コスプレ探偵椎名ばべるの事件簿 多くの名前を持つお菓子

水偽鈴

第1話

 コスプレ探偵椎名ばべるの事件簿 -多くの名前を持つお菓子-


 言葉と物は普通一対一に対応する。どら焼きといえば茶色で丸いレンズ型のあんこ入りの焼き菓子だし、どら猫というのは人に飼われていない猫のことだ。だが、一つの言葉に対して当てはまるものが多くあったり、逆に多くの呼び名を持つ一つのものがあることもそんなに珍しくはない。

 私は今縁あって椎名ばべるという名でモデルをしている。ツイッターのプロフィールには 椎名ばべる 学生、モデル。趣味 -アニメ、コスプレ、探偵(コスプレの仕事は受けていません)と書いてある。個人撮影の申込みを何回か断った後でいちいち断るのが面倒になって()内の文章を付け加えたのだが、それなら最初から書かないほうがいいようにも思う。

 探偵はそう書いていたために一度依頼を受けて猫を探した事がある。猫がいなくなった家の近くから周辺を歩き回り捜索範囲を広げ、猫の鳴き真似をし、野良猫に餌をやり、消えた猫の気持ちを想像した。三日目に猫は見つかり、報酬として梨を五つと中古のデジカメ、サイバーショットDSC-P2をもらった。

 コスプレはアニメキャラの服を作り部屋の中でそれを着るという実に私的な趣味だ。そのための裁縫も趣味と言えるかもしれない。中学のときは手芸部でどれだけダサいセーターを作れるかに挑戦した。赤と緑の放射模様の中心に変な犬の顔を配したセーターを作り、思春期の女子特有の父親を嫌いになる時期だったので父にプレゼントしたら、父は喜んで職場に着ていったので申し訳なく思った。

 その後父に買ってもらったミシンで服を作るようになった。雑誌に載っている型紙を使い、体に合わせて服を作った。主にコスプレ用の服だ。

 コスプレの写真はないんですかと聞かれることがたまにあるけど一枚もない。コスプレした姿は他人に見せないし写真を取らないし鏡も見ないこともある。私がやるコスプレというのは主に部屋にこもってキャラクターの格好をしてそのキャラの出るアニメを見ることだ。それは一人称視点のゲームのアバターやVRのようなもので他人や客観的評価を必要としない。その服を着るとどんなふうなのか確かめ、そのキャラであるとはどういうことなのかを考えたりしながらアニメを見て、そうそう、この頃の私は吹奏楽部に入るかどうか迷ってたなあ、などと嘘の記憶を捏造していくしごく私的なものだ。だけど趣味ってそういうものだろう。

 一度だけトイレにコスプレの服で行って階段のところで父に会った事があった。

「いい制服だな、ラブライブだろ」

「ラブライブです」

 アニメはもちろん見る方で作るわけではない。一時期すべてのアニメの新番組の少なくとも第一話だけは見るようにしていたけど、今はやっていない。好きなものを見るのだけで精一杯だ。絵も描くのだけどそんなに上手くはない。一時期描いたアニメキャラの絵をネットにアップしていたんだけど反応は芳しくなく、他人の描いた絵をパクって加工して自作だと言って承認欲求を満たしたくなった。しなかったけど。

 そんな自己顕示欲と承認欲求に飢えていた頃、アニメイトでの買い物の帰りにファッションモデルにスカウトされた。

 いや無理ですオタクなんで見ての通りファッションもあれだし、という私にそれは別にいいとスカウトのおばさんは言った。

「趣味があなたのすべてってわけでもないでしょう。あなたならできるわ」

 その後ファミレスで説得され、充分な金を稼ぎあらゆる人から遠ざかりたい気分だった私は学業を優先するという条件でそれを受けた。

 初仕事で本名か芸名か、芸名をつけるなら今決めてと言われた時、江戸川コナン方式でその時持っていた本にちなむことにした。バベルの塔が表紙にある新書だった。椎名はカタカナと漢字にしようと思ってつけた。ただ最初の雑誌でひらがなに間違えられ、それに合わせることになった。

