三日目
告白 1
「……ロック君、昨日より疲れた顔してません?」
翌日。
黒髪JKスタイルでやってきたナツメさんに、第一声から心配されてしまって、俺は苦く笑うしかなかった。
待ち合わせ場所は昨日と同じ、駅の南口にあるコンビニ前――なのに、昨日とはまるで世界が違って見える。
転ばぬ先の杖を得る前に、伝家の宝刀について知ることになったのだ。『知れば知るだけ、生き辛くなる』というハコの言葉が、別の意味で響いてきていた。
「昨日、親と色々ありまして。ケンカした、とかじゃないんですけど」
「あー、それはそれは……」
思うところがあるのか、ナツメさんが深く頷き、俺の前に立った。
「じゃあ、元気を充電です。ぎゅー」
「ちょっ?!」
ぎゅっと抱き締められて、動揺する。対するナツメさんが、俺を見上げて楽しそうに笑った。
「今更言いますけど、恥ずかしがるロック君が可愛いんですよねー」
「確信犯!」
悪いことと思っていないから、誤用ではないヤツだ。そう言われると、この二日間の行動にも納得がいく。
「――二人きりなら、もっと凄いこともしちゃいますよ?」
「ッ?!」
「えへへー」
ドヤ顔なら未だしも、照れのある顔で言うものだから、余計に動揺してしまう。そんな俺の胸元に、ナツメさんが顔を埋めた。
心臓の鼓動を確かめるように耳を当てられて、高鳴りを知られてしまうのが恥ずかしい。顔の熱が増し、頭が動かなくなるが、それでも俺はナツメさんを抱き返した。
恥ずかしさは消せないのだ。だったら、羞恥から逃げるより、心のままに求めた方がいい。
本当に、元気が充電される心地だ。……掃き掃除をしているコンビニ店員からの冷ややかな視線を感じるが、気にしないことにした。
「…………」
昨日の帰り道、母とした会話を思い出す。
OJから言われた『夜は出歩かないで欲しい』という言葉。それはナツメさんからも言われたものだったから、少し気になったのだ。
『――なぁ、母さん。魔女や魔法使いってのは、誰でもなれるものなのか?』
『誰でもって訳じゃないわ。素質に左右されるところが大きいし、師匠に恵まれないと才能も伸びにくいから。何万人に一人……今だと何十万、かしらね。才能があっても無自覚だったり、ウチみたいに親が教えてなかったりする場合もあるから、「霊感があるだけ」「人より少し察しがいいだけ」、と思ってるだけの子は多いでしょうね』
『ああ、そういうケースもあるのか』
『何か気になることでもあるの?』
『いや、別に……』
その場は誤魔化したが、『夜の外出は控えて欲しい』と言った時のナツメさんは、真剣な表情をしていた。その理由が気になるし――何より、アルファという犯罪者の話を聞いてしまって、不安を覚えたというのもある。
母曰く、ハコ達に任せておけば大丈夫、とのことだが……ナツメさんにも、暗い夜道を歩いて欲しくなかった。
一秒でも長く一緒にいたい、という気持ちも強いから、ジレンマも大きいが、安全が一番だ。今日はしっかり時間を確認しよう。
……でも今は、彼女の暖かさだけを感じたい。僅かに抱く力を強めると、ナツメさんからもぎゅっと抱き返されて、なんだか叫び出したくなるくらい、胸が熱くなる。
暫くして、ナツメさんが俺を見上げた。
「元気、出ました?」
「出ました。ありがとうございます」
「よかった。でも、無理は駄目ですよ? 疲れてるなら、今日は……」
「大丈夫です。ナツメさんと一緒にいる方が、安らぎますから」
「じゃあ、もうちょっと、ぎゅーって」
微笑みに抱き締められて、顔が更に熱くなってしまったのだった。
■
ひとしきりナツメさんから元気をもらった後、俺は彼女に手を引かれて歩き出した。
「今日は静かなところを回りましょうか。ネットで調べたんですけど、土手の桜が有名なんですよね?」
「ですね。でも、まだ咲くには早いですよ?」
「桜の蕾を探すのも、楽しいものですよ」
