喫茶『アクアリア』にて 3

 

「どうぞ。熱いので気を付けてください。えっと……」

「赤城です。えーっと、息子です」

「そうでしたか。改めまして、私はクレア・フォールブレイスと申します。先ほど失礼をしたのは、シン。私の兄です」

「兄……」

「過保護なんです」


 クレアが苦笑して、母の前にもコーヒーの入ったカップを置く。

 ハコとOJの分は、ハコ自身が淹れていた。コーヒーカップではなくマグカップで、白地に黒猫の絵が描かれたペアマグだった。


 俺の斜向かいに腰掛けたクレアは、物腰が柔らかく、大人しそうな子で、俺を睨んできたのが嘘のようだった。それくらい、クレアとシンは乖離しているのだ。

 別人格というレベルではなく、まるきり別人だ。

 ハコ達と一緒に暮らしているようだし、クレアも一筋縄ではいかない相手なのだろう。


 ハコに促されて、コーヒーを飲む。ちょっと薄めで、けれど俺には飲みやすい味だ。

 一階にある喫茶店のBGMが、僅かに響いてきていた。


「そうそうイオン、ウチはね、クレアちゃんの家と遠い親戚なのよ」

「――は? 親戚?」

「ウチは女系で、海外から越してきたって話は……あれ、もしかして言ってなかった?」

「初耳だよ……」

 そういう話はちゃんとしておいてほしい……。

「ごめんねー」

 と気楽に謝ってから、母が説明を続けた。


「ウチのご先祖様は、フォールブレイス家の出でね。明治初頭に日本へ帰化して『赤城』を名乗るようになったの。赤城山の蛇神にあやかってね」

「蛇神……ウロボロスがいるからか」

「そういうこと。まぁ、赤城山の神様はムカデって説もあるんだけど」

「ム、ムカデ? 別物過ぎるだろ」

「赤城山の神様は、戦場ヶ原で日光の男体山と戦うんだけど、地域によって勝敗が分かれるの。赤城山が勝ったって地方もあれば、男体山が勝ったって地方もある。どちらにせよ共通してるのは、蛇神が一度負けて、赤城山を真っ赤に染めながらも、老神温泉で傷を癒し――その後、大ムカデを打ち倒た、ということ。その不屈の精神にもあやかってるのよ。いい名前でしょ?」

「……まぁ、面白い由来だとは思う」


『イオン』という名前は嫌いだが、『赤城』という苗字は嫌いじゃない。それをもじって『ロック』の名を思い付いたくらいだ。

 思い返してみると、蛇の出てくる昔話や、軒下に蛇のいる家は栄える、なんて話を、子供の頃に婆ちゃんから聞いたことがあった。実際には軒下どころの話ではないのだが、婆ちゃんも婆ちゃんで、俺がウロボロスを引き継ぐと解っていて話をしてくれたのだろう。 


 ふとクレアを見ると、母の話をじっと聞き入っていて、俺の視線に気付いて曖昧に笑う。

 何か言いたげだったが、結局言葉にはならなかったようだった。


 コーヒーをもう一口飲み……カップの中で揺れる漆黒を見て、俺は聞こうと思っていたことをまだ一つも聞いていない、と気付き、ハコ達へと顔を向けた。

 正直、声を出すのも億劫になるくらい頭が動いていないのだが、それでも聞いておかなければ。


「なぁ、ハコ。昨日はどうしてきらきら星を歌ってたんだ?」

「あの歌が好きだからよ。さっき話した淀みっていうのは、ああいう人気のない、暗い場所に出来やすくて、人の負の感情に引っ張られて形を持つの。だから、明るく歌って浄化するのが一番効果的なのよ。時間はかかるけどね。そこへ赤城君が迷い込んだってわけ」

「そうだったのか……。けど、昨日は怪しいと思って近付いたんじゃないんだ。魔法の光なのか、きらきら光が舞ってるのが見えたからでさ」

「――何ですって?」

「んんん? 嫌な気配がしたんじゃなくて?」


 ハコとOJが表情を変える。途端に大人びた印象になる二人に驚きながらも、俺は事情を話した。


「綺麗だなって思ったら、二人の歌が聞こえたんだ。俺だって、嫌な感じがしてたら近付いてないさ」

 対するハコとOJが、険しい表情になって顔を見合わせた。どうやら、予想外の言葉だったらしい。

「……OJ」

「だからボクに聞かれても困るよ。結界張ったのハコでしょ」

「じゃあ何で漏れてんの。光だけじゃなく、私達の声まで」

「解んないってば。ハコがミスしたんじゃなければ、何か別の……、――あれ? そういえば、あそこの淀みって前に浄化したのいつだっけ? 三年前?」

「そのくらい……かな」

「早くない? だって駅前だよ? 商店街の店が一通り新しくなって、人通りも増えてるし」

「そういえばそうだった……。じゃあ何、仕組まれた?」

「可能性はあるよ。数日前からの違和感もあるし」

「あー……」


 ハコがソファーに体重を預け、天を仰ぐ。

 どういうことだろう、と思う隣で、母がハコに問い掛けた。


「何か起きてるの? 私の時と一緒……って感じじゃないわね?」

「んー……そうね、美玲の時とは別。偶然がいくつか重なってる感じ。気のせいって切り捨てるのは簡単だけど、悪意が絡んでる可能性も出てきた。――でも大丈夫、私達が処理するから。土地の魔女達に迷惑はかけないわ」