 思っていたよりも楽して大儲けというわけには行かなかったけれどそこそこ仕事にも慣れてきた。


 そんな頃当初想定していなかった仕事を受けることになった。漫画関係の仕事だ。以前から漫画「イモータル刑事デカ」のファンだと言っていたおかげか私はその映画版に出演することになった。イモ刑事デカは宇宙人の関係した事件を刑事たちが秘密裏に解決する人気の作品だ。バディもので片方の刑事は宇宙人で不死身だった。

 ツイッターは主にアニメ関係の話を読むためにアカウントを取っていた。モデルの仕事用にインスタグラムもやってはいたが少ないフォロワーはほとんど被らなかった。双方にリンクは貼ったのだけど、誰も私に興味がないか、もしくは二つの領域に同時に興味を持つことがないのだろう。私も異世界の話は頻繁に読んでいてもファッション界の実在を最近まで知らなかったし、今年の秋冬コレクションに興味のある人は今期のアニメという概念がない。

 イモデカ実写やるのか、とツイッターでつぶやいたのを関係者が検索で見つけた、それ以外思い当たる節がない。もしくは単なる偶然かもしれない。私が出て何かがどうこうなるほど私は知名度がない。

 イモデカ実写やるのか、というのは肯定的な意味だけで書いたわけじゃない。見ないけど、とは付け加えなかったけど正直見る気はなかった。特撮やドラマを見るアニメファンもいるけど私は好きなアニメを見るのだけで精一杯で、さらに声優のラジオを聞いたり漫画や小説やラノベを読んで、ネットを見てたまに書き込んでゲームをして空いた時間で勉強をして、休みの日に仕事をすると全く余裕はなく、テレビドラマも実写の邦画もほぼ見なかった。

 実写がコケてアニメ化の機会が失われるかもしれないのが唯一不安だった。なので出れることになってもそこまで嬉しくはなく、もし原作者が見学に来ていたら遠くから眺めたいくらいで特に何も望んではいなかった。大過なく実写化が成功し、流れで原作がアニメ化することだけが望みだった。多分完成した映画も見ないだろう。

 旅行に行く前の準備が旅行よりも楽しいと私の母は言うのだけど、私も好きな漫画や小説のアニメ化が発表された瞬間が一番うれしい場合があった。アニメになったらどんな声優になるんだろうと匿名画像掲示板で益体もない話をするのも好きだった。時々出版社がここだからおそらくテレビ局はここで、深夜枠だとするとどこが製作で委員会にレコード会社が入るとこの声優がねじ込まれるだろう、と本気な話をしだす人がいるけどそういうのじゃない。そうじゃなく単に夢想するのが好きだった。あらゆる可能性を秘めた未だ実現していないアニメについて。


 梅雨に入ったばかりの蒸し暑い曇りの日、私は郊外にある某撮影スタジオの楽屋に来ていた。いわゆる大部屋だ。大部屋俳優と言う言葉があるがその部屋は実際に大きいとは限らない。そもそも一つの控室を複数で使う俳優をすべて大部屋俳優と言うんだと思っていたらそうでもなく、プログラムピクチャーの頃の映画会社が雇用した脇役だけをそう呼ぶという説もあった。つまりは私は正確には大部屋俳優ではなくモデル事務所に所属する非正規雇用の派遣だった。

 折りたたみの六尺机二つがまとめられて部屋の中央にあり、人数分以上の椅子があり、俳優たちはそこに座って出番を待っていた。入って右側の壁は一面鏡台になっていて、奥の壁は間仕切りとカーテンで更衣室が作られていた。左側には背の高いロッカーとその横にZ型のハンガーラックがあり、透明なビニールの埃よけのついたハンガーがいくつか掛かっていた。隅にはスチール棚があり、何かの段ボールがあった。私は一番入り口に近い席に座った。

 大部屋にいる他の人と挨拶をし自己紹介をしあったが、結局私はその役名しか覚えられなかった。つまり女子大生、ウエイトレス、といった具合だ。私の役は喫茶店の客でセリフはない。全員エキストラを派遣する会社に登録していて、本業の役者ではないらしい。一番上座、いわゆるお誕生日に座った喫茶店のマスター役の人がややベテランらしい。彼は有名な俳優にビール瓶で殴られたのが今までやった最も大きな役だと言っていた。

