メモリーブレイク
小鳥遊時宿
第1話
2007年
君は僕の学校の近くにある、あの白い病院に住んでいた。家からだいぶ距離はあったが、僕は行ける日はいつも君の病室に行ってよくお喋りをした。
そして今日は二日ぶりにそこへ行ってみた。
僕は少し緊張していた。だけど君がいる病室の扉を開ければそんなものは無くなった。
「や、やぁ。久しぶり」
「……久しぶり。また来てくれたんだ」
僕と話す時、君はいつも笑顔でいてくれた。その笑顔に誘われて、僕もいつも笑っていた気がする。
そのまま、今日一日の僕の出来事を話した。
「今日さ、誰かに手紙を書くっていう授業があったんだー。それで僕は君に手紙を渡そうと思ってさ」
「……ありがとう」
「はい、どーぞ!」
「……返事はいつか返すよ」
「あーいや、そーいうのじゃないから返さなくていいよ。手紙じゃなくてフェイストゥーフェイスで会話したいからさ」
「……フェイストゥーフェイス?」
「顔と顔を合わせるって意味だよ。実は僕の学校の校長先生が良く言ってる言葉なんだー」
「……へぇ……僕も、君の通っている学校に行きたいな」
「本当?そうならおいでよ。みんな優しいし、毎日が楽しいよ」
「……そう、なんだ……羨ましいよ」
「早く良くなって退院してね」
「……うん」
こうして話が終わり、僕が部屋から去ろうとすると、君は不安そうな表情を浮かべて僕に言う。
「……もう少しここに居てほしい」
そう言う理由はまだ小学生の僕でもなんとなく感づいた。
数日後、僕は君を安心させられる方法を思いついて、ドキドキしながら「君と友達になりたい」と帰り際にそう言った。
そしてそれに返事が返ってくる。
「……うん」
「あっ、僕の名前は久哉!よろしくね」
「……僕は心太……いつか、この病気が治って学校に行けたら友達とサッカーをしたいんだ」
「うん!絶対にしよう!じゃあ、また今度ね!」
「……じゃあね」
心太がベッドで手を振るのを見て僕は部屋から出た。すると部屋の中から「……嬉しい」と言う声が聞こえた。
そういえば、手を振る心太に不安そうな表情はなかった。
しかし翌日、久哉は学校の帰りに心太を訪ねようとあの病院に向かったが、心太のいたベッドは片付けられていた。
久哉は友達が多く、いつもクラスの人気者と称されていたが、1人でも話し相手を失えばとても悲しい気持ちになるものだ。
看護師に心太がどこへ行ったのか聞けさえすればよいのだが、まだ久哉は知らない大人に話しかけることができなかった。
心太の心配よりも自身の人見知りの方が勝ったのである。
2012年春
久哉十一歳。小学六年生になって迎えた春の新学期
久哉は胸を躍らせて学校までの坂道を歩いた。坂を登った先には、新クラス発表の掲示が貼り出されるのを今か今かとそわそわしている大勢の生徒達がいた。
(一つの学年に四百人くらいだから、去年の友達とは離れ離れになりそうだなぁー。今年も友達作りから始めて、すぐにみんなと仲良くなりたい!)
久哉も大勢の生徒の緊張の波に流されドキドキが強くなっていった。
すると、一人の女の子が久哉に駆け寄って来た。
「おはよう久哉くん!今年も一緒だったらいいね!」
「おぉ、おはよう美希ちゃん!うん、僕もまた一緒だったら嬉しいな!今年もよろしくね!」
「うん。じゃあ友達のところに行ってくる!またねー」
「うん!」
(やっぱりこの子と結ばれちゃってるのかなぁ……モテ期って高校生ぐらいになったら、来るものかと思ってたけど、僕にはもう始まったみたい!)
