第268話 試練

 碁盤目状に整然と区画された早朝の街並みを抜け、ペイン達を乗せた馬車は由良の待つ宮殿へと向かう。

 まだ早い時間にも関わらず、商店と思しき建物には既に客が並んでおり、豪奢な装飾がなされた馬車を物珍しそうに目で追っている。

 馬車はしばらく大通りをゆっくりと走り、やがて都の中央に位置する一際大きな敷地内へと入っていった。


 「到着いたしました。私がご案内いたしますので、はぐれぬよう後について来ていただきたい」


 先に馬車を降りた朧は振り返ると、そうペイン達に告げて歩き出す。

 三人は朧の言葉に頷くと、大人しく指示に従って後を追った。

 日本庭園の様な庭に囲まれた長い廊下を歩いて行き、朧は広間の襖の前で立ち止まると、咳払いをして声を上げた。


 「魔王信濃様並びに魔王リリス様の配下の方々をお連れいたしました!」


 「どうぞお入り下さい」


 広間の中から、朧の言葉に答え女性の声が返って来た。

 その声は、決して大きくはないが、鳥の鳴き声のようによく通る心地良い響きを纏っていた。

 許可を得た朧は一度ペイン達を振り返ると、三人をジッと見つめて『粗相の無いようにな』と目で訴えると、深呼吸をして襖を開け中に入った。


 「失礼いたします」


 「ようこそおいで下さいました。どうぞそちらへ」


 ペイン達が広間に入ると、正面奥で柔らかい笑みを浮かべた由良が迎え、席を勧めた。

 朧は案内を終えると、由良に一礼してその場を離れ、いつもの場所・・・東櫻女氏國の筆頭将軍である長門の後ろへと下がって行った。

 由良はそれを見届けると、改めてペイン達に笑顔で頭を下げた。


 「皆様ようこそお越し下さいました。私は由良と申します」


 「朝早くからすまんかったなあ、まだ寝とったんちゃう?」


 「いえいえ、祈祷などやらねばならぬ事が山積み故、こう見えて日の出前には起きております」


 「・・・信濃よ、貴様とは大違いであるな」


 笑顔を崩さず答えた由良の言葉を聞いたペインはジト目で信濃を見つめている。

 すると、信濃はウンザリとした表情でペインを振り返った。


 「ウチは朝が苦手なんや・・・てか、お布団が悪いんや!あんな気持ち良えもん我慢出来るか!」


 「それは貴様の意思が弱いだけではないか・・・まあ良い、貴様が朝が苦手だとかのくだらん話はこの辺にして、早く話を進めて欲しいのである」


 「くだらんとか言わんといて!ウチにとっては風呂入んのと同じくらい至福のひと時なんやから!