 私は飴で作ったラベルのないビール瓶を思い浮かべた。それが画面に出てくると壊されることが予想できて、必ずそうなった。昔のコントでよくあった。

 ビール瓶を役者が手に持つと小道具で、持たないと大道具や背景の仕事になったりするらしい。私達は動く大道具、動く背景だと説明された。本業でも歩くマネキンのような気持ちになることがあるので出来ないことはないだろう。

 扉がノックされ、返事をする間もなく開けられた。ビール瓶の人が急に立ち上がって、

「おはようございます」と挨拶をした。扉側を振り返るとテレビで見たことのある女優が大部屋に入ってきていた。

「おはようございます」といったあと彼女は立ち上がろうとする私たちを手で制し、

「いえ、どうぞ座っていてください」といった。

 しかたなく中腰のままゴニョゴニョと口の中でおはざぁすみたいなことを言って腰掛けた。

「これよかったら皆さんで食べてください」と彼女は高校生用の英和辞書くらいの大きさの紙箱を机に置いた。手の甲で机中央に軽く押し出し、部屋の隅、鏡台の右端に行って備え付けの椅子に腰掛けた。

 誰もが彼女を見つめ動けないままだった。ビール瓶などは立ったままだ。

「ありがとうございます、いただきます」

 沈黙に耐え難くそう言って私は箱を開けた。中にはきつね色の大判焼きが六つ入っていた。お茶っ葉の缶が二つ横になったような感じだ。ちょうど大部屋俳優たちの人数分だ。

 一つ取って一口食べたら予想通り中はあんこだった。一旦机にティッシュを敷いて食べかけの菓子を置き、五百ミリペットボトルの水を飲んだ。水は部屋に入ったとき一人一本ずつアシスタントディレクターに配給されていた。他の人たちも菓子を手にとって食べ始めた。

 女優の方を見ると椅子に腰掛け、机に肘を付き、おでこに手をついて動いていなかった。彼女は水色のワンピースに木製のかかとのサンダルで、白いベルトの腕時計をしていた。うつむいていてその表情は鏡越しでも見れない。こちらが挨拶に行くべきなのになぜ来たんだろう。全員で揃って挨拶に行くから勝手に行かないように、行くときはADが先導する、という説明が最初にあった。彼女には個人の楽屋があるのになぜここにいるんだろう。不思議に思いながら水をすすった。

 女優が顔を上げ、鏡越しに目があったとき、私は今日初めて自分の格好を少し後悔した。

 モデルであるにもかかわらず私の私服はたいていダサかった。紺屋こうや白袴しらばかまというか、そこに情熱を持てないのだ。根っからオタク気質で、こういう自分を見せたいという構想や意欲に欠けていた。あなたにはファッションセンスがないと前のマネージャーに言われつづけ、その結果なにもかもほとほと嫌になり学習性無力感によって好きな物を着るようになったのだが、本当のところ好きな物などなかった。そしてゴスロリを着るようになった。今は自分でスカートを切って加工して螺旋状にフリルを付け足したややカジュアルなゴスロリ服を着ていた。

 ゴスロリを着るようになってからマネージャーが代わった。TシャツにGパンでもばべるさんは何を着ても似合いますねと言ってくれる、優しい人だった。銀座の久兵衛に食事に誘うときに僕と契約してお寿司を食べてよ、というようなうっすいオタクネタを挟み込んでくる以外は概ねいい人だった。

 モデルの仕事では当然服は向こうが用意する。同様に映画の仕事でもそうだろうし(これは間違っていたのだが)何を着ていてもいいだろうと思い、しかし礼を失しないように、なおかつ舐められないようにこの服を選んだ。

