Public Enemy
午後三時を過ぎた頃、俺はナツメさんと一緒にマンションを出て、喫茶アクアリアへと向かっていた。
部屋を出る前から、手を繋ぎ続けている。絡み合わせた指に、ナツメさんの熱と、決意を感じた。
「……私は、自首しようと思います。それが、ロック君に対する一番の誠意だと思いますから」
「――はい」
部屋を出る前に、ナツメさんがアルファへ契約破棄のメールを送っていた。そこには、彼の自首も促す文章が綴られていたが、一切の返答がなかった。
「……アルファは、どう動くでしょう?」
「計画通り、クレアさんを狙うと思います。普段は一人で行動している男ですから、私の裏切りも想定済みかもしれません」
「じゃあ、なんでナツメさんと協力を?」
「協力というか……結果的に、私も商品になる予定だった訳ですから。ロック君を狙った時点で、最初から私との契約を履行するつもりなんてなかったんでしょう。四日前、ロック君がキマイラに襲われたのは偶然じゃなくて、悪意による必然だったんだと思います。偶然だったのは、ハコさん達が居合わせた方でしょうね」
「アレすら……」
「こうならないように、『夜の外出は控えて欲しい』って話をしたんですけど、考えが甘かったです……。……つまり、私が全部悪いんです。結晶化した魂を渡してもらう為に、アルファにはロック君の情報を伝えていましたから」
「じゃあ、ナツメさんは、俺が春咲に住んでることを知ってたんですか」
「実は、知ってました。去年の夏頃、お祭りの話題が出た時に、それとなく聞いてたんです。なので、アルファから春咲市を指定された時は驚きましたし……春咲も広いですから、こうして毎日逢えるとは思ってませんでした。……幻滅しました?」
「しませんよ。住んでる場所くらい、ナツメさんにならすぐに答えてましたから。なら、工事がうるさくてっていうのは……」
問い掛けに、ナツメさんが申し訳なさそうに視線を下げた。
「ごめんなさい、アレは全部嘘です。あの時に言った『一週間後に色々教えてあげる』っていうのも、半分嘘でした。あの時点の予定だと、一週間後の私は結晶になって、ロック君の手元に届いているつもりだったので」
「俺には何も言わずに、姿を消すつもりだったんですね」
「楽しい思い出が残ってる時に、突然消えるのが、一番記憶に残るかなぁって」
「……それ、トラウマって言うんですよ」
「はい……。でも、それでいいって思ってたんです。ロック君の中で永遠になるのが、私の幸せなんだって――大切な人のそばで眠るように死ねるなんて、それ以上の幸せはないって思ってました。ロック君の優しさに甘えて、依存して……私は私のことばかりで、ロック君の幸せなんて、ちっとも考えてなかったんです」
「ナツメさん……」
「だって……私の署名でペンダントが届いたら、ロック君は身に着けてくれるでしょう? だから、それだけでいい、って思ってました。貴方に呪いをかけて、永遠になろうとしたんです」
「そんなの、ただの独り善がりです。黙って、俺を一人にするつもりだったなんて」
「ごめんなさい……」
「……依存してるのは、俺も同じなんですから。こうして会話して、触れ合えなかったら、意味がないんです」
『おはよう』から『おやすみ』まで、ナツメさんとのやりとりが途切れた日はなくて、これからもそうだと思っていた。ずっとずっと続くものだと信じていた。
なのに、突然連絡が取れなくなったら……例えその魂と一つになれて、寄り添えたとしても、俺は耐えられない。ことある毎にナツメさんを思い出し、喪失に苦しみ続けただろう。
ぎゅっと、ナツメさんの手を握り締める。
「貴女の苦痛は、俺が癒します。十八年がなんだっていうんです。残りの六十年・七十年、俺がそばにいます。俺がナツメさんを幸せにします。だから、そんな悲しいことは言わないでください」
「はい……!」
ナツメさんが、泣きそうな顔で微笑んだ。
「私はようやく、自分の愚かさに気付けました。――今は、貴方の幸せが、私の幸せです」
「俺もです。ナツメさんと一緒が、一番いい」
二人で顔を見合わせて、笑い合って――
――視線を戻した先に、アルファが立っていた。
「なッ?!」「ど、どうして?!」
周囲は閑静な住宅地だ。路地から出てきたのだろう、ということは解る。解るが――
ハコとOJが上空から監視している真っ最中に、アルファが出てくる訳がない、という思い込みがあった。だから余計に混乱してしまう。
だが、アルファだった。
昨晩と同じ仮面をつけているが、OJの魔法のお陰で認識は狂わない。確かに俺は、この男を何度も、毎日のように目撃していた。それに気付いて、不安が加速する。
そんな俺達を前に、アルファが芝居がかった仕草で仮面を外し、ニタリと笑う。
口端の釣りあがった、爬虫類の笑みだった。
「いやだなぁ、オメガ。監視してたに決まってるじゃないか。君の肉体はもらい受ける契約だったからね。――ああ、性別を偽ってたのは最初から気付いてたし、処女じゃなくなったのも問題ないよ。その程度は元に戻せるしね。って、なんだいその顔。怖いなぁ」
「――契約は破棄します。私はもう魂の結晶化を望まない。肉体も渡さない!」
「ふーん? 一応メールは見たけど、本気なんだ。じゃあ、仕方ないな」
オメガが大げさに肩を落とすと、手の中で弄んでいたガラケーを開き――
「俺が、君達を『幸せ』にしてあげるよ!」
――パチン、と閉じる。
途端、楽しげな笑みを浮かべたアルファの背後から、黒々とした闇が噴き出した。
淀みだ。それを目にした瞬間、俺はナツメさんの手を引き、踵を返して全力で逃げ出していた。
キマイラと幽霊蜘蛛の記憶は薄れている。だが、襲われた時の恐怖が完全に抜けた訳ではないのだ。しかも今はナツメさんと一緒で――嫌な想像は、否応なしに加速する。
そんな状況で淀みを見たら、どんな化物が出てくるか解ったものじゃない!
