涼宮ハルヒの経営Ⅱ
のまど
プロローグ
株式会社SOS団始まって以来のビッグな事業展開がようやく軌道に乗り始めた、日暮れにそよぐ風もそろそろ涼しくなってきた九月のとある金曜日。午後六時の終業時刻はとっくに過ぎてサービス残業の域に達した九時ちょっと前、俺は椅子から立ち上がり、あ~あ今日もようやく一日が終わったななどと
平日九時五時はまじめに業務をやるからね! とキリ顔で宣言したハルヒに、そんなこたぁ社長だから当たり前だろうがと俺にツッコミを入れられても真顔でうなずくほど反省していた、その当の要因であるネトゲに今週末も没頭するらしく、ハルヒは会議室に水やら食料やらを備蓄してその上テントまで用意している。集客してユーザーをハマらせるはずが自らハマってしまったというのはハルヒ流のジョークなのか皮肉なのか分からんが、休みが明けて月曜日の朝に見せるハルヒのげっそりとやつれた顔ときたら、完全にゾンビ化している開発部五人衆ですら恐怖におののいてしまうほどだった。副将古泉のほうは平気でまだハルヒチームに付き合っているらしい。
俺は長門のマンションに寄るべく、この時間になるともう通勤客も疎らな電車に乗り、ぼんやりと流れていく景色に揺られて光陽園で降りた。駅前の洋菓子店で長門の好きなエクレアとフルーツタルトを買って、長門マンション玄関のインターフォンを押した。じっと待ったが返事がなかった。
「あれ、まだ帰ってないのか」
俺は長門に借りていた合鍵で自動ドアを開けて中に入った。長門は抜けられない大学院の講義があるとかで早めに退社したのだった。
管理人室の小窓のカーテンが閉じているのを確認してエントランスを通り、エレベータの前で上向きのボタンを押したとき妙な違和感を覚えた。七階の表示だったエレベータの現在階が、いきなり一階になり速攻でドアが開いた。エレベータの箱の中には超満員の乗客がいた。太ったミノムシのようにぷっくりと厚い服に包まれた数名のかたまりが小さな部屋の中にひしめき合っている。こいつら、またハルヒがらみか。俺が何かの間違いのように見なかったことにしようとドアの外で閉まるのを待っていると、乗客の一人が閉まるドアを押さえ、中に入れと手招きをした。え、俺もですか。
指示されたとおり、満員電車ならぬ満員エレベータの中に潜り込み、俺は乗客の隙間から腕を伸ばして七階のボタンをタップした。駅弁の寿司詰めでもここまで詰め込まないだろうと思える箱のなかで、なんだか古い布キレによくあるホコリっぽい匂い、犬みたいな猫みたいなケモノ的匂いがするやつもいるし、香辛料みたいな匂いもそこはかとなく感じる。人以外の人たちで長門に用があるんだったらハルヒとその仲間の俺にも一言くらい
数字のデジタル表示が書き変わるのをじっと眺めていると七階に達したところでは止まらず、昔数学で習った離心率が一の二次曲線のように、達するどころか六階に戻り、五階に戻り、そしてゼロに達するとそこからマイナス一階、マイナス二階と除算しはじめやがった。このマンションいつから地下構造ができたんだ、地球を守る秘密基地か、近未来的戦闘機が飛び出すのかなどとマイナス思考に襲われたが、マイナス十階からは妙なあきらめの境地に達し俺はもうなにも考えないことにした。あー、こういうの前にもあったはずだが、いつどういうシチュエーションでだったか忘れた。
マイナス二百階とか、電光板の桁が足りないはずなのにどうやって表示してるのかは突っ込まないとして、ようやく最下層にたどり着きドアが開いた。
満員電車のドア付近で後ろから追い出されるかのように俺はドアの外に出て、そこが一本道の通路になっているらしいことを確かめた。後ろにいた奴はみんな俺の脇をすり抜けて暗い通路の奥へと進んでいく。
「行かないのか?」
真後ろから話しかけられてビクッと震えた俺にさっきの集団の一人が通路の先を指差した。っていうか
「ここは何なんだ?」
「行けば分かる」
目の粗い布のフードを目深に被った小太りの男だった。少しだけ笑っている口元だけが見えた。
そいつは俺を置き去りにして廊下の先へと消えていった。ここで突っ立っていてもしょうがなく、俺は遠くに消えそうな足音を頼りに、それに被る自分の足音で先をゆく足音を聞き落としてしまわないように耳をそばだてて廊下を歩いた。
突き当りに一枚の古びた木製のドアがあった。一応ノックしてからドアノブを回し、少しだけ隙間を開けて中の様子をうかがい、きしませながらドアを開いた。中にはさっきエレベータの中にいた集団の、二倍くらいの人数がいた。
狭い部屋だ。明かりは天井から下がった電球一つきり、真ん中に大きな丸いテーブルがあり、その周りに木でできた背もたれのない椅子が並んでいる。だが誰もそこに座ろうとはしない。何人かはフードを深く被ってうつむいていて、あるいは宙を見つめてブツブツなにか
俺はドアを背にしたまましばらく無言で立ち尽くし、近くにいるいちばん日本人に近い格好をしているやつがいるのに気がついて、もしかしたら日本語が通じるかもしれんと思って声をかけてみた。
「あの、ここってどういう場所なんですか? いったい何が始まるんです?」
「はてな、
京都府民でも今どきは使わないような微妙にぶっ壊れた歴史的方言で、ノホホホと愛想笑いをするそいつは貴族出身らしく、
腕組みをして壁に持たれていたやつが周りを見回して言った。
「そろそろはじめるか」
向かい側にいるやつが手を上げて、
「いやまだだ。全員
「はじめるって何をですか?」俺の口からふと疑問が漏れて出てしまった。
そいつは何も答えず、手を上げた奴もなにも答えず、数人がちらりと俺を見た。その視線にはなんとなく場違いなやつがいるな、みたいな、あるいは、こいつ素人かよ、とか、まあ黙って見てろ、的なものが含まれていて妙に俺に刺さった。
やがて誰が合図をするでもなく全員がひとりずつ椅子に座った。最後に俺が座り、一つだけ余ってるところがあるなと気がついたとき、ドアがノックされた。皆が一様にそっちを見た。そいつは後ろ手にドアを閉めると、
「おう、みんな集まってるな。遅くなって悪い」残った最後の椅子に座った。
「じゃあ始めるか」
おもむろにフードを脱いで顔を見せ、語り始めたのは二十九人目の俺だった。
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