喫茶『アクアリア』にて 1
出来るだけ明るい道を選び、やや遠回りしながら走ること、十五分ほど。
見えてきた喫茶店には、暖色系の明かりが灯っていた。
周囲は住宅地で、車通りが少ない静かな場所だ。窓からちらりと店内を覗くと、数組の客が入っているのが見えた。店の右手にある駐車場には数台の車があり、自転車用の駐輪スペースもある。魔女のようだった少女達とは結びつかない、ごく普通の個人経営店だ。雰囲気もよさそうだし、ナツメさんと一緒に来たいと思える。
「…………」
暫く店の外観を眺め……覚悟を決めると、俺は自転車を停めた。
店の扉は、木製の押し開くタイプだった。
高まる緊張と共に、思い切って扉を開くと、カウベル型のドアベルが軽やかな音を鳴らし、「いらっしゃいませー」と店員の女性がやってきた。
「何名様ですか?」
「一人、なんですが……ええっと」
変に思われたら嫌だな、と思いつつも、俺は財布から名刺を取り出し、
「……この名刺の持ち主に、逢いたいんですけど」
「――畏まりました。お好きな席にかけて、少々お待ちください」
問題なく通じて、それはそれで緊張するのを感じつつ、俺は席へと向かった。
店内は奥に広く、壁や衝立による仕切りがない、開放感のある作りをしていた。
左手窓側に四人掛けのテーブル、中央に二人掛け、右手にはカウンター席が並び、カウンターの向こうでは女性店員がコーヒーを淹れている。その背後には背の高い棚が並び、コーヒーカップや豆がずらりと陳列されていた。
奥には調理スペースとワインセラーのようなものもあって、アルコールも出している店だと解った。
店の最奥にも何かある。二人掛けの椅子に座りながら、それとなく覗き込んでみると、二階へと続く階段があるのが解った。
ただ、店舗という訳ではないのか、『立入禁止』と書かれた、ホテルなどにありそうな洒落たパネル看板が置かれていた。
店内には、小さく洋楽が流れている。いい雰囲気の店で、ますますナツメさんと一緒に来たい……と思ったところで、ポケットの中のスマホが震え、電子音を響かせ始めた。
電話だ。
一体誰だ、と相手を確認すると、母親からだった。
「なんだよ……」
緊張もあり、出鼻を挫かれたような気持ちになりながらも、着信ボタンを押し――耳に当てたところで、奥にある階段から、誰かが降りてくるのが見えて、
「――は?」
思わずスマホを落としかけた。何故って、階段を下りてきたのは俺の母親、赤城・美玲だったからだ。
最近染め直したセミロングの髪、ボトルネックニットに春物のコート、ジーンズ。周りからは若いと言われるらしいが、息子からしたら普通の親だ。『若いって言われちゃった』とか話題に出されても、『へー、そっスか』としか言いようがない。そんな普通の親――なのに。
母と一緒に下りてきたのは、名刺の渡し主――昨晩出逢った少女と少年だった。
先ほどの店員が少女達へと説明し、全員の視線が俺に向く。母が苦笑し、少女達がニヤリと笑うものだから、居心地が悪いなんてもんじゃない。
いっそ逃げてしまうか、と思ったところで母に手招きされて、俺はしぶしぶ席を立った。
「……どういうことなんだよ、一体」
スマホを仕舞い、店員が去っていくのを横目に見てから、母に問い掛ける。対する母の反応は、いつも通りだった。
「そろそろ帰ってくる頃だろうし、電話して呼ぼうと思ってたのよ。そしたらお店に来てるんだもの。驚いちゃった」
「いや、そうじゃなくて、何で母さんがここにいるんだよ?」
「あら? 昔ここでバイトしてたって話、したことなかった?」
「初耳だよ!」
思わず出た声が店内に響いてしまって、恥ずかしくなる。幸い、他の客からは注目されなかったが、気まずさは大きかった。
「とりあえず、二階に戻りましょ」
「だね、その方が話しやすいし」
少女が提案し、少年が頷き、母が俺を見て、
「ほら、イオンも」
「……解ったよ」
促されるがまま、立入禁止の看板を避けて階段を上っていく。途中に踊り場があり、折り返した先に木製の扉があった。
古びているが、手入れのされている扉だ。真鍮製だろうドアノブと、猫をモチーフにした可愛らしいノッカー(首輪から輪が出ている)が、暖色系の明かりを受けて輝いていた。
少女が扉を開くと、すぐに玄関があり、抜けた先にはリビングスペースが広がっていた。
喫茶店と同じような木目調の部屋で、中央にコの字を描くように革張りのソファーが置かれ、毛足の長いラグの上にローテーブルがある。
ソファーの対面には立派なテレビ。その左右に本棚が並ぶ。エアコンやヒーターの類はなさそうなのだが、部屋は暖かく保たれていた。