と、久哉が勝手な妄想をしていると、先生たちが玄関から大きな紙を持って来た。
「はい、みんな静かにね!今から新クラス発表の紙を貼ります。確認したらそれぞれの教室に入って下さい。新しいクラスを楽しんでね!」
先生達はそう言うとクラスに向かった。
(今年も去年の担任の先生がいいなぁ)
そんなことを思いながら、掲示板が見えるようになるまで待っていると、クラブの友達が話しかけてきた。
「よぉ!久哉。俺のクラスもう見た?」
「まだ見てないよ。まだ僕のクラスも確認してないんだから」
「あー、そうなのか」
「前が空いたら見に行こうよ」
「りょーかーい……っていうか俺、小六の部分はちょうど人で隠れてるけど他の学年のなら見えるぞ!」
「そりゃあ隆の背が高いからだよ。それに目もいいしね」
「いやいや、お前の目が悪いだけやろ」
「そういえばお前視力のせいで外野から内野にされたよな。センターフライを落としたお前、ちょーダサかったぞ」
「やめろ!思い出したくもないよ。まぁ調子乗って、ろくに投げれやしないカーブなんか投げてホームランを打たせたお前もちょーダサいぞー!」
「黙れ!うるさい!」
「悪りぃ悪りぃ。でも、あともうちょっとみんなが強ければ県大会優勝できたのにね」
『まぁな。もう小六だからみんな引退したけど、中学生になればもちろん野球部だよな!』
「いいや。帰宅部になる。中学生になったら、すぐに受験勉強始めて有名進学校に入って、難関国立大学を目指すんだ」
「へぇー。そうかい。じゃあみんなとはおさらばって感じだな」
「うん。ちょっと寂しくなるけどね」
「そうか……おっ、そろそろ見れそうだぞ」
久哉達が話している間に、段々と掲示板あたりの生徒数が減ってきた。ようやく間近で見れるようになった二人は掲示板へ走って行く。
「どこだー?あっ、あった!隆と一緒のクラス!」
「まじかよ最悪―」
「嘘つけ。嬉しいんだろ?お前ってば今まで何故か野球部と誰一人クラス同じやついなかったしな」
「ふんっ。仲良くしてやるよ」
(こいつ体でかいくせに心はピュアだな。笑っちゃうよ)
「あぁ、よろしく」
掲示板を確認した二人は六年生棟の二組の教室に向かう。
「やっべ。俺、お前以外のクラスメイトの名前知らないからな。新クラス緊張するなー」
「ははは。お前みたいなやつでも緊張するんだな。とは言っても僕もちょっとドキドキするよ」
やがて自分たちの教室の真ん前に来た。
「よぉーし。僕が開けるぞ」
「お、おう」
ガラガラと大きな音をたてたが、その音よりも大きなざわざわとした会話が教室中に響く。
「うわっ、もう先生いるじゃん……とりあえず座ろうぜ」
机には各々の名前が書かれたプリントが貼られていて自分の座るべき席が一目瞭然である。
久哉は自分の席を見つけて座る。隣には何も貼られていない机。転校生だと確信した久哉はそのことに期待した。
(男子かな女子かな。んー……どっちだろ?できれば男子がいいな。楽に話しかけられるし)
教卓のそばにいた担任は、何度も咳払いをして生徒が静まるのを待った。
みんなが自分の席に着き、話し声がなくなると担任は息を吸った。
「みなさん!おはようございます!新しいクラスで新しい友達を作って一年を楽しみましょう!そして早速ですが、この新しい二組の輪にもう一人、新たな仲間が入りますー」
そう言うと担任はその子を廊下から手で呼んだ。
すると一人の男の子が教室に入ってきた。
「この子の名前は 猪本心太くんです。さあ心太くん、自己紹介してみて!」
(心太……あれ?もしかして、あの心太? )
「ええっと…沼池小学校からきました、猪本心太です。よ、よろしく…」
心太に笑顔は無かった。だから久哉は心太に誰よりも早く話しかけたい衝動に駆られ、つい席を立ってしまった。
「久哉くん、まだチャイム鳴ってないでしょ?」
先生の言葉に周りのみんなは笑い始めた。
恥ずかしさが体にまとわりつき、久哉はゆっくりと席に着く。
そうして先生は久哉の隣の空いている席に目を向けた。
「では、心太くんはあのお転婆な久哉君の隣に座ってね」
心太は急な出来事に驚いており、おどおどしながらその席に向かう。心太が久哉の隣の席に着いた。そして久哉は心太に話しかける。
「ねぇ、心太くん……僕のこと覚えてる?」
心太はいきなり話しかけられたことに驚いた様子だったが、久哉があの久哉であることに気づくとそれ以上にまた驚いた。
「あっ、久哉くんだよね……もちろん覚えてるよ……」
「まさか心太がここに来るとは思わなかったよ!』
「誰とも話せないと思ってずっと震えてたけど……久哉くんがいて安心した……」
(心太、嬉しいこと言ってくれるなー)
一安心した心太は深呼吸をして笑顔になる。
「心太があの病室で言ったことすぐに叶えてあげる!」
「みんなとサッカーがしたいってことだよね。覚えてくれてたんだ…」
