一日目

知っているようで何も知らない、お互いのこと 1

 

 翌日。

 雲ひとつない青空の下、俺はそわそわとナツメさんを待っていた。

 春休み時期だからか、駅前には俺と同年代と思しき若者の姿が多い。意外と制服姿もあって、俺は私服で来たのを少し後悔していた。


「そうだよな、制服なら無難だもんな……」

 雑誌の真似をして、それなりに見られる格好になっている――と思いたいが、結局は自画自賛だ。他人からの評価は解らない。その点、制服なら間違いがない。

 高校の制服は詰襟の学生服だから、休みの日まで着たくないが、無難なのは確かだ。あと、ナツメさんが無駄に喜びそうな気がする。あの人、男女問わず『制服』が好きだって公言してるからな……。

 うーむ、と内心唸りつつ、俺は自分の体を見下ろす。

 春物のジャケットにシャツ、細身のジーンズ、ショートブーツ。左手の人差し指には、もらい物の指輪。髪はこの前切ったばかりだし、眉も軽く整えた。悪くはない、と思いたい。

 

 ナツメさんはコスプレがどうこう言うが、俺は至って普通の顔立ちで、童顔でも、中世的でもないのだ。ナツメさんみたいなイケメンだったなら、なんて考えるだけ不毛なのは解っているが、思わずにはいられない。

 顔にコンプレックスがある訳ではないが、自分に自信がないから、せめて外見くらい……、なんて思ってしまうのだ。

 何より、モテたい。彼女が欲しい。そんな十六歳の冬なのである。


「……ちょっと緊張してきたな」

 駅北口前に立っている、ラグビーボールを模した銅像の周囲には、俺以外にも数人の男性がいて、スマホを弄ったり、コーヒーを飲んだりしている。

 彼らは違う、と解っていても、一応顔を確認してしまった。

 コスプレ姿や、『服買った!』と送られてくる姿見越しの写真を見るに、ナツメさんは俺よりも背が高いのではないだろうか。あと、時折行っている音声だけの配信を聞くに、やや低めのイケボだ。声をかけてもらえれば確実に解るだろう。


 スマホで時間を確認すると、九時五十分。電車が到着したのか、正面に見える階段からぞろぞろと人が降りてきた。若い男性の姿も多く、俺はちらちらとナツメさんの姿を探す。

 だが、どうやらこの一団に混ざっている訳ではなさそうだ――って、それも当然か。昨日の時点で春咲に来ているのだし、電車の時間に合うとは限らない。むしろ、どのホテルに泊まっているのかを聞いておけば、北口か南口か、どちら側から来るのか解っただろうに。

 失敗した。そう思いながら、ツイッターを確認する……が、ナツメさんからの連絡はなし。少し到着が早かったのかもしれない。


 コンビニで飲み物でも買ってくるかな、と思ったところで、階段を下りてくる女子高生の姿が目に留まった。

 黒いブレザーの制服で、リボンタイではなく、臙脂色のネクタイをしている。スカートはチェックのプリーツで、黒いタイツ。この辺では見かけない制服だ。 

 北口に降り立った彼女が、顔を上げた。


 さらりと、長く艶やかな黒髪が揺れる。


 色白で綺麗な子だ。黒目がちのぱっちりとした瞳に、通った鼻筋、薄い唇。思わず見惚れてしまう魅力があった。

 だが、彼女がこちらを見た瞬間、俺は反射的に視線を逸らしていた。近くにいた男性達も彼女を見ていたようで、視線を落とす人、スマホを見ながらもチラチラ見ている人と、注目の的だった。

 ……そういえば、前にナツメさんが言っていたな。こういう時は、下手に様子を伺うより、臆せず突っ込んだ方がいいと。まぁ、『※ただしイケメンに限る』ってヤツだろうが。

 俺はイケメンじゃないし、颯爽とナンパ出来るほどの度胸もないので、チラ見するのが限界だ。自然な風を装ってもう一度彼女を見ると、こちらに向かって歩いて来ているところだった。

 こちらに。

 俺の方に?

 いやいや、まさか――


「あの、ちょっといいですか? 地元の方ですよね?」


 ――目の前で立ち止まった彼女が、問い掛けてくる。間近で見ると、よりその可愛さに目を奪われた。

 そのまま見蕩れそうになりつつも、俺は慌てて返事を返した。

「そ、そうですけど」

 うっわ、ちょっと声上ずった恥ずかしい! と思った瞬間、かーっと顔が熱くなってきて、それが更に恥ずかしい!