 私はカジュアルな服でお越しくださいと言う言葉を真に受けて罠にかかるタイプだった。実際に失敗して学ぶタイプだったが、学んだことをしばしば忘れがちだった。

 振り向いて見つめられて、この服が間違っているので見られているのではないかと考え始めた。

「あなたどこかでお会いしました?」

 と聞かれて私は驚き困惑した。向こうがこちらを知っているとは思いもしなかった。失礼なことにまだ女優の名を思い出せていなかった。

「いいえ」

 といったあと自分が手に持ったお菓子に気づき、付け足した。

「これ美味しいです。ありがとうございます」

「ああ、はい」

「大判焼きお好きなんですか」

「いいえ」

 眉をひそめ片手で顔を覆いうつむいた。そんなこと言ってない、みたいなことをギリギリで聞き取れる小さな声でつぶやき、立ち上がった。

「お邪魔しました」といって部屋から出ていった。

「ごちそうさまでした」と彼女に声をかけたがなにかふさわしくない気もした。何かがおかしかった。私の服以外にも。


「あーびっくりした」

 前に座っていたウェイトレスの人が言った。

「やっぱり芸能人はオーラがすごいですね」

 とその隣の茶髪の女子大生役の人が相槌を打った。

「モデルさんなんですよね、ばべるさん」

 とウエイトレスが聞く。ばにアクセントを置かずマサルさんみたいな平板な呼び方をされてややイラッとした。直前のモデルさんの発音につられたのだろう。

「はあ」

「何かで一緒に仕事されたんですか」

「いや多分雑誌で見たんでしょう」

 雑誌の仕事をしていて、自分の載っている雑誌を読んでもいまいち読者層がわからなかったがこれからは彼女を思い浮かべよう、と決意した。

「こういう差し入れ自体は珍しくはないんだが」

 ビール瓶の人が口を挟んだ。

「たいていマネージャーやADを介して渡すものだ」

「女優手づからって言うのはありませんでしたか」と茶髪。

「ない。わしの経験では」

 それはどのくらい珍しいことなのか測りかねていると、

「ドッキリですかね」

 隣りに座っていた営業の役の人が言った。実際にスーツを着ていて営業の人のようだった。

「あー」と何人かが納得したようにいう。

「それにしては地味では」

 それまで黙っていたおじさん役のおじさんが反論するがどちらにも根拠も確信もないので何だったんだろうねーとその話は消えていく。女優がお菓子を自分で大部屋に差し入れする。別に普通にありえるし、そこまで驚くようなことでもないのかもしれない。

 ドッキリだとしたら彼女が私を知っていたことも仕込みだろう。でもそんなことをするだろうか。私はそんなことをする、される価値のある人間じゃない。

 空気を読まずお菓子を食べだす椎名ばべる、というテロップが入った画面を思い浮かべ、間抜けな効果音や隅っこにワイプで芸能人の笑っている顔を付け足してみた。あの鏡がマジックミラーで裏にカメラがあるのだろうか。逆側を抑えるためにロッカーにもあるのかもしれない。この部屋に入ったときに既視感があったのはすでにテレビのバラエティで何度も見ていたからだ。こういう部屋や、そこに集まる人を、隠しカメラで取った絵を。

 私がモデルになったのも実は嘘なのでは。スカウトされたところからドッキリが始まっていて、私の行く本屋だけに嘘の雑誌を置き、嘘の仕事を毎週与え、嘘の給料を払い、あいつ本当にモデルになれたと思っているよとどこかで誰かが笑っているんだろうか。そんなSFがあった。世界に舞台裏などないと言っていた中学のときの先生を思い出した。

 私はモデルではなくコスプレ探偵になりたかった。だがなりたいものになれるとは限らないし、そんな仕事はないし、モデルをやる以上は頑張ってやって、本当はやりたくなかったと言って誰かを幻滅させないようにしたい。BLドラマに出なくなった男性声優が本当はやりたくなかったと言って反感を買ったことがあった。一生黙っていてほしかったと女性たちは言っていた。でもそういう気持ちも少しわかる。ゲームのルールが分からない中でプレイヤーじゃなくコマのような仕事をしていると、意味についていろいろ考えたりする。