「早速この後の始業式が終わって、放課になったら遊ぼ!」
「うん……」
久哉は小声ながらも嬉しそうな表情を浮かべる心太に対し高揚感を得た。
放課後。太陽は高く昇り、サッカーをする子供達を照らす。
そんな中で一人、少し嫌な気分になっている子がいた。
「なぁ健斗。どうして俺が心太をサッカーに誘おうとしたら止めたの?」
「久哉は知らないのか?あの子がいた学校は悪ばかりで評判が悪いんだよ。その学校に通ってたやつとは遊ぶなって、かあちゃん言ってたから」
久哉は母から言われたことは絶対と思っている人が嫌いだ。それに心太を仲間はずれにしていることにも腹がたった。
「だからってみんながそうとは限らないだろ?そもそもここに転校してきた理由は、そんなとこから逃げ出したいからとかじゃないの?」
「いやいや、悪じゃなかったとしてもあいつ、休憩中ずっと本読んでるんだぜ?気持ち悪くて一緒に遊ぶのは無理だわ」
「……お前ってそういうやつだったんだ。」
「ん?どうゆうこと?」
「だから、人の素性も知らずにズバズバとものを言うアホってことだよ」
「は?お前なんだよ。あいつのこと知ってんの?」
その時、この先激しい口喧嘩になると思ったようで、俺の背の高い友人が二人の仲介に入る。
「やめろよ、お前ら。健斗、さっき言ったことを猪本の目の前で言えるのか?」
「言えねぇけど……」
「じゃあもう一生言うなよ。俺はいじめようとすることしか考えがねぇ奴が嫌いなんだ」
(なんだよ。かっこいいこと言ってくれるじゃん…)
これ以上言い返す言葉が見つからなかったのだろうか、健斗達は走って帰る。
「ありがとう隆」
それからすぐにサッカーをやめて、久哉は心太のところへ行き、一緒に帰ろうと話しかけた。
「ねぇ心太。一緒に帰ろうよ」
「うん……ちょうど今本を読み終わったんだ。じゃあ帰ろうよ」
そして心太は手に持っている分厚い本をランドセルの中へ押し込めてからランドセルを背負う。二人が教室を出てから久哉が振り返ると、誰もいない教室はなんとなく寂しさを感じる。
(心太を置いて帰るなんてできないなぁ。せめて行きと帰りだけは一緒にいよう)
帰り道。久哉は心太が何故通院していたのかをおどおどしながら聞く。
「ね、ねぇ。心太はさ、どうしてあの白い病院にいたの?」
そう訊いた瞬間心太は下を向いた。
「やっぱ言いたくなかったんだ…」
とても重たい空気になってしまい、久哉は慌ただしく謝る。
「あーいや、ごめん。今のは無しで…………そういえば今日の晩ご飯は何かなー」
すると心太は顔を久哉に向けて話しだす。
「ねぇ、久哉くん……僕、どうして病院にいたか分からないんだ……」
「え?」
「びっくりすると思うけど記憶喪失っていう病気らしいの……」
「そ、そうなんだ。何があったのかはどうしても思い出せないの?」
「うん……。で、でも所々記憶が残ってるんだよね……」
「聞かせてくれない?」
そう言ってから、なんとなく覚悟しておいた方がいいと思った久哉は喉をゴクリと鳴らした。
「僕にはお母さんしかいなかったんだ……そのことを意識し始めてから、寂しく感じた時はいつも母さんは心太は宝物なんだから絶対に辛くても私に相談してねって言ってくれるんだ……。だから寂しさを感じる時はあまりなかった……」
そこで一度息をついて、心太は続けた。
「でも僕が小学校に上がってからすぐにお母さんは……ノイローゼ、っていう病気にかかったみたいで、よく仕事を休むようになったんだ……それも父さんが肺がんで死んでから七年経ってからだったらしいんだけど……。だから僕は母さんを楽しませなきゃって思ったんだけど、どうしたらいいか分からなくて、仲が良かった女の子にアドバイスとかを聞いたの……それからその女の子ともっと仲良くなり始めたんだけど、えっと……」
心太はどうにか続きを思い出そうとしばらく頭を抱えていた。やっぱり、この先のことは覚えてないみたいだな。
「もう思い出せない?」
「あ……うん、思い出せない……」
「ごめんね、そんなこと聞いて」
「んーん、大丈夫だよ。聞いてもらって、少し楽になった気がする……」
(僕なんか心太と比べて随分楽しいはずなのに……自分を変えなきゃな)
「これからもよろしくね、心太」
「うん、久哉くんとならこれからの毎日楽しくなるよ……よろしくね……」
翌朝
久哉は昨日教えてもらった心太の家まで来た。
(ここが心太の家かぁ。思ってたより大きいね。そういえば昨日着てた心太の服も僕のより高そうだった)
インターフォンの下の地面にガムテープがくっついた紙切れが落ちていた。気にせずインターフォンを鳴らそうとした時、ちょうど心太が家から出てきた。
「おはよう!」
「おはよー……結構来るの早いんだね」
「え?今何時?」
「八時1十五分だよ」
「えっ嘘……いや、やばい!急ごう心太!」
久哉は心太の手を引っ張り無理やり走らせた。
