夜の街 2

 

 閃光が、世界を白く染め上げる。

 反射的に目を瞑ったものの、瞼の裏に残像がくっきりと残るほどの光量だ。

 その光が治まってから、ゆっくりと顔を上げ、目を細めて周囲を確認すると……キラキラとした光の粒子が袋小路いっぱいに広がっていて、風に流されて消えていく。

 光がキマイラを消し飛ばしたとでもいうのか、怪物は跡形もなく消滅していた。

 少年が、若干呆れた様子で少女を見た。

「本当、ハコの魔法は派手だよね。優雅さが足りてない」

「うっさいOJ。それよりも彼よ」

 未だ立ち上がれない俺を、少女と少年が見下ろしてくる。

 二人とも可愛らしい顔立ちをしていて、少女はやや釣り目がちの赤い瞳、少年は猫目がちで金色の瞳をしていた。


「――さて、迷子の旅人さん。貴方は何者かしら?」

「ご同業って感じじゃないね。最近じゃ珍しい天然モノかな?」

 少女と少年の問いに、俺は震える声で答える。

「……い、今のはなんだ」

「それを聞いてくるってことは天然モノね。……どこから説明したものかしら」


 んー、と少女が考え込み――彼女の帽子の隙間から、残っていたのだろう光の粒子がふわっと舞って、消えていく。

 それを呆然と見つめていたところで、少年が俺の前にしゃがみ、微笑んだ。

「とりあえず、立てる?」

「え、あ……ああ」

 差し出された手を握って、どうにか立ち上がる。

 二人とも、身長百五十センチほどだろうか。何度見ても、少年の頭にはネコミミが生えている。顔の横、本来ならば耳がある場所は、髪で隠れていた。


「とりあえず、キミが落ち着くまで待ってるからさ。――ハコ?」

「解ってる、今やっとくわ」

 少女がコートのポケットから何かを取り出し、袋小路の地面にペタリと貼り付けた。見れば、それはお札のようなもので、表面に異国の文字が書かれているのが解った。

 と、お札が淡く光り輝き、溶けるように消えていく。

「これでよし。まぁ、強制的に吹っ飛ばしたから、向こう数十年は平気だろうけど」

「びっくりだよね。でもこの状況、二十五年前みたいじゃない?」

「ああ、そうね。あの時もこんな夜だったっけ……」

 少女が夜空を見上げ、感慨深そうに言う。

 だが、二人はどう見たって十代前半の子供なのだ。その外見と『二十五年前』という単語が結び付かず、混乱が増す中、少女が改めて俺を見た。


「さて、少しは落ち着いたかしら、迷子さん?」

「……落ち着いた、というか、その、」

 恐怖から解放されて、冷静ではあるのだ。ただそれは、理解が追い付いていないからで――瞼の裏には、先のキマイラの姿と、血走った目がはっきりと残っている。

 あれは殺意、或いは食欲、だろうか。

 どちらにせよ、あんな恐ろしい化物を見たのは初めてで、訳が解らなくて、今更のように震えがきていた。


「あ、あれはなんだったんだ? 現実、だったんだよな?」

「そうよ。あれは現実で、貴方の恐怖に反応したの」

「俺の、恐怖……?」

「説明の前に、まずはここから移動しましょう」

「ここじゃキミも落ち着かないだろうからね」

 行こう、と少年に手を引かれて、俺は袋小路から抜け出した。


 三人一緒に、路地へと出る。

 気付けばとっぷりと日が暮れて、夜の帳が下りていた。外灯の明かりが何よりも心強い。

 そのまま明るい方へと歩き出しながら、少女が俺を見上げた。


「貴方は、幽霊とか、妖怪とか、そういうものが見えてるわよね。さっきのはそれに類するもので、私達は総じて魔物って呼んでるんだけど――」

「……、……」

「――ん? 意外そうな顔ね。『貴方は幽霊を信じてる?』なんて、回りくどい聞き方をした方がよかった?」

「いや、だって、その、」

「『そんなものはありえない』『目の錯覚だ』って言われてきたんでしょう? でも、それも仕方ないわ。共感覚を持つ人と、持たない人とでは見える世界が違うように、世の中には『見える人』と『見えない人』が存在するの。どんなものにもね」

