『ロック』と『ナツメ』 4
「結局片付いてないんですけど、どうぞ」
部屋は、1LDKのようだ。ローファーやスニーカー、ブーツなどが何足も並ぶ玄関を上がって、リビングダイニングキッチンへ。その左奥、開け放たれた引き戸の向こうに寝室があり、ダブルベッドが鎮座しているのが見えた。
ダイニングテーブルや椅子の上には、大小様々な鞄や化粧品、洋服が雑多に置かれ、壁には制服がかけられている。一昨日見た栗毛のウィッグと衣装も、纏めてハンガーにかかっていた。
テーブルの奥、テレビと向かい合うように置かれているソファーの上にも洋服があり、こちらはメンズ服が中心だった。ローテーブルの上にはミネラルウォーターと紅茶のペットボトルが並んでいる。
ウロボロスは動かない。つまりここに――ナツメさんに、悪意は無いのだ。
ナツメさんを信じる、と言っても緊張はあったから、小さく安堵の息が漏れた。
「椅子は埋まってますし、ベッドに座ってください。何か飲みますか?」
「大丈夫です」
手を握ったまま寝室に入り、ベッドに腰掛ける。
一人分離れた枕側に、ナツメさんが座った。
「まずは、俺の状況を説明しますね。多分、その方が早いと思うので」
窓ガラスにうっすらと映るナツメさんを見ながら、俺はこの数日の出来事を説明する。
……ウロボロスの話は、省いたが。
「――つまり、ハコ達は俺を助けてくれた恩人で、狂宴の魔女とか、土地の管理者とか、そういう話はよく知らないんです」
「そうだったんですね……。……ごめんなさい。アルファの行動が解っていたら、ロック君が襲われないように仕向けたのに……」
ナツメさんの顔に、辛さと怒りが滲む。
この人もこういう顔をするのだと、そんなことを思った。
「アルファの狙いは、狂宴の魔女――ハコさんが護っている、クレアという女の子です。その子を拉致する為の下準備や、道具の提供を手伝う代わりに、私は私自身の望みを叶えてもらう。そんな条件で契約をし、私達はこの街にやってきたんです。
……私は利己的な魔女で、嘘吐きで、犯罪者なんです。だから、『オメガ』であることだけは、知られたくありませんでした。最後まで、貴方には嫌われたくなかったから。……世界中から嫌われたって、貴方にだけは」
「ナツメさん……」
俯いたまま、ナツメさんがポケットからスマホを取り出した。
「ツイッターでロック君と知り合って、やり取りを始めて、それが日常になって……ロック君の存在は、私にとって必要不可欠な、とても大切なものになりました。嘘ばかり吐いている私の中で、貴方との関係だけは、嘘じゃありません。デートが凄く楽しかったのも、『私をあげたい』と言ったのも本当です。ロック君と一緒にいる時だけ、私は人間になれたから」
「人間に……?」
ナツメさんが頷く。
「私は、無価値ですから」
スマホを枕の上に置いて、ナツメさんが虚空を見上げる。透明な、今にも消えてしまいそうな横顔で――俺は思わず、彼女の手を握り締める。
ナツメさんがそれに驚き、泣きそうな顔で微笑んでから、改めて部屋を見回した。
「いつも、二人部屋を一人で使うんです。大きなベッドで寝ていると、小さな自分を誤魔化せる気がするから」
「ナツメさんは、無価値なんかじゃありません」
「ありがとう、ロック君。……でも、私自身がそれを否定出来ないんです。だから私は、魔女をやってきました。まだ十年程度ですが」
「十年も? じゃあ、ナツメさんって今……」
「十八です。あの人達――両親が魔法使いだったので、物心ついた頃から魔法には触れていましたが、本格的に学び出したのは八歳の頃です。遅い方ですね」
「……」
「……私は、望まれて生まれた子供ではなかったんです。両親の口から出るのは常に罵倒で、名前をちゃんと呼ばれたことすらありませんでした。だから、『自分には生きている価値がなく、一刻も早く死ぬべきなんだ』って思いながら生きてきました。……今もです。私は、今すぐに死ぬべきなんですよ。それが異常だと解っていても、私は、両親から愛されない自分が嫌で嫌で仕方がないんです」
「ナツメさん……」
「前に、副業をしてるって話をしましたけど……私は、魔法を封じ込めた道具、いわゆるマジックアイテムの製作を主な収入源にしているんです。中には違法なものも取り扱っていて、手渡しでの取り引きが必要なケースもあります。その時に身分を誤魔化せるよう、女だと馬鹿にされないように、男装を始めたんです。コスプレはその延長線上で、今まで縁のなかった界隈に潜り込んで、新たな顧客を探す為でした。