「え?学校まで十分もかからないから、だいぶ時間余らない……?」
「聞いてないの?」
「ん……?なんのこと?」
「俺らの学校は四年生から朝の読書タイムっていうのがあって、八時二十分までに学校に行かなくちゃ行けないんだ!」
「それは知らなかった……」
「まぁ今は急ごう!」
遅れたらマズイと焦っている二人に春の風が追い風になって吹いてゆく。
(走るのは疲れるなぁ……そういえば先生、心太に読書タイムのこと言い忘れてたのかな?というか僕のことをお転婆だとかいうくせに先生の方こそお転婆じゃないか)
八時十九分
なんとか久哉達は遅刻することなく着席できたのだった。
その日の六時間目 家庭科
「みんな上手に出来ましたか?あとで誰がどの時間に仕事をするのか決めるので、渡したプリントに第四候補まで書いてください」
この学校は新学期を迎えて間もなく学校祭を開く。四年生からクラスの出し物を決め、お店の内装を製作し始める。とは言っても要はクラスの飾り付けだ。
毎年六年生はたこ焼きを出品することが決まっており、学校祭の日である四月二十八日までにたこ焼きの作り方を学ぶ。
「なぁ久哉、一番最初の時間に行こうぜ」
「え?最初はめんどくさいなぁ……」
「いいじゃんかよ。仕事した後はもうフリーだ。とことん学校祭を周ろうぜ」
「んー…」
久哉は隣の班でたこ焼き作りに苦戦している心太の方をみて悩んだ。
(心太には僕以外に周る人がいないかもしれない……それに僕は心太と周ろうと思っていたんだ。隆には悪いけどそうしよう)
「んで、どうなんだ?」
「あっごめんね。僕、今年は心太と周りたいから」
「そうなのか?まぁいいや。楽しめよ!」
「おう!ありがとう」
(そう、僕が心太を楽しませなきゃ)
そして久哉は心太と時間について話して一番最後の時間に丸をつけた。それもこれ以外候補がないと言わんばかりの太丸である。
学校祭当日。久哉は予定通り心太と学校祭を周っていた。しかし楽しく時間を過ごす彼らに陰口をたたく子が多数いた。
中には心太の悪口を本人に聞こえるほど大きく口に出していた子さえいた。
当然、久哉の怒りは爆発寸前である。
「あいつらなんだよ。めっちゃムカつく。ねぇ心太はムカつかないの?」
「え……?」
「ほら、あいつらだよ。ずっと見てくるやつら。去年あの田中らとクラス同じだったんだけど、こんな悪口を言うような奴らじゃなかったのにどうして!」
久哉は彼らに力を込めて指を指す。
「しょうがないかな……僕が悪いんだと思うし……」
「そんなことないよ!心太は全く悪くない!」
「……ありがとう」
その時、学校の廊下であるにも関わらず、田中は久哉達に、どこかのクラスの景品の大きなゴムボールを勢いよく投げつけてきた。投げ放ったボールは心太の膝に当たって、そのまま心太の体勢が崩れ、床に倒れた。
「痛い……」
「よっしゃー当てたぜ!」
「慶ちゃん野球部みたいや!」
そんな彼らの言葉を聞いてとてつもない怒りを覚えた久哉は彼らを捕まえることに決めた。
「心太保健室に行って待ってて!」
そう言い残し、久哉は走り始めた。
(まじかよ。あいつら信じられん)
「待てやお前ら!」
久哉に捕まると思った二人組も走り始めた。
廊下には周りに人が多くいたため、注目が集まった。しかし久哉の怒りはそんなことを感じさせなかった。
次第に距離が縮まっていったが、あと一歩のところで取り逃がしてしまった。
しかし二人組は「体育館の裏で待っててやるよ!」と言い、その方向へ向かって行った。すぐに久哉もそこに着き、彼らを探した。
「どこだよ!お前ら!」
「後ろだよー」
久哉はポンっと肩を叩かれ振り向いた。
「いつの間に……」
「久哉にいい話があるんだ」
そんなことは聞かず久哉は固めた拳で殴りかかろうとした。しかし止められてしまったのである。
「うわっ急に何すんだよ。不意打ちでもこの俺に勝てると思ってんの?」
「久哉知らないの?慶ちゃんは空手を五年間習ってるんだぞ?」
「そんなん関係ない!どうして心太を虐めるんだよ!」
もう一回久哉は殴りかかったが今度はみぞおちを殴られた。
「うっ……」
「まぁ黙って聞いてろよ。ここ最近お前ら仲良いだろ?クラスの人気者とか言われてるお前がなんであんな汚いやつの友達になってるんだよ」
「そうだよ。女子もみんな猪本のこと嫌ってるから久哉も嫌われてるかもよ?」
(どうして?久哉に嫌われる理由なんてない……)
「だから、もうお前あんなやつと仲良くなんのやめろよ。これは忠告な。もしこれからも仲良くなってたらお前を虐めるからな。キモい奴の友達もキモい奴って感じやな!」
「意味が……ハァハァ……分かんねぇよ!」
「あ?お前もう一発喰らう?俺さ、親切心であいつと仲良くなるなって言ってあげてるのに俺の心を踏みにじる気か?」
(ふざけんな!お前らは心太の心を踏みにじってるんだよ。友達として、ここで言い返さないと!)
