Night Encounter 3
タクシーに乗って喫茶アクアリアまで向かうと、クレアが不安そうな様子で待っていた。
彼女にも支えられつつ二階に上がり、ソファーに腰掛けた途端、小さく、けれど確かに腹が鳴って、思わず顔が熱くなる。
それにOJが小さく微笑んで、俺の頭を軽く撫でた。
「ちょっと待っててね、下で食べ物をもらってくるから」
OJが急いで階段を下りていく。……二百年以上生きているという彼からしたら、俺なんて小さな子供と変わらないのかもしれないが、まさか頭を撫でられるとは思わなかった。
それに驚きつつOJを見送ったところで、斜向かいに腰掛けたクレアが、心配げに口を開いた。
「大丈夫ですか、赤城さん。一体何が……、それに先ほどの光は……」
「そっか、説明がまだだったっけ。えっと……」
帰り道に襲われ、ハコ達に助けられ、OJに支えられて喫茶店にやって来た――という、事の顛末を説明する。やはりアルファの印象はボケているが、それでもヤツの言葉は覚えていた。
「お姫様を頂きにきた、とか言ってたけど、何のことなんだか……」
「……、……」
クレアが押し黙る。何か思うところがあるのか、その表情は硬くなっていた。
こうして二人きりで話すのは初めてだから、若干緊張する。沈黙が重たくて、俺は話題を探し……
躊躇いつつも、クレアに問い掛けた。
「えっと……シン、だっけ。お兄さんは、今もクレアの中に?」
「……はい。ハコ様は二重人格と紹介してくださいましたが、私が主人格、シンが副人格という訳ではありません。私とシンは明確な別人なのです。二人で一つの体を共有している感じですね」
「それは、どうして?」
「解りません……。その謎が、この街にあるのかもしれないのです。手掛かりは、まだ何もないのですが」
クレアが苦笑気味に微笑む。彼女も複雑な事情を抱えているようだ。
と、そこで部屋の扉が開き、OJが戻ってきた。
「テイクアウト用のサンドウィッチ、もらってきたよ。あとココア。お腹暖まるからね」
「ありがとう、OJ。お金は……」
「気にしなくて大丈夫! これはボク達、土地の管理者の失態だからね。気にせず食べて」
店の名前の入った、大き目のカップを受け取る。痛みは綺麗に消えているが、掌全体に擦り傷があったからか、新しい皮膚が若干突っ張る感じがあった。
湯気立つココアを一口飲むと、暖かさが胃から全身に広がる感じがした。それにほっと一息吐く俺とは裏腹に、クレアの表情は硬いままだった。
「……あの、OJ様。赤城さんから説明を受けたのですが、アルファとオメガの目的は、やはり……」
「確定だね……。ハコのことかな、とも思ったんだけど、あの感じじゃ違ってる。ボク達を知らないような素振りもしてたけど、アレは確実にブラフだ。じゃなかったら、ハコの星を避けられる訳がない」
「私はどうしたら……」
「心配しないで。ハコとボクが対処するからさ」
OJがクレアの頭を撫でる。今は青年の姿だから、兄妹の触れ合いのように見えた。
と思ったのも束の間、クレアの表情が別人のそれになる。
シンだ。彼はOJの手を払い除けると、俺を横目で睨んでから、改めてOJを見上げた。
「――本当に、大丈夫なんだろうな?」
「信用出来ない?」
「していない訳じゃない。だが貴様達も、俺も、完璧じゃない。ソイツが死んでいた可能性だってあっただろう」
「解ってる。その為に――」
「――その為に私達は、街の見回りと監視を強化してる。これ以上、犯罪者の好きにはさせないわ」
扉を開けて入ってきたハコが、OJの言葉を引き継ぐ。
対するシンが、見定めるようにハコを見つめ――
「――決意の言葉など、どうでもいい。結果を出せ」
淡々と言い放って、シンが視線を外し――瞬きと共に、クレアの表情に戻っていく。と同時に、クレアが二人に頭を下げた。
「す、すみません、シンが生意気なことを……!」
「気にしないで。当然の反応だし」
クレアの頭を、ハコが撫で……改めるように一つ息を吐いてから、俺へと向き直った。
「――さて、赤城君。食べながらでいいんだけど、一つだけ確認させて」
脱いだ帽子をOJに手渡し、ハコが俺の手元を見た。
「さっき襲われた時、ウロボロスは発動した?」
「した……、と思う。襲われた時に、バリアみたいな光の壁が、俺を護ってくれたんだ」
「光の壁、ね……。……失言したばっかりだから、あんまり言いたくないんだけど――それ、ウロボロスじゃないわ」
「そ、そうだったのか? じゃあ、アレは……」
「昼間デートしてた子の魔法だと思う。かなり強力な防御魔法。それがウロボロスよりも前に発動して、赤城君を護ったのよ」
