『ロック』と『ナツメ』 3
午前十時。
どんよりと曇り、今にも泣き出しそうな空を見上げながら、俺は駅北口のラグビーボール像前に立っていた。
結局、クレアには事情を話せなかった。
だが、こちらの心情を察してくれたか、彼女は俺が喫茶店から出るのを止めなかった。それは優しさであり、同時に厳しさなのだろうと思う。
ハコ達とは、メールで連絡を取った。昨日の今日で、更には今朝の遭遇だ。夕方には迎えに来てもらう約束で、日中は一人で行動させてもらうことにした。
「……」
左手の指輪――ウロボロスに視線を落とす。
今朝、あの場で敵意を向けられていたら、ウロボロスが反応していただろう。
だが、そうはならなかった。俺は襲われた訳ではなかったのだ。
恐怖がなくなった訳ではない。不安が消えた訳でもない。それでも、自分を護ってくれる存在を思い出し、少しは安定を取り戻せていた。
ナツメさんからのメッセージは、『説明させてください』の一言だけ。顔を合わせる必要はないのかもしれないが――直接逢って、真意を確かめたい気持ちが強かった。
画面越しのナツメさんは、簡単に俺を欺いてしまうから。
「…………」
電車が止まったのか、階段を多くの人が降りてくる。それに顔を上げたところで、
「――ロック君!」
人々の中から大きな声が響いて、周囲が驚きを浮かべた。けれど叫んだ人物はなりふり構わず人波を掻き分けてくると、泣きそうな顔で俺の数歩前に立った。
黒いモッズコートにジーンズのまま。帽子とウィッグは外れているが、慌てて取り去ったのか、髪にはところどころにヘアピンが残っている。
何より――目元が真っ赤に腫れ、新たな涙が浮かび始めていた。
「よかった、来てくれて……!」
「ナツメさん……」
「私は、ロック君を傷付けるつもりなんてありません。それだけは信じてもらいたくて、でも、その……」
言葉尻が小さくなって、俯いてしまった。
三歩ほど離れた位置から、ナツメさんは近付いてこない。その距離が果てしなく遠く、悲しい。でもだからって、俺から近付くことも出来なかった。
「……。……ナツメさんは、魔女、なんですか?」
「……そうです。でも、ロック君が狂宴の魔女と知り合いだったとは思いませんでした。こんなことなら、もっと入念に計画を立てたのに……」
「きょうえんのまじょ? 誰のことです?」
「え? だ、だって、あの時……」
心から困惑している様子で、ナツメさんが言葉を続けた。
「昨日、二人で一緒にコンビニに寄った時、逢ったじゃないですか。あの時に知り合いだって……。……え、違うんですか?」
「ハコが魔女なのは知ってますけど、『狂宴の魔女』なんて言葉、今初めて聞きました」
なんなんだ、一体なんなんだこれは。
次から次へと疑問が増えて、訳が解らなくなる。
二人揃って混乱する中、ナツメさんが改めて俺を見た。
「……ロック君は、魔法使い、なんですよね?」
「違います。俺はただの学生です」
「えっ、ち、違うんですか? ま、待って、待ってください。魔法使いでもない人間が、どうして狂宴の魔女と知り合えるんです? あの人はこの土地の管理者ですけど、人前に出てくることは稀だって聞いてたのに……。それにこの前だって、あの銀髪の女の子の魔法を見破ってて……だから私、てっきり……」
俺の前提と、ナツメさんの前提は大きく食い違っているようだ。母のことを話そうかと思ったが、余計に混乱が深まりそうで、止めておいた。
ナツメさんが俺を見て、気まずそうに視線を逸らした。
「どこか……ゆっくり話せるところに移動しませんか?」
「……その前に、一つだけ。――ナツメさんが、『オメガ』なんですか?」
「ッ、」
その単語が出てくるとは思わなかったのか、ナツメさんが動揺と共にふらりと倒れそうになり、踏み止まって、視線を下げ……それでも、俺を見る。
一つ呼吸をして、震える唇を開いた。
「……そうです。私がオメガです」
「……」
「私は、私の目的の為にアルファに協力を求めました。でも、事を起こすのは一週間後で、それまでは何もしないって契約だったんです。なのに、ロック君が巻き込まれて……」
「…………」
「……昨晩のことは、アルファから聞きました。その上で、ロック君を狙わないように頼みましたが、効果があるかは解りません。だから、今まで以上に、夜は出歩かないで欲しいです」
「……、……」
「……ごめんなさい、ロック君。貴方は私を信じてくれていたのに、私は、嘘吐きだから」
ふらっと、踵を返そうとするナツメさんの手を反射的に掴んで、でも何も言えなくて――お互いに俯いたまま、目も合わせられなかった。
「……移動、しましょうか」
「……はい」
ナツメさんを促して、ゆっくりと歩き出す。
当てもなく駅前を抜けて、人通りのある通りを進む。
彼女と手を繋いで歩いている――やっていることは昨日までと何も変わらないのに、世界が灰色に沈み込み、色彩が失われて見えた。
そのままショッピングモールの外周を抜け、線路を渡った辺りで、俺はナツメさんに問い掛けた。
「……アルファは、どこに?」
「解りません……。朝の時は、話もせずにロック君を追いましたし……今は、連絡がつかなくて」
「……親しいんですか?」
「いえ、ただの仕事相手です。元々は、私が作っている道具の利用者の一人で……でも色々あって、今回は協力するってことになって……」
話している内に、ナツメさんの借りているマンションの近くまでやってきていた。
少しずつナツメさんの足取りが重くなり、声も小さくなっていく。
「どう、しましょうか。近くのお店を探すとか……」
「俺は、ナツメさんの部屋でも構いません」
指輪を見ると、応えるように小さな瞼が開き、真紅の瞳が俺を見た。
もう何度も逃げたのだ。いい加減立ち向かって、真実を知りたい。
「ロック君……」
「行きましょう、ナツメさん」
はい、と頷く彼女と共に歩を進め、見えてきたマンションへと入っていく。
自動ドアを抜けた先にある入力装置に、ナツメさんが暗証番号を打ち込んで――エントランスからエレベーターに乗って六階へ。
一番奥の角が、彼女の借りている部屋だった。
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