しかし久哉は言葉が出なかった。もう殴られたくないと、彼らに服従するしか自分が助からないと思い、行動に移せなかったのである。
「あ、ああ。分かったよ……」
「おー物分かりのいいこと。まぁ俺はお前の人気を取り戻してあげたいからもう猪本へのお節介はやめな」
「……」
そして彼らが校舎内に戻ってから、その場で久哉は悔し涙を流していた。
(まじか……せっかく心太が学校を楽しく思ってくれてたのに何も出来なかった……本当にごめん心太。あいつらの前だけは話せなくなっちゃった……でもお節介とは思ってないよね………?)
お節介という言葉が久哉の脳裏に焼きついた。
(とりあえず保健室に行こう……)
涙を拭き、スクッと立ち上がって久哉は保健室へ向かった。
久哉は保健室の先生に心太の容態を聞いた。
「久哉くんかな?猪本君は何か係ある?」
「えっと、あと少しで店の当番があります」
「あー…それはちょっと厳しいかもしれないね。ところで猪本君に何があったか教えてくれる?」
そう聞かれ、正直に答えようとしたが、あの田中に恐怖を覚え、自分がやったと答えた。もちろん故意にやっていないことを誇張して話した。あくまで事故だったということにした。
そしてこれから久哉の臆病生活が始まった。
心太を見捨ててから三半年。久哉は市内で有名な私立中学校に通っていた。
その中学校生活もいよいよ終わりが近づいてきたが、久哉の心の中では「耐えきれない」という言葉ばかりが木霊していた。
臆病になってからというもの、全く誰とも会話が弾まなくなり、ついには久哉にボッチという肩書きが載せられるまでになったのである。
今日も久哉は学校から家へ戻り、シャワーを浴びていた。
「どうしようもない……僕が悪いんだ……何もかも。みんなが僕を責め立てる。理由は分かってる。でも理由だけ理解しても僕を立て直す方法が思いつかない……いつからだろうか、こんな臆病から逃れられない生活が始まったのは。できれば小学校からやり直したい……虐められることのない日常を取り戻すために……」
久哉はそうぶつぶつと呟き、顔を濡らし続けた。涙の跡を洗い落とすために。
十数分して部屋に戻ると、いつも気に留めない机の引き出しを無意識に開けた。中から久哉と心太の唯一ある写真を手に取り、見つめた。
(君はどうしているだろうか。殆どの人が小学校近くにある中学校へ進学したと聞いた。小六の時、僕に心太についての忠告をした奴らはそこと違う中学と聞いたが、どうして僕は中学受験を選んだのだろうか。自分のことしか考えてないってことが隆や心太などの友達にバレてるだろうね。いや、もう遅い。
今頃僕が彼らの中学に転校したとしても精神がきついし、何より僕は臆病者だ。たとえ仲が良くても、かつてみたいに会話が進むわけがない。もう自分は終わった。逃げきれないよ……)
その写真は久哉に強烈な悲しさを覚えさせ、久哉は生きる道を考えることができなくなってしまった。
「せめて、楽しかった過去を思い出すことさえできれば今を過ごすことが出来るのに……」
悲しみに明け暮れ心太は椅子に座ったままで眠った。
(夢の中)
2013年九月
久哉は部活内で先輩による暴力行為を受けていた。虐める理由はただ一つ。やり返してこない久哉を殴ることを面白がっているからだ。
「お前アホか。あれほど俺らのグローブを濡らすなって言ったのにビチョビチョじゃんかよ」
「本当に何がしたいんだろうね。もしかして俺らを虐めたいわけ?」
「あーあ。これじゃ今日練習できねぇな。こんな手際悪いんじゃ友達とかいないんだろ?どーせ」
(友達……)
「ご、ごめんなさい。でも、僕は昨日夜中に雨が降るので倉庫に収めた方がいいと言いました」
「は?俺らが収め忘れただけだっつうの」
「ちゃんと1年坊が管理しとけよ。1年はお前しかいないから1人できちんと管理できるように育ててやってんだぞ?」
(でも、グローブが濡れたのは僕のせいじゃない……)
「あ?なんだ。文句あんのか?」
「いえ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「まぁ許してやるか」
「はい……」
「んなわけねぇだろ!」
久哉は罵声を浴びせられながら殴られる続けた。
記憶の中ではただ殴られるで終わっていたが、今、夢の中では違った。
