喫茶『アクアリア』にて 2


「イオン。母さんがあげた指輪、今もつけてる?」

「……まぁ、一応」


 左手を出す。人差し指を飾っているのは、蛇を模した銀の指輪だ。

 白銀色の蛇が、二周半ほど巻きついたデザインになっている。


「それはお守りだから、外じゃ外しちゃダメよ。ウチの家系にしか扱えない、超一級品なんだから」

「扱う……?」

「実演しとくわね。――起きなさい、ウロボロス」

「ウロボロス? ――って、うわっ、」


 途端、指輪がぐるりと独りでに一回転。驚きに目を見開く中、指輪の先端にある蛇の頭の意匠――そこに掘られた小さな瞼が開き、紅い瞳で俺を見上げた。しかも、変化はそれで終わりではなかった。

 再びくるくると回りながら、蛇が少しずつ大きくなり、俺の指から手へ、手から母の方へと移動していき――全長二メートル、太さ五センチ以上はあろう大蛇になって、母の首元へマフラーのように巻きついたのだ。

 白銀色に輝く鱗と、宝石のような紅い瞳を持つ、美しい蛇である。母が蛇の頭を優しく撫でると、蛇がチロリと母の頬を舐めた。


「こらこら、止めなさいって」

「な、な、なッ――?!」

「この子はウロボロス。ウチの家系に伝わる、守り神よ。この子がいる限り、イオンは安全に暮らせるわ。……まぁ、自分から危険に飛び込んだ場合は、保証し切れないんだけど」


『――――』

 蛇――ウロボロスが俺を見て舌を出す。

 そのまま俺の方に戻ってくると、次第に小さくなり、指先に絡みついて指輪へと戻ったのだった。

 と、母が俺の顔を見て笑い、

「イオンたら、なんて顔してるの。蛇は嫌いじゃないでしょう?」

「そ、そりゃそうだけど――って、そうか! 昔から、動物園行く度に蛇を触らせてたのはこの為か!」

「大正解」


 半泣きになっている父親の隣で、大蛇を首に巻いている俺と母、という酷い記念写真がアルバムに残っているくらいだ。

 友達から聞く動物園の楽しみ方と若干違うな、とは思っていたが、まさか実益まで兼ねていたとは。

 お陰で蛇は怖くない。不思議と蛇からも威嚇されたことがない。動物園だからそういうものかと思っていたが、血筋が成せる技だった――のだろう。

 ハコとOJが可笑しそうに笑い、母を見た。


「本当、美玲は変わらないわね」

「ねー。母親になって落ち着いたと思ったのに」

「止めてよ二人とも。息子の為に黙ってただけで、騙そうとしてた訳じゃないんだから」

 母が苦笑する。

 息子としてみれば、明かされた事実が予想外過ぎて、騙す騙さないの範疇を越えていた。


「……じゃあ、どうして昨日は、このウロボロスが俺を護ってくれなかったんだ?」

 問い掛けに答えたのは母ではなく、ハコだった。

「その子が眼を開ける前に、私が処理したからよ。まぁ、あんなにも早く魔物が具現化するとは思わなかったんだけど」

「具現化?」

「そう。美玲が言ったとおり、赤城君は感受性が強いの。それは言葉通り、相手の印象を受け取る力で――昨日の闇のような、私達が『淀み』と呼ぶものもまた、強い感受性を持ってる。あの時、枯れ尾花の話をしたけど……本来なら、一般人が淀みを見ても、あんなに早く変化は起きないのよ。でも、結果は昨日の通り。それが、貴方が美玲の息子だろうって気付いた理由。確信したのは、その指輪、ウロボロスを見た時だけどね」

「じゃあ……俺にはそういう力があるのか?」

 問いに、ハコとOJが難しい顔をする。

「残念だけど、男の子が期待するような力じゃないわ。むしろ、危険を呼び寄せる可能性が高いでしょうね」

「例えるなら、気化したガソリンが充満してる部屋へ、静電気の起きやすいセーターを着て入っていくようなものだね。一歩間違えたら――」

「「ドカン」」

 声を揃えて、二人が言う。

 冗談を言っている顔ではなかった。


「つまりね、昨日はドカンって爆発する前に私が割り込んだのよ。そして、いざ爆発しそうな時はウロボロスが発動するけど、それも完璧じゃない。魔女の血を引いてるとはいえ、赤城君は一般人だもの。ウロボロスを発動させれば、反動で数日は動けなくなると思うわ」

「は、反動?」

 予想もしていなかった言葉に、ハコが重く頷いた。

「ウロボロスの発動には魔力が必要でね。でも、赤城君は魔力の保持量が少ないから、不足分は体力から持っていかれるの。感覚的には、二十四時間耐久でジェットコースターに乗せられるような感じかしら」

「……し、死ぬんじゃないか、それ」

「死にはしないけど、その寸前まで消耗するわね。だから安易に頼ろうとはしないこと。危ない場所には絶対に近付かず、何かありそうな時には、すぐさま私達に連絡すること。解った? そうじゃないと、ウロボロス発動後に、別の魔物に襲われて――なんてことも有り得るんだから」

「わ、解った」

「なら、名刺の連絡先をスマホに登録する」

「あ、ああ」


 慌ててスマホと名刺を取り出したところで、ハコが立ち上がった。


「その間に、お茶を用意しておくわ。……すっかり忘れてた」

 ごめんね、と小さく謝って、ハコが部屋を横断し、リビングの反対側にある扉をノックした。

「クレア、お茶淹れるの手伝ってくれる?」

「――はい、解りました」


 返事と共に、扉が開いて――出て来た少女の姿に、俺は目を疑った。

 美しい銀髪をした、外国人の少女。昨日、ミスタードーナツの店内で、ナツメさんを見て涙を流した彼女だった。

 彼女が俺に気付き――


 不意に、その表情が別人のように険しいものになって、俺の方へと歩いてくる。

 ソファーの脇まで来たところで、見下すように睨まれた。

「あの時は気付かなかったが、今なら解る。――俺は貴様を知っている」

「――誰だ、お前」

 反射的に言い返し、睨み合う。


 直感する。コイツは、相容れない相手だ。

 僅かに、ウロボロスが反応した気がした。


「俺のことはどうでもいい。ただ一つだけ。――クレアには近付くな」

 どういうことだ? と思ったところで、銀髪の少女がパチパチと目を瞬かせ、慌てた様子で頭を下げた。

「す、すみません、シンが失礼なことを!」

「え、え――?」

 顔付きから声の出し方から、まるで別人だ。

 それに驚くしかない俺に、ハコが難しい表情で教えてくれた。

「この子は、クレア・フォールブレイス。二重人格――みたいなものでね、気にしないであげて。ただ……クレア?」

「……私にも解りません。ですが、やはりこの街に何かがあるのは確かのようです」

 

 どうやら色々あるらしい。

 だが、俺も俺で、予想もしていなかった情報の連続に混乱しているから、疑問を口には出せなかった。




 

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