「ナツメさんが……」
「持続力はそこそこだけど、防御力が高くて、何より即時に発動するタイプね。ウロボロスは物理攻撃には凄く強いんだけど、幽霊みたいな精神体の攻撃には反応が遅れやすいの」
「精神体? さっきの幽霊も、キマイラと一緒じゃないのか?」
「あの魔物は、蜘蛛の人形を核にした、幽霊の寄せ集めなのよ。肉体があるように見えるけど、質量はないから、無機物は壊せない。でも幽霊は魔力の塊だから、あの蜘蛛に攻撃されると、生物は体内の魔力が反応してダメージを受ける。つまり――首を絞められれば、首が絞まる」
「…………」
ぞっとする。さっと血の気が引くのを感じた。
「ウロボロスがあるから致命傷は負わないけど、怪我をしていた可能性はあった。何より、魔女や魔法使いなら、誰もが魔物の脅威を知ってる。そうした危険から赤城君を護る為に、彼女は魔法をかけてくれていて……その発動と、私の魔法を見て、すぐに電話をしてきたんでしょうね。赤城君のこと、凄く大事なんだと思う」
「でも、いつの間に……」
「手を繋ぐくらい仲がいいなら、いつだって魔法をかけられるわ。そこに悪意があればウロボロスが反応するけど、そうじゃなかった。それだけ見ても、彼女の想いが解るってものね」
……ぎゅっと手を握り締める。まさしく、転ばぬ先の杖だ。
もし俺が魔法使いで、ナツメさんを悪意から護れる魔法を扱えたなら、同じようにこっそり彼女に使っていただろう。
きっとそれを、愛と呼ぶのだ。
「ただ、蜘蛛を倒してくれたのはハコ達なんだ。――ありがとう、ハコ。助けてくれて」
「気にしないで。それが私達の仕事なんだから」
失言について思うところはあるし、ハコもそれを気にしているようだが、命を救われたのは事実なのだ。その感謝は間違いなく本物だった。
少しずつ、魔法を学びたい気持ちが芽生えているのを感じつつ、ミックスサンドに手を伸ばす。と、ハコからコートを受け取ったOJが、何かに気付いた様子でスマホを取り出した。
「そうだ、さっきの星落としの詳細と、アルファ達についての注意喚起しなくちゃ」
「私がやっとくわ。スマホ貸して」
OJからスマホを受け取って、ハコが俺の斜向かいに座る。……聞いていいものか迷ったが、一応問い掛けてみることにした。
「なぁ、ハコ。アルファが言ってた『お姫様』って、一体何のことなんだ?」
「気にしないで――って言いたいところだけど、ここまで巻き込んじゃったし、赤城君には説明しとくべきよね……」
「そうだね……」とOJが頷いて、ハコの隣に腰掛ける。
ハコが受け取ったばかりのスマホをOJに手渡し、改めて俺を見た。
「順を追って話しましょう。五年くらい前から、魔女界隈――主に海外で問題になってる犯罪者がいるの。ソイツの名前が、アルファ。魂を結晶化させる、とても高度で、危険な魔法を扱える人物よ」
「魂、って」
「アストラル体とか、エーテル体って呼ばれてるモノね。物質的な肉体と重なって存在する、精神的な肉体。本来なら決して引き剥がせないそれを、無理矢理に乖離させる――それが魂の結晶化なのよ。例えるなら、外部から強制的に、植物状態に突き落とすような感じ」
「そ、そんなことが……」
「ターゲットを拉致、拘束。魂を取り出して結晶化、残った肉体は他人に売買する――そういう人身売買の手口で、何人もの人を襲ってるの。そして、魂には、人間の出生から結晶化までの記憶が詰まってるから、それを本のように集めているコレクターも存在してね。そっちも問題になっているの」
「コ、コレクターって、いや、だって、」
「違法なんてもんじゃないわ。ただの人殺しだもの。だから警察が動いてるし、各地の管理者も行動してる。アルファ以前にも、魂の結晶化を使った犯罪は何度か起きてて、定期的にコレクターは捕まってるんだけど、まだ完全に駆逐出来た訳じゃないのよ」
「…………」
思ってもみなかった話に、言葉を失う。
そこで、作業を終えた様子のOJがスマホを置き、俺を見た。
「ここで赤城君に問題。肉体を買った人達は、何をするでしょう?」
「な、何って、そりゃあ……そういう欲求の捌け口にするんじゃないのか?」
「一応正解。赤城君は正常だね」
「せ、正常って……」
「この世には異常者が多いんだ。性欲だけじゃなくて、食欲の対象にしたり、人形のように並べてコレクションしたり、バラバラにしてオブジェにしたり、フランケンシュタインの怪物を作ってみたり……とね。酷いものなんだ」
「なっ、」
意識が遠退きかける。意味が解らない!
