第108話 氷狼王フェンリル②

 拳から滴る血に気が付いたオライオンは自嘲気味に笑うと、自身の衣服で無造作にそれを拭ったが、染みが出来たのを見て冷や汗を流した。

 派手さはないが良い生地を使っていたのだろう。

 だが、血液による染みはなかなかに手強いため、すぐに洗わなければ血液中のタンパク質が酸化してしまい落ちにくくなる。

 オライオンは諦めたらしく、咳払いをした。


 「諦めないでくださいよ陛下・・・洗う方の身になって考えてください」

 

 「むう・・・これはうっかりしていた・・・後で謝らねばな」


 サンダラーに注意されたオライオンはため息をついて肩を竦める。


 「まぁ、やってしまったものは仕方ない・・・話を続けよう。

 確か、フェンリルが現れてからであったな・・・そう、奴が現れてからはまさに地獄であった。

 巨大な体躯でありながら氷狼族の素早さは失わず、爪による一撃は大地を抉り、咆哮は吹雪を纏いあらゆるものを凍りつかせ吹き飛ばしたのだ・・・我々は恐怖を振り払い、劣勢を覆すべく果敢に攻め立てたが、奴の氷に覆われた体毛は異常な程に硬く、傷を負わせてもすぐに塞がり、さらには魔法による攻撃はことごとく咆哮によってかき消されてしまった。

 やがて、傷を負った者から1人また1人と減っていき、半刻もすれば我々は防御に適する事しか出来なくなってしまった・・・奴の攻撃を受け、防具を失った者は皆凍り付き、咆哮により砕け散っていった。

 だがな、長年共に戦ってきた仲間達が目の前で血煙になって行くのを見ていたと言うのに、余は何も出来なかったのだ・・・涙を流し、悲しむ事も許されんのだ・・・泣けば涙が凍って目が塞がり、悲しみにくれては自分が死んでしまうからな。

 その後、防戦一方となった我々は、あっと言う間に片手で足る人数まで減ってしまった・・・残っていたのは余を含め、それぞれが名の知れたS級冒険者が4名だったが、皆既に満身創痍だった。

 だが、それでも逃げ出す者は誰一人として居なかった・・・ここで我々が奴を倒さねば、世界は滅ぶ・・・皆がそう確信しておったからだ。

 我々をその場に縫い付けていたのは、我々しかいないと言う使命感と、冒険者としての意地とプライドだけだったが、それだけでも命を賭けるには十分だった」


 オライオンは辛い思い出話の最中にも関わらず、懐かしそうな表情を浮かべる。

 最後まで共に戦った仲間達の事を思い浮かべているのだろう。


 「お話の最中に申し訳ありません・・・陛下と他の方々は、その絶望的な状況からどの様にして挽回されたのでしょうか?

 私達がその様な状況に追い込まれた場合、生き残る事はまず不可能です・・・やはり、陛下が無事に生き残られたのは、先程仰っていた奇跡が起きたからなのでしょうか?」


 話の続きが待ちきれなかったのか、おずおずと手を挙げたオーリックは、目を輝かせながら質問した。

 オライオンはそれを見ると、可笑しそうに笑って頷いた。


 「その通りだ・・・その後、人数を確認した我々は、余力も僅かしか残っておらず、作戦を立てて最後の賭けに出たのだ。

 だが、最後の攻撃を仕掛けたは良いが、奴にはそれを読まれていた・・・結果、盾役を申し出た者は奴の爪の餌食になり、余は自慢の魔剣を砕かれた。

 余も奴の攻撃を受けたが、死んでしまった仲間が装備していた盾を使わせて貰っていた事と、直撃を受けなかったため命は取り止めたが、それでも昏倒仕掛けた・・・遠くから、無事であった2人の声が聞こえていたが、余は立ち上がる事が出来なかった・・・そして、奇跡が起きた」


 オライオンは話を中断し、アイテムボックスから一振りの大剣を取り出す。

 その大剣は、見事な装飾の施された鞘に収まっているが、ただそこにあるだけで異様な雰囲気を醸し出している。

 そして、その剣を見た途端、その場に居た者達全員がどよめいた。


 「神剣レーヴァテイン・・・これこそが奇跡だ」


 「な・・・何故その時一介の冒険者だった貴様がその剣を持っていたのだ!?

