18-2
トゥリアンのレルギット領伯館は俄かに騒然とした。
「何だ――? 騒々しいな」
王太子用の客室で退屈そうに寛ぎ、長椅子でうたた寝を始めていたランディは、心地よい睡眠を邪魔されてこの上なく不機嫌だった。
「おや、お目覚めですか」
アレフキースは手にした書物の頁を捲りながら、ランディを呆れたように見た。
「ちょうどいいですから、そのままご自分の部屋へお引き取りになって下さい。今はキーファーもいませんからね。そんなところでお休みになられて、お風邪でも召されたらいい迷惑です」
「……冷たいなあ、お前は」
「あなたの為に申し上げているのですよ。エルミルトで本当にご静養なさりたくはないでしょう?」
「まあそれはそうなのだが、棘を感じるのは何故だろうな」
ランディがぼやいていると、慌しい足音がして、部屋の扉がいささか乱暴にノックされた。
「何事だ?」
フェルナントが扉の向こうに問うと、興奮気味の声で返事が返ってきた。
「エリオールです! 取り急ぎ――ご報告を!!」
「入れ」
アレフキースの答えに合わせてフェルナントが扉を開く。
「失礼致します」
エリオールはきびきびとした足取りで入室してくると、素早く王太子の前に跪いた。
「何の報告だ?」
ランディの問いかけに、エリオールは秀麗な顔を上げて手短に答えた。
「はい! シュレイサ村に駐屯中の兵より急使が! 現在盗賊の襲撃を受け防戦中、大至急救援を請うと――!!」
「何だって!?」
ランディは血相を変えて立ち上がった。アレフキースも息を詰める。
「エルアンリは、国境警備隊の将校だったな! 彼はどこにいる!?」
「はい、エルミルト市候シーラー侯爵様、レルギット領伯ブルージュ伯爵様とご一緒に、一階の大広間においでです!」
「そうか――、フェルナント! 念の為に近衛二番隊の出撃準備を整えておけ!」
「はっ」
「こちらのことはいい、エリオールも、行け! 一人残らず全員だ!!」
「はい!」
ランディの命に従い、二人の騎士は王太子の御前から退いた。制服の乱れを直し、剣を佩くランディの肩に、白いマントを着せかけながらアレフキースが問う。
「シュレイサ村の救援に、近衛二番隊を出すおつもりですか?」
シュレイサ村にはフレイアシュテュアがいる! そして二人の近衛騎士と世話になった人々が――! 地位も立場もかなぐり捨てて、今すぐにも駆けつけたい衝動を抑えこみながら、ランディは肩越しにアレフキースを振り返った。
「場合によっては考えねばならん。異存はあるか!?」
「いいえ。もしも部隊が整わないようであれば、了承せざるを得ないでしょう。ですが、国境警備隊のみで対処できる場合は、指揮系統の混乱を招くだけですからね、お気持ちはわかりますが我慢して頂きますよ」
民人や騎士たちの身を案じながらも、アレフキースは感情に流されることなく冷静に答えた。ランディには、安全なトゥリアンの町に留まり、事態の収束を待っていて欲しいというのがアレフキースの本音だ。
「いずれにしても、エルアンリと話さんことにはどうにもならない」
マントの留め金をとめて、ランディは苛立たしげに黒髪を捌いた。
「あなたが相手では、エルアンリは頑なになるかもしれません。私に一任頂けますか?」
「そうしてくれ。王太子はお前だ。お前に任せる」
衣服を整えたランディはアレフキースに向き直り、その腰に下げられた宝剣の柄に手を触れて、思いを託すように彼の肩を叩いた。ランディの焦燥の滲む眼差しを受け止め、その奥にある本意を汲み取って、アレフキースは力強く頷く。
「ええ。では、参りましょうか」
その言葉を境に、アレフキースは王太子の仮面を被った。
*****
部屋を出たアレフキースは、傲然と顎を上げ、一歩引いたランディを従えて大股に大広間へと向かった。
「これは――、殿下!」
「非常時だ、礼は不要!」
大広間に集い、右往左往していた人々が、慌ててその場に畏まろうとするのを一言で制して、
「軍の者は出陣の準備を続けたまえ! 国境警備隊のレルギット領部隊長はどこか!!」
「はい、ここに――!!」
階段の真下へと進み出るエルアンリに、アレフキースは数段上から鋭利な眼差しを向けた。
「レルギット領における、国境警備隊の責任者は君だね、エルアンリ。シュレイサ村に盗賊が襲来した話は聞いた。状況を報告せよ!」
「はい、シュレイサ村より救援要請が届いてすぐにっ、セヴォーの砦に応援を求める伝令を出しております! 同時にトゥリアンの駐在兵には、出撃の準備を急がせているところですっ……!」
セヴォーの砦というのは、西の国境沿いに据えられた、
「なるほど、悪くない判断だ。盗賊団の名、もしくは、おおよその人数だけでも把握しているのか?」
「それが――、窮状を訴えに参りましたのが物慣れぬ少年兵で……、現場の状況を掴みかねておりまして……」
エルアンリは冷や汗を掻きながらアレフキースに弁明した。シュレイサ村は西の国境線からは少し外れている。前回被災した村からは遠く離れており、その上