「別に敵対してる訳じゃないんだし、頼ってくれていいのよ?」

「ありがとう、美玲。でもこれは、土地の管理者の仕事だから。――なので、赤城君」

「な、なんだ?」

 真剣な声に驚いたところで、ハコとOJが頭を下げた。


「ごめんなさい、迷い込んだって言ったのは訂正するわ。貴方は完全なる被害者。落ち度は全くなかった」

「キミが恐ろしい目に遭ってしまった責任は、ボク達にある。だからボク達は、全力で状況改善に当たるよ」

「いや、でも、俺が踏み込んだのは事実だし……」

「いいえ、貴方は踏み込んだんじゃない。踏み込むように、誰かに差し向けられた可能性があるの」

「誰か、って……」

 動揺する俺に、ハコとOJが真面目な様子で続けた。

「ただの悪戯かもしれないし、そうじゃないかもしれない。だから暫くは、怪しい場所だけじゃなくて、不可思議な場所にも近付かないで」

「数日前から、ちょっと街の空気がおかしくてさ。昨日みたいな危険に巻き込まれないように、夜は出歩かないで欲しいんだ」

「……。……解った」

「ありがとう。じゃあ、私達は夜の見回りに行って来るわ。疑問は多いと思うけど、基本的なことは美玲に聞けば解るから。――本当ごめん、美玲」

 視線を下げるハコに、母が苦笑を返した。

「言ったでしょ。私の息子が、自分から淀みに近付く訳ないって」

「うん、信じてなかった訳じゃないんだけど……」

「まぁ、私って前例があるからね。それに、私の時以来なら、二十数年ぶりでしょうし」

「だからって、『仕方ない』なんて言えないもの。私達は私達の成すべきことをするわ」


 ハコが立ち上がり、コートハンガーへと歩いていく。彼女に続いてOJも立ち上がり、俺達へ申し訳なさそうに微笑んだ。


「ごめんね、ほっぽり出す感じになっちゃうけど、ゆっくりしていって。あと、夕飯も下で食べていってよ。話はつけとくからさ。――それとクレア、ツイッターとLINEで注意喚起をしといてくれる? 文面はドキュメントに纏めてあるから。えっと……」

 OJがスマホを取り出し、俺達のソファーの後ろを回って、クレアのところへ。

「わ、私に出来るでしょうか」

「大丈夫、簡単な作業だし……――って、うっわ、最悪」

 スマホの画面を前に、OJが嫌そうな顔をする。そのまま「ハコ」と相棒へ声をかけ、無造作にスマホを放り投げた。


 コートを着ていたハコの正面で、スマホがぴたりと空中で静止し、ハコに画面を向けた。それに驚いたところで、ハコの表情が見る見る険悪なものになっていく。

 その怒りに反応したように、スマホがOJの方へとすっ飛んで、彼がそれをキャッチした。

「馬鹿にして……。宣戦布告じゃないの」

「だよねぇ……。――あ、ごめんね、みんなは何が起きたか解んないよね」

 OJが苦く笑い、スマホを手渡してくれた。

 開かれていたのは、見慣れたツイッターアプリの通知欄。

 その一番先頭に、初期アイコンからのリプライが表示されていた。

 ユーザー名は、アルファ。

 内容は、


「『お姫様を頂きます』……?」


 思わず読み上げてしまった一文に、クレアがはっとして顔を上げ、何かに気付いた様子の母が、OJを見上げた。

「アルファって、まさかあのアルファなの?」

「だろうね。わざわざこのアカウントをフォローして、こんなメッセージを送ってくるくらいだから。しかも、今回は誰かと手を組んでるみたいだ。一緒に『オメガ』ってアカウントもこっちをフォローしてる。――クレアは暫くお留守番だね」

 はい、と畏まった様子で頷くクレアの頭を、OJがそっと撫でた。そして俺の手からスマホを受け取り――

「――って、赤城君はもっと解んないよね。えっと、土地の管理者が、地域の魔女・魔法使いに向けて情報を伝えるツイッターアカウントがあるんだけど、そこに犯罪者と同名のユーザーがフォローとメッセージを送ってきたんだ。それが、アルファ」

「は、犯罪者?」

「魔女界隈では、悪い意味で有名なヤツでね。状況からして、本人なのは確実。普段は一人で犯行に及ぶヤツなんだけど、今回は違ってるみたいだ」

「それが、オメガ?」

「そう。……まぁ、アルファもオメガも、アカウント作成日は一緒だし、アルファの嫌がらせの可能性もあるけどね。界隈じゃボク達は有名だし、混乱させる為の工作はしてくるだろうから」

「大丈夫、なのか?」

「大丈夫、心配しないで。赤城君達には指一本触れさせないから」

「いや、俺じゃなくて、OJ達がさ。相手は犯罪者なんだろ?」


 問い掛けに、OJが一瞬驚いてから、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう、心配してくれて。でも大丈夫。この外見だし、信じられないかもしれないけど、ハコとボクはすっごく強いんだ。ねぇ、ハコ?」

「えぇ。だから安心して、赤城君。次にその犯罪者の話題が出る時は、ソイツが捕まった後だから」

 決意と共にハコが言って、竹箒を手に取る。その隣に戻ったOJがコートを着込み、カーテンを引いた。

 ベランダへと続く窓の向こうには、夜空が広がっている。

 まさか、と思う間もなく窓が開かれ――

「じゃあ、行ってきます」

「行ってくるね」


 箒に跨ったハコとOJが、夜の街へと飛び出していく。

 昨日とは違う、スピードのある飛行だった。




 

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