 まったく、あの良さを堪能せんとか正気かほんまに・・・ほんじゃまあ、まずは自分等の紹介からせんといかんな」


 ブチブチと愚痴をこぼした信濃はため息をつくと、ペイン達を振り返った。


 「ふむ、では我輩から・・・。我輩の名はペイン、覇竜である」


 「私はアンネロッテ、この子はアルラウネのアリーと申します。早朝にも関わらず私共の為に席を設けていただき感謝いたします」


 「ん!」


 三人がそれぞれ紹介を済ませて信濃が由良に向き直ると、信濃は首を傾げた・・・先程まで優しく微笑んでいた由良の表情があからさまに引きつっていたのだ。


 「どないしたん自分・・・」


 「い・・・いえ、何でもございません!ただ、まだ幼いのに挨拶がしっかりと出来て偉いなとか、それはもう可愛いひゃい!?」


 「可愛いひゃい?何なん自分・・・」


 正座の姿勢のまま10cm程飛び上がった由良に対し信濃が訝し気に尋ねると、由良はゆっくりと顔を上げる・・・その額には脂汗が滲み、目には薄らと涙を浮かべていた。


 「な、何でもございません・・・」


 「何でもない訳あるか!あからさまに変やないか!?」


 「だ、だから何でもないのです!・・・っ!?」


 信濃が立ち上がって指差して怒鳴ったが、由良はあくまでもしらを切り通そうとする。

 すると、それまでアンネの膝の上に座っていたアリーは暇を持て余したのか、隣に居たペインの身体をよじ登り始めた。


 「何であるかアリーよ、大人しく待っているのである・・・」


 「ん!!」


 ペインの身体を登り終えたアリーは肩車の体勢になると、満足したのかニコニコと笑いながら元気よく返事をした。

 信濃と押し問答をしながらそれを目で追っていた由良は、急に黙って頬を染めたかと思うと、その場でへたり込んで蕩けた笑顔にる。


 「か、可愛い・・・あ痛たたたたたたっ!な、長門!後生ですからもう許して下さいっ!!私がっ!私が悪かったですからっ!!」


 それも束の間、由良が叫びながらのたうち回る。

 相変わらずご満悦なアリーは別として、信濃やペイン、アンネは状況が理解出来ずに顔を見合わせて首を傾げ、由良の家臣達は哀れむような目で自分達の主を見つめていた。

 しばらく転げ回っていた由良は、ビクビクと身体を痙攣させながらゆっくりと顔を上げると、涼し気な表情で目を閉じている長門に頭を下げた。


 「も、もう勘弁して下さい・・・身体が保ちません・・・」


 「良いでしょう・・・」


 「ありがとうございます!ありがとうございますっ!!」


 「一体全体何なんや・・・」


 涙ながらに頭を下げ続ける由良を見た信濃が小さく呟くと、由良は正気に戻って咳払いし、何食わぬ顔で向き直った。


 「こほん・・・お見苦しいところをお見せしました」


 「いやいやいや、何事も無かったみたに振る舞うのやめぇや!ウチは騙されへんで!!」


 「・・・見て見ぬ振りをしてはいただけませんでしょうか?」


 「あれを見て見ぬ振りとか無理やろ・・・」


 「うぐっ・・・!?そ、それもそうでございますね・・・。

 良いでしょう・・・正直に申しまと、これは不甲斐ない私に与えられた試練なのです・・・」


 由良が目を伏せて俯くと、家臣達が鼻を啜って涙を流した。


 「おぉ、由良様・・・なんとおいたわしいっ・・・!」


 「長門殿も長門殿だ・・・由良様に対しなんと酷い事をっ・・・」


 「良いのです・・・これも私が未熟だったからこそなのですから、長門を責めてはなりません」


 「いや、茶番は良えから早よしてや・・・」


 由良と家臣達の心温まる空気をぶち壊し、欠伸を噛み殺しながら信濃が催促する。

 すると、由良はバツの悪そうな表情を浮かべると、アリーを見てため息をついて俯いた。


 「先日、私は信濃殿が変化した魔王リリス殿の姿を目にし、あまりの愛らしさに心奪われ気絶するという大失態を冒してしまいました・・・それは、曲がりなりにも一国を預かる者として、許されざる事なのです。

 今後、この国を訪れる他国の使者の方々とお会いする際、その様な姿を見せてしまってはこの国の威信に関わります・・・ですので、私がいざと言う時にも平静を保てるようにと、長門に頼み、疑わしい場合には身体に電流を流すよう仕掛けを・・・」


 「ははーん、分かったで・・・自分等アホやな?」


 「ア、アホとは何ですか!?私なりに改善しようと考えた苦肉の策なのですよ!?」


 アホ呼ばわりされて憤慨した由良に対し、信濃は呆れた顔で首を振る。


 「いや、どう考えてもアホやろ・・・」


 「アホであるな・・・」


 「そ、そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません・・・」


 「そ、そんな・・・」


 ペインやアンネにまで微妙な顔をされ、由良は弱々しくその場に崩れてしまった。


 「実戦に勝る経験は無いと思い我慢したと言うのに・・・これでは、ただ痛かっただけではないですか・・・」


 「あんな、一つ言っときたいんやけどもな・・・他国の使者もそうやけど、こいつ等も魔王リリスと清宏の使者やで?こいつ等ん前でのたうち回るんは良えんか?」


 「そ、それはまぁ・・・長門が『清宏殿の使者であれば大目に見てくれるだろう』と・・・」


 「お前が元凶かい!?」


 信濃が指差して怒鳴ると、長門は目を開けて顔を上げる・・・その表情は一点の曇りもなく涼しい顔をしていた。


 「これはまた人聞きの悪い事を申される・・・某は他人を見る目には自信があるのだ。

 某は先日この場で相対し、彼の者はこの程度で事を荒立てる様な男ではないと見ている・・・。

 彼の者は信濃殿への対応には強く出ていたが、当方の無礼に対しては一転不問とした・・・そして、あの探求者ですら彼の者の判断に従い、彼の者に恥をかかすまいとその後は矛を納めた。

 某が見るに、魔王リリス殿は他国への使者として全権を任せる程に彼の者に絶大な信を置き、あの探求者ですら忠誠を誓う程に非常に高い統率力を持っている・・・そして何より、彼の者は明らかな敵対行為でない限り、互いに利益があるうちは多少の無礼は水に流す打算的な思考を持っている・・・違うだろうか?」


 長門が臆面も無く答えると、それを聞いたペインと信濃が吹き出した。


 「くっくっく・・・!見事に彼奴の事を言い当てたのである!全く持ってその通りであるぞ長門とやら!!」


 「いやあ、ほんまあんだけの時間でよう見とんな自分・・・」


 「き、清宏様の名誉の為言わせていただきますが、本当は仲間想いな方で決して悪い方ではないのですよ?」


 アンネが慌てて釈明すると、長門は静かに頷いて真剣な表情を浮かべた。


 「それは某も重々承知している。同盟を結んだとは言え、赤の他人である魔王信濃殿の為に一国を相手取るような男なのだ・・・だからこそ裏切りの代償は高く付くであろう事も理解している」


