知っているようで何も知らない、お互いのこと 2

 

 この一年、俺達は『おはよう』から『おやすみ』まで、毎日ダラダラとやり取りを続けてきた。

 ネット上のナツメさんは多趣味で、博識で、大人な人だ。定期的に同人イベントに顔を出していて、人間関係も広く、多くの人に慕われている。ただ、二人きりで話をしている時は、テンションが高く、突っ込みきれないほどのボケを放ってくる愉快な人だ。そのギャップも含めて、好意的に思っている。

 根は真面目な人なのだ。だから、いつしか日々の悩みや、幼い頃からの苦しみを告白するようになって、それを真摯に受け止めてもらえて、とても心が軽くなった。救われた、と言っても過言ではない。

 俺はナツメさんを誰よりも尊敬しているし、信頼している。……恥ずかしくて本人には言えないが。


 そんな人が、女性だったのだ。『マジかよ』と思うが、明かされてみれば、『ナツメさんなら、このくらいやりかねない』という、妙な納得もあった。

 とはいえ、男としてイベントに参加している以上、男装には何かしらの理由があるのだろう……と、色々考える思考が、ナツメさんの微笑み一つで吹っ飛んでいく。

 見慣れたモールの中が、まるで別世界だ。


 ナツメさんの言葉通り、俺達はお互いを知っているようで知らなかった。性別は元より、意外だったのは身長だった。

「ナツメさん、俺より小さかったんスね。コスしてる写真を見るに、俺よりデカいのかと」

「厚底のブーツとかで水増しした上で、出来るだけ煽りで――下から見上げる感じで撮ってもらってるんですよ。そうすると、背が高く、足が長く見える訳です」

「あー、前に言ってましたね。撮る側にも、撮られる側にもテクニックがあるって」

「そうなのです」


 イラストからそのまま飛び出してきたような、コスプレ写真の数々。

 だが、その撮影裏には苦労が沢山あるという。それこそ、長身キャラの人が小柄で、小柄キャラの人が長身だったりする場合がある。その辺りをどう誤魔化すかが難しく、楽しいのだそうだ。


「ロック君は、背が伸びました? 前に聞いた時は、百六十五センチくらいって」

「ですね。この一年で結構伸びました。今は百七十越えてます」

「成長期だぁ。……エロいにゃー」

「何故?!」


 真っ昼間だというのに、平常運転過ぎてちょっとついていけない。普段通りである。

 そんなナツメさんに翻弄されながら、服や雑貨を見て回る。その間も、ナツメさんはクルクルと表情が変わって、その全てが可愛らしい。

 思わず見蕩れていると目が合って、楽しそうに笑うのだ。凄くドキドキする。

 手はずっと繋がったままで、時折離れることがあっても、ナツメさんからまた握ってくれて、余計に恥ずかしい。

 あっという間に時間は過ぎていって――気付けば、昼を回っていた。


「お腹空いてきましたねー。ロック君、何か食べたいものあります?」

「俺はなんでも……」

 と言いかけて、『デート中に「なんでもいい」は禁句』、と友達が言っていたのを思い出す――が、これデートなのか? デートって思っていいのか?! ま、まぁ、ともかく、

「なんでも平気ですけど、どんな店が入ってたか覚えてないんで、店内案内図でも見ましょうか」

 ですねー、と頷くナツメさんと共に、案内図の前へ。

 和洋中、ファストフードに何でもあるが、こうして一覧を目の前にすると迷ってしまうものだ。

「んー、どれがいいですかねー?」

「どの店も結構混んでましたし……あ、そういえば、外に店舗型のミスドもありますよ」

「本当ですか? じゃあミスドにしましょうか」


 久々にドーナツー♪ と楽しそうにするナツメさんを連れ立って外に出ると、道路を挟んで対面にあるミスタードーナツへ。

 二階建ての店舗の自動ドアを抜けると、ショーケース前に数人並んでいる人がいるものの、椅子の方には空きがあった。

 ホットのカフェオレとドーナツを注文して、二人掛けの椅子に腰掛ける。

 俺がチョコファッション二つとゴールデンチョコレート、ナツメさんがポン・デ・黒糖とエンゼルクリーム。

 ポン・デ・リングを半分にしながら、ナツメさんがふと顔を上げた。


「そういえば、何年か前に、ポン・デ・クランチショコラっていうのがあったんですよ」

「ああ、覚えてます。あれ美味かったですよね」

「そうなんですよ! 前は復刻があったんですけど、最近はなくて……」

 と、ドーナツ話をしていると、一年中やり取りをしていても、まだまだ話していない話題が多かったのだと気付かされた。


 カフェオレに砂糖を一つ入れて、一口飲む。

 ……対面、すぐ目の前と言える距離で、ナツメさんがエンゼルクリームを二つに割って、ホイップクリームの少なかった方を口へ運ぶ。

 僅かに伏せられた睫毛が震え、唇についた粉砂糖をぺろりと舐めた。


「ん? どうしました、ロック君?」

「い、いえ、別に」


 思わず見つめていたことに気付き、俺は慌ててチョコファッションに手を伸ばして誤魔化した。

 微笑むナツメさんは凄く綺麗で――俺の顔を覗き込んでくる所作など、動きの一つ一つが可愛らしい。そんなナツメさんが、目の前で美味しそうにドーナツを食べていて、俺だけを見ているのだ。

