってないつってたけど、さっきグリグリ回してたのはもしかしてゼンマイなのか」

「……」

むしろこっちのほうが我が意を得たりという感じでうなずいている。これは力学的張力ちょうりょくで、つまりゼンマイで動く超アナログな銀河時計である。巨大な蚊取り線香がゆるやかに何億年という時間を刻んでいて、その上にシャカシャカと回る小さな時計が無数に動いている。あれらは全部、恒星とか星雲なんかの位置を表した点だろう。

「古臭いわね、銀河系シミュレータといいなさいよ」

アナクロで悪かったな。

「……照明を消してみて」

古泉が部屋の電気のスイッチを消した。

「なにも見えないけど、有希?」

カーペットの上を歩く長門の足音がサクサクと続き、実験室のドアをギィと開けて真っ暗な部屋に一筋の光を入れた。全員が息を呑んだ。暗闇の中に、光の点が無数に広がり銀河の海となって浮かび上がる。赤い星、青い星、黄色い星、それから赤い綿菓子みたいな星雲たちがうずまきの上に広がり光を反射している。電気は使ってないというから蛍光塗料か、なにか特別な反射素材か。

「蛍石でしょう」

「ホタルイシ? なんだそりゃ虫か」

「フッ素化合物の一種で放射線や紫外線に反応して光るんです。光学的特性からカメラのレンズなんかにも使われてますね」

いつも器用なことばかりするとは思っていたが、長門お手製のプラネタリウムを全員が黙ったまま十分ほど堪能たんのうした。そろそろいいだろうと思ったのか部屋の明かりを付けた。さまざまな色に光っていた星は精緻せいちな機械の点の集まりに戻った。これがすべて停まっているように見えて、実は動いているというのだからすごい。

「JAXAかNASAに見せてもいいわね」

「だめだハルヒ。タイムマシン開発は社外秘だ」

「あら、そうだったかしら」

白々しくテヘペロをする社長である。タイムマシン開発といえば、

「ところで、銀河系の正確な位置は分かったが、この後はどうなるんだ?」

「えーと、空間の収縮と膨張ぼうちょうをする装置を使います」

ハカセくんはさらりと言いのけるが、そんなもんが今の日本の技術で、というか今の人類レベルで作れるんだろうか。

「……これより、時間平面転移機構の試験を行う」

「そうそう、それそれ。本日のメインイベントよ」

「……事象の膨張ぼうちょううながすために次元拡張を行い、同時に収縮点として次元の収縮を行う。ワープバブルの転移には重力をトリガとして使用する。以上」

「あー、すまんが俺にも分かるように頼むわ」

長門はハカセくんをうながした。

「解説します。先日説明した船の前方にあるビッククランチを作り出すために、僕達の住んでいる次元の隣の次元を使います」

「使いますってどうやるんだ?」

「簡単に言えば押しつぶします」

「なるほど、よく分からん」

「そして後方のビッグバンを作るために僕達のいる次元を拡張します。いわば風船を膨らませるようなものです」

「隣の次元ってどこにあるんだ?」

毎度毎度初心者の質問ですまんな。

「その辺にあります。というか僕達に見えていないだけです」

「そ、そうだったのか」

「こらキョン、素人のつまらない質問はいいかげんやめなさい。時間の無駄だから」

先生に怒られる小学生のような俺を見て古泉がクスクスと笑っている。俺も理数系の学部行けばよかったな。

 長門が全員を見渡してから俺を見つめ、

「……時計を貸して」

「俺の腕時計? いいけど」

谷口から担保物件たんぽぶっけんとして接収せっしゅうしたあれだが、長門は腕時計の針を正確な時間に合わせ、銀河時計の真ん中まで持っていって台の上に置いた。戻ってきてしばらく眺めていたので俺達もそれに付き合って、一ミリたりと動かない金属のかたまりを眺めている。

 一瞬、腕時計の周りに光が走った。俺の目には直径三十センチほどの光るボールが現れたように見えた。次の瞬間時計は消えていた。

「おい消えちまったぞ」

「……」

長門がうなずいている。あれくすと俺の十万円が帰ってこないんだがな。などと、もしかしたら科学史を揺るがす革新的実験の成功が目前で起こっているのかもしれないというのに、なんとケツの穴の小さいことを言う俺か。

 五分ほどして再び現れた。今の現象は一体何だったのだろうかと全員が考え込んでいる。誰かが解説してくれるのを待っていると、五分ほどしてようやくハルヒが口を開いた。

「え、もしかして、今の、タイムトラベル、だったの!?」

「……そう」

「マジで!?マジで!?すごいじゃないの、予告してくれたらよかったのに、映像撮っとけばよかったわ!」

ハルヒは口惜しそうに自分のスマホを取り出した。だから今日の実験のテーマはタイムトラベルだったろ。

「まさか……本当に作っちゃうとは思わなかったわ……」

朝比奈さんが愕然がくぜんとしている。すいません、俺達の話し合いでは実験まではやってもタイムマシンそのものは作らせないって協定でしたよね。ここで阻止するべきだったかと言うとそうではない気もする。それで果たしてハルヒの機嫌を損ねないという保証はない。だが設計そのものは長門の指導だし、安全弁は織り込み済みで用意してあると思うのだが。


