夜の街 1
家から駅まで、歩いて二十分ほどかかる。なので今日は自転車で来て、駅の近くにある駐輪場に預けてあった。
寂しさを抱えつつ、俺はタクシーロータリーを横目に駅前を進み、駅西通り商店街へ。ラーメン店や焼肉屋、飲み屋などが軒を連ねる通りを抜け、ちょっと奥まったところにある駐輪場を目指す。
その途中で、コンビニが目に入った。
「……そうだ、ツイッターで見たやつあるかな」
名前は思い出せないが、アイスの美味しそうなやつがタイムラインに流れてきて、気になっていたのだ。なんだったかな、とスマホを取り出しつつ店に入ると、ナツメさんからメッセージが来ていた。
『すっかり忘れてました。携帯の番号とメルアドと、SkypeとLINEのIDです』
「そっか、連絡先の交換するの忘れてた」
ツイッター上でやり取りしているとはいえ、直接電話出来るに越したことはない。俺もまた自分の電話番号などをコピーして……
「……LINEは使ってません、と」
家族相手にも使うから、LINEは仕方なく本名で登録してある。だから他人に明かしたくないのだ。ナツメさんにならいいかな……と半年くらい前から思っているが、未だに明かせない程度には根の深い問題だった。こればかりはどうにもならない。
メッセージを送信してから、コンビニの雑誌棚へと目を向ける。客層もあるのか、週刊誌一冊一冊に紐やビニールが掛かっている、立ち読み禁止の店だった。残念だ。
と、雑誌の中に、心霊スポットを纏めたものがあった。廃墟の写真と共に、『近付いてはいけないトンネル』『呪われた廃墟』などの文字が、おどろおどろしく表紙を飾っている。
「幽霊、ねぇ……」
俺には霊感がある。
真顔でそう言われて、怪訝に思う人は多い。笑ってくれればいい方で、馬鹿にされたり、仲間外れにされたり……嫌な思い出しかない。
有名な心霊スポットに幽霊なんて存在しないとしても、それを教えてしまうのは興ざめを招くし、味方を減らすばかりだ。黙って一緒に怖がっておくのが一番いい。
彼らが欲しているのは、不気味な雰囲気や、そこで起きるアクシデントであって、幽霊の実在は重要ではないのだ。それを、俺はこの十六年間で学んできた。
それに、幽霊が見えるといっても、ホラー映画に出てくるような恐ろしい幽霊を見たことはない。寂しそうに立っている少女や、ふよふよと空を漂っている老人、飼い主だったのだろう男性の後をついて回っている白猫など、害のなさそうな幽霊ばかり。
そうした不可思議なものに対する興味は大きいが、俺自身に霊能力はないし、寺生まれの友人もいない。見えるだけで、影響を与えられる訳でも、お払いなどが出来る訳でもないのだ。迂闊に踏み込んで祟られても困るし、見てみぬ振りをしている。
だからこれは、ナツメさんにも話していない。
俺は、あの人に嫌われたくないのだ。
ネット上でやり取りしていた頃からそうだったし、今日こうして本人と逢って余計に感じた。ナツメさんの性格からして、否定はしないとは思うが……それでも、なのだ。
「ホラー系は苦手って言ってたしな」
今後も、話題に出すことはないだろう。そう思ったところで、入店を告げる音楽が鳴り響く。何気なく視線を向けると、入ってきたのは長身の男だった。
二十代後半だろうか。ビジュアル系バンドでベースでも弾いていそうなゴス系の装いをしていて、やけに手足が細くて長い。アッシュゴールドでボリュームのある髪から覗く目は細く、若干の爬虫類感があった。
手に白い何かを弄びながら、俺の後ろを通り過ぎていく。
そんな男に続いて、会社帰りなのだろうスーツ姿のサラリーマンや、主婦らしき女性と、次々に客がやってくる。駅からと、近くのマンションからで、利用客が多いのだろう。
「アイス……は、売ってなさそうだな」
アイスコーヒー用のカップが大半で、アイスそのものの種類が少なかった。これもまた残念に思いつつ、ぐるっと店内を見て、特に買うものもなく店を後にする。
自動ドアを出る直前、小さく『パチン』と聞き慣れない音がしたが、音の正体はよく解らなかった。
車が来ていないか確認してから、道路を横断し、夕暮れの中を駐輪場へと歩いていく。
朝は解らなかったが、結構暗い。
道を一本入っただけなのだが、商店街の裏手で、更に企業のビルやマンションの陰になっているから、人気と光源が少ないのだ。
その途中――やや入り組んだ路地の奥から、蛍の光のような、白銀色の光がふわっと舞って、消えたのが見えた。
「……ん?」
ナツメさんから言われなくても、夜には出歩いていなかった。夜は幽霊が見えやすくなるから、出来るだけ外出しないようにしているのだ。
幽霊は色彩に乏しく、重たい雰囲気をしている。だが、今の光はそれとは違う綺麗な光で――まだ夕方で、周囲がうっすらと明るいこともあって、つい好奇心が顔を出した。
そっと近付いてみると、細い路地の向こうにいくつか光が舞っている。路地の入口には、若干色落ちした『この先行き止まり。進入禁止』の看板が貼り付けられていた。民家の入口ではなく、袋小路になっているのだろう。