優しく微笑むナツメさんに見蕩れつつ、駅の南口を抜けていく。桜の木が多く植わっている土手は、歩いて五分ほどの距離にあった。
北口側と比べて、南口側は住宅が多い。桜祭りが開かれている時期や、花火大会の夜は嫌になるほど混雑しているが、それ以外は静かなものだった。
「今日は生憎の曇り空ですけど、散歩には悪くないですね」
ナツメさんが笑う。
確かに空は白いが、雨雲という感じではない。若干の肌寒さも、こうして手を繋いでいると気にならなかった。
そうしてゆっくりと歩を進め、左手に市立図書館が見えてきたところで、駐輪場の辺りから黒猫が一匹顔を出した。
猫は歩道の途中で立ち止まり、俺達の方をじっと見つめてくる。
「猫だー!」
わー、とナツメさんが中腰になりつつ黒猫に近付いていく。だが、警戒心が強いのか、猫は近付いただけ遠ざかり、こちらが足を止めると止まってみせる。
近付く、逃げる。
近付く、逃げる。
「むぅ、撫でさせてくれませんねー」
「でも、いい猫ですね。首輪してるし、飼い猫かな」
「首輪? あ、本当だ。黒猫に黒い首輪なのは珍しい……のかな?」
「どうでしょうね。目立たないのは確かですけど――って、あ、」
にゃー、と一つ鳴いて、黒猫が去っていく。
その姿に若干の既視感があるのだが、一体なんだろう? 内心首を傾げる間に、猫は道路を横断し、公園へと入っていった。
「可愛かったですねぇ……。――あ、そういえば、ロック君ネコミミ好きでしたよね?」
「へっ? いや、まぁ、その、」
「フフフ、見たい? 見たい?」
ナツメさんが、空いた手を頭の上に持ってきて、ぴょこぴょこ指を折り曲げる。そのキュートな姿に、俺は頷いていた。
「……見たいです」
「素直でよろしい。後で見せてあげますね」
ぴょいっと立ち上がって、嬉しそうにナツメさんが微笑む。持ってきてるんだ、という疑問が吹き飛ぶ可愛さだった。
■
その後、のんびりと土手沿いを歩き、春の足音を探したり、土手に上って景色を眺めたりした後、俺達は公園のベンチに腰掛けた。
広々とした公園で、遊具だけでなく、図書館側にはソフトボール場があり、敷地内にSLも展示されている。ただ、お昼前ということもあってか、人気は殆どなかった。
「静かですねぇ」
「ですねぇ」
ナツメさんの呟きに、頷き返す。肩がくっ付いている距離だ。繋いだままの手をナツメさんが持ち上げて、自分の脚の上に持っていくものだから、余計にドキドキしてしまう。
ナツメさんが微笑む。
――だが、そこには若干の影があった。
「こうして一緒にいると、よく解ります。ロック君は、ネットとリアルの差がないですよね。羨ましいな」
「羨ましい?」
うん、とナツメさんが頷いて、遠くを見つめた。
「……私には、『自分』がないんですよ。気分次第で外見を変えて、時には口調も変えて――コロコロと、ペルソナを変えてしまう。定まらない」
「それは……女性は化粧で変身出来る的な……」
「かもしれません。でも、『今日は男装しよう』と思ったとしても、『今日からは男として振舞おう』とは思いませんよね。でも、私にはそれが出来てしまう。特別な決意もなく、服を着替えるように。こうしている今だって、『ロック君好み』でしかありません」
でも、とナツメさんが俺を見て微笑んだ。
「でも、私は今日、望んでこの『服』を着ました。だから、驚いてるんです。本体のない私が、偽っていない『私』の本心を、素直にロック君に話せてる。貴方と触れ合い、言葉を交わすことで、『私』が形作られていくんです。ずっと知らなかっただけで、『私』は、こういう姿をしていたのかもしれません。……こんな幸福、想像したこともありませんでした。
だから私――ロック君のものになりたいです」
「も、ものって、」
「裏表のない貴方が私を固定してくれるなら、私は『私』を得られるかも――なんて、そんな身勝手な話です」
恥ずかしそうに――けれどどこか寂しさのある表情で、ナツメさんが微笑む。