 長門が俺の腕時計を持って戻ってきた。スマホの時計より正確に十五分遅れている。世界初のタイムトラベルした腕時計だ、図らずもプレミア付いちまったぜ谷口。オークションで売ったら一財産になるんじゃないだろうか。俺これ持ってこのまま雲隠れしようかな。

「この銀河時計って機械工学的な、いわゆるメカニカルな構造だよな。どういう原理でタイムトラベルしてるんだ?」

「……それはさっき説明した」長門は上と下を指差して、「五階に膨張ぼうちょう、三階に収縮の装置を取り付けてある。真ん中の台にある質量はワープバブルを通過して、指定した時空の座標に飛ぶ」

うーん、何度説明されても分からん。

「別の時空の座標ってどうやって分かるんだ?」

「……この銀河時計が位置を示す」

なるほど。なんとなく分かったが、未来にあるこの銀河時計自体が時間と座標を教えてくれている、ということか。俺は腕時計を渡し、

「すまんがもう一度やってもらっていいか」

「……分かった」

「またやる? またやってくれるの? ちょっと待った有希、あたしに三分だけ、三分だけ時間をくれ」

今度はハルヒも抜かりがなく、どこからガメてきたのか、たぶん近所の電器屋だと思うのだが、4K高画質のカメラと三脚を抱えて戻ってきた。

「いいわよ、カメラスター……ちょっと待った。フヒヒヒ」

ハルヒは銀河時計とカメラを交互に見つめ、なにかよからぬことを思いついた悪魔の顔をした。

「このカメラをトラベルさせてちょうだい」

よからぬことって、なんだそんなことか。別に問題ないというふうに長門は三脚の脚を縮めて、銀河時計の真ん中に置き直した。俺の腕時計は見送り担当となった。

 この装置にはスイッチとかダイヤルとか、トラベルそのものをコントロールする機構がないようで、ただ真ん中の円形の台の上に置くだけである。二つの鍵を同時に回すとかパソコンがずらりと並んだ制御室があるとか、LEDがチカチカと明滅する制御盤があるとか、そういうサイエンスアンドテクノロジーっぽいのを想像していたのだが、どうも今回だけは趣向が異なる。いや待て、置くだけってことはワームホールとかタイムゲートとかなんだかが常に開きっぱなしってことじゃないのだろうか。その疑問をぶつけてみると長門は、

「……この銀河時計は毎十五分ゼロ秒に、一プランク秒間だけ座標を送ってくる」

なるほど。十五分間に一度だけタイムトラベルのチャンスがあるってことか。


 ハルヒの4Kカメラは一瞬だけ消えて、やっぱり十五分後に現れた。だが今回は出現した途端にカメラが横倒しに倒れてしまった。三脚の足がゆるんでいたのだろうか。長門が首をかしげている。

 ハルヒはドンドンパフパフ鳴り物ばりにカメラを取りに行こうとしたが長門に止められてあきらめた。タイムマシン取扱主任の資格保持者以外は立入禁止らしい。そんな国家資格がいったいいつできたんだと突っ込むのを皆忘れている。

 映像を再生するカメラのモニタには、遠く手すりの向こうに俺とそのほか五人が小さく映っていて、一瞬消えた後、横倒しの映像になっただけだった。

「あのー社長さん、この映像についていったいどんな科学的価値があるのか問い詰めたいところなのだが」

「うるさいわね。価値があるかどうかはやってみなきゃ分かんないでしょ」

考えてみれば当然のことで、別にタイムトンネルをくぐり抜けるハリウッド調SFX的センセーショナルな映像が映ってるわけではない。あれは単に将来タイムマシンを売るための営業的なビジュアルなのだ。

「ところで長門、この装置は人は送れるのか」

長門以外の皆がビクッと俺を見た。何を言い出すんだこいつはという目をしている。時間移動には慣れているはずの朝比奈さんが、わ、わたしはダメですダメダメ、と手をブンブン振って恐怖を浮かべた。