 一言でいえば、ヤバい。

 それが顔に出てしまったようで、ナツメさんが意地悪な笑みを浮かべた。

 じーっと見つめられて、ドーナツを上手く飲み込めなくなる。顔が熱くて、火が出そうだ。

「ロック君は可愛いなぁ。そういうとこだぞ★」

「ど、どういうとこですか」

 ネット上では笑って流せるような会話も、恥ずかしさが勝ってしまって堪らない。……堪らない。

 ナツメさんが楽しそうに笑って……カフェオレを一口飲んでから、改めて俺を見た。


「――そうそう、ロック君はバイトとかしてないですよね?」

「ですね。今のところ、する予定もないです」

「よかった。暫くの間、夜の外出は控えて欲しいなって思ってたので」

「どうしてです?」

「ちょっとしたおまじない――みたいな。一週間我慢出来たら、その時に色々教えてあげます。ゲッヘッヘ」

「この人は……」

「ああでも、本当、真面目な話なんです。お願いします、ロック君」


 打って変わって真剣な顔だった。理由が気になるが、一週間後に話してくれるというのなら、その時まで待っていよう。

 でなくても、俺は夜には出歩かない主義だ。


「解りました。一週間後を楽しみにしてます」

「ありがとう、ロック君」

「一週間って言えば、ナツメさんはどうして春咲に?」

「住んでるアパートの近くに国道が走ってるんですけど、そこで掘削工事が始まって、一晩中騒音と振動が響いてくるんです。ドガガガガガガーって」

「うわ」

「しかもカーテンの隙間から明るいライトが」

「あー……」

「なんだかもう嫌になりまして、一週間くらい見知らぬ土地で過ごしてみようかなって思ったんです。だからロック君と逢えたのは偶然で……でも、もし違う街だったとしても、ロック君を呼び出していたと思います。伝えたいこともありましたから」

「伝えたいこと?」

「それも一週間後のお楽しみ、で。じゃあ、明日はどうしましょう? 暇だったら遊びません?」

「折角ですし、一週間付き合いますよ。観光出来る場所は少ないですけどね」


 春休みは予定がなくて暇だったのだ。むしろドンと来いである。

 一週間後、ナツメさんに楽しかったと思ってもらえるように、遊べそうな場所を調べておこう。あとは映画とか、飯屋とか……と、色々考えつつ、チョコファッションを口に運んだところで、新しい客が入ってきた。それに何気なく視線を向けて――目を疑う。


 外国人、それも銀髪の美少女だった。


 天然であんなにも美しい毛色が出るのか、キラキラと光の粒子が舞って見えるほどの長い銀髪に、人形のように整った目鼻立ち。上品な白いブラウスに、ハイウエストのロングスカートを合わせている。その腰の位置が高くて、モデルのようなスタイルのよさだ。

 俺と同年代だろうか、可憐さの中に、凛々しい雰囲気のある少女だった。

 ただ、店員も周囲の客も驚いている様子はなく、平然としている。髪色程度で驚いた俺が変なのだろうか。


「――ロック君?」

「あ、いえ。……あの銀髪の子、凄いなって」

「銀髪……――本当だ、凄く綺麗」


 あまりジロジロ見るものではないが、目を奪われる美しさだ。ショーケースを覗き込む横顔も整っている。

 ――ただ、何故だろう、胸がざわめく。それに内心首を傾げたところで、何かに気付いた様子で彼女が顔を上げ、こちらを見て、

「――――、」

 驚いた様子で目を見開き、その目じりに涙を浮かべた。

 

 彼女の紅い瞳は、明らかにナツメさんを見ている。だが、対するナツメさんにも予想外の状況だったようで、「え、えっ、何事です?」と慌て始めてしまった。


 時間にして十秒ほどだろうか。短くも長い見つめ合いは、銀髪の少女が顔を下げたことで終わりを告げた。

 彼女は肩から提げている鞄からハンカチを取り出すと、目元を丁寧に拭う。そして顔を上げ、俺達に会釈を一つ。凛々しかった表情とは一変した、柔らかな微笑みを残して、改めてショーケースに向き直った。


「……知り合い、ですか?」

「違います違います。あんなにも綺麗な子が知り合いにいたらもう、そりゃあもう」


 ナツメさんの言葉にキレがない。動揺している。完全に予想外だったのだろう。

 そうこうしている間に、少女が注文を済ませ、クレジットカードで支払いをし、ドーナツの入った箱を持って店を出て行く。

 最後にもう一度ナツメさんを見て、外へと歩いていったのだった。




 

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