幕間


 赤城・イオンからメールが届いたのは、午後を回った頃のことだった。

 その内容を確認して、ハコは一つ息を吐く。


『あとで伝えたいことがある』


 簡素な文章。だが、ここ数日の彼の状況を鑑みれば、その内容は予想出来た。

「恋人が出来たって、惚気だけならいいんだけどね」

「確かにねー」

 ローブの内側から顔を出した黒猫――OJが頷く。

 この姿こそ、彼の本当の姿であり、少年や青年の姿は魔法で偽装したものだ。こうして空を飛ぶ時には、猫の姿に戻ってもらった方が軽く、暖かい。

 そして――黒猫の姿なら、監視も容易い。


「赤城君と一緒にいた魔女、OJはどう思ってる?」

「んー……見た感じ、猫好きの普通の女の子だったよ。ボクには気付けないけど、ハコには気付ける程度には感知力がある。あと手。指先をそれとなく隠したのは、職人系の証かな。撫でられとけばよかったかも」

「止めてよ、そんなの」

「冗談だよ。ハコ以外に撫でられたりしないさ」


 OJが、ハコの腹に頭をこすり付ける。

 匂い付け。所有物の証。

 お返しに、ハコもOJの頭を撫でて、昼の空を飛んでいく。


 お互いが主人であり、ペットである恋人同士。だからこその、揃いの首輪――

 それが、ハコとOJの関係だった。


 アルファの足取りは掴めず仕舞いだが、こうして警邏していれば相手の行動を封じられるだろう。気ままなようでいて、一人と一匹の視線は鋭かった。


「魔力の流れは正常。怪しいところはなし。……まぁ、偽装されてる可能性が高いけど」

「幽霊を使ってきたくらいだからね……。自分の魔力を使わず、足跡を残さない。嫌なやり方だよ」


 ハコは土地の管理者だ。昨晩の幽霊蜘蛛のような、悪意によって生み出された存在が相手であろうと、退治に躊躇はない。だが、気分の悪さは一晩経っても残っていた。

 魔物だから、幽霊だから、と無条件で消し去るほど、ハコは冷血ではないのだ。アルファに対する苛立ちは、募る一方だった。


「……次はどう出てくるかしら。私だったら、今この瞬間にもクレアを狙うけど」

「同感。でも、その気配もないんだよね……。一連の手口から見て、邪魔者は全部排除してから、本命を狙う感じかな」

「力の誇示、か……。まぁ、その分悪名が知れ渡るから、効果的なんでしょうけど」

「赤城君を狙うのもアピールの一つだろうし、面倒だよね。どこで何をするか解ったもんじゃない」

「あー……、昨日みたいに姿を見せてくれないかしら。そうすれば楽なんだけど」

「気持ちは解るけど、少しは気を付けてよ? ハコに勝てる魔法使いなんて、ボク以外に存在しないけど――だからって、相手が拳銃を持ってたら、対処も変わってくるんだから」

「解ってる」


 例えミサイルを撃ち込まれたとしても、無傷で迎撃出来る。それがハコという魔女だ。

 だが、周囲の被害をゼロに出来るほど、ハコは器用ではないのである。

 本気を出せば、一瞬でアルファを消し炭に出来るが――土地の管理者である以上、犯罪者は捕らえねばならない。

 全力は、出したくても出せないのだった。


「それにしても、懐かしいよね。『狂宴の魔女』だなんて」

 やれやれ、と言わんばかりのOJの言葉に、ハコは「そうね」と相槌を打ち、彼の背を撫でた。

 先ほどチェックしたツイッターで、アルファからその名で呼ばれていると気付いたのだ。

 昨日は、さもこちらを知らないかのような反応をしていたが、実際にはハコのことも調べ上げていたのだろう。そうして油断を誘う手口だったのだ。


「この感じだと、私が『妖精王の娘』だってことも知ってるんでしょうね」

「あー、そっちもかぁ……。肩書きが多いのは不便だよね」

「全くだわ。『狂宴の魔女』はまだしも、『妖精王の娘』は、ただの事実の羅列でしかないのに」


 二百年以上前――とある深い森の、そのまた奥にある妖精の国へ、王の末娘とチェンジリングされてやってきた少女がいた。彼女は、かの国の食物を食べて人ではなくなり、異郷の知識を得て魔女になった。

 破天荒な彼女は王に大層気に入られ、国の住民達から『妖精王の娘』と呼ばれるようになる。

 その後、魔女は一匹の妖精猫を無理矢理使い魔にすると、国を飛び出し、修行の旅に出た。その旅先で、魔女はとある街を一ヶ月間、死者も踊り歌うほどの狂宴に叩き込むことになる。その時に付いた名前が、『狂宴の魔女』なのだ。