「もう、やめろよ。俺が悪いって言うのか?」
「お前タメ口すんなや!」
しかし久哉はそのまま怯むことなく相手を倒した。
「俺がそんなに憎いか?何なんだよ。お前らは。
「悪かった。悪かったって。」
「痛ぇ。まじかよ。久哉強ぇな」
「な、なんだよまともに喋れるじゃんかよ」
そして満足感を得た久哉は目を覚ました。
(あの夢はなんだったんだろう。とても気持ちがいい。そういえばあの後何も太刀打ち出来なかった気がするけど……忘れてしまった)
こうして、久哉のネガティブな記憶は新しくポジティブな方に更新された。
しかし同時に何か無性に寂しさを感じた。
(何か分からないけど、とても悲しい満足感だなぁ……でも今はこの夢を見る前より人と目を合わすことが楽に感じるようになった気がする)
そこで久哉はあることを閃いた。今まで失敗してきた過ちを夢や想像で壊していこう。と。
とても恐ろしい考えではあるが、今の臆病な性格である現状を打破するためにはこのような下衆な方法しか思いつかなかった。そしてこの方法は記憶を更新するだけで、現実では過去の出来事は変わっていないということに気づいていなかったのである。
翌日、また久哉は疲れ切った精神を癒そうとまた例の写真を見つめ眠った。
すると、また鮮明な過去の夢を見ることに成功した。
夢を見ては己の思う通りに行動し、記憶の過去を消す。中学での快く思わなかったという記憶は二ヶ月程で抹消できた。
しかしその分目が覚めると孤独の寂しさに心が覆われる。
そして中学三年の十二月。久哉の通う中学の生徒達は国立高校や有名私立校へ挑むため、他人のことをあまり気にしなくなっていた。久哉にとってこれは好都合であるが、全く勉強をする気持ちになれなかったため、進学は諦めていた。ただ久哉の願いは小学校の友達に会いたい。ということだけである。
記憶を消す作業を始めてから、もうこれ以上消す必要がないと思っていたが、あと一つ消さなくてはならない記憶を思い出した。それは久哉が始めて臆病な性格になったあの日。三年前の学校祭の日である。久哉はその記憶を消すことを決意した。
例の日
今日は少し早めに家を出た。最終準備やら一人一回たこ焼きが作れるかどうか試す時間をつくるためだ。と言っても冷凍であるため油で揚げるだけだが。
「心太どう?なんか油が跳ねてくるの恐いよね。大丈夫?」
「うん……いつも僕がご飯を作ってるから……」
「え?マジ?すごいじゃん!料理できる人とか尊敬するわ」
「うん……まぁお母さんが……いなくなったから……」
「あ……ごめん。まっ、まあ今日を楽しもうよ」
「そうだね……」
心太の母は病気ででインターフォンの音に敏感であり、その音を聴くと一日中震えていた。そしてある日、心太の母は失踪したのである。
「はい、みなさん上手にできましたね。あとは本番中でも仕事を投げ出さず、一生懸命働いてください。ではもう少しで学校祭が始まるので、係りの人以外は教室に戻って合図があるまで待機しておいてください」
「はーい」
「じゃ、隆、頑張って!」
「お前もちゃんと楽しんどけよ」
「おう!」
そして約二時間後、二人に例の事が起きた。
田中が久哉を見下している時、久哉は激痛の走るお腹に力を込めて大きな声で
「だからお節介じゃない!」
と言い放った。相手からすると宣戦布告の合図と読み取れるはずだ。また殴られると思ったが、彼らに勇敢に立ち向かう。
「なんだよまだやんの?」
「まだ、負けてない。お前らの言うことなんか聞くもんか!」
二人とも嘲笑している。しかし次の瞬間、久哉は拳を固め相手のみぞうちを狙って勢いよく殴った。不意をつかせた攻撃だが、相手は即ガードで固めたため全く無意味であった。だが久哉は既に左手で顔をめがけて放っていた。
「グフっ」
久哉自身の力に後悔の念を上乗せする事で彼の思い通りになった。
相手は足がふらつき、何も言葉を発すことができなかった。
どうやら相手のプライドを抉りとったのであろう。田中らは久哉を睨みはしたが、何も言わず校舎に戻っていった。
「僕は勝てたんだ……あっそういえば心太が!」
心太が保健室にいることを思い出し校舎に入る扉を開けた。それと同時に辺りが白い霧に覆われた。
(なんなんだ。早く心太に会わないと!)