 羞恥と動揺で一気に慌て出す俺に気付かぬ様子で、彼女は俺の右手側に立つラグビーボール像を見上げた。


「北口前のラグビーボール像って、これのことですよね?」

「で、ですね。これだと思います」

「よかった、すぐに見付けられて助かりました。――ゲッヘッヘ」

「――は?」

「あれ、まだ気付いてません? ナツメですよ、ロック君」

「え? ナツメって……え、えええええええええ?!」

「イエーイ、ドッキリ大成功ー!」

 彼女が楽しそうに笑う。周囲から注目されるが、今はそれに構っていられない。

「いや、いやいやいや! ドッキリって! つまり近くに本物のナツメさんが!!」

「ノーノー、ワタシガホンモノアルヨー」

 謎のカタコトだった。この対応は明らかにナツメさん本人なのだが、動揺の方が大きくて納得出来ない。

「いやだって、ナツメさんは男なんじゃ……」 

「男装レイヤーでーす!」

 イエーイ! と手を上げ、くるりと一回転する姿が超可愛い。スカートがひらりと舞った。

 それに驚くしかない俺を前に、彼女は楽しくて楽しくて仕方がない、といった様子を隠さぬまま、ブレザーのポケットからスマホを取り出した。


「じゃあ、証拠を見せましょう。はい、スマホ出してスマホ出して」

「お、おう……」

「『ドッキリ大成功ー!』っと」

 細くしなやかな指先が打ち込んだ文字が送信され――俺のスマホにツイッターの通知が来た。

 ダイレクトメッセージを確認し、彼女のスマホに表示されているホーム画面を凝視し、この冗談みたいな状況が現実だと解っても、まだまだ混乱は収まらない。

「で、でもおかしいだろ、配信じゃ男の声で……」

「えっとですねー……あー、あー、うん。こういう感じで、声を低くしてね?」

「マジかよ!」

 可愛らしい声から、やや低い中性的な男の声に変化した。

 いや、こうして面と向かっているから中世的と感じるが、最初から男だと思って接していたら解らない。……実際に、解らなかった。

「声真似動画とかもあるからな。異性声を作るノウハウは、ネットに沢山転がってるんだぜ、ロック君」

「マジで凄いな……。いや、それしか言えないっス」

「ん、ありがとう」

 元の声に戻っての微笑みは、周囲に花を咲かせるような可憐さだった。ドキドキする。

 それが顔に出てしまいそうで、俺は慌てて質問を口にした。


「じゃあ、その制服は?」

「あ、これですか? 前からずっと着たかった高校の制服でして、入学シーズンに合わせて買っちゃいました」

「コス用じゃなくて本物……。……え、じゃあ、ナツメさんって今いくつ――」

「――ん?」

 有無を言わさぬ微笑みだった。

「な、なんでもないです……」

「よろしい。それじゃあ、移動しましょうか。――エスコート、してくれるんですよね?」

「い、いきなり難易度上げないでくださいよ!」


 微笑むナツメさんと、目を合わせられない。

 共学に通っているし、女友達も数人いるし、女子に対して変にテンパることはないと思っていたのに――男だと思っていた相手が女性で、しかもアイドルみたいに可愛いのだ。緊張するな、というのが無理な話だった。


 とりあえず、駅に直結しているショッピングモールへと歩き出しつつ、俺はちらりとナツメさんを見て、目が合い、慌てて視線を正面に戻し、

「マジか、マジか……」

 壊れたオモチャのように、マジか、と繰り返すことしか出来ない。

 そんな俺のすぐ隣で――距離が近い!――ナツメさんが柔らかく微笑んだ。


「オンオフかかわらず、知り合いは多いですけど、性別をバラしたことはなかったんですよ。でも、ロック君にならいいかなぁって」

「ど、どうしてです?」

「こんなに仲良くなった人は、他にはいませんでしたし――何より、いいリアクションをしてくれそうだったので!」

「こ、この……!」

「あはは」

 心から楽しそうに、嬉しそうにナツメさんが笑うから、文句も言えなくなってしまう――

「――って、納得出来るかぁ! 男だと思ってたから、俺結構アレなことも喋ってるじゃねーか!」

 エロい話とかもしちゃってるじゃねーか! もうやだああああ!!

「だからほら、ロック君が好きそうな完璧美少女で、ほら」

「うっわムカツク……!」

 その外見、実際に好みだから尚更だよ!

「ちなみに地毛です。愛するロック君の為に伸ばしたのっ!」

「愛が重い!」


 ……なんだろう、こうして話をしていると確実にナツメさんなのだが、響いてくる可愛い声や表情、いい匂いなどで、思考が纏まらなくなってくる。


「……てか、ナツメさん、ネットと口調違うんですね」

「ネット上だと男って設定ですからね。素の口調はこっち――かもね? 違うかもね?」

「こ、この人は……」

「フフフ、コスプレイヤーはそのキャラになりきる生き物。今の私は完全無欠なJKなのです!」


 ドヤ顔が似合う人だった。それに呆れつつも見蕩れたところで、ナツメさんが自然な動きで俺の手を取り、より近い位置から俺を見上げ、

「――でも、ロック君のことが大好きなのは本当ですよ」

「っ?!」

 思わず足が止まる。そんな俺の手を軽く引きながら、ナツメさんが微笑んだ。


「ほら、行きましょう? 私達はお互いをよく知っていて――でも、まだ何も知らないんですから」 




 

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