光と闇 2


 日当たりのいいコンビニ前には、スマホを弄っている少女の姿があった。マニッシュな装いをしていて、栗色のボブヘアが風に揺れている。

 他にも数人の人影があるが、ナツメさんはまだ来ていないようだ。

 今日も日差しがあって暖かく、行楽日和である。駅へと向かう人達の足取りも軽やかだ。

 とりあえず、『着いた』と連絡しておこうと思ったところで、先の少女が近付いてきた。

 なんだろう、と思ったら顔を覗き込まれ――

 

 悪戯な笑みと目が合った。


「おはようございます、ロック君」

「――は? えっ?! ナツメさん?!」

「イエーイ! ドッキリ二日目も大成功ー!」


 やっほーい! とくるくる回ってから、ドヤ顔一つ。

 昨日とはメイクも違うから、まじまじ見ないと解らないレベルで別人だ。けれど、楽しげに細められた目元と、美しい黒い瞳が、彼女がナツメさんであると教えてくれた。


「いい反応! やっぱりロック君は最高ですね!」

「それはどうも――って、その髪!」

「ウィッグでーす! どうです、似合います?」

「凄く似合ってます。マジでスゲェっス」

「えへへ。それじゃあロック君もコスプレを、」

「しません」

「ちぇー」


 ナツメさんが唇を尖らせる。こういうコミカルな表情も似合うのだから、本当にこの人は素敵なのだ。

 と、何か思い付いた顔をして、ナツメさんが俺の腕を抱き締めた。柔らかな感触と共に、近い距離から見上げられる。ふわりと、いい匂いがした。


「ロック君は、昨日の私と今日の私、どっちが好きです?」

「えっ、そ、それは――」

「どっちー?」


 くっ、逃がさない為の拘束だこれ! 気付いたところでもう遅く、どっちも、という曖昧な答えは許されない状況だった。

 でなくても、こうして女の子に腕を抱かれるなんて初めてだから、顔が熱くなり、上手く言葉が出てこなくなる。


「あー……」

「んー?」

「……黒髪の方が」

「ほほーう、ロック君は清楚系が好き、と」

「や、違っ、あー……違わない、ですけど」

「うん?」


 小首を傾げるナツメさんを見つめる。恥ずかしいが、今更格好付けたところで何がどうなる関係でもないのだ。素直に言ってしまうことにした。


「黒髪は、地毛ですよね? さらさらで、凄く綺麗で……だから、その、清楚系とかじゃなくて、黒髪のナツメさんが、好きです」

「――ッ!」


 かーっと、ナツメさんが赤くなっていく。

 言ってから、なんだか告白みたいな言葉だと気付いて、俺の顔も更に熱くなり――反射的に『いや違くて』と言いかけ、けれど飛び出しそうになった言葉を飲み込んだ。

 恥ずかしいのは確かだが、今の言葉に嘘はないのだから。


「そ、そうですか、そうですか……。じゃあこうだ!」

「ちょ?!」


 テンパった様子でナツメさんがウィッグを外した。そして素早くウィッグネットを外し、長髪を綺麗に纏めていた沢山のヘアピンを取り去り、ぶんぶんと頭を振る。

 その動きに合わせて、波打つように髪が広がった。シャンプーのCMみたいだ。


「――ふう」

 一つ息を吐き、ナツメさんが改めて俺の前に立つ。やり遂げた顔をしていた。

「よかったんですか? セットにも時間が掛かったんじゃ……」

「ロック君に喜んでもらえる方がいいですから。……あ、でも、メイクも変えないと」


 言いつつ、ナツメさんが鞄にウィッグやヘアピンを仕舞い、手鏡を取り出して髪の様子をチェック。

 手櫛で前髪を軽く整えてから、若干不安そうな顔で俺を見る。だから俺は、笑顔を返した。


「大丈夫です。ナツメさんは、今日も可愛いです」

「う、うん」


 駄目だ、やけに照れる。

 お互いに赤い顔であっちを見たり、こっちを見たりして、最後は顔を合わせて笑い合う。

 幸せを感じた。


「じゃあ、そろそろ行きましょうか。映画の時間もありますし」

「ですねー」


 微笑んだナツメさんが自然と手を取ってきて、顔の熱がぶり返す――と思ったら、さっきと同じように腕を抱かれてしまって、鼓動が跳ねる。

 ナツメさんの掌から伝わる熱が、全身を回っていくような感じがする。昨日より距離が近いから余計で、本当にヤバい。頭が全く回らなくなる。

 当然、嫌じゃないのだ。嫌じゃないのだが、恋愛経験の全くない俺に、この状況は刺激が強過ぎる。いざ歩き出そうとしたら、空いた右手と右足が同時に前に出るくらいで、自分の空回りっぷりに自分で笑ってしまった。


「ん? どうしました?」


 ナツメさんが俺の顔を覗き込んでくる。昨日より背が低い気がするのは、底の薄いローテクスニーカーを履いているからだろうか。上目遣いが超可愛い。

 コスプレの時は目元までばっちりメイクをしているが、昨日今日は控えめに見える。それでも睫毛は長くて、なんだろう可愛い。めっちゃ可愛い。……駄目だ、語彙力すら死んできた。

 世のカップルはこの距離を維持し続けられるのか。スゲェな!