視界が全く見えなくても久哉は懸命に走り続けた。すると急に学校とは違う場所に出た。
(ここは……諒渓橋の河川敷じゃないか……心太?と誰かいる。なんだろう……とりあえず行ってみよう)
と、ここで夢が覚めた。
(場所移動か……夢でよく起こることだね。まぁ、でもようやく後悔が消えたんだ。良かった……)
そして翌日、登校日でない土曜日がきた。学校に行かなくてもいいという安心感はあるものの、ただ暇な休日である。
自室でベッドに寝転びテレビを見ていたところ、いつも鳴ることがない携帯の着信音が流れた。
(誰だろう……隆じゃないか!)
すぐに電話に出て何事か伺おうとしたところ向こうから焦りが伝わる口調で喋り始めた。
「な、なぁ久哉元気か?」
「久しぶり!うん。元気だよ……」
「それなら良かった。んで実はさっきまで心太と一緒に帰ってたんだが、角からガラの悪い二人組が飛び出してきて心太にバットで殴りかかったんだ。助けようと思ったが俺も足を殴られて今立てないんだ。そしたら二人組が心太を連れて逃げて行ったんだ。悪いけど今、俺は動けなくて道路脇にうずくまってるからお前が助けてくれ!」
「それは大変だ!でも、俺の他にもっといいやつがいるんじゃないの?」
「いや、お前じゃなきゃダメなんだよ。昔から俺と力比べをしても俺の方が強いし、責任感だって強い。でも、お前は頼りにできるんだ」
「……」
「おい、この臆病者め!今さらあのことを後悔したってしょうがない。今が大切なんだよ。頼むぜ」
「…………おう。助けに行かなきゃね」
「あと、悪いが場所は分からないんだ!全く見当がつかない」
久哉も焦り始めたが先ほどまで見ていた夢の後編部分を思い出した。
「見当……。……っ!見当ならある!とりあえずそこに向かうから、その間お前は救急車を呼んどけ!」
「あぁ、頑張れよ」
(そうか……さっきの夢は過去だけじゃなく未来も含まれていたんだ。さぁ諒渓橋に向かおう!)
久哉は素早く家を出て、思い切り走った。心太への後悔を拭い、今から起こることが後悔することにならないように。
五分間ほどして久哉は諒渓橋の河川敷に着いた。
(三人いる……もしかしてあれは心太か?そして、あいつは……田中じゃないか!)
