第七章「騒動」
7-1
夕闇が迫る中、フレイアシュテュアを連れたランディは、ようやくシュレイサ村に帰り着いた。
その二人の姿を、畦道にいた村人の一人が見咎め、大声で周囲にふれ回った。
「見つけた――! フレイアだ!!」
その声に誘われるようにして、わらわらと飛び出してきた村の男たちが、行く先々で口々に叫ぶ。
「フレイアだ! 魔女がいたぞー! 村長!」
「都の騎士様が一緒だぞー!」
「村長、フレイアが帰ってきたぞ――!!」
村人たちの棘のある声に追い立てられるようにして、ランディは畑の間の道を進んだ。
その胸に寄りかかる背中から、フレイアシュテュアの緊張が伝わる。細い肩は小刻みに震えているようだ。
「ずいぶんと物々しいな、大丈夫か?」
怯えるような表情を窺いながら、ランディはフレイアシュテュアを気遣った。フレイアシュテュアは青い顔で頷いた。
「はい……。私が勝手に抜け出したことで、村長はお怒りなんでしょう」
「家出のつもりだったことは、誰か知っているのか?」
「いいえ、手紙も何も残してきませんでしたから」
「そうか」
ランディは再び前を向いた。その前方から、急速に近づいてくる騎影がある。
「――ランディッ!!」
血相を変えてこちらに向かってくるのはヴェンシナであった。ヴェンシナは一度ランディとすれ違い、背後から追いついて並走すると、いきなりがみがみと怒鳴りつけた。
「心配しましたよ! 何が少し遠乗りですかっ!! しかもフレイアと一緒に戻ってくるなんて――!!」
「ヴェン、舌を噛むぞ」
ランディは冷静に注意を促した。ヴェンシナは一瞬言葉に詰まりながら、なおも続けた。
「……あなたがどこへ行っていたか、フレイアがどこにいたか、聞かなくったってわかる気がしますけどねっ! だけどっ、どうして二人一緒に……、よりによってこんな時に……!」
「ヴェン、何もないわ」
フレイアシュテュアが顔を上げ、細い声でヴェンシナの名を呼んだ。
「送って下さるというお言葉に甘えただけだわ、ヴェン……?」
惚けたような顔つきで、自分を見つめているヴェンシナに、フレイアシュテュアは訝しげに眉を寄せた。
「落馬するぞ、ヴェン」
からかうようなランディの声音に、はっとしてヴェンシナは正面を向いて、鞍を挟む両脚を締め直した。
「ヴェン、私が何か――?」
「何でもないよっ」
そう言いながらもヴェンシナの横顔は、首筋から耳の先まで真っ赤である。フレイアシュテュアにはわからなかったが、ランディにはヴェンシナの気持ちが透けて見えるようだ。
「三年もあれば、女の子は化けるよなあ、ヴェン」
言外に何かを含ませながら、しみじみとランディは言った。
「変わらないのはシャレルとお前くらいのものか」
「僕は女の子じゃありませんよっ!」
すっかりランディの調子に乗せられていることに気づいて、ヴェンシナは手綱と共に気持ちを引き締めた。
「ああ――、そっちじゃありませんよ。ランディ、真っ直ぐ行って下さい」
分かれ道を左に折れようとしていたランディは、ヴェンシナの言葉に従い馬首の向きを変えつつも、怪訝そうに尋ねた。
「しかし、教会は向こうだろう?」
「そうなんですけど、その前にフレイアを連れて村長の家まで一緒に来て下さいますか? ちょっと……面倒なことになっちゃっていますから」
「村長! こっちにいるぞおっ!」
村人らしき人影が、近くの牧場の中からまた叫んだ。ヴェンシナは声がした方向を苛立たしげに睨みつけた。
「本当はランディを巻き込みたくなかったんですけれど、これだけ村の人が騒いでしまっては、もうどうしようもありませんからね」
「どうした? 何があった?」
「例の領伯様のご子息が、急に村長の家に見えられたんです。フレイアに会いに」
ヴェンシナはランディの腕にすがるようにして、小さくなっているフレイアシュテュアを気遣わしげに見た。