「どんなものにも……」

「こちら側と、向こう側とも言えるかしら」と少女が言い、

「明るい方と、暗い方とも言えるかもね」と少年が引き継いだ。


「ボク達はね、暗い方の住民なんだ。普通の人には見えないものが見えて、触れて、操れて――だからこそ、明るい方に暗さが侵食しないよう、護る役割を持ってる。さっき、キミを護ったようにね。あ、でも、勘違いしないでね。さっきみたいのは例外中の例外で、現代じゃまず起こり得ないようなものだったんだ」

「ど、どういうことだ?」

 少女が俺を見る。教師のような目だった。

「『幽霊の正体見たり枯れ尾花』って言葉があるでしょう? あれと一緒でね、貴方はさっきの淀み――闇を、『火事かもしれない』と思い、そこから『凶暴な魔物が飛び出してくるかもしれない』と思った。だから、闇がそういう形を取ったのよ」

「じゃあ、俺がさっきの化物を生み出したって言うのか?」

「そうじゃなくて、そのきっかけを作ったってこと。貴方は、枯れたススキを見て『アレは幽霊だ』って言い出した最初の一人目になったの。本来なら、あそこまで完璧な形は取らないんだけど、貴方には素質があったみたいだから。解りやすく言えば、霊感が」

「……、……」

「私達はそれを幻視力とか、感知力とか、そういう呼び方をするけどね。だから、覚えておいて。これからは、『何か怪しい』『変だな』と思った場所には近付かないこと」

「そういう怪しい場所をなくすために、ボク達が存在するんだけどね。ただ、今日みたいなケースもあるから、余計に気を付けて欲しいんだ」

「わ、解った。それで……さっきの化物は、どうなったんだ?」

「魔物として具現化しちゃった以上、周囲に害を成すからね。私の魔法で消滅させたわ」

「魔法……」


 呆然と呟いたところで、少女と少年が立ち止まる。

 手を引かれるがままに歩いていたが、気付けば先ほど立ち寄ったコンビニ前まで戻ってきていた。


「それじゃあ、私達はここで。もっと詳しい話が聞きたいなら、ウチに招待してもいいけど……知れば知るだけ、生き辛くなるわ。それは解るでしょう?」

「それは……解ってる」

 幽霊がそうだ。知らなければ、見えなければ、俺はもっと気楽に暮らせた。今日、こんな恐ろしい目に合わなくて済んだかもしれない。

 これ以上首を突っ込むのは、止めておいた方がいいだろう。


「なら、説明はここまでね。何かあった時の為に、連絡先を渡しておくわ。怪しいと思った場所を見付けたら、決して近付かず、すぐに電話して」


 少女がコートから革製の名刺入れを取り出し、俺に一枚手渡してくれた。

 名刺には、『土地の管理者』という聞き慣れぬ肩書きと、『七市(ナナイチ)・ハコ』『OJ』という名が連名で綴られ、固定電話と携帯電話の電話番号、メールアドレス、そして住所が記されていた。


「最後に――っと」

 少年が、俺の手をペチペチ叩く。すると、そこに光の粒子が生まれ、俺の体を包むようにして消えていく。と同時に、纏わりついていた恐怖がすっと和らいでいくのを感じた。

「怖いの怖いの飛んでけーってね」

 少年が笑う。見る者を安心させる、優しい笑みだった。


「それじゃあね、迷子さん。もう危ないところに首を突っ込んじゃ駄目よ」

「そうそう。真っ直ぐに帰るんだよ、迷子くん」


 少女が、ずっと持っていた竹箒を手放す。すると、箒が空中でピタリと停止した。

 それに驚く俺の前で、少女と少年が箒に跨がり、ふわりと空に浮かんで、夜空に飛び去っていく。

 最後に、少年の方が小さく手を振っていたのが見えた。


「は、ハリーポッターかよ……」


 何から何まで目茶苦茶だ。

 白昼夢でも見たのではないか、と思うのだが、手の中には名刺が残っている。

 改めて空を仰ぐが、既に二人の姿はなく、月の船が上っているのが見えるだけだった。




 

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