「ロックくーん?」


 ぎゅっと手を握られて我に返る。お、落ち着かなければ……。

 その為に、俺は恥ずかしさを堪えつつ、ナツメさんを見つめた。


「えっとですね、実は、その……」

「? 何です?」

「ちょ、ちょっと近いかなーって、」


「――あ、ごめんなさい! 気持ち悪かったなら、早くそう言ってくれればよかったのに!」


「――え?」

 ごめんね、と一歩ナツメさんが距離を取る。

 とても自然に、笑顔のまま。

 その一歩の距離に海よりも深い断絶を感じて、俺は慌てて彼女に一歩近寄った。

 殆ど無意識だったが、そうしなければ駄目だ、という咄嗟の判断だった。

 離れそうになっていた手も、ぎゅっと握り締める。


「え、ロック君?」


 小首を傾げて、クエッションマーク。

 どうしたのかな、という風な、自然な表情。

 さっきの発言に、何の疑問も持っていない顔だった。だから余計に慌ててしまう。


「い、今、なんて言いました?」

「今って――私のこと、気持ち悪かったんですよね? だから早く言ってくれればーって」

「いや、俺はそんなこと一言もいってません」

「そうなんですか?」

「そうですよ!」


 思わず大きな声が出た。ナツメさんがビックリするが、気にしていられない。

 この人は、よく解らないことを突然言い出す人だ。だが、今の発言は普段以上に訳が解らない。しかも笑顔で――いや、違う。違うだろう。普段は、突拍子のない発言でもどこかで前後の文脈が繋がっているのだ。それなのに、今の発言には全く脈絡がなかった。だから、怖くて、俺は慌てて言葉を続けていた。


「お、俺は距離が近くて恥ずかしかっただけです。ナツメさんを気持ち悪いだなんて思ってません!」

「いえいえ、別に私のことは気にしなくて平気ですよ? 昨日も今日も、ロック君を驚かせたかっただけで、素の私に価値なんてありませんし」

「いや、いやいやいや……」


 ちょっと待て、何を言ってるんだこの人は。

 一体、何を考えているんだ?

 混乱の極地に突き飛ばされたところで、はた、とナツメさんが何かに気付いた顔をした。


「そういえば、まだこのことは話してませんでしたね……。私、自分のことが大嫌いなんですよ。顔から体から、何もかも全部。男装やコスしてる時はいいんですけど、今は素に近いから余計で」

「じ、自分が、嫌い?」

「そうです」


 頷く彼女に促されて、俺は歩き出す。混乱が尾を引く――どころか、全身に絡みついているが、今度は普通に歩き出せた。


「コスプレをするのは、自分が自分じゃなくなるからで……昨日のJKコスも、今日の服も、それは変わりません。距離が近かったのは、ロック君に喜んでもらえればいいなって思ったからです。ほらロック君、『彼女とイチャイチャするのに憧れてる』って言ってたじゃないですか」

「……言いましたっけ?」

「言ってたんです。去年の夏頃だったかな?」

「夏頃……あぁ、そういえば言った気がします」


 友達と夏祭りに参加し、そこでカップルのイチャイチャを多く目撃して、『俺も彼女欲しい! イチャイチャしたい!』と話したことがあったのだ。……思い返してみれば、そこから理想の恋人像とか、彼女が出来たらこうしたいとか、色々語った気がする。


「だから、ロック君が嫌なら距離を取りますし、手だって」

「嫌じゃないです。握っていたいです。嫌だったら、昨日の時点で言ってます」

「それはロック君の優しさかなって」


「――ナツメさん」


 思わず足を止め、半歩前に立った彼女を真っ直ぐに見つめた。

「自分に価値がないとか、そういうことは言わないでください。俺は貴女に、貴女の言葉に救われたんです。あれは素のナツメさんの言葉でしょう?」

「それは……でも、」

「外見がどうとか、関係ないんですよ。だって俺は、昨日まで貴女を男だと思ってたんですから。本当に男だったとしても、変わらず仲良くやってたでしょうし、何も変わりません。こういう言い方はアレですが――俺にとって、貴女の価値は計り知れません。貴女がいなかったら、今の俺はいないんですから」

「ロック君……」

「昨日も、今日も、ナツメさんにとっては、俺の為の『恋人ごっこ』だったのかもしれません。でも俺は……俺は、ごっこじゃない関係になれたらいいなって、そう思ってるんです」

「……嘘」

「本当です。俺は、ナツメさんっていう人間に魅力を感じてるんです」

「でも、外見は、」

「化粧で自由に変身出来るって教えてくれたのは、ナツメさんですよ? 何より、この一年の積み重ねがあったからこそ、です。貴女と話してる時間が、一番楽しいんですから」

「……、……」

「……ナツメさん?」


 驚いた様子の彼女の目じりに、宝石のような涙が生まれて、零れ落ちる。


 一つ、

 二つ。


 ようやく落涙に気付いたナツメさんが目元を拭い、「あれ?」と困惑した声を上げた。


「私、なんで泣いて……おかしいですね、こんな、今になって……、っ、」

 肩を震わせてナツメさんが泣き出してしまって、俺はどうしていいか解らなくて――迷った末に、ナツメさんをそっと抱き締めた。

 すると、彼女の手が俺から離れて、ぎゅうっと抱き付いてきて……声もなく涙する彼女の背中を、優しく撫でた。


 暫くして、ナツメさんがおずおずと顔を半分ほど上げ、俺をちらっと見上げてから、また顔を隠し、

「……なーんちゃって。……嘘ですよお。自分に価値があるって知ってますもーん」

「……はい」

 弱々しい声に頷き返すと、俺に抱き付く力が少し強くなった。

「……本当ですもーん。……だからもうちょっと、このままで」

「はい」

 ぎゅっと彼女を抱き締める。往来の真ん中だが、気にしたことか。


 ……思っていた以上に、俺は『ナツメさん』という人を知らなかった。意図的に隠されていた部分には、きっと想像以上の闇が広がっている。

 彼女の支えになりたい。俺が救われたように、彼女が苦しんでいるのなら、救いたい。

 心から、そう思った。




 

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