四日目
『ロック』と『ナツメ』 1
気付くと、朝になっていた。
自分の部屋だ。軽く混乱しながら一階に降りると、母がゴミ出しの準備をしていて、何があったのかを教えてくれた。
昨日の衝撃的な説明の後、俺は疲労に耐え切れず、眠ってしまったらしい。一日遊んだ上で、全力で逃げ回り、傷の回復にカロリーを大量消費した後だったから、余計だったのだろう。
その後、ハコから連絡を受けた母が車で迎えにきてくれて、魔法で俺を部屋まで運んだのだという。
「お父さんを誤魔化すの、大変だったんだから」
心配げに言う母に、俺は「ごめん」としか言えなかった。
そうして部屋に戻り――時計を見ると、朝の八時。
少し、散歩に出ることにした。
■
今日は平日。学生は春休みでも、社会人は働いていて、街は動いている。早足で進むスーツ姿の男性達や、人を多く乗せたバスなどを横目に、俺は歩いていく。
無性に、ナツメさんに逢いたかった。
「……」
部屋に戻って、落ち着いて、ようやく頭の中で繋がったのだ。
アルファという、白いガラケーを持っている男。
キマイラや幽霊蜘蛛に襲われる前に聞いた、パチン、と何かを閉じる音。
それに似た音を、ガラケーが閉じる音だと教えてくれた――ナツメさん。
ハコ曰く、ナツメさんは魔女であり……彼女には、ガラケー使いの知り合いがいる。
その知り合いがアルファだとは限らない。けれど、どうしても気になってしまう。
異変は、数日前から始まっている。
ナツメさんが、本当は何日前から春咲に来ているのか、俺はその詳しい日にちを知らない。
ツイートなど、いくらでも嘘が吐ける。実際には何日も前から――
「――ッ」
首を振って、嫌な考えを頭から放り出す。
俺はナツメさんを疑いたい訳じゃない。信じたいのだ。彼女の深い愛情を身を持って知ったからこそ、犯罪者と繋がっているのかもしれない、という最悪の想像を否定したい。ただそれだけだった。
スマホを取り出し、時間を確認する。今日の約束の時間は十時で、今は八時三十五分。待ち合わせは昨日と同じ、駅南口のコンビニ前だ。
殆ど無意識に、ナツメさんが借りているマンション前までやってきてしまったが、一度家に戻るべきだろう。その前に、自転車を回収していかないと……と思いつつも、去りがたい。
何階に泊まっているのかまでは聞いていないから、視線が定まらず、心も虚ろだ。
「……。……帰ろう」
一度家に帰って、冷静になろう。ただただ気持ちが先行していて、どう話を切り出すべきか、まだ何も纏まっていないのだ。頭の中を整理しないと、ナツメさんを傷付けてしまうだけになる。だから、俺はゆっくりと歩き出し――それでも、路地を曲がる際に振り返る。
マンションの出入り口から、慌てた様子で出てくる人影があった。
黒いモッズコートにジーンズ、茶のキャスケット帽子を被った青年、だろうか。スマホで誰かと会話しながら出てきて、その視線が一瞬こちらを見て、目が合って、
「――え、」
「な、何で……」
ナツメさん、だった。
驚きから絶望に変わっていく彼女は、男装をしていた。コスプレをしている時よりメイクが薄いから、中世的なイケメンに見える。ある意味で、見慣れたナツメさんだった。
だが、どうして今、男装をしているのだろう。その疑問が頭に浮かぶのと同時に、ナツメさんが慌てた様子でスマホを耳に当て直し――深く息を吐いてから続いた言葉は、男声だった。
「――すみません、部屋を出たと言ったばかりですが、予定が変わりました。今日は顔を出せなく――え、なっ、嘘でしょう?! どうして――いや待ってください! 待て!」
明らかに狼狽している様子で声を上げ、俺から逃げるように背を向ける。けれどすぐに顔を上げると、慌てて周囲を確認し始めた。
……嫌な予感が、鎌首をもたげる。
それを直視したくなくて、逃げ出したくて、でも動くことが出来ない中、背後から男の話し声が響いてきた。
「――酷いなぁ。呼び出したのはそっちじゃないか。俺、頑張って早起きしたんだよ? 話があるなら聞くってば。昨日は連絡つかなかったしねぇ」
声は俺を追い抜き、陽気な足取りでマンションへ――ナツメさんの元へと歩いていく。
アッシュゴールドでボリュームのある髪。
ビジュアル系バンドでベースでも弾いていそうな、ゴス系の装い。
背が高く、やけに手足が細くて長い。
その右耳に押し付けられているのは、
二つ折りの、携帯電話。
笑みのある声が続く。
「という訳で、定時報告をはじめよっか」
パチン、と男がガラケーを閉じた瞬間、俺はその場から全力で逃げ出していた。
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