 ノックの音がして、失礼しますと聞こえた後ドアが開けられた。スーツ姿の小太りの中年男性が入ってきた。

 机の上の箱を見つけて、

「このお菓子どうしたんですか」

 と聞く。

「さっきマサキさんから差し入れでいただきました」

 と誰かが答える。

 スーツのおじさんは呆然とした表情で立ち尽くしていたが、落ち着きを取り戻し、

「失礼しました」

 と言って去っていった。

 あの女優さんはマサキという名だと分かったがそれが名前なのか名字なのかは分からなかった。

「あの人マサキさんのマネージャーさんですね」

 とウエイトレスが言った。

「なんで分かるんです」

「テレビで見ました。密着ドキュメンタリーで」

 テレビっ子は詳しいな。

「なんか揉めてんですかね」

「私たちにはあずかり知らぬことだ」

 おじさん二人が話していた。

「何かしら揉め事があっても彼女は仕事はちゃんとするだろう。真面目な人だから」

「前に一緒に仕事をしたことがあるんですか」

「いや、今日買ったテレビブロスのインタビューを読んでそう思った」

 ただのファンじゃねえか。

「今そのブロスありますか」

 と話しかけた。

「あ、ああ」


 ちょっとトイレに行ってきますと言って部屋を出た。歩きながら考えをまとめ、女子トイレのドアを開けた。予想していたとおりマサキさんがいた。洗面台に凭れて斜め上を眺めボーッとしていた。

 さっきの人は芸能人にオーラを感じると言っていたがベンヤミンも言う通りアウラとは受け取る側の心の問題なので私はほとんど何も感じなかった。初めてイベントで能登麻美子を見た時とても興奮したことを思い出した。

「マサキさん」

 思い切って話しかけた。

「はい」

「先ほどマネージャーさんが大部屋にいらして、お菓子について聞いていきました」

「ああ、そう」

 彼女は何にも関心がないような態度を貫いている。

「あのお菓子は沢山の名前があることで有名ですよね」

 何言い出してるんだと言う顔でようやくこちらに目線をくれた。

「大判焼き、今川焼き、回転焼き、御座候、おやき、あじまん、パンセポンセ、甘太郎」

「あまたろう」

 予想通りの反応だった。

「最近甘太郎について話しましたか。甘太郎が好きとか」

「言ったわ」

「なにか誤解があったのでは」

「そのようね」

 私は彼女の楽屋に連れて行かれた。それは大部屋とほぼ同じ作りだった。楽屋にはさっきの小太りのマネージャーが立っていた。

「マネージャーさんは以前マサキさんが甘太郎が好きといったのを聞いて、このお菓子を買ってきたんですね」

 いきなり本題に入った。

「えっ、あ、はい」

「そうしたら彼女は好きなんて言ってないと言って」

「そうです」

「言った言わないで喧嘩してマサキさんはお菓子を持って出ていってしまう」

「ええ」

「そしてお菓子を大部屋に差し入れであげてしまう」

「ええ」とマサキさん。

「マサキさんはあのお菓子を甘太郎と呼ぶと知らなかっただけなんです」

「ああ、そうだったのか」

 マネージャーはがっくりという感じで机に両手をつく。

「それはそうだ。その可能性はあった。確認すべきだった」

 一人で納得していた。

「そしてマサキさんが好きといった甘太郎はおそらく、手作り居酒屋甘太郎」

「いえ、それは違います」

 違った。マサキさんは小さい手提げ鞄を開け、スマホを取り出し画面を出した。

「この子があまたろうです」

 私とマネージャーが覗き込むと、可愛い猫の写真があった。

「猫を飼ってるんですか」

「いいえ」

 私とマネージャーは顔を見合わせた。

「ネットに自分の猫の写真を上げている人がいて、この子が可愛くて画像を保存してブログが更新されるたびに見に行っているんです」

「なるほど」

「でもインタビューで最近ハマっていることは何かありますかって聞かれてついうっかりあまたろうって言ってしまって。こんな説明を付け加えるのはおかしいでしょう。飼い主にも迷惑がかかるかもしれないし」

「だから甘太郎はカットで、甘いものが好きでフィナンシェにハマってますと訂正したのか」

 とマネージャーさん。

 彼はそれで誤解したわけだ。甘いものが好きで甘太郎を出すのはかっこ悪いし恥ずかしいからフィナンシェにしたと。

「そうなんです。誤解させてすみません」

「誤解でよかった。この仕事ではたこ焼きを買いに大阪に行けとかバスタブにお湯を張って薔薇の花びらを浮かせておけとか冬に西瓜を用意しろとか言うタレントがいて、私はできる限りそれに答えるけど、言ったことを言ってないと言われると、信頼関係がもう終わりだと、私達はもうだめかと」