ゆっくり近づくと心太がうずくまっていた。
それでも二人は暴力を止めようとしなかった。
パンチや蹴り、首を絞めるような行為。
夢ではない現実を目の当たりにした久哉は足が振るえ始めたが、勇気を振り絞り、現実で彼らに仕返しの念をぶつけに行った。
「お前ら!やめろ!」
声に気づき後ろを振り返る二人は成長した久哉を見つけた。
「あっ、お前、臆病者の……久哉だったけ?」
「お!あの時の約束を破って、またボコられたいのか?」
「何行ってんだ?俺はお前らなんか負けたことはない!」
「は?お前アニメの見過ぎじゃね?喧嘩の弱い奴が強者に勝つのはお話の中だけだぜ?そういえば、よく俺らだって分かったな。こんな格好なのに」
「そりゃ身長や服が変わっただけでお前らの性格は変わらないままだからな」
「なんだよお前!まあ、いいよ。来ないなら俺から動いてやるから」
そして田中は久哉に駆け寄りパンチを喰らわす。
(うっ、結構痛いが……そんなでもないぞ)
「てめぇのそんな攻撃はきかないぜ」
「次は俺の番だ!」
とても素早く打ったパンチだったが止められてしまった。おまけにカウンター付きだ。
(また喰らってしまった……それでも、あの頃と比べてあまり痛くない!夢で倒した時のようにやってやる)
それから機会をうかがうこと、何分かが経過した。
自身の身体にに少しずつ身体の限界が見られた時、久哉勝負に出た。
まずは相手のみぞおちを狙う。
「おいどうした?やられに来ないのか?」
そして思いっきり殴る。案の定止められたが左手を顔に向ける。
「すかすかやな、お前のパンチ。どうせならこう……グホッ……痛ってぇ!」
だがそれだけでなく、彼が頬を手でさすっている間に覚悟の念を込め、みぞおちを撃つ。
「カハッ。もう分かった……やめてくれ……腹が……」
田中の連れが彼をを補助して一目散に逃げて行った。
久哉は心太に駆け寄る。
「心太!心太!」
返事がない。体を揺さぶり続けたが目を覚まさない。
「ごめんな、心太。もうあの頃に戻れない……君とまだ話していたかったけど、臆病になってから全く近づけなかった。あいつらと心の弱さは変わらないのかもね……ごめん……」
久哉が涙をポロポロと落とし始めた瞬間、心太が目を薄らと開けた。
「心太!」
「……久哉くん?ありがとう……助けてくれて……でも今……あまり息が出来なくて……しんどいんだ……」
「救急車呼ぶから待っててくれ!」
「いや、もう……無理なのかな?ねぇ久哉くん。いつも君に頼ってばかりだったけど……最後に思い出話……してもいいかな?」
「縁起の悪いことを言わないでくれ!」
「久哉くん……聞いてくれるだけで……いいから……」
久哉は涙で心太が見えないほどになり、唇も噛み締め、顔を震わせた。
「うん……」
「昔から病弱で入院生活を送ってきた……ずっと白い天井を見てるだけで……生きている実感はなかった……そんな時君が来たんだ……君は二日間だけの入院だったかな……君が僕に話しかけてくれて…………それから仲良くなれて……君が退院する日はとても寂しかったけど……僕がいつ退院するかわからないと言うと……君は退院しても見舞いに来てくれた……来てくれたのはとても嬉しかった……そして君といる時間だけが幸せだった……君は僕の病気を気遣って……病気のことは一切言わなかったよね……君は優しいから……絶対そうだと思った」
少しずつ心太の呼吸が浅くなっていることに気づくが何も言えなかった。
「僕の病気は……大脳の病気なんだ……だから今まで思うように喋れなかったんだ……それに成長していくごとに……脳死に近づいていく……余命の話も聞かされた……だからね、せめて……健康な臓器だけは提供したいと思ってるんだ……せっかく生まれてきたんだから……誰かの役に立ちたい……」心太は死が近づいていることに怯えているが目は笑っていた。
「ねぇ心太、僕は君がいるから臆病な性格が克服できたんだ。もう十分、心太は人を救ってるよ!ありがとう心太……」
先ほどの田中による喧嘩で受けたダメージが重く、久哉は気を失ってしまった。
倒れている2人を見つけた通行人がすぐ救急車を呼び2人はそれに乗せられた。
車内で少しだけ気を取り戻した久哉は救急救命士の会話を断片的に聞き取っていた。
「もう1人は……もう……だから……体の内部が……この子に……ドナーの許可……この子は助かる……」
二日後、久哉は目を覚ました。すると彼の母は驚き、喜びに浸りすぐ医者を呼びに行った。ふと右を見ると隆がいた。
「よっ、ようやく目覚めたか。やっぱりお前はかっこいいよ。感服だ。でも残念だったな……」
(そうか……心太はもう……)
「まぁ、これからお前の人生も再スタートするわけだ。共に頑張ろうぜ」
「おう……」
その後、すぐに医者が駆け付け、現在の容態、何ヶ月の入院か。そして心太の肺が久哉に移植されたと聞いた。
(え?心太の肺が俺の中で生きているってことだよね?奇跡じゃん!心太!また、これからも君に支えられて生きていくわけだ!)
心太の思いが奇跡的に届いたということに感動し久哉は一筋の涙を流した。
それから入院中ではあったが特別入試ということでそれなりの高校に合格できた。
久哉はまだ見ぬ高校生活に心太と臆病ではなくなった己と挑んでいく決意を心に込めた。
メモリーブレイク 小鳥遊時宿 @Jijuku
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