……でも、楽しくなかった訳じゃなくて、気付けば趣味の一つになっていたんです」
「じゃあ、俺に声をかけたのは……」
「最初は、学生向けの商品も作ろうかなって、そういう気持ちでした。ロック君を選んだのは、本当に偶然で……。……罰が当たったんでしょうね、きっと」
「……、……」
「ロック君と出逢って、貴方の存在が日常になった頃――私は、アルファと名乗る男と、魂の結晶化という、生きたまま肉体を捨てられる魔法の存在を知りました。それは私にとって天啓で、人生を変えるものだったんです」
儚く、ナツメさんが微笑む。
「私は魂だけの存在になって、ペンダントに加工してもらって、それをロック君にプレゼントしようと思ってたんです」
「――……は?」
何を言っているのか解らない。
「残った体はアルファに売って、お金は両親に残すつもりでした。あの人達は私を愛してはくれませんでしたけど、私を殺しもしなかった訳です。その分のお金は返さなきゃって」
解らない。
解らない。
この人は、一体何を――
「コイツは何を言ってるんだ、って顔してますね」
「いや、だって、それは……」
混乱する俺に対し、ナツメさんは微笑むのだ。
「言ったじゃないですか、私には『自分』がないって。そうでなくても、私は二十歳になる前には死ぬつもりだったんです。楽しいこと、面白いことは多いですけど、私が生きていても意味があるとは思えなかったので。そんな矢先にロック君と出逢って、一年経って、私は貴方に何かを残したいと思うようになりました。
――四日前、初めてオフで逢ったあの日、私は一週間後に死んで、綺麗な結晶になって、ロック君にもらってもらおうって思ってたんです」
「…………」
「別の街で仕事をすることになったとしても、ロック君にだけは、私が女であるって明かして、好きだって伝えたいと思ってました。でも、私は予定よりも早く、ロック君と出逢えて……その次の日に、ロック君は私を受け入れてくれて、私は初めて『幸せ』というものを知りました。それでも、気持ちは変わらなかったんです。ロック君から告白された時でさえ。だから、あの状況で『待って』なんて言えたんです。……だけど、」
ナツメさんが、空いた手で唇に触れる。
「ロック君とキスをして……思ったんです。勿体無いなって」
黒い瞳が、俺を見る。
ようやく、彼女と目が合った気がした。
「私はこの体が嫌いです。大事なのは次へと繋がる魂であって、この体がどうなろうと興味がありませんでした。肉体的接触に、価値を見出していなかったんです。でも、キスをして――ううん、違う――ロック君と手を繋いで、見つめあって、抱き締められて、抱き締めて、そうしてキスをして、私は触れ合うことの凄さを知りました。ロック君の暖かさを、愛情を、感じたんです。
それなのに、キスだけで体を捨てちゃうのは勿体無いなって……魂だけじゃなく、この体もロック君にあげたいなって思ったんです。太陽みたいに私を照らしてくれる貴方に、全部捧げたいなって。えっちなことは未経験ですけど、この体なら、ロック君を気持ちよくしてあげられるはずですから。その為に、もうちょっと生きてみようって考え始めたところで、昨日の襲撃が起きてしまって……。……まさか、あの男がロック君を狙うなんて、思ってもみなくて……」
ナツメさんの手に、力がこもる。声は振るえ、目尻には涙が浮かんでいた。
「……今朝は、アルファに文句を言おうと思ってたんです。だから男装して、外へ出て……」
「…………」
「……ごめん、ごめんなさい。ずっと嘘吐いて、騙してて……。嫌いになりましたよね? 嫌ですよね、気持ち悪いですよね、こんな……私……」
「――そんなことありません。俺は今も、ナツメさんのことが好きです」
「あっ――」
ぐっと手を引いて、彼女を抱き寄せる。途端、決壊したようにナツメさんが泣き出して……子供のように泣きじゃくる彼女が落ち着くまで、俺は彼女の背中を撫で続けた。
愛されたことがないというこの人は、愛し方が解らないのだろう。
本当は、人との距離感も掴めていないのかもしれなかった。
「……俺には、ナツメさんの言っていることが理解出来ません。