『何か』、がありそうな予感がする。だが、これ以上は止めておくべきでは……と思ったところで、かすかに歌が聞こえてきた。
少女と少年の歌声。
キラキラ星だ。
響いてくる歌詞は、英語のもの。
笑い合うように、手を取り合うように、歌声が繰り返し響いていく。
声は、路地の奥から聞こえている。
光は、路地の奥から溢れ出ている。
誘われるように、俺はゆっくりと路地の奥へ。
左へL字に折れ曲がった先をそっと覗き込むと、キラキラと光る粒子を纏いながら歌う、十代前半の少女と少年の姿があった。
外国人だろうか。二人とも同じデザインの黒いロングコートを着ていて、少女の方は大きなつばのあるトンガリ帽子を被っている。魔女のような出で立ちだ。
帽子の下から覗く髪は赤毛で、緩やかな癖がある。その手には竹箒が握られていて、歌と共に小さく揺れていた。その軌跡を追従するように、光の粒子が生まれている。
隣に立つ少年は何も持っていないが、黒髪の頭に黒いネコミミが生えていて、どんな原理なのか、本物の猫の耳のように動いていた。
幻想的な――だが、明らかに奇妙な光景。
目の前に広がっているのに、不思議と現実感に乏しい。
彼女達と俺の間に透明な膜があるような、夢の中のような感覚。
何より、綺麗で。
無意識に、あと一歩近付こうとした瞬間、パンッ、と風船が割れたかのように、透明な膜が弾けた。途端、さぁっと波が引いていくように、幻想的な空気が一瞬にして消え失せ、夜の闇が背後から襲いかかってくる。
少女と少年が驚きながらこちらに振り返り、俺を見て目を白黒させた。
彼女達の背後、光の粒子が消えた向こうには、黒々とした闇があり、それが煙のように立ち上り始めていた。
少女が慌てた様子を見せ、少年へと叫んだ。
「ちょ、ちょっとOJ、何で人が入ってくるのよ!」
「ボクに言われても困るよ! 今日の結界はハコが張ったんじゃないか!」
「それはそうだけど! ああもう、そこの貴方、今すぐここから立ち去って!」
「た、立ち去れって」
少女の言葉に、俺も慌ててしまう。
二人の背後、煙のように立ち上がった闇はどんどんと膨れ上がり、少女達を覆い尽くさんばかりになっている。一体何が起きているのか解らないが、もしあれが火事か何かだとしたら、少女達は放火魔ということに――と思ったところで、闇の中に炎のような揺らめきが見え始めた。
「そ、それ、燃えてるんじゃないのか?」
「燃えてる――って、嘘、なんで変化始めてるの!」
「だからボクに言われても困るって! こんなの久しぶり過ぎて――」
言いながら、少年が俺を見た。
「――彼だ。彼が淀みに影響を与えてる」
「ああ、そういうことね……。しかもばっちり見えてるみたいだし、『眼』も良いと。――そこの貴方、改めて言うわ。ここから立ち去って! 説明は後からするから!」
少女の言葉に、俺は慌てるしかない。だって、
「そ、そうは言ったって、どんどん燃えてるじゃないか!」
「これは燃えてるんじゃないの!」
「そうそう、だから早く!」
少女と少年が俺を急かしてくる。その背後で、炎は明確な形を持ち始め、ぴんと立った少年のネコミミに触れかける。だが、少年は後ろも見ずにひょいっと炎を避け、少女と共に俺の方へとやってきた。
ネコミミも相まって、本当に猫のような軽やかさだ。そう思った途端、威嚇するような鳴き声が炎の向こうから響いてきた。少女達がそれに気付くと同時に、鳴き声が更に響く。
まるでライオンのような、猫科の肉食獣の唸り声――
「――馬鹿ァ!」
「ッ!!」
少女の怒声で我に返った瞬間、炎の中からゆらりと顔を出したのは、燃えるようなたてがみを持つライオンだった。
本物の、生きた百獣の王だ。意味が解らない、ありえない!
そう目の前の現実を否定すれば否定するほど、ライオンの存在感は増していく。その胴体は未だに闇の中だが、揺らめく炎が羽のように見えて、ゲームの敵キャラとして出てくる『キマイラ』というモンスターを連想させた。
獅子の頭、山羊の胴、蝙蝠の羽、毒蛇の尻尾――
そんな異形の怪物の姿が脳裏に浮かんだ直後、
想像が、現実となって闇の中から飛び出した。
「なっ?!」
鋭い爪を持つ前足から着地し、沈むように身構えたキマイラの体には、明らかに質量がある。現実の生き物として、非現実の存在が具現化したのだ。
混乱が更に高まり、現実感が遠ざかる。だが、キマイラの血走った目に睨まれた瞬間、一瞬で現実に恐怖が追い付き、口から情けない悲鳴が漏れ、腰が抜けた。
少年と少女の声が響く。
「……具現化まで五分以下。これは逸材だよ、ハコ」
「時代が時代ならね。全く、面倒なものを想像してくれて!」
俺を護るように、二人がキマイラの前に立った。
そして、今にも飛びかからんとする猛獣に向け、少女が手を向ける。
途端、その指先に、白銀色に輝く真円が浮かび上がり、
「こんなはずじゃなかったのに。――ごめんね」
少女が告げた直後、円が強く光り輝き――
閃光がレーザーのように迸り、キマイラを飲み込んだ。
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