第十九章「信頼」

19-1

 年嵩の小間使いに手を引かれて、サリエットが追われながら逃げてくる。追いすがるのは野獣のように眼をぎらつかせた数人の男たち。目前の賊が振り下ろす剣を身軽にかわし、くるりと背後に回りこんで、ヴェンシナは賊の首筋に切りつける。致命傷になるかもしれない――。嫌な悪寒が背筋を這い登るが、ためらってはいられない。非情にならねば自分が逆に殺される。綺麗事をどれだけ並べても、村が救われるわけではないのだから。


「サリィッ! 急いで!!」

 避け損ねた返り血の飛沫がぴしゃりと頬に撥ねる。横倒しになる敵を顧みず、ヴェンシナは娘たちに駆け寄った。擦れ違いざまに、サリエットの背を教会の方へと押し出し背後を庇いながら、鋭く剣先を突き出して、追っ手の先頭にいた男を一撃で仕留める。

「ヴェン! 限界だ! 扉を閉めるよ!!」

 サリエットと小間使いを、聖堂の扉の奥に押し込めながらキーファーが叫んだ。先程まで、教会の入り口付近を共に守っていた、国境警備隊の兵士たちも既に中に退いている。


 当直の警備兵が、いち早く異変に気付き警鐘を鳴らしたお陰で、村人の多くは盗賊に鉢合わせするよりも先に、シュレイサ村教会に避難を終えていた。それでも全ての村人が、確実に逃げおおせてきたわけではない。ヴェンシナとキーファーは、教会に駆けつけた兵士たちと共に、一人でも多くの民を収容できるよう、防衛戦を繰り広げていた。村を襲った盗賊団は、無人に近い民家での略奪と放火に飽いて、教会の周りを虎視眈々と包囲しつつある――。


「今行くよっ!!」

 男の身体に足をかけ剣を引き抜いて、ヴェンシナは身を翻し聖堂に走った。

 色子として高く売れそうな、可愛らしい童顔を裏切る容赦の無い剣技に、盗賊たちは僅かに怯み彼を取り逃がした。剣を片手に威嚇しながら、少しの隙間を開けて待つキーファーの脇をすり抜けて、ヴェンシナは倒れるように聖堂の中に滑り込む。

「閉じて!! かんぬきを――早く!!」

 ぎりぎりまでヴェンシナを追ってきた、盗賊のひとりに一閃を浴びせてから、キーファーは怒鳴りながら聖堂の扉を押した。近くにいた村の男たちが、大急ぎで彼を手伝い両開きの扉を閉ざす。

 口汚い罵声――。そして、どんどんと扉を叩き、蹴りつける激しい音に、女や子供たちが恐慌し悲鳴を上げる。しかし重厚な造りの、聖堂の大きな扉は、それしきのことで破られることはない。


「ああー……」

 大きな息をつきながら、キーファーは額の汗を拭った。マントの裾で刀身を拭い腰に剣を収める。攻防の激しさを物語るように、彼の白い制服には、赤い血糊の花弁が点々と散っていた。

 その傍らで、最後まで前線に立っていたヴェンシナが、剣を杖にしながらゆらりと立ち上がった。村の女と二人の牧師に傷の手当てを受けながら、言葉も無く、疲労しきって床に倒れ臥している国境警備隊の兵たちが、畏れるような眼差しでヴェンシナを見上げる。

 最も多くの賊を相手に立ち回り、切り伏せてきたのは間違いなく、虫も殺さぬような幼い顔をした、この小柄な近衛騎士だ。近衛二番隊の騎士は、未来の国王を護り支える若手の精鋭。容姿や心根を問われる以前に、剣士としての優れた資質がなければ、一介の兵士見習いの身の上から推薦を受け抜擢されるものではないことを、彼らは共に戦うことで身をもって思い知っていた。