でも、俺は貴女に死んで欲しくないし、貴女を無価値だと思わない。俺はこれからもナツメさんと一緒に過ごして、他愛のない話をして、遊んだり、映画を見たり、楽しく生きていきたいんです」
ああそうだ。その気持ちは揺らがない。
「愛されなかったと言うのなら、俺が貴方を愛します。それじゃ、駄目ですか」
「ロック、君……」
「……イオン、です。赤城・イオン。それが俺の名前です」
「いおん……。そっか、貴方も、私と同じなのかもしれないですね」
涙を拭って、ナツメさんが顔を上げた。
「私は、夏目・霞美といいます」
「かすみ、さん」
「はい。いっつも、『カスだ、カスだ』って言われてきました。だから私は、私という存在に価値がないと理解したんです。でも、それに気付けた精神は、気高いものだと思った。……そう思わなければ、やってこられませんでした。それが、魔女になった切っ掛けです」
「俺も、この名前に苦しめられてきました。幼稚園から始まって、小学校の時も、中学の時も、高校の時も、新しい人間関係が始まると常に話題になって、弄られて……。友達は『気にするな』って言ってくれますけど、そいつらだって、俺の名前で笑ってたことがあったんです。そんな中でナツメさんと知り合って、俺は救われたんです」
一緒に遊んで、笑い合える友達はいるけれど、腹を割って話す気にはなれない。一度でも名前をネタにした相手とは、心の中で一線を引いてしまうのだ。
人前では名前を名乗りたくないし、会員証などの作成も極力避けている。二十歳になったら、その日の内に改名すると心に決めているくらいだ。俺にとっては、そのくらい根の深い問題なのである。
なのに……高校に入学して暫くして、どうにかクラスメイトから名前をネタにされなくなった頃、隣のクラスのヤツらに名前を知られ、知らないところでネタにされ続け、廊下で擦れ違う度に笑われるという、思い出したくもない弄られ方――いじめを受けていた時期があったのだ。
名前を弄られるのは、本当に、心の底から嫌で、でも両親には相談出来ず、苦痛を打ち明けられる相手はナツメさんしかいなかった。迷惑かな、と思ったけれど、ナツメさんは親身に話を聞いてくれて、それに凄く救われたのだ。
「名前が切っ掛けで、って聞いた時、すぐにピンと来ました。ロック君の悩みは、他人事じゃなかったですから」
「本当に、嬉しかったです。その上で、『ロック』という人間を認めてもらえて、世界が広がった気がしました」
悩みを打ち明けた時、ナツメさんは『ロック君は、「ロック」として生きていいんだぜ!』と言ってくれた。嫌いな名前に囚われず、自由に好きな自分で生きていいのだと。
家と、学校と、狭い世界しか知らなかった当時の俺にとっては、衝撃的な言葉だった。
『だってそうだろ? 芸能人なんて大半が芸名だぜ? でも、みんなそれを本名だと思ってる。名乗った名前が、その人になるのさ』
嗚呼――そうだ。だから俺は『ロック』になった。ナツメさんに『ロック君』と呼んでもらえることが、嬉しくなった。
それは今も変わらない。本名を呼ばれるより、『ロック君』と呼ばれる方がしっくり来る。心に響く。それくらい、大きく自分を変えることが出来たのだ。
「ナツメさんは、俺の恩人なんです。なのに、自分に価値がないなんて、そんな悲しいことは言わないで欲しい」
「でも……」
「そうでなくても――貴女はもう、俺の恋人なんですから。勝手に、いなくなろうとしないでください」
「っ、あ……」
ごめんなさい、とまた泣き出してしまったナツメさんを、改めて抱き締める。
涙もろいこの姿こそ、本当のナツメさんなのだろう。
暫くしてから、ナツメさんが深く息を吐き、ゆっくりと顔を上げた。そして涙を拭い、ベッドの上に正座する。俺もそれに習った。
ナツメさんが、真っ直ぐに俺を見た。
「改めて、言わせてください。――私も、ロック君のことが好きです。こんな私ですが、一緒に生きてくれますか?」
「はい。何があろうと、俺はナツメさんのそばにいます」
「ありがとう、ロック君……。私、凄く幸せです。だから――だからこそ、私の価値を確かめてください。どうしても否定的に考えてしまう私に、教えてください」
ナツメさんが俺の頬に触れて――唇を重ねあう。
「私の全てを――貴方のものにしてください」
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