「無理に理解しようとしなくていいわ。グロテスクなホラー映画のワンシーン、くらいに考えておいて。そのくらい、人間の欲望には果てがないの」
「やんなっちゃうよね、本当……」
嫌だ嫌だ、と言いつつ、二人の目には強い怒りがある。
人の欲望に果てがなかろうと、決して諦めている訳ではない、という強い意志を、はっきりと感じた。
「最初にアルファからリプライがきた時、『お姫様』っていうのは私のことかと思ったの」
「ハコは特殊な生い立ちをしててね、その体には豊富な魔力が宿ってるんだ。単純にそれを奪いたいと思う者、容姿の変わらない肉体を求める者、欲情する者……他にも多くの欲望を見てきた。だから今回もか――って思ったら、違ってたんだ」
ハコ達の視線が、対面のクレアへと注がれる。彼女は複雑そうな顔で頷いた。
「アルファが狙ってる『お姫様』は、クレアのことよ。彼女は特別なの。……説明しても大丈夫?」
「……はい、赤城さんになら。シンは不服そうですが」
クレアが苦笑する。先ほどの態度といい、シンにとってはクレアが何よりも優先されるのだろう。
「ありがとう、シン。――じゃあ話すけど、これは他言無用だからね」
「解った」
混乱する頭を抑えて、頷き返す。そんな俺の目をじっと見てから、ハコとOJが説明をくれた。
「生者が持てる魂は、一つだけ。例え結晶化した魂でも、一つの体に二つは同居出来ないの。でも、クレアは違っていてね。クレアは複数の魂を許容出来る、特殊な体の持ち主なのよ」
「アルファ達の狙いはそれだろうね。クレアの肉体があれば、結晶化させた魂の劣化を防ぐだけじゃなく、国外への運搬も容易になる」
「『お姫様』だなんて、よく言えたものだわ」
忌々しげにハコが言う。OJの目にも、明確な怒りが浮かんでいた。
だが、まだ解らないことがある。
「なら、シンは一体何者なんだ?」
「残念ながら、それが解らないの。ハッキリしてるのは、思考する言語が日本語で、この春咲市の土地勘が僅かにあるってことだけ。恐らく、死後何らかの形で転生出来ず、クレアの中に入り込んでしまい、本来ならば失われるはずの自我を保ち続けている。そういう意味では、シンも特別なのよ。そして彼は、クレアを深く愛している」
「――ハコ、一つ抜けている。俺はその男が嫌いだ」
突然の言葉に驚いて視線を向けると、シンから睨まれていた。
「それよ。どうして赤城君を嫌うの?」
「人は本能的に蛇を嫌うという。それと同じだろう。生理的に受け付けない」
「……奇遇だな。俺もだ」
ハコとOJが驚いているが、しかし嘘ではない。クレアの時は何も感じないのに、シンと相対していると、えもいわれぬ気分の悪さを覚えるのだ。
胸の奥がざわつく。言葉に出来ない『何か』を、強く感じた。
だが、だからこそ解るのだ。シンの言葉に嘘はないと。
「シンがクレアを大事にしてるのは解った。クレアの秘密も。だったら、どうしてそれが外部の、アルファなんて犯罪者にバレてるんだ?」
「恐らく、クレアの叔父が情報を売ったんだろう。アイツは昔からクレアを忌避していたし、最近になって、急に羽振りがよくなったという話を聞いた」
シンが嫌そうな顔で言うと、ハコ達が納得した様子で頷いた。
「あー、あの男ね……」
「色々終わったら、とっちめに行かないとだね……。でもまずは、アルファ達だ」
そうね、とハコが頷く。
「これ以上、私達の街で好き勝手させない」
力強い決意の言葉だ。『ハコ達に任せておけば大丈夫』という母の言葉が思い出される。
だが、俺の胸には、言いようのない不安がとぐろを巻き始めていた。
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