「……ヴェン……大丈夫かい?」

「……うん……。病み上がりにはかなりきついけどね……」

 喉の奥からせりあがってくるものを、吐きそうになるのを堪えながらヴェンシナは答えた。どうしようもなく気分が悪いのは、おそらく胃を壊していた為ばかりではないだろう。

 しばらくはここでこのまま篭城をするしかない。シュレイサ村教会の、石造りの堅牢な聖堂が彼らの砦だ。救援の報を受けて、援軍が村へ辿り着くのが先か――、はたまた盗賊たちが教会を攻め落とすのが早いか――、フレイアシュテュアの看護を受けて、ようやく落ち着いていたヴェンシナの胃が、また痛くなりそうな根競べである。

 盗賊たちはもう、外から扉をどやしつけるのはやめていた。不気味な沈黙が、なおのこと村人たちの恐怖を煽っているようにヴェンシナには感じられる。


「ああ……、このまま諦めて、とっとと退散してくれないもんかなあ」

 楽観論を述べるキーファーに、ヴェンシナはふるりと頭を振った。

「だといいけどね。ここには今、村の娘たちがほとんどみんな逃げ込んで来てるから……、目当てが彼女たちだとしたら、このまま見逃してはくれないと思うよ」

「嫌な分析だなあ。まあ、この村の娘さんたちは美人が多いみたいだから、守り甲斐もあるってもんだけどさ」

 身を寄せ合って息を凝らしている、若い娘の一群を見やりながらキーファーは言った。教会の娘たちも、最後に駆け込んできた金褐色の髪の少女も、キーファーの目には水準以上の容姿に映った。ヴェンシナの故郷には、器量の良い女性が豊富なようだと、こんな時ではあるが彼は少し羨んでいる。


「ヴェン……血が……」

 青ざめた顔のシャレルが、心配そうに弟の傍にやってきた。震える手で返り血を浴びた、弟の頬を拭う。

「僕の血じゃないから、姉さん」

 暗い眼差しで微笑むヴェンシナを、シャレルは悲しげな目で見つめた。たとえ相手が盗賊であり、どんな大義名分があったとしても、ヴェンシナはその手で人を殺してきたのだ。正常な精神の持ち主であれば辛くない筈はない。

「ごめんなさいね……ヴェン……」

「どうして謝るの? 姉さん、困ったなあ……」

 シャレルの気持ちが、本当はヴェンシナにはわかっていた。教会で育った自分たちにとって、殺人はあまりにも重い罪だ。守られる身であるシャレルは、それが申し訳なくてならないのだろう。


「いいなあ、ヴェンは、綺麗な姉さんがいてさ」

 キーファーは拗ねるように言ってマントを外し、ヴェンシナに差し出した。

「君も剣を拭いときなよ。また後で使うことになりそうだしさ」

「うん、ありがとう」

 ヴェンシナはキーファーから、素直にマントを受け取った。血塗れた手と剣を拭い、その刃こぼれが生じ始めた刀身を、確かめてから鞘に戻す。


「ヴェン、お父様が――いないわっ……!!」

 ひと時の休息を得ようと、扉の脇の壁にもたれかかったヴェンシナに、半狂乱になったサリエットが取りすがってきた。

「まだ、外にいるわっ、ヴェン!! 扉を開けてっ! お父様を捜しに行くのっ!」

「駄目だよ――、サリィ! 我慢して!!」

 ヴェンシナは抱き締めるようにして、髪を乱して暴れるサリエットを引き止めた。

「君に酷いことを言ってるのはわかってるよ! だけど駄目だ! もう教会は囲まれてしまってる! 僕らだけじゃ、もう防ぎきれない! 今は待つしかないんだよっ!!」

「待つって……何を――?」

「救援に決まってるじゃない。しっかりして、サリィ!!」

 ヴェンシナは叱るようにサリエットを激励した。そうして視界の端に留まった、フレイアシュテュアを呼ぶ。


「フレイア、サリィを」

「ええ」

 フレイアシュテュアは両手を差し伸べてサリエットを抱きとめた。いかなる運命でも受け入れようとするかのように、フレイアシュテュアの表情は静かだ。

 フレイアシュテュアの胸に顔を埋めて、サリエットは号泣した。つられて他の女たちも嗚咽を始める。行方知れずになっているのは、村長一人だけではない。

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