「……理論的には送れなくはない。でも、タンパク質から構成される生体的なエネルギーの変動についてはまだ検証が必要」

生体エネルギーがどういうものかは分からんが、金属や半導体は無事に送れても生命にかかわるものはまだ時期尚早しょうそうってことか。

「まあ人体実験は楽しみに取っておきましょう」

人体実験ってお前。もしかしたら本当にやってしまいかねんハルヒにハカセくんは笑っている。

「今日の実験はとりあえず終了です」

ハルヒは背伸びをしながら、

「んーっ、なんだか心地よい緊張感だったわ」

「……おつかれさま」

とりあえずは予定してた実験は成功ってところか。長門は実験結果をレポートにまとめると言うので、俺達はそそくさと実験室を出た。秘密が漏れるといかんという社長命令で実験室には厳重な鍵がかけられた。


「あのーさあ、今回の工事って結局なんだったの?」

作業服から通勤用の背広に着替え、帰り際に部長氏に呼び止められた。誰もいない廊下で後ろから呼び止められるとドキリとします。

「さ、さあ、いったい何なんでしょうねぇ」

むやみに社内の事情を明かすことは避けたいので、部長氏以下開発部にはタイムマシン事業の件は知らせていない。

「昨日から三階フロアに妙な音がするんだよね」

「妙な音?」

部長氏について三階に降りてみると、開発部の部屋の隣にあったはずのドアがなくなっている。壁には絶対立入禁止の、放射性物質とか高電圧とかバイオハザードのマークがベタベタと貼られていて誰も入れなくなっていた。というかドアがないのにどうやって入れと。

「この壁の向こうなんだけどね」

「ふむふむ」

俺と部長氏は壁に頭をペタリとつけて耳をそばだてた。確かに、ゴンゴンという低音が聞こえてくる。ゴンゴンというかもっと周期が長いごぉんごぉんだな。

「あー、発電機じゃないですかね。確か発電設備の新しい事業展開を考えているんですよ。企業が自家発電を導入するとエコ助成金がもらえるんです」

「へー。新しいってことは核融合かなにか?」

「さ、さあその辺は社長と副社長しか知らないんで」

冷や汗をかきながら、あながちデタラメでもないような、嘘っぽくならないような説明をしているつもりなのだがやぶをつついてキングコブラかもしれない。事実この中にいったいなにがあるのか知らないので答えようがなかった。ひょっとしてと思い、五階フロアに行ってみるとやっぱり同じ造りになっていて放射性物質と高電圧のシールが貼られてあった。こりゃーかなりやばいものが仕込んでいあるに違いない。長門に尋ねてみたものの、いったいなにがあるのかついぞ教えてもらえなかった。


「僕が思うに、ブラックホールではないでしょうか」

誰がお前に聞いとるんだ。翌日俺が、あれはいったいなんやろなーという思案顔を続けているので、どうやら察したらしい古泉が持論を出してきた。

「ブラックホールってそんなに簡単に作れるものか?」

「スイスのセルンで、非常にもろい、数ミリ秒なら作れるという話です」

「けどこんな雑居ビルの部屋に収まるもんかね」

「人類の科学レベルでは無理でしょう。覚えていますか、十の四十三乗ジュールというエネルギーの大きさを。あれは木星程度の質量に換算できます。つまり木星程度の質量を持つビー玉サイズのブラックホールなら、それに長門さんの力を持ってすればもしや、ということです」

「まあ銀河レベルの管理をやってる思念体にかかればなんでもない話だろうけどな。三階にあるのがブラックホールだとすると、じゃあ五階にあるやつは?」

「そっちもやはりブラックホールです」

「ブラックホール同士だと二つのアリジゴクみたいにどっちも収縮するんじゃないのか」

「いえ、ブラックホール自体は次元を超えてエネルギーを交換しているので、僕達の次元にあるものが収縮しているとすると向こうの次元では膨張ぼうちょうしているわけです。逆もまたしかり、区別するためにホワイトホールとでも呼びましょうか」

「なるほど」

トンデモ科学が好きな古泉の説を信じていいものかどうか、まあ分かりやすいので参考程度にはしとこう。

「つまり、五階から三階にかけて空間の歪みが発生しているわけですね」

「とするとワープバブルは上から下に飛ぶわけか。俺のイメージでは、転移装置は上に向かって飛んでいくやつなんだがな」

「あれでしょうか。長門さんの説明にあった、転移のトリガには重力を使っている、というやつです」

「どういうことだ?」

「簡単ですよ。時間移動の初動に、上から落ちるという現象を使っているんです。だから安定して着地できなかったカメラが倒れた」

「あのカメラって落ちて倒れたのか。そう考えれば合点がてんがいくな」

握ったこぶしで手のひらをポンと叩いた。つまり今回の時間移動技術は電力とか原子力とか金をかけて人工的に取り出されたエネルギーではなく、もっと普遍的ふへんてきに存在する、次元の膨張ぼうちょうと収縮、力学的な張力ちょうりょく、そして地球の重力を使っている、ということだ。ゼンマイとか万有引力とか、長門テクノロジーも随分エコになったものだ。

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