 その剣は、この国の至宝・・・神が造り出した唯一無二の神剣だ!!

 その剣は、代々この国の王家の者にしか触れる事が許されない物のはずではないか!!」


 マグラーは血相を変えて怒鳴りだす。

 オライオンは困った様に苦笑し、髭を撫でた。


 「余は、その頃既に先王から気に入られておったのだがな、王女殿下・・・まぁ、現在の余の妻である王妃に泣きつかれたらしいのだ。

 10以上も歳の離れた余の何が良かったのか、余がフェンリル討伐に名乗り出た事を知った王妃が、先王に頼み込んで貸し与えて下さったのだ」


 「ならば、何故最初からその剣を使われなかったのですか?」


 「使わなかったのではない・・・その時、余には使えなかったのだ。

 どれ、其方達も持ってみるか?どうせなら鞘から抜いてみよ」


 「ちょっ・・・国の宝でしょうに!?・・・まぁ、こんな機会は今後無いでしょうから、ありがたく触らせていただきますけど・・・」


 軽いノリで神剣を渡されたサンダラーは、慎重に受け取って柄を握ったが、首を捻った。


 「どうだ、抜けぬであろう?オーリックはどうだ?」


 「私にも無理なようです・・・」


 オーリックは、サンダラーから剣を受け取って試してみたが、ビクともしなかったためオライオンに返した。


 「そう、この剣は抜けぬのだ・・・これでは戦えぬであろう?

 だが、あの時・・・朦朧としておった余に、フェンリルの爪が迫ったその瞬間、この剣が余を守ってくれたのだ。

 余は朦朧とする意識の中、余を守るように目の前に浮かんでいたこの剣を必死に掴み、奴に斬りかかった・・・そして、眩いばかりの光に包まれた。

 眼を焼きそうな程のその光は、凍て付いていた周囲を氷解させ、奴を斬り裂いた・・・それまで、いかなる攻撃も通用しなかった奴が、たった一撃で倒れたのだ。

 余がはっきりと意識を取り戻した時には、何故か剣は鞘に収まっておった・・・後にも先にも、この剣の刃を見たのはその時だけだ。

 後は皆が知っての通りだ・・・フェンリル亡き後、あの国は各国により領土を分けられ、余は王女と結ばれた・・・あの時、何故この剣が使えたのかは知らぬが、あれが無ければ世界は滅んでいたであろうな」


 オライオンが語り終えて一息ついていると、ルミネが首を傾げた。


 「陛下、先程領土を分けられたと仰しゃいましたが、確かフェンリルが住んでいたとされる山脈はそのままでしたわよね?」


 ルミネの質問を聞き、オライオンはゆっくりと頷いた。


 「あぁ・・・余と、他の2人で各国の王達を説得し、あの山脈だけはそのままにして貰ったのだ」


 「・・・何故その様な事を」


 「悲劇を繰り返さぬためだ・・・其方達は、何故フェンリルがあの国を滅ぼしたか知っているか?」


 オライオンの言葉に、皆困惑した。

 皆の反応を見たオライオンは、椅子に座り直して居住まいを正した。


 「本来、氷狼族と言うのは元々争いを好まぬ種族なのだ・・・。

 人族は数が多く知能も高いため、争えば仲間に犠牲が出る・・・奴等は、その事を良く知っておるのだ。

 奴等は縄張り意識が強く、仲間を大切にする種族だが、人が迷い込んだ時などは威嚇するだけで、山から下りるように誘導していくのが基本的なやり方だ・・・奴等の討伐依頼が少ないのはそれが理由だな。