昨日もそうだった。肝心なところで、俺はこの人が解らなくなる。彼女のことを何も知らないのだと気付かされる。
このまま流してしまっても、きっと問題なく俺達の関係は続いていくのだろう。だが、それは嫌だった。折々で、陰のある微笑みを浮かべるナツメさんが想像出来るから。
だから、俺は――
「――身勝手じゃないです」
「え……?」
「俺、ナツメさんのことが好きです」
真っ直ぐに、告げる。それに驚き、赤くなっていくナツメさんの手をぎゅっと握りながら、俺は言葉を続けた。
「その格好が俺好みだからとか、そういうの抜きに―― 一緒に遊んで、話をして、貴女が俺の知る『ナツメさん』なんだって解って、どんどん好きになっていったんです。だって、男だと思ってた頃から、ナツメさんのことはずっと好きで、尊敬してたんですから。色んな、恥ずかしいような話もしたのは、ナツメさんに俺を知って欲しくて、ナツメさんのことを知りたかったからです。今だって、俺は貴女のことを知りたいと思ってる」
「ロック君……」
潤んだ瞳に見つめられて、少しずつ必死さよりも恥ずかしさが上回り始め、頬に熱を感じた。それでも、目は逸らさない。
そんな俺の手を、ナツメさんが胸に抱き――
「私も、貴方のことが好きです。大好きです」
「――ッ!」
衝動的に立ち上がる。
手を繋いだり、抱き締められたり、そうしたドキドキとはまた違う高鳴りで胸がいっぱいになり、涙が出そうになった。
だが、ナツメさんが申し訳なさそうに微笑み、僅かに視線を下げた。
「……でも、もうちょっとだけ、待っててくれますか? 四日後までに、済ませておきたい用事があって」
「四日……?」
「最初に言ったじゃないですか、一週間経ったら――って」
ナツメさんが立ち上がり、俺にそっと抱き付いてくる。その細い体を抱き返しながらも、高鳴りは続いていて、どうしても腕に力がこもった。
ナツメさんの気持ちを尊重したい。でも、触れ合えば触れ合うほど、もっと彼女が欲しくなるのだ。
何より――俺はまだ、ナツメさんのことが何一つ解っていない。一歩踏み込みたくて告白したのに、これじゃあ何も変わらないじゃないか。
人は誰もが秘密を持つ。大切な人に対してさえ、明かせない『何か』があるものだ。それは解っている。だが――だったらどうして、ナツメさんは泣きそうになっているんだ。
ここで引くのは、優しさではなく、逃げだと思った。だから――
――ぐっと彼女の腰を抱き寄せ、顔を覗き込む。
途端、ナツメさんが動揺し、顔を赤く染めた。
「ッ、あ、ロック君……? 何を……」
「すみません、ナツメさん。俺は、待ちたくない。――貴女が欲しい」
今までで一番近い――吐息の交わる距離で、ナツメさんを見つめる。すると、対する彼女が俺を見上げ、けれどすぐに視線を逸らしてしまった。ならば、と腰を支える手に力を込めると、
「あっ、」
桜色の唇から甘い吐息が漏れ、ナツメさんの頬が更に赤くなった。
抗議するように黒い瞳が俺を見て、揺らいで、伏せられ……その細い指が、俺の服をぎゅっと掴んだ。
「……こ、降参です。私の負けです。……だ、だから、そんなに見ないで……」
「嫌です」
「な、なんで……」
「恥ずかしがるナツメさんが、可愛いので」
「ううぅ……」
朝の意趣返しもあるが、実際に可愛いのだから仕方がない。
告白する前よりも、彼女を求める気持ちが強くなっていた。
「……」
「…………」
見つめて、見つめられて――……口付けを交わす。
ナツメさんが肩を震わせ、ぎゅっと抱き付いてきて――俺もまた、彼女を強く抱き締める。
呼吸すら忘れていたと気付くのに、暫くかかった。
「……嗚呼、私……」
上気した顔のナツメさんが、とろんとした目で俺を見上げてくる。
「……もっと」
返事は言葉ではなく、好意で伝えた。
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