 自分に言い聞かせるようにマネージャーは一人語っていた。

「誤解が解けてよかったです。あとマサキさんはもう少しプライベートを出してもいいと思います」

 彼女はわだかまりのなくなった安心した顔をしていた。

「そうね。何か、飼ってもいない猫が可愛いなんて話をしたところで誰も分かってくれないんじゃないかと思って」

 飼ってもいない猫を探したことのある私には少し分かります、と言いそうになった。

「ファンはそういう普通の部分や分かりにくいところも知りたいんじゃないかと思います」

「そうかもしれないわね。今度からくだらない話も、かっこ悪い話もしてみるわ。ありがとう」

「じゃあ失礼します。今日はよろしくおねがいします」

「あなたお名前は」

「椎名ばべる、です」

 椎名ばべる、探偵です、とか言ってみたかったがそこは言えなかった。

「バベルだからそのスカートなのね」

「スカート?」

 とマネージャー。

「ブリューゲルのバベルの塔がモチーフなんでしょう、そのスカート」

 その発想はなかった。そもそも私はなぜティアードスカートを縦に切って一段ずらそうと思ったのか。下に余った三角を切り取って持ってきて上の隙間を埋め、アイレットレースでフリルを足した。黒い地に白いアーチのような形で。それは無意識にバベルの塔を模すためだったのか。

 そう考えるとこれは椎名ばべるのコスプレ、制服なのかもしれない。


 世界に舞台裏などないとヴィトゲンシュタインは言っていると中学の教師が言っていた。だが高校生になって読んでみるとそんなことは別に言っていなかった。まあそう解釈できることは言ってたけど。

 言語の意味は語の使用。そう思われたならそういうものだ。人と話すことがすでに演技だし、外に着ていく服がすなわちコスプレだ。狂人の真似をする人は狂人だ。

 本当はかっこいいけどダサいというあり方を前のマネージャーは認めなかった。彼女は人の外見しか見なかった。

 

 撮影は概ね順調に進んだ。原作の男性刑事二人のうちの片方を映画では女性に改変していて、その役がマサキさんだった。もちろん恋愛要素も入るのだろう。ヒットの予感がしない。

 喫茶店のシーンで私は監督にそこのゴスロリは目立ちすぎるから遠くに行けと言われたが、マサキさんがこういう人もいるものだからこれでいいんじゃないかと言い出した。

「これは推理モノで、伏線のように見えてそうじゃないミスリードも大事なんだから、ただ単に怪しいだけでなんでもない人がいてもいいし、いたほうがいいはずです」

「ここは会話に注目させたいんで気が散ると困るんだ」

「じゃあ会話が終わったところでウエイトレスとして入ってもらいましょう。メイド喫茶ってことにして。ヘッドドレスとエプロンをつければそう見えるでしょう」

 

 仕事が終わったあと今のマネージャーが車で迎えに来てくれた。この人は前野というのでややこしい。今の前野マネージャーと前のマネージャーを発音で区別できない上に私は前のマネージャーの名前を忘れている。

 この仕事を入れてくれたのは彼だった。

「原作に興味があるみたいだったんで入れたんですけどどうでした」

「いや、普通です。別に私じゃなくても良かったんじゃないかと」

「コスプレの仕事はしないってのは版権コスプレで個撮の仕事を受けるのが嫌って意味ですよね」

 時々専門用語を入れてきてびっくりする。コスプレというのはハロウィンで渋谷に集まる人がやることというのが普通の人の理解だろうに。

「まあそうです」

「権利者から仕事が来たらどうします」

「そんな仕事ないでしょう」

「エヴァのレースクイーンとかやりたくありません?」

「いやエヴァは好きだけどアニメが好きなだけなので商品展開は詳しくないんです」

「やりたくないの」

「本編で綾波とアスカ、レースクイーンになるの巻っていうのをやったらやりたいです」

「めんどくさい人だな」

「でも今日はコスプレ探偵が出来たんでよかったです」

「なんですかそれ」

 私があの揉め事を解決しなくても二人共いい人そうだったのでそのうち誤解は解けただろう。ただ早く仲直りできたので仕事がいい雰囲気で出来てよかった。

 

 後日原作漫画に変なスカートのメイド喫茶の店員が出てきて、彼女のハート型の名札にばべるとあってなんとも言えない気持ちになった。私は事後的にコスプレをしたことになった。

 映画は見ていないが完全な別物としては評価が高く、そこそこヒットしたらしい。

 イモ刑事デカのアニメ化の話はまだ出ていないが私は今も期待している。


(10050字)


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