 「ふむ、貴様等がそれを理解しているならば話は早い・・・正直な話、我輩は清宏に従うのは気が進まないのであるが、その火種が魔王リリスに及ぶ様であれば黙っている訳にはいかん・・・努努忘れてはならんのであるぞ」


 ペインの忠告に長門が頷くと、他の家臣達も唾を飲み込み頷いた。

 先程までの緩い空気から一変し、重い空気が流れ始めた広間に甲高い音が響く。

 皆がハッとして音がした方を振り向くと、そこには笑顔の由良が立っていた。


 「さて、だいぶ話がそれてしまいましたね・・・アリー殿もだいぶ退屈なさっているご様子ですし、場所を変えてみてはいかがでしょう?」


 「ふむ、ならば何か食べる物があれば嬉しいのである!」


 「はい、お茶とお茶菓子を用意させましょう。では、どうぞこちらへ」


 由良は笑顔で頷くと、自ら案内をする。

 護衛の為の長門と朧を従えた由良は、よく整備された庭園を進みながらアンネの質問に立ち止まっては答える事を繰り返し、七人はやっとの事で四阿へと辿り着いた。


 「丁度お茶の用意も出来たようですね」


 「は、腹が減ったのである・・・」


 「申し訳ございません・・・」


 空腹で息も絶え絶えなペインにアンネが謝ると、それを見た由良が可笑しそうに笑った。


 「遠慮なさらずお腹いっぱい食べていただいて構いませんよ。空腹は最高の調味料と言いますし、我慢した分美味しく感じますから」


 「本当であるか!?」


 由良の言葉にペインが目を輝かせると、アンネはすかさず袖を引いた。


 「駄目ですよ。清宏様に怒られてしまいます」


 「そ、それもそうであるな・・・」


 真顔のアンネの威圧感に負け、ペインは残念そうに項垂れる。

 二人のやりとりに首を傾げた由良を見た信濃は、笑いを堪えながら軽く肩を叩いた。


 「由良、ペインに軽々しく腹いっぱい食うて良えなんて言うたらアカンで?冗談抜きでここの食い物根こそぎ食い尽くしてまうからな・・・」


 「そ、それは流石に困ってしまいます・・・」


 「せやろ?ぶっちゃけ、それこそウチんとこは昨日やられてもうてな・・・すまんけど、自分とこの子達に頼んで街で何か買って来て貰えんやろか?そうやないと、ウチんとこはしばらく寂しい食事になってまうんや・・・」


 「わ、分かりました・・・朧、誰か手の空いている者に買い出しを頼んで来ていただけますか?」


 「御意」


 朧は一礼し、すぐさま音もなくその場を離れる。

 すると、茶菓子を頬張りながらその後ろ姿を見ていたペインが目を細めて嬉しそうに頷いた。


 「ふむ・・・あの朧とかいう女、先程から思っていたが中々良い身のこなしをしているのであるな?アルトリウスが褒めるのも肯けるのである。

 まあ、それは貴様も同じであるがな・・・なあ長門よ?」


 「褒めていただけるのは光栄ではあるが、某も朧もまだ未熟・・・現状に満足する訳にはいかぬ」


 「良い心掛けであるな。案外、貴様等と手合わせしてみるのも楽しいかもしれんな・・・」


 「ご冗談を・・・主と民、そしてこの国を守るのが某の務め・・・無駄死にする訳にはいかぬのでな」


 「ふむ、残念であるな・・・正直、我輩は清宏と出会ってからと言うもの、負癖がついてしまって困っているのである・・・自信を取り戻したいのであるよ・・・以前の我輩カムバック・・・」


 長門にあっさりと断られてしまい、ペインは茶菓子を口に放り投げて肩を竦める。

 側から見れば物憂気な表情を浮かべた美女であるが、口の周りには茶菓子のクズをべったりと付け、中身はポンコツを極めているため全くと言って良いほどに魅力が感じられないのが悲しいところだ。

 そうこうしていると言伝に行っていた朧が戻り、由良は笑顔で手を叩いた。


 「朧も戻ってまいりましたし、色々と遅れてしまいましたが用件を伺ってもよろしいでしょうか?」


 「やっとであるか・・・」


 「ほんま長かったわ・・・」


 「では、私からご説明させていただきます」


 アンネはペインと信濃のボヤキに苦笑すると、由良に向き直って居住まいを正し、訪れた理由を話し始めた・・・。


 

 


 


 

 

 




 


 


 

 

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