 だが、一度でも奴等の怒りを買えば、獲物を殺すまで地の果てまで追ってくるという一面もある。

 あの戦いは、本来なら避けられた戦いだったのだ・・・あの国は、資源のために奴等の縄張りを侵し、多くの仲間を虐殺したのだよ。

 それが引き金となり、奴等の族長が進化し、フェンリルとなって国を滅ぼした・・・。

 余は事の背景を知ったため、あの山脈には手を出さないように頼んだのだ。

 今回、余が魔王リリスとの争いを避けたいのも、あちらを無闇に刺激する事で、この国・・・果ては世界が危機に見舞われる可能性を考慮しての事だ。

 幸いにもあちらは言葉を理解し、意思の疎通が可能だ・・・我々は、決してあの国と同じ道を辿ってはならんのだ」


 一同が静まり返り、オライオンは立ち上がった。


 「マグラー及び、この部屋に集まっている其方達にはそれ相応の処罰を与える・・・余を貶めようとした事に関しては、余にも問題がある事を考慮し不問としよう。

 だが、いたずらに戦を煽り、国を危機に追いやろうと企て、自身の計画のために他者の家族にまで手を出した事に関しては見過ごす事は出来ん。

 沙汰は追って報せる・・・サンダラー、奴等を捕らえよ・・・」


 サンダラーは外で待機していた部下を呼び、マグラー達を連行する。

 それを見送った夫人は、オライオンに深々と頭を下げた。


 「この度は主人がご迷惑をおかけしました・・・止める事が出来なかったわたくしにも責任がございます。

 何卒、わたくしにも罰をお与えください・・・」


 「其方は良くやってくれた・・・礼を言いこそすれ、処罰するなどどうして出来ようか。

 それでも責任を感じていると言うならば、今後は其方自身がこの国の為に尽力し、余を助けて欲しい。

 マグラーも昔はああでは無かった・・・貴族と言う立場に誇りを持ち、民に対して厳しくはあったが、財政については非常に優秀な男だった。

 余も奴が居なければ回らんと思って重用し、頼りきってしまっていた・・・だが、それが奴にとっては情けなく、頼りにならぬ王と見えていたのかもしれぬな・・・。

 今回の件、余は誰一人として死罪を言い渡すつもりは無い・・・また誰かしらから甘いと言われるかもしれぬが、マグラーのように余と相反する考えを持つ者も必要であると考えておる。

 異なる意見があるからこそ、新しく、より良い道を見つけられるのだからな・・・」


 「寛大なご配慮、感謝の言葉もございません・・・」


 夫人は声を震わせながら笑い、もう一度頭を下げてオライオン達を見送った。

 屋敷の外に出ると、マグラー達を部下に任せたサンダラーがつまらなそうにしゃがみ込んでいた。


 「さて、小腹が空いたな・・・たまには街の様子でも見ながら食事をすると言うのも悪くないとは思わんか?」


 『へっ!?』


 オライオンの何気ない提案に、オーリック達が間抜けな表情で聞き返す。


 「おっ、良いですね!じゃあ久しぶりに行きますか!?」


 サンダラーは何故か乗り気でオライオンに笑いかけているが、オーリック達は混乱しているようだ。

 だが、それも仕方のない事だろう・・・。


 「ジルよ、城に行ってリンクスの家族も呼んで参れ、迷惑をかけたお詫びと言ってはなんだが、今日は余が奢ろうではないか!」


 「えっ・・・いや、大丈夫なんすか!?」


 「ん?あぁ、問題無えよ!何だかんだ、俺達は結構お忍びで飲みに行ってんだよ。

 俺も陛下も、こうやって変装セットを常備してるくらいだからな!」


 サンダラーとオライオンは、アイテムボックスからカツラや衣服などを取り出して素早く着替えると、2人並んで街に向かって歩き出す。

 ジルは何を言っても無駄だと感じ、城に向かって走り去って行った。


 「ほれ、さっさと来んか!」


 オライオンは、いまだに混乱しているオーリック達に声を上げて叫んだ。


 「ルミネ・・・君にはあれが変装に見えるか?」


 「いえ、どこからどう見ても陛下と胡散臭いオッサンですわね・・・」


 オーリックとルミネは顔を見合わせてため息をつく。


 「あれでバレていないと思っているんだろうか?」


 「たぶんバレてはいるが、誰も何も言わないんだろう・・・」


 リンクスとカリスは呆れながらも歩き出し、オライオン達を追った。


 「陛下が、民から絶大な人気があるのも頷けるな・・・」


 「えぇ、逆にマグラーの様な者達から嫌われている理由も理解出来ましたわ・・・」

 

 オーリックとルミネは、もう一度深いため息をつくと、オライオン達を追って走り出した。

 

 

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