――それが裏目に出た。フレイアシュテュアのことがなければ、村に小隊を送るどころか、住民に警戒を呼びかけることすらしていなかったかもしれない。少年兵や傭兵が半数を超えるような寄せ集めの小隊とはいえ、派兵していただけましというものだ。
「わからないものは仕方がないね。歩兵では時間がかかりすぎるし、行軍で疲弊させてしまっては元も子もない。トゥリアンから、すぐに出せる騎兵の数は?」
エルアンリの失態を、アレフキースは責めなかった。叱責の間を惜しんで建設的に話を進める。
「はいっ、私直属の騎士を含めまして、およそ七十騎――」
「七十か……、大規模な盗賊団であれば軽く百人を越えると聞く。それだけでは少し心許ないね。砦からの応援はいつ頃到着する?」
「おそらく夜明けまでには、シュレイサ村に着くかと」
「――遅いな。それではおそらく間に合わん」
それまで無言で控えていたランディが、そこで堪えきれずに口を挟んだ。
「シュレイサ村に駐屯していた小隊は十二名、うち一人がトゥリアンに遣いに来たのだろう? ヴェンシナとキーファーもいるが、ヴェンは身体を壊しているからな。彼らだけで長くは持たせられまい。早く行ってやらないと」
振り返るアレフキースに、ランディはもどかしげに答えた。静かに燃える黒い瞳は既に意を決している。ランディの意志を再確認し、アレフキースも腹を括った。
「救援には、近衛二番隊も同行させよう。騎士隊長以下三十七名。多くはないが精鋭揃いだ」
アレフキースの決断に、血の気を失くしたシーラー侯爵が大慌てで異を唱えた。
「お、畏れながら――、殿下! 近衛二番隊は殿下をお守りする存在です! 民の為に戦う雑兵ではありませんぞ!」
「一刻を争う事態だよ、シーラー候」
「しかし――」
なおも強固に反対しようとする老侯爵を、ランディは脇からじろりと睨みつけた。
「シーラー候は、何をそこまで拘泥する? 今まさに、村が一つ危機に晒され、民の命が奪われているかもしれんのだぞ! 建前が必要と言うならば、王太子が出れば済む話だろう!!」
「そんな――!!」
「こっ、侯爵様!!」
ランディの言葉にめまいを起こしかけたシーラー侯爵を、ブルージュ伯爵がおろおろと支えた。
「三十七名、ということは、私も頭数に入っているな。お前も当然行くのだろう? アレフキース」
「勿論。近衛二番隊の主人はこの私。名高い二番隊の陣頭に、王太子がいなくては様にならないからね」
ランディの言を受けて、アレフキースは傲岸に眉を上げた。彼らの意志を覆す方策を見つけられずに、老侯爵の寿命は縮みに縮んでもはや風前の灯である。
緊張の走る大広間に、鉄色の髪の偉丈夫が急ぎ足で入ってきた。鋼のような体躯をしたフェルナントに、エルアンリは気圧されるようにして王太子の御前を譲る。
「アレフキース殿下」
「フェルナントか」
答えるアレフキースの背後にランディの姿も認めながら、フェルナントは彼らの前に恭しく跪いた。王太子の鋼の守護者は、頼もしい灰色の瞳で主君たちを見上げる。
「近衛二番隊、準備が整いましてございます。いつなりとご命令を」
「よし! エルアンリ、君の騎兵隊も出撃できるのか?」
「は、はい、おそらく――」
焦りながら答えるエルアンリに、アレフキースは射るような眼差しを向け、口元だけで微笑みかけた。
「では行こう。私には土地勘がないからね、エルアンリ・ヴォ・ブルージュ、君に救援隊の指揮を執らせてやろう。君の騎兵隊と共に、私と私の騎士たちを顎で使ってみるがいい」
「も、もったいないお言葉にございます……!」
アレフキースの言葉に、エルアンリは恐縮して震え上がった。シュレイサ村までの道案内はできるが、王太子はもとより、ランディやフェルナントのような癖のある騎士たちを、束ねられるとはとうてい思わない。
アレフキースはランディと目を見交わした。ランディは頷き、その黒い瞳でフェルナントを立ち上がらせ、出陣の合図を送る。
ランディとアレフキースを先導して、ざわめく大広間から去ろうとしたフェルナントの足を、シーラー侯爵の取り乱した金切り声が引き止めた。
「きっ、騎士隊長! お前は何故殿下をお止めしないっ!!」
フェルナントは足を止め、振り返りざまに洗練された仕草でお辞儀をした。
「理由がございませんので。それに、部下たちにもたまには、実戦経験を積ませることが必要ですからな」
シーラー侯爵は一瞬あっけにとられ、我に返ると顔を真っ赤にして叫んだ。
「かっ、必ずお守りせよっ!! 殿下も! ランドリューシュ様も――!」
「お任せを。我らはその為におります」
フェルナントは力強く諾い、踵を返した。後ろから見ればそっくりに見える、王太子とその従兄をなす術も無く見送りながら、シーラー侯爵は重圧に耐え切れず、現実から逃避をするようにとうとう失神した。
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