「ごめんなさいロック君、私、攻撃魔法には疎くて……!」
「気にしないでください、そんなの!」
ウロボロスは俺を護るというが、ナツメさんまで護ってくれるかは解らないのだ。迂闊に発動して俺が倒れたら一溜まりもない。淀みが形を持つ前に、なんとか逃げなければ!
「手を取り合っての逃避行! いいねぇ、青春だねぇ!」
アルファの笑い声と共に、背後から何かが飛んできて――地面に激突した途端、間欠泉のように淀みを溢れ出す。それから逃げる為に路地を曲がり、住宅地を駆けていく。
既に喫茶店アクアリアのすぐ近くまで来ている。クレアを狙う張本人を喫茶店にまで誘導するのはどうなのか、と思うが、他に方法がない。
空からハコとOJの声が降って来たのは、その時だった。
「――そのまま店に入ってて!」
「あとはボク達が処理するから!」
途端、背後で痛烈な光が巻き起こる。見れば、空から無数の光が落ち、淀みを一気に消し飛ばしていた。
その中を踊るようにステップしながら、アルファがやってくる。その顔は歓喜に染まっていた。
「いいねぇ、いいねぇ! やっぱり嘘なんて吐くんじゃなかった! 伝説には敬意を払わなきゃ!」
「「黙れ!」」
ハコとOJの声が同時に響き、直径三メートルはあろう閃光がアルファを狙う。
だがそれは、ニタニタと笑う痩躯を貫かず――
代わりに響いたのは、老若男女、何人もの声が織り成すノイズ交じりの絶叫だった。
「な、なんだ?!」
「あ、あれは……幽霊を一纏めにして、即席の盾にしてるの? あんな使い方、思い付いてもやらないものなのに!」
耳を塞ぎたくなるほどの絶叫に、俺達は強く手を握り合わせる。そうしなければ耐えられないほどの、物悲しく、痛みに満ちた声なのだ。
だが、ハコ達は攻撃の手を緩めない。その度に、アルファの防御が展開し、苦痛の声が上がる。
楽しそうに、アルファが笑っていた。
「空なんか飛んでないでさぁ、降りてきなよ!」
会話をするつもりなどないのだろう。返事もせずに、ハコが魔法を連発し――アルファが回避しきった瞬間を狙って、上空から青年姿のOJが勢いよく飛び降りてきた。
OJの踵がアルファを狙う。が、防御を貫けない。けれどOJは、防御壁を足場にくるりと一回転して着地すると、獲物に飛び掛る寸前の猫のように姿勢を低くし、足元に魔法陣を展開。ぐっと足に力を込め――
魔法陣を足がかりに、一瞬でアルファに肉薄した。
そしてOJの拳を包むように光の粒子が生まれ、鋭く振るわれた拳の軌跡に、鉤爪のような跡が残る。拳そのものは回避されたものの、光の爪が防御壁を切り裂いていた。
それにアルファの笑みが僅かに歪んだ直後、ハコの魔法が連続で撃ち込まれていく。
OJがいようと構わない――いや、相棒がどう動くのか、ハコには解っているのだろう。そしてOJも、ハコがどこに魔法を撃つのか理解している。
幽霊の絶叫すらも掻き消す攻撃が、アルファを追い詰めていく。
「赤城さん、早くお店の中へ!」
背後から響いたクレアの声に我に返り、ナツメさんと共に走り出す。クレアは不安と緊張の入り混じった様子で、店員達と共に店の入口を大きく開けてくれていた。
道路を横断する――
その瞬間、道の真ん中に、ビー球のような何かが落ちているのに気付き、
「! ロック君、止まって!」
「ッ?!」
ナツメさんに強く腕を引かれた直後、ビー球が弾け、一気に淀みが溢れ出す。
目の前が一瞬で闇に染まった。
「私の作った道具の一つです! でも、淀みなんて封じてなかったのに!」
「――いやだなぁ、オメガ。俺が細工したに決まってるじゃないか」
「「?!」」
淀みの中からアルファの声が聞こえてきて、慌てて距離を取ろうとした瞬間――
目の前に、ニタリと笑う男の姿があった。
「淀みかと思った? 残念、俺の短距離移動魔法でした! これでお姫様ゲットだ」
「「クレア!!」」
ハコとOJの声が響く中、アルファが笑みのまま背後のクレアへと振り向く。
それを防ぐべく、ハコの魔法陣がアルファとクレアの間に展開し、壁のように広がり――
――アルファの右手が、俺の眼前に突きつけられた。
「――なんちゃって。俺、宝箱は全部回収するタイプなんだよねぇ」
視界いっぱいに、複雑な文様を持つ魔法陣が展開し、灰黒色に輝く光が俺を貫いた。
途端、耳鳴りのような高い音が響き、そのまま何も聞こえなくなり、
世界から色彩が失われていき、視界が白く染まり、
足先から砂になっていくかのように、体の感覚がなくなり、
体から光の粒子が溢れ出し、眼前で七色に輝く結晶になっていく。
出来上がったのは、指で摘めるほどの、小さな結晶。
思っていたよりも小さくて……嗚呼、以前ナツメさんが言っていた言葉を思い出す。
魂の重さは、二十一グラムだと――
「――――――――」
意識が、途切れる。
遠く、かすかに、
誰かの声が、聞こえ、
結晶が、光と共に、
消え、て、
◇
「目を覚ませ――」
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