「僕らが村長の家にいる間、フレイアはずっと奥の部屋に軟禁されていて、どれだけ村長に頼んでも会わせてもらえませんでした。エルアンリ様はそんな僕らには見向きもせずに、勝手にフレイアの部屋に踏み込んで行こうとなさって――、頭にきたので僕も強引に付いて行ったんですが、そこには誰もいなくて」
「ああ、もうその頃には、フレイアシュテュアはとうに部屋を抜け出していたのだな」
「はい……そのようです」
フレイアシュテュアは叱られた子供のように俯いている。ランディは慰めるように声をかけた。
「いなくて正解だ。ろくな男じゃなさそうだな、そのエルアンリとかいう奴は」
「え、ええ……」
答えあぐねるフレイアシュテュアに代わるようにして、ヴェンシナは大きく首を縦に振った。
「本当にそうですよ。僕もそう思います。そこで諦めて帰って下さればいいものを、フレイアを教会で匿っているんじゃないかって疑って、姉さんやカリヴァーに凄んで、更には僕らを振り切って、牧師様のところにまで怒鳴り込みに行ったんですよ!!」
ヴェンシナは憤懣やるかたないといった様子で、状況を一息に説明した。フレイアシュテュアは息を呑んだ。
「そんな……!!」
「無茶苦茶だな。貴族の子息というよりも、まるで下町の無頼漢ではないか」
ランディは呆れたように言った。フレイアシュテュアは矢継ぎ早に尋ねた。
「ヴェン、牧師様はご無事なの? ラギィは? シャレルやカリヴァーは?」
「大丈夫だよ、フレイア、誰にも怪我はないから安心して」
頼もしくフレイアシュテュアを安堵させてから、ヴェンシナはランディに視線を向けた。
「お供の人がなだめすかして、エルアンリ様を村長の家まで連れ戻ってくれたんですけどね、フレイアの顔を見るまでは絶対帰らないって、そのまま村に居座っちゃっているんです。
村長は小心な人ですから、大騒ぎしてみなにフレイアを捜させてしまうし……。もうどうにも収拾がつかなくなっているところに、よりにもよってランディとフレイアが一緒に帰って来たって――」
ヴェンシナの思考は、そこでちょうど一巡したらしい。片手で栗色の髪をかき回して盛大に嘆いた。
「ああ、なんだってこんなことになっちゃってるんだろう……」
「まあ、起こってしまったことは仕方がなかろう。悩んでも始まらんぞ」
ヴェンシナの苦悩をよそに、ランディはあっさりとそう言った。
「大体の事情はわかった。ひとまず村長の家に行けばいいわけだな。先にヴェンに断っておくが、疾しいことは何一つしていないぞ」
「当たり前です!!」
出逢ったその日に一体何があるというのか? ヴェンシナの知るランディは、女性に対して礼儀正しい青年であり、フレイアシュテュアは極端なまでに控え目な娘である。そんな二人の間に、行きずりの関係が生まれるとは思えない。
「だがなあ――、ヴェン」
フレイアシュテュアの柔らかな温もりを胸に感じながら、ランディは心のざわめきを読みきれずにいた。同情、そして庇護欲。あるのは果たしてそれだけだろうか?
「何です?」
ヴェンシナが危惧するように問いかける。フレイアシュテュアは彼の大切な『妹』なのだ。
「いや……、何でもない。ただ私は彼女を、教会に帰してやろうと決めているからな」
ヴェンシナにそう宣言して、ランディは挑むように前方を見据えた。
フレイアシュテュアの白い指先が、情感を込めてランディの服に皴を刻む。
愛情と錯覚しかねないような、ランディの強い意思。それを受け止めるフレイアシュテュアの心の揺らぎを、ヴェンシナは危ぶまずにおれなかった。
エルアンリに望まれ、奪われてゆくことは許せないが、ランディに惹かれてしまうこともまた、フレイアシュテュアにとっては不幸せなのではないだろうか?
それぞれの思いを複雑にしたまま、二頭の馬は三人を乗せて村長の家へと到着した。
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