 懐かしく、有名な名だ。だがそれは、一番若く、弱かった頃のハコの名前でもある。だから、嘗められているような感じがした。

 溜め息が出る。

 ハコの持つ実力は、全てハコの努力によるもの。だが、その人生ゆえに、ハコを特別視する相手は後を立たないのだ。


 ちなみに――王の末娘は、人間としての生を謳歌し、しわくちゃのお婆ちゃんになり、愛する家族に囲まれて大往生を遂げた。

 その末裔が、クレア・フォールブレイスなのである。


「『俺は有名な魔女を倒してやるんだ』って宣言しておきたいんでしょうね。魔女界隈以外にも名前が売れれば、仕事も増えるから――って、ん?」

「何か見付けた?」

「アレ見て。さっき回った時には解らなかったけど、太陽の角度が変わった今は、ほら」

「本当だ。何かある」


 国道を一本入った、駅へと続く道の一つに降り立つ。

 一見何もないように見えるが、魔女であるハコの目には、ビルの外壁に何かを吹き付けた跡が見えていた。

 触れると、粉のように剥がれ落ちて消えていく。


「魔力を結晶化したものを吹き付けてある……」

「何でそんな――いや、そうか、これも幽霊と同じなんだ」

「でしょうね。結晶化すれば純度は保たれるから、砕いて吹き付ければ魔力のストックになる」

「逆に、劣化した魔力を拭き付けてある場所もあるかもね。でも、どうして気付かなかったんだろう……」

「魔力そのものに見分けはつかないもの。こうして拭き付けてある時点で、自然の中に混ざっちゃう。……私はそこまで感受性豊かじゃないし」

「ハコは大雑把だからねー」

「つまりOJのミス」

「ボクぅ?! えー、待ってよ、この辺りは散歩コースから外れてるんだ。ここを仕切ってたボスも、この前死んじゃったし……ああそっか、ちょうどぽっかり空いてるんだ。……そういうのって、見抜けるものだっけ?」

「フィールドワークは魔女の基本。しかも今はネットの地図があるし、一日中暗そうな場所とか、人気のなさそうな通りとか、すぐに解っちゃうでしょ。ここは住宅地から離れてるし、猫やカラスみたいな使い魔を派遣しにくいのも解る」

「科学の進歩って凄いよねー。……悪用されると辛いけど。どうするの?」

「どうもこうもないわ。――見付け次第潰す」

「それでこそハコだね。けど、スプレーか。スプレー……んー、前にも似たようことなかったっけ? 管理者の会合で聞いたような……」

「……あー、あったわね。去年だったか、違法なマジックアイテムを売りさばいてるヤツがいるって注意喚起があって、その中にスプレーもあった気がする」


 麻薬の密売のように、違法な道具を作って流している職人がいる。対人販売が主で、尻尾が掴めない為、何かあれば当局に連絡を――という通達が、以前魔女界隈に回ったのだ。その道具の中に、スプレー缶も混ざっていた。

 写真を見ただけで、各々の道具がどういう効果を持っているのかまでは解らなかったが、これならば納得だ。土地の管理者にも怪しまれず持ち運べ、簡単に影響を与えられる。


「これの製作者が、オメガなのかな? 或いはオメガ達、とか」

「解んない。今のとこ、顔を見せたのはアルファだけだし……――って、メール来た。赤城君から」

「なんだって?」


 メーラーを開いて文面を確認する。途端、ハコは難しい顔になり、しゃがみ込んでOJに画面を見せた。彼の金色の瞳が、文字を追い――顔を手で覆った。


『これだけは先に伝えとく。オメガを見付けて、無力化した』


「あー、やっぱりあの子がオメガだったんだ……。……ミレイちゃんもそうだったけどさ、この血筋ってトラブルメーカーじゃない? ねぇ?」

「うっさい。色々引っ張って来ちゃっても問題ないの、その為のウロボロスなんだから」

「そうだけどさー」

「……ただ、こうも偶然が重なるのは、もう運命ね。問題は、当事者が誰か解らないってことなんだけど」

「順当に行けば赤城君だけど、クレアが狙われてるし、ボク達は渦中に突っ込むからねー」

「運命の女神様が誰を見てるのか……。……なんか、嫌な予感がするのよね」


 良くも悪くも、ハコとOJは直線的だ。真っ向から向かってくる相手にはとことん強いが、こちらを欺こうとする相手には弱い。一歩、後手に回りやすくなってしまうのだ。

 この二百年、その一歩が致命傷になる状況を多く見てきている。

「気を引き締めないと」

 うん、と頷くOJと共に、ハコは再び箒に跨がり、空へ。


 午後の空は暗く、暗澹とした空気に満ちていた。




 

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