リビングの先にはダイニングキッチンがあるようで、やはり奥に広い。何気なく目に入った丸いゴミ箱の中に、折り畳まれたミスタードーナツの箱が入っていた。
少女と母がソファーに向かう中、少年が俺へと振り返り、気さくな笑みを浮かべた。どう見ても頭から生えているネコミミが、小さく揺れる。
「実はね、昨日名刺を渡した時点で、ボク達はキミの素性に気付いてたんだ。でも、勝手に巻き込む訳にはいかないから、先にミレイちゃん――キミのお母さんに事情を話してたって訳さ」
「なのに、自分からここへやってくるとはねぇ。血は争えないわ」
苦笑気味に母が笑う。内心イラっとしつつも、母の隣に座ると、少年が少女の隣に腰掛けた。
「血って、どういうことだよ?」
「母さんも学生の頃、ハコから名刺をもらったの。ここでバイトするようになったのは、二人から話を聞きたかったからなのよ。これでも母さん、魔女としての成績はいいんだから」
「は? 魔女?」
「そう。魔女」
「……待ってくれ、待ってくれよ。母さんは、一度だって俺の話を信じなかったじゃないか。それなのに魔女って……」
「肯定したら事実になる。事実になれば、襲われる。魔物ってそういうものなのよ。昨日、イオンの想像から、淀みが魔物になったように」
「……、……」
軽い眩暈がする。
だが、母の言葉は続くのだ。
「イオンの目はね、魔女の眼なの。ウチの家系が代々受け継いできた、魔なるものを見抜く瞳。こちらとあちらを見通す瞳。でもイオンは、幻視力よりも感受性の方が強く出ててね。見えるものの種類は少ないけど、小さなものまで感じ取れてる。だから、母さんはずっと否定してきたの。イオンが襲われないように」
「……。じゃあ、母さんも幽霊が見えるのか」
「見えてるわ。イオンよりもハッキリとね。……あ、でも、お父さんはこのこと知らないから、内緒にしててね」
予想外の事実の連続に、現実感が遠退いていく。
そこへ、少女の声が響いた。
「混乱してるみたいだし、説明は後にする?」
「……いや、いい。聞くだけ聞かせてくれ」
「解った。じゃあ、まずは自己紹介ね。私は七市・ハコ」
「ボクはOJ。二人で土地の管理者をやってるんだ。よろしくね!」
「俺は赤城……、…………赤城・イオン」
名乗りたくなかったが、仕方がない。これが俺の本名、いわゆるキラキラネームである。
小学校の頃、この名前が原因でいじめられ、登校拒否になり、からかわれることを受け入れるのに数年かかり、今でも怯えが先に出る名前だ。
気にしすぎ、と言われることもあるが、人前で名前を呼ばれても、まず本名だと認識されない名前なのだ。簡単に割り切れるものじゃない。
『時間を意味する「アイオーン」から取った』と言われた日には、殺意すら湧いたものだが、この状況を見るに本気だったのだろう。
俺の名前を聞いて、二人が無反応だったことに心からホッとし―― 一つ息を吐いてから、俺は母を見た。
「七市さんとはどういう――」
「ああ、ハコでいいわよ」
「ボクはOJ! あと、無理に敬語使わなくていいからね」
ハコとOJが微笑む。
明るい場所で見ると、二人とも昨日より幼い印象だった。
「じゃあ……ハコとOJと母さんは、どういう関係なんだ?」
「ハコ達は、母さんの魔法の師匠なのよ。当時は魔法なんて学ぶつもりなかったんだけど、色々あってね。折角だからってお婆ちゃんが」
「婆ちゃんも魔女なのか……」
婆ちゃんは確かに若々しい。もしかしたら、その秘訣は魔法なのかもしれない。……いや、流石に『ハイそうですか』と信じられる話ではないのだが。
「って、師匠? ハコは俺より年下じゃないのか?」
「そう見えるだけで、ずっとずっと年上よ。少なくとも二百年以上は生きてるらしいから。ねぇ、ハコ?」
「えぇ。十八世紀の終わりくらいから魔女をやってるわ」
「気付けば遠くに来たものだよねぇ」
あっけらかんと答えるハコとOJは、どう見ても現代人だ。
ハコの方は白いブラウスに深緑のフレアスカート、黒いタイツ。
OJは白いシャツの上に茶のジャケット、黒いチノパンという服装。
首にはお揃いの、シンプルな黒いチョーカーをつけていた。
だが、二人の背後にあるコートハンガーには、つばの広い帽子と、コートが二着。そして竹箒が立てかけられているのだ。
混乱し過ぎて頭が麻痺し、ただただ目の前の現